『マザー・テレサ』

マザー・テレサ デラックス版マザー・テレサ デラックス版
(2006/02/24)
オリビア・ハッセー、ラウラ・モランテ 他

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 『マザー・テレサ』をケーブルテレビで観た。2003年に作られた伝記映画である。

 36歳から87歳までのマザー・テレサを演ずるのは、オリビア・ハッセー。これがなかなかハマリ役で、最晩年に近づくほど本物そっくりになっていく。

 脚本は手堅くまとまっている。マザー・テレサを、人間離れした聖者として描くのではなく、等身大の人間として描く視点がよい。この映画の中のマザー・テレサは、たぐいまれな利他心と人格の輝きをもつ一方で、弱さも欠点ももち、ユーモアも愛嬌もある女性として描かれているのだ。

 ただ、演出は平板で面白みがない。人物のクローズアップが妙に多かったりして、小ぢんまりとして画面に広がりが感じられないのだ。
 「なんだか、映画というよりテレビドラマみたいだ」という印象を抱いたが、それもそのはず、これはもともと3時間のテレビドラマとして作られたものを、映画館用に短く編集し直した作品なのだそうだ。
 パセティックで垢抜けない同じ音楽がしつこく流れるのも、やや耳障り。

 ……と、ケチをつけてしまったが、そうした瑕疵はあってもなお、ここに描かれるマザー・テレサの生涯はすこぶる感動的である。

 マザー・テレサはマハトマ・ガンジーによく似ている、と感じた。何が似ているかといえば、理想に向かって脇目もふらずに突っ走る姿勢である。

 人が理想を追い求めて進んでいくとき、いたるところで現実の壁にぶつかる。並の人間はそこで現実と妥協し、小幅な軌道修正をくり返して理想に近づこうとする(あるいは、理想を追うのをあきらめる)。
 だが、マザー・テレサにもガンジーにも妥協は一切ない。「現実の壁」をあくまで正面突破しようとするのだ。とくに、この映画の中のマザー・テレサは、まるで現実の壁など眼中にないかのようだ。
 困難に直面して、彼女は言う。「私の考え方はシンプルなの。(どんなに困難に見えても)主がそれを望まれれば実現するでしょうし、望まれなければ実現しないでしょう」と……。だから、現実がどうあれ、理想を目指して突き進むのだ。その姿はときにドンキホーテのようにも見える。

 マザー・テレサにしろガンジーにしろ、身近に仕えていた人たちはさぞたいへんだったろうと思う。「お願いだから、もう少し現実に目を向けてください!」と叫びたくなることもしばしばだったことだろう。

 この映画は、理想に向かってひた走るマザー・テレサが途中途中で現実の壁とぶつかる様子を、エピソードとして描いたものともいえる。
 それらの壁は、彼女の人格の輝きによって乗り越えられる場合もあれば、ドンキホーテ的な悲哀の印象のみを残すこともある。その両方をきちんと描くことで、通りいっぺんの偉人伝には終わらない深みが生まれている。
 
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マイルス・デイヴィス『ジャック・ジョンソン』

ジャック・ジョンソンジャック・ジョンソン
(2005/10/19)
マイルス・デイビス

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 マイルス・デイヴィスの『ジャック・ジョンソン』を聴いた。

 最近、ジャズ・ロックの名盤とされるものに少しずつ手を伸ばしている。これもその一つ。買おうかとも思ったのだが、近所の「ツタヤ」にあったのでレンタルで済ます。
 買わなくてよかった。名盤かもしれないけれど、私にはまったくピンとこなかったから。

 これは、ドキュメンタリー映画のサントラ。20世紀初頭に初の黒人ヘビー級チャンピオンとなった伝説のボクサー、ジャック・ジョンソンの生涯を描いた映画だ(観たことないけど)。

 マイルスが手がけた映画音楽といえば、ヌーヴェルヴァーグの代表作の一つ『死刑台のエレベーター』がよく知られている。
 あちらの場合、映画のラッシュフィルムを観ながらマイルスが即興で音楽をつけていったのだそうだが、『ジャック・ジョンソン』は映画用に作られたものではない。もともとあったセッション音源を、テオ・マセロが映画用に編集したものだ。

 1970年発表。いわゆる「電化マイルス」の時期でも、「最もロックに接近した一枚」と評されるものだそうだ。たしかに、ジョン・マクラフリンのギターは完全にロック。しかもハードロック。ジミヘンみたいだ。

 ジョン・マクラフリンは、これを発表した翌年にあたる1971年にマハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、デビュー作『内に秘めた炎』を世に問うている。
 『内に秘めた炎』はジャズ・ロックの金字塔にして、私も大好きなアルバム。なので、この『ジャック・ジョンソン』も期待して聴いたのだが、なんだかものすごく単調で退屈な音楽に思えてしまった。

 マクラフリンのギターも、マイルスのトランペットも、音色としてはすこぶるカッコイイのだけど、「音色だけあって音楽がない」みたいな印象。「ああ、私にはやっぱりジャズはわからないなあ」と感じてしまった。

 マイルスの作品のうち、管見の範囲では、むしろ『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『フォア・アンド・モア』に「ロック的美学」を感じた。
 
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「ロットリング・フォーインワン」讃

rotring フォーインワン ボールペンクロ・アカ・アオ+ペンシル0.5mm 502-700Frotring フォーインワン ボールペンクロ・アカ・アオ+ペンシル0.5mm 502-700F


 私はけっして筆記用具にこだわるほうではない。日常的にいちばん愛用している筆記具といったら、三菱の「ジェットストリーム」という150円のボールペン(これは書き味がなめらかでよい)だし。

 ただ、取材時にメモを取る際の筆記具だけは、モンブランもしくはクロスのやや高いボールペンを使う。取材はたいてい一期一会であるから、相手は私のことを見た目で判断するしかなく、100円ペンなど使ってメモを取ると、それだけで「安く見られる」気がするからだ。

 ホテルマンや金貸しなどは、一見(いちげん)の客の懐具合を履いている靴で判断するそうだ。まさに「足元を見る」のである。ふだん筆記具にこだわらない私が取材時の筆記具にだけ気を使うのも、「足元を見る」ならぬ「手元を見る」相手に対応するためだ。

 ただ、いつも使っている手帳にセットしておく三色ボールペン(→関連エントリ「私の手帳術」参照)だけは、安直な100円ペンを使っていた。それがちょっと気になっていたのである。

 で、ロットリングの「フォーインワン」というマルチペンを購入。黒・赤・青の三色ボールペンとシャープペンシルがセットになっているもの。高級品というわけではないが定価5000円超なので、100円ペンに比べたら格段に品がよい。

 使ってみたら、これはたいへんよいペンであった。
 まず、マルチペンなのにふつうの一色ボールペンと変わらない細さがよい。また、筺体が金属なので、ずしりと適度な重量感があるのもよい。
 デザインも「洗練と質実剛健の中間」くらいな感じで、好み。つや消しブラックのボディも渋い。書き味もまあまあである。
 
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DE DE MOUSE『TIDE OF STARS』

TIDE OF STARS  SPECIAL EDITIONTIDE OF STARS SPECIAL EDITION
(2007/07/21)
DE DE MOUSE

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 DE DE MOUSE(デ・デ・マウス)のアルバム『TIDE OF STARS』(EXT Recordings/2000円)を購入。

 知り合いに「Perfumeが好きならDE DE MOUSEも絶対気に入るはず」とオススメされ、「You Tube」で何曲か聴いてみたらすごくよかったので。

 キラキラした電子音を緻密に織り重ねて作られた、オリエンタルでミステリアスで懐かしいサウンド。Perfumeというより、私は『音楽図鑑』や「ステッピン・イントゥ・エイジア」のころの坂本龍一を思い出した。

 レイ・ハラカミのようなリリカルなエレクトロニカが好きな人なら、きっと気に入るであろう音。むしろレイ・ハラカミよりずっとポップでメロディアスで、一般受けしそう。

 → アルバム冒頭を飾るキラーチューン「baby's star jam」を一聴されたし
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吾妻博勝『新宿歌舞伎町 新・マフィアの棲む街』

新・マフィアの棲む街―新宿歌舞伎町 (文春文庫)新・マフィアの棲む街―新宿歌舞伎町 (文春文庫)
(2006/12)
吾妻 博勝

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 吾妻博勝著『新宿歌舞伎町 新・マフィアの棲む街』(文春文庫/630円)読了。
 
 1994年に刊行された『新宿歌舞伎町 マフィアの棲む街』はすごい本であった。当時『週刊文春』の専属記者であった著者は、じつに1年にわたって歌舞伎町の裏社会に潜入取材を重ね、警察さえつかんでいなかったほどディープな情報を多数盛り込んで、このノンフィクションを完成させたのだった。『週刊文春』に連載されていたころ、警察庁の幹部から編集長に「(歌舞伎町の裏社会についての)情報を教えてくれないか」という電話があったほどだという。
 馳星周のデビュー作にして出世作である『不夜城』は歌舞伎町の裏社会を舞台にしていたが、その最大のネタ本は『マフィアの棲む街』であったと、馳自身がのちに明かしている。

 その続編である本書は、正編から10年を経てふたたび歌舞伎町に潜入取材を試みて書き上げたノンフィクション。10年の歳月が歌舞伎町を大きく変貌させた様子がつぶさに描かれ、正編以上に衝撃的な内容になっている。
 歌舞伎町の裏社会を舞台にしたノンフィクションもいまではたくさんあるが、著者の手がけた2冊はまぎれもなくその最高峰だ。

 全編、「いったいどうやったらこんな情報を手に入れられるのか?」と目を瞠るディープな情報が山盛りである。
 たとえば本書に、中国からの「密入国ビジネス」にからむヤクザと香港マフィアのトラブルを描いた章がある。わずか20ページほどのその章の中に、『殺し屋1』も真っ青のエピソードが惜しげもなくつめこまれている。

 著者の人脈と取材力、そして何より取材に命を張る胆力に驚嘆させられる一冊。
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戸梶圭太『もっとも虚しい仕事』

もっとも虚しい仕事 ブラッディースクランブル (カッパ・ノベルス)もっとも虚しい仕事 ブラッディースクランブル (カッパ・ノベルス)
(2006/06/21)
戸梶 圭太

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 戸梶圭太著『もっとも虚しい仕事/ブラッディースクランブル』(光文社カッパノベルス)読了。
 一匹狼のギャング・鈎崎を主人公にしたクライムノベル・シリーズの第3弾。3冊つづけて読んだらもう飽きてきたけれど、そこそこ楽しめる。

 軽快なテンポと読みやすさに関しては、この作家は日本一ではないか。とにかく、あっという間に読み終わる。そして、読んだあとには見事なくらい何も残らない。つかの間の娯楽としてハイクオリティー。

 文学性とか芸術性などというものは微塵もない。夾雑物抜き、純度100%の娯楽小説だ。B級アクション映画とか、おバカ系ハードロック(故ボン・スコット時代のAC/DCとか)のような味わいがある。

 かつて黒澤明は、「日本映画はお茶漬けサラサラだから、自分は豪華なフルコースのような娯楽映画を作りたい」と言って『七人の侍』を作った。
 その言い方を借りて食べものに喩えれば、戸梶はおそらく「ジャンクフードのような娯楽小説」を目指しているのだと思う。身体のためにはならないし、安っぽいが、刺激に満ちていて食べやすく、クセになる。そんな味わいの小説なのだ。
 
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戸梶圭太『クールトラッシュ』

クールトラッシュ 裏切られた男 (カッパノベルス)クールトラッシュ 裏切られた男 (カッパノベルス)
(2004/09/17)
戸梶 圭太

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 戸梶圭太著『クールトラッシュ/裏切られた男』(光文社カッパノベルス)読了。

 先日読んだ『ビーストシェイク』と同じく、一匹狼のギャング・鉤崎を主人公にしたクライムノベル。読む順序が逆になってしまったが、こちらがシリーズ第一弾だ。

 パチスロ屋の売り上げを強奪するヤマの途中で、仲間の1人が金の独り占めを狙って裏切る……という骨子はこの手の「ケイパーもの」(強奪計画の一部始終を描いた作品)のセオリーどおり。それでも、ディテールにいろんな工夫が凝らしてあって楽しめる。

 『ビーストシェイク』のはじけ具合と比べると、こちらの『クールトラッシュ』のほうがずっとオーソドックス。『悪党パーカー』からの影響がモロわかりで、戸梶独自のカラーは薄いのだ。

 『ビーストシェイク』にはすさまじいエログロ描写と狂騒的な笑いがちりばめられていたが、こちらは全体に硬派でクール、おとなしめ。
 「戸梶らしさ」を求めるファンは『ビーストシェイク』のほうを好むだろうし、“日本版『悪党パーカー』”を求める読者はこの『クールトラッシュ』を好むだろう。私はこちらのほうが気に入った。
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リチャード・スターク『悪党パーカー/エンジェル』

悪党パーカー・エンジェル (ハヤカワ・ミステリ文庫)悪党パーカー・エンジェル (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(1999/04)
リチャード スターク

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 リチャード・スターク著『悪党パーカー/エンジェル』読了。 
 戸梶圭太のギャング小説を読んだら、その原型というか本家本元の『悪党パーカー』シリーズを久々に読みたくなった。
 このシリーズは1997年に23年ぶりの復活作が書かれ、現在も書き継がれている。まだ邦訳されていないものまで含めると、全23作になったそうだ。

 で、この『悪党パーカー/エンジェル』は97年の復活第一作。
 そこそこ楽しめたのだけれど、2度にわたって映画化されたシリーズ第一作『悪党パーカー/人狩り』などと比べると、一段も二段も落ちる。展開がご都合主義に思えて仕方ない。

 『悪党パーカー』シリーズが画期的だったのは、プロの犯罪者たちがチームを組んで行なう現金強奪などの「ヤマ」が成功するプロセスを描いたからである。
 従来、その手の小説や映画では、モラルの規制からか、犯罪計画は肝心のところで頓挫するのがつねであった。それに対し、『悪党パーカー』シリーズの場合、パーカーを生きのびさせなければシリーズが終わってしまうわけだから、犯罪の成功はあらかじめ約束されている(……と、このへんは第五作『襲撃』に付された小鷹信光の解説の受け売り)。

 そういう「お約束」を念頭に置いたうえで、パーカーがどうやって危機を脱して逃げおおせるかのハラハラドキドキを味わうのが、このシリーズの大きな魅力である。しかし、そこに至るプロセスがあまりにご都合主義だと、読者はシラけてしまうわけだ。
 
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戸梶圭太『ビーストシェイク』

ビーストシェイク (カッパノベルス)ビーストシェイク (カッパノベルス)
(2005/01/21)
戸梶 圭太

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 戸梶圭太著『ビーストシェイク/畜生どもの夜』(光文社カッパノベルス)読了。

 この人の小説を読むのはこれが初めて。面白かった。読後に何も残らない読み捨て娯楽小説ではあるが、物語の疾走感・ドライヴ感はなかなかのもの。ラストまでまったくストーリーが停滞せず、快調なテンポで進むのだ。

 希少動物マニアがひそかに集う地下オークション会場に集まる、多額の現金。それを強奪しようとする犯罪計画を描いたクライム・アクション。

 主人公である一匹狼の「プロのギャング」・鉤崎(かぎざき)のキャラ造型などは、明らかにリチャード・スタークの『悪党パーカー』シリーズを意識している。
 ただし、『悪党パーカー』シリーズのようにハードボイルド一辺倒の乾いたタッチではなく、もっといびつでグロテスク。わかりやすくいうと、『悪党パーカー』と『闇金ウシジマくん』を足して2で割ったような小説だ。

 帯の絶妙な惹句「動物好きに、いいヤツなんかいない。」(笑)が示すとおり、登場する希少動物マニアたちが揃いも揃ってサイテーな連中。そこが面白い。

 鉤崎を主人公にした作品はシリーズ化されているそうなので、ほかの作品も読んでみよう。
 
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『The Essential Emerson, Lake & Palmer』

The Essential Emerson, Lake & PalmerThe Essential Emerson, Lake & Palmer
(2007/01/30)
Lake & Palmer Emerson

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 なんとなくむしょうにELP(エマーソン、レイク&パーマー)が聴きたくなって、『The Essential Emerson, Lake & Palmer』(輸入盤)を購入。

 ELPは私が少年時代に大好きだったプログレッシヴ・ロック・グループ。LP時代にずいぶん聴きこんだものだけど、思えばCDでは一枚も所有していなかった。

 ベスト盤だけでもずいぶんたくさんの種類が出ているグループだが、収録曲目を見比べてこれを選んだ。
 いやー、これはお買い得のある秀逸なベスト盤だ。2枚組に代表曲がぎっしりだし、組曲形式で長い「タルカス」「悪の教典♯9第一印象」「永遠の謎」がそれぞれ全編収録されている。さらに、私の好きなファースト・アルバムから、全6曲中5曲までが収録されているのもうれしい。

 唯一の難点は、代表作の一つ『展覧会の絵』が収録されていないこと(ただし、同アルバムに収録された「ナットロッカー」は入っている)だが、これは聴きたくなったら別個に入手すればよい。

 ELPの最高傑作といえば、『タルカス』か『展覧会の絵』、もしくはギーガーがジャケットを手がけた『恐怖の頭脳改革』あたりを挙げるのが一般的である。でも、私はファースト・アルバムがいちばん好きだったし、今回ベストで聴き直してもその評価は揺るがなかった。

 たとえば、このベストにも収録されている「石をとれ」(※)の美しさは比類ない。詩的で美しく、それでいて弱々しくはなく雄大・壮麗で、まぎれもないロックなのである。

 ※この邦題だとまるでプロテストソングだが、原題は「Take A Pebble」で、石といっても「小石」 。「小石を拾って海に投げ、広がる波紋を見つめて心の内側を覗き込みたまえ」といった内省的な歌詞。

 また、「ナイフ・エッジ」の、音を鉈でバサバサ削っていくような無骨な美しさにもうっとりする。「円空の鉈彫り」を思わせるロック。
 ELPはもともとギターレスの編成だが、「ナイフ・エッジ」はシンセサイザーすら使われておらず、オルガンが核になっている。ギターもシンセも使っていないにもかかわらず、この曲は重厚な「ハード・ロック」なのである。
 「クラシックとロックの融合」の先駆でもあったELPだが、この「ナイフ・エッジ」も元はクラシック。チェコの作曲家ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が原曲だ。それをこんなに無骨なロックに昇華させてしまうあたりが、ELPのすごさである。

 『タルカス』と『展覧会の絵』しか聴いたことがないという人は、ぜひファーストを聴いてほしい。

 ELPといえば、バカテク・キーボーディストのキース・エマーソンが、1970年代前半当時としては「新しい音」だったシンセをド派手に弾きまくることが売りだった。
 しかし皮肉なことに、新しさの刻印であったシンセの音が、いまとなっては古色蒼然として聴こえる。だが、ファースト・アルバムの段階ではまだほとんどシンセが使われていなかった。ファーストの音がいまでも古びていないのはそのためでもある。

 
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ビリー・コブハム『スペクトラム』

スペクトラムスペクトラム
(1998/09/25)
ビリー・コブハム

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 ビリー・コブハムの『スペクトラム』を輸入盤で購入。ヘビロ中。
 1973年に発表された、ジャズ・ロックの名盤。

 ジェフ・ベックが『ブロウ・バイ・ブロウ』『ワイアード』のジャズ・ロック路線に突き進むにあたって、このアルバムが多大な影響を与えたと言われているそうだ。

 なるほど、聴いてみれば、同じくジェフ・ベックに影響を与えたといわれるマハヴィシュヌ・オーケストラよりも、このアルバムのほうが『ブロウ・バイ・ブロウ』『ワイアード』に近い(もっとも、コブハムもマハヴィシュヌ・オーケストラに参加していたけれど)。
 
 「筋肉の塊!」という感じのコブハムの超絶技巧ドラムに乗って、ヤン・ハマーのスペイシーなキーボードとトミー・ボーリンのギターが火花散るインタープレイをくり広げる。いやー、カッコイイ。買ってよかった。ジャズ・ファンよりむしろロック・ファンにアピールする音だと思う。

 トミー・ボーリンは、「夭折の天才ギタリスト」の一人。
 リッチー・ブラックモアの後釜としてディープ・パープルに加入したものの、その翌年(1976年)にグループは解散。ボーリンは同じ年に25歳の若さでドラッグ死している。

 このアルバムで聴ける彼のプレイは、ジェフ・ベック~Charの系譜につらなるもので、まことに素晴らしい。緻密さと荒々しさ、クールネスと熱さが理想のバランスで同居している。
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『ノーカントリー』

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー マ 27-1)血と暴力の国 (扶桑社ミステリー マ 27-1)
(2007/08/28)
コーマック・マッカーシー

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 ↑これは原作本

 『ノーカントリー』を、立川シネマシティで観た。言わずと知れた、本年度アカデミー作品賞・監督賞ほか4部門受賞作。

 公式サイト→ http://www.nocountry.jp/

 福田和也が、『週刊新潮』の連載「闘う時評」で本作を酷評していた。福田が言うほど悪い作品ではないと思うが、アカデミー賞を取るほどのもんかな、と私も思った。
 少なくとも、配給会社の宣伝文句に言うような「コーエン兄弟の最高傑作」ではないと思う(ちなみに、福田はその時評で、コーエン兄弟の最高傑作として『赤ちゃん泥棒』を挙げていた。『赤ちゃん泥棒』が大好きな私は、その点にだけ同意)。

 ただ、無表情のまま次々と人を殺していく「シガー」(ハビエル・バルデム)の人物造型は最高。映画史に残る「新しい殺人鬼像」(というのもヘンな言い方だが)を打ち立てたと思う。

 シガーが人を殺す場面、銃(※)を撃つ場面の迫力が圧倒的。「ここで撃つだろうな」と予想したあとで撃ってすら、なお衝撃を覚えるほどだ。私は、映画の中の銃声で何度も「ビクッ!」となった。

※「家畜銃」というのだろうか。酸素ボンベにつながれ、空気圧で鉄棒を打ち出す銃。本来は牛の屠殺用だとか。

 シガーが現れるだけで画面に緊張がみなぎり、 サスペンス(シガーの前の人物が殺されるか否か)が生まれる。いやはや、ものすごいキャラクターである。アカデミー助演男優賞受賞も納得。

 ただ、かりにシガーの存在を差し引いた場合、この映画に何が残るかというと、何もないように思う。作品のテーマ性を背負っているのはトミー・リー・ジョーンズ演ずる老保安官だろうが、はっきりいって、彼がいなくてもこの作品は十分成立するのである。
 辛気臭いテーマ性など脇に置いて、シガーの極悪非道な活躍ぶりをホラー・アクションのように描ききってほしかった。そしてカタルシスも用意してほしかった。この作品に限っては、中途半端な「文学性」が余計な夾雑物になってしまっている。

 コーエン兄弟の作品のうちでは、『ブラッドシンプル』『ファーゴ』『ミラーズ・クロッシング』などと同系列のノワール/クライム・サスペンス作品。
 しかし、この作品は『ブラッドシンプル』ほどスタイリッシュではなく、『ファーゴ』のような救いもなく、『ミラーズ・クロッシング』などに見られる乾いたユーモアもほとんどない。

 救いがなく、ユーモアに乏しく、洒落っ気もない……というとすごくつまらなく思えるだろうが、けっしてつまらなくはない。
 ただ、荒涼とした感触の無愛想な映画なので、かなり観客を選ぶ。コーエン兄弟の作品を全部観ているようなマニアが観れば面白いが、そうではない人が「アカデミー賞をとった作品だから面白いだろう」と思って観ると、詐欺に遭ったような気分になるに違いない。

 とくに、映画的カタルシスをあえて排除したラストの素っ気なさは格別。謎やもやもやがスッキリと解決されるふつうの終わり方を期待した観客は、「ええっ?  これで終わり?」とポカン顔で席を立つことになるだろう。
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『亀は意外と速く泳ぐ』

亀は意外と速く泳ぐ デラックス版亀は意外と速く泳ぐ デラックス版
(2006/01/25)
上野樹里、蒼井優 他

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 『亀は意外と速く泳ぐ』をケーブルテレビで観た。

 脱力系シュール・コメディ。しみじみとくだらないけれど、しみじみとおかしい。このゆるい笑いにノレる人は最初から最後まで面白く観られるだろうし、ノレない人はとことんダメだろう。

 私は、けっこう好きだ。くだらないだけではなく、意外に哲学的な深み(笑)も底に秘めた映画だし。

 「主婦スパイ」役のヒロイン・上野樹里のコメディエンヌとしての資質が、『のだめカンタービレ』よりも『スウィング・ガールズ』よりもいっそう発揮されている。彼女が「ふぇっふぇっふぇっ」と含み笑いをするだけでおかしい。
 「あずきパンダちゃ~ん♪」(観ればわかる)とか、いくつかのフレーズと場面が頭にこびりついて離れない。
 
 エンディング・テーマはレミオロメンの「南風」。そのさわやかなメロディーが映画の内容とまったくミスマッチなのだけれど、それは当然計算ずくのミスマッチであるにちがいない。
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薄幸顔萌え

木村多江 写真集 「余白、その色。」木村多江 写真集 「余白、その色。」
(2004/01/24)
小池 伸一郎

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 妹萌え、メガネっ娘萌え、ツンデレ萌えなど、さまざまな「萌え属性」が世にはあるけれど、私の萌え属性を一つだけ選ぶとしたら、それは「薄幸顔萌え」である。「幸薄そうな女性」が好みなのだ。

 もちろん「薄幸なブス」ではダメで(笑)、「美人なのに、チャーミングなのに幸薄そう」というのがツボである。

 「薄幸顔萌え」でググってみたらけっこうな数のサイトがヒットしたので、これは「萌え属性」としてはわりとポピュラーなものであるらしい。

 ただ、その手のサイトで「薄幸顔」の例として挙げられていたのがグウィネス・パルトロウやウィノナ・ライダーだったので、ちょっと違和感。
 違うだろ。ハリウッド女優で薄幸顔といったら、なんといっても少し前までのスカーレット・ヨハンソンだろう(いまの彼女はセクシーになりすぎてしまった)。あるいはキルスティン・ダンストとか……。

 日本の女優でいったら、南果歩、夏川結衣、麻生久美子あたり。
 この間『Wの悲劇』をケーブルテレビで再見したのだが、薬師丸ひろ子もある意味薄幸顔だなあ、と思った。私は少年時代から彼女のファンだったのだが、当時から「薄幸顔萌え」傾向があったのだな。

 宮崎あおいも、『害虫』あたりまでは「薄幸顔美少女」でじつによかったのだが、最近は幸せそうになりすぎて私の守備範囲から外れてしまった。

 で、いま私が注目している薄幸顔美人は、木村多江である。木村多江ほど薄幸そうな美人は、近頃ほかにいない。
 そもそも、名前からして幸薄そうだ。いまどき「タエ」である(全国の「タエ」さんすいません)。女優らしい華やかさとか、都会的なイメージとはおよそ無縁の名前。
 私にとって「タエ」といえば、村野守美の名作マンガ『オサムとタエ』のタエだ。あのタエがそうであったように、純朴な村娘を思わせる名前だ。そこがよい。

 ウィキペディアの木村多江の項目を見たら、以下のような一節があった。

 

 顔や目つきに影があることから「日本一不幸が板に付く女優」と称されている。杉田かおるが「多江ちゃんの不幸そうな顔がスタッフには好評なんですよね」と発言した。



 ううむ。みんなそう感じていたのだな。
 ただ、薄幸顔マニアとして言わせてもらえば(笑)、「不幸そうな顔」と「薄幸顔」は似て非なるものである。
 「不幸そうな顔」では、ただたんに不幸に打ちひしがれているみたいではないか。「薄幸顔」はそうではない。「どんなに幸薄い人生でも、一生懸命前向きに、つつましく生きています」という「けなげ感」がないと、私の好む薄幸顔ではないのだ。

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エマニュエル・トッドほか『文明の接近』

文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構文明の接近―「イスラームvs西洋」の虚構
(2008/02)
石崎 晴己、エマニュエル・トッド 他

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 エマニュエル・トッド、ユセフ・クルバージュ著、石崎晴己訳『文明の接近――「イスラームvs西洋」の虚構』(藤原書店/2940円)読了。

 米国の凋落を大胆に論じた『帝国以後』が世界的ベストセラーとなったフランスの人類学者トッド。その新著である本書は、ハンチントンの『文明の衝突』に代表される欧米のイスラム脅威論を真っ向から否定した論考だ。
 共著者のクルバージュは、イスラム圏の人口動態研究の第一人者。彼の協力も得て、トッドはイスラム社会の現状分析を徹底的に行なっていく。

 トッドの分析の独創性は、彼が用いる独自の人口学的手法の中にある。それは、出生率(合計特殊出生率)や識字率などを国の近代化の度合いを示す重要な指標ととらえ、その推移から社会情勢の変化を予測する手法だ。

 トッドは1976年の『最後の転落』において、世界で最も早くソ連崩壊を予見したことで知られるが、その根拠も人口学の知見であった。彼は、ソ連の乳児死亡率のわずかな増加から国内状況の悪化を見抜き、体制崩壊を予言したのだ。本書は、そうした手法をイスラム社会に援用することによって、イスラム脅威論の虚構を暴いてみせる。

 イスラム脅威論とは、つづめて言えば、イスラム教を「近代化を撥ね付ける宗教」ととらえ、イスラム文明と西洋自由主義文明の衝突を不可避とみるものだ。
 だが、著者たちは本書で真逆の結論を提示する。イスラム社会はいままさに近代化の途上にあり、「文明の衝突」など起こり得ず、むしろイスラム文明も他の文明に急速に「接近」しつつあるのだ、と……。その根拠として示されるのが、過去30年来のイスラム圏の出生率の激減などの人口学的知見なのである。

 では、イスラム原理主義に基づくテロの横行など、現実に起きている危機をどうとらえればよいか? 著者たちはそれを「移行期危機」の概念で説明する。

 移行期危機とは、近代化の過程で起こる一過性の社会危機のこと。
 たとえば、識字化(識字率が50%を超えること)は「息子たちは読み書きができるが、父親はできない」社会を生み、家族内の権威構造を揺るがす。そうした激変がさまざまな形で起きる移行期には、必然的に社会も危機に見舞われる、というのだ。
 著者たちは、いまのイスラム圏の社会不安は正常な移行期危機の枠内に収まるもので、「文明の衝突」の前兆ではけっしてないという。

 イスラム脅威論への根源的批判であると同時に、人口学の知見を用いて新たな世界観・歴史観を提示する書。
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アイドルが同級生


SET LIST~グレイテストソングス 2006-2007~SET LIST~グレイテストソングス 2006-2007~
(2007/12/29)
AKB48、秋元才加 他

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 うちのムスメが通う中学の今年の新入生には、「AKB48」のメンバーの一人がいるのだそうだ。

 入学前から、学校の男子どもはすでにその噂で持ちきり。入学式では、その子の名前が呼ばれるやいっせいに声の方向を向くありさまだったとか。

 まあ、「人生でいちばん馬鹿な年頃」の男子どもにこんな燃料が投下されたら、騒ぐなというほうが無理というものだろう。

 私は、いまの「モー娘。」のメンバーが誰一人として見分けがつかないありさまなので、「AKB48」というのがアイドルとしてどの程度のものなのか、よくわからない。

 なんにせよ、「現役アイドルが同級生」なんてのは、東京でしかあり得ない「僥倖」ではあろう。

※後注/これは「AKB48」大ブレイク前の話です。ちなみに、そのメンバーはブレイク前に芸能界を引退してしまったとか。
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沙村広明『ブラッドハーレーの馬車』

ブラッドハーレーの馬車 (Fx COMICS)ブラッドハーレーの馬車 (Fx COMICS)
(2007/12/18)
沙村 広明

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 沙村広明の『ブラッドハーレーの馬車』(太田出版/700円)を読んだ。
 『無限の住人』の沙村が、『マンガ・エロティクスF』に連載していた話題作。

 舞台は、英国をモデルにしたとおぼしき架空の国。時代は、おそらく20世紀初頭。
 国内第4位の資産家で貴族院議員でもあったブラッドハーレー公爵は、「ブラッドハーレー聖公女歌劇団」を経営していた。その劇団では、毎年4人程度が新人女優として舞台に立つ。彼女たちは元孤児。全国の孤児院から選り抜かれた美少女が、ブラッドハーレー家の養女に迎えられ、女優として育てられるのだった。

 孤児院の少女たちはみな、ブラッドハーレー家の養女に選ばれ、馬車で迎えにこられることを夢見た。
 だが、ブラッドハーレー家にもらわれていく孤児たちは、舞台に立つ新人よりもはるかに多かった。舞台に上れなかった少女たちには、過酷な運命が待ちかまえていたのだった……。 

 あとがきには次のようにある。

 

 編集長に「赤毛のアンみたいな漫画にします!」と宣言して始めたこの漫画。お読みになりました通り宣言は1ミリも守られませんでした。
 というか実のところ、最初は「エロい漫画にしよう」と心掛けたつもりが途中からどんどんエロシーンがなくなっていき、最終的には何がしたかったのか自分でも、もはやわからなくなってしまいました。



 『赤毛のアン』の世界を丸ごと暗転させ、暴力とエロスで塗りつぶしたような危険な作品。
 読み手を厳しく選ぶし、「これ、好きだよ」と声高に言いにくいマンガでもある。だが、作画のクオリティーは恐るべき高さだし、ストーリーにも煽情的なだけではない深みがある。全体の主調をなしているのはむしろ哀切さだ。

 何がしたかったのかわからなくなった、というあとがきの言葉を真に受けてはならない。絶対にそんなはずはない、考え抜かれた構成をもつ作品なのである。
 ストレートな残酷描写は1話と2話のみにとどめ、残りの6話は残酷な運命を暗示するのみ、という構成が心にくい。また、残酷とはいっても、山本英夫の『殺し屋1』などに比べればはるかに抑制が効いた描き方である。

 三島由紀夫が深沢七郎の『楢山節考』を評した言葉を借りれば、「不快な傑作」。
 澁澤龍彦がいま生きていてこのマンガを読んだとしたら、絶賛したに違いない。そう思わせる凄絶な美しさを、この作品はそなえている。


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Superfly『Superfly』

Superfly〔DVD付〕Superfly〔DVD付〕
(2008/05/14)
Superfly、Superfly×JET 他

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  Superfly(スーパーフライ)のファースト・アルバム『Superfly』(ワーナー)を、サンプル盤を送ってもらって聴いた。5月14日発売である。

 Superflyは、いま私がいちばん気に入っているバンドだ(バンドといっても、現在はヴォーカル・越智志帆のソロ・ユニット)。
 テレビドラマ『エジソンの母』のテーマソング「愛をこめて花束を」を歌っていたバンドだといえば、思い出す人も多いだろう。

 「愛をこめて花束を」もポップないい曲だが、あの曲はSuperflyのほんの一面でしかない。 Superflyは、長年洋楽ロックを聴いてきた耳の肥えたロック・ファンにこそ聴いてほしいバンドなのである。

 Superflyの音楽について、「ジャニス・ジョプリンとローリング・ストーンズの幸福な融合」と評した人がいた。言い得て妙である。1960年代末から70年代の洋楽ロックの影響が濃厚な、ブルースをベースにしたソウルフルなロックなのである。

 60~70年代の洋楽をベースにした日本のバンドといえば、ラヴ・サイケデリコがまず思い浮かぶ。このSuperflyも、デリコが好きな人ならきっと気に入ると思う。

 だが、Superflyはけっしてデリコのエピゴーネンではない。
 デリコのサウンドの核になっているのはギターのリフだろうが、Superflyは越智志帆のヴォーカルをこそ核にしている。それに、Superflyの音はデリコほどクール一辺倒ではない。もっと泥臭く、生々しく、よい意味で歌謡曲的なテイストを濃厚にもっているのだ。
 だからこそ、コアな洋楽リスナーのおじさん・おばさんと、J-POPばかり聴いている10代の少年少女の両方に受け入れられるキャパの広さをもっている。

 なにより素晴らしいのは越智志帆のヴォーカルだ。パワフルで伸びやかで、聴いていて元気になる。
 彼女が敬愛してやまないジャニス・ジョプリンを彷彿とさせる部分もあるが、ジャニスのような破滅型の暗さは皆無だ。ジャニスは27歳でドラッグによる無惨な死を遂げたが、越智はおばあちゃんになるまで力強く生き抜いていくに違いない。ジャニスは「生きながらブルースに葬られ」たが、越智は「ブルーズこそがマニフェスト」(「マニフェスト」)と誇らかに叫ぶのだ。

 越智志帆は、いわば「明るくてキュートな21世紀型のジャニス」だ。日本でいうと、ロック・バンド時代のカルメン・マキや金子マリを思わせる。

 このファースト・アルバムは、既発売のシングル5枚のリード・ナンバーをすべて収録していて、まるでベストアルバムのように粒揃いである。捨て曲は1曲もなし。絶対オススメ。

 Superflyを聴いたことがない人は、とりあえず「マニフェスト」のライヴ映像を観てほしい。私はこれを観て一発でノックアウトされた。↓  
 http://jp.youtube.com/watch?v=Zpvei6hNXpE&feature=related

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深町秋生『果てしなき渇き』


果てしなき渇き (宝島社文庫)果てしなき渇き (宝島社文庫)
(2007/06)
深町 秋生

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 深町秋生著『果てしなき渇き』(宝島社文庫)読了。『このミステリーがすごい!』大賞第3回受賞作だ。
 風邪を引いてちょっと熱がある。仕事にならないので仕方なく、布団の中でボーッとしながらこれを読んだ。

 元刑事の主人公の元に、離婚した妻から電話がかかってくる。失踪した娘を探してほしい、警察には届けられない事情がある、と。
 ……そんな発端は典型的ハードボイルド・ミステリのそれだが、その後につづくストーリーは馳星周も真っ青の極めつけノワール(暗黒小説)という趣。

 高校の優等生だったはずの娘・藤島加奈子の部屋からは、覚醒剤が見つかる。娘の行方を追って周辺を調査するにつれ、主人公が知らなかった彼女の暗黒面が浮かび上がる。主人公もしだいに精神の平衡を失っていくなか、やがて驚愕の真実が……。という感じの物語。

 デビュー作とは思えないほど文章がこなれている。読みやすく、力の抜きかげんも心得ていて、ベテラン作家でもなかなかこうは書けない。
 また、技巧的な構成もバッチリ決まっている。主人公の追跡行と、加奈子に思いを寄せていた少年のモノローグによるもう一つの物語を並行させ、最後にピタリと合流させるのだ。

 荒涼たる砂漠のように救いのない物語なのだが、その荒涼さかげんが妙に魅力的で、最後まで読まずにはいられない。
 しかし、読み終えるとどんよりといや~な感じが胸に残る。グロテスクでリアルな暴力描写や性描写が多いし、主要登場人物はみんな歪んでいて、誰にも共感できない。風邪引いたときに読むんじゃなかった(笑)。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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