『サイドカーに犬』

サイドカーに犬サイドカーに犬
(2007/12/21)
竹内結子

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 『サイドカーに犬』をケーブルテレビで鑑賞。長島有のデビュー作(文學界新人賞受賞作)を根岸吉太郎が監督した邦画である。

 原作は、私にとっては2番目に好きな長嶋作品(1番はやっぱり「猛スピードで母は」)である。その私から見ても、十分納得のいく映画化であった。
 とくに、ヒロインの竹内結子と長女・薫役の松本花奈は原作のイメージにぴったりで、絶妙のキャスティング。2人とも、演技も素晴らしかった。

 そもそも原作が地味な小説だから、当然この映画版もものすごく地味だ。名作でも傑作でもないけれど、「愛すべき小品」という趣。
 小学生の目から見た夏休みの空気感が見事に映像に焼きつけられていて、この季節に観るにふさわしい作品だ。その空気感だけで、私はこの映画を買う。

 長嶋有の「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」については、主人公が小学生であることもあって、「まるで児童文学みたいな小説」という揶揄がよくなされた。しかし私は、「児童文学みたい」であることはこの2作の短所ではなく、むしろ長所だと思う。
 長嶋有ほど「子どもの目線」を自らのものとして小説を書ける作家もめったにいないのであって、たとえば本格的な児童文学を手がけたとしても、彼ならきっといい作品を書くにちがいない。

 そういえば、長嶋の『ジャージの二人』も映画化されたそうだ。それなら「猛スピードで母は」を映画化すればよいのに……。

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デイヴィッド・ストローン『地球最後のオイルショック』

地球最後のオイルショック (新潮選書)地球最後のオイルショック (新潮選書)
(2008/05)
デイヴィッド・ストローン

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 デイヴィッド・ストローン著、高遠裕子訳『地球最後のオイルショック』(新潮選書/1575円)読了。

 『毎日新聞』の書評欄で、養老孟司が「現代人必読の書」と紹介していたので買ってみた本。
 ううむ、これはたしかに衝撃的な内容だ。『不都合な真実』よりも恐ろしい事実が、淡々とした冷静な筆致で書かれている。

 現在進行中の石油価格高騰のホントの理由も、米国が無理やり理由をこじつけてイラクに侵攻したホントの理由も、この本でわかる。久々に、読後に「世界の見方が変わる」感覚を味わった。

 本のカバーに書かれた紹介文を引用する。

 マイカーを手放し、ジェット機に乗れない日を、想像できますか?
 2010年代、世界の石油は枯渇に向かいはじめ、もう二度と増産はできない。ピーク・アウトを越して何の対策も講じなければ、その衝撃はサブプライム問題の比ではない。世界中で株価は暴落し、物価は高騰し、失業者は激増、アメリカ型経済モデルは崩壊するだろう。豊富な資料と、世界の石油関係者170名あまりの取材をもとに書いた衝撃のレポート。



 「近い将来石油は枯渇する」という話なら1970年代にさんざん言われていたことだが、本書が予測する危機は石油がゼロになることではなく、「ピーク・オイル」を迎えることだ。

 「ピーク・オイル」とは、原油生産がピークを過ぎて減少に向かい、伸びつづける需要に追いつかなくなること。しかもそれは、埋蔵量がまだ半分残っている段階で訪れるという。

 石油は地中湖のような形で埋蔵されているのではなく、地下深い連結した岩の穴(孔隙)の間に閉じ込められている。油田が見つかった当初は自然の巨大な圧力によって原油は自噴してくるが、油層の圧力はしだいに弱まっていく。そして、ある時点からはまったく自噴しなくなってしまう。
 以後は、人工的に圧力を維持するしかない。少し離れた場所に別の井戸を掘って水や天然ガスを注入するなどして、原油を押し上げるのである。
 埋蔵量が減るほど圧力も減衰し、採掘コストは増え、生産量は落ちる。したがって、石油会社は採算割れした時点で油田を放棄せざるを得なくなるのだ。

 ……それが一つの油田における「ピーク・オイル」だが、やがて世界全体の「ピーク・オイル」が訪れる。世界の原油生産がピークを迎えると、以後は年率3%で生産量は減少していくと予想されている。だが、中国の急発展などもあり、世界の石油消費量は年々増えつづけているのだ。

 では、世界の「ピーク・オイル」はいつ訪れるのか? 論者によって開きはあるものの、おおむね2010年代には訪れると予測されている。もちろん、石油会社や産油国はそのことを認めようとしないのだが……。

 「ピーク・オイル」を迎え、原油価格がいまよりもさらに高騰をつづければ、「石油文明」といってもよいほど石油に依存している現代文明の根幹が大きく揺らぐ。
 英BBCのジャーナリストである著者は、2年間に及ぶ綿密な取材によって、「ピーク・オイル」(著者はそれを「ラスト・オイルショック」と表現する) が不可避であり、ごく近い将来に訪れることを論証してみせる。そして、それが現代文明にどれほどの破壊的影響をもたらすかを、豊富な論拠に基づいてつまびらかに予測する。また、各国政府や私たち一人ひとりがその日に備えてできることは何かについても、模索していく。

 もちろん、著者の主張がすべて正しいとはかぎらない。が、本書を読むかぎり、信憑性は相当に高い。これはアヤシゲな予言のたぐいではなく、第一級の調査報道である。と同時に、文明のありよう、経済のありようについての再考を読者に迫る、質の高い文明論でもある。

 「ラスト・オイルショック」が訪れたとき、人類は否応なしに石油依存との訣別を迫られる。それは長い目で見れば地球環境のために望ましい転換なのだが、温暖化の危機が即座に回避されるわけではない。太陽光発電や風力発電などではすぐに石油に取って代わることはできないし、石油不足を補うため天然ガスや石炭への依存を強めれば、石油以上に温暖化が加速されるからだ。

 著者が英国人なのでイギリスについての記述が多いが、自前の油田などなく、食糧自給率も低い日本にとって、「ラスト・オイルショック」の影響はより甚大なものになるだろう。

 マイカーがゼイタク品になり、自転車通勤があたりまえになる世界。遠い国から安価に食物を輸入できなくなり、近場でとれるものを「地産地消」して生きるしかなくなる世界。本や雑誌、CDやDVDがゼイタク品になる世界(私のようなフリーライターが生きていく余地は果たしてあるだろうか?)……。

 「ラスト・オイルショック」後の世界を想像すると不安になるが、一方では、自分の中にどこかワクワクするような気持ちがあることを否定できない。
 近い将来の温暖化危機をいくら強調されても本気になれなかった我々人類は、「ラスト・オイルショック」が眼前に訪れたとき、初めて本気で文明の方向転換に取り組めるのではないか。それが人類に激烈な「痛み」をもたらすとしても、その危機を乗り越えたときこそ、21世紀にふさわしい新たな文明が始まるのではないか。……そんな期待も感じるのである。 
 
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『クローサー』

クローサークローサー
(2004/08/04)
スー・チー

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 『クローサー』をDVDで観た。2002年の香港・米国合作映画。
 台湾のスー・チー、香港のカレン・モク、中国のヴィッキー・チャオ――アジアの人気女優3人がゴージャスに競演したアクション大作だ。
 
 『チャーリーズ・エンジェル』をもっとシリアスにして、『マトリックス』的な電脳風味(ただしSFではない)と、『シティーハンター』や『キル・ビル』のテイストも加えてみました、という感じの映画。

 ストーリーはアホくさいといえばアホくさいのだが、純度100%の娯楽映画なのだから野暮な文句は言いっこなし。めっぽう美しい3人の女優が、美脚を見せつけたりするチラリズムのサービスをちりばめつつ、全編にわたって華麗なアクションをくり広げる。それだけで「おなかいっぱい」になる作品。つかの間の娯楽としてハイクオリティーである。

 アクション・シーンがどこをとってもスタイリッシュで、見ごたえ十分。

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諸星大二郎『未来歳時記 バイオの黙示録』

未来歳時記・バイオの黙示録 (ヤングジャンプコミックス)未来歳時記・バイオの黙示録 (ヤングジャンプコミックス)
(2008/07/18)
諸星 大二郎

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 諸星大二郎の新作『未来歳時記 バイオの黙示録』(集英社/840円)を読んだ。
 諸星にとっては久々のSF。それも、手塚賞受賞の出世作「生物都市」(1974年)を彷彿とさせる、いかにも諸星らしい連作短編集である。

 核戦争後の荒廃した世界を舞台にするのはSFの定番だけれど、この連作は核ならぬ「バイオ戦争」後の世界を舞台にしている。

 半世紀前の「バイオ戦争」に際して、無差別に行なわれた遺伝子実験。それが自然界に深刻な影響を与え、あらゆる遺伝子が入り混じってしまった世界――。
 動植物にヒトの遺伝子が入り込み、人間の顔をした鳥や雑草(!)が闊歩する。一方では、体内に動植物の遺伝子が入り込んでしまった「バイオ被害者」とその子孫たちが、半人半獣の異形をさらし、「荒れ地」と呼ばれる汚染地域に暮らしている……。そんな悪夢のような世界を舞台にした、奇想あふれる短編集である。

 あの「生物都市」は、人々が機械や無機物と溶けて融合し、都市自体が一つの生命体と化してしまう世界を描いていた。それはディストピアではあるが、同時に、人類史上初めて戦争も飢餓も労働もない世界が実現したユートピアでもあった。
 同様に、この『バイオ黙示録』で描かれるのも、悪夢の世界であると同時に、極限まで進んだ遺伝子操作によって思いのままの動植物が作れる夢の世界でもある。

 ディストピアと背中合わせのユートピア。目くるめくような極彩色の悪夢――諸星大二郎にしか描けない世界が堪能できる傑作だ。

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『不良読本VoL.1』

不良読本 Vol.1 (1)不良読本 Vol.1 (1)
(2008/03)
矢作 俊彦浅田 次郎

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 『不良読本VoL.1』(講談社/1260円)読了。

 『小説現代』の別冊として編まれた、「不良」をテーマに据えたムックである。先日読んだ矢作俊彦の『傷だらけの天使/魔都に天使のハンマーを』は、このムックが初出だったのだ。
 内容は、小説とエッセイが各数編、それに、安西水丸によるマンガが一編。

 「玉石混淆」という言葉がぴたりとあてはまるムックだ。
 「玉」にあたるのは、小説では『傷だらけの天使』(これは先に単行本で読んでしまったが)と、東郷隆が江戸時代の「不良」を描いた短編「背中の助六」 。エッセイでは、浅田次郎と花村萬月のものがよかった。あと、安西水丸のマンガもなかなか。

 とくに、花村萬月のエッセイはサイコーである。
 このムック全体が「オレも昔はヤンチャやっててさあ」的な、「オジサンのロマンティシズムとしての不良」を扱っているのだが、花村は執筆陣のなかでただ一人、そこに冷水をぶっかけてみせる。“不良の世界にロマンなんかない。もっと荒涼・殺伐としている”と……。

 世間一般の方が長閑(のどか)に思い描くある種のヒーローとしての不良といった存在など私にとっては噴飯もので、チープで過剰な自尊心をもてあます鬱陶しい小物か、人の感情をもたぬ独特の超越的存在が脳裏に泛(うか)ぶばかりだ。



 このエッセイを読むと逆に、花村こそ本物の不良だったのだろうな、という印象を抱く。

 エッセイは「私の不良論」を共通テーマにしていて、ほかには椎名誠、石田衣良、山本一力が寄稿している。
 「VoL.1」と銘打つからには第2弾も考えているのかもしれないが、私は買わないと思う。『傷だらけの天使』の単行本をすでに読んだ人は、とくに読む必要のないムックである。
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庭仕事の愉しみ



 我が家はつつましいオンボロ・マンションなのだが、唯一の取り柄は東南西の三方にわりと広いベランダがあること。
 そのベランダで、先月から発作的にベランダ・ガーデニングの真似事をしている。

 何冊かベランダ・ガーデニングの入門書も読んだのだが、本格的にやろうとすると、けっこうシチメンドクサイのだね。「○○土と○○土をブレンドしてどうの」とか、「発芽までは新聞紙などで覆って直射日光を避けろ」だの……。
 本格的にやるつもりもないので、テキトーにいろいろ種を買ってきて、テキトーにプランターや鉢に土を入れて、そこに播いた。ただ、水だけは毎日マメにやっている。

 植えてあるのは、青じそ、アサガオ、ミニヒマワリ、小松菜、ラベンダーなど・・・。今朝、ようやく最初のアサガオが花開いた。なんとなくうれしい(小学生か!)。

 水をやったり、土をいじったり、植物が毎日少しずつ成長する様子を観察したり……ただそれだけのことがむしょうに愉しい。気分が安らぐ。これはきっと本能に根差した感情なのだろうな。

 で、その感情にもう少し深みを与えようと、ヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉しみ』(草思社)を購入して読書中。ヘッセの本なんて読むのは中学生のころ以来である。
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川越修ほか『分別される生命』



 川越修・鈴木晃仁編著『分別される生命――20世紀社会の医療戦略』(法政大学出版局/3675円)読了。

 同志社大学と慶應義塾大学において計14回開かれた、〈生命の比較社会史〉研究会の報告・討議に基づいた論文集。研究会に参加した医学史・医療社会史・近現代史などの研究者が、各専門分野からの論文を寄せている。

 医療と国家の関係が、いま大きな曲がり角に立っている観がある。そのことを象徴するのが、日本の医療制度改革をめぐる国民的議論であろう。医学の進歩と医療制度の充実によって平均寿命が伸びると、高齢化の進展によって医療費は増大し、国家財政を圧迫する――それは、我が国のみならず先進国が共通して抱え込んだジレンマである。

 本書は、医療制度改革をめぐる議論と直接の関係はないものの、時宜にかなった内容といえる。「医療の制度化」をめぐる比較社会史の書であるからだ。

 収められた論文は多彩だ。たとえば、明治期の日本に「看護婦」(現・看護師)が登場した歴史的過程を跡づけた論文があるかと思えば、20世紀初頭のドイツにおける「更年期」という概念をめぐる言説を検証した論文もある。
 ほかに俎上に載るのは、代替医療と通常医療の関係、精神疾患をめぐる扱いの変容など……。そうした多彩な論文を刺しつらぬく“串”となるのが、「医療の制度化」をその淵源までさかのぼって検証するという共通の視点だ。

 国家を担い手に、国民全体を対象とする医療保険が制度化されたのは20世紀初頭からである。20世紀は「医療の制度化」の世紀であり、言いかえれば医療の病院化(病人が病院へと回収されるプロセス)の世紀でもあった。
 本書の各論文は、医療の制度化・病院化の過程を、日独英の比較のもとにさまざまな角度から検証したものだ。その検証作業を通じて、「現在の私たちの生命をめぐる状況を20世紀社会の歴史の文脈に位置づける」(序章)ことが、本書の眼目である。

 たとえば、近代日本における「病床」概念の変遷を跡づけた論文がある。
 その中で、論者は現在の日本の病床政策(病床から治療機能以外の要素を排除しようとする方向性をもつ)への違和感を表明する。日本の「病床」は、歴史的に見て治療以外の機能を豊かにもつものであり、それが日本の医療の特長の一つでもあったからだ。

 各論文は直接的な政策提言を含むものではないが、医療制度の現在と未来を考えるにあたってすこぶる示唆に富む書である。
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ピーター・D・ウォード『生命と非生命のあいだ』

生命と非生命のあいだ―NASAの地球外生命研究生命と非生命のあいだ―NASAの地球外生命研究
(2008/05/24)
ピーター D.ウォード

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 ピーター・D・ウォード著、長野敬・野村尚子訳『生命と非生命のあいだ/NASAの地球外生命研究』(青土社/2730円)読了。

 邦題がよくない。『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)がベストセラーになったので、そのコバンザメを狙ったとしか思えない。
 それに、『生命と非生命のあいだ』という邦題は、かつてアイザック・アシモフの科学エッセイにも使われていたのである。『生物と無生物のあいだ』は、当然それを意識したタイトルだろう。つまり、本書の邦題は「パクリのまたパクリ」なわけだ。

 ついでに、重箱の隅つつきを一つ。
 青土社の本で前にも経験したことがあるのだが、著者と訳者の略歴を本の帯にだけ載せて、カバーにも奥付にも載せないというのはどういう了見なのか。これでは、帯なしの古書で購入したり、図書館でこの本を読んだりした読者には、著者の略歴がわからないということになる。

 ……と、内容以前の部分でケチをつけてしまったが、中身は悪くない。むしろ、かなり面白い本だった。

 著者は米ワシントン大学教授で、専門は生物学、地球・宇宙科学。新しい科学領域「宇宙生物学」の、主要人物の一人と目される研究者である。

 「宇宙生物学」というと、「宇宙人はいるのか?」というSF的なテーマに取り組む荒唐無稽な学問のように思われるかもしれない。たしかに、地球外生命の存在可能性を検討し、探査することも、宇宙生物学の柱の一つではある。だが、それだけではない。

 地球外生命の可能性を探ることは、とりもなおさず、地球の生命がどのように誕生したかという謎に迫ることでもある。
 たとえば、「生命の起源」をめぐる仮説の一つに、「最初の生命は宇宙からやってきた」とする「パンスペルミア説(宇宙播種説)」がある。地球に飛来した隕石に含まれる有機物が生命の起源となったのではないか、などとする仮説だ。この「パンスペルミア説」の正否を探ることもまた、宇宙生物学の主要テーマの一つなのである。

 そのように、宇宙生物学とは、生物学・天文学・化学・地学など、地球と宇宙を探求する諸科学を学際的に結び、「生命とは何か?」という古くからある巨大な問いに新たな角度から答えようとするものなのである。

 著者は、NASA(米国立航空宇宙局)の宇宙探査チームの一員でもある。本書は、NASAの地球外生命研究をふまえ、宇宙生物学の最先端を紹介したものである。そして同時に、我々の生命観をしたたかに揺さぶる、壮大な思考実験の書でもある。

 「何を生命とし何を非生命とするかについて、生物学の主流が現在の狭い見方からこの問題を不適切に扱ってきた」と著者は言う。
 「狭い見方」とは、地球上の生命の特徴を、生命であるための絶対条件のように思い込むことを指す。宇宙には、「化学と代謝のもっとも基本的な特質において異なる多数の生命タイプがあるに違いない」と著者は言うのだ。

 そして、どんな生命様式があり得るかが、いきいきと論じられていく。
 “太陽系のほかの惑星に、いかなる生命が存在し得るか?”、“人工生命の合成は可能か?”など、興趣尽きない問いが次々と立てられ、答えが明快に示される。それらは思考実験ではあるが、たんなる空想ではなく、最先端の研究成果をふまえた現実味のある仮説なのだ。

 宇宙生物学の視点から生命を定義し直した、哲学的な深みをもつ科学ノンフィクション。

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「サマー・ソング」ベスト20



 スチャダラパーの「サマージャム’95」の歌詞ではないが、10代のころ、夏になるとよく、お気に入りの「夏っぽい曲」ばかりを集めたテープを作ったものだった(ありがちですね)。
 では、いまの私が同じようなテープを作ったとしたら? というわけで選んでみたのが下の20曲。サザンとかチューブとか山下達郎とかは意地でも選ばないのである。           

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1位「夏なんです」(はっぴいえんど)
 トリビュート盤『HAPPY END PALADE』ではキリンジがカヴァーしていた名曲。キリンジのヴァージョンは“都市の夏”というムードに仕上がっていたけれど、名盤『風街ろまん』に収められたこの原曲は、昔ながらの田舎の夏休みという雰囲気。少年時代の夏休みの思い出が心に広がる、ノスタルジックな名曲。

2位「ポロメリア」(Cocco)
 Coccoの曲の中でも、「遺書。」や「Raining」と並ぶ屈指の名曲。ポロメリア(=プルメリア)とは花の名。曲名どおり、極彩色の花が咲き乱れる南の島の夏を思わせる、スケールの大きい曲。
「見上げれば
終わりをみたこともない
目眩を覚えるような空(あお)」
 ――リフレインのこのフレーズが、耳に焼きついて離れない。

3位「サマージャム’95」(スチャダラパー)
 ラップでこんなに抒情的な「サマー・ソング」が作れるなんて、私はこの曲を聴くまで想像だにしなかった。私がスチャダラパーに対して抱いていた偏見(=「どうせお笑いラップでしょ」)も、この1曲で吹っ飛んだ。
 これは、「夏なんです」から四半世紀近くを経て生まれた、“ジャパニーズ・サマーソング”のスタンダードだ。

4位「LADY COOL」(ルースターズ)
 ルースターズのラスト・アルバムでもある名盤『FOUR PIECES』収録の名曲。終わりゆく夏の恋を歌う歌詞が、ルースターズというバンドの終焉と二重映しになって哀切無比。間奏のギターソロの鳥肌ものの美しさなど、すべてがバシッと決まったパーフェクトな曲。花田裕之のヴォーカルはヘタだが、そのヘタさかげんすら、ここではむしろ切なさに昇華されている。

5位「ネフードの風」(パンタ&HAL)
 パンタのアルバム中、『クリスタルナハト』と並び称される名盤『マラッカ』収録の名曲。『アラビアのロレンス』をモチーフにした、男臭いサマー・ソング。ワイルドでありながらリリシズムに満ちている。
 パンタの曲ではいつものことだが、詞が素晴らしい。「つきっ放しのストロボのように/まばたきを忘れた空」――最初のフレーズでもうノックアウトだ。
 この『マラッカ』にはほかにも、ロックと演歌とレゲエのスピリットが奇跡のバランスで融合した「つれなのふりや」や、故マーク・ボランに捧げた美しいバラード「極楽鳥」など、夏っぽい名曲多し。

6位「サマー・ナーヴス」(坂本龍一&カクトウギ・セッション)
 坂本龍一がYMO在籍中に作った、テクノ&フュージョン風味のセッション・アルバムの、タイトル・ナンバー。このアルバム全体が夏っぽいテイストで作られていたが、とくに、オープニングを飾ったこの曲は三重丸のサマー・ソング。坂本のヘタクソなヴォーカルも、むしろかわいらしい。

7位「陽炎」(フジファブリック)
 2009年末に惜しくも早世したバンドのフロントマン、志村正彦の才気が輝きわたる名曲。
 ふと、子どものころの夏休みを回想し、胸をしめつけられる青年(いや、中年かもしれないが)。その心象を描きつつ、夏の思い出のみならず、「これまでに失ったものすべて」すら思い出させる。甘やかな喪失感に満ちた名品。

8位「いいあんべえ」(ザ・ブーム)
 「島唄」ももちろん素晴らしい曲だけど、こちらのほうが私好み。歌詞はすべてウチナーグチ(沖縄の言葉)なのに、島唄のたんなる模倣に終わらず、見事に「ザ・ブームの曲」になっている。これぞまさに日本産ワールド・ミュージック。

9位「夕なぎ」(ナーヴ・カッツェ)
 ポリスを彷彿とさせる緻密なアンサンブルで目利きを唸らせた、女性ばかりのロック・トリオ「ナーヴ・カッツェ」。そのファースト・アルバム『OyZaC』(1987)に収められた曲。夏の夕暮れに吹く一陣の風のように涼やかな名曲である
 このナーヴ・カッツェ、いま聴いてもスゴイ。なにしろ、ポリスばりのタイトな演奏なのに、ヴォーカルとコーラスは透き通るような美しい女声なのだからたまらない。その落差にしびれる。

10位「夏色の服」(大貫妙子)
 大貫妙子にも夏に似合う名曲は多い。名盤『ロマンティーク』(私はこれがいちばん好き)はアルバム全体が見事なサマー・ミュージックになっていたし、「夏に恋する女たち」なんてヒット曲もあった。あ、「幻惑」や「海と少年」も夏に合うなあ。
 でも、1曲選ぶとしたら、『クリシェ』収録のこの曲。「よく似合うと買ってくれた夏色の服を/今年もひとりで抱きしめてしまう」という切ない歌詞をもつトーチ・ソング(失恋・片思いの歌)の傑作。



11位「8月のセレナーデ」(スガシカオ)
 よく聴いてみれば、この曲の歌詞には夏を連想させる言葉はただの一つも出てこない。にもかかわらず、タイトルとメロディー、アレンジだけで、見事に夏を表現している。たとえばイントロのギターは川のせせらぎを思わせるし、コーラスや間奏のピアノは夏の風と光をイメージさせる。その繊細な表現力に脱帽。
 スガシカオにはほかにも、「夕立ち」「ぬれた靴」など、けだるい真夏の夜を思わせる佳曲がある。

12位「ファム・ファタール~妖婦」(細野晴臣)
 細野晴臣がYMO結成直前に発表した名盤『はらいそ』の収録曲。一見トロピカル・ミュージックのようでいて、熱帯の夏というよりは“異界の夏”という趣の幻想味を漂わせる傑作。

13位「夏の光に」(やまがたすみこ)
 1976年のアルバム『サマー・シェイド』に収録された、「和製ボサノヴァの到達点」ともいうべき1曲。鈴を鳴らすような声の澄み切ったヴォーカルが素晴らしい。「J-POP史上最高の美声」の持ち主はやまがたすみこだと思う。

14位「愛を求めて」(ネッド・ドヒニー)
 ネッド・ドヒニーが1976年に発表した『ハード・キャンディ』は、私にとっては洋楽最高のサマー・アルバムだ。これほど夏に似合う曲満載のアルバムはほかにない。
 夏に似合うアメリカン・ポップスというと馬鹿明るいだけの能天気な曲を思い浮かべる人が多いだろうが、このアルバムはさわやかさと切なさと透明感を併せ持った絶品である。アコースティックなフォーク色と洗練されたソウル・フィーリングの見事な融合。この「愛を求めて(EACH TIME YOU PRAY)」のほかにも、いい曲がいっぱい。

15位「砂の女」(鈴木茂)
 元はっぴいえんどのギタリスト・鈴木がアメリカに渡り、向こうの一流スタジオ・ミュージシャンたちと互角に渡り合った名盤『バンド・ワゴン』のオープニング曲。安部公房の「砂の女」とは関係ない(たぶん)。乾いた夏の風が吹き抜けていくような「シティー・ポップ」の逸品。このアルバムにはほかにも、「微熱少年」などサマー・ソングの名曲が。

16位「ドラゴンフライ・サマー」(マイケル・フランクス)
 マイケル・フランクスの曲にも、夏に似合うものが多い。『タイガー・イン・ザ・レイン』のタイトル・ナンバーは雷が過ぎさったあとの切なさにぴったりだし、名盤『スリーピング・ジプシー』や『ブルー・パシフィック』は丸ごとサマー・ミュージックの逸品だ。
 でも、あえて1曲選ぶとしたら、タイトルに「夏」が織り込まれたこれ。同名アルバムのタイトル・ナンバーで、夢幻的で上品、かつ切ない。ちなみに、「ドラゴンフライ」とはとんぼのこと。

17位「海辺のワインディング・ロード」(矢野顕子)
 矢野顕子のピアノ弾き語りカヴァー集はいまのところ4作あって、そのうち『Home Girl Journey』は、いちばん夏っぽい曲を集めたアルバムになっている。小室等の「赤いクーペ」、槙原敬之の「雷が鳴る前に」などなど。とりわけ、忌野清志郎のカヴァーであるこの曲の清冽さ・切なさといったら……。

18位「ENDLESS SUMMER NUDE」(真心ブラザーズ)
 1995年発表の「サマーヌード」をリアレンジした、97年発表作品。元曲よりもこちらのほうが格段にカッコイイ。パワフルなのにオシャレで、明るいのに切ない曲。市川準監督の映画『大阪物語』の中でこの曲が印象的に使われており、そのシーンも忘れがたい。

19位「夏の初めのイメージ」(笠井紀美子)
 日本の女性ジャズ・シンガーの草分けの1人・笠井紀美子が1977年に発表したアルバム『TOKYO SPECIAL』の1曲。
 作詞は安井かずみ、作曲は筒美京平で、俗なアレンジを施したらただの歌謡曲になってしまうところ。それが、鈴木宏昌の洗練されたアレンジによって、「東京湾岸ボッサ」という趣の涼やかで上品な佳曲に仕上がっている。

20位「ハイヌミカゼ」(元ちとせ)
 元ちとせのデビュー・アルバムのタイトル・ナンバー。「南からの聖なる風」を意味するタイトルのイメージそのままの曲。
 吹き渡る夏の風をイメージさせる馬頭琴の音色が印象的。ふつうのストリングスではなく、あえて馬頭琴を用いた作り手のセンスが素晴らしい。

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20余年ぶりの健康診断


 ここ1、2ヶ月微妙に体調がすぐれず、先日は立ちくらみで倒れたりしたものだから、先週病院に行ってきた。
 血液検査、尿検査、レントゲンに血圧測定など。要は最低限の健康診断のようなものだ。

 これを言うと人から呆れられるだろうが、私はフリーになって以来20余年、ただの一度も健康診断というものを受けたことがなかった。
 会社員とはちがって定期検診もないし、多少体調が悪くても、「ヘタに医者にかかって深刻な病気でも見つかったら、目の前の仕事ができなくなってたいへんなことになるから……」などと考えて、つい二の足を踏んでしまうのだった(本末転倒ですな。病気になるほうが「たいへんなこと」なのに)。

 そんなわけで、20年以上もいわば「放置」していた身体なので、どこかにガタがきていても仕方ないな、とある程度覚悟していた。

 で、今日その結果が出たのだが……。血圧がやや高めなだけで、ほぼ異常なしだった。拍子抜けした。

 以上、みなさんにはなんの関係もない、自分用のメモ。
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矢作俊彦『傷だらけの天使』

傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを
(2008/06/20)
矢作 俊彦

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 矢作俊彦著『傷だらけの天使/魔都に天使のハンマーを』(講談社/1785円)読了。
 1970年代の伝説のテレビドラマ「傷天」の「続編」を、矢作俊彦が小説の形で手がけた話題作。
 「傷天」はネオ・ハードボイルド(ヴェトナム戦争以後に登場した、「カッコ悪さすれすれのカッコよさ」をもつハードボイルド小説)の影響が濃いドラマだったから、矢作がノヴェライズを手がけたことは納得できる。
 「傷天」にリアルタイムでハマった世代であり、なおかつ矢作ファンでもある私にとっては、読まずにはいられなかった作品。


↑この本のカバーにも使われている、「傷天」の伝説的なオープニング。私はずっと、映画『動く標的』のオープニング(ポール・ニューマン演ずる私立探偵がベッドから起き上がる場面で始まる)を意識したものだと思っていたのだが、じつはイタリア映画『最後の晩餐』が元ネタなのだそうだ。最近ショーケンがそう明かしていた。

 ドラマの最終話から30余年後の「いま」を描く物語。ドラマではショーケンが演じた主人公・木暮修は、50代のホームレスとなって登場する(修が「ホームレスじゃねえ。宿無しだ」と言い張るあたりがいかにもでよい)。
 相棒の亨(アキラ=水谷豊)はもちろんすでにこの世にないが、岸田今日子が演じた綾部貴子も、岸田森が演じた辰巳も、さらには修の息子・健太も登場する。

 修のホームレス仲間が、何者かに襲われ殺される事件が起きる。襲った連中は、最初に「コグレオサムか?」と問いかけたという。彼は修と間違えられて殺されたのだ。
 なぜ自分が狙われたのか? その謎を追って、修は30年ぶりに新宿の街に舞い戻る――。

 ……と、そのように、ハードボイルド・ミステリの体裁をとった物語。骨子だけ見ると『テロリストのパラソル』(藤原伊織)みたいだが、実際に読んでみると、むしろ矢作の『ららら科學の子』に近い。

 『ららら科學の子』は、殺人未遂事件を犯して中国農村部に「身をかわした」主人公が、30年ぶりに日本に戻ってくる物語だった。彼にとって日本の「いま」は見るもの聞くものすべてが物珍しいという、一種の「タイムスリップもの」であった。
 同様に、世間からドロップアウトして暮らしてきた修にとって、30年ぶりの新宿は異世界なのである。矢作は、『ららら科學の子』で用いた方法論を本作にも援用したわけだ。

 この小説は、ハードボイルド・ミステリとしてはかなり粗削り。途中の展開にはご都合主義なところも散見される。矢作としては7割程度の力で書いた感じ。

 しかしそれでも、「傷天」ファンにしかわからないくすぐりが至る所に仕掛けられているので、かつて「傷天」にハマッた者にとってはたまらなく面白い。とくに、ラストは泣ける。

 逆に言うと、「傷天」を知らない人がたんに娯楽小説として読んでも、全然面白くないと思う。単行本の帯には「ドラマを知らずとも一気に世界に入り込める、圧倒的エンターテインメント」とあるが、これはちょっと誇大広告。

 
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竹中労『無頼の点鬼簿』

無頼の点鬼簿 (ちくま文庫 た 20-7)無頼の点鬼簿 (ちくま文庫 た 20-7)
(2007/09/10)
竹中 労

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 竹中労著『無頼の点鬼簿』(ちくま文庫/672円)読了。

 文庫オリジナルで昨年刊行された、竹中労による追悼文集。
 先日も『聞書 庶民烈伝』が復刊されたし、竹中労再評価の機運が高まっているのだろうか。私としては、長らく絶版のままで古書で高値がついている名著『仮面を剥ぐ』を、ちくまで文庫化してほしいところ。

 『無頼の点鬼簿』というタイトルがカッコイイ(「点鬼簿」とは過去帳のこと)。
 内容は、たんなる追悼文集というより、追悼にからめて時代を斬り、己が覚悟を語る、いつもの「竹中節」である。

 かつて竹中自身が出色のルポルタージュをものした美空ひばりや嵐勘寿郎への追悼文は、さすがに味わい深い。
 また、三島由紀夫、梶山季之、大藪春彦(※注)への追悼文は、いずれも竹中労にしか書き得ない文章で、やはり高い価値をもつものと思う。

※大藪についての文章のみ、彼の存命中に書かれたもの。そもそも、竹中のほうが先に世を去っているのだ。その旨、編者から一言但し書きを添えてしかるべきだったと思う。まぎらわしい

  
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クレイジーケンバンド『ZERO』

ZEROZERO
(2008/08/13)
クレイジーケンバンドFull Of Harmony × ISO from I.S.O.P.

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  クレイジーケンバンドのニューアルバム『ZERO』(アーモンドアイズ/3150円)を、サンプル盤を送ってもらって聴く。8月13日発売。

 10枚目の節目となるアルバム。それにあえて『ZERO』というタイトルを冠したのは、「節目を機に、原点に戻る」という意志のあらわれだろうか。
 ジャケット・デザインも、黒地に大きなピンクの丸がドーンと印刷されただけのシンプルきわまるもの。ピンクの丸が「0(ゼロ)」を表わしているのだろう。

 夏に発表されることが多いため、「日本の夏の風物詩」ともいわれるCKBの新作だが、今作も思いきり“夏仕様”の内容である。うだるように暑い夏の夜、オープンカーで街を流したときに感じるさわやかな風……という趣のゴキゲンな曲がずらりと並んでいる(けっして「青空の下、リゾート地を走る」というたぐいのさわやかさではない。CKBは「夜の音楽」「街の音楽」だから)。

 一時期、CKBはよく「昭和歌謡」というくくりで語られた。だが実際には、「昭和歌謡」的な要素はCKBの一面でしかない。彼らの音楽は、ソウル、ロックンロール、オールディーズ、歌謡曲、ファンク、ブルース、ジャズ、ラテンなどを貪欲に取り込み、各ジャンルから「粋」と「男前」にあたる要素を抽出して編み上げたミクスチャーなのである。

 本作もしかり。一つのジャンルにくくることが不可能な多彩な楽曲が並んでいるが、横山剣の男臭いヴォーカルが全体に統一感を与える“手綱”となっている。

 横山剣のメロディー・メイカーとしての才、歌詞の中に豊かな物語性をもたせる才にはかねてより定評があったが、本作ではそれがいっそう高いレベルで開花している。10枚目の節目を飾るにふさわしい力作。極彩色の音楽エンタテインメントである。 イイネ!
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BOOK勘


 最近、意識して週に一度は書店に行くようにしている。
 大きすぎず小さすぎない中規模書店(うちの地元でいうとオリオン書房)を、30分くらいかけてざっと見て回るのである。
 書店を観測ポイントとした、「出版業界の定点観測」のようなものだ。

 ここ数年、ネット書店で本を買う機会が圧倒的に多くなって、リアル書店に行く機会が激減した。その結果、「本に対する勘」のようなものが著しく鈍ったという実感がある。

 本に対する勘――いわば「BOOK勘」――とは、書店で「お、この本は売れそうだな」というニオイや、自分にとって有益な本のニオイを嗅ぎ分ける勘である。ライターにとっては、仕事の能力にも直結するたいせつな勘といえる。

 ネット書店が存在せず、日常的にリアル書店に行っていた時代には、いまよりもずっとそうした勘が働いた。「ピーン!」ときたものだ。
 ただなんとなく書店の中を見て回る間にも、脳内では膨大な量の情報が処理されていて、そのくり返しによっておのずと「BOOK勘」が醸成されていたのであろう。「勘」というのも、要は「意識下の情報処理の結果、引き出された回答」なのだろうから……。

 で、そうした「BOOK勘」を少しでも取り戻そうと、週一の本屋通いを自らに課したというわけである。

 ……と、ここまで書いてふと思いついたのだが、「ひきこもり」が長くなって人に会わない期間が長引くと、他人に対する勘(いい人か悪い人かなどを直観で判定する力)はやはり著しく減退するのではないか。
 そう考えると、会社員に比べれば人と会う機会が少ない我々在宅フリーランサーは、そうした「人物勘」がかなり鈍っているのかもしれない。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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