上條さなえ『10歳の放浪記』



 上條さなえ著『10歳の放浪記』(講談社/1333円)読了。

 児童文学作家として活躍する著者が、自らの少女時代の壮絶な体験を綴ったノンフィクション。複雑な家庭の事情から、彼女は10歳の一年間を学校にも行けず、父と2人で「ホームレス」として暮らしたのだった。

 といっても、野宿してゴミをあさるような暮らしではなく、いわゆるドヤ(=日雇い労働者向けの簡易宿泊所)を泊まり歩くのだが、家もなく、収入もないに等しいのだから、「ホームレス」という言葉に誇張はない。

 ホームレスの父子が億万長者になった実話を描いた『幸せのちから』という映画がつい最近あったが、あちらは父親が懸命に努力してその境遇から抜け出す話だった。
 対照的に、こちらの父親はとんでもないダメ親父である。酒に溺れ、たまに収入があれば競馬に使ってしまい、あまつさえ10歳の娘・早苗に、「お父ちゃんおまえを育てるのに疲れちゃったよ」などという言葉まで吐く。
 では、この親子はどうやって生きのびたのか? なんと、10歳の早苗がギリギリの生活を支えていたのである。

 時は1960(昭和35)年――。
 テレビのニュースで、ケネディ大統領が就任演説で「国が何をしてくれるかではなく、国のために自分が何をできるのかを問うてほしい」と述べるのを見て、早苗はその言葉を自分に置き換える。「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子が何をできるか」を考えるのだ。
 そして、ダメ親父に頼らず、自力で生きのびる術を探し始める。それは、パチンコ屋で拾った玉でパチンコをしてわずかな金を稼ぐという方法だった。

 昭和30年代。人々は貧しくとも、心はやさしく豊かだった……などというといかにも陳腐な物言いになるが、この本を読むとやはりそう感じざるを得ない。
 親子が生きのびられたのは、ドヤ街に暮らす人々がみなで早苗を守り、助けてくれたからだった(いま10歳の少女が街をさまよっていたら、たちまち鬼畜ロリオタの餌食となるだろう)。地回りのヤクザやパチンコ店員、床屋の女店員などが早苗に向ける思いやりは、感動的である。

 悲惨な体験にもかかわらず、早苗がたくましく生き抜いていく姿にはどこか冒険物語のような趣もあって、気持ちよく読める。筆致に過度の湿り気がないのだ。

 たとえば、父親がポツリと「死のうか…」という場面。早苗は父に、「やだ。まだマティーニを飲んでないもん」と言葉を返す。
 彼女は映画館に行っては、「父が中にいるので、探してもいいですか?」とモギリ嬢にウソをつき、タダで映画を観ることを愉しみにしていた(実際には、モギリ嬢が早苗を哀れんで黙認してくれていたのだろう)。そして、『アパートの鍵貸します』でジャック・レモンがマティーニを飲む場面を深く心に刻み、「いつかマティーニを飲むこと」を夢見たのだった。

 このように、父親が娘に「死のうか」と言うようなギリギリの場面でさえ、作者の筆は十分に抑制が効いている。自らの血を流すような体験を、冷静に、客観的に、一つの物語に昇華しているのだ。 

 児童文学作家だけあって、文章はすこぶる平明で読みやすい。むずかしい言葉をまったく使わず、それでいて深いところまで表現した文章。小学校高学年くらいから読めるだろうから、いじめなどに悩んでいる子どもたちにぜひ読ませたいと思う。
 たとえば「おわりに」の次のような一節は、子どもたちの心に深々と刺さるに違いない。

 

 いつの間にか、わたしは精神的に強くなっていて、いじめなんてなんでもない、帰る家のない、明日泊まる所や食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変かと、子ども心に思いました。


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アソル・フガード『ツォツィ』

ツォツィ ツォツィ
アソル・フガード (2007/03)
青山出版社

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 アソル・フガード著、金原瑞人・中田香訳『ツォツィ』(青山出版社/1500円)読了。

 先月観た映画『ツォツィ』がすごくよかったので、原作も読んでみた。
 映画では描かれなかった各登場人物のバックグラウンドと内面が詳細に描かれているので、映画を観てからでも愉しめる。

 原作を読むと、“南アフリカ版『罪と罰』”ともいうべきこの物語の構造がより明瞭に見える。1人の犯罪者の「魂の蘇生」を描いているのだ。
 『罪と罰』のラスコーリニコフがインテリであるのとは対照的に、ツォツィは教育らしきものをまったく受けていない。当然文盲であり、赤ん坊を拾ってから自分の心に起きた変化の意味さえ、言葉にすることができない。そこで、犯罪仲間でただ1人大学出の「ボストン」に、その意味を問う。ボストンは答える。
「ツォツィ、おまえが知りたがっているのは神様のことなんだ」
 と……。
 文盲のラスコーリニコフが、褐色のソーニャに出会って魂を救われる物語。ごく正統的な堂々たる文学であり、哀切な青春小説でもある。

 映画が現在を舞台にしているのに対し、1980年に発表されたこの原作の舞台は、アパルトヘイト真っ只中の1960年代初頭だ。
 映画版にはほかにもいくつかの変更点があるが、そのアレンジはいずれも成功している。原作のコアの部分を巧みにすくい取り、より磨きをかけた、「小説の映画化」のお手本のような作品だと思う。 
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『雲南の少女 ルオマの初恋』

 東銀座のシネマート試写室で、『雲南の少女 ルオマの初恋』を観た。6月16日公開の中国映画。

 公式サイト→ http://www.ruoma.jp/

 中国雲南省の少数民族・ハニ族の村を舞台にした、詩情豊かな初恋物語。17歳の少女・ルオマが、都会からやってきたカメラマンの青年に寄せる淡い想いを描いている。

 海抜2000メートルの山深い村。一面に広がる見事な棚田がすこぶる美しい。棚田の水面に映える夕陽、墨絵のように雲がかかった山々など、村の風景は我々日本人にとっても懐かしさを感じさせる。

 稲作の村であることも、「懐かしさ」の一因であろうか。「稲魂(いなだま)よ、私たちの田におりてきてください!」とリーダーが声高らかに叫んでから田植えが始まるなど、ハニ族の習俗もていねいに描かれ、興趣尽きない。

 田舎の純朴な少女が、都会からきた青年に恋をする――そんな図式の物語、いまの日本で作ったらどうやっても陳腐なものになるだろう。
 身分の差とか貧富の差とか、互いの「差異」こそがラブストーリーの大きな駆動力になるわけだが、隅々まで均質化され情報も行き渡った日本では、そうした差異はなかなか見出しにくい。

 だが、雲南奥地の村に都会の青年を放り込むと、差異がごく自然に成立する。なにしろ、ルオマの家には電気すら通っておらず、親がわりの祖母は糸車と手動の織機で布を織って生計を立てているのだ。

 ルオマの夢は、都会に嫁いでいく村の女性が教えてくれた、「エレベーター」というものに乗ること。都会の青年に「僕が君をいつかエレベーターに乗せてあげよう」と言われ、たったそれだけのことで顔を輝かせる。そんな純朴さがいじらしい。

 ルオマを演じるリー・ミン自身もハニ族の娘であり、出演当時はまったく演技経験がなかったという。ふつうの女優たちとはコードの異なるピュアな美しさで、観る者に強烈な印象を残す。彼女があこがれる青年が、客観的に見れば軽薄なダメ男であるあたりも、すこぶるリアル。
 派手さはないが、見ごたえある清冽な佳編だ。
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多忙のゴム印

 超売れっ子の某氏に取材申込書を送付したところ、電光石火のスピードでことわられてしまった。

 それも、私が郵送した取材申込書の隅っこに、「多忙につき、このたびのご依頼は見送らせていただきます。ご期待にそえずもうしわけありません」というゴム印(!)がペタンと押されたものが、ファクスで送信されてきたのである。

 なんかこう、「ものすごく忙しい!」という感じがヒシヒシと伝わってきますね(笑)。さまざまな依頼が山ほど押し寄せてきて、いちいちことわりの文句を手書きするヒマもないのだ、という。

 いや、それが失礼だと言いたいわけではない。取材申し込みをことわられることなんて、私には日常茶飯なのであって、失礼というならもっともっと失礼な応対をされたことは山ほどある(※)。
 むしろ、超多忙にもかかわらず迅速に対応してくれた某氏は良心的だ。
 ただ、ゴム印でのことわりというのが初体験だったので、ここに書き留めておきたくなったのである。

※とくに、マイナーな媒体での取材はけんもほろろの応対をされやすい。一例を挙げると、某大手芸能事務所の人間に、電話口で「そんなわけのわからない雑誌にねえ、ウチのタレントは出せないんですよ!」と大声で言われたことがある。「あいにく不勉強でお宅様の雑誌を存じ上げないものですから」などとオブラートでくるむのが大人のマナーというものであろうに……。  
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『蟲師』

大友克洋「蟲師」映画術 大友克洋「蟲師」映画術
アフタヌーン編集部 (2007/03/24)
講談社


 立川シネマシティで『蟲師(むしし)』を観た。漆原友紀の同名マンガを、巨匠・大友克洋が実写映画化した作品。

 公式サイト→ http://www.mushishi-movie.jp/

 この映画、評論家筋や原作ファンには評判がよくないようだ(「原作無視師」とか揶揄されているw)が、私には愉しめた。
 たしかに、映画としてのまとまりはいま一つだし、原作を読んでいない観客にはわかりにくい不親切なところもある。しかし、そうした瑕疵を補って余りある美点をいくつも具えた作品だ。

 美点の第1は、VFXを駆使したヴィジュアル・イメージの素晴らしさ。
 VFXで表現されたさまざまな「蟲」たちのおぞましくも美しい躍動――それが、日本の原風景ともいうべき森や沼、山などの自然に完璧に溶け込んでいる。優れてジャパネスクなファンタジー。その面白さは、たとえば柳田國男の『遠野物語』を読んだときの静かな興奮に近い。「この映画のスタッフに、『遠野物語』も映画化してもらえないだろうか?」などと思った。

 美点の第2は、島(はいしま) 邦明が担当した音楽の素晴らしさ。公式サイトでその一端が聴けるのでぜひ聴いてみていただきたいのだが、静謐で夢幻的な美しい音楽で、うっとりとしてしまった。

 美点の第3は、文字で蟲を封ずる娘・淡幽を演じる蒼井優の素晴らしさ。過去のどの映画・ドラマでの彼女にもまして、美しさが際立っている。もともと和風な顔立ちだからこういう役が映えるのだな。

 ……以上3つの美点を堪能したので、私は十分この映画に満足したのだった。
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E・トッド『帝国以後』ほか


帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕
(2003/04/30)
エマニュエル トッド

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 エマニュエル・トッド『帝国以後』(藤原書店/2500円)、トッドほか『「帝国以後」と日本の選択』(藤原書店/2800円)読了。

 トッドはフランスの人口学者・人類学者。彼が2002年に上梓した『帝国以後』(邦訳は2003年)は、アメリカの凋落とそこから生まれる新世界秩序を大胆に論じたもの。現在までに27ヶ国以上で翻訳され、世界的ベストセラーになっている。
 イラク戦争開戦前に書かれたものであるにもかかわらず、イラク戦争後の世界情勢を的確に予見した内容となっており、「最もリアルかつラディカルなこのアメリカ論は、今日の混沌とした世界情勢に、最も明快な説明を与えている」という版元の売り文句も、あながち誇大広告とは言えない。

 ゴリゴリの学術論文かと思って読んだら、意外にも平明で面白い本だった。
 トッドは、硬直した「反米主義者」とは似て非なる存在だ。むしろ彼は本書の中で、ノーム・チョムスキーらの「構造的反米派」を痛烈に皮肉っている。ソ連崩壊前と後では米国が世界に対してもつ意味は決定的に違うのに、彼らはその変化を理解しておらず、ヴェトナム戦争のころと同じ言葉で米国を糾弾している、と。そして、チョムスキーらを「止まった時計」に喩えてみせる。「止まった時計でも、一日に二度は時刻が合うものなのだ」と。
 この比喩はなかなか卓抜で、「私もいつか誰かを皮肉るときに使ってみたい」と思ってしまった(笑)。

 トッドは、多くの論者が現在の米国を過大評価している、という。
“ソ連の崩壊によって米国は唯一の超大国となった”という認識のもと、米国を「帝国」に擬す論者が多いが、『帝国以後』はその真逆を行った。近年の米国の脆弱さと衰退を詳細に分析し、軍事力でも経済力でももはや帝国とは呼べない「張り子の虎」ぶりを暴いてみせたのだ。その点で、米国の「強大さ」を前提とする反米論とは異質であった。

 トッドの見立ては、次のようなものだ。
“ソ連崩壊で米国の「世界の警察」としての役割は終わったが、米国は経済的に「世界なしではやって行けない」状態に陥っている。ゆえに、「世界の安全を守るには米国が必要だ」とアピールすべく、弱い敵を相手に「演劇的小規模軍事行動」をくり返している”

 「選ばれた敵のサイズがアメリカの国力を規定している」と、トッドは言う。アフガニスタンや北朝鮮やイラクなどの弱い国ばかりを敵に選んでいる現在の米国は、もはや彼らとしかケンカできないほど弱体化しているのだ、と。そして、その見立ての根拠を明快に説いていく。

 トッドの分析が他の米国論に比べて独創的であるのは、彼が人口学に依拠してしているからだ。トッドによれば、出生率や乳児死亡率、識字率などは、その国の進歩の度合いを示すきわめて重要な指標となるという。

 識字化と出産率の低下という二つの全世界的現象が、民主主義の全世界への浸透を可能にする。(フランシス・)フクヤマは、この民主主義の世界化という現象を観察し、予感したが、その動因を説明しはしなかった。

 

 トッドは、1976年に25歳の若さで著わしたデビュー作『最後の転落』で、世界で最も早くソ連崩壊を予見したことで知られる。その根拠も、じつは人口学の知見であったという。

 乳児死亡率というのは、社会ないし社会内の個別的一セクターの中で最も弱い個人の現実の状況を明らかにするものであるがゆえに、決定的な指標なのである。一九七○年から一九七四年までの間のロシアの乳児死亡率のわずかな増加によって私は、すでに一九七六年にソ連邦の国内状況が悪化していることを理解することができ、ソ連体制の崩壊を予言したのである。




「帝国以後」と日本の選択「帝国以後」と日本の選択
(2006/12)
エマニュエル トッド

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 『「帝国以後」と日本の選択』は、『帝国以後』をより深く読解するための副読本ともいうべきものだ。

 前半は、各国のメディアが『帝国以後』をめぐってトッドに行ったインタビューなど。後半は、日本の論者14人による『帝国以後』をめぐる論考集。論者の立場はさまざまだ。榊原英資・西部邁・養老孟司・池澤夏樹・武者小路公秀らが登場する。

 各論者は、『帝国以後』を評価しつつも、疑問点を率直に指摘している。たとえば、今後の世界秩序にロシアが果たす役割をトッドが非常に重視しているのに対し、中国にはほとんど言及していない偏りについてなどだ。
 そうした指摘を“補助線”として『帝国以後』を読むことで、読者はその問題提起をより明確に受け止められるだろう。

 トッドは、米国の凋落によってEU・露・日が接近する「新ユーラシア時代」の到来を予見し、日本に米国からの自立を促している。その訴えに同調するにせよ、反発するにせよ、日本の進路を考えるうえで示唆に富む一書だ。

 ただし、日本人による論考はかなり玉石混淆。佐伯啓思や武者小路公秀の批評のように優れたものもある一方、箸にも棒にもかからないただの感想文もある。
 また、後半に収められた西部邁らによる座談会は、まったくの蛇足でしかない。
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池谷裕二『進化しすぎた脳』ほか

進化しすぎた脳 進化しすぎた脳
池谷 裕二 (2007/01/19)
講談社

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 池谷裕二著『進化しすぎた脳』『記憶力を強くする』(以上、講談社ブルーバックス)、『海馬――脳は疲れない』(新潮文庫)読了。

 過日読んだ『脳はなにかと言い訳する』と合わせて、この4冊を読めば、池谷さんのいまのところの代表作を網羅した感じかな。仕事がらみで読んだのだが、仕事を離れて読書の愉しみを満喫。

 3冊ともすでにベストセラーになっており、甲乙つけ難い面白さ。3つのうち、私のイチオシは『進化しすぎた脳』。中高生を相手に行った講義の記録をまとめたものだけに、科学啓蒙書のお手本のような内容になっている。
 科学者の専門知識を一般向けに“翻訳”するために「サイエンス・ライター」という職種があるわけだが、当の科学者にこんなに面白く平明に専門知識を語られたら、ライターの出る幕がないというものだ。

 『海馬』は糸井重里との対談。ただし、糸井は聴き手および“話の引き出し手”に徹している感じ。インタビューの名手・糸井の本領発揮というべき内容である。
 よく知られるとおり、矢沢永吉のベストセラー『成りあがり』は、若き日(当時20代)の糸井が取材・構成を担当したものであり、糸井の才能あってこそ生まれた一冊なのだ。
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ゴンチチ『スーパーベスト2001-2006』

GONTITIスーパーベスト 2001-2006 GONTITIスーパーベスト 2001-2006
GONTITI (2007/03/21)
ポニーキャニオン

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 先日チチ松村さんを取材した際にいただいた、ゴンチチの『スーパーベスト2001-2006』(ポニーキャニオン/3000円)を聴く。

 『誰も知らない』のテーマ曲も入っていて、これがあんまりいいので、何度も何度もリピートして聴く。あの映画の場面のいくつかが心によみがえって、それだけで泣けそうになる。

 ゴンチチといえば、『無能の人』の音楽もよかったなあ。
 
 ついでのことに、私が好きな映画音楽をいくつか挙げてみる。

 『コンドル』のテーマ曲
 『天国からきたチャンピオン』のテーマ曲
 (2つともデイヴ・グルーシン。彼はフュージョン界の大物の1人だが、映画音楽もたくさん手がけていて、『コンドル』の音楽は中でも傑作の誉れ高い)

『タクシードライバー』の「メイン・タイトル」
 (この映画の音楽はバーナード・ハーマンの遺作。印象的なサックスはトム・スコット)

 『ジェラシー』のテーマ曲
 (キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』の冒頭部分をそのまま使用。私はこの映画でキース・ジャレットを知った) 

 『キッズ・リターン』のテーマ曲
 (言わずと知れた久石譲。エンドロールに流れて強烈な印象を残した名曲)

 『青春の殺人者』の曲
 (ゴダイゴの曲。曲名忘れた)

 ほかにもいろいろあるが、とりあえず思いつくのはそれくらい。
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安田喜憲ほか『巨大災害の時代を生き抜く』

巨大災害の時代を生き抜く―ジェオゲノム・プロジェクト 巨大災害の時代を生き抜く―ジェオゲノム・プロジェクト
安田 喜憲 (2005/04)
ウェッジ

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 安田喜憲編著『巨大災害の時代を生き抜く/ジェオゲノム・プロジェクト』(ウェッジ選書/1400円)読了。

 仕事上の必要から読んだものだが、よい本だった。タイトルは一見キワモノ風だが、中身はごくまっとうでアカデミック。
 「環境考古学」の確立者である安田喜憲(国際日本文化センター教授)が中心となって編んだ本。前半は「基調報告」のような位置づけの安田の文章で、後半は松井孝典・樺山紘一と安田のてい談。いずれも質が高く、読みごたえがある。

 「ジェオゲノム(地球遺伝子)」とは安田の造語である。特定の条件を有する湖の底に形成される、木の年輪を思わせる縞模様を指す(ゆえに「年縞」ともいう)。
「春から夏にかけては珪藻が繁殖して白い層が形成され、秋から冬にかけては珪藻が繁殖せず、かわりに湖水に含まれる粘土鉱物が静かに堆積して黒い層をつくる」ために縞模様になるのだそうだ。

 このジェオゲノム、かなり厳密な年代特定ができる。しかも、その内容を分析することで、過去の気候変動や周辺環境の変遷が詳細に解明できるのだという。ジェオゲノムによって、いま、地球環境史は劇的に書きかえられつつあるのだ。

 そして、ジェオゲノムの分析から過去の災害史を詳細に復元することで、未来に起きる巨大災害の予測も可能になるのだという。
 
 そう、本書に書かれているのはあやしげな予言のたぐいではなく、環境考古学の最新の成果に基づく警告なのである。

 安田によれば、地球温暖化の影響は、日本を含むモンスーンアジアに最も早く、最も深刻にあらわれるという。慄然とさせられる内容だが、文明について考えるうえですこぶる示唆に富む。
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永島慎二『黄色い涙』


黄色い涙黄色い涙
(2006/11/22)
永島 慎二

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 コンビニのブックコーナーで永島慎二の『黄色い涙』(マガジンハウス/1200円)を売っていたので、つい購入。
 「つい」というのは、この『黄色い涙』とまったく同内容である『若者たち』のコミックスを、私はすでに持っているから。

 ちょっとややこしいけれど、『黄色い涙』のもともとのタイトルは『若者たち』であった。かつてNHKでテレビドラマ化された際、『若者たち』というタイトルが使えなかった(同題の有名青春ドラマが過去にあったから)ために、副題の「シリーズ黄色い涙」(※)からドラマのタイトルがつけられた。
 今回、そのドラマ版をふまえて映画化されたため、『黄色い涙』というタイトルで原作が復刊されたというわけである。

※永島作品の多くには、こうしたシリーズ名が付されている。かの『漫画家残酷物語』もやはり「シリーズ黄色い涙」であり、『そのばしのぎの犯罪』や『少年期たち』は「シリーズ青いカモメ」である、というふうに……。

 永島慎二は私がこよなく愛するマンガ家だが、その作品の大半はいまや絶版状態だ。彼の作品が映画化され、しかも著作がコンビニで売られるなんて、私にとっては狂喜に値する出来事なのである。

 この再刊本、巻末の付録がわりと充実している。

 1.夏目房之介さんによる解説
 2.ドラマ版と映画版の脚本を書いた市川森一による回想エッセイ
 3.映画版の監督である犬童一心へのインタビュー
 4.ドラマ版と映画版にそれぞれ主演した森本レオと二宮和也による「新旧“栄介”対談」

 ……と、4本も記事があって、それぞれ読みごたえがあるのだ。永島ファンならマストバイ。

 犬童一心は『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』の監督だが、そもそも少年時代にテレビドラマ版の『黄色い涙』を観て感動し、それがきっかけで映画監督を志した人なのだそうだ。なんとなく納得。『ジョゼ~』には永島マンガと同じ“空気感”がある。

(私自身はドラマ版の『黄色い涙』を見ていない。1974年放映だから、まだ10歳だったし。自殺してしまったアイドルタレント・保倉幸恵がヒロインを演じたことでも伝説化しているドラマらしいけど……)

 犬童監督インタビューのこんな一節に、度肝を抜かれた。

 永島慎二が亡くなったときに永島慎二を追悼したいって思った人っていっぱいいると思うんですよ。でも、それをちゃんとやったのは俺だっていう。「ざまあみろ」ってことなのかな。いかにも私が永島慎二の最高のファンだみたいなこといってる人たちがいっぱいいるけど、少なくとも『黄色い涙』を復刻させたのは俺だっていう。そのことがすごいうれしい。


 うーん、負けた(笑)。「ざまあみろ」と言われた側の1人として、映画版『黄色い涙』を襟を正して観るとしよう。 
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ピラミッド『TELEPATH』ほか


ピラミッドピラミッド
(2005/07/27)
Windows

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 最近気に入ってます、ピラミッド。
 元カシオペアの神保彰、元スクェア(T-スクェア)の和泉宏隆、それにギタリストの鳥山雄司からなるトリオ編成のフュージョン・グループ。
 
 フュージョンは嫌いではないけれど、カシオペアもスクェアも苦手だった私。なんかこう、「毒にも薬にもならない人畜無害な音楽」という感じがしてしまうのである。音楽はもっと、毒か薬のどちらか(あるいは両方)にならないとつまらない。

 したがって、カシオペアとスクェアが合体したともいえるこのピラミッドも、私が苦手とするタイプのバンドであるはずだった。ところが、聴いてみると、どういうわけかすごく心地よいのである。

 カシオペアやスクェアに比べると、もっとゆったりとした「大人のフュージョン」という印象。
 メロディアスだが軟弱な感じはなく、渋い。スパイス程度にブラジリアンな香りもあって、曲によっては私の好きなパット・メセニー・グループを彷彿とさせるものも(ファーストに入っている「Moon Goddess」という曲など、もろPMG)。
 テクニックをひけらかす感じはなく、リラックスした演奏の中に、よく聴くと高度なテクがちりばめられている、という趣。うーん、好みだ。

 現在までに『ピラミッド』と『TELEPATH/以心伝心』という2枚のアルバムを発表していて、どちらもいいのだが、セカンドの『TELEPATH』のほうが出来がいいかな。もっとも私は、2枚のアルバムから気に入った曲だけMDに入れたものをヘビロしているけど。

 P.S.
 ジャケットに写ったメンバー3人(↓)が、「『ちょい悪オヤジ』のサンプル・ABC」みたいな感じで、なんか笑える。いや、3人ともカッコイイですが……。


TELEPATH 以心伝心TELEPATH 以心伝心
(2006/06/21)
Pyramid

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小鷹信光『私のハードボイルド』


私のハードボイルド―固茹で玉子の戦後史私のハードボイルド―固茹で玉子の戦後史
(2006/11)
小鷹 信光

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 小鷹信光著『私のハードボイルド――固茹で玉子の戦後史』(早川書房/2940円)読了。

 ハードボイルド小説翻訳/研究の第一人者(テレビドラマ『探偵物語』の原案者としても知られる)が、自らの半世紀に及ぶハードボイルドとのかかわりを振り返った大著である。

 中身の大部分は、きわめて個人的な回想。だが、“ハードボイルド業界”のメインストリートを歩んできた人だから、個人的な回想がそのまま“日本のハードボイルド史”になっているし、小鷹流ハードボイルド論の集大成としても読める。

 ハードボイルド小説のファンにはたまらなく面白い本だが、それ以外の人にとっては面白くもなんともないだろう。狭いミステリ業界の、さらに片隅に位置する“ハードボイルド業界”の歴史がつづられているのだから。

 私自身はまだ読んでいないのだが、村上春樹による話題の新訳『ロング・グッドバイ』には、本のどこにも「ハードボイルド」という言葉が使われていないのだそうだ。
 つまり、「ハードボイルド」という言葉は、いまやそれほど不遇をかこっているのだ。何より、「ハードボイルド」と銘打っても本が売れない。また、「ハードボイルドとは男性用のハーレクイン・ロマンスなのだ」という、斎藤美奈子の恐ろしく的を射た揶揄もひとり歩きして定着しかかっている。

 そのような時代の波に逆行し、あえて「ハードボイルド」という言葉に徹底的にこだわった本書は、痛々しくも感動的である。

 資料的価値も高い労作であり、ハードボイルドに興味のある向きは手元に置いて損はない一書。たとえば、村上春樹版『ロング・グッドバイ』を論じようとするなら、本書を読んでからにすべきだろう。

 本書には、次のような印象的な一節もある。
 

 真の翻訳作業を通じて原著と四つに組んだものにしか到達し得ない理解の深みというものが翻訳にはある。原文を具体的に日本語に置き換える作業そのものが作品論であり、作家論であり、文体論なのだ。

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『メゾン・ド・ヒミコ』

メゾン・ド・ヒミコ 通常版 メゾン・ド・ヒミコ 通常版
Osamu Kubota、細野晴臣 他 (2006/03/03)
角川エンタテインメント

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 『メゾン・ド・ヒミコ』をDVDで観た。
 犬童一心監督/渡辺あや脚本という、大傑作『ジョゼと虎と魚たち』を生んだ黄金コンビの作品。

 舞台は、ゲイ専用の老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」。末期ガンで死の淵にあるこのホームのオーナー「卑弥呼」のために、その若き恋人(オダギリジョー)が、彼の生き別れた娘・沙織(柴咲コウ)を連れてくる。
 ……という舞台設定はすこぶる面白い。また、ストーリーもよくできている。しかし、『ジョゼと虎と魚たち』と比べると一段落ちるし、話のそこかしこにどうしようもなく「作り物」感が漂う。ほんとうのゲイの人が観た場合、この物語にどれくらい共感できるものだろうか?

 ただし、主演の2人は非常に魅力的。オダギリジョーは飄々とした雰囲気の中にも複雑な内面を感じさせるし、柴咲コウは“スッピン・メイク(スッピンにしか見えないメイク)”のブスっとした不機嫌な表情がカワイイ。

 女優を美しく撮ることに定評がある監督といえば大林宣彦だが、犬童一心も女優や男優を魅力的に撮る監督だと思う。
 ただし、そのベクトルは逆だ。大林作品では女優がより女優らしく輝くのに対し、犬童作品では俳優が「素顔」をさらけ出し、なおかつ魅力的なのである。

 関連エントリ→ 『ジョゼと虎と魚たち』感想
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『キサラギ』

 渋谷の東芝エンタテインメント試写室で、『キサラギ』の試写を観た。初夏公開の邦画。

 公式サイト→ http://www.kisaragi-movie.com/

 『十二人の優しい日本人』を彷彿とさせる、ワン・シチュエーションのコメディである(プレスシートには「ハートフル・ワンシチュエーション・サスペンス」という惹句が躍っているが、サスペンス色よりコメディ色のほうが強い)。

 自殺したC級アイドル「如月ミキ」の熱狂的ファン5人が、ファンサイトの掲示板書き込みを通じて集まり、「一周忌追悼会」を開く。
 古びたマンションの一室でのその会合は盛り上がるが、やがて参加者の1人が「如月ミキは自殺したんじゃない。殺されたんだ」と言い出し、雰囲気は一転。
 5人のやりとりの中から、次々と判明する意外な事実。「もしや、ミキを殺した犯人はこの5人の中に……」。物語はミステリーの相貌を帯び始める。

 ……と、いうような話。
 室内でのみくり広げられる物語なので、もとより映像としての面白さは希薄。「脚本勝負」の映画である(脚本は『ALWAYS 三丁目の夕日』の古沢良太)。遊び心に満ちた、凝りに凝った脚本はなかなかのもの。三谷幸喜にけっして負けていない。 
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『しゃべれども しゃべれども』

しゃべれどもしゃべれども しゃべれどもしゃべれども
佐藤 多佳子 (2000/05)
新潮社

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 六本木のアスミックエース試写室で、『しゃべれども しゃべれども』の試写を観た。

 『一瞬の風になれ』が今年度「本屋大賞」に輝いた注目の作家・佐藤多佳子が、1997年に発表した同名小説の映画化。落語の世界を舞台にした、人情と友情と愛情の物語だ。5月末公開予定。

 公式サイト→ http://shaberedomo.com/

 うだつの上がらない二つ目の落語家・今昔亭三つ葉のもとに、ひょんなことから「落語と話し方を習いたい」という人が集まってくる。
 口下手で無愛想なため恋人に去られた美女、転校先のクラスになじめない関西弁の小学生、訥弁ゆえに野球解説者の職を失いかけている元プロ野球選手――3人を相手に、悪戦苦闘のうちに進む「落語教室」。そのプロセスを軸に、物語は進む。4人それぞれの迷いやくやしさ、「変わらなきゃ」という焦りなど、さまざまな「想い」をのせて……。
 観客はそれらの「想い」を共有し、笑って泣いて、観終わったあとにはあたたかい気分になれるだろう。

 落語の世界が舞台なので、落語にくわしい人が観ればもっともっと面白いのだろうが、門外漢の私にも十分愉しめた。円満な人格者のように、隅から隅まで好感がもてる映画である。

 主人公を演ずる国分太一も、彼に落語を習うヒロインの香里奈もよいが、なにより、師匠役の伊東四朗と三つ葉の祖母役の八千草薫がサイコーである。伊東は見事にベテラン落語家になりきっているし、八千草は東京の下町の女性の「粋」と「やさしさ」を余すところなく表現している。

 監督は平山秀幸で、職人気質のこの監督のよさが十二分に発揮されている。原作と監督の相性バッチリという感じ。

 脚本は奥寺佐渡子。
 いまや知る人は少ないだろうが、この人はかつて、マガジンハウスの詩の雑誌『鳩よ!』を舞台に、素敵な詩をたくさん発表していた。ルックスもキュートで、私、ファンでした(笑)。脚本家として立派に活躍している姿を見てうれしく思う。
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本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ 腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
本谷 有希子 (2005/07)
講談社

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 本谷有希子著『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社/1400円)読了。

 先日試写で見た映画版がすごく面白かったので、原作も読んでみた。
 小説としてもなかなかよかった。内容とは関係ないけど、山本直樹が描いたカヴァー絵もいい感じである。

 ただ、映画版のほうがずっと面白かった。映画のストーリーはおおむね原作どおりなのだが、細部が少しずつアレンジされていて、そのアレンジがいずれも成功しているのだ。

 本作での本谷の文章は、なんだか懸命に「普通の純文学」になろうと努力している感じ。そして、その分だけエッジを削られてしまっている印象を受けた。先日読んだ『生きてるだけで、愛』のほうが、ムチャクチャなところはあってもはるかにいきいきとしている。

 (もっとも、これは戯曲として書かれたものを自ら小説化したという特異な成り立ちの作品である。なので、映画版と比較すべきは小説ではなく舞台のほうかもしれない。私は舞台のほうは未見)

 とはいえ、20代前半でここまで個性を確立しているのは大したものである。
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RADWIMPS『RADWIMPS4 ~おかずのごはん~』


RADWIMPS4~おかずのごはん~RADWIMPS4~おかずのごはん~
(2006/12/06)
RADWIMPS

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 RADWIMPS(ラッドウィンプス)の『RADWIMPS4 ~おかずのごはん~』(東芝EMI/2800円)を購入。

収録曲目
1. ふたりごと
2. ギミギミック
3. 05410-(ん)  ※「起こして」の意
4. me me she  ※「女々しい」の意 
5. 有心論
6. 遠恋
7. セツナレンサ
8. いいんですか?
9. 指きりげんまん
10. 傘拍子  ※「三拍子」の意 
11. ます。
12. 夢番地
13. バグッバイ

 このバンドのことはまったく知らなかったのだが、先日某所で「ふたりごと」を聴いて一発でKO。で、その「ふたりごと」が入っている最新アルバムを買ってきたしだい。
 このアルバムは「オリコン初登場5位」だったのだそうで、知らなかったのは私だけ? まあ、若いモン向けの音楽であるから、40代の私が知らなくても不思議はないか。

 現在ヘビロ中。素っ晴らしい! 名曲だらけ。詞も曲もバツグン。
 すべての曲を作詞作曲しているヴォーカルの野田洋次郎は1985年生まれ。21歳の現役大学生である。後生畏るべし。すごい才能だと思う。

 彼らの曲の多くは若者の恋(てゆーか野田自身の恋)を描いた、いわば「青春ロック」なので、私のようなオジサンが聴くにはいささか気恥ずかしいのだが、その気恥ずかしさを乗り越えて聴き入ってしまう。言葉がみずみずしく輝いている。たとえば――。
 

同じとこに空けたピアス お前のだけやけに光って見える 俺もいつか輝くかな お前みたいに世界を愛せるかな
 (中略)
 こんな夢をいつまでも見よう 醒めなければいいってことにしとこう
醒めるから夢と呼ぶんでしょう? って言うなら他に名前つけよう

 君と書いて「恋」と読んで 僕と書いて「愛」と読もう
 そうすりゃ離れそうもないでしょう? いつかそんな歌作るよ(ふたりごと)


 うーん、ちょっと赤面(笑)。けど、まいった。言語感覚が水際立ってる。

 最後の曲、「バグッバイ」の詞もなかなかスゴイ。

 変なタイトルととぼけたジャケットで引いて食わず嫌いせずに、一聴されたし。バンプ・オブ・チキンとスピッツとオーシャンレーンを足して3で割ったくらいよいアルバムである。

 「バンプとスピッツとオーシャンレーンではまったく違うではないか」と思う向きもあろうが、それくらい多彩な音楽性をもったバンドなのである。オアシスやレディオヘッドみたいな洋楽テイストの轟音ギター・ロックもあれば、ラップやレゲエもあり、心鷲づかみの切ないバラードもある。このアルバムにしても、M1~M5はそれぞれ同じバンドとは思えないほど傾向が違う。それでいて、全体にはちゃんと統一感がある。

 なお、「RADWIMPS」とは「カッコイイ弱虫」の意だとか。音の雰囲気を見事に言い表したバンド名だと思う。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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