勝又進作品集『赤い雪』


赤い雪 普及版赤い雪 普及版
(2011/11/22)
勝又 進

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 勝又進作品集『赤い雪』(青林工藝舎/1400円)読了。
 先日読んだ呉智英の『マンガ狂につける薬 下学上達篇』で絶賛されていたのを見て注文したもの。

 勝又進の作品というと、私は4コマ・マンガと『タンタン風狸』という民話風ギャグマンガ(私の少年時代、『別冊少年マガジン』に連載された作品)しか読んだことがなかった。その一方で、こんなに質の高い抒情的な短編を手がけていたとは知らなかった。

 東北の農村を舞台にした、民話風の短編10編を収めている。1970年代後半から80年代初頭にかけ、『コミックばく』『カスタムコミック』『漫画ゴラク』に発表されたものだ。

 いやー、この作品集はじつに素晴らしい。収められた10編はいずれも甲乙つけ難い傑作揃いである。

 各編の時代背景は判然としない。明治期を舞台にした感じのものが多いが、江戸時代が舞台とおぼしきものもあり、昭和30年代の物語も一編ある。

 いずれにせよ、日本がいまのように均質化される以前の、前近代的な「村」の土俗の世界が描かれている。河童たちや古木の精が村人とごく自然に共存し、雪女の伝説が「ほんとうのこと」として語られ、「夜這い」などの習俗がまだ生きていた世界。そう、柳田國男の『遠野物語』にも通ずる世界である。

 「民話風の短編」と書いたが、ここにあるのは「まんが日本昔ばなし」みたいな人畜無害の世界ではない。ときに残酷、ときにエロティック、ときに幻想的な、大人たちに語り継がれてきた生々しい民話の世界なのである。

 つげ義春や水木しげるも絶賛したという「桑いちご」は、つげの名作「紅い花」を彷彿とさせる、少年と少女の淡い交情の物語。表題作「赤い雪」は、雪女伝説をベースにした珠玉のラブストーリー。ほかの作品も、哀切さと鮮烈な詩情、豊饒なるエロティシズムを兼ね備えた絶品ばかりである。

 東北の方言を活かしたセリフの一つひとつも含蓄深いし、つげ義春の絵をもっとマンガ寄りにした感じの絵柄も素晴らしい。

 私がいちばん気に入ったのは、「雁供養」という短編(「雁供養」とは、いわゆる「雁風呂」の異名)。古典文学のような風格を具えた傑作である。 
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谷山浩子さんを取材



 昨日は、ヤマハ音楽振興会の本社で、シンガー・ソングライターの谷山浩子さんを取材。

 最新ベスト盤『白と黒』と、現時点での最新作である『テルーと猫とベートーヴェン』をじっくり聴いて臨む。そのほか、エッセイ集『悪魔祓いの浩子さん』などを再読しておいた。

 谷山さんは、ビックリするくらいの童顔。もちろん写真等でお顔を存じ上げてはいたのだが、実際にお会いしてみるとなおさらそう感じる。少女のようである。今年でデビュー35周年のベテランなのだが。

 イメージどおりの、ふんわりとした雰囲気の方であった。
 こちらの質問に、ときどき「ちょっと待ってくださいね。少し考えます」と言ってじっくり熟考して答えてくださるところなど、じつに「らしい」感じ。

 『白と黒』は2枚組。白いレーベルのディスク1には健全であたたかい「表の顔」を象徴する曲(「カントリー・ガール」「猫の森には帰れない」など)が並んでおり、黒いレーベルのディスク2には、ダーク・メルヘンというか、谷山の「毒気」が前面に出た曲が並んでいる。

 私は、黒盤のほうが好きだ。改めて歌詞カードを見ながら聴いて見みると、詩としてのクオリティーの高さにも驚かされる。「ドッペル玄関」「意味なしアリス」など、もうサイコーである。

 『テルーと猫とベートーヴェン』は、タイトルのとおり、手嶌葵に書いた『ゲド戦記』のサントラ曲のセルフカヴァーを含むアルバム。力作である。
 とくに「テルーの唄」は、谷山ヴァージョンのほうがずっとよいと思う。
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水谷修さんを取材



 昨日は、都内某所で「夜回り先生」こと水谷修さんを取材。

 水谷さんを取材させていただくのは、昨年につづいて2度目。
 近著『あした笑顔になあれ』『あおぞらの星』『夜回り先生のねがい』『夜回り先生の「子どもたちよ! 大人たちへ」』の4冊を読んで臨む。

 一度目のときにも感じたことだが、ずっと昔からの知り合いのように対話ができる不思議な方である。インタビュアーのこちらに対して、「身構える」感じが微塵もないのだ。「夜回り」に際して、水谷さんが見知らぬ不良少年・少女に声をかけ、たちまち心をつかむことができるのは、この雰囲気あればこそだと思う。

 水谷さんは近著の中で、「日本の子どもたちの三割くらいは、なんらかの形で心を病んでいると思う」という衝撃的なことを書かれている。「夜眠れない子どもたち」――リストカットや薬品のODなどをくり返して苦しんでいる子どもたち――は、増える一方だというのだ。
 それは統計データではなく、年に400回以上も各地の学校などで講演をし、たくさんの子どもたち・若者たちからメールや電話で相談を受ける水谷さんの「実感」なのである。

 そうした子どもたちと命がけで向き合っている姿に、改めて感銘を受けた。

P.S.
7月30日(月)深夜2時40分から放映の「テレメンタリー」(テレビ朝日)に、水谷さんが登場。講演や夜回りなどの活動に密着したドキュメンタリーだそうだ。ぜひご覧ください。   
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日本映画ベスト25



 「トカトントン」さんのリクエストに応えて、私の「日本映画ベスト25」を選んでみた。思いつくままに、「一監督一作品」の原則で。順不同です。うーむ、我ながら一貫性がない。

『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦)

『キッズ・リターン』(北野武)

『きらきらひかる』(松岡錠司)
 往時の輝きをすっかり失っていた薬師丸ひろ子を、松岡錠司がその才能で蘇生させた傑作。原作はいまをときめく江國香織。ホモセクシャルの男とアルコール依存症の女の奇妙な結婚生活を、乾いた抒情とペーソスの中に描いている。いわば“ねじれたラブストーリー”であり、そのねじれ具合が面白い。
 優等生的な役柄が多かった薬師丸ひろ子が、ここでは情緒不安定なアル中女を見事に演じている。こわれた感じのキャラなのに、なぜか非常にキュートなのだ。 

『幕末太陽傳』(川島雄三)

『スワロウテイル』(岩井俊二)

『誰も知らない』(是枝裕和) → レビュー

『ゆきゆきて、神軍』(原一男)

『下妻物語』(中島哲也) → レビュー

『用心棒』(黒澤明)
 映画『ボディガード』に、ケヴィン・コスナーとホイットニー・ヒューストンがこの映画を観に行く場面があった。で、コスナー演ずる主人公は、この映画を「いままでに62回観た」と言う(!)。まあ、それくらい面白い、極上の娯楽活劇ではある。

『キューポラのある街』(浦山桐郎)
 この映画については関川夏央氏が素晴らしい作品論をものしている(『東京からきたナグネ』所収)ので、興味ある向きは一読されたし。その中で、関川氏は言う。
「(この作品は)いわゆる日活純愛路線上のプログラム・ピクチュアとして企画されたのだが、もっともすぐれたリアリズム映画として完成し、フランソワ・トリュフォーらヌーベル・バーグの作家らにも大きな影響を与えることになった」
 浦山桐郎のデビュー作にして代表作。

『復讐するは我にあり』(今村昌平) → 関連エントリ

『竜二』(川島透)
 川島透の映画というより、脚本・主演の二役をこなした夭折の天才・金子正次の名を映画史に刻みつけた傑作。

『戦場のメリークリスマス』(大島渚)
 
『時をかける少女』(大林宣彦)
 たしか同時上映の薬師丸ひろ子の映画の「ついでに観た」のだと思うが、いまではこちらのほうが圧倒的に心に残っている。

『仁義なき戦い 頂上作戦』(深作欣二)
 暴力的で猥雑な映画なのに、ラストシーンは詩的な静謐さに満ちている。シリーズ最高傑作。

『切腹』(小林正樹)
 平田弘史の劇画みたいな映画。いや、もうちょっと端正か。

『伽椰子のために』(小栗康平) ※「椰」は実際にはニンベン
 まだ少女だったころの南果歩の、はかない透明感が圧倒的に素晴らしい。

『ジョゼと虎と魚たち』(犬童一心) → レビュー

『遠雷』(根岸吉太郎)
 私の通っていた高校のそばでトマトハウスのシーンを撮影していた、というささやかな思い出の作品。その思い入れを差し引いても傑作。

『ヨコハマBJブルース』(工藤栄一)
 私はこれが松田優作主演作のベストワン。和製ハードボイルドの最高傑作。
 「ミステリー」として見たらストーリーが粗いが、んなこたぁどーでもよくて、全編に漂うムードをこそ味わう映画。優作演ずる主人公は、売れないロック・シンガー兼私立探偵(!)。で、舞台はもちろん横浜。これだけで十分。

『斬る』(三隅研次)
 雷蔵目当てのオバハンどもに囲まれつつ、リバイバル上映を観て感動した一作。ストイックな美学につらぬかれた映画。

『A2』(森達也) → レビュー
 
『細雪』(市川崑)
 中年過ぎた大女優たちが演じる四姉妹が、あでやかな女盛りに見える「映画のマジック」。とくに吉永小百合は、当時すでに40近かったのに、ちゃんと結婚前の「娘」に見えるところがスゴイ。「あれが行ってしまうんや……」と石坂浩二がつぶやくラストがサイコー。

『ガキ帝国』(井筒和幸)
 『パッチギ!』よりはるかにリアルでドライな、『パッチギ!』の原点。

『十九歳の地図』(柳町光男)
 中上健次の小説の映画化といえば『青春の殺人者』『赫い髪の女』など傑作揃いだが、私はこれがベスト。青春のおぞましさ・汚らしさまで描き尽くした、情け容赦のない青春映画。


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松永和紀『メディア・バイアス』



 松永和紀著『メディア・バイアス――あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書/740円)読了。

 元『毎日新聞』記者、現在はフリーのサイエンス・ライターである著者(ちなみに女性。名前は「かずのり」ではなく「わき」と読む)が、メディアにあふれるさまざまな「健康情報」の危うさを暴いた本。

 テレビの安直な健康番組に踊らされる主婦たちを嘲笑し、「自分はメディア・リテラシーが高いから、あやしい健康情報には騙されない」と自負している人は多いだろう。だが、そうした人たちも、新聞全国紙の健康情報なら鵜呑みにしてしまいがちではないか。

 著者は、テレビの健康番組のみならず、新聞記事にも問題ある健康情報があふれていることを指摘していく。また、「食品添加物=悪」「自然食品=善」などという安易な単純化に警鐘を鳴らすなど、間違った健康常識を次々と突き崩していく。

 非専門の記者やライターが書いた健康記事の中の無知や誤解(他人事ではないが)、心ない科学者が自分の利害で行なう事実の歪曲などがバッサバッサと斬られていくさまは、じつに痛快だ。

 そして著者は、テレビ・雑誌・新聞などのメディアが、偏向した健康情報を流しつづける「構造」にまで迫っていく。
 広い意味で著者の同業者である私にとっても身につまされる、次のような指摘もある。

 

 フリーランスのライター業界では、努力して優秀な科学ジャーナリストを目指すより、トンデモ情報を垂れ流すライターになる方がはるかに“儲かる”、いや、そうでないと“食ってはいけない”のが現実なのです。
 「○○は危ない」と煽る本を書いた科学ジャーナリストたちと対談し、批判したある研究者は、対談後にこう言われたそうです。「先生は大学の教職という仕事があるから正論を言えるんです」。


 
 非常に優れた科学啓蒙書であり、メディア・リテラシー入門としても秀逸だ。「食の安全」への関心がかつてないほど高まっているいまこそ、広く読まれるべき好著。巻末に置かれた、「科学報道を識別するための十ヶ条」を、肝に銘じたい。

 じつは私は図書館で借りてきて読んだのだが、すごく面白かったのであわててアマゾンに注文した。絶対オススメの一冊。
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安田喜憲『一神教の闇』



 安田喜憲著『一神教の闇――アニミズムの復権』(ちくま新書/720円)読了。

 「環境考古学」のパイオニアである著者(国際日本文化研究センター教授)のもう一つの顔は、「アニミズム・ルネッサンス」の提唱者としての顔である。地球環境問題を解決に向かわせるためには、アニミズムの復権によって現代文明を方向転換させるしかない、と主張しているのだ。

 本書は、著者の言う「アニミズム・ルネッサンス」とはいかなるものであるのかを概説したもの。

 アニミズムというと、とかく、「宗教の野蛮な原初形態」というイメージばかりがある。しかし著者は、“アニミズムに基盤を置く文明こそ、自然との共生を可能とする21世紀型の文明なのだ”と主張する。

 対して、キリスト教、イスラム教などの一神教は、生命の輝きのない砂漠で生まれた宗教であり、そこには人間以外の生命、自然への畏敬の念が欠落している。現代文明はその一神教に基盤を置くがゆえに、必然的に自然搾取型の文明となり、現在の深刻な環境破壊を引き起こした、とする。

 だからこそ、「アニミズム・ルネッサンス」による文明のシフトが、いま急務とされている、と著者は言う。

 

 卑猥や野蛮と貶められてきたアニミズムこそが、この危機に瀕した地球と人類を救済できる重要な世界観であり、人類が生命の惑星地球に生き残るために必要不可欠な世界観であることを確信した。そして、そのことが欧米のキリスト教世界の人々にも認められてこそ、はじめて地球と人類は救済できる



 そして、アニミズムに基盤を置く文明は、かつて日本・インド・中国(長江文明)・中南米(マヤ、アンデス文明)など、太平洋を囲む環の形で世界に点在した。その「環太平洋生命文明圏」の人々が力をあわせて、「アニミズム・ルネッサンス」を推進していかなければならない。
 ……と、いうような本。

 新書一冊のボリュームの中で文明史を鳥瞰しているから、内容はかなり駆け足だし、牽強付会に思える主張もある。それでも、一つの問題提起として一読に値する本。
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鶴見済『人格改造マニュアル』


人格改造マニュアル人格改造マニュアル
(1996/11)
鶴見 済

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 鶴見済(わたる)著『人格改造マニュアル』(太田出版/1260円)読了。10年以上前の本だが、仕事上の必要があっていまごろ読んだ。

 鶴見済は、言わずと知れたミリオンセラー『完全自殺マニュアル』の著者。私にとっては、同年(1964年)生まれの同業者(フリーライター)として、気になる存在ではある。

 私は『完全自殺マニュアル』を否定的に読んだ一人だが(著者のニヒリズムはオウム並みの危険思想だと感じた)、その続編的な位置づけであろう本書は、読んでみたら「意外にまっとう」な内容であった。

 「脳をチューニングして楽チンに生きよう」という帯の惹句が印象的だったこの本は、タイトルのとおり、人為的に「人格を改造」するさまざまな方法を網羅的に紹介したもの。
 違法・合法ひっくるめたドラッグから、「自己開発セミナー」などの洗脳、「森田療法」などのサイコセラピーに至るまでが取り上げられ、それぞれのメリットとデメリット、実際にその方法を体験するためのノウハウ(違法薬物については入手方法まで)などが紹介されている。

 しかも、その多くは著者自身が体験したか、もしくは体験者等の当事者に取材したうえで書かれている。反社会的な方法(違法ドラッグやマルチまがい商法など)についても、その是非はとりあえず措いて、「人格改造」法としての「効果」についてだけ評価するクールな視点を保っている。

 フツーの若者たちに違法薬物に手を出すきっかけを与えたかもしれない、という点では、『完全自殺マニュアル』と同等のインモラル本かもしれない。が、一種の雑学本として読む分にはたいへん面白い、よくできた本である。
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日本のロック・アルバム ベスト25



 「日本のロック・アルバム ベスト25」を選ぶ遊びが、ミクシィで流行っているらしい(私自身はミクシィをやっていないが)。その遊びが、ミクシィからブログに波及しつつあるところ。

 「トカトントン」さんが選んでいたのが楽しそうだったので、私も参加してみよう。

 4年ほど前に「ロック・アルバム・ベスト10/邦楽編」というのをブログでやったことがあるので、それに15枚プラスする形で(安直!)。
 まず、前に選んだベスト10を挙げてみる(順不同)。 

サンハウス『クレイジー・ダイヤモンズ』
 「めんたいロック」の元祖サンハウスは、1983年夏、一時的に再結成され日比谷野音でコンサートを行った。これはその際に収録されたライヴ盤。
 サンハウス時代の代表曲に、シーナ&ザ・ロケッツのレパートリーをくわえた構成。ドライでスピーディーなロックンロールが機銃掃射のように繰り出される。
 ここには余分なものがいっさいない。メッセージ性も芸術性もない。ただ、ロックのビートが本来もっている原初的な快感だけがたっぷりとある。純度100%のピュア・ロックンロール。

ジョニー、ルイス&チャー『OiRA』
 ジョニー、ルイス&チャーとはのちのピンククラウドのこと。JL&C名義でライヴ盤含め3枚のアルバムを残しているが、それらはいずれも傑作。中でも、この『OiRA』は最もパワフルな作品で、非の打ちどころのないカッコよさ。
 バンド名は、かつてジェフ・ベックが組んでいた最強のロック・トリオ「ベック、ボガート&アピス」を意識したネーミング。また、『OiRA』というタイトルも、ベックの名作『Ola(オラ)』と日本語の「オイラ」のもじりだ。
 クリームやBB&A、あるいはジミヘンに通じる、ブルース・ベースの男臭いハード・ロックである。収録時間の短さだけが珠にキズ。

JAGATARA『裸の王様』
 都市の闇から生まれたファンク。ドライアイスに手を触れたときのように、冷たくて熱い。負のエナジーに満ちた、夜に聴くべき危険な音楽。
 フル・アルバムなのに4曲しか入っていない。つまり1曲が10分前後の長さ。しかしまったく冗漫ではなく、リズムのうねりが生み出す緊張感・高揚感が最初から最後まで持続する。

シオン『SIREN(サイレン)』
 シオンは歌に「生きざま」がそのまま現れるニール・ヤング系のアーティストで、私はどちらかというとこの手のロックは苦手なのだけれど、個人的な思い出で選んだ。駆け出しライターだったころ、このアルバムのプロモーションのための地方回りに取材で同行したのだ。
 ただし、そうした思い入れを差し引いても、これは傑作だ。
 なにより、詞が素晴らしい。巻き舌の英単語をちりばめて事足れりとする凡百の日本語ロックとは、まったく次元が違う。自分の日常生活をそのまま歌にしているだけなのに、聴く者の心を鷲づかみにする迫力がある。
 バック・バンド「NOIS」との息もピッタリで、初期のフォーク・ロック的イメージを振り切ったノリのよいバンド・サウンドを聴かせてくれる。「奇跡のバランス」「ブーメラン」など名曲目白押し。

Cocco『ブーゲンビリア』
 Coccoはこのファースト・アルバムでいきなり頂点を極めてしまったと思う。その後のアルバムもそれぞれよいが、これに比べたらかなり見劣りがする。
 とにかく、曲が粒揃いだ。
 コクトー・ツインズも真っ青の耽美的でドラマティックな名曲「遺書。」、パンクの疾走感とオルタナ・ロックのハードネスを兼ね備えた「走る体」、フォーク・ロック的で清冽な佳曲「やわらかな傷跡」、スケールの大きな美しいバラード「星の生まれる日。」など、捨て曲は1曲もなし。
 伸びやかなヴォーカルも、すでにこのファーストの時点で完成されている。
 食わず嫌いでいるおじさんロック・ファンは、是非一聴を。

 あと5枚は、以下のとおり。

ルースターズ『FOUR PIECES』
 解散することを決めてからレコーディングに入ったという、ルースターズのラスト・アルバム。いわば彼らにとっての『アビイ・ロード』。
 このアルバムのためだけに集った強力なリズム隊をバックに、花田裕之と下山淳が互いの持てる力を振り絞った渾身作。楽曲はどれも力強さと美しさを兼ね備え、それでいて「終焉」の哀切さに満ちている。

パンタ&ハル『マラッカ』
 もう一つの傑作『クリスタルナハト』とどちらを選ぶか迷った末に、鼻差でこっち。パンタのいつものラディカリズムは後景にしりぞき、ロマンティシズムが前面に出たアルバム。

ゼルダ『空色帽子の日』
リザード『LIZARD』
布袋寅泰『GUITARHYTHM』

 さて、このときはかなりゴリゴリの「ロック」に絞ってセレクトしたので、残り15枚はもうちょっとソフトなものまで範囲を広げてみよう。

YMO『テクノデリック』
ザバダック『遠い音楽』
矢野顕子『ごはんができたよ』
キリンジ『3』
一風堂『ラジオ・ファンタジー』
坂本龍一『音楽図鑑』
ナーヴ・カッツェ『Oyzac』
鈴木さえ子『スタジオ・ロマンチスト』
佐野元春『ヴィジターズ』
フリクション『軋轢』
井上鑑『予言者の夢』
スターリン『FOR NEVER』
サンディー『MERCY』
大貫妙子『ロマンティーク』
ナンバーガール『SAPPUKEI』
 ナンバガの最高傑作。大音量の音の塊を聴き手にぶつけてくる攻撃的なサウンドだが、その音の塊が緻密なアンサンブルに裏づけられていて、やかましいのに不思議な透明感がある。
 パンクっぽいともオルタナっぽいとも言えるけれど、むしろ、レッド・ツェッペリンが後期のアルバム『プレゼンス』や『コーダ』で見せた達成を彷彿とさせる。美しい音の塊によって、“もう一つの現実”を構築してみせる音。語の本来の意味で「ハード・ロック」という言葉がふさわしい音。“現実と戦うための武器”のような音。聴いていると、その音で「心が鎧われる」ようだ。
 とくに、「ZEGEN VS UNDERCOVER」「SASU-YOU」「TATOOあり」の3曲の疾走感は圧倒的。アヒト・イナザワのドラムスがすごい。
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内田樹さんを取材



 昨日は、神戸女学院大学で内田樹さんを取材。
 内田さんを取材させていただくのは3年ぶり、2度目である。
 
 前回の取材に際してはそれまでのご著作をすべて読んで臨んだのだが(→このエントリ参照)、その後の3年間ですごい勢いで著作を出されているので、すべては読破できず。取材テーマに関連した著作と近刊のみ読んで臨む。

 今回読んだのは、すでにこのブログに記した『下流志向』『狼少年のパラドクス』『先生はえらい』『14歳の子をもつ親たちへ』のほか、『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋)と、『態度が悪くてすみません』(角川oneテーマ新書)の計6冊。それでもなお未読の近著がたくさんあるのだから、すごいものである。

 内田さんのご著作はブログから編まれたものが多いが、『態度が悪くてすみません』は、商業誌に書かれたさまざまな原稿を集めたもの。
 収められた文章はどれも面白いのだが、何より「あとがき」が最高。収録各編について短いコメントをしているのだが、商業メディアに寄稿したものなのに、「出典不明」――すなわち「どこに書いたか忘れました」という文章が多いのである。ううむ、スゴイ。それだけ超売れっ子だということなのだが。

 神戸女学院大学は、鬱蒼とした樹々が美しい、歴史を感じさせるキャンパス。

 今回の取材テーマは、「そもそも『教える・学ぶ』とはどういうことなのか?」というもの。「真の『学び』とは、その学びの過程でその人が別人になってしまうかのようなダイナミックなプロセスであり、受験勉強など『学び』でもなんでもない」というお話が目からウロコ。
 また、「師匠をもつ」ということがどれほど幸福なことか、というお話にも感銘を受けた。
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内田樹・名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』



 内田樹・名越康文著『14歳の子を持つ親たちへ』(新潮新書/680円)読了。

 対談集である。相手の名越氏は精神科医であり、山本英夫の『ホムンクルス』の“原作アドバイザー”でもある(ゆえに『ホムンクルス』の主人公も「名越」)。

 私の娘は今年ちょうど14歳なので、切実な興味をもって読んだ。
 ……のだが、話の脱線があまりに多すぎて、「子育て論」としては肩透かしの内容。思春期の我が子への接し方について参考になるようなことは、ほとんど書かれていない。

 てゆーか、この内容でこのタイトルにするのは無理やりすぎでしょ。子育て論というより身体論になってしまっているのだから。

 まあ、タイトルのほうが先に決まっていて、対談に同席した編集者も「困ったなあ。どんどん脱線していく」と頭を抱えたのだろうけど。

 しかし、けっしてつまらない本ではない。テーマから脱線した話のほうが面白いという、ちょっと困った本。

 たとえば、次のような指摘に膝を打った。

内田 今の女の人の感受性が鈍っている原因の一つに、ダイエットがあると思うんです。「あれが食べたい」っていうのは、必ず身体の中からの欲求があるわけだけども、ダイエットって一日のカロリーを最初に決めてしまうでしょ。(中略)自分の身体の中から出てくる「このビタミンが欲しい」、「このミネラルが欲しい」っていうシグナルを全部シャットアウトしないとダイエットって成立しないんです。自分の身体から発信されるそういう微妙な信号を聞かない習慣をつけたら、身体感覚は鈍くなりますよ。

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『恋するマドリ』



 京橋で『恋するマドリ』の試写を観た。8月公開の邦画。トップアイドルである「ガッキー」こと新垣結衣の映画初主演作である。

 公式サイト→ http://www.koisurumadori.com/

 タイトルから「不動産会社が舞台のラブストーリーなのかな?」と思ったのだが、そうではなく、“引っ越しがきっかけで出会った3人の男女が織りなすラブストーリー”なのであった(だったら「恋する引っ越し」じゃん)。

 ガッキーが演じるのは美大生。彼女が淡い想いを寄せる、引っ越し先の一階上に住む若い男に松田龍平。その元カノで、ガッキーが憧れる「大人の女」に『バベル』の菊地凛子。この3人の奇妙な三角関係を描いている。

 ストーリーはかなりご都合主義。ガッキーの新しいバイト先に「偶然にも」松田がいたり、ガッキーがもともと姉と一緒に住んでいた部屋に「偶然にも」菊池が引っ越したり……と、「偶然」が許容量大幅オーバーである。大昔の少女マンガみたいだ。

 しかしそれでも、ディテールにはキラリと光る部分も多く、全体としては悪くない映画。笑える場面も多いし、インテリアなどの小道具の使い方はバツグンにうまい。

 それもそのはず、若い女性に人気のインテリア・雑貨ショップ「Francfranc(フランフラン)」が、製作に参加している映画なのだ。「インテリア雑誌を眺めることが趣味」という人ならきっと楽しめるはず。

 あと、ガッキーのカワイさ・可憐さがハンパない。そのカワイさを堪能するための映画といってもよく、アイドル映画として観れば満点の出来である。ガッキー・ファンは必見。 
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『長江哀歌』

 京橋で『長江哀歌(エレジー)』の試写を観た。
 2006年のベネチア国際映画祭で金獅子賞グランプリを受賞し、審査員長だったカトリーヌ・ドヌーヴに絶賛されたという中国映画。8月18日公開。監督は『プラットホーム』『青の稲妻』のジャ・ジャンクー。
 最終試写に近い日だったのに、補助イスも出る盛況であった。

 公式サイト→ http://www.bitters.co.jp/choukou/

 「万里の長城以来の中国一大国家事業」といわれる、長江・三峽ダム建設(2009年完成予定)を背景に、中国の庶民の「人生の哀歓」を描いた作品。

 ダム建設によって水の底に沈む運命にある、古都・奉節(フォンジェ)。そこに、離別した妻子に16年ぶりに会うためにやってきた炭坑夫と、2年間音信不通になっている夫を探しにきた女。2つの物語が並行して綴られる。

 2人が行く先々で出会うのは、赤銅色に日焼けした労働者など、典型的な中国の庶民たち。
 主人公の炭坑夫を演じるハン・サンミンはプロの俳優ではなく本物の炭坑夫だそうだが、そのことが象徴するように、庶民たちの姿が鮮やかなリアリティで活写されている。まるでドキュメンタリーを観るよう。

 墨絵のような長江周辺の風景と、古都を壊して建設されていくダム。それは、中国の「歴史といま」の象徴でもある。
 ただし、ジャ・ジャンクーはそのどちら側にも立っていない。変わりゆく中国を批判的に描く映画でもなければ、古きよき中国をただ哀惜する映画でもないのだ。
 監督の眼目は、時代が変わっても変わらない庶民の生の営みを、一幅の絵画のように刻みつけることにあろう。英題は「STILL LIFE(静物画)」だが、そのタイトルどおり、静謐な美しさをもつ映画だ。
 ジャ・ジャンクーはまだ若い(1970年生まれ)のに、まあなんとも渋い映画を撮ったものである。

 描き出される庶民たちの姿は、ときに浅ましく、卑小で、愚かしい。しかし、監督はその卑小さ、愚かしさまでもあたたかい目線で包み込む。そして、名もなき人々の生が一瞬だけ放つ蛍火のような輝きを、感動的にとらえるのだ。

 ジャ・ジャンクーの映画はしばしば小津安二郎を引き合いに論じられるが、この映画でも、2人の主人公の静けさは小津的だ。どんな場面でもけっして大声を上げず、ただ静かに「哀しみを抱きしめる」その姿は、まるで昔の日本人のようだ。
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『私のちいさなピアニスト』

私のちいさなピアニスト [DVD]私のちいさなピアニスト [DVD]
(2008/02/22)
オム・ジョンファシン・ウィジェ

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 京橋の映画美学校試写室で『私のちいさなピアニスト』の試写を観た。8月下旬公開の韓国映画。

 公式サイト→ http://www.mylittlepianist.com/

 国際的なピアニストになるという夢に挫折したヒロインのジスは、ソウル郊外に小さなピアノ教室を開く。
 教室への引っ越しの日、1人の少年が、彼女の荷物の中からメトロノームを奪い去って逃げる。少年は、7歳のキョンミン。両親はおらず、虐待癖のある祖母と2人で貧しい暮らしをしていた。
 情緒不安定で近所の住民とのトラブルが絶えないキョンミンだったが、ジスは彼が「絶対音感」の持ち主で、ピアニストとしても才能に恵まれていることを見抜く。

 ジスは、キョンミンをピアノ・コンクールに優勝させることで、ピアノ教師としての名声を得ようと考える。そしてその日から、厳しいレッスンが始まるのだった。
 みるみるピアノの腕を上げていくキョンミン。彼はジスに、4歳のころに事故で亡くした母の面影を見ていた。ジスも、打算からレッスンを始めたものの、やがてキョンミンに母性愛を感じ始めるのだった。

 不思議な絆で結ばれた孤独な師弟。その夢への道程を描いて、感動的な作品。コミカルな部分と「泣かせ」の部分の配合が絶妙で、気持ちよく観られる。
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内田樹『狼少年のパラドクス』



 内田樹著『狼少年のパラドクス/ウチダ式教育再生論』(朝日新聞社/1400円)読了。

 収録された文章の大半は、内田さんのブログに掲載されたもの。膨大なブログ・エントリの中から、“日本の教育危機の現状と、その再生への展望”にまつわるテーマのものを選んで編まれている。

 私は内田さんのブログをずっと読んでいるから、ここにある文章もすでに一度は読んでいるはずだが、教育テーマのものだけをまとめて読むと、また印象が違う。

 近著『下流志向』と重複する主張も散見されるが(同じ人が同じ「教育」というテーマで書いているのだから無理ないけど)、それでも楽しく読める。

 メモしておきたくなるような至言のたぐいも多い。たとえば――。

 「学ぶ」というのは、キーワード検索することとは別のことである。自分が何を知らないかについて知ることである。自分の知識についての知識をもつことである。それは「知識をふやす」ということとは違う。(中略)学校というのは子どもに「自分は何を知らないか」を学ばせる場である。

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内田樹『下流志向』



 内田樹著『下流志向』(講談社/1400円)読了。
 
 言わずと知れた、本年上半期を代表するベストセラーの一つ。
 評判どおり、面白い本だった。講演をベースにしたものだが、講演本にありがちな薄っぺらさがなく、示唆に富んでいる。読みながらたくさん傍線を引いた。ここ数年の内田さんは著作を量産されているのに、このクオリティーを保っているのはスゴイ。

 子ども・若者の学力低下と、ニートの増加――いまの日本が抱える2つの社会問題の深層を考察したものである。
 山田昌弘の『希望格差社会』や諏訪哲二の『オレ様化する子どもたち』など、2つの問題を取り上げた先行の類書をふまえつつ、きわめて独創的な洞察をくり広げている。

 内田さんは、「学ばない子どもたち」と「働かない若者たち」の急増は同根だという。まあ、ここまでは誰もが考えること。しかし、その先が目からウロコだ。
 
 たとえば学力低下について、それは子どもたちの怠惰の結果ではなく「努力の成果」であると、内田さんは言う。「学びから逃走することから自己有能感や達成感を得ている」子どもが増えているのだ、と。
 
 また、次のようにも言う。
 生まれて初めての社会経験が労働ではなく買い物だったいまの子どもたちは、「何よりもまず消費主体として自己確立する」。ゆえに彼らは「消費者マインドで学校教育に対峙して」おり、「教育サービスの買い手」として学校側に接するのだ、と。

 教壇に立つ教師を眺める子どもの目線は、「で、キミは何を売る気なのかね? 気に入ったら買わないでもないよ」というものなのだという。
 だからこそ、「価値や有用性が理解できない商品」(勉強することが何の役に立つかわからない事柄)は「買う価値がない」と判断し、「不快という貨幣」(=授業を黙って聞くという苦痛に耐えること)を支払わない。

 うーむ、そう言われると、学級崩壊という不可解な現象も腑に落ちる気がするではないか。

 ……そのように、「学習と労働について、これまでとは違う考え方をする新しいタイプの日本人」の行動原則を鮮やかに読み解いた本。
 ベストセラーになったことで食わず嫌いしている人も多いだろうが、学力低下やニートの問題に関心がある人なら一読の価値あり。
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内田樹『先生はえらい』



 内田樹著『先生はえらい』(ちくまプリマー新書/760円)読了。

 大学教授にして合気道の先生でもある内田さんが、その豊富な教育経験をふまえ、専門であるフランス現代思想の知見も織りまぜて書いた師弟論である。

 ちくまプリマー新書は中高生程度の読者に向けて編まれているのだが、にもかかわらず、本書の内容はわりと難解。「師弟関係の力学(というか錬金術)について論じたかなり純理的な著作」なのである。文章こそ平明だが、内容はふだんの内田さんの本よりもむしろはるかに哲学的だ。

 たとえば、こんな一節がさりげなく出てくる。

 「謎から学び取り出すことのできる知見は学ぶ人間の数だけ存在するということこそが、学びの豊穣性を担保している」

 通りいっぺんの微温的な教育論を期待して手にとった10代の読者は、途中で「なんだこりゃ?」と投げ出してしまうのではないか。
 
 ただし、武道や学問など、なんらかの「師弟関係」を実際に経験した人には、内田さんの言わんとすることがよくわかると思う。深みのある師弟論である。
 「師弟」という関係の峻厳さ、美しさをたたえた書として、私は読んだ。

 心に残った一節を一つ引いておこう。
 

 師弟関係というものを商取引の関係から類推してはなりません。もし、先生というのは、なんらかの知識や技術を具体的なかたちで「所有」しており、しかるべき対価の代償として、それを「クライアント」に伝授する職業人であると定義するなら、そのような関係を「師弟関係」と呼ぶことはできません。つまり、そこでは本当の意味で「学ぶ」ということは成立しないということです。

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『消えた天使 -The Flock-』

 『消えた天使 -The Flock-』を観た。8月4日公開のアメリカ映画。『インファナル・アフェア』で知られる香港映画の雄、アンドリュー・ラウ監督のハリウッド進出第一作である。

 公式サイト→ http://www.kieta.jp/

 主演はリチャード・ギアとクレア・デインズ。2人が演ずるのは、性犯罪登録者の監視を業とする米公共安全局の保護監察官。したがって厳密には刑事ではないのだが、広義の「刑事もの」と見てよいだろう。

 退職間近のベテラン監察官、エロル・バベッジ(ギア)は、新任の若い女性監察官、アリスン・ラウリー(デインズ)の指導をまかされる。
 それからほどなく、2人の担当地域で少女の失踪事件が発生。エロルは、彼が監視をつづけてきた登録者の中に誘拐犯がいると確信する。だが、日頃強引なやり方で上司や警察ににらまれているエロルの言うことを、誰も信じようとしない。
 エロルとアリスンの2人は、ときに衝突しつつも、しだいに犯人に近づいていく。

 ……と、いうような話。 
 ひとクセあるベテラン刑事とルーキーというコンビの衝突と和解のプロセスが核となる映画は、これまでにも山ほどある。また、猟奇殺人犯を追うサイコ・サスペンスもやはり山ほどあって、物語自体に新味はない。
 それでも、この映画は細部にたくさんのひねりが加えてあって、なかなか面白い。

 ひねりの一つは、主人公エロルの人物設定。

 この手の映画では、主人公の「はみだし刑事」は上司に疎まれつつも優秀で「正義の味方」であるのがセオリーだが、エロルは性犯罪者の監視という仕事を長年つづけてきたせいで、疲れ果て、どこか病んだ感じの男として設定されている。
 コンビを組むアリスンは、上司からひそかに「エロルが退職までに面倒を起こさないように」という監視役も仰せつかっているのだ。

 「正義の味方」どころか、一歩間違えば犯人側に行ってしまうかもしれないアブナイ男――主人公をそんなキャラに設定したことで、犯人捜しとは別のサスペンスが生まれている。

 もう一つのひねりは、主人公2人が出合う性犯罪者たちの人物造型。これが、いずれもものすごくリアル。
 レクター博士のような怪物ではなく、一見どこにでもいる普通の人々がおぞましい犯罪に手を染める恐怖を描いて、観る者を慄然とさせる。

 原題の「The Flock(群れ)」とは、彼ら性犯罪者たちの群れを指す。シリアル・キラーたちの実像を描いたロバート・K・レスラーの『FBI心理分析官』という傑作ノンフィクションがあったが、あの本に近い面白さ(と言ってよいものかどうか)がある。

 また、犯罪王国アメリカの現実に対する皮肉のスパイスも、随所に効いている。 
 たとえば、市民に性犯罪登録者を公表するための公共安全局のサイトが、じつは性犯罪者同士が知り合う「出会いの場」となっている、という部分。あるいは、犯罪者の人権を守るための市民運動団体が、結果的に犯罪を幇助してしまう、などという描写。「そういうことも実際にあるだろうな」と思わせる。

 紋切り型に陥りそうな設定ながら、そうなることを巧みに回避した、独創的なサイコ・サスペンス。ギアは珍しく汚れ役だが、凛とした女性監察官を演じたクレア・デインズはじつに魅力的である。 
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『週刊しゃかぽん』

 『週刊しゃかぽん』を毎週買っている。 
 朝日新聞社が発行している、「楽しみながら社会科の知識が身につく、小学生向け週刊誌」である。

 今年4月の創刊時、某誌に小さな紹介記事を書いたのだが、その際、「これはウチの息子(小4)にちょうどいい」と思い、買い始めたのである。

 週刊誌といっても、全50冊で完結することがあらかじめ決まっている。全冊そろえて専用バインダー(別売)にコーナー別にファイルすると、6巻の「子ども用社会科事典」になる、というもの。
 デアゴスティーニから山ほど出ている「週刊ナントカ」と同じたぐいである(それにしても、デアゴスティーニはあんなにたくさん雑誌を出して、テレビCMもバンバン打って、ワリに合う商売なのだろうか?)。

 この『週刊しゃかぽん』、マンガとイラスト、写真をふんだんに使ったオールカラーの誌面で、見るだけで楽しい。

 内容も、子どもたちが抱く素朴な疑問を「つかみ」として用いて、うまく興味を引くように作られている。
 たとえば、邪馬台国について扱った記事のタイトルは「卑弥呼は美人だったの?」だ。また、内閣総理大臣の役割を教える記事には、「『君も総理大臣になれるかな?』すごろく」なるものがついていたりする。大人が読んでもためになる記事も少なくない。

 もっとも、マイナス点もないではない。
 たとえば、「この記事、マンガのところが余分だな。解説だけあればいいのに」と思うことがしばしばある。せっかくのマンガが、扱っている事柄の理解に役立っていないのだ。

 また、「世界びっくり新聞」なるコーナーで、オカルト的な事柄をよく扱っているのには首をかしげる。「真相はこうで、超常現象ではない」という角度ではあるのだが、そもそもこんなコーナーが必要なのかどうか。

 とはいえ、おおむねよくできた内容だ。

 息子はすっかり気に入って、発売日の木曜日には学校から帰るなり、私に「『しゃかぽん』買ってきてくれた?」と聞く。で、毎週一緒に読んでいる。朝日新聞販売店に頼めば宅配もしてくれるらしいが、父子のコミュニケーションの一助として、わざわざ書店に買いに行っているのである。


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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