「孤独」をめぐる世代間ギャップ |
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2008-06-30 Mon 10:38
秋葉原事件についてのネット言論の中で、管見の範囲でいちばん「なるほど」と膝を打ったのが、いつも読んでいる「★電脳ポトラッチ」さんの「『真の愛の実現』という妄想 〜 秋葉原殺傷事件に思うこと」というエントリである。
加藤智大の例の携帯サイトへの書き込みから、彼の歪んだ心理を見事に分析。マスコミに登場する有名心理学者のご託宣よりも、よほど説得力がある。 無料のウェブでこういうレベルの考察が読めるのだから、そりゃあ雑誌や新聞は売れなくなるだろう。くわしくはリンク先を一読されたい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私自身が秋葉原事件で痛感したのは、「孤独」をめぐるジェネレーション・ギャップである。いまどきの若者にとって、「孤独」がこれほどまでに重い不幸になっているとは知らなかった。そのことに驚いたのだ。 殺人者・加藤を「いまどきの若者」の典型のように言うと反発もあろうが、「彼女がいないという一点で人生崩壊」と心に思うまでの段階なら、多くの「非モテ」系若者が共有しているのではないか。 彼女がいない孤独な若者はいまも昔も同じくらいたくさんいただろうが、昔はそのことが「人生崩壊」というほど重い不幸ではなかったと思う。 それどころか、ある意味で「孤独であること」はカッコイイことであり、「孤独」がホメ言葉である時代さえあったのだ。そんなに昔の話ではなくて、1970年代まではそうだったように思う。私は1970年代の空気というものをその片鱗だけは身で知っているから、実感としてそう思う。 たとえば、ある時期まで、日本の青春映画の主人公はその多くが眉間にシワ寄せて深刻ヅラした孤独な青年であり、孤独であることはカッコイイことだったのだ(ATG映画を観よ)。 またたとえば、谷川俊太郎の第一詩集は周知のとおり『二十億光年の孤独』(1952年)であったけれど、刊行当時、世の文学青年たちはあのタイトルを「カッコイイ!」と感じたに違いないのだ(「孤独」=「非モテ」ではないにしろ)。 「孤独」がネガティヴな意味合いしか持たなくなったのは、あの軽薄な1980年代以降のことだ。 「孤独な青年」は、1970年代までは「孤高」というニュアンスを孕む存在だったが、80年代以降はただの「ネクラ」となり、蔑むべき存在となった。 そして、それ以後に生まれたのが加藤たちの世代であり、その一点で、私と加藤の間には超えがたい「感性の壁」がある。 加藤智大は、軽薄な1980年代文化が産み落とした「鬼っ子」とも言える。 もっとも、そんなふうに考えるのは、世代というより私個人の「孤独を苦痛と感じない」パーソナリティーゆえかもしれない。 私は、少年時代からいまに至るまで、1人ですごすことがあまり苦痛ではない。いまは妻子もいるから一言も口をきかない日はないが、かりに誰とも口をきかなくても、一ヶ月や二ヶ月なら余裕で平気だ。「1人でいる時間」はすこぶる豊かであるから。 まあ、そういう人間だからこそ、フリーの物書きなどという「孤独な日がデフォルト」の職業を選んだわけである。 加藤も、1人の時間をゲームをしてすごすより、文学を濫読すればよかったのに……。文学は毒にもなるが薬にもなる。とくに、孤独な若者にとっては文学こそ最高の「薬」だと思う。 あるいは、ヘンリー・ダーガーのように、他人に見せることを前提としない創作によって「自分だけの王国」を作ればよかったのに……。 そうして「孤独の豊かさ」を実感できれば、殺人になど走らなかったのではないか。 |
いしかわじゅん『漫画ノート』 |
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2008-06-29 Sun 16:09
いしかわじゅん著『漫画ノート』(バジリコ/2100円)読了。 マンガ評論の名著の一つ『漫画の時間』の著者であるいしかわじゅんが、12年ぶりに上梓したマンガ評論集。前作よりも150ページほど分厚くなって、ボリューム満点(2段組440ページ超)の一冊。 ただし、内容は『漫画の時間』より一段……いや、二段くらい落ちる印象を受けた。というのも、「評論色」が大幅に減退しているからである。 もちろん、いしかわじゅんの本業はマンガ家なのだから、私とてゴリゴリの評論を期待したわけではない。マンガ家たちとの交友話とか業界裏話を自在に織りまぜたエッセイ風の軽い文体にこそ、いしかわじゅんの持ち味があるのだし。 しかし、本書に収められた文章の多くは、あまりに身辺雑記的でありすぎるし、力を抜きすぎていると思う。 近所にマンガ家の誰それが住んでいて家族で散歩する姿をよく見かけるとか、出版社のパーティーで誰それに会ってうんぬんとか、どーでもいい内輪話の比率が高すぎるのだ。 『漫画の時間』には、思わず膝を打つ鋭い指摘、実作者ならではの深いマンガの読み方がちりばめられていた。本書には、そうした鋭さ・深さがほとんどない。 まあ、それでも、マンガ好きにとってはそこそこ愉しめる本ではあるのだが……。 |
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『ぐるりのこと。』 |
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2008-06-28 Sat 11:57
渋谷のシネマライズで『ぐるりのこと。』を観た。
公式サイト→ http://www.gururinokoto.jp/ いまや夏川結衣、南果歩、麻生久美子を抜いて「日本一の薄幸顔美人」の座に輝いた(私の中で)木村多江の映画初主演作。 彼女が演じるのは、赤ん坊を喪った悲しみからうつ病になってしまう妻。ううむ、一世一代のハマリ役ですな。 絶対観たいと思って前売り券を買っておいた映画。期待を上回る素晴らしい作品だった。 木村多江は小さな出版社の編集者で、夫のリリー・フランキーは法廷画家。編集の現場とか法廷の雰囲気とかが、すこぶるリアル。登場するマスコミ人すべてに血が通っている感じ。「あー、いるいる、こういう人」とうなずく場面が山ほどあるのだ。 1990年代初頭から2000年代初頭までの、10年間にわたる夫婦愛のドラマ。その背後に、夫が法廷画家として描く重大事件の被告たちの姿を通して、日本の10年間が浮き彫りにされていく。 夫婦愛のドラマといっても少しもベタベタしていないし、クサくない。淡いユーモアをちりばめて、重い題材を軽やかに描いている。重さと軽さの配合具合が絶妙。 木村多江ももちろんよかったが、それ以上に目を瞠ったのはリリー・フランキーの演技力。主演男優賞ものの名演である。 序盤とクライマックスに、かなりの長廻しで夫婦のやりとりを撮った場面が出てくる。その2つのシーンが映画全体のキモといってもよいのだが、そこでの彼の間の取り方など、もう絶品。 いやー、びっくりした。「作家の片手間仕事」の域をはるかに超えている。リリー・フランキーは画才も文才もあるうえに演技もうまいとは……。「多才」とはこういう人のためにある言葉だなあ。 ------------------------------------------- 「この映画の空気感、何かに似てるなあ」と考えていて、ふと思い当たった。高村光太郎の詩「梅酒」だ。
いうまでもなく、『智恵子抄』の中の一編。集中最も名高い「レモン哀歌」や、「東京に空が無い」の一節で知られる「あどけない話」より、私はこの詩がいちばん好きだ。 『ぐるりのこと。』は、心の病の世界から蘇生する“もう1人の智恵子”の物語なのかもしれない。夫婦が2人とも美大卒で、妻がふたたび絵筆をもつことによって癒されていくという設定も、監督が『智恵子抄』を意識していたがゆえではないか(光太郎は彫刻家でもあり、智恵子は画家だった。為念)。 「狂瀾怒濤の世界の叫」にあたるのは、映画の中で裁かれる狂った殺人者たちの姿。だが、その「狂瀾怒濤」も、夫婦の静かな絆を「犯しがたい」のだ。 |
『となりの創価学会』 |
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2008-06-27 Fri 11:18
1995年に別冊宝島の1冊として刊行された『となりの創価学会』が、文庫版となって復活した(宝島SUGOI文庫/540円)。単行本刊行後2年足らずで文庫化されるケースも多いせわしない昨今にあって、じつに13年越しの文庫化である。 私もライターの1人として参加した、思い出深い本。見本本を送ってもらったので久々に再読し、いろんな意味で時の流れを感じた。当時の担当編集長であったI氏はその後病気で亡くなられたし……。 元の本で、私は芹沢俊介氏へのインタビュー記事をまとめたり、島田裕巳氏による秋谷会長(当時)インタビューに同席して構成を担当したりしているのだが、ページ数その他の都合もあってか、それらの記事は文庫化にあたってカットされている。 ただ、私がマンガ家さんと組んで作った「イラスト学会員図鑑」という“お笑い系”のページは収録されているので、一読されたし。 自分もかかわったので自画自賛めくけれど、これはやはりいい本だ。中立的な視点から創価学会をジャーナリスティックに研究した本の先駆(その後、類書として『アエラ』の連載をまとめた『創価学会解剖』も登場したが)であり、その試みが最も成功したケースだと思う。 |
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佐川光晴『生活の設計』 |
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2008-06-26 Thu 12:26
佐川光晴著『生活の設計』(新潮社)読了。 昨日読んだ『縮んだ愛』の作者のデビュー作で、2000年の新潮新人賞受賞作。 デビュー作にしてすでに完成されていたというか、まるでベテラン作家のような落ちついた語り口。だが、その完成度はやはり短所と裏腹であって、妙に老成している印象。破綻もないかわりに、新人らしい初々しさとか、作品にみなぎるパワーといったものはあまり感じられない。 食肉処理場(作中では「屠殺場」と表記されている)で働く男が主人公。著者は実際に食肉処理場で働いていた(いる?)のだそうで、そこで働く様子の描写はじつにいきいきとしている。 いわゆる「勝負イメージ」(作品のクライマックスとして力を入れて書かれたイメージ)になっているのも、主人公が牛を屠りながら一種の“開悟”をする場面である。その場面では、牛の解体過程がなにやら「宇宙的」なまでに美しく描かれている。 食肉処理場を舞台にしながらも「サヨクっぽさ」は微塵もなく、車谷長吉的な私小説にもなっていない。淡々とした筆致で、淡々と物語は進む。 ものすごく地味な小説だが、けっこう面白く読めた。 |
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佐川光晴『縮んだ愛』 |
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2008-06-25 Wed 01:17
佐川光晴著『縮んだ愛』(講談社文庫)読了。 野間文芸新人賞受賞作にして、芥川賞候補作。 タイトルや告白体の文体は谷崎潤一郎の『痴人の愛』から借りているが、内容はまったく無関係。障害児学級を受け持つ50歳のベテラン男性教師が、元教え子の殺人未遂事件に巻き込まれる顛末を描いている。 ミステリー仕立てになっていることを知らずに読んだので、最後のどんでん返しに目がテンになった。 知的な「企み」に満ちた小説で、いかにも文芸評論家が深読みしやすそうな“フック”があちこちに仕掛けられている。 障害児教育の現場のリアルな描写にも唸る。かなり綿密に取材/リサーチして得た情報が盛り込まれているのだろうが、そうとは感じさせないほど、物語の中に自然な形で情報を溶け込ませている。 この人の小説を読むのは初めてだが、「技巧の人」という印象を受けた。作品全体がすこぶる知的で技巧的。ただし、それは長所であると同時に短所でもある。技巧が先走って「作り物感」が濃厚に漂っているのだ。 身も蓋もない言い方をすると、「テクニックだけで書いた小説」という感じ。「オレは何がなんでもこの作品を書きたかったんだ!」という熱さ・切実さがまるで感じられなかった。純文学の場合、テクニックよりもその「切実さ」のほうが重要なわけで……。 一冊しか読んでいないのにこんなことを言うのもなんだが、私は、この人は純文学よりエンタメ向きな資質の持ち主だと思う。 |
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呪詛の時代 |
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2008-06-23 Mon 11:39
いつも読んでいる内田樹さんのブログで、このエントリに強い印象を受けたので、メモ。
「『呪い』の語法」とは、言い得て妙である。 20年ほど前、岸田秀は「日本の現代は、歴史上かつてなかったほどの嫉妬とはしゃぎの時代となり、われわれはおたがいのあいだで休むひまなく嫉妬に狂い、はしゃいで目立つ競争をしているようである」と喝破した(『嫉妬の時代』)。いまや「嫉妬」などという生ぬるい段階を通り越して、互いを呪い合う「呪詛の時代」が到来したのだろうか。 「『他者が何かを失うこと』をみずからの喜びとする人間」の究極が、秋葉原事件の加藤某だろう。そして、ネットなどに「加藤の気持ちも、少しはわかる」という声が少なくないことは、いまという「呪詛の時代」の空気を象徴していよう。 「人間がほんとうに悪くなると、他人の不幸をよろこぶこと以外に、他人への関心をもたなくなってしまう」とはゲーテの言だが(『箴言と省察』)、そのような人間が「異常な速度で増殖している」のがいまの日本なのであろうか。 むろん、「増殖している」といっても統計に基づくわけではなく内田さんの直観だが、その直観は正しいように思う。 内田さんはそうした時代を生んだ背景要因として偏差値教育の弊害を挙げておられるのだが、私は、「人の不幸を売り物にする」週刊誌等のメディアの影響も大きいと思う。 |
二千花『二千花』 |
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2008-06-21 Sat 11:04
発売されたばかりの二千花(にちか)のファースト・アルバム『二千花』(よしもとアール・アンド・シー/2940円)をヘビロ中。 二千花は、ヴォーカルの宮本一粋(いっすい)とギター/キーボード/トラックメイキングの野村陽一郎の2人組ユニット。今年後半にブレイク間違いなしの逸材だと思う。私は、かつてブリリアント・グリーンが登場したときと同種の衝撃を受けた。 まず、野村の作る曲が素晴らしい。 とくに、これまでに発表された3枚の先行シングル「エーデルワイス」「Genius Party」「あたらしい水」は、いずれもとびきりの名曲だ。つづけざまに聴くとしばらく頭から離れないほど、強烈な印象を残す。3曲とも公式Myspaceでビデオクリップがフルレングス試聴できるので、ぜひ一聴されたし。 二千花・公式Myspace→ http://www.myspace.com/nichika 私がとくに気に入ったのは、「あたらしい水」。美しいピアノのアルペジオから始まって少しずつ盛り上がっていく、ホーリーな雰囲気のバラード。 「明日になれば 生まれ変われるかな」と、傷ついた者たちへの再生の祈りをこめた歌詞もよい。 「キミを傷つけるものたちの眠っている屋根にも/星は降るよ」というフレーズは、矢野顕子の名曲「ごはんができたよ」の、「義なる者の上にも不義なる者の上にも 静かに夜は来る みんなの上に来る」という一節を彷彿とさせる。 「赦し」と「蘇生」を謳いあげた曲。 宮本一粋のヴォーカルも素晴らしい。 YUKIのヴォーカル・スタイルからの影響を感じるが、YUKIよりももっと透明感のある声。コケティッシュであると同時に、スケールの大きさももったヴォーカル。一見さりげない歌い方だが、細部の表現力は新人離れしている。 2人のルックスも非常にカッコイイ。 宮本一粋はモデルかアイドル並みの“お人形系美女”だし、野村は浅野忠信と松田龍平を足して二で割ったようなイマ風のイケメン。 うーん、これは売れるでしょう。 |
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小玉ユキ『Beautiful Sunset』 |
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2008-06-20 Fri 11:09
丸山健二の最新長編『日と月と刀』(文藝春秋)を、上巻の半分くらい読んで挫折。 「室町時代を舞台にした著者初の歴史小説」と聞いて興味を抱き、「久々に丸山作品を読んでみようか」と思ったのだが、やっぱりダメだ。私にとって、丸山はもう遠くへ行ってしまった。『千日の瑠璃』以前のドライな文体が懐かしい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 小玉ユキの『Beautiful Sunset』(フラワーコミックス)を読んだ。先日読んだ『マンゴーの涙』につづく、初期短編集の第2弾である。 カバー絵が素晴らしい。書店でじっくり手にとって見てほしいのだが、イラスト作品として完成されている。小玉ユキは、「空気感」まで絵の中に表現できる稀有な描き手だと思う。 幻のデビュー作「柘榴(ざくろ)」も含む本書は、『マンゴーの涙』よりもさらに古い最初期の作品を集めている。 だが、意外なことに、『マンゴーの涙』よりもこちらのほうが粒揃いな印象。 表題作の「Beautiful Sunset」は、女子中学生が教師に寄せる淡い思慕を描いた中編。 ありきたりこのうえない題材ではあるが、これがなかなかのものだった。随所に非凡な描写やセリフがあって、誰の真似でもない「小玉ユキらしさ」の片鱗がすでに見えるのだ。 |
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the band apart『Adze of penguin』ほか |
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2008-06-19 Thu 00:57
最近気に入ってます、「the band apart(ザ・バンド・アパート)」。日本の4人組ロック・バンドである。 5月に出た最新アルバム『Adze of penguin』と、前作にあたる『alfred and cavity』を購入してヘビロ中。 初めて聴いたとき、日本のバンドだとは思わなかった。歌詞はすべて英語だし、音があまりに垢抜けていて日本人離れしていたから。 バンアパ(と略すのだそうだ)の音は、すこぶるクールでオシャレなロック。 「オシャレなロック」といってもAORっぽいのではなく、先鋭的ないまどきのポストロックである。 ジャズ/フュージョン、ソウル、ファンクなど、幅広い音楽の要素を取り込んで編み上げられた、きわめて独創的で知的なロック。 演奏はソリッドでテクニカル、曲構成は緻密で複雑。にもかかわらず少しも難解ではなく、どの曲もキャッチーでポップ。涼しげな美メロと、ポール・ウェラーをもっと甘くしたようなヴォーカルが耳に心地よい。 ■バンアパらしい曲を「You Tube」からセレクト。ビデオ・クリップの「金のかかってない感じ」がなんとも。 「Still awake」 「I love you Wasted junks & Greens」 「katana」 「Moonlight Stepper」
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『僕らのミライへ逆回転』 |
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2008-06-17 Tue 22:39
渋谷のショウゲート試写室で、『僕らのミライへ逆回転』の試写を観た。晩夏公開予定のアメリカ映画。 公式サイト→ http://www.gyakukaiten.jp/ 原題は「BE KIND REWIND」(=「巻き戻してご返却ください」の意)。 少し前に町山智浩氏がブログで紹介しているのを読んで、「おお、これはメチャメチャ面白そうだ!」と試写を楽しみにしていた映画である。 ジャック・ブラック主演のコメディで、監督は『エターナル・サンシャイン』のミシェル・ゴンドリー。この組み合わせだけでもワクワクするではないか。 ニュージャージーの古びたレンタルビデオ屋「BE KIND REWIND」が舞台。このDVD時代にVHSのビデオしか置いていない、冴えない店だ。 店の店員マイクを演じるのがモス・デフ(ラッパー兼俳優)で、その幼なじみのトラブル・メーカー、ジェリーがジャック・ブラック。 ある日、発電所で感電して身体に強力な磁気を帯びたジェリーが、店のビデオをすべて消去してしまうという事件が起きる。 2人はその窮地をしのぐため、とんでもない弥縫策を考える。消えてしまった旧作・名作を、自作自演で“リメイク”してビデオに収め、それをレンタルすることにしたのだ。 2人が“主演”するチープな手作りリメイク映画は、意外にも常連客にバカウケ。口コミで評判を呼び、寂れた店は時ならぬ大繁盛、客が長蛇の列をなす。 だが、こすっからいハリウッドのビジネスマンが噂を聞きつけ、著作権侵害を理由に手作りビデオの廃棄と巨額の損害賠償を求めてくる。その新たな窮地を乗り越えるため、2人が考えた打開策とは……。 ……と、いうような映画。ダンボールや稚拙なイラストなどの手作りSFXを駆使した「リメイク」のプロセスが、馬鹿馬鹿しくもおかしい。 町山氏が紹介していた裏話によれば、ゴンドリーはこの映画の中で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も“リメイク”させる予定だったが、監督のロバート・ゼメキスに許可をもらえなかったのだという。 ハハア、なるほど。『僕らのミライへ逆回転』という邦題には、そのことへの皮肉が隠されているわけか。「わかる人にだけわかる」隠し味にニヤリ。 ジャック・ブラック主演のコメディとしては、あの傑作『スクール・オブ・ロック』に勝るとも劣らない出来だ。 この映画をアメリカ人の二線級が監督したなら、『ナッティ・プロフェッサー』みたいなたんなるB級「おバカ映画」に終わったことだろう。 だが、そこはフランス出身の鬼才ゴンドリーのこと、そんな単純な作品にはしない。「おバカ映画」としても十分楽しめる一方で、二重三重の深みを用意しているのだ。 ネタバレになるので詳述できないが、終盤に自然な転調があって、ラストはなんと感涙の大団円を迎える。そして、そのラストから改めて映画全体を振り返ったとき、ジェリーとマイクが悪戦苦闘して手作りリメイクをしていく過程の数々が、新たな輝きをもって観る者の心に迫ってくる。 これは、かつてない角度から作られた「メタ映画」(映画作りそのものをテーマにした映画)であり、「映画本来の楽しさとは何か?」を観客に問いかける作品なのである。 「メタ映画」というとゴダールの小難しい作品などがまず思い浮かぶが、この映画はそれをB級コメディの形式でやったところが斬新だ。 「映画への愛」を通奏低音とした、愛すべきおバカ映画。 くわえて、ジャズ・ピアニストのファッツ・ウォーラーがストーリーの重要な鍵となるため、「音楽への愛」にも満ちている。音楽にも造詣の深いゴンドリーの映画らしく、サントラの選曲も抜群のセンス。 |
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『雨あがる』 |
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2008-06-14 Sat 10:33
ケーブルテレビで録っておいた『雨あがる』を観た。8年ほど前の映画だが、初見。 黒澤明の遺稿脚本を、長年黒澤の助監督をつとめた小泉堯史が映画化した作品。小泉の監督デビュー作でもある。 この監督の映画は、第2作『阿弥陀堂だより』を以前観たことがある。なんともかったるいスローテンポの映画で、辟易したものだ。重厚な絵づくりなどは「さすが黒澤組」という感じなのだが、いかんせん、テンポが生理的に合わない。 本作もしかり。ノロノロしたテンポで映画が進むので、1.5倍速くらいで早送りして観たくなる。 とくに、前半の安宿での同宿者たちの宴会の場面とか、長すぎると思う。 でも、テンポののろさという瑕疵(監督は瑕疵だと思っていないだろうけど。生理的に合わない私にとっては瑕疵)を除けば、なかなかよい映画である。 主演の寺尾聰やその妻役・宮崎美子、ワンシーンだけ登場する剣豪役・仲代達也のさすがの存在感など、役者たちの好演が光る。また、山や川など、どうということのない日本の自然が、目を瞠るほど美しく撮られている。 宮崎の役柄は、まるで「山内一豊の妻」のよう。古き佳き日本女性の美徳を一身に体現したようなキャラクターは、現代の男たちにとってはファンタジーですな。 |
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佐藤治彦ほか『使い捨て店長』 |
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2008-06-13 Fri 00:54
佐藤治彦編著『使い捨て店長』(洋泉社新書/780円)読了。 ファミレス、コンビニ、ファストフード店、居酒屋、外国語学校など、各種チェーン店舗の「店長」がいかに過酷な労働環境にあるかを、さまざまな角度から浮き彫りにした本である。 書名も強烈だが、章タイトルも「現代の奴隷制度=『雇われ店長』」などと刺激的だ。 読んでみると、「奴隷制度」という表現がけっして大げさには思えなくなってくる。社員店長もオーナー店長も、それぞれに悲惨なのだ。 たとえば、某大手コンビニのオーナー店長の場合、店の利益の半分(!)がチェーン店本部のロイヤリティとしてもっていかれるという。ぼったくりである。 しかも、オーナー店長になるための契約期間は10年と設定されており、オープン3年未満で店長をやめた場合、一ヶ月分の粗利益にあたる「違約金」を払わなければならない。オープンしてから「話が違う」と思っても、すぐには辞められない仕組みになっているのだ。 また、コンビニ1店舗あたりの万引き被害は年間100万円程度にのぼるが、その穴埋めは店長の負担となるという(コンビニ店長が万引き犯を暴行して死に至らしめた事件があったが、その怒りもわからぬではない)。 本書の目次の小見出しからいくつか引いてみる。 「辞めることすら叶わないフランチャイズ店長」 「管理職の概念に見合う『管理監督者』は半数以下であるこの国の実態」 「時給444円のハンバーガーショップ店長」 「高校生のアルバイトより低い時給で働く店長」 「真っ先に削られる人件費」 「経営側と一体になれない『激安労働力』としてのチェーン店長」 「このままじゃ会社に殺される」 うーむ、本書をネタ本にして、『闇金ウシジマくん』「店長くん」編が作れそうだ。 「ハケン」の労働環境もたしかに過酷だが、正社員や店舗オーナーになれば即座に明るい未来が開けるわけでもない(あたりまえだけど)、と現実の厳しさを教えてくれる本。こういう本こそ高校生・大学生に読ませるべきだと思う。 |
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『絆 -きずな-』 |
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2008-06-12 Thu 11:20
ケーブルテレビで『絆 -きずな-』を観た。1998年の邦画。白川道の小説『海は涸いていた』の映画化。 一言で言えば、“ハードボイルド版『砂の器』”である。 わけあっていまは他人として暮らす妹の幸福を守るため、命を捨てようとする主人公のヤクザが役所広司。彼の過去を探り、真実に迫っていく刑事に渡辺謙。2大スターの競演が見物で、それぞれ渋い好演を見せる。 とくに役所広司は、サラリーマンを演じるときとは目つきから歩き方まですべて変えて臨んでおり(プロなら当然だが)、ちゃんと「過去をもつヤクザ」に見える。何の役をやっても同じような演技しかできない若手俳優には、こうした細かい役作りを見習ってほしいところ。 悪くはない映画だが、ところどころのセリフや演出がクサイ。もう、鼻が曲がりそうにクサイ。 たとえば、役所が「人間にしかできないことが二つある。夢を見ることと祈ることだ」なんてクサいセリフを麻生祐未に吐いて、窓の外を見つめちゃったりするのである。 脚本は荒井晴彦で、ふだんのこの人はこの種のクサさから遠い人だと思うのだけれど。 それと、これは意図的なものだろうが、全体に1970年代の匂いがふんぷんと……。つまり、クサイうえに古臭い。その二重のクサさを受け入れられれば感動できる映画。 |
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『きみの友だち』 |
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2008-06-10 Tue 08:04
昨日は、渋谷のショウゲート試写室で『きみの友だち』の試写を観た。7月公開の邦画。重松清の同名小説の映画化である。 公式サイト→ http://www.cinemacafe.net/official/kimi-tomo/ すぐそばの席に俳優の浅野忠信が座って、ビックリ。通常、芸能人は一般マスコミ向けの小さな試写にはあまりこないものだから。 浅野忠信は、近くにいた知り合いに腰を深く折ってていねいにあいさつしていて、好印象。意外に腰の低い人なのだな。 映画は、タイトルが示すとおり、友情をテーマに据えた青春群像劇である。 少女たち、少年たちの友情をめぐるいくつかのドラマがつめこまれている。中心となるのは、2人の少女の友情物語だ。 そのうちの一人・恵美(石橋杏奈)は、小学生時代の交通事故のせいで足が不自由。もう一人の由香(北浦愛)は難病を抱えており、少しずつ死に近づいていく。互いの孤独に共鳴し合うように2人は友達になり、由香が世を去るまでの5年間で強い友情の絆を育んでいく。 自分の命が短いことを悟っていた由香が、恵美にポツリと言う言葉が哀切だ。
映画は、フリースクールのスタッフとして働く恵美のいまと、彼女が回想する少女時代を交互に描いていく。恵美は、由香と結んだ友情の記憶を胸に抱いて懸命に生きていくのだ。 観る者に、「友情とは何か?」を静かに問いかける物語。 広く浅い友達づきあいより、たった一人の親友との深い友情のほうが、生きるための糧となる。その友を喪ったときの悲しみは大きくとも、結んだ友情の記憶が生涯の宝となる。そんな真の友情のかけがえのなさを、詩情豊かに、切々と謳いあげた映画だ。 是枝裕和の作風を意識したような、ドキュメンタリー・タッチの演出が散見される。『誰も知らない』が好きな人ならビビッとくるようなシーンもいくつか。由香を演じるのが、『誰も知らない』の長女役で脚光を浴びた北浦愛(「あい」ではなく「あゆ」と読ませるのだと初めて知った)であるのは、偶然ではないだろう。 もっとも、この映画の監督はベテラン・廣木隆一なので、年少の是枝からの影響が感じられると評されたら不快かもしれないが。 素晴らしいシーンがたくさんある映画だ。 ただ、全体のまとまりはいま一つ。私は原作を読んでいないのだが、原作は連作短編形式なのかな。群像劇というより、短編映画を寄せ集めたような印象。人物相互の関係が有機的に結びついていくような「群像劇のダイナミズム」に乏しいのだ。 |
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椎名林檎『私と放電』 |
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2008-06-07 Sat 11:09
椎名林檎のデビュー10周年記念盤『私と放電』(EMI/通常盤3600円)を、サンプル盤を送ってもらってヘビロ中。7月2日発売。 椎名林檎のデビュー時からのシングル・カップリング曲、アルバム未収録曲を余さずコンパイルした、22曲入り2枚組。 スタンガンをもって「放電」しているきわどいジャケット・デザインも、いかにも椎名林檎らしくてよい。ちなみに、同時発売のDVD(ビデオ・クリップ集)のタイトルは『私の発電』(笑)である。 アルバム未収録曲、もしくは未収録ヴァージョン(たとえば、「シドと白昼夢」は「真夜中は純潔」にカップリングされていたスウィンギング・ジャズ・ヴァージョン)ばかりなので、アルバムでしか聴いてこなかったファンにはありがたい1枚。 逆にいえば、「彼女のこれまでのシングルやDVD をすべてもっている」というディープなファンにとっては、とくに買う必要のないアルバムである。 シングルのカップリング曲でもけっして手を抜かない椎名林檎なので、収録曲は粒揃い。 「すべりだい」「眩暈」「あおぞら」「Σ」「17」「メロウ」「不幸自慢」「愛妻家の朝食」「意識」「映日紅の花(※)」あたりは、とくに素晴らしい。 ※「映日紅(いちじく)の花」=DVD『賣笑エクスタシー』にオマケでついていた「御宝コンパクトディスク」の収録曲。隠れた名曲 オルタナ的なヘヴィ・ロック・チューンからムーディーな“ジャズ歌謡”まで、ものすごく多彩な楽曲がごく自然に共存している。表現の幅が、並のアーティスト5人分くらい広い。 それでいて、どの曲にも彼女ならではの独創性があるため、全体には不思議な統一感がある。椎名林檎というアーティストの才能のきらめきを、改めて感じる1枚。 それにしても、椎名林檎は10年のキャリアを積んでもなお20代(現在29歳)なのだなあ。 てことは、『無罪モラトリアム』なんて名盤を作っていたころ、20歳になるやならずだったわけだ。ううむ、畏るべし。 |
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ロバート・K・レスラー『快楽殺人の心理』 |
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2008-06-06 Fri 11:24
ロバート・K・レスラーほか著『快楽殺人の心理』(講談社プラスアルファ文庫)読了。 ベストセラー『FBI心理分析官』のレスラーが、プロファイラー(犯罪心理分析官)としての長いキャリアをふまえて書いた、快楽殺人者の心理についての入門書である。 『FBI心理分析官』は読み物風に構成されていたが、こちらはもう少しアカデミックな装いが凝らされている。プロファイラーを目指す人に向け、仕事の概要を教える講義のテキストといった趣なのだ。 おぞましい快楽殺人者の行状を、学術的な調査報告のように淡々と記述しており、そのことがむしろ不気味さを増幅させている。たとえば――。
『FBI心理分析官』には続編(『FBI心理分析官2』)があって、それは薄っぺらい内容にガッカリしたのだが、本書はかなりマシ。正編の圧倒的な迫力には遠く及ばないけれど。 本書を読んでぞっとしたのは、さきごろ東京・江東区で起きた殺人事件の容疑者・星島某の行動やパーソナリティーが、「秩序型」快楽殺人者(比較的知能が高く、ある程度の社会性をそなえたタイプ)の特徴とぴったり符合していること。 星島は「殺すつもりはなかった」と供述しているが、ネット上では「そんなはずはない。あれは快楽殺人で、殺すこと自体が目的だったはずだ」という意見が多い。私もそう感じた。 |
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ジュリアン・コープ『フライド』 |
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2008-06-05 Thu 14:07
しばらく遠ざかっていた中古CD屋めぐりを再開。寝た子を起こされてしまった感じである。 中古CDの価格の相場は、10年くらい前に比べて明らかに大幅下落しているように思う。 昨日またディスクユニオンに行き、CDを7枚も買ってしまったのだが、それで払った金は3500円に満たないのだ。というのも、うち4枚は800円で、残り3枚は「3枚100円」の箱にあったものだから。それでも、それぞれ盤質などは上々なのである。 うーん、安すぎ。CDの時代が終わりかけていることを反映して、価格破壊が起こっているのだろうか。 で、昨日買った800円のCDのうちの1枚が、ジュリアン・コープのソロ2枚目『フライド』。LPで持っているのだけれど、CDはなかったので。 ジュリアン・コープは一時期聴きまくったアーティストなのだが、『マイ・ネーション・アンダーグラウンド』あたりを境に興味を失ってしまった。彼は、ソロになってから最初の3枚(『ワールド・シャット・ユア・マウス』『フライド』『セイント・ジュリアン』)が最高で、あとは尻すぼみであるように思う。 この『フライド』の中身は、極彩色のネオサイケ・ロック。内にこもった感じの暗くねじれた音だが、美しい。それに、メロディはあくまでポップで聴きやすい。 ジュリアンはスラリとした長身の美形なのに、このアルバムのジャケットでは裸で亀の甲羅をかぶり、うずくまっておもちゃの自動車を見つめている。この不気味なジャケットが、ジュリアンというアーティストの変わり者ぶりとこのアルバムの内容を雄弁に物語っている。 これは2004年に出たリマスター盤で、ボーナストラックも3曲入っている。そのうち1曲は、ジュリアンが日本のルースターズのために書き、彼らのラストアルバム『FOUR PIECES』に収録された名曲「ランド・オブ・フィア」だ。これで800円はお買い得だった。 最近ジュリアンは、『ジャップ・ロック・サンプラー』という日本産ロックのガイド本を出した。来月には邦訳版も刊行される。高い本だし、売れないだろうなあ。 |
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岡庭昇『戦後青春』 |




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