本橋信宏『ニッポン欲望列島』ほか

ニッポン欲望列島ニッポン欲望列島
(2006/12)
本橋 信宏

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 本橋信宏著『ニッポン欲望列島』〈創出版〉、『何が彼女をそうさせたか/東京のある街角、ホテルに向かう人妻たちの素顔』(バジリコ)読了。
 この著者の『心を開かせる技術』がわりと面白かったので、ほかの著作も読んでみた。

 『ニッポン欲望列島』は、どぎつい書名とは裏腹にしみじみとした読後感を残す、ペーソスに満ちたエッセイ/ノンフィクション集。
 月刊『創』の連載をまとめたもので、内容は、著者が取材などで出会った人々の横顔を綴った人生素描が中心。著者がこれまでやってきた取材仕事の舞台裏を明かすものでもあり、『心を開かせる技術』と対をなす著作ともいえる。

 登場人物に、AVなどエロ系メディアの関係者が多いために『ニッポン欲望列島』という書名になったのだろうが、けっして煽情的な内容ではない。

 たとえば、一時期はAV界の「帝王」と呼ばれたあの村西とおるを主人公とした、「村西とおる親子二代のドラマ」という一編がある。
 村西は長男を「お受験界最高峰」の名門小学校(本には明記されていないが、慶應幼稚舎のこと)に合格させ、大きな話題をまいた。前科7犯のAV監督の子がその学校に合格したことは、お受験界の常識をくつがえす奇跡であったのだ。

 「奇跡」を起こすまでに、村西とおるは息子をどのように育てたのか? その歩みを本橋が追ったこの一編は、しんみりと読ませる。

 もう一冊の『何が彼女をそうさせたか』は、東京・大塚にたくさんある「人妻ホテトル」に著者が客として通いつめ、ホテトル嬢(兼人妻)たちから聞き出した身の上話を1人1章ずつにまとめたもの。
 こちらは期待はずれだった。永沢光雄の『AV女優』みたいな味わいを期待したのだけれど、もっと下世話で薄っぺらい。


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本橋信宏『心を開かせる技術』

心を開かせる技術―AV女優から元赤軍派議長まで (幻冬舎新書 も 1-1)心を開かせる技術―AV女優から元赤軍派議長まで (幻冬舎新書 も 1-1)
(2007/03)
本橋 信宏

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 本橋信宏著『心を開かせる技術/AV女優から元赤軍派議長まで』(幻冬舎新書/756円)読了。

 著者は、風俗ルポからコワモテ人士(ヤクザ・闇金のドン・右翼・過激派など)への直撃取材まで、硬軟問わず精力的にインタビューをつづけてきたベテラン・ライター。話の聞きにくい相手の心を開く達人である。
 本書は、著者が豊富なインタビュー経験から編み出した、語り手の「心を開かせる技術」を開陳したもの。

 随所にちりばめられた、インタビューの舞台裏エピソードが抜群に面白い。また、「インタビュー術」の極意を明かしたハウツー本としても有益である。

 私が「なるほど」と思った具体的なノウハウとしては、たとえば――。

・インタビューのときには相手の正面に座るのではなく、テーブルを挟んで「L字型に」座る。そうすることで、相手を真っすぐ見据えることがなくなり、互いの緊張感をやわらげることができる。

・相手の肉体に何かの傷跡があったら、そのことについてあえて聞くべき。「聞かないのは聞き手として失格」(これはフーゾク取材など特殊なケースの話で、一般的な取材にはあまりあてはまらないと思うが)。

・若い一般女性が相手の場合、カラオケボックスは取材場所として最適。喫茶店のように隣の席から聞き耳を立てられることもないし、相手は中学生くらいからカラオケボックスに行き慣れているのでリラックスして話をしてくれる。

・取材時にはノートに、「音で記録できない要素すべて」をメモしていく。相手の着ている服、つけているアクセサリーや香水、部屋の様子、書棚にある本のタイトルなど。

 その他、印象に残った一節を引く。

 

 インタビュー相手が遅刻してくるのは、こっちとしては願ってもないパターンです。
 というのも、遅刻してくると、いくら図々しい人間でも、多少はわるいことだと感じて、その後のインタビューでも協力的になる場合が多いからです。



 人間は何か取り繕おうとするとき、抽象的な言葉で、その場をやり過ごすときがあります。
 抽象的な話をできる限り具体的な固有名詞で語ってもらうこと。これが話の深みを増すポイントになります。



 対談相手と意気投合した場合、いざ原稿にしてみると、思ったほど面白くないものです。現場での論争は、後々、味わい深いものになります。
 会話が噛み合わないこともまた、コミュニケーションのひとつです。



 

 男の場合、話をしていて嘘をつくとき、あるいは意識的に真相をカムフラージュしようとするとき、視線を瞬間、はずす癖があります。
 ところが女の場合、嘘をつくとき、男とはまったく逆で、相手の目をみつめて話しつづけます。ですから、嘘をつくのは女のほうが男よりも何倍も上手ということになります。



 著者は自らを人見知りで口べただという。「他者の心を開かせるコツ、というものを私が持っているとしたら、それは私のコンプレックスから派生したものだ、と言えるでしょう」と……。そして、次のようにいうのだ。

 一流のセールスマンというのは、誠実そうで、おとなしく、こちらの話をよく聞いてくれるタイプです。初対面でいきなりおしゃべりが始まるようなセールスマンは、客が警戒して引いてしまったりするようです。
 インタビューも同じことです。
 雄弁家というのはインタビュアー(聞き手)に向かない。むしろ口べたくらいのほうが、相手(話し手)もリラックスして何でもしゃべるようになるものです。



 ライターを20年以上やってきたのに相も変わらず口べたな私は、この一節に深く同意する。

 一つだけ難点を挙げれば、著者自身が書いたインタビュー記事などからの引用が、総じて長すぎる。
 たとえば、「AV女優には両親が離婚した家庭に育った子が多い」と一言書けば済むところを、AV女優がその手の発言をした例を、何ページにもわたって延々と並べている。こういう要らざる引用は、ページ数稼ぎの手抜きとしか思えない。
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中村淳彦『名前のない女たち』

名前のない女たち (宝島社文庫)名前のない女たち (宝島社文庫)
(2004/06)
中村 淳彦

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 中村淳彦著『名前のない女たち/企画AV女優20人の人生』(宝島社文庫)読了。
 副題のとおり、「企画AV女優」20人を1章1名ずつ取り上げたインタビュー集である。
 

 AV女優には、顔と名前で魅力をアピールする単体女優と、女優の魅力ではなく作品の内容(企画)で売るタイプの作品(企画もの)に出演する企画女優との2種類がある。一般にAV女優という場合は単体女優を指す場合が多いが、2000年頃から企画女優の中にも単体女優並みの人気を持つ例が見られる様になった。これをキカタン女優などと呼ぶ。
 容姿に恵まれない者や実年齢が23歳以上なら単体として扱われにくく、企画物などで別の長所を求められる (ウィキペディアより)



 この手の本では、故・永沢光雄の『AV女優』(現・文春文庫)が評価が高い。あの本は男性誌のカラーグラビアを飾るような単体女優のみを扱っていた。いっぽう、本書はアングラ色の強い企画女優ばかりを取り上げているので、登場する女性たちの語るライフストーリーはいっそう凄絶である。

 永沢光雄の著作はAVファンの枠を超えて多くの識者に絶賛され、永沢は作家への道を歩み始めていた(その矢先に惜しくも病没)。類書である本書は、永沢作品と比べると文章に滋味が乏しいが、女優たちの語る半生自体が劇的なので、最後まで興味深く読める。 

 とくにすごいのが、冒頭を飾る結城杏奈へのインタビュー。彼女は家族ぐるみのホームレスだったという。8人の子どもたちを置いて父親が蒸発。病弱で敬虔なカトリック教徒だった母親は子どもたちを連れて全国各地の教会を頼り歩き、その果てに公園でホームレス暮らしを始めたのだった。

 9人家族の公園ホームレス生活。『ホームレス中学生』も真っ青である。そしてその後も、レイプで初体験・イジメ・援交・自殺未遂・兄との近親相姦・母親の作った3000万円の借金を返済するためのAV界入り・精神病院への入院……と、すさまじい体験が矢継ぎ早に口から飛び出す。

「あのな、わたし話し方も変やろ。ちっちゃい頃にな。いろんな土地を転々としたから言葉が混じっちゃってな」



 ……などと、凄惨な経験をあっけらかんと話す明るさが妙に切ない。
 結城杏奈の半生(といっても、インタビュー時まだ19歳)だけでも、ケータイ小説よりすさまじい。それでもまだ本書の20分の1。なんとも濃ゆい本である。

 もっとも、結城杏奈の人生ドラマがあまりにすごいので、残り19人は割を食って見劣りがするのだが、それぞれにキョーレツではある。

 やはりというべきか、どこか尋常ではない、壊れた感じの女性が多い。本書を読んだあとに永沢の『AV女優』を読み返したら、そこに登場する女優たちが「フツー」に見えてきたほどだ。
 たとえば、食事しながらのインタビューに、「お腹がすいているんだけど、噛むのが面倒くさいから食べたくない」と言う女優は、固い食べものが嫌いで煎餅を食べたことがない(!)という。ううむ……。
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『ダークナイト』

ダークナイトダークナイト
(2008/08/06)
サントラ

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 立川シネマシティで『ダークナイト』を観た。言わずと知れた、バットマン・シリーズ最新作である。

 公式サイト→ http://wwws.warnerbros.co.jp/thedarkknight/

 私はアメコミにまったく興味がないし、バットマン・シリーズもティム・バートンが監督した第一作しか観ていない。しかし、この 『ダークナイト』、私のウェブ巡回先の目利きの方々がこぞって絶賛(粉川哲夫氏、竹熊健太郎氏、「超映画批評」の前田有一氏など)しているので、「これは観ておかないと……」と思ったのだった。

 評判どおりの傑作。アメコミを題材にして、ここまでダークでシリアスな映画が生まれるとは思わなかった。最初から最後まで重々しい緊張感が張りつめ、それでいて娯楽アクション映画としても一級品に仕上がっている。

 ジョーカー役のヒース・レジャーが公開前に急死したためか、テレビ等の宣伝ではジョーカーにウエイトが置かれており、まるでジョーカーが主人公のように思える。
 しかし、実際に観てみればそんなことはなく、バットマンとジョーカーは同等の重みをもって映画の中でせめぎ合っている。ダークな味わいではあるものの、単純に「ヒーローもの」として観ても、バットマンのカッコよさは十分堪能できる作品だ。

 ジョーカーは、金銭にすら興味がなく、ただ悪のための悪を行いつづける、いわぱ「ピュアな悪」「全き悪」として造型されている。
 自らの保身など微塵も考えない、型破りな悪の権化・ジョーカー。彼はバットマンや副主人公ともいうべき検事ハービー・デントに、「お前たちが拠って立つ正義は、ほんとうに正義なのか?」と問いつめるような挑発を次々と仕掛ける。その挑発に、バットマンの正義は大きく揺らぐ。その揺らぎようがドラマの駆動力となる映画だ。

 粉川哲夫氏は本作のレビューで「善悪の問題をこれほど深くあつかった映画作品はいままでなかったと言えるほどの傑作だ」と書いていたが、同感である。この『ダークナイト』と比較して論ずるべきは、過去のバットマン・シリーズより、むしろ我が国が誇る名作マンガ『デビルマン』(永井豪)だろう。

 映像もものすごい。闇に沈むゴッサムシティにバットマンがビルの上から舞い降りるそのワンカットだけでも、もううっとりするほど美しい。
 そして、ジョーカーとバットマンの闘いのなかでビルや車が次々破壊されていくプロセス自体、えもいわれぬ悲壮美に満ち、しかも苦いカタルシスがある。随所にちりばめられた、街の闇を切り裂く炎と爆発――その「破滅の美」を味わうためだけにでも、映画館に足を運ぶ価値がある。
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『週刊ダイヤモンド』「エンタメ全解剖」

週刊 ダイヤモンド 2008年 8/23号 [雑誌]週刊 ダイヤモンド 2008年 8/23号 [雑誌]
(2008/08/18)


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 現在発売中の『週刊ダイヤモンド』(2008年 8/23号)の特集「エンタメ全解剖」が、たいへん面白かった。
 経済の視点から日本のエンタメ市場を鳥瞰する、というコンセプトが新鮮。
 東宝・ホリプロ・劇団四季・日本レコード協会・オリコン・落語協会の各トップにそれぞれインタビューを行なうなど、取材もていねいだ。

 出版という、“業界全体がもはや泥船”みたいな世界に身を置いているため、私はなんとなく、「日本のエンタメ・ビジネス全体もジリ貧で展望がないのだろう」というイメージを抱いていた。ところが、この特集を読むとそうでもないようなのだ。
 日本のエンタメ市場(映像・音楽・音声・ゲーム・遊園地・コミック・ステージの合計)は市場規模9兆3300億円にのぼり、いまなお「成長産業」なのだという。

 とくに意外だったのは、世界的に低落傾向にある音楽業界にあって、日本市場は低落に歯止めをかけることに成功した、との指摘。その背景には「着うた」市場の爆発的拡大などがあって、「たとえばユーミンなどは、最もCDが売れていた頃と収入は変わっていないはず」(オリコングループCEOの談話より)なのだとか。

 本・雑誌が売れない、CDが売れない……などという不景気な側面にばかり目を向けていては見えない、エンタメ業界のもう一つの側面が見える好特集だ。

 難を言えば、「エンタメ全解剖」と銘打ちながら、マンガ業界やゲーム業界についての記事がないのは、ちょっとバランスを欠いている気がする。

 まあ、ゲームについては『週刊ダイヤモンド』の読者層は関心が薄いのだろうし、泥沼不景気のマンガ業界(→参考:「マンガ市場は10年連続マイナス成長」)の記事を入れたら、「エンタメ市場はこんなに盛り上がっている」という特集の前提が崩れただろうけど……。
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「お台場冒険王ファイナル」

 息子と2人で、フジテレビとその周辺でやっているイベント「お台場冒険王ファイナル」に行ってきた。

 今年はムスメ(中3)が受験生で毎日塾通いなので、家族で遊びに行くどころではない。さりとて、下の子(小5)をどこにも連れて行かないのもカワイソウなので、一日空けて連れて行ったしだい。

 いやー、親の私にとってはサイテーのイベントだった。

 何より、死ぬほど暑かった。まるで「暑さガマン大会」のよう。アトラクションの多くは東京ディズニーランド並みの行列ができていて、炎天下に延々と並ばなければならない。
 帰るころには腕や顔が日焼けで真っ赤。息子はイベント中、一度もトイレに行かなかった。水分はすべて汗と化したのであろう。

 おまけに、室内イベントでさえ冷房がされていないか、設定温度がごく控えめ(温暖化防止を目指す「チーム・マイナス6%」と、協力だか協賛だかをしているためらしい)。エレベーターに乗ったとたんに中からムワッと熱気が吹き出してきて、「うへー」となった。

 それに、肝心のアトラクションのちゃっちいこと。大学祭レベルというか、「金とって見せるような代物ではない」というものがほとんど。

 わずかによかったのは、テレビドラマ『ガリレオ』に登場した科学実験が再現されたアトラクションと、「オリンピック体感コーナー」(名前うろ覚え)。
 後者は、オリンピックの各種最高記録がどの程度の高さや距離なのかが、実際に体感できるようになっているもの。たとえば、「棒高跳びの世界記録はこんなにも高い」というのが見てわかるようになっている。これはタイムリーで面白かった。

 それから、食べもの・飲み物・みやげ物のボッタクリ値段もひどい。駄菓子屋で50円で売っているようなアイスに、ナイナイ岡村の顔イラスト・シールが貼ってあるだけで350円とか……。

 私にとって唯一ラッキーだったのは、「めざましLIVE」と銘打たれたライヴ・コーナーの出演アーティストが、たまたま私の好きな「曽我部恵一BAND」だったこと。息子を別の場所に置いて一人で見入ってしまった。サニーデイ・サービス時代の「東京」も演ってくれたので、ちょっと感動。
 しかし、客席には場違いな幼い孫連れのおばあちゃんなどが目立ち、曽我部のファンは私含めてたぶん10名以下だったと思う。営業ライヴもたいへんですなあ。

 でもまあ、息子は十分に楽しそうだったので、こんなイベントでも行った甲斐があった。
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『パリ、ジュテーム』

パリ、ジュテーム プレミアム・エディションパリ、ジュテーム プレミアム・エディション
(2007/10/24)
ナタリー・ポートマン;イライジャ・ウッド;ジュリエット・ビノシュ;スティーヴ・ブシェミ;ウィレム・デフォ

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 ケーブルテレビで録画しておいた『パリ、ジュテーム』を観た。

 2006年のフランス映画。各国の一流監督(コーエン兄弟、ウォルター・サレス、ガス・ヴァン・サントなど)とスター俳優たちがパリに集い、パリ20区のうち18の区をそれぞれ舞台にした約5分のショート・ムーヴィーを撮る、という趣向のオムニバスだ。

 タイトルが示すとおり、作品の共通テーマは「愛」。パリの街角でくり広げられる、18の出会いと別れの物語だ。
 中には「ボーイ・ミーツ・ボーイ」の話もあったり、異文化交流の形を取った出会いもあったりする。ホラー仕立てのものもあればファンタジー仕立てもあり、5分間長廻しで撮ったものもある。短い枠の中で、それぞれの監督が個性を競い合っている。

 玉石混淆ではあるけれど、総じてよくできた、オシャレで気の利いたオムニバス。さすがにどの監督も、これ見よがしに名所を映すような「観光映画」にはしておらず、作家性の高いショート・ムーヴィー集として愉しめる。

 コーエン兄弟のものは、スティーヴ・ブシェミを主演に据え、むしろ「愛の街、パリ」を痛烈におちょくる内容。さすがの毒気とブラック・ユーモアだ。
 ほかの作品では、シルヴァン・ショメ(アニメの監督として有名で、これは初の実写作品)が撮ったパントマイム・ネタのものと、トム・ティクヴァ監督(『パフューム ある人殺しの物語』の人)のものがよかった。
 あと、『ベッカムに恋して』のグリンダー・チャダが撮った一編では、ヘジャブをかぶって登場するムスリムのヒロインがすこぶるチャーミング。

↓公開時の予告編


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アマルティア・セン『議論好きなインド人』

議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界
(2008/07)
アマルティア・セン

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 アマルティア・セン著、佐藤宏・栗屋利江訳『議論好きなインド人/対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』(明石書店/3990円)読了。

 アジア初のノーベル経済学賞受賞者であるセン博士が、母国インドの歴史と文化、そしてインド人のアイデンティティを論じた大著。センの著作の中では異彩を放つ一冊である。センの経済学がベースとなった部分(インドの食糧政策について論じた項目など)もあるものの、全体としては専門外の分野にあえて踏み込んだ内容だからだ。

 センは、米ハーバード大学などで教鞭をとるいまも、インド国籍を保持しつづける「筋金入りの『愛国者』」(訳者解説)である。また、飢饉や貧困の解決をライフワークとして掲げる彼の経済学の原点には、少年時代に遭遇した「ベンガル大飢饉」の衝撃があるといわれる。
 インドを愛し、インド人であることにこだわりつづけるセンにとって、この浩瀚なインド論はけっして経済学者の余技などではなく、書かれるべくして書かれたものなのだろう。

 16章に分けられた内容は、多岐にわたる。インドの核保有について論じた章もあれば、インドにおけるジェンダー不平等を論じた章もあり、インドにある多様な「暦」を通じてインド文化の特徴を探った章もある。16の異なる角度から大国インドに光を当て、その全体像を浮き彫りにしていく試みなのである。

 そして、各章で展開される分野別のインド論はいずれも、ステレオタイプのインド理解に異を唱え、読者に新たなインド像を提示するものとなっている。
 たとえばインドと中国を比較した章では、両国の歴史的関係が仏教史にのみ目を向けられがちであることに異を唱え、宗教以外の分野における知的交流史に光を当てている。

 わけても、多くの日本人にとって最も新鮮なのは、「インドにおける永い議論好きの伝統とその現代的な意義」に焦点を当てた部分であろう。
 “神秘主義と宗教原理主義の国”というインドに対するイメージをセンは突き崩し、「対話の伝統と異端説の受容」の歴史をたどっていく。仏教徒だった古代のアショーカ王やイスラム教徒だった16世紀のアクバル皇帝が、対話を重視し他宗教に寛容な政策を打ち出したことが、例として挙げられる。
 そこから浮かび上がるのは、古代ギリシャと並ぶ民主主義の源流ともいうべきものがインドの歴史の中には厳然とあり、現代まで脈々と受け継がれてきた、ということである。

 本書のもう一つの特徴は、センの個人的体験に大きく依拠したインド論だということ。たとえば、センは詩聖タゴールと浅からぬ縁で結ばれているが(センの名付け親もタゴール)、そのタゴールの思想についても一章が割かれている。逆にいえば、教科書のようにバランスのとれたインド論ではないのだが、その偏りの中にこそ、本書の独創性と魅力もある。

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竹熊健太郎『篦棒な人々』

篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 (河出文庫 た 24-1)篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 (河出文庫 た 24-1)
(2007/12/04)
竹熊 健太郎

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 竹熊健太郎著『篦棒(ベラボー)な人々/戦後サブカルチャー偉人伝』(河出文庫/893円)読了。

 偉人の枠を超えた4人の「怪人」たち――康芳夫(マルチプロデューサー、虚業家)、石原豪人(挿絵画家、画怪人)、川内康範(『月光仮面』原作者、生涯助ッ人)、「ダダカン」こと糸井貫二(全裸の超・前衛芸術家) ――へのロング・インタビュー集。

 雑誌に載ったインタビューを集めた本というと、ふつうは10~20人分くらいで1冊になるものである。それが、この本ではたった4人だけ。つまり、一人ひとりへのインタビュー内容がそれだけ濃密なのだ。掲載誌が赤田祐一時代の『クイック・ジャパン』で、一人につき50ページとかの破格の紙数だったからこそ可能となった濃密さである。

 4人が4人とも、波瀾万丈というか破天荒な人生を歩んできた人たちであり、しかもキャラ的にすごく「濃ゆい」メンツなので、そのライフストーリーをたどるだけでも面白い。とくに、川内“耳毛”康範の語る生涯は強烈だ。

 くわえて、竹熊氏のインタビューがじつにうまい。入念な準備をし、手際よく話を進め、相手に対する礼儀を失せず、それでいて突っ込むべきところは突っ込んでいる。
 インタビュー内容がほぼそのまま活字になっている感じなので、インタビューの進め方のお手本としても読める。

 竹熊氏には、またこういう読みごたえあるインタビュー集を出してほしいところ。
 てゆーか、氏は最近インタビューの仕事ってやっていないのではないか。少し前に「たけくまメモ」で「(フィギュアスケートの)荒川静香をインタビューしたい」と書いていたが、あれはけっきょく実現しなかったのだろうか?
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スガシカオ『FUNKAHOLiC』

FUNKAHOLiC(初回生産限定盤)(DVD付)FUNKAHOLiC(初回生産限定盤)(DVD付)
(2008/09/10)
スガシカオ

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 スガシカオのニューアルバム『FUNKAHOLiC』(BMG)を、サンプル盤を送ってもらって聴く。9月10日発売予定。

 村上春樹は音楽エッセイ集『意味がなければスイングはない』(2005年)の中で、スガシカオについて一章を割いている。同書の中で、J-POPのアーティストとして取り上げられたのはスガシカオのみである。
 その中で村上は、スガシカオの作る歌詞に高い評価を与え、「右の耳から左の耳に抜けていくような、ただ収まりのいい歌詞のための歌詞ではない」と評している。

 村上春樹がホメたからというわけではないが、この新作を聴いて、歌詞の質の高さ、面白さに舌を巻いた(まだ発売まで日があるため、媒体資料に載った歌詞には「最終版ではございません」と注記があるので、引用は控える)。
 手垢のついた表現をことごとく回避した、独創性あふれる歌詞。きれいごとではない男のホンネまでがリアルに表現されているのだが、それでいて過度の生活感や湿っぽさはなく、ノリのよさとクールネスに満ちている。

 サウンド面では、『FUNKAHOLiC』(ファンカホリック=ファンク中毒)というタイトルのとおり、これまで以上にファンクからの影響が色濃くあらわれている。ギラギラのホーン・セクションが心地よいオープニング・ナンバー「バナナの国の黄色い戦争」など、思いっきりファンクである。
 とはいえ、その濃厚なファンク色が、一般のJ-POPリスナーにも違和感なく受け入れられるポップなわかりやすさの中に昇華されているあたりは、さすがスガシカオ。

 このアルバムのサウンドを代表しているのが、先行シングルにもなった「コノユビトマレ」。この曲には、ファンクとJ-POPそれぞれの要素が理想のバランスで共存している。分厚くうねるベースラインと鋭角的なリズム・ギターに象徴される典型的ファンク・サウンドに、スガシカオならではのポップなメロディーが無理なく乗っているのだ。

 もちろん、スガシカオの大きな魅力であるスモーキーな歌声も健在だ。 
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ボビー・ハッチャーソン『ハプニングス』

ハプニングスハプニングス
(2004/07/22)
ボビー・ハッチャーソン

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 ボビー・ハッチャーソンの『ハプニングス』(EMI/1500円)を買った。1967年の作品。
 ハッチャーソンはヴァイブ(ヴィブラフォン)奏者。本作は彼の代表作にして、ブルーノート・レーベルにおける「新主流派」の動きの中でも、突出した傑作とされているものなのだそうだ。

 ジャズ史的な位置づけはよくわからないのだが、「ヴァイブの音色がすこぶる涼しげで、夏にピッタリなジャズ・アルバム」との評判を聞いて買ってみた。
 
 なるほど、思いきり「夏仕様」な感じの音だ。
 透き通った水をたたえたプールの水底から、真上の太陽を眺めているようなイメージの音。海ではなく、断じてプール。きらきらした透明感と静謐さ、無機質なクールネスが、海という感じではないのである。

 ハッチャーソンのヴァイブとハービー・ハンコックのピアノが、同等の重みをもってサウンドの核になっている。
 ピアノとヴァイブの組み合わせというと、チック・コリアとゲイリー・バートンのデュオ『クリスタル・サイレンス』を思い出す。あちらが雪景色のようなサウンドだったのに対して、こちらはあくまで夏の音だ。

 オープニングの「アクエリアン・ムーン」と、管楽器をヴァイヴに置き換えて演奏したハンコックの「処女航海」の2曲が、突出してよい。

 ジャケットもじつによい。スタイル抜群の美女のモノクロ写真をピンクの下地の上に載せたデザインが、「1960年代的なオシャレ感」に満ちている。
 
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『鉄コン筋クリート』

鉄コン筋クリート (通常版)鉄コン筋クリート (通常版)
(2007/06/27)
二宮和也蒼井優

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 ケーブルテレビで録画しておいた『鉄コン筋クリート』を観た。松本大洋の同名マンガのアニメ化。監督はアメリカ人のマイケル・アリアスだが、日本のアニメである。主題歌はアジカンの「或る街の群青」。

 これまでに見たこともないようなアニメだった。恐るべき独創性。
 松本大洋のマンガといえばこれまでに『ピンポン』や『青い春』が実写映画化されていて、私はそれぞれ好きだが、たぶん、松本ファンにとっていちばん納得のいく映画化はこれではないだろうか。

 とにかく、映像としてスゴイ。アニメーション技術的にどうこうということはよくわからないのだが、絵としての構図と動きが、旧来的な“アニメ文法”とはまったくかけ離れた感じで、すこぶる斬新。舞台となる「宝町」を、上へ下へ、右へ左へと「神の目」のごとくダイナミックに飛び回るカメラワークが快感だ。
 CGを駆使しながらも過度に無機質にならず、手描きのあたたかさを感じさせるところもよい。

 松本大洋のマンガから飛び出してきたような「不気味カワイイ」キャラクターたちが、精緻に描きこまれた無国籍タウンの中を駆け回る。キッチュな色遣いも絶妙。

 
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ジェレミー・レゲット『ピーク・オイル・パニック』

ピーク・オイル・パニック―迫る石油危機と代替エネルギーの可能性ピーク・オイル・パニック―迫る石油危機と代替エネルギーの可能性
(2006/09)
ジェレミー レゲット

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 ジェレミー・レゲット著、益岡賢ほか訳『ピーク・オイル・パニック/迫る石油危機と代替エネルギーの可能性』(作品社)読了。

 先日読んだ『地球最後のオイル・ショック』が衝撃的だったので、類書を読んでみた。こちらは英オックスフォード大学で地球科学を講じていた地質学者によるもの。とはいえ、論文臭はなく、文章は平明だ。

 『地球最後のオイル・ショック』に比べると、著者が地質学者であるだけに、ピーク・オイルのメカニズムの解説はさらに詳細になっている。石油をめぐる人類史を振り返ることにもかなり紙数が割かれており、ピーク・オイルと地球温暖化の関係についての考察もていねい。問題の全体像を鳥瞰するには、こちらのほうが好適だ。

 もう一つの特長は、『地球最後のオイル・ショック』よりも、ピーク・オイル後の未来について楽観的である点。著者はソーラー発電が人類の未来を救うと確信しており、「石油・天然ガス・石炭はすべて再生可能なエネルギーで代替可能である。しかも、ほとんどの人が考えるより短期間で達成できる」と言い切る。
 もっとも、著者は英国最大の独立系ソーラー発電企業のCEOでもあるから、その分割り引いて読まなければならないだろうが……。

 「エピローグ――青い真珠の星の未来」には、人類が石油依存と訣別して地球に優しい文明を築き上げた夢の未来が描かれている。
 また、環境活動家・田中優による日本語版解説も、オリジナルな情報を追加して、エネルギー源が自然エネルギーに切り替わり、石油紛争も水紛争もなくなった未来に期待をかける内容である。
 2つの文章を読むと、ピーク・オイルにまつわる不安が軽減され、ほっとする。
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上杉隆『ジャーナリズム崩壊』

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
(2008/07)
上杉 隆

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 上杉隆著『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書/777円)読了。
 
 ベストセラー『官邸崩壊』で知られる気鋭のジャーナリストによる、日本のジャーナリズムの現状に対する徹底批判の書である.。批判の対象となっているのはおもに大新聞と、NHKなどのテレビ・ジャーナリズム、そして記者クラブ制度。

 政界ものの仕事が多い著者だけに、本書で俎上に載るのはもっぱら政治ジャーナリズム。その意味では、田勢康弘の『政治ジャーナリズムの罪と罰』(1994年)の類書ともいえる。ただし、田勢の本よりはるかに激烈な批判、痛烈な皮肉に満ちた内容である。

 脂の乗り切った売れっ子ジャーナリストならではの「勢い」が全編にみなぎっていて、読んでいて気持ちのよい本だ。

 著者が主張していることに目新しさはない。が、随所にちりばめられた著者自身の取材裏話がたいそう面白く、それが主張に説得力を与えているし、読み物としても秀逸。
 とくに、著者が目の当たりにした大マスコミのエリート連中のゴーマンさ、センスのズレかげんを示すエピソードの数々は、ほとんど抱腹絶倒ものである。

 大学でメディア論を講じている学者が書くような机上の空論は一つもなく、すべての批判と提言にヴィヴィッドな現場感覚が満ちている。
 つい先日起きた『朝日新聞』「素粒子」による「死に神」事件についても言及されていたりして、鮮度の高い内容にしようとする意欲が感じられる点も好感。

 一点気になったのは、「主流」たる新聞・テレビ批判に力を入れるあまり、雑誌ジャーナリズムの「肩をもつ」印象が、わずかながらあるところ。
 たとえば、米『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長(著者はかつて同支局所属の記者であった)の、次のような発言が引用されている。

「日本で報道機関といえるのは、雑誌だけだろう。彼らや一部のフリーランスだけがわれわれと同じジャーナリストと認められる」



 日本の「雑誌ジャーナリズム」って、そんなにたいそうなもんかね? 週刊誌報道のほうが新聞よりよほど問題山積みだと私は思うけれど……。
 
P.S.
「ダイヤモンド・オンライン」に著者が連載しているコラム「週刊・上杉隆」も面白い。オススメ。


 
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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