中村圭志『信じない人のための〈法華経〉講座』

信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)
(2008/09)
中村 圭志

商品詳細を見る


 中村圭志著『信じない人のための〈法華経〉講座』(文春新書/756円)読了。

 著者は編集者・翻訳家だが、宗教に造詣が深く、『信じない人のための〈宗教〉講義』という著書もある。「日ごろ『宗教』と『非宗教』の間をとりもとうと考えている」(本書「はじめに」)人なのだそうだ。
 
 本書は、『信じない人のための〈宗教〉講義』のいわば姉妹編。「諸経の王」とも呼ばれる法華経について、わかりやすい言葉で書かれた概説書である。
 ただし、すでに山ほどある「法華経入門」とは一線を画するものとなっている。「一般の宗教入門書に繰り返し書かれている平均的主張に対してあえて挑戦するようなことも書いて」(「はじめに」)あるからだ。

 何より、著者は法華経信者でもなければ(たぶん)他宗教の信徒でもなく、宗教学者でもないので、まったくニュートラルな視点から法華経をとらえて“面白がって”おり、だからこそ斬新な内容になっているのだ。

 つまり本書は、無宗教の教養人である著者が、純粋に知的興味から独学で法華経を研究し、「信じない人」の視点から法華経の全体像をとらえ直したものなのである。

 いわゆる「昭和軽薄体」を彷彿とさせるくだけた文体で書かれているあたりも、これまでの生真面目な法華経入門とは異質だ。たとえば、こんな具合――。

 修行などしている資質もゆとりもない迷える一般市民に対しても、法華経は気前よくゴール達成(成仏のこと/引用者注)の保証を与えます。彼らにとっては有難い話だったでしょうが、大乗の菩薩であれ、小乗の声聞であれ、まじめに修行をしている人々は、「おいおい安売りしてくれるじゃねーか」と、それこそ目をむいて怒ったかもしれません(常不軽のように迫害されたとしても不思議はありませんね)
-------------------------
 神話的大ボラ話がモロに出ているのは見宝塔品第十一です。そこではまず、巨大な宝塔が大地より涌出します。まるでSF映画の一シーンのようです。宝塔の高さは「五百由旬」(最低でも七千キロ以上とのこと)。例によってスケールが巨大ですから、会衆の驚愕ぶりはトレーシー邸のプールからサンダーバード一号が飛び出してきたときの驚きなんてもんじゃありません。太平洋からハワイ島が空中に飛び上がったようなものかな?



 「信じない人のための」とタイトルにあるのは、読者に対するハードルを下げる配慮だろうか。しかし実際には、法華経信者が読んでも面白い内容である。
 むしろ、法華経および仏教全般に関するある程度の基礎知識がないと、著者が随所に仕掛けたユーモアが理解できないと思う。

 ただし、書きぶりにいささかおちゃらけがすぎるところもあり、真面目な法華経信者は「ふざけるな!」と怒り出すかもしれない。

関連記事

鳴海章『風花』

風花 (講談社文庫)風花 (講談社文庫)
(2000/12)
鳴海 章

商品詳細を見る


 鳴海章著『風花』(講談社)読了。
 先日観た映画版『風花』がよかったので、原作を図書館で借りて読んでみた。

 話の骨子だけが映画と同じで、あとはまったく別物。とくに、主人公2人のダイアローグについては、原作のセリフはまったくといってよいほど映画に使われていない。

 それもそのはずで、この原作のセリフはいちいちクサイったらない。紋切り型の見本市みたいなありさまである。たとえば――。

 

「どこで間違ったんだろうな」廉司は天井を見上げてつぶやいた。「末は博士か大臣か、とまでは言わないけど、それなりの人間になるはずだったんだけどね」
----------------------
子はかすがいっていうから、子どもがいれば、離婚しなかったかもしれないな」
----------------------
お互い人生の転機ってやつですな」(下線は引用者)



 こういう手垢にまみれた言葉が全編てんこもりなのである。
 展開もダラダラしていてテンポが悪い。もっと刈り込んで短編にしてもよいくらい。

 いい場面もあるので、駄作とまでは言わない。とくによいのは、主人公2人が出会って北海道に旅立つまでの序盤と、余韻を残したラストシーン。
 困ったことに、肝心の旅の中味部分(全編の8割くらいを占める)がいちばん退屈。

 映画のほうがはるかによい。

 ついでにもう一つケチをつけると、単行本のほうの装丁(↓)がひどい。これが天下の講談社の本か、と目を疑うくらい。

風花風花
(1999/06)
鳴海 章

商品詳細を見る
関連記事

山田あかね『まじめなわたしの不まじめな愛情』

まじめなわたしの不まじめな愛情まじめなわたしの不まじめな愛情
(2008/08/26)
山田 あかね

商品詳細を見る


 山田あかね著『まじめなわたしの不まじめな愛情』(徳間書店/1575円)読了。

 私が最近気に入っている新進女流作家の、長編第4作。30代末・バツイチ同士の男女を主人公にした、苦くて痛い恋愛小説である。

 女はフリーライター。男は大手広告代理店のCMディレクターだが、仕事上の挫折がきっかけで薬物中毒に陥っている。
 男を薬物中毒から救いたいという気持ちから始まった2人の同棲生活は、ほどなく共依存の泥沼に陥っていく。互いを高め合う恋愛ならぬ、「低め合う」恋愛。ドロドロの関係を容赦なく描きながらも、重苦しさはあまりなく、読み出したら止まらないエンタテインメントになっている。

 第1作『ベイビーシャワー』や第2作『すべては海になる』でもそうだったが、山田あかねの小説は、恋愛小説でありながら、恋愛というものを少しも美しく描かない。
 “恋愛なんて、しないに越したことはない熱病のようなもの。それでも、私たちは恋愛せずにはおれない困った生きものなのだ”
 ……とでも言いたげに、恋愛が描かれている。恋の甘さ・楽しさよりも、苦しさ・どうしようもなさに力点が置かれているのだ。

 そして、恋愛における打算や駆け引きの描写が、ものすごくリアル。だからこそ、恋愛のおぞましさまでも活写してしまう。フツーの恋愛小説がアナログテレビだとしたら、山田あかねの小説はデジタルハイビジョンのように、ヒロインの小じわの一本一本、毛穴の汚れまで鮮明に映し出す――そんな趣があるのだ。

 かつて、丸山健二は次のように書いた。

 

 三十歳を過ぎてしまうと、如何なる男女の交際もすでに恋愛などと呼べる代物ではないのです。どんなに言葉で飾ってみても、薄汚い、おぞましい関係なのです。(中略)
 いい年をした大人の男がそうまでしてその男女関係を美化せずにはいられないのか、ということまで書き、そうでもしなければならないほど己れの人生が惨めなものである、ということまでずばりと書いてこそ本当の恋愛小説なのです(『まだ見ぬ書き手へ』)



 山田あかねの小説は、丸山健二のそれとは対極にあるといってよいほど異なっているが、それでも、ここには丸山の言う「本当の恋愛小説」がある。
 恋愛というものにまだ夢を抱いている若者には理解できない、大人の恋愛小説だ。

関連記事

思いこみについて

勇気凛凛ルリの色〈2〉四十肩と恋愛勇気凛凛ルリの色〈2〉四十肩と恋愛
(1997/01)
浅田 次郎

商品詳細を見る


 浅田次郎のエッセイ集『勇気凛々ルリの色 四十肩と恋愛』の中に、「思いこみについて」という一編がある。

 薬の但し書き「食間に服用」を「食事中に服用する」という意味だと思いこんでいたとか、「月極(つきぎめ)駐車場」を「月極(ゲッキョク)不動産」所有の駐車場だと思いこんでいたとか、その手の「思いこみ」についての面白いエッセイである。

 「子どものころ、東名高速を『透明高速』だと思いこんでいた」などという話なら、まあ笑い話ですむ。しかし、何十年も生きてきたのにその手の思いこみが修正されない例もままあって、これはシャレにならぬ赤っ恥につながる。

 じつは私も、つい先日その手の赤っ恥をやらかしてしまった。
 和食の薬味にする「もみじおろし」を、私は「もみじの葉をすりおろしたもの」だと思い込んでいたのである。
 家族で(回る)寿司を食べに行ったのだが、そこで息子が「もみじおろしってなーに?」と聞いてきたので、私は自信たっぷりに「もみじの葉をすりおろしたヤツだよ」と答えてしまった。

 一瞬の間のあとで、妻が「冗談で言ってるんだよね?」と聞いた。
 そして、私の積年の思いこみが、こともあろうに2人の子どもたちの前で白日の下にさらされてしまったのである。

  念のためにいうと、「もみじおろし」とは次のようなもの。

 

大根に切込みを入れ、唐辛子を詰めてすりおろすともみじおろしになる。紅色が美しく、辛味をいかした薬味として用いられる。なお、大根おろしとにんじんおろしを混ぜたものももみじおろしという(ウィキペディア)


 
 そ、そうだったのか……。いやー、44年間生きてきたのに知らなかった。

 考えてみれば、「もみじの葉をすりおろしたもの」だったら、「紅葉の時期にしか作れない」ことになるものなあ。
 
関連記事

生田武志『ルポ最底辺』

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)
(2007/08)
生田 武志

商品詳細を見る


 生田武志著『ルポ最底辺/不安定就労と野宿』(ちくま新書/777円)読了。

 大阪・釜ヶ崎を中心に、日雇い労働運動と野宿者支援活動を20年来つづけてきた著者による、「究極の貧困問題」――野宿者(ホームレス)問題のルポルタージュ。
 通りいっぺんの取材ではなく、問題の最前線に長年身を置いて書かれたものだけに、重みと深みがすごい。著者は、自らも日雇い肉体労働で生計を立てながら野宿者支援をつづけてきたのだ。

 ネットカフェ難民や若年層ワーキングプアについても少し言及があるが、中心となるのは高齢の野宿者の素顔である。

 衝撃的な内容で、打ちのめされた。著者の筆致にサヨ臭はなく、むしろ文学的香気すら漂う。というか、この本自体すでに「文学」だと思う。

 まず、野宿者たちが置かれた現実の過酷さに驚く。
 たとえば、主として少年グループによる野宿者襲撃の頻発。死に至る襲撃事件はときおりニュースになるが、著者によれば報道されるのは氷山の一角でしかなく、「襲撃は日本全国で日常的に起こり続けている」のだという。

 

 ぼく自身、(野宿者支援の)夜回りで何百という襲撃の話を聞き続けてきた。その内容は、殴る蹴る、エアガンで撃たれる、ダンボールハウスに放火される、消火器を噴霧状態で投げ込まれる、花火を打ち込まれるなど様々だ。ぼくが今まで聞いたなかで一番エグい話は、「寝ているとき、眼球を突然ナイフでグサッと刺された」というものだった。



 しかも、そうした襲撃は学校が夏休みや冬休みに入ったとたん「一気に増える」のだとか。ぞっとする話だ。

 また、著者の実感によれば、ここ数年、若者と女性のホームレスが明らかに増加傾向にあるという。“男性日雇い労働者が高齢や病気で働けなくなり、ホームレスになる”という従来のパターンにあてはまらない事例が増え、問題は多様化したのだ。

 

 女性野宿者の多くは「家族のトラブル、特に夫の暴力」と「不安定で低収入な就労」によって野宿に至っている。(中略)女性野宿者の男性と明らかに異なる特徴のひとつは、彼女たちの多くが「元の生活」に戻ることを強く拒否するということである。



 男性ホームレスの多くが元の仕事・住まいに戻りたがるのに対し、多くの女性ホームレスにとって、苛酷な野宿生活でさえ元の生活よりはマシなのだ。

 ホームレスを食い物にするさまざまな「裏ビジネス」の実態にも、慄然とさせられる。
 「戸籍売買」や「偽装結婚」については聞いたことがあったが、生活保護のピンハネが大規模なビジネスになっているという話には驚いた。「ボランティア」や「支援団体」を名乗る「業者」が、「『アパートに入って生活保護を受けられるよ』と野宿者をスカウト」し、「アパートに集めた元野宿者から月々に受給する生活費をピンハネし、本人には月に1万円程度の『お小遣い』しか渡さないようにする」のだという。

 

 元野宿者としては、野宿していたところを、まがりなりにも「部屋に住めるようにしてくれた」という恩を感じているので文句が言えない。文句を言ったら、追い出されてまた野宿になるのではないかという恐怖がある。そもそも、「業者」が元野宿者に恫喝をかけていたりする。そうして生活保護費が、本人が逃げ出すかあるいは死ぬまでピンハネされ続ける。


  
 ホームレスを見る目が一変する本でもある。たとえば、次のような記述がある。

 

 こうして、ダンボールやアルミ缶を1日に「大体、10時間ぐらい」集めて1000円程度の収入を得る。これは、時給でいうと100円ぐらいである。「足を棒にして」の大変な労働なのに、時給が100円。そうやって稼いだ金で、安い食堂で食べたり路上や公園で自炊して生活している。多くの人が野宿者についてイメージする「仕事をするのがイヤ」どころか、とんでもない低賃金重労働だ。ふつう、誰でもこんな割に合わない仕事は好き好んでしない。では、なぜそうするかというと、ひとえに「他に仕事がない」からである。



 著者の筆致は押しつけがましくないやさしさに満ち、ホームレスの人々の素顔がじつにあたたかく描き出されている。

 なお、著者は「群像新人文学賞」評論部門優秀賞を受賞(2000年)した経歴の持ち主。
 であれば、20年以上見つめつづけてきたホームレスの人々の姿を、ぜひ小説の形で表現してほしい(短編連作がよいと思う)。それは、“21世紀の『蟹工船』”ともいうべき作品になるのではないか。
 もっとも、目端が利く編集者がとっくに著者にオファーしているかもしれないが……。
 
関連記事

池上彰『大衝突』

大衝突―巨大国家群・対決の行方大衝突―巨大国家群・対決の行方
(2008/09)
池上 彰

商品詳細を見る


 池上彰著『大衝突/巨大国家群・対決の行方』(集英社/1680円)読了。

 米国の凋落、EUの台頭、中国の急速な発展、復活したロシアによる東欧再進出の気配……。大国間のパワー・バランスはいま激変の渦中にある。本書は、先の見えにくい現今の国際情勢を、鮮やかに整理した質の高い概説書である。

 著者は、長年NHKの報道畑を歩んできた(現在はフリー)ジャーナリスト。とくに、ニュースを子ども向けに解説する人気テレビ番組『週刊こどもニュース』のスタッフ兼出演者を、11年間つとめたことで知られる。
 そのことが象徴するように、ジャーナリストとしての著者の身上は徹底したわかりやすさにある。そうした個性は、本書でも十全に発揮されている。歴史・文化・政治・経済といった要因が複雑にからみ合う国際情勢が、高校生にも理解できるほどかみくだいて解説してあるのだ。

 著者は本書で、現在の世界を巨大国家群の「5つの対決」に絞って概観する。中国対日本の「アジアの覇者を掛けた対決」、ロシア対米国・EUの「異質な国との対決」、サウジアラビア対米国の「中東への影響力をめぐる対決」などである。

 「対決」といっても、それは軍事衝突のみを意味するものではない。たとえば、EUと米国の「対決」を展望した章は、ユーロと米ドルのいずれが今後の基軸通貨となるかというテーマを核に論が進められる。

 著者はこの章で、欧州統合運動の歩みを手際よくたどるなど、歴史にも目を向ける。また、経済力競争のみならず、EUと米国の環境政策や社会保障政策の相違などにも触れていく。そこから、EUと米国の「対決」が、グローバルスタンダード制定の主導権争いでもあることが浮き彫りにされていくのだ。

 そして、本書の通奏低音となるのは、「我が国は今後の国際社会をどう歩むべきか?」という真摯な問いかけである。たとえば、中国と米国の「対決」を扱った章には、両国の間に位置する日本の立場への言及が随所にちりばめられている。

 読めば国際ニュースの見方が深まる好著。図版・データも豊富で、理解を助ける。

関連記事

『風花 kaza-hana』

 
風花 kaza-hana風花 kaza-hana
(2001/08/24)
小泉今日子浅野忠信

商品詳細を見る


 ケーブルテレビで『風花 kaza-hana』を観た。鳴海章の同名小説を映画化した、相米慎二の遺作(2000年。公開は2001年)。
 
 酩酊状態でコンビニの商品を万引き(ただし、本人は犯意なし)したことから職を追われた文部省のエリート官僚(浅野忠信)と、人生に疲れた場末のピンサロ嬢(小泉今日子)が出会い、女の実家がある北海道へと旅するロードムービー。

 トウの立った風俗嬢を演じる、小泉今日子のうらぶれた雰囲気が素晴らしい。映画の中でタバコ吸いっぱなしなのだが、その吸い方にえもいわれぬ風情がある。小娘にはけっして出せない「疲れた色気」全開。「こんなにいい女優だったっけ」と目を瞠った。アイドル時代より、酸いも甘いもかみ分けた三十路以降の彼女のほうが、私は好きだ。

 北海道ならもっと「絵になる」ロケ地がいくらでもあるだろうに、相米慎二はむしろ「絵になる」場所を避けて撮っているように思える。そもそも、2人が乗る悪趣味極まるピンク色の車からして、「いちばん絵にならない車」をあえて選んだとしか思えない。

 「絵にならない」カットの積み重ねは、クライマックスだけを浮き上がらせるための仕掛けなのだろう。
 クライマックスとは、小泉今日子が雪景色の中で睡眠薬自殺しようとし、浅野がそれを助けるシークェンス。そこだけは、ここぞとばかりに「絵になる」カットが連打されるのだ。

 そのシークェンスは、明らかに「死後の世界」を模して撮られている(だからこそ、浅野は川を越えて小泉を助けにくる)。何やら相米の早すぎる死を暗示してるようで、切ない。

 そして、主人公2人が「もう一度生きよう」と再生に向かうラストのみ、明るい原色に満ちたシーンとなっている。
 「生きることに疲れた男女が死の淵まで歩を進め、最後にそこから『再びの生』へと向かう」プロセスを描いたロードムービー。なんとも地味な映画だが、私は好きだ。

関連記事

『赤い文化住宅の初子』

赤い文化住宅の初子赤い文化住宅の初子
(2008/01/25)
佐野和真東亜優

商品詳細を見る


 『赤い文化住宅の初子』をケーブルテレビで観た。
 松田洋子の同名マンガを、『タカダワタル的』や『百万円と苦虫女』で注目の女流監督・タナダユキが映画化した作品(脚本もタナダ自身)。

 一言で言ってしまえば、名作『自虐の詩』(業田良家)から幸江さんの少女時代の話だけを抜き出し、笑いの要素を抑え、もっとリリカルかつシリアスにしたような物語である。
 私は原作未読だが、松田洋子はまちがいなく『自虐の詩』を意識している。ヒロインの薄幸少女・初子がラーメン屋でバイトする(中学生なのに)シーンなど、『自虐の詩』を意識したとおぼしき部分が随所にあるし。

 で、『自虐の詩』の好きな私は、この映画もたいへん気に入ったのであった。

 父は幼いころに蒸発し、母は父が残した借金返済のために働きすぎて過労死。兄と2人でオンボロ文化住宅(要はアパートのこと)で暮らす中学3年生の初子は、貧困ゆえに高校進学さえできそうにない。自分を好いてくれる同級生の秀才・三島くんと一緒に東高に進みたいが、兄は「ワシも高校中退なんじゃけえ。就職しろ」という。
 
 元ヤンの兄はいつも不機嫌で頼りなく、担任の女教師(坂井真紀が好演)はまるでやる気がなく、バイト先のラーメン店の店主(ムーンライダーズの鈴木慶一!)は「時給600円言うんは高校生以上のことじゃけ」とバイト代すらピンハネするセコくてイヤなオヤジ。
 周囲の人間の悪意と身勝手に囲まれて、初子は一人、制服で身を鎧うように日々を過ごしている。いつか三島くんと結婚して家庭を築けたら、という夢だけが一筋の希望だが、それは夢に終わりそうな気がしてならない。

 ……と、そんなふうにアウトラインだけをなぞると、古臭くてジメジメしたお涙ちょうだいの物語を想像されるかもしれない。しかし、実際に観てみれば、むしろ突き放したようなドライなタッチの映画であり、皮肉なユーモアも随所にちりばめられている。
 タナダユキは、抑制の効いた淡々とした描写で、初子の心に寄り添っていく。その淡々さかげんが、むしろ哀切さを増幅する。

 母が遺した『赤毛のアン』の本が、全編にわたり重要な小道具として使われ、絶妙の効果を上げている。
 初子は、みなに愛され元気いっぱいの孤児・アンの姿を見て、こんなのは嘘っぱちだ、と思う。『赤毛のアン』の物語はすべて、「孤児院のベッドで、猩紅熱で死にかけとるアンが見よった幻じゃあないか」と……。
 広島弁(福山弁?)のセリフも味わい深い。

 
関連記事

『大阪物語』

大阪物語大阪物語
(1999/12/17)
池脇千鶴市川準

商品詳細を見る


 ケーブルテレビで録っておいた『大阪物語』を観た。さきごろ亡くなった市川準が、1998年に撮った作品(公開は1999年)。池脇千鶴の映画デビュー作でもある。私は初見。

 いまだにDVD化されていないくらい、市川準作品の中でもマイナーな一作(※)。しかし、すごくよかった。
 私は市川作品では『会社物語』(ハナ肇がいい味出してる、哀歓あふれる傑作)や『東京兄妹』(「小津テイスト」の静謐な佳品。妹役の粟田麗がサイコー)が好きだが、その2作に匹敵するくらい気に入った。

※あとから気づいたが、私の好きな『会社物語』も『東京兄妹』もDVDになっていなかった。うーむ。市川準って案外マイナーなんだなあ。

 売れない「夫婦漫才」の夫婦を両親にもつ少女・霜月若菜(池脇)が主人公。夫婦役を沢田研二と田中裕子がやっていて、映画を観たあとでは「この2人以外あり得ない」と思えるほどのハマリ役。

 東京にこだわりつづけた市川準が、この映画の中では大阪にどっぷりと鼻まで浸かっている。
 セリフの一つひとつ、ゴチャゴチャした街並み、登場する人々(エキストラに至るまで)の顔や服装、醸し出す雰囲気……どこをとっても、むせかえるばかりの大阪テイスト。まさに「大阪物語」の名にふさわしい。

 大阪が嫌いな人はきっとこの映画も嫌いだろうし、大阪が好きな人の多くはこの映画も好きになるだろう。

 「チャーミングな女性が操る大阪弁フェチ」である私には、たまらない作品。池脇千鶴は『ジョゼと虎と魚たち』の大阪弁もよかったが、15歳で撮ったこの映画でもじつによい。「ナニワのナタリー・ポートマン(『レオン』のころの)」という趣。
 池脇千鶴を女優として売り出すための「アイドル映画」として観ることも可能だが、それ以上に、少女の成長物語としても、「人情映画」としても出色。

 脚本は、のちに『ジョゼと虎と魚たち』の監督をつとめ、池脇を女優として飛躍させた犬童一心。
 そうか、ここに最初の接点があったのか。この映画は『ジョゼと虎と魚たち』のはるかな原型でもあるのだな。


↑この映画の挿入歌、真心ブラザーズの「ENDLESS SUMMER NUDE」
関連記事

玉野和志『創価学会の研究』

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)
(2008/10/17)
玉野 和志

商品詳細を見る


 玉野和志著『創価学会の研究』(講談社現代新書/756円)読了。

 帯には、「批判でも賞賛でもないはじめての学会論! 社会学者が知られざる実像に迫る!」という惹句が躍っている。
 この惹句はいささか羊頭狗肉(著者がつけたわけではないだろうが)。「批判でも賞賛でもない」中立的スタンスなのはたしかだが、そうしたスタンスの「学会論」はべつに「はじめて」ではない。
 また、書かれていることは「知られざる実像」というほどのものではない。内容の9割以上は公刊された資料に基づく分析であるし。

 とはいえ、なかなかよくまとまっている本だ。とくに、「創価学会について客観的に知りたい」と思っている人が最初に読む入門書に好適だろう。
 同じようなニーズから読まれ、版を重ねている島田裕巳の『創価学会』(新潮新書)より、こちらのほうがずっと入門書にふさわしい。内容に比較的偏りがなく、学会員の生活や学会の歴史なども一通りわかるように作られているからだ。

 逆に、年季の入った学会員とか非会員の「学会オタク」(笑)にとっては、いささか物足りない内容だろう。「研究」というより、これから著者が進める(かもしれない)研究の「序説」のような印象だ。

 たとえば、「はじめに」には、「人々はなぜ創価学会を嫌うのか。そこにわれわれ日本人と日本の社会を理解する鍵が隠されているように思えたのである」との一節がある。本文にも、同様の記述が何度か出てくる。
 で、「創価学会をフィルターとした、壮大な日本人論、日本社会論が展開されるのか」と大いに期待して読み進めると、けっきょくそっちには論が及ばないまま終わってしまう。おいおい、「ほのめかし」だけかい!

 ……と、ケチをつけてしまったが、美点も少なくない。

 たとえば、第3章「創価学会についての研究」は、1950年代から2000年代に至る代表的な学会研究の要旨・特長を紹介した内容で、著者の社会学者としての目が活きている。取り上げられた研究にはすでに入手困難なものも多く、手っ取り早く学会研究史を概観できるこの章は資料的価値も高い。

 また、4章「創価学会の変化」と5章「これからの創価学会」には、私にとっても目からウロコだった斬新な分析がいくつか含まれている。
 たとえば、近年、各地域の学会員が町内会などに積極的に参加するようになったことについて、その変化を自公連立(1999~)との関係から分析し、「地域における自公連立」ととらえているのは、著者の独創だろう。

 著者は、「(現在の)創価学会の会員と自民党の支持者の一部は非常によく似ている」とし、小泉改革によって「自民党が切り捨てた支持層の一部をちょうど補完する役割を創価学会と公明党が引き受けている」と指摘する(5章)。
 そうした分析は、自公連立を水と油の「野合」ととらえる紋切り型の批判より、はるかに説得的である。

 ただ、これは本書全体に感じたことだが、著者の筆には根深い庶民蔑視が随所に透けて見える。
 たとえば、次のような一節――。

 

 いずれは創価学会も社会的上昇をはたした学会員を中心に、自民党の支持層と同様に、いまだ庶民にとどまっている学会員たちを保守的な権威主義や宗教的イデオロギーによってつなぎとめるだけの組織になっていくのかもしれない。(中略)
 ここで重要なのは、公明党と創価学会ないし学会幹部と一般会員との関係が、池田大作という宗教的指導者を失った後も、どこまで維持されるのかという点である。いいかえれば、学会員同士の関係が、たとえその内部で現実に階層的な格差が存在し、不均等な援助関係が結ばれていたとしても、あくまで平等な人間同士であるという理念が貫徹するのかどうかという点が問われてくるのである。(198~199ページ/太字強調は引用者)



 著者の目には、社会的に成功した「勝ち組」学会員と成功していない「負け組」学会員との間に、見えない大きな亀裂が存在するように映るらしい。そして、近い将来そうした“学会内格差”が表面化し、その亀裂が組織に危機をもたらす、と予測しているらしい(「不均等な援助関係」というのは、何を指しているのかさっぱりわからない)。
 そりゃまあ、一部の公明党議員などが「オレは末端会員とは違う」と思い上がる例はあるだろう。だが、少なくとも、組織全体に危機をもたらすような「亀裂」は存在しないと思う。

 社会的に成功しても「庶民」の側に立ちつづけるのが学会員であり、そもそも「庶民」という言葉は学会内ではネガティヴな意味合いを持っていない。「庶民から抜け出すことが勝利」ではないのだ。その点、著者には大きな誤解ないし偏見がある。
 私は、このような“庶民蔑視のフィルター”を通して学会を見ているかぎり、著者の描く学会像には歪みが生ずると思う(もっとも、それはこの著者にかぎったことではなく、島田裕巳の「学会本」にも同様の庶民蔑視を感じるが)。

 
関連記事

『0093 女王陛下の草刈正雄』

0093女王陛下の草刈正雄0093女王陛下の草刈正雄
(2008/02/06)
草刈正雄黒川芽以

商品詳細を見る


 BSで録画しておいた『0093 女王陛下の草刈正雄』を観た。
 「俳優の草刈正雄は、じつは英国情報部のスパイだった」という、奇想天外な設定のスパイ・コメディ。
 
 公式サイト→ http://w3.bs-i.co.jp/cinemadrive/0093/
 
 こういうパロディ仕立てのスパイ映画というのは、英米にはよくある。
 古くは『カジノロワイヤル』(ダニエル・クレイグのヤツではなく、デイヴィッド・ニーヴンのほう)、近年なら『オースティン・パワーズ』シリーズや『ティーン・エージェント』(これは男子高校生がスパイになるコメディ映画で、私はけっこう好きだった)。

 だが、邦画では珍しい。てゆーか、ふつうはたとえ思いついても、ほんとうに日本を舞台にしてスパイ・コメディを作ろうなどとは思うまい。それを堂々とやってしまう臆面のなさは、けっこう好きだ。

 本作は、『オースティン・パワーズ』などと比べたらチープな作りで、映画というより予算の乏しい深夜テレビドラマのよう。

 「これでもか」とばかりにくり出されるギャグが、吉本新喜劇よりもベタベタでコテコテ。なので、十中八九はただ寒いだけ。
 でも、10回に1回くらいツボにハマるギャグがあって、トータルな印象としては「まあ、タダで観る分には面白い」という感じ。映画館に観に行っていたら後悔していただろうけど。

関連記事

ジョーン・ジェット『雨を見たかい』ほか

雨を見たかい (1990年作品)雨を見たかい (1990年作品)
(2004/04/21)
ジョーン・ジェット

商品詳細を見る


 昨日は都内で打ち合わせ。帰途にまた中野のディスクユニオンに寄る。
 
 1枚300円の特売箱で、ネッド・ドヒニーの『ライフ・アフター・ロマンス』とジョーン・ジェットの『HIT LIST』を見つけて買う。あと、普通の中古CD棚から『ザ・ベスト・オブ・テレヴィジョン&トム・ヴァーライン』も。

 テレヴィジョンの『マーキー・ムーン』はロック史に残る名盤で、私もLPでさんざん聴いたが、CDでは持っていなかった。このベスト盤は、 『マーキー・ムーン』からもおもな曲6曲が収録されており、お買い得。

 ジョーン・ジェットの『HIT LIST』は、「アイ・ラヴ・ロックンロール」の全米ナンバーワン・ヒットで知られる彼女が、自身のフェイバリット・ナンバーを演奏したカヴァー・アルバム。取り上げられている曲の中でいちばん有名なのがCCRの「雨を見たかい」なので、それが邦題になっている。
 ほかに、セックス・ピストルズの「プリティー・ヴェイカント」、ドアーズの「ラヴ・ミー・トゥー・タイムズ」(「2度愛してくれ。明日の分まで。僕はどこかへ行ってしまうから」というリフレインが忘れがたい曲)、キンクスの「セルロイドの英雄」、ZZトップの「タッシュ」、ナザレスの「ラヴ・ハーツ」などのカヴァーを収録。選曲の渋いこと。

 私はYou Tubeで、このアルバムに収録されている「ダーティ・ディーズ」(AC/DCの初期作品のカヴァー)のPVを観て、そのカッコよさにいたく感動した。以来探していたアルバム。300円は安かった。


↑ジョーン姉御の「ダーティ・ディーズ」。うーん、男前。

 
関連記事

佐藤尚之『明日の広告』

明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法 (アスキー新書 045) (アスキー新書 45)明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法 (アスキー新書 045) (アスキー新書 45)
(2008/01/10)
佐藤 尚之

商品詳細を見る


 佐藤尚之著『明日の広告/変化した消費者とコミュニケーションする方法』 (アスキー新書/780円)読了。

 著者は電通のクリエイティブ・ディレクターだが、私には「www.さとなお.com」の「さとなお」さんとしてのほうがなじみ深い。

 「www.さとなお.com」は日本の個人サイトの草分け(1995年開設)で、私も自分がネットを始めてすぐのころから巡回サイトに加えている。ほぼ毎日更新される同サイトを通じて、かれこれ10年近くもさとなおさんの生活の一端に触れているのである。ゆえに、一面識もないのに昔からの知り合いのような気がする。

 だいたい私は広告業界にあまり興味がないから、さとなおさんの著書でなければ手に取ることもなかっただろう。
 だが、読んでみたらたいへん面白い本だった。「広告のいまとこれから」を、私のようなド素人にもわかりやすく、手際よく概説してくれる良質な入門書である。

 著者は、ネット時代到来からのこの10年間で、広告の置かれた環境は激変したという。

 「広告は消費者へのラブレター」と昔から言われるが、喩えるなら昔の広告はモテモテ男で、ラブレターさえ出せば相手(消費者)はすぐなびいてくれた。
 しかし、いまやすっかりモテなくなって、相手はラブレターを受け取ってさえくれない。たまに受け取っても、そこに書かれた口説き文句をなかなか本気にしてくれない。だからこそ、時代の激変に合わせてラブレターの中身も口説き方も変えなければならない。

 ……というふうに、本書では一貫してラブレターの比喩が使われていて、わかりやすい。それでいて内容は最先端で、「広告のいま」を知るための用語やトピックが、ひととおり理解できるように作られている。

 主要読者として想定されているのは、広告業界に入りたての若者とか、仕事上広告とかかわってはいるが業界の最先端がよくわからなくなっている人たち、なのだろう。
 しかし、まるで門外漢で、むしろ広告業界に対してよい印象を抱いていない私(=1980年代の広告文化全盛期に、おいしい広告仕事とは無縁の駆け出しライターだったことからくるルサンチマンの集積による)にとっても、面白くてためになる本だった。

 随所にちりばめられた、最先端の広告事例を読むだけでも愉しい。

 たとえば、バスの屋根に「飛び降りるな!」というコピーを大書した、人材派遣会社の広告があったのだという。
 その例のように、「いままでメディアと思われていなかったものを、アイデアによってメディアにしてしまうことをメディア・クリエイションと呼ぶ」のだそうだ。なるほどなるほど。

 
関連記事

熊田一雄『男らしさという病?』

男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学
(2005/09)
熊田 一雄

商品詳細を見る


 熊田一雄著『男らしさという病?/ポップ・カルチャーの新・男性学』(風媒社/2200円)読了。
 著者の熊田氏(愛知学院大学准教授)より献呈いただいたもの。

 この本を読んでいると、日本の男たちがいかに「男らしさ」の概念に呪縛されているかを思い知らされる。

 昔、小田嶋隆氏がコラム(※)に書いていたことなのだが、「男なら○○してみろよ!」と煽ると、相当愚かしいことでもつい勢いでやってしまう男が、日本にはたくさんいる。

※“ 「男ならオレに金を貸してみろよ!」と金を借り、「男のくせに少しの金のことでガタガタ言うなよ!」と言って踏み倒す。この呼吸だ”……というような一節があるコラムだったが、うろ覚え。たしか『シティロード』連載のコラムだったと思う

 「チキン(臆病者)」と言われると理性を失ってしまう主人公――というのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのルーティン・ギャグだが、そうした「男らしさの呪縛」はアメリカ男性にかぎったことではないのだ。

 私は自分自身について、性的にストレートな男としては例外的なほど、「男らしさの呪縛」から自由だと感じている。「男らしくなりたい」と願ったことがほとんど(全然とは言わないが)ないのだ。

 たとえば、一般に「男らしさ」のイコンとしてとらえられている自動車・バイク・格闘技・銃器・メカ一般などに対して、子どものころから微塵も興味がなかったし、いまもない。

 かつて、雑誌『POPEYE(ポパイ)』の記事に、「男には『コックピット願望』がある」というコピーが書かれていたことがあって、私は「コックピット願望」というその絶妙なネーミングに膝を打ったものだ。
 「コックピット願望」とは、「飛行機のコックピット(操縦室)のように四方を精密機器に囲まれた狭い空間にいたい」という願望のことである。

 「パイロットになりたい」と思ったこともなく、精密機器に囲まれてもべつに心安らがない私は、その「コックピット願望」というコピーを見たとき、周囲の男どもがメカ好きである背景がわかった気がして、腑に落ちる感じを味わったものだ。
 しかし、私自身にはその「コックピット願望」とやらがまったくなかった。

 「男らしくなりたい」という気持ちがそもそもないから、「男らしくないわよ!」とか「それでも男か!」などとなじられても(あまり経験ないけど)、私にとっては痛くもかゆくもないのであった(笑)。

 しかし、そんな私でさえ「男らしさの呪縛」から完全に自由ではないことを、本書は教えてくれる。
 
(ここまで前置き。つづきます)
関連記事

永江朗『聞き上手は一日にしてならず』

聞き上手は一日にしてならず (新潮文庫 な 62-1)聞き上手は一日にしてならず (新潮文庫 な 62-1)
(2008/04/25)
永江 朗

商品詳細を見る


 昨日は、銀座ブロッサムというところで、年若い友人カメラマンの結婚披露宴に参加。あたたかい雰囲気のよい披露宴であった。

------------------------------------------
 永江朗著『聞き上手は一日にしてならず』(新潮文庫/460円)読了。
 自らも『インタビュー術!』という著書をもつ人気ライターが、各分野の名だたる「聞き上手」に「話の聞き方」を語ってもらったインタビュー集。単行本『話を聞く技術!』の改題文庫化である。

 登場するのは、黒柳徹子、田原総一朗、ジョン・カビラ、糸井重里、吉田豪、故・河合隼雄、小松成美、石山修武、松永真理、匿名の元刑事の10人。

 インタビューの出来にバラツキがあるものの、全体としてはよい本。含蓄深い話がたくさんちりばめられている。
 とくに、黒柳徹子へのインタビューや、小松成美がノンフィクション作品の舞台裏を明かすくだりは、感動的ですらある。河合隼雄が語るカウンセリングの極意も示唆に富む内容で、メモしておきたい言葉がいっぱい。

 総じて、小手先のテクニックよりも人に話を聞く「心構え」にウエイトが置かれている。聞き上手になるには、小手先のテクニックをいくら覚えてもそれだけではダメで、根底の心構えにこそ肝があるのだろう。
 そして、その心構えを一語に集約するなら、「誠実さ」ということになる。陳腐な言い方に聞こえるかもしれないが、話し手に対して誠実であることこそ、いかなる技術にも勝る「聞き上手の極意」なのである。

 取材時の話の流れをそのまま残した一問一答式で書かれているので、この本自体がインタビューの進め方のお手本集にもなっている。

 人に話を聞く仕事(むろん、ライターにかぎらない)の人にオススメ。

関連記事

小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』

猫を償うに猫をもってせよ猫を償うに猫をもってせよ
(2008/06)
小谷野 敦

商品詳細を見る


 小谷野敦著『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社/1890円)読了。
 著者による同名人気ブログを丸ごと単行本化したものかと思ったら、そうではなく、収録されたエッセイの大半は商業誌に寄稿したものだった。ブログからセレクトした文章は1割くらい。

 総じて、ブログよりもかなりソフトな内容。論敵への激烈な批判とか、禁煙ファシストを糾弾する文章などは、ないわけではないが、ごく一部である。
 
 全体が「生活編」「政治社会編」「ことば編」「文藝編」「名著推薦」の5部に分けられている。
 このうち、「生活編」に入れられたエッセイの多くは、ほのぼのとした味わいの「ユーモア・エッセイ」という印象。たとえば、冒頭に収められた「永福町の人びと」は、著者が住む界隈の商店で働く人々のさりげないエピソードをスケッチしたもので、明らかに呉智英の『大衆食堂の人々』を意識している。ブログでおなじみのアグレッシヴな毒気を期待すると肩透かしを食うが、これはこれで面白い。

 「政治社会編」が最もブログのイメージに近く、私にはとくに面白かった。痛快な暴論がちりばめられているのである。たとえば――。

 クルマを走らせるというのは、歩行者に対する暴力行為である。横断歩道で歩行者を待たせるなどというのは、クルマの分際で生意気なのである。自動車なるものが発明されて以来、交通事故での死者数は、全世界で一千万から二千万にのぼるだろう。美浜の原子力発電所の事故で四人死んだといって騒いでいるが、四人殺すのなどクルマにとっては日常茶飯事である。核廃絶運動があるなら、ドライブ廃絶運動もあってしかるべきだ(「『ドライブ』廃絶運動」)



 「文藝編」も、さすがに専門分野だけあって面白いエッセイが多い。逆に、「ことば編」はトリヴィアルにすぎて私にはイマイチ。

 怪獣映画への愛を熱く綴った一編があったり、清楚系の知的美女に滅法弱いことが随所に感じられたりと、小谷野敦のお茶目な一面を垣間見ることができる本。

P.S.
前から気になっていた「猫を償うに猫をもってせよ」というブログ・タイトルの出典が、本書のあとがきで明かされている。私同様気になっていた人は、ご一読を。
関連記事

湊かなえ『告白』

告白告白
(2008/08/05)
湊 かなえ

商品詳細を見る


 湊かなえ著『告白』(双葉社/1470円)読了。
 「小説推理新人賞」受賞の短編「聖職者」を第一章に据えた、全6作からなる連作短編集。これがデビュー作である。

 「聖職者」は中学校の女性教師が主人公。彼女が終業式後のホームルームで生徒たちに語りかけるスタイルで、物語は進む。
 シングルマザーの彼女は、ときどき幼い娘・愛美を学校に連れてきていた。母親が仕事を終えるまで、校庭などで一人で遊んで待っていた愛美は、ある日、学校のプールで水死体となって発見される。警察には事故死として処理されたが、女教師はクラス全員を前に驚くべき言葉を口にする。

「愛美は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」



 教師が語る真相と、その犯人に対して仕掛けられた、ある復讐――。この「聖職者」自体、凝った作りの短編として完成されているのだが、残る5章で湊かなえはさらに技巧を駆使し、物語を変奏させていく。

 それぞれの章が、異なる話者を主人公としている。愛美を殺した犯人、犯人の親、犯人の同級生などが、それぞれの視点から事件について「告白」する。そして、最終章ではもう一度、女教師が話者となる。
 第一章で事件の真相はすべて明らかにされたと思ったら、章が変わるごとに事件の新たな側面が浮かび上がっていく。「藪の中」をさらにトリッキーに、そして現代的に展開したような連作集である。

 メインとなる幼女殺し以外にも、親殺しあり、いじめあり、児童虐待ありと、ストーリーの中に暗い道具立て満載のノワールな作品。ただし、エログロ描写はいっさいないので、読後感はさほど重くない。
 技巧が先走って「作り物」感がありすぎるのは難だが、デビュー作にしてこの完成度はすごい。「女・東野圭吾」になれる人かもしれない。

関連記事

辻信一ほか『GNH』

GNH―もうひとつの〈豊かさ〉へ、10人の提案GNH―もうひとつの〈豊かさ〉へ、10人の提案
(2008/07)
大木 昌

商品詳細を見る


 辻信一編著『GNH/もうひとつの〈豊かさ〉へ、10人の提案』(大月書店/1890円)読了。

 名著『スロー・イズ・ビューティフル』で知られる文化人類学者・環境運動家の辻信一氏(明治学院大学教授)が編んだ、新しい豊かさをめぐる提言集。さまざまな背景をもつ10人の論客が、「GNH」をキーワードに、“これからの時代の豊かさ・幸福とは何か?”を論じている。

  「GNH」とは、「Gross National Happiness」(国民総幸福)の略。「GNP(国民総生産)」の対立概念として、前ブータン国王が提唱したものである。“我がブータンは、GNPが低くても幸福な国を目指す”との思いが、そこにはこめられている。

 そして、ブータン発のこの概念が、GNPに代わる新たな豊かさ・幸福の指標として注目を浴びている。
 たとえば、いわゆる「ロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability) 」は、GNPや経済成長率などというモノサシで幸福度と豊かさを計ることへの異議申し立てであった。「ロハス」というと、我々は「ヨガや自然食を好む先進国の都市生活者」を思い浮かべがちだが、GNPよりGNHを重視するヒマラヤの小国・ブータンこそ、じつは本質次元で「ロハス的」なのである。

 国の経済的な豊かさが国民の幸福を約束しないことは、現代日本に住む我々にはいやというほどよくわかっている。
 では、幸福に結びつく真の豊かさとは何か? GNPや経済成長率に代わる新しい“幸福のモノサシ・豊かさの尺度”を、各論者は模索していく。

 市民向けの講演や大学での講義をベースにした本なので、いずれも話し言葉で書かれており、平明で読みやすい。それでいて、どの提言もすこぶる示唆に富んでいる。さまざまな角度から豊かさを問い直す良書。

関連記事

半井小絵『半井小絵のお天気彩時記』

半井小絵のお天気彩時記半井小絵のお天気彩時記
(2006/09/05)
半井 小絵

商品詳細を見る


 半井小絵(なからい・さえ)著『半井小絵のお天気彩時記』(かんき出版/1260円)読了。

 「7時28分の恋人」とも呼ばれるNHKの人気「お天気おねえさん」の、いまのところ唯一の著書である。

 四季折々の天気や行事、風物詩などにからめた短いコラムを集めた本。ところどころに著者の私生活が顔をのぞかせるのだが、基本は肩の凝らない雑学本という印象。

 せっかくオールカラーの本なのに、半井小絵の写真が数葉しか載っていない(しかも小さくて不明瞭)のでガッカリ。どうでもいい風景写真とかカワイイ系イラストはたくさん載っているのに……。
 男性読者の大半は彼女の写真を期待して本書を買うはずで、「わかってないなあ、編集者」と思う。

 ただ、赤ちゃん時代の彼女がお母さんに抱かれている写真が載っていて、これはファンなら一見の価値あり。お母さん、いまの彼女にそっくりである。 

 ちなみに、最近の私のお気に入りは、半井小絵以外では、「TBSニュースバード」の曽根純恵キャスター。2人の笑顔に日々癒されております。

 ←こんなのもある。
関連記事

中原俊監督を取材/『展覧会の絵』ほか

櫻の園櫻の園
(2000/10/25)
中島ひろ子つみきみほ

商品詳細を見る


 昨日は、都内某所で映画監督の中原俊さんを取材。

 話の合間に、「吉田秋生さんの最新作『海街diary』を、ぜひ監督に映画化していただきたいんです」と、ごく個人的な「お願い」をする。「吉田秋生といえば、やっぱり中原さんだと思いまして(及川中じゃダメですよ、とは言わなかったけど)」と……。

 「そうですか。じゃあ、読んでみますね」と手帳にメモされていたので、近い将来実現するかも。

------------------------------------------

 そのあと、中野のディスクユニオンに寄って中古CDをあさる。
 昔LPレコードでもっていたアルバムのCDが、ものすごい安値で売られていることがあって、宝探しのような気分で最近よくこの店に立ち寄る。

 今日は、以下の4枚をゲット。

 ELP『展覧会の絵』
 ミック・ジャガー『シーズ・ザ・ボス』
 ラッシュ『カウンターパーツ』
 ジェフ・ベック『ユー・ハッド・イット・カミング』

 これで計2000円に満たないのだから安い。

 『展覧会の絵』は、言わずと知れたプログレ屈指の名盤。
 LPですり切れるまで聴いたアルバムである。10年ぶりくらいに聴いたが、細部まで全部覚えていた。いまでは古色蒼然として聴こえるが、その古臭さが逆に新鮮。同じクラシック・ベースのバンドでも、イエスのような流麗さは皆無の無骨な音である。

 『シーズ・ザ・ボス』は、ミック・ジャガー初のソロアルバムとしてずいぶん話題になった1985年の作品。
 けっこう好きだったアルバムだが、いまの時点からはさすがに色褪せて聴こえる。ストーンズからそっくり「渋さ」を抜いた劣化コピーにしか思えない。ただし、何曲か参加しているジェフ・ベックのギターだけは、いま聴いてもカッコイイ。

 下2枚は初めて聴くもの。
 ラッシュは好きなバンドだが、これは聴き逃していたアルバム。ラッシュが(発表当時流行っていた)グランジに接近した感じの、重くハードなサウンド。なかなかよいが、やはり私はキーボードを多用した80年代のラッシュのほうが好きだ。

 ジェフ・ベックの『ユー・ハッド・イット・カミング』は2000年の作品で、今回いちばんの拾いもの。
 バリバリにハードなギター・アルバム。ジェフ・ベックはジジイになっても少しも枯れていない。打ち込みを多用したバックのサウンドは好き嫌いが分かれるだろうが、私は気にならない。ジェフのギターのあの音色がたっぷり聴ければ、それでよいのだ。

 コンビニに寄ったら『リアル』(井上雄彦)の8巻が出ていたので、買う。
 1年にコミックス1巻分だけ描くという、なんとも贅沢な制作ペースを保っているヒット作。年1回だから前巻の展開を忘れちゃうんだよなあ、読み返さないと。

 この巻も素晴らしい仕上がり。メモしておきたいような印象深いセリフがいくつもある。今回いちばんシビレたのは、陸上100メートル走決勝のテレビ中継を観ながら、車椅子の老人が車椅子の若者に言う次のセリフ。

 この人だって空飛べるわけじゃない。鳥から見たら9秒でも15秒でも同じ――「飛べない」世界の出来事だわなあ。そう思わんか兄ちゃん。
 ということはだ、「歩けない世界」にもきっと――「9秒台」はあるんだ(句読点は引用者補足)

  

  
関連記事

Guide 

   →全記事インデックス

Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

Counter 

メールフォーム

★私にご用の方はここからメールを下さい。

お名前
メールアドレス
件名
本文

最近の記事

マイ「神曲」ベスト100

カテゴリー

里親募集中

タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

Archives

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
28位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
20位
アクセスランキングを見る>>