才能を見抜く目

 過日取材させていただいたピアニストのHirokoさんは、まことにドラマティックな半生を歩んでこられた方である。

 ご主人がルーマニアからの亡命詩人(「チャウシェスクをたたえる詩を書け」と命じられてことわったため、殺されそうになったという)だったり、モスクワへの音楽留学中にゴルバチョフ軟禁のクーデターに遭遇したり……。

 ピアニストとして頭角をあらわすまでの道筋が、また劇的だ。
 ルーマニアで貧窮生活を送り、ピアノすら買えなかった彼女は、ピアノのある家を訪ねてはわずかなお金と引き替えにそこで練習させてもらっていた。
 ある日、指揮者の家のピアノを借りて練習していたとき、その家を偶然訪れていた世界的ピアニストが、別の部屋から漏れ聞こえてくる彼女のピアノを聴いて感動。いきなりドアを開け、「あなたには才能がある! レッスン料なんかいらないから、私に指導させてくれ」と申し出たのだという。

 ううむ、すごい。
 漏れ聞こえてくるピアノだけで、瞬時に才能を認めたというその世界的ピアニストの「耳」もすごい。

 その話で思い出したのは、以前あるプロ野球関係者から聞いた話。
 ベテラン・スカウトは、選手の日常の身のこなしを見ただけで、才能の有無がある程度判定できるものなのだという。

 たとえば、スカウトがある野球部の練習を見に行き、着いたらあいにく練習は終わっていて、選手たちが片付けを始めていたとする。そのとき、「片付けをする身のこなし」を見ただけで、「お、あの選手はかなりやるな」ということがわかるというのだ。

 この話を聞いたときには「そんなバカな」と思ったものだが、我が身に引き寄せて考えてみれば、そういうことがあっても不思議はない。一つの道を長年歩みつづければ、その程度の「目」は身につくものなのだ。

 たとえば、私は20年以上文章でメシを食っているので、文才を見抜く目にはある程度の自信がある(私自身の文才については、ま、ここでは脇に置いといてください)。

 世の中には「小説家志望者のブログ」が山ほどあるわけだが、彼らの才能の有無も、ブログの何気ない日常雑記を見ればわかる。小説を読むまでもないのである。

 「どこで何を食べた」などという日常雑記を読んで小説家としての才能まで判断するのは、グラウンドの片付けをする身のこなしで野球の才能を判断するようなものだろう。しかし、たったそれだけでも才能の有無はちゃんとわかる。そういうものなのだ。

 私は最近、「この人には才能がある!」と思える「小説家志望者のブログ」に出合った。そのブログの中に小説は一つもアップされていないが、それでも、才能の輝きが隠しようもなく伝わってくる。早晩、小説家として世に出る人に違いない。

 私ごときに認められてもうれしくないだろうから、ブログ名などは挙げないけれど……。
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ジャガー横田夫妻を取材

 

 今日は、赤坂のTBSテレビの楽屋で、ジャガー横田・木下博勝夫妻を取材。

 ジャガー横田著『ジャガー流! 人生逆転』(主婦の友社)と、木下博勝著『ボクに宇宙一の幸せをくれたジャガー』(日本テレビ)を読んで取材に臨む。

 最強の女子プロレスラーと、7歳下のエリート医師の結婚――という組み合わせゆえにもっぱら「変わり種カップル」として扱われるが、じつは「夫婦のあり方の理想型」を見せてくれる素晴らしいカップルだと、私は思っていた。依存し合うのではなく、結婚によって足りない部分を補い合い、自分の世界を広げ、尊敬の念を抱き合うという姿勢を保っておられるからである。

 私が思うに、ジャガーさんは強い女性である以前にまず優しい人であり、ご主人の木下さんは優しい外見とは裏腹に強い人なのだ。取材してみて、その印象は当っていたと感じた。

 『ジャガー流! 人生逆転』は、とてもいい本だった。テレビのバラエティ番組での印象からもっとおちゃらけた内容を予想していたが、読んでみると、一人の女性の半生記としてストレートな感動を呼ぶ本になっている。

 ジャガーさんが、プロレスの世界の教え子たち(アジャ・コングら)に妊娠を報告する際に言った言葉に胸打たれた。つねづね「あんたたちは私の子どもみたいなものだ」と言いつづけていた彼女は、次のように言ったのだそうだ。

 

「ごめんね。あんたたちが子どもだって言ってたのに、本当の子どもができちゃったよ」



 これは、たぐいまれな優しさをもつ女性にしか言えない言葉だと思う。困難な条件のなかでやっと子どもを授かったジャガーさん。ふつうなら「幸せのピークで自分しか見えない」状態だろうに、彼女はそれでもまず最初に弟子たちを慮ったのである。
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「谷山浩子・猫森集会2007」



 今夜は、新宿の全労済ホール・スペースゼロで行なわれた「谷山浩子・猫森集会2007」に行ってきた。過日谷山さんを取材させていただいたご縁で、事務所の方よりご招待をいただいたので。

 (と、同じようなことを昨日も書いたわけだが……、そう、偶然にも二晩つづけてコンサートにお呼ばれしたのである。しかも「ヒロコつながり」)

 今夜の「猫森集会2007」は、小室等をゲストに迎えてのプログラム。「ゲスト」といっても、3曲目に登場した小室さんは、その後アンコールまでずっとステージに出ずっぱり。谷山さんとの掛け合いトークも非常に楽しかった。

 小室等の生ギターを伴奏(!)に歌われる「テルーの唄」が、もうサイコー。この曲が今夜のクライマックス(私にとっては)。

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 「猫森集会」に私は初めて行ったのだが、集ったファンたちの独特の熱気にも圧倒された。
 なにしろ、コンサート終了後、ロビーのそこかしこにそれぞれが座って、アンケート用紙に向かって一心に感想を書き綴っているのである。

 聞くとはなしに聞いたファンたちのやりとりも、
「今夜はよかったね」
「うん、今日はね。楽しかったよ」
 ……などというもの。つまり、8日間をかけて行なわれる「猫森集会」に、明らかに連チャンで通っている人たちの会話なのだ。

 ス、スゴイ……。
 こういう、熱心で真面目なファンたちに、谷山さんは支えられているのだなあ。
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「Hirokoピアノリサイタル」

Hiroko―私にはピアノがあったからHiroko―私にはピアノがあったから
(2008/05)
水上 裕子

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 昨夜は、三鷹市芸術文化センターで行なわれた、Hiroko(水上裕子)さんのピアノリサイタルへ。取材がらみでご招待いただいたので。

 Hiroko公式サイト→ http://www.hiroko-minakami.com/

 まことに素晴らしいコンサートだった。シューベルトもビゼーもドボルザークの「ユーモレスク」もよかったが、Hirokoさんのオリジナル曲が最高。とくに、テンポの速い部分にさしかかるとき、音が色彩豊かにはじけるようになるところに背筋がゾクゾク。

 私はクラシックには門外漢ではあるけれど、フジ子・ヘミングよりHirokoさんの演奏のほうがよいと思った。なんというか、歓喜に満ちた演奏なのである。

 いまはまだ一般的な知名度は高くないかもしれないが、早晩、フジ子・ヘミングのようにメジャー・ブレイクする人だと思う。

 ちなみに、取材でお会いした際の印象を一言で言うと、「この人こそ『リアルのだめ』だ!」というものであった。型にはまらない天才肌のピアニストなのである。

 オープニングの「天空的彼岸」というオリジナル曲がいちばん気に入って、この曲が入っているCDを物販コーナーで探したのだが、入っているCDがなかった。新曲なのだろうか?
 で、『ユーラシアン・ストーリー ~異国の河~』という、オリジナル曲中心のアルバムを買ってきた。なかなかよかったが、コンサートに比べて感動は二割減といったところ。


↑「天空的彼岸」の演奏映像
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高橋誠一郎『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』



 高橋誠一郎著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』(成文社/2600円)読了。

 いま、『カラマーゾフの兄弟』の新訳(光文社古典新訳文庫)が時ならぬベストセラーになっている。ドストエフスキーの文学が、2つの世紀を跨いでなお、色褪せることなく力を保っているという証左であろう。

 日本は、本国ロシアを除けば最も熱心にドストエフスキー文学が読まれてきた国である。ゆえにドストエフスキー研究の水準も高く、優れた作家論・作品論も枚挙にいとまがない。

 逆にいえば、いまさら日本でドストエフスキー論を刊行しても、よほどの独創性がなければ、過去の研究に屋上屋を架すだけになりかねない。ハードルが高い分野なのだ。

 本書は、その難分野にあえてチャレンジした本。過去の膨大なドストエフスキー研究をふまえつつ、独創的で読みごたえある作家論・作品論になっている。

 「屋上屋」となるのを避けるには独自の切り口が不可欠なわけだが、著者が本書で選んだ独自の切り口は、ドストエフスキーが生きた時代のロシア史にウエイトを置き、社会情勢との連関から作品を読み解くことであった。

本書で俎上に載るのは、デビュー作『貧しき人々』から『白夜』までの初期作品。著者にはドストエフスキーの全作品をロシア史との関係から論じる壮大な構想があり、本書はその第一部にあたる。

 著者は、父のミハイルがドストエフスキー文学に与えた影響を重視し、2つの章を割いて父子関係を考察している。その中で、ミハイルが参戦した「祖国戦争」(ナポレオンのロシア侵攻)や、農奴制とその終焉(ミハイルは自分の領地の農奴に虐殺された)にもくわしく言及される。

 そのように近代ロシア史に光を当てて作品を捉え直すことで、著者はより深いドストエフスキー理解に達している。たとえば、ドストエフスキーが作品の随所でナポレオンにこだわった理由も、彼の父と祖国戦争の関係を知ってこそ理解できるのだ。

 圧巻は、ニコライ一世の治世がドストエフスキー文学に与えた影響を読み解く部分。

 検閲が強化され、「暗黒の30年」と呼ばれたその時代に前半生を生きたからこそ、ドストエフスキーの初期作品には「『検閲』をあざむくための『擬態』」が随所に施され、一つの言葉に二重三重の意味がこめられていた、と著者は指摘する。
 そして、分析のメスをふるってその“擬態のベール”を剥ぎ取ることで、著者は、後期の作品に比べて軽視されがちな初期作品から新たな輝きを引き出す。ドストエフスキーがデビュー当初からすでに「果敢にロシアにおける権力の腐敗や人間の心理の問題などに迫っていた」ことを、鮮やかに立証してみせるのだ。

 ドストエフスキー文学の特長を示すキーワードといえば、ミハイル・バフチンの言う「ポリフォニー(多声)性」だが、それもまた、「検閲をあざむくため」に、一つの言葉、一つの場面に多義性をこめる工夫のくり返しから生まれてきたのかもしれない。
 ――そんなことも考えさせる、知的刺激に富む労作。ドストエフスキー文学が時代を超えて保つ「力」の源に、独自の視点から肉薄している。
  
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高橋昭男『新書で入門 漱石と鷗外』



 高橋昭男著『新書で入門 漱石と鷗外』(新潮新書/680円)読了。

 いまやっている仕事の一つは、日本文学の歴史を子ども向けに解説する本の執筆。私の担当は近代と現代の章なので、このところ、近現代の日本文学の名作や有名作家の評伝を日々読み漁っている。

 名前だけ知っていて読んだことがなかった名作も多いので、勉強になる仕事である。

 たいてい斜め読みなので、それらの本の感想をここに記すまでもないのだが、この『漱石と鷗外』は面白くて熟読してしまったので、書いておく。

 「新書で入門」とあるとおり、漱石と鷗外の生涯と作風がひととおり概説された本。非常に手際よくまとめられていて、じつにわかりやすい。

 著者は文芸評論家ではなくテクニカルライティングの専門家で、『仕事文の書き方』などの著書をもっているそうだ。
 なるほど、と思う。文芸評論家に書かせたら、こんなにわかりやすい本には絶対にならなかったはずだ。

 「わかりやすさ」の価値は軽んじられがちだが、「わかりやすくまとめる」才能というのはじつはたいへんな才能である。この著者にはその才が輝いている。
 
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『君の涙 ドナウに流れ/ハンガリー1956』

 渋谷のシネカノン試写室で、『君の涙 ドナウに流れ/ハンガリー1956』の試写を観た。11月中旬公開のハンガリー映画。
 
 公式サイト→ http://www.hungary1956-movie.com/

 1956年、ソ連の衛星国として共産主義政権下にあったハンガリーで、市民たちが自由を求める声を上げた。だが、ソ連の意を受けたハンガリーの秘密警察AVOによって、彼らは激しく弾圧される。
 やがて、自由を求める声が大規模な民主化運動に発展すると、ついにソ連が軍事介入。ドナウ河畔のブダペストの街を戦車が蹂躙し、数千人の市民が殺害され、約25万人が海外へ逃がれた。
 
 「ハンガリー動乱」「1956年革命」として知られる現代史の一大事件である。そして、この軍事介入の数週間後、メルボルン五輪で、ハンガリーの水球チームはソ連と対戦する。

 ――これは、その2つの史実に基づいた歴史大作だ。

 両親をAVOに殺された過去をもつ女子大生ヴィキは、民主化運動の先頭に立っていた。水球チームの花形選手カルチはノンポリだったが、ヴィキの美しさに惹かれて近づくうち、革命に目覚めていく。
 だが、2人が恋人となったころ、プダペストの街は血に染まり、戦場と化していくのだった……。

 革命の途上に咲いた恋と、水球チームのオリンピックへの道程――2つの物語がドラマティックに交差する。引き締まった脚本と端正な演出が、ドラマに力強いうねりを生み出している。

 とくに、カルチが出場するメルボルン五輪でのハンガリー・ソ連戦と、ヴィキの“最後の戦い”が並行して描かれるクライマックスは見事。軍事介入に引き裂かれる恋人たちの姿が、哀しくも美しい。

 ジャンヌ・ダルクのように凛々しいヴィキ役のカタ・ドボーが魅力的だ。小柄な身体に、強い意志を感じさせる印象的な眼。

 革命の昂揚をとらえた美しいシーンが多い。
 たとえば、大規模な夜のデモを鎮めようと当局が街の電気を消してしまうと、集った人々が次々と手に持った新聞に火をつけ、松明のように闇を照らしていくシーンなど。
 また、ブダペストの街が無惨に破壊されていくシーンにすら、えもいわれぬ悲壮美がある。

 『パンズ・ラビリンス』『この道は母へとつづく』に次いで、またもや本年ベストワン級の傑作(このところ、私は「映画運」がいい)。
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『いのちの食べかた』

いのちの食べかた [DVD]いのちの食べかた [DVD]
(2008/11/29)
不明

商品詳細を見る


 『いのちの食べかた』を観た。11月公開予定の、ドイツ/オーストリア合作のドキュメンタリー映画だ。

 公式サイト→ http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

 「いのちの食べかた」といえば、森達也の本にそんなのがあったなあ、と思ったら、この映画のプレスシート(※)にも森さんがエッセイと推薦の辞を寄せていた。

※試写会などでプレス(マスコミ関係者)向けに配布される冊子のこと。映画館で売られるパンフ並みに豪華なものも少なくない。

 森さんの本が食肉市場(屠場)のルポであったのに対し、この映画は肉・魚・野菜・果物の生産・加工現場をまんべんなく描いている。まさに「いのちの食べかた」――「いのち」が食べ物へと変わるプロセスを追った映画なのだ。ちなみに原題は、「OUR DAILY BREAD」(我らが日々の糧)。

 たくさんの豚がオートメーションで次々と解体されていく過程、牛を屠殺して血を抜き皮を剥ぐ過程など、ショッキングなシーンがいくつかある。

 ただし、「ほら、人間は動物たちにこんなに残酷なことをしているんですよ。みなさん、ベジタリアンになりましょう!」と訴えるような映画ではない。
 むしろ、作品が一面的な政治的主張に陥ることを、監督は注意深く避けている。淡々と事実のみを提示していくのだ。

 難を言えば、あまりにも淡々としすぎている。
 なにしろ、ナレーションも字幕による説明も、登場する人々(加工現場などで働く人々)の言葉もいっさいない映画なのだ。おまけに音楽さえない。
 そういう手法をとることがよかったのかどうか、私には疑問。説明皆無であることで無色透明な印象にはなったものの、わかりにくい映画になったことは否めない。
 
 プレスシートには、日本の農業・畜産関係者に取材して、この映画の各場面の意味についてくわしく解説したコーナーがある(このプレスシートはなかなかの労作)。それを読んでやっと「あそこはそういう場面だったのか」と意味がわかったところが少なくない。映画を観ただけで意味が十分伝わらないというのは、やはり作品としての欠点なのではないか。

 とはいえ、一見の価値はある作品だ。
 日本語の「いただきます」には、いうまでもなく、「(動・植物の)命をいただきます」という気持ちがこめられている。そのことを、改めて深く意識させられる映画である。

 よくも悪くも、マイケル・ムーアの諸作のようなサービス満点のドキュメンタリーの対極にある作品。地味で無愛想で、静謐な印象のドキュメンタリーなのだ。

 特筆すべきは、映像の美しさ。この映画は米「ヴァラエティ」誌に「フェルメールの絵を思わせる美しさ」と評されたそうだが、たしかに、シンメトリックな構図にこだわるなど、ドキュメンタリーらしからぬ優れた美的センスにつらぬかれているのだ。
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『この道は母へとつづく』

この道は母へとつづく [DVD]この道は母へとつづく [DVD]
(2008/08/08)
コーリャ・スピリドノフデニス・モイセーエンコ

商品詳細を見る


 六本木のアスミック・エース試写室で、『この道は母へとつづく』の試写を観た。10月末公開のロシア映画。

 公式サイト→ http://eiga.com/official/konomichi/

 ロシアの凍てつく辺境の地にある、小さな孤児院。ここで暮らす6歳のワーニャ少年は、親の顔を知らない。彼は、裕福なイタリア人夫婦に養子としてもらわれていくことが決まった。
 ワーニャの幸運をうらやみ、「イタリア人」というあだ名(それが映画の原題“ITALIANETZ”になっている)をつけてからかうほかの孤児たち。

 だが、そこで一つの事件が起きる。ワーニャより先に養子にもらわれていったムーヒンの実の母親が、突然孤児院を訪ねてきたのだ。院長は「いまごろ何をしにきた!」と彼女をなじり、追い返す。

 バス亭でムーヒンの母と言葉をかわしたワーニャの心に、一つの思いが湧き上がる。
「もしも、僕がイタリアに行ってしまったあとで、ほんとうのママが訪ねてきたとしたら……」
 イタリアに行くより、ほんとうのママに会いたい――そんな、ほとんど原初的といってよい衝動に突き動かされて、ワーニャは行動を始める。文字を学び、院長室に保管された書類を盗み見て、自分の親について調べる。そして、孤児院を脱走して母を探す旅に出るのだった。果たして、ワーニャは母に出会うことができるのか?

 ……と、いうような話。ロシアで実際に起きた出来事をもとにしているという。

 タイトルと骨子から、“ロシア版『母をたずねて三千里』”みたいな時代がかった「お涙ちょうだい」の映画を想像する向きは多いだろう。じっさい、プレスシートにも「世界中で涙と共感を呼んだ」「愛と感動の物語」などという惹句が躍っていて、「泣ける映画」という方向で売りたがっているようだ。

 だが、この映画は薄っぺらいメロドラマではまったくない。ワーニャが懸命に母を追い求める姿はけなげで感動的だが、わざとらしい「泣かせ」の演出やセリフはいっさいないのだ。

 子どもたちの目を通して活写されるロシア社会の暗部など、細部に至るまできわめてリアル。そして、詩情豊かで力強い。アカデミー外国映画賞でロシア代表に選ばれながら受賞を逸した作品だが、受賞させてもよかったと思う。それくらい素晴らしい映画。

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畑道代さんを取材

 今日は、舞踊家の畑道代(芸名・尾上菊乃里)さんを取材。畑さんが代表をつとめる舞踊集団「菊の会」の本部にて。

 畑さんは、黒澤明の映画『夢』(1990)の、あの世にも美しい舞いのシーンを振り付けされた方でもある。『夢』の振り付けの舞台裏についてもうかがって、感銘を受けた。
 細かいことはここには書けないが、「天才の仕事ぶりというのはそういうものなのだなあ」と思わず唸るエピソードを聞かせていただいた。

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一志治夫『魂の森を行け』



 一志治夫著『魂の森を行け/3000万本の木を植えた男の物語』(新潮文庫)読了。

 植物生態学者・宮脇昭の半生を、手練れのノンフィクション・ライターが一年かがりで取材してまとめたもの。本人の著書を読んだだけでは見えにくかった人となりが、はっきりと見えてくる本である。

 宮脇昭は、強烈なカリスマ性をもつ希有のリーダーであると同時に、ある種の「狂気」を濃密にまとった人であるようだ。本書は、宮脇を現代の偉人として礼賛するのみならず、その裏面の狂気にまで迫った点に読みごたえがある。 
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業田良家『ゴーダ哲学堂』



 業田良家の『ゴーダ哲学堂』(竹書房文庫/980円)を読んだ。
 小学館から全2巻のコミックスで出ていた作品を、1冊にまとめた文庫版。前から気になっていた作品なので、文庫化を機に購読してみたしだい。

 帯には、「『自虐の詩』の向こうに、まだこれがあったか。本当に哲学堂だ」という呉智英の推薦の辞が掲げられている。
 呉智英が言うとおり、これは名作『自虐の詩』(そういえば映画化されたそうだ。観たいような観たくないような)の延長線上にある作品。

 『自虐の詩』のラストシーンに添えられていた言葉は、「幸や不幸はもういい。どちらにも等しく価値がある。人生には明らかに意味がある」というものだった。
 この『ゴーダ哲学堂』は、その言葉に改めて真正面から迫った作品。つまり、「人生に意味はあるか」という問いに対する答えを、短編連作マンガの形式でふたたび探したものなのである(!)。

 いわば、「マンガで描かれた哲学書」。既成の哲学を解説したマンガならこれまでにもあったが、業田良家は本気で「自前の哲学」を作り上げようとしている。その意気やよし。

 シリーズ全体をつらぬくのが「人生に意味はあるか?」という問いであり、それをさらに腑分けした問いが各編のテーマとなっている。「愛とは何か?」「家族とは何か?」「美とは何か?」「死の意味とは何か?」――そのような根源的な問いをテーマに掲げた短編マンガが、ずらりと並んでいるのだ。
 いまどきシラフではとても口にできないそんな問いかけが、マンガというポップな表現形式の中では有効に機能する。

 全24編の連作。その中には意気込みが空回りしているものもあり、玉石混淆ではあるが、「玉」にあたる作品はなかなかスゴイ。マンガとしての面白さをきっちり具えたうえで、なおかつ“ちゃんと哲学している”のだ。
 
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惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』



 久々に修羅場ってます。ああ忙しい。10月までずっと忙しい。
 
 昨日息子が「パパ、『ギズモのお肉』ってな~に?」と聞いてきた。

 ギズモといえば、映画『グレムリン』のあのカワイイやつか。その「お肉」とは?
 よくよく話を聞いてみたら、娘が「出雲の阿国」の話をしていたのを息子が聞き違ったのだった。「出雲の阿国→ギズモのお肉」と……。

 妙にツボにはまって、ひとしきり笑う。面白いのでここにメモしておく。10年とか15年とか経ったあとでこのブログを読み返したとき、こんななんでもないことにふっと幸せを実感したりするのであろう。高橋ジョージもそう言っている。

 息抜きはマンガ。
 『ディアスポリス』の5巻と『ヒストリエ』の4巻が出ていたので買う。相変わらず面白い。とくに『ヒストリエ』は、この巻でいよいよ物語が助走を終えて離陸した感じ。
 『ディアスポリス』5巻の「フェアウェル、マイ・チェリー」編は、ヒロインが宮部みゆきの名作『火車』のヒロインを彷彿とさせて、よい。

 あと、松尾滋子の「漫画偏愛主義」で絶賛されていた惣領冬実の『チェーザレ 破壊の創造者』の既刊1~3巻をついでに買ってみたら、これがムチャクチャ面白い!
 山岸凉子の名作『日出処の天子』がそうであったように、ある時代とその時代に生きた有名な人物たちへの見方を一変させてしまう作品。これもコミックスを買いつづけること決定。

 ついでのことに、もう飽きてしまって、コミックスを買うのをやめてしまったマンガも挙げておく。
『のだめカンタービレ』(パリ編になってつまらなくなった)
『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(ただのボクシング・マンガになってしまった)
『ホムンクルス』(ただの気持ち悪いマンガになってしまった)

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宮脇昭『木を植えよ!』ほか



 宮脇昭著『木を植えよ!』(新潮選書)、『いのちを守るドングリの森』(集英社新書)、『鎮守の森』(新潮社)読了。

 過去30数年間にわたり、内外1500ヶ所以上に3000万本以上の苗木を植えてきた、行動する植物生態学者・宮脇氏の近著である。

 仕事の資料として読んだものだが、深い感銘を受けた。3冊のうち、『木を植えよ!』は最もわかりやすく、“宮脇植樹学”の入門書として秀逸。


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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