『魔法遣いに大切なこと』

 『魔法遣いに大切なこと』をサンプルDVDで観た。12月20日公開の邦画。

 公式サイト→ http://www.maho-movie.com/

 マンガ・小説・テレビアニメになってそれぞれヒットした同名原作(オリジナルは山田典枝による脚本)を、『櫻の園』の名匠・中原俊監督が実写映画化した作品である。私はマンガ・小説・アニメのいずれも未見なので、この映画版で初体験。

 この作品、タイトルだけは知っていたが、萌え系の絵柄を見て食わず嫌いしていた。いやー、こんなにいい作品だとは知らなかった。もっとなんかこう、美少女オタクにしか理解できない特殊な作品だとばかり思っていた。いいほうに予想が外れた。

 これは、たとえば大島弓子の「秋日子かく語りき」や「四月怪談」を彷彿とさせる、心あたたまるファンタジーである。美少女オタではないフツーの大人が観ても十分感動的だし、楽しめる。ストーリーの中に「泣きどころ」が3つくらいあって、不覚にも私は泣きそうになった。

 魔法があたりまえに存在し、国家が認定する「特殊技能」となっているパラレル・ワールドの日本が舞台。
 魔法遣いの血筋を受け継いだ者たちは、16歳の夏に「魔法局」なる国家機関(正式名称は「内閣府魔法労務統括局」)で10日間の研修を受ける。修了すれば「魔法士」(公務員!)の資格が得られるが、魔法の使用は厳格に管理される。市民などからの正式な依頼と魔法局の許可がなければ、魔法は使えない。当然、自分のために使うこともできない。

 亡父から魔法遣いの血を受け継いだヒロイン・鈴木ソラは、この研修を受けるため、北海道から上京する。同期の研修生は、ソラ以外に3人のみ。4人は先輩魔法士の家にホームステイしながら研修を受ける。

 日常と魔法世界が立て分けられている『ハリー・ポッター』などとは違い、この作品では日常の中に魔法が溶け込んでいる。魔法局は少しもおどろおどろしくなく、霞ヶ関にあるフツーの官庁。4人の16歳は、まるで弁護士の卵が司法修習を受けるように、魔法士になるための「実地研修」をつづけるのだ。

 魔法というファクターを除けば、この作品はごく正統的な青春映画である。物語の縦糸となるのは、ソラともう1人の研修生・豪太のさわやかで切ない初恋だ。

 ソラを演ずる山下リオは、12代目「リハウスガール」でもある。サラサラのロングヘアーが印象的な正統派美少女だ。豪太役は、映画『天然コケッコー』やテレビドラマ『花ざかりの君たちへ』などで人気のイケメン・岡田将生。
 2人のアイドルの魅力を堪能させるアイドル映画として一級品だし、青春映画としても、ファンタジーとしても、初恋物語としても上出来。中原俊が手堅い「プロの仕事」をしている。

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川崎昌平『ネットカフェ難民』

ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書 (か-4-2))ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書 (か-4-2))
(2007/09)
川崎 昌平

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 川崎昌平著『ネットカフェ難民/ドキュメント「最底辺生活」』(幻冬舎新書/777円)読了。

 書名から、ネットカフェ難民についてのルポルタージュなのだと思って読んだら、そうではなかった。著者自身のお気楽ネカフェ難民生活を綴った、たんに質の低いエッセイである。

 著者は東京藝大の大学院まで出ながら、その後、ニート&引きこもりになり、そこから“脱却”してネカフェ難民になったという人物(執筆当時25歳)。
 車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』に出てくる焼鳥屋のおかみのように、「このバチあたりが!」と言いたくなる(未読の人には意味不明だろうが)。

 その昔、1960年代に「フーテン」が流行ったころ、金持ちのおぼっちゃんがファッション的に新宿あたりをさすらって「フーテンしてみる」ケースがよくあったという。それと同じ「お遊び」のニオイを感じてしまう。
 著者の綴るネカフェ難民生活はあまりにお気楽そうで、絶望にまみれた“本物のネカフェ難民”とは次元が違うと思えてならないのだ。こんなの、「最底辺生活」じゃないだろ。真の「最底辺」はもっともっと下にあるはずだ。

 中途半端に文学的な気取った文章も鼻につく。
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西村賢太『二度はゆけぬ町の地図』

二度はゆけぬ町の地図二度はゆけぬ町の地図
(2007/11)
西村 賢太

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 西村賢太著『二度はゆけぬ町の地図』(角川書店)読了。
 この人の本を読むのはこれで3冊目である。

 収められた4つの短編はいずれも、作者自身がまだ10代であったころの出来事を素材としたもの(と思われる)。中卒で社会に出た西村の、10代後半の孤独な日々が描かれる。ただし、4編中3編は主人公の名が「北町貫多」となっている。つげ義春作品に出てくる「津部義男」みたいなものか。

 まだ藤澤清造と出会う前なので、いつもの西村作品では物語の縦糸となる「清造キ印」ぶりが、本書にはまったく登場しない。
 10代後半の日々を描いているという意味では「青春小説」でもあるわけだが、そこは西村のこと、「青春小説」という言葉からイメージされる輝かしさやイノセンスは、ここには微塵もない。

私はそんな自分がつくづく惨めったらしくなってきて、自分で自分を蹴殺してしまいたい狂おしい衝動にもかられてくる(「腋臭風呂」)



 ――本書に通奏低音として流れているのは、この一節に象徴される自虐、そして煮えたぎるようなルサンチマンである。
 日本文学の青春小説の系譜から似たものを探すとすれば、中上健次初期の傑作「十九歳の地図」であろうか。「地図」の語がタイトルに冠されているのは、西村が「十九歳の地図」を意識していたがゆえかもしれない。

 舞台となるのはいずれも、アパートの家賃踏み倒しやら、バイト先での暴力沙汰やらの苦い思い出の地。ゆえに、タイトルが『二度はゆけぬ町の地図』であるわけだ(じつにいいタイトルだ。西村はタイトルづけのセンスがよい)。

 どこまでが私小説で、どこからが虚構なのかわからないが、自虐を芸にまで高めた作風はいまやすっかり安定の域に達している。
 とくによかったのは、「春は青いバスに乗って」という短編。バイト先の居酒屋で暴力沙汰を起こし、通報を受けて止めに入った警官まで殴ってしまったことから、警察の留置場に入れられた日々を描いたもの。いわば、西村版『刑務所の中』である。
 この短編では、いつもの“ミゼラブルなユーモア”は抑制され、かわりにしんみりとしたペーソスが随所にちりばめられている。

 これまで読んだ西村作品のうち、私は「けがれなき酒のへど」(『暗渠の宿』所収)がいちばん好きだが、この「春は青いバスに乗って」はその次くらいによかった。

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『陸軍中野学校 雲一号指令』

陸軍中野学校 雲一号指令陸軍中野学校 雲一号指令
(2007/12/21)
市川雷蔵.村松英子.佐藤慶.仲村隆

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 ケーブルテレビで録画した『陸軍中野学校 雲一号指令』を観た。陸軍中野学校を優秀な成績で卒業した国産スパイヒーロー・椎名次郎(市川雷蔵)の活躍を描くシリーズ第2作。
 
 第1作の面白さに比べると、脚本の出来が一段落ちる感じ。
 第1作は陸軍中野学校の創設から説き起こしていたから、生徒たちがスパイに成長していくプロセスと、その後の最初の任務のサスペンスが二段構えで楽しめた。しかし、この第2作は全体に一本調子である。

 陸軍の新型爆弾を積んだ船が港で爆破される事件が相次ぎ、敵国スパイの仕業と考えられた。そこで、中野学校第1期生え抜きのメンバー2人が、次なる爆破阻止とスパイ殲滅の密命を受ける。

 ……というストーリーなのだが、スパイをあぶり出すプロセスがなんともご都合主義。調査会社の身上調査みたいなことを何度かやっただけで、あっさりスパイにたどりついてしまうのだ。まあ、80分という短い上映時間の制約もあるのだろうが。

 とはいえ、ディテールはけっこう愉しい。

 まず、キセル型の時限爆弾(先端から硫酸を流し込み、銅製のフタを硫酸が溶かすと爆発する。フタの厚みなどを調節することで爆破までの時間を変える)などという時代がかった「秘密兵器」が、むしろキッチュで新鮮。
 また、昭和14年の神戸の街がおもな舞台になっていることで、その情緒が楽しめる。
 それと、途中で雷蔵が関西人に化けてスパイに接近するのだが、雷蔵の操る関西弁がすこぶるやわらかで、耳に心地よい(雷蔵は京都生まれ)。
 
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勝間和代『勝間和代の日本を変えよう』

勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan
(2008/09/27)
勝間 和代

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 勝間和代著『勝間和代の日本を変えよう/Lifehacking Japan』(小学館/1575円)読了。

 なんだかんだ文句をつけつつ、これで5冊目の「勝間本」読了である。つい先日当ブログで最新著作『読書進化論』を酷評したばかりだが、こちらの本はよかった。

 これまで「勉強本」系の自己啓発書をもっぱら出してきた勝間だが、今回は趣を変えて、個人ではなく大衆に訴えかける内容になっている。
 若者に元気がない日本、先進国とは思えないほど女性の能力が活かされていない日本、子育てに対する税金配分が少なすぎる日本……と、日本社会の問題点を一つひとつ取り上げ、そこを変えていこうと読者(とくに女性たちと若者たち)に呼びかける本なのだ。

 書名といい、内容といい、著者の写真がデカデカと使われた表紙といい、多くの読者が「勝間、政界進出か?」と感じることだろう。
 マッキンゼー出身の先輩筋にあたる大前研一が挑戦して果たせなかった国政進出の夢を、いまの勝間の勢いなら実現できそうである(民主党あたりから、水面下の打診はすでにいってるのでは?) 。

 政界進出うんぬんはさておき、一冊の本としてもなかなかよい。
 とくに「はじめに」で、「人のために何かでき、人に喜んでもらえたときの幸福感ほど、大きく、また長続きするものはありません」と、「自他ともの幸福」こそ真の幸福ととらえている点に、深く共感。

 ただ、全5章中2章が西原理恵子と雨宮処凜との対談に充てられているのだが、この対談はいらなかった気がする(サイバラとの対談はかなり笑えるけど)。肝心の“日本の問題点抽出と改善への提言”がその分薄くなり、総花的になってしまっている。「身近な問題から大きな問題まで、とりあえず大風呂敷拡げてみました!」という感じにとどまっているのだ。

 まあ、勝間も「この本は、これから社会を変えていきたいという私の宣言文のようなもので、ある意味、スタート台です」と書いているとおり、勝間流『日本改造計画』の序論みたいな位置づけなのだろう。
 
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『手紙』

手紙 スタンダード版手紙 スタンダード版
(2007/04/27)
山田孝之玉山鉄二

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 ケーブルテレビで録っておいた『手紙』を観た。東野圭吾の同名ベストセラー小説を生野慈朗監督で映画化した作品。

 早くに両親を亡くし、寄り添って生きてきた兄弟。だが、兄(玉山鉄二)は働き過ぎで体をこわし、弟(山田孝之)を大学に行かせる学費欲しさに泥棒に入り、家人に見つかりもみ合ううちに相手を刺殺してしまう。
 刑務所に服役する兄にとって唯一のやすらぎは、弟との手紙のやりとり。だが、「殺人犯の弟」という十字架を背負って生きる彼は、就職などさまざまな場面で差別を受け、「兄貴がいるかぎり、オレの人生はハズレ」とつぶやく。

 なーんか古臭いストーリーだなあ。三浦綾子の『氷点』とか思い出す。洗練されたいまどきのエンタテインメントを追求する東野圭吾が原作(私は未読だが)とは思えない。そもそも、無分別なバカでもなさそうな兄が、弟の学費欲しさに盗みを働くというのが不自然だし(奨学金借りろ)。

 ……と、途中までは斜に構えて観ていたのだが、弟の勤める電器店の会長(杉浦直樹)が登場するあたりから、映画は転調する。そこから一気に引き込まれた。
 うーむ、そうか。古色蒼然としたそこまでの展開は、終盤数十分のための長い伏線だったのか。

 これは、「犯罪者の家族を差別するのはケシカラン!」と声高に訴えるだけの底の浅い物語ではない。
 終盤、作り手たちはもう一歩奥へと踏み込んでいく。 犯罪者の家族を差別する人々の側に視点を置くことによって、弟をたんなる悲劇の主人公に終わらせない。さらには、「罪を償うとはどういうことか?」という根源的な問いにまで答えようと試みるのだ。

 服役中の兄、弟とその家族、そして被害者の遺族が、それぞれの思いに区切りをつけ、蘇生への第一歩を踏み出すラストの展開は、すこぶる感動的である。

 弟を見守る女神のごときヒロインを沢尻エリカが演じていて、じつによい。こういう役をやらせるとすごくいい子に見えるんだけどなあ。
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山田あかね『ベイビーシャワー』

ベイビーシャワーベイビーシャワー
(2004/09)
山田 あかね

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 山田あかね著『ベイビーシャワー』(小学館)読了。
 先日読んだ『すべては海になる』がすごくよかったので、同じ作者の長編第一作を読んでみた。

 テレビ界で働く39歳の未婚女性2人が主人公。そのうちの1人・美園が、「未婚のまま子どもを作る」と決心し、もう1人の今日子とともに「子どもの父親探し」を始める……という話。

 作者自身がテレビ界で長く働いてきた人だけに、業界舞台裏の描写はすこぶるいきいきとしている。2人の「アラフォー」女性の心理描写もていねいだし、ストーリーもそこそこ面白い。

 しかし、『すべては海になる』に比べると、ずいぶんぎこちない。
 『すべては海になる』はストーリーを進めていくテンポが素晴らしく軽快だったが、この『ベイビーシャワー』はあちこちでストーリーが停滞する。まだ小説の文章になりきっていないような箇所が散見されるのだ。

 たとえば、ストーリーのスパイスとして気の利いた雑学知識みたいなものを挿入する場合、ベテラン作家なら完全に地の文に溶け込ませるところを、この作品はそこだけ資料から抜き書きしたみたいな説明調の文章にしてしまう(盗用という意味ではない)。

 例を挙げよう。次のような一節がある。

インターネットを駆使して調べると、子宮頸癌の原因がヒトパローマウィルス(以下、HPVと略)であることは確かで、「ギリシア時代からビーナス病と呼ばれ、歓楽街の病気であった」とか「早い時期から数多くの男性と性体験をすると発病する確率が高くなる」などの記述があり、大学病院の医師の物言いが、子宮頸癌を説明するときの一般的なものであることがわかった。



 ここだけを予備知識なしに読んで、小説の一節であると感じる人は少ないのではないか。

 とはいえ、この『ベイビーシャワー』にも、山田あかねの非凡な才能、原石の輝きは十分に感じられる。
 逆に言えば、この長編第一作から第二作『すべては海になる』までのわずかな間に、この作家は目覚ましい成長を遂げたということでもある。
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豊田徹也『アンダーカレント』

アンダーカレント  アフタヌーンKCDXアンダーカレント アフタヌーンKCDX
(2005/11/22)
豊田 徹也

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 豊田徹也の『アンダーカレント』(講談社アフタヌーンKCデラックス/980円)を読んだ。

 じつによかった。近藤ようこの現代ものを彷彿とさせる作品だが、画力・演出力は近藤よりも上。絵の力でぐいぐい引っぱる。地味で静謐な印象の物語だが、落語的な「間」のユーモアが随所にちりばめてあるなど、読者を楽しませる工夫も忘れていない。

 結婚4年目にして、突然夫に失踪された30代初頭の女性・かなえが主人公。舞台となるのは、かなえが親から継いで夫と2人で営んできた銭湯だ。かなえが銭湯の掃除をする場面など、水のイメージが効果的にリフレインされる。
 
 失踪した夫のかわりに、かなえは謎めいた男を従業員として雇う。銭湯組合の紹介でたまたまやってきただけのはずなのに、その男はなぜかかなえをときどき「懐かしそうな目で見る」。男はいったい何者なのか?
 いっぽう、かなえは友人の紹介で、風変わりな探偵に夫の捜索を依頼する。探偵の調査で少しずつ明らかになっていく、夫のもう一つの顔。
 そして、かなえ自身が心の底流(=アンダーカレント)に封印していた、幼いころの忌まわしい記憶が、あるきっかけで蘇る。そこから明らかになっていく、いくつかの謎――。

 ……という感じのストーリー。
 最初に読んだときよりも、結末を知ったうえで再読したときのほうが深い感動がある。2度読んで初めて気づくような細部の作り込み、繊細な心理描写がなされているからだ。

 人と人がわかりあうことの困難と、そのことがもたらす悲しみの物語。久しぶりに会った友人に夫の失踪を打ち明けたとき、かなえがポツリとつぶやく言葉が印象的だ。

 何がいちばんつらいかっていうとね……あたしは彼のこと、実はなんにもわかってなかったのかもしれない。そう思うのがいちばんつらいんだ

 

 夫の失踪理由がいま一つハッキリせずモヤモヤが残るラスト(計算ずくのモヤモヤだろうが)とか、いくつか瑕疵もある。が、これが豊田徹也の初連載作・初単行本であることを考えれば、驚くべき完成度である。

 「アンダーカレント」といえば、音楽好きならビル・エヴァンスとジム・ホールのデュオによる同名アルバムをすぐ思い浮かべるだろう。『アンダーカレント』のジャケを意識したとおぼしき場面も登場するから、当然あのアルバムからタイトルを取ったにちがいない。作者がジャズ好き・音楽好きであることを示す符牒も、随所にちりばめられている。

 そこで、『アンダーカレント』をバックに流してもう一度読んでみた。すると、これがじつにしっくりと合う。ピアノとギターの繊細なからみ合いのみで構成されたあの静謐な名盤が、あたかもこのマンガのために用意されたサウンドトラックのように響くのである。

 
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『陸軍中野学校』

陸軍中野学校陸軍中野学校
(2007/12/21)
市川雷蔵小川真由美

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 ケーブルテレビで録っておいた『陸軍中野学校』を観た。
 旧日本陸軍のスパイ養成学校「陸軍中野学校」の創設当時を舞台にした国産スパイ映画。のちにシリーズ化されて第5作まで作られ、主演の市川雷蔵の現代劇における代表作となったもの。

 前から一度観てみたいと思っていたものだが、初見。
 予想を上回る面白い映画だった。スパイ映画といっても、007シリーズのような軽妙洒脱な味わいは薬にしたくもない。暗く、重く、少しもおしゃれではないスパイ映画。でも、そこがいい。日本映画ならではの作品だから。

 役者がみんないいし、脚本も巧み。とくに、主人公・三好次郎(雷蔵)と、その婚約者・雪子(小川真由美)の悲劇的な関係が胸に迫る。次郎がスパイとして選ばれたばかりに2人は引き裂かれ、クライマックスには雪子の死というさらなる悲劇が待っている。しかし、その悲劇こそが次郎を真のスパイにしたのだった(このへん、007の誕生秘話を描いた『カジノロワイヤル』に通ずるものがある)。

 シリーズ全作観てみようと思う。
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村田喜代子『名文を書かない文章講座』

名文を書かない文章講座 (朝日文庫 む 9-2)名文を書かない文章講座 (朝日文庫 む 9-2)
(2008/09/05)
村田 喜代子

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 村田喜代子著『名文を書かない文章講座』(朝日文庫/840円)読了。

 芥川賞を受賞した21年前から現在まで、第一線で活躍しつづけ、多くの賞を得た実力派女流作家・村田喜代子。彼女が、小説とエッセイにおける文章の秘訣を、微に入り細を穿って明かした文章読本である。

 仕事柄、文章読本のたぐいもたくさん読んできたが、これはその中でも五指には入る(※)好著であった。小説家による文章読本といえば、谷崎、三島、井上ひさし、丸谷才一といった有名どころが書いたものがあるが、それらよりも本書のほうが「役に立つ」と思う。

 一つひとつのアドバイスがすこぶるわかりやすいうえに、深い含蓄がある。実用書として上質であると同時に、読んで面白い。文章読本でありながら、文章と創作を通しテーマにした見事なエッセイ集にもなっているのだ。

 評論や実用文はこの本では扱っていないが、小説やエッセイを書きたいと思っている人にはオススメ。

※ついでのことに、残りも挙げておこう。私がオススメする文章読本は、本書のほかに次の4冊。
向井敏『文章読本』(文春文庫)
野口悠紀雄『「超」文章法』(中公新書) →関連エントリ
本多勝一『日本語の作文技術』(朝日文庫)
永江朗『〈不良〉のための文章術』(NHKブックス) →当ブログのレビュー

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勝間和代『読書進化論』

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~ (小学館101新書) (小学館101新書 1)読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~ (小学館101新書) (小学館101新書 1)
(2008/10/01)
勝間 和代

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 勝間和代著『読書進化論/人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか』(小学館101新書/777円)読了。

 「勝間本」と勝間自身のファンのことを「カツマー」と呼ぶのだそうだ(笑)。私はとくに「カツマー」ではないが、考えてみれば「勝間本」を読むのはこれで4冊目である。
 が、率直に言って、その4冊中でいちばんつまらない本だった。

■当ブログの「勝間本」レビュー(面白かった順)
『効率が10倍アップする新・知的生産術』
『お金は銀行に預けるな』
『勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド』

 この本は、自慢話濃度がこれまで以上に上がっていて鼻につくし(“自分は女優の黒木瞳と読書友達で、面白かった本の情報をメールで教え合っている”なんて話が出てくる。つまらぬことを自慢する女だ)、読書論として目新しいこともほとんど言っていない。

 わずかに目新しいと思えるくだりは、すでに『効率が10倍アップする新・知的生産術』(これはよい本だった)に書いてあることの水増し記述だったりする。

 薄っぺらい内容を補うためか、大手書店の担当者や愛読者の声などを随所に織り込んでいる。勝間本がいかに売れ行きがよいか、とか、「勝間本を読んで、私はこんなに変わりました!」などという内容で、そんなもん、私たち一般読者が読んでもなんの意味もない。「勝間ファンクラブ」の会報じゃないんだから。

 「勝間本がいかにしてベストセラーになったか」の道筋も詳述されているのだが、同じようにやればベストセラーが出せるというものでもない。勝間がよく使うフレーズを借りれば、「再現性がない」のである。

 『効率が10倍アップする新・知的生産術』をすでに読んでいる人は、読まなくてもよい本。こんな手抜きの本を出していたら、勝間ブームはあっという間に終わると思う。

 
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ひろゆき『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)
(2007/06/29)
西村 博之

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 ひろゆき(西村博之)著『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?/巨大掲示板管理人のインターネット裏入門』(扶桑社新書)読了。

 タイトルに沿った内容となっているのは、最初の「まずは結論」という章だけ。あとは、「2ちゃんねる」というよりネット全般についてのオピニオンが中心。その意味で、サブタイトルのほうが内容に即している。

 冒頭に「この本は、養老孟司さんがやっていたように僕の話を文章にしてみました」とあるので、ライターもしくは編集者がひろゆきをインタビューしてまとめたものなのだろう。

 そのまとめ方があまりうまくないし、しかも不親切。「2ちゃんねらー」でなければわからない言葉、ITにくわしい人でなければわからない言葉がそれぞれ頻出するのに、注はいっさいないし、文中での説明も皆無に等しい。「わかる人だけわかって下さい」という姿勢の本だ。
 とくに、最終章に収められたひろゆきと小飼弾の長い対談は、私には内容の半分も理解できなかった。

 そうした瑕疵はあるものの、ひろゆきの言っていることには卓見もあって、あなどれない。
 ただしその多くは、人々がネットの未来に抱いている前向きな期待に冷水をかける形の「卓見」である。本書について、“梅田望夫の『ウェブ進化論』のダーク・ヴァージョン”と評する人が多いのは、そのためだ。
 たとえば、こんな一節がある。

 インターネットに未来的な何かがあるということ自体が、既に誤解なのです。インターネットの未来は明るいと言っているのは、おそらくバブル世代だけではないかと感じてしまうのは、僕だけなのでしょうか?(笑)



 このように、2ちゃんねるを含むネット世界全体を醒めた目で見る姿勢が、全編につらぬかれている。2ちゃんねるについても他人事のような調子で語っていたりして、ひろゆきは終始、よく言えば飄々、悪く言えばのらりくらりとしている。そこが面白いといえば面白いし、鼻につくといえば鼻につく本。
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『ブラブラバンバン』

ブラブラバンバンブラブラバンバン
(2008/07/16)
安良城紅福本有希

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 『ブラブラバンバン』をケーブルテレビで観た。柏木ハルコの同名マンガの映画化。

 高校の吹奏楽部を舞台にした、ちょっとコミカルな青春映画である。
 ……というと、いかにも『スウィングガールズ』の二番煎じのようだが、原作は『スウィングガールズ』よりも数年早く発表されている。

 『スウィングガールズ』は家族で楽しめる健康的な青春コメディであったが、こちらの『ブラブラバンバン』はもっと下品でエグい。いわば、『スウィングガールズ』の裏ヴァージョン。なにしろ、心地よい演奏を聴くとムラムラと欲情してしまうという「特異体質」をもつ美少女(!)がヒロインなのだから。

 よくこんな設定を考えつくものだ。柏木ハルコのマンガには、ほかにも『いぬ』や『花園メリーゴーランド』など、読む者を唖然とさせる奇抜な設定のものが少なくない。

 この映画版でも、ヒロイン・芹生(せりゅう)百合子の「特異体質」がストーリーの鍵となる。まるで、童貞高校生の性的妄想が生み出したようなストーリー。それでいて、百合子の「特異体質」以外の要素はすべて「フツーの青春映画」なのだから、そのギャップがたまらない。どこまでマジメに作ったのかわからない作品である。

 とはいえ、演奏する曲のアレンジなど、音楽的には『スウィングガールズ』よりも凝った作りがなされているし、いくつか美点もある。

 最大の美点は、ヒロインを演ずる歌手・モデルの安良城紅(あらしろ・べに)である。演技はうまくないものの、エキゾティックな美貌(日米のハーフだそうだ)と抜群のスタイル、そして不思議な存在感で、映画をさらっている。彼女が主演でなければ、ただたんに「ヘンな映画」に終わっていただろう。

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末延芳晴『森鴎外と日清・日露戦争』

森鴎外と日清・日露戦争森鴎外と日清・日露戦争
(2008/08)
末延 芳晴

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 昨日は取材で岡山へ。注文住宅売り上げ伸び率全国1位となった住宅ビルダーの社長さんを取材。

 ここ1、2年、企業経営者を取材する仕事が目に見えて増えた。
 まあ、それだけ私自身が年を重ねたということなのだろう。編集者側にも、「20代の若手ライターに社長とかを取材させるのはちょっとね」という意識が働くはずだから、その手の仕事はやはり中年ライターにふられがちだろうし……。じっさい、昨日取材した社長さんは私と同い年(44歳)だった。

 行き帰りの新幹線で、末延芳晴著『森鴎外と日清・日露戦争』(平凡社/2730円)読了。
 以下、レビュー。 

 明治の文豪・森鴎外は、陸軍軍医総監をつとめるなど、軍医としてもエリートコースを歩んだ。
 小説家と軍医の両立。それは、鴎外文学を論じるうえで欠かせない要素である。にもかかわらず、「これまでの鴎外論で、鴎外と戦争のかかわりについて本質的に問い、その意味について全面的に解き明かそうとしたものはなかった」(あとがき)。

 本書は、従来の鴎外論が避けて通ってきたそのテーマに、真正面から挑んだものである。文学者・鴎外と、彼が軍医部長として出征した日清・日露戦争のかかわりを、徹底的に見つめ直した長編評論なのだ。

 「文学者は戦争に直面したとき、最も根源的に文学者たるゆえんを問われる」と著者は言う。一兵卒ではなく指導的立場で2つの戦争に参加した鴎外は、同時代のどの文学者にも増して、その問いを己が心に厳しく突きつけられた。軍医官僚としては国家の側に立たねばならず、文学者としては国家の対極――個人としての自己に重きを置かねばならなかったのだ。

 鴎外がその矛盾とどう立ち向かったのかを、著者は戦争中に鴎外が書いた文章を読み込むことによって検証していく。軍医として書いた公的記録から私的な書簡に至るまで、さまざまな文章が俎上に乗る。著者はそれらを手がかりに、戦況や時代背景などもふまえ、鴎外の心に分け入っていく。

 著者は、日清戦争中の鴎外が戦争の冷酷な現実から目をそらし、そのことによって「内なる文学者森鴎外を封殺してしまった」と、厳しく批判する。しかし一方で、鴎外の日露戦争従軍中の詩歌集『うた日記』や、愛妻とかわした数多くの手紙の中に、「隠された主題としての『非戦』のメロディ」を聴き取っていく。

 そして、日露戦争後に鴎外が小説家として復活するに際しても、2度の従軍経験で獲得した「戦争の『悪』を見据える目」が、決定的な意味をもっていたと著者は言う。

 立場上、ストレートには「戦争の『悪』」を表現できなかった鴎外の文学。その奥底に流れる「『非戦』の通奏低音」を汲み取る著者の手際が鮮やかだ。鴎外文学に新たな光を当てる労作。
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北尾トロ『男の隠れ家を持ってみた』

男の隠れ家を持ってみた (新潮文庫 き 28-3)男の隠れ家を持ってみた (新潮文庫 き 28-3)
(2008/05/28)
北尾 トロ

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 北尾トロ著『男の隠れ家を持ってみた』(新潮文庫/380円)読了。
 
 いわゆる「男の隠れ家」(同名の雑誌もありますね)を持った人たちを取材したインタビュー集かと思ったら、そうではなかった。ライターの著者自身が、自宅と仕事場以外に六畳一間風呂なしのアパートを借り、そこで週一程度過ごしてみた「体験」を綴ったエッセイなのである。

 いったいなんのためにそんなことをしたかというと、一つには雑誌の連載企画(この本は『裏モノJapan』の連載の文庫本化)である。
 もう一つには、父親が亡くなった年齢である48歳にもうすぐ届くことなどから、いわゆる「中年クライシス」の状態にあった著者が、「隠れ家」を持つ経験を自分を見つめ直す機会としたのである。

 で、本書には自宅と仕事場と隠れ家を行き来した10ヶ月の模様が綴られるのだが、あまり面白くない。なにしろ著者自身が「はじめに」で、「連載はつらかった。(中略)10回も続いたのが不思議なくらいだ」と書いているほどで、ドラマティックな出来事など何も起こらないからである。

 つげ義春のマンガにも、主人公(つげの分身)が妻に内緒で月5000円の激安アパートを借り、そこに通ってただボンヤリすることを愉しむという短編があった。これはなかなか面白い作品だったが、要するにこの手の体験は「短編一つ程度の小ネタ」であって、一冊の本にするほどのものではないのだ。

 北尾トロは好きなライターだが、正直言って、これは私が読んだ彼の本でいちばんつまらなかった。
 同業者で世代も近い私には著者の心情がよくわかる面もあるのだが(私にも「隠れ家願望」があるし)、それでも企画倒れの失敗作だと思う。
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『魂萌え!』

 
魂萌え!魂萌え!
(2007/07/27)
風吹ジュン三田佳子

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 ケーブルテレビで『魂萌え!』を観た。桐野夏生の同名小説を阪本順治が映画化した作品。

 原作は、単行本が出てすぐに読んだ。 → 原作のレビューはこちら

  文庫版では上下巻となった長編を約2時間にまとめてあるので、ディテールの面白い部分がかなりはしょられている。
 とくに、主人公と息子夫婦の関係は、原作ではもっと繊細かつじっくりと描いてあって読みごたえがあったのだが、映画では息子はただの脇役という感じ。

 この映画版は、ストーリーよりも主要登場人物の演技を味わう作品という印象だ。とくに、主演の風吹ジュンはまことに素晴らしく、女優としての代表作になるであろう名演を見せる。

 いまでも40代後半には見える美熟女・風吹が、59歳の冴えない普通の主婦を演じている。
 10歳程度の老けメイクをして登場してくる彼女が、映画が進むにつれて精神的に若返り、最後にはいきいきと魅力的なカワイイおばさんに“変身”する。その“変身”ぶりを、ごく自然な形で観客に納得させる演技なのだ。

 ヒロインと亡き夫の愛人が「直接対決」するシーンは、原作でもクライマックスになっていたが、この映画版でもやはりクライマックスである。愛人役の三田佳子と風吹ジュンが静かな火花を散らすそのシーンは、演技も演出もパーフェクトな仕上がり。このシーンのおかげで映画としての格が上がっている感じだ。

 なお、多くの場面が立川で撮影されているので、立川在住の私にはその点も愉しかった。ストーリー上重要な役割を果たすカプセルホテルも映画館(名画座ではなくシネコンのほう)も、立川に実在します。  
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山田あかね『すべては海になる』

 
すべては海になるすべては海になる
(2005/11)
山田 あかね

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 山田あかね著『すべては海になる』(小学館)読了。

 なんの気なしに図書館で借りてきて読んだのだが、久々のヒット。じつによかった。
 著者はシナリオライターやテレビディレクターとして活躍している人だそうで、これは小説作品としては2冊目にあたるもの。

 書店員として働く20代の女性と、男子高校生の恋愛を描いた作品。ありがちな恋愛小説ではあるのだが、心理描写が繊細で素晴らしいし、文章が抜群にうまい。わかりやすくて読みやすく、映像的でテンポがいい。そして、むずかしい言葉は少しも使っていないのに、深いところまで表現できている。なかなかできることではない。

 ストーリーの本筋とは関係ないなにげない場面の中にさえ、メモしておきたいようなフレーズ、表現が多い。たとえば――。

 本屋のレジは、あまり客の顔を見なくてすむ。ファーストフードの店員のように、安価な笑顔を振りまく必要がない。本は特殊な商品だ。ほしがる本は客の心を映している。ストレートに客のその日の心情が、欲望が、欠落があらわれている。ベストセラー本を買う客ですら、正面きって顔を見られるのを嫌う。本にカバーがかけられる理由はここにある。誰も自分の望みを知られたくないのだ。だから、本を受け取ったら、なるべく機械的に動く。あなたにもあなたの買い求める本にも全く関心がありません、というように。

 

 また、恋愛小説でありながら、恋愛というものの「どうしようもなさ」を作者が突き放して見ているようなクールな視点が、随所に感じられる。そこがよい。甘ったるくないのだ。
 たとえば、ヒロインがこんなセリフを言ったりする。

「うちの親も恋愛結婚だったらしいけど、わたしが大学を卒業すると同時に離婚したよ。なんていうか、恋愛の残骸をおとなになる前にたくさん、見過ぎたのかな」(148ページ)

「苦しいときに手近な愛情に溺れるのは人類がずっとやってきたことなんだと思う」(222ページ)


 
 「終わり方にもうひと工夫欲しかった」とか、「主人公の高校生の話す言葉が老成しすぎていて少年らしくない」とか、いくつか不満も感じたが、そうした瑕疵を補って余りある魅力をもつ作品だ。 
 恋愛小説の分野で売れっ子になっている某や某々の作品と比べても、少しも遜色ない。てゆーか、ヘタな売れっ子作家よりこの人のほうがうまい。今後注目したい作家である。
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やまがたすみこ『サマー・シェイド』

サマー・シェイドサマー・シェイド
(2007/12/12)
やまがたすみこ

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 やまがたすみこの『サマー・シェイド』の紙ジャケ盤(ヴィヴィド・サウンド/2625円)を買った。

 やまがたすみこは、おもに1970年代に活躍したシンガー・ソングライターである。78年にアレンジャーの井上鑑と結婚して第一線からしりぞいた(2004年にインディーズで四半世紀ぶりのアルバムを発表)ため、表舞台での活躍期間はほんの数年間であったが、いまなお根強いファンがいる。

 私はとくにファンというわけではないが、自分が意識的に音楽を聴き始めたころによくラジオでかかっていた「夏の光に」という曲だけは大好きだった。で、その曲が入っているアルバムを買ったというしだい。

 このアルバムは1976年発売。ジャケットの憂いを帯びた美しいポートレイトも印象に残っている。考えてみれば当時彼女はまだ19歳だったわけだが、それにしては老けている大人っぽい。当時中1くらいだった私には、20代後半くらいの「大人の女」に見えた。

 やまがたすみこは、1973年のデビュー当時には、生ギターを抱えて歌う健全無垢な「カレッジフォーク」スタイルのシンガーであった(森山良子や本田路津子の系譜につらなる存在)。清楚なルックスと透き通った歌声で人気を集めたという。

 だが、この『サマー・シェイド』から大きく方向転換。外部の作詞家・作曲家の楽曲提供も受け、いわゆる「シティー・ポップ」路線のアルバムを出すようになったのだ。 

 やまがたすみこのファンは、キャリア前半のカレッジフォーク路線を愛する者と、後半のシティー・ポップ路線を愛する者とにほぼ二分される。両方等しく好きだという人はあまりいないのだ。前者にとっては、シティー・ポップ路線のアルバムはやまがたすみこの流行迎合と映るようである。

 私はといえば、フォーク時代のやまがたすみこには微塵も興味がない。「夏の光に」を歌う「きれいなおねえさん」(少年時代の私から見て)としての彼女が好きなのである。

 で、私もこの『サマー・シェイド』を全編聴くのは今回が初めてなのだが、うーん……。全体に「古いタイプのニューミュージック」という感じで、いまの時点で聴いてそれほど面白い音楽ではないなあ。

 ただ、「和風ボサノヴァの到達点」ともいうべき「夏の光に」はいま聴いてもやはり名曲だし、「雨の日曜日」という曲もすごくよかった。マリア・マルダーの「真夜中のオアシス」を彷彿とさせる「琥珀色のスウィング」も佳曲(歌詞にもマリア・マルダーの名が出てくるし、歌唱スタイルもマルダーに似せている)。この3曲のためだけにも、買って損はなかった。



 何より素晴らしいのは、やまがたすみこの透明で伸びやかなハイトーン・ヴォイス。まさに「鈴を鳴らすような声」で、J-POP史上最高の美声の持ち主ではないかと思う。


↑参考までに、純朴可憐なフォーク時代のやまがたすみこ

  
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『ストロベリーショートケイクス』

ストロベリーショートケイクスストロベリーショートケイクス
(2007/04/25)
池脇千鶴中越典子

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 ケーブルテレビで録っておいた『ストロベリーショートケイクス』を観た。2006年の邦画。監督は矢崎仁司という人。

 公式サイト→ http://www.strawberryshortcakes.net/index02.shtml

 魚喃(なななん)キリコの同名マンガの映画化。4人の若い女性たちの愛と友情の物語である。
 4人の内訳は、デリヘルの電話番・里子(池脇千鶴)、そのデリヘルで働いている秋代(中村優子)、イラストレーターの塔子(岩瀬塔子)と、そのルームメイトで結婚願望の強いOL・ちひろ(中越典子)――。

 塔子役の「岩瀬塔子」とは、じつは原作者の魚喃キリコである。
 よくある、「原作者がワンシーンだけお遊びで出演」というものではなく、堂々と女優している。それも、便器を抱え込むようにして過食嘔吐するシーンがあったり、胸まであらわにするシーンがあったり(!)して、体当たりの熱演。「ううむ、原作者がここまでやるか」と驚かされる。
 魚喃キリコはもともとキリッとした目が印象的な美人でスタイルもいいから、女優たちの間に入ってもとくに浮いた感じはない。彼女のファンならそれだけでも必見というところだろう。

 それはいいのだが、映画としてはいま一つの出来である。

 何より、全体にリアリティが希薄すぎる。
 映画の冒頭、池脇千鶴が繁華街の道路の真ん中で彼氏の足にすがりつき、「お願いだから捨てないでー!」とか叫びながら引きずられる。このベタな失恋描写だけで、「こんな女いねえよ!」とウンザリ。

 だいたい、池脇千鶴みたいな子がデリヘルの電話番などしているはずがないし、秋代が自分の住む部屋に棺桶を持ち込んでそこで寝ているという設定にも興醒め(いずれも、原作にはない設定)。
 そんな女いねえよ! てゆーか、「棺桶で寝るひとり暮らしの若い女性」などという奇矯な設定によって、何がしかの個性が表現できると考えている作り手の意識がイタい。
 
 リアリティの乏しさはともかく、魚喃キリコ作品の「空気感」はうまく移植できていると思う。
 あの手のオシャレ系コミックは、捨てゴマ(ストーリー進行に直接関係ない、雰囲気のためのコマ)が多く、ストーリーよりはムードを味わう作品という側面が強い。
 同様にこの映画も、ストーリー上はなくてもいい“雰囲気シーン”がたくさんあって、むしろそういうシーンにこそ、いまどきの若い女性の生活や意識を映し出すリアリティが感じられる。映像も美しいし、絵作りも凝っている。

 もっとも私は、観終わったあとで「それで?」とつぶやきたくなったけど……。


 
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押井守『凡人として生きるということ』

凡人として生きるということ (幻冬舎新書 (お-5-1))凡人として生きるということ (幻冬舎新書 (お-5-1))
(2008/07)
押井 守

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 押井守著『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書/798円)読了。

 先日読んだ『他力本願』とほぼ同時期に刊行された、“押井流人生論”の書。
 『他力本願』は押井ファンでない人が読んでもあまり意味のない本だが、こちらはもう少し一般向け。押井作品に触れたことがない人が読んでも、「へえ、わりといいこと言うじゃん」と思えるだろう。

 「若さに価値などない」「無償の友情など存在しない」というふうに、世に浸透して常識となった「幻想」に冷水を浴びせかける箇所が随所にあって、そこが痛快。
 
 とはいえ、世の中を斜めに見るニヒリズムの書というわけではない。「王様は裸だ」と喝破したうえで、「では、裸の王様はどのように身を処すべきか?」を熱く語る書なのである。

 世の99%以上の人は凡人であり、あなたも私も凡人でしかない。しかし、凡人には凡人なりの幸福で自由な生き方がある。「若さには無限の可能性がある」といったタテマエを捨て去ったうえで、ほんとうに自由な生き方、無限ならぬ「有限の可能性」を切り開くコツを、押井は説いている。

  どちらかといえば若者に向けて発せられたメッセージが多い本で、私のようなオジサンが読むと鼻白んでしまうくだりも多い。
 しかし若者が読めば、心に刺さって行動の起爆剤となる言葉がたくさんあると思う。
 
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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