岸本佐知子『ねにもつタイプ』


ねにもつタイプねにもつタイプ
(2007/01/25)
岸本 佐知子

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 岸本佐知子著『ねにもつタイプ』(筑摩書房/1500円)読了。

 いいねえ、このタイトル。つねづね公言しているとおり、私は「思いっきり根にもつタイプ」なので(座右の銘は「臥薪嘗胆」)、シンパシーを感じる。

 人気翻訳家の第2エッセイ集。第1エッセイ集『気になる部分』がメチャメチャ面白かったので、つづけて読んでみた。帯には次のような惹句がある。

 

観察と妄想と思索が渾然一体となったエッセイ・ワールド。ショートショートのような、とびっきり不思議な文章を読み進むうちに、ふつふつと笑いがこみあげてくる。



 ――この惹句のとおりの本である。
 著者の妄想パワーは前作にも増して炸裂。“小説寄りのエッセイ”が前作よりも多く、エッセイの枠を超えて読者を引き込む。ほかの誰にも書けない、奇天烈なユーモア・エッセイの連打。

 面白さの一端を、引用で紹介してみよう。

 「床下せんべい」は、幼年期の「思いこみ」の数々を披露する一編。たとえば、矢吹丈がリングでノックアウトされるたびに口から飛び出す「白いもの」についての、こんな思いこみ。

私は長いこと、じょーの口から出てくる、そのソラマメの形の血にまみれた白いものを、腎臓だと思っていた。(中略)毎回そんなものを出してしまってじょーは大丈夫なんだろうか、と内心心配だった。



 そういえば、私も小さいころ、「東名高速道路」のことを「透明高速道路」だと思いこんでいた。透き通った未来派ハイウェイなのだと思っていたのである(「透明高速道路」でググってみたら、同志がたくさんいた → 「バカ日本語辞典」参照)。

 また、『花のピュンピュン丸』というアニメのセリフに出てきた「栄耀栄華」という言葉について、「栄養映画」だと思いこんでいた。「観るだけでおなかいっぱいになる不思議な映画」があるのだと思っていたのだ(子ども向けアニメのセリフに「栄耀栄華」なんて言葉を使うほうも使うほうだ)。
 
 子どものころや若いころの思い出をつづったエッセイが半分ほど。残り半分は、現在の著者の日常から生まれる妄想をつづったもの。翻訳の仕事を進めながら、著者はしばしばささいなことから妄想をくり広げ、作業を中断させる。たとえば――。

 ニュースなどで「犯人は訳のわからないことを話しており」というのを聞くと、その“訳のわからないこと”がどんな内容なのか、むしょうに知りたくなる。(中略)“訳のわからないこと”として片づけられてしまった無数の名もない供述、それを集めた本があったら読んでみたいと思うのはいけない欲望だろうか。そこには純度百パーセントの、それゆえに底無しにヤバい、本物の文学があるような気がする。(「むしゃくしゃして」)



 著者の妄想にこちらがうまくノレず、面白く感じられないエッセイもあるにはある。が、玉石混淆ではあっても、「玉」のほうが確実に多いエッセイ集である。「床下せんベい」「むしゃくしゃして」以外では、「ホッホグルグル問題」「ニュー・ビジネス」「疑惑の髪型」「心の準備」「生きる」「夏の逆襲」「とりあえず普通に」「裏五輪」「部屋のイド」「グルメ・エッセイ」「難問」あたりが傑作。

 なお、一編一編にクラフト・エヴィング商會が味わい深いイラストをつけており(装丁も)、本書の愉しさをいっそう増している。
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「バンド名変更要求」に思う

リトリ(初回受注限定生産)(DVD付) リトリ(初回受注限定生産)(DVD付)
kannivalism (2006/09/27)
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ


 以下のニュースに、ちょっと首をかしげてしまった。 
 

 3人組ロックバンドのカニバリズム(kannivalism)が、所属レコード会社のエイベックスから「食人、共食い」を意味するバンド名を変更するよう要求され、対立していることが25日、分かった。(中略) エイベックスでは「過激なバンド名ではラジオやテレビの出演に支障が出る」と改名を求めているが、メンバーは「生物学的なカニバリズムのつづりはCannibalism。バンド名とは違う」と拒否している。
 同バンドは昨年9月のデビュー曲「リトリ」がオリコンチャート7位、2枚目のシングル「ホシの夜」も10位と好調。それだけにエイベックスは「テレビ、ラジオの出演を拒否されると、さらなるメジャー化を図れない」。だが、メンバーは「バンド名を変えなければ売れないと言うのなら、それはそれで仕方ない」と話しており、双方の妥協点は見つからないままだ。(ウェブ版「日刊スポーツ」2月26日付)


 そりゃまあ、公序良俗上好ましからぬバンド名かもしれないけれど、「公序良俗に反する態度」のほうがロックとしてはむしろ正統的であるわけで……。

 エイベックスは、もしもセックス・ピストルズがいま売り出し中の所属バンドだったら、改名を要求したのだろうか? ジェイムス・ブラウンの「セックス・マシーン」がいま売り出し中の所属バンドの新曲だったら、タイトル変更を要求したのだろうか?

 そこまであからさまな例でなくても、たとえば、「10cc」というバンド名は男性が1回に射精する量に由来するそうだし(異説もある)、「XTC」というバンド名は「エクスタシー」のもじりだし、危ないバンド名なんていくらでもあるのだ。

 日本のバンドにかぎっても、「すかんち」は逆から読むと呪いの言葉となるのだし、昔の「外道」「村八分」なんかは別の意味でヤバイ。
 それに、「ポルノグラフィティ」(略称ポルノ)があそこまでメジャーになったことを、エイベックスはどう考えるのか? 所属するSME側が、「そんなバンド名ではラジオやテレビの出演に支障が出る」と改名を求めたという話は、寡聞にして聞かない。

 「カニバリズム」――ロックバンドの名前としてはなかなかよいではないか。私はむしろ、この騒動で彼らの曲を聴いてみたくなった(※)。もしもエイベックスが宣伝のためにこの騒動を仕掛けたのだしたら、なかなかの知恵者がいるな。 

 そういえば、ジャズの名サックス奏者キャノンボール・アダレイは、元々は「カンニバル(人食い人種)・アダレイ」を名乗っていたそうだ。並外れた大食漢ぶりから、そんなあだ名で呼ばれていたのだという。
 彼の場合、レコード会社から改名を要求されたわけではなく(笑)、たまたまステージで司会者が聞き間違って「キャノンボール・アダレイ」と紹介したものが定着したのだとか。
 も一つそういえば、昔「ファイン・ヤング・カニバルズ」というバンドもあったなあ。

※「You Tube」に何曲か彼らのPVがあったので、観てみた。バンド名とは裏腹に、おどろおどろしさは皆無の音。メロディアスで骨太なギター・ロックだ。でも、そのミスマッチ感こそがむしろ面白いではないか。
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諸星大二郎『私家版鳥類図譜』

私家版鳥類図譜 私家版鳥類図譜
諸星 大二郎 (2003/03)
講談社

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 諸星大二郎の『私家版鳥類図譜』(講談社/952円)を読んだ。新刊ではなく、2003年に出たもの。私自身が読み逃していた諸星作品。

 『モーニング』に不定期連載されていた、鳥をモチーフにした短編連作。鳥のイメージが重要な役割を果たすという点だけが共通項で、SF、ファンタジー、サスペンス、神話ものなど、それぞれまったく傾向の異なる短編が6編収録されている。

 ……というと面白そうに思えるだろうが、6編ともイマイチの出来。

 優れたソングライターが凡作を発表したとき、「手クセで書いたような曲」という評言でけなすことがよくあるが、この連作もちょうどそんな感じ。諸星が長いキャリアのなかで身につけた「手クセ」だけで描いたようなマンガなのである。いかにも諸星らしい場面・イメージがちりばめられてはいるものの、どこかで見たような作品ばかりだ。
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手嶌葵『春の歌集』

春の歌集 春の歌集
手嶌葵、樋口康雄 他 (2007/02/07)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ


 アニメ版『ゲド戦記』はいまだに観ていないし、あれだけ酷評の嵐だといまさら観る気もしないのだが、手嶌葵(てしま・あおい)による主題歌「テルーの唄」はたいへん気に入った。

 で、さきごろ発売された手嶌葵のセカンド・アルバム『春の歌集』(ヤマハ/1890円)を買ってみたところ、これがすごくよい。
 ファーストにあたる『ゲド戦記歌集』とは対照的に、ごく普通の日常を歌った曲ばかりで、昔の「ニューミュージック」の香りがする。断じて「J-POP」などとは呼びたくない、清冽でノスタルジックな音楽。ファーストよりずっといいと思う。

 手嶌葵に曲を提供している谷山浩子の音楽よりも、むしろ大貫妙子を彷彿とさせるアルバムである。
 手嶌の声質や歌い方も、大貫妙子によく似ている。“純植物系ウイスパー・ボイス”とでも言おうか。はかなげなささやき声なのに、媚びた感じがまったくなく、凜とした声。とくに、「月のかけら」という曲など、若き日の大貫妙子に瓜二つである。

 8曲しか入っていない短めのアルバムなのだが、いい曲ばかりなので、物足りない感じはしない。
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海野一隆『日本人の大地像』



 海野一隆著『日本人の大地像――西洋地球説の受容をめぐって』(大修館書店/2800円)読了。
 
 地理学史・地図文化史における日本の第一人者が、定年後のライフワークとして取り組んだ労作である(著者は本書の完成を待たずして、昨年5月に他界)。

 「地球」という語が示すとおり、地球が球形であることは我々には自明である。だが、それはいつごろから自明の知識となったのか? じつは、「地球説」を日本にもたらしたのは、16世紀後半のキリスト教宣教師たちであったという。

 それまで、日本人は大地を平面としてとらえていた。仏教で説かれる、「須弥山(しゅみせん)」を中心とした世界観の影響である。
 世界の中心には「須弥山」というとてつもなく巨大な山があり、それを取り巻く外海の四方に浮かぶ四州のうちの一つ「閻浮堤(えんぶだい)」に、人間の住む世界がある。……大ざっぱに言えばそのような世界観で、長阿含経などに説かれている。

 世界はそのようなものだと信じていた日本人に、地球説は大きな衝撃をもたらした。本書はその衝撃と、受容までのプロセスを精緻に跡づけたものである。
 地球説の伝来に対し、日本の知識人・宗教家たちがみせたさまざまな反応が、大量の文献・図像資料に基づいていきいきと再現されていく。

 私にとって目からウロコだったのは、仏教者の多くが躍起になって地球説を否定し、苦しい言い逃れを弄して「須弥山説のほうが正しい」と主張しているところ。それは、地動説をローマ・カトリック側が頑強に否定した様子と相似形である。

 なぜ「目からウロコ」だったかといえば、須弥山中心の世界観などというものを、古代インドはともかく、近世日本の仏教者たちが本気で信じていたとは思わなかったから。「『血の池』と『針の山』の地獄」といっしょで、“無知な民衆を教化するための方便”にすぎなかったのだろうと思っていたのだ。

 いささか専門的な内容ではあるが、日本史の好きな人には面白い本である。
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試写会詐欺?

 以下のB級ニュース(アサヒコム2月20日)に、ちょっと身につまされた。 
 

 ネットオークションで知り合った女性に、記者を装えば映画の試写会に入場できると偽ってにせの記者名刺などを売ったとして、警視庁は東京都文京区の無職の男(32)を詐欺容疑で逮捕した。
(中略)
 男は、試写会の観賞記事を雑誌などに寄稿して原稿料を得ていたことがあったため、各種試写会の案内ファクスが手に入り入場方法を知っていた。「記事を書いてもあまり金にならなかったので別の利用法を考えた」と供述。同様の犯行を過去にも繰り返したことを認めている。


 男はニセ名刺を1万7000円で売ったのだそうだ。
 「買った女性は、映画料金の10倍もの金を払ってまで試写会に行きたかったのか?」とフシギになるが、この日は関係者の舞台挨拶がある試写会だったらしい。おおかた、主演俳優の熱烈ファンででもあったのだろう。
 
 通常、この種の試写会には郵送されてくる試写状持参で入るのだが、マスコミ関係者なら試写状がなくても入ることができる。ただし、その際には媒体名を明記した名刺の提示が求められる。

 たとえば私の場合、名刺には「フリーライター」という肩書きしか入っていないから、「媒体はどちらですか?」と尋ねられる。要は、「媒体に紹介記事を書く」という前提で試写会に参加させてくれるのであり、どこの媒体にも関係ないライターではマズイのだ。

 とはいえ、試写会参加者全員が紹介記事を書くとはかぎらない。たとえば、編集者がヒマつぶしに試写を観に行くこともある。この男はそのへんの事情を知ったうえで、世にもみみっちい詐欺行為に及んだのである。しかし、「記事を書いてもあまり金にならなかったので別の利用法を考えた」って。あ、あのなあ……。
 
 「文京区の無職の男(32)」というあたりも、ギョーカイ事情を知る身にはやけにリアルに映る。

 試写会場はたいてい中央・港・千代田・渋谷あたりの区にあるので、試写会に頻繁に行く映画ライターはその周辺に住むことが多い。周辺でなおかつ安い賃貸も多い文京区あたりが狙い目なのだ。

(ついでに言うと、私などは都下立川に住んでいるので、試写会に行く交通費と映画料金はあまり変わらない。「タダで映画が観られていいですね」とよく言われるが、そんなに気楽なものではないのだ)

 また、「無職」とあるけれど、おそらく実際は「仕事のなくなったフリーライター」なのだと思う。いや、まったく他人事ではない(笑)。
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『A Hiroyuki Itaya Film“DIRECTOR'S CUT”』


A Hiroyuki Itaya Film “DIRECTOR’S CUT” [DVD]A Hiroyuki Itaya Film “DIRECTOR’S CUT” [DVD]
(2007/03/07)
板屋宏幸

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 DVD『A Hiroyuki Itaya Film“DIRECTOR'S CUT”』(SME/4515円)を、送ってもらったサンプル盤で観る。ミュージック・ビデオ界の巨匠、板屋宏幸の監督作品を集めた映像作品集である。3月7日発売予定。

 本人サイトの紹介ページ→ http://www.hiroyuki-itaya.com/
 
 板屋氏は、1980年代から現在に至るまで、ミュージック・ビデオの第一線で活躍してきた映像作家。このDVDは、彼の代表作を厳選して収録することで、その歩みを振り返るものだ。

 アーティストではなく監督でくくったビデオ・クリップ集といえば、海外では「Directors Label」というシリーズがあったが、日本の監督の単独作品集はこれが初めて。

 レコード会社の枠を超え、「1アーティスト1作品」の原則で選ばれたビデオ・クリップ(曲のプロモーション・ビデオ)が、フル収録で全24曲。それ以外にもTVスポットが20本、さらにボーナストラックが3曲分。盛りだくさんの内容である。

 フル収録されているのは、レベッカ、聖飢魔II、ユニコーン、奥田民生、谷村有美、電気グルーヴ、浜田省吾、すかんち、橘いずみなどの曲。
 単純にビデオ・クリップ集としても愉しめる内容だが、何より、映像作品としてのミュージック・ビデオに興味がある向きは必見の内容になっている。

 収録されたビデオ・クリップの傾向はさまざまだ。キッチュなもの、人気女優を起用したストーリーもの、『仁義なき戦い』風に撮ったもの、ダンスものなどなど……。映像表現の幅広さに脱帽する。
 
 フル収録された曲については、板屋氏自身が制作の舞台裏を振り返った文章を寄せている。
 これを読みながら観ると、じつに面白い。予算が少なかったり、アーティストが忙しすぎて撮影の時間がほとんど取れなかったり……などという制約のなか、アイデアとセンスと技術で堂々たるビデオ・クリップを完成させるまでの様子が、よくわかるからだ。

 たとえば、知念里奈のデビュー曲「DO-DO FOR ME」のクリップに寄せた文章には、こんな一節がある。

 デビュー作ということもあり、予算的にはプランニング時にイメージした美術セットまでは組めなかった。用意出来たのはスタジオの白ホリゾントと大黒幕、そして小さなブラインドと撮影用ビニール。でもこのビデオを改めて観直すと、必要な物は最低限ではなく全部揃っていたことが分かる。



 自信に満ちた最後の言葉どおり、このビデオ・クリップはものすごくカッコイイ。「アイデアとセンスと技術があれば、予算が乏しくてもこれだけのものが作れるのだ」と感心する。
 
 とくに、「ビデオ・クリップを作ってみたい」と思っている若い人にとっては、「教科書」になり得るDVDだ。
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立花隆『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一○○冊』


ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊
(2007/01)
立花 隆

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 立花隆著『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一○○冊』(文藝春秋/1800円)読了。
 『ぼくはこんな本を読んできた』に始まる立花流読書論シリーズの第3弾。前2作同様、『週刊文春』の「私の読書日記」の最近分と、それ以外の読書論のカップリングから成っている。

 本書の場合、「私の読書日記」は全体の半分ほど。前半は丸ごと、立花の読書遍歴が語られた超ロングインタビューになっている。

 この前半が、たいへん面白い。むしろ後半の「私の読書日記」のほうが「オマケ」に思えるほどだ。500ページを超える厚さで、前・後半がそれぞれ平均的書籍1冊分のボリュームだから、「一粒で二度オイシイ」本だ。

 あの「猫ビル」(丸ごと立花の仕事場になっているビル。巨大な猫の絵が壁一面に描かれている)の中を立花本人とともにインタビュアーが見て回り、膨大な蔵書にまつわる思い出を聞き出す、という構成が取られている。『ぼくはこんな本を読んできた』にも同趣旨の短いインタビュー記事が収録されていたが、今回はそれを本一冊分の徹底インタビューにしているのだ。

 立花はほとんど本を捨てない人なのだそうで、各時期の仕事用資料がそっくり蔵書の各ブロックに固まっている。ゆえに、このロングインタビューは「立花流仕事術」の舞台裏を明かすものになっている。だからこそ、私のような物書きには参考になる部分が多い。

 とくに、立花の無名ライター時代(「田中角栄研究」で言論界の寵児になるまでの雌伏期)をふり返った部分は示唆に富んでいる。

 無名時代の立花は、私のようなしがない「ライターさん」と同じようなことをやっていたのだ。単行本のゴーストライターをやったり、談話のまとめをやったり、リライト仕事をしたり……。
 準備不足で一流科学者のところへ取材に行って、相手の科学者に厳しく叱られ、それ以来徹底した準備をして取材に臨むようになった、という話まで出てくる。
「へー、立花隆にもそんな時期があったんだ」と驚く。一流の書き手も最初から一流だったわけではなく、己を磨きつづけたすえにひとかどの者になったのである。そんなあたりまえのことに、改めて気づかされる。

 立花が無名から一流への階段を上っていく過程が読書遍歴から明かされた部分は、ライター必読だ。そこにはたとえば、次のような印象深い一節がある。
 

 (週刊誌の世界では)資料をゆっくり読んで、事情をすっかりつかんでから取材するのでは遅すぎます。だいたいわかったところで、いかにも事情に通じている風をよそおって、取材に行かなければならない。(中略)半可通でいれば仕事ができてしまうのがジャーナリズムの世界です。そういう状況に身も心もスポイルされて、半可通で大口を叩くことだけをもってよしとする鼻持ちならない人間がジャーナリズムの世界には多すぎます。
 「自分が半可通にすぎない」という自覚があればまだいいんですが、その自覚が全くない連中が多いんです。半可通の向こう側にいる「全可通」の人間に対するリスペクトもなければ、自分も全可通の人間に少しでも近づきたいという志もない。


 「『全可通』の人間に対するリスペクト」と、「全可通の人間に少しでも近づきたいという志」。それを終始持ちつづけたことこそ、立花を「知の巨人」たらしめた原動力だろう。
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手嶋龍一・佐藤優『インテリジェンス 武器なき戦争』

インテリジェンス 武器なき戦争 インテリジェンス 武器なき戦争
手嶋 龍一、佐藤 優 他 (2006/11)
幻冬舎

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 手嶋龍一・佐藤優著『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎新書/740円)読了。
 「テッシー」の愛称で知られる外交ジャーナリスト(元NHKワシントン支局長)と、「外務省のラスプーチン」の対談本である。

 幻冬舎新書では本書がいちばん売れているそうだが、それもうなずける面白さと内容の濃さ。外交の舞台裏でくり広げられる苛烈な情報戦争の模様が、印象的なエピソードの数々を通して語られる。なんというか、“ドンパチ抜きの『ゴルゴ13』”という趣なのだ。

 ただ、テッシーと佐藤が互いを歯の浮くようなフレーズでベタボメし合うくだりが随所にあって、読んでいて気持ち悪い。それが玉に瑕。
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『それでもボクはやってない』

それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり! それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!
周防 正行 (2007/01)
幻冬舎


 立川シネマシティで『それでもボクはやってない』を観た。言わずと知れた、周防正行監督の11年ぶりの新作。
 
 さすがのクオリティであった。社会性と娯楽性がハイレベルでせめぎあい、2時間半近い長尺を最後まで飽きさせない。

 「刑事裁判入門」としても非常によくできていて、ヘタな入門書を読むよりたくさんの知識が身につく。それでいて、不自然な説明ゼリフは皆無。ストーリーに引き込まれるうちに、「刑事裁判とはこういうもの」ということが自然に理解できる。「裁判員制度」導入を前に、日本の成人全員に鑑賞を義務づけたいくらい。

 私には仕事がらみの裁判傍聴体験も多いから、一般人より少しは法廷のことを知っているのだが、この映画の法廷シーンや弁護士・裁判官などの人間像には圧倒的なリアリティを感じた。テレビの2時間ドラマに出てくる裁判とは、次元の違うリアリティがある。

 ただ、過去の周防作品とはまったく趣が違う。『シコふんじゃった。』のさわやかな笑いとか、『Shall we ダンス?』のハートウォーミングな味わいとかを期待すると、肩透かしを食うだろう。
 笑える場面も少しはあるが、それはほんの箸休め程度。音楽さえほとんど使わず、静かで緊迫したシーンがつづく。

 あと、ネタバレになるのでくわしく書けないが、後味はかなり悪い。ずっしり重いものが残るエンディングである。なので、映画を観てスカっとしたい人、笑いたい人は避けたほうが無難。

 エンディング・テーマの「静けさの中に」という曲が素晴らしい。歌っているのは「tomo the tomo」という私の知らないアーティスト。1人なのかバンドなのかもわからないが、ただならぬ迫力の女性ヴォーカル。要注目である。
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『ヘレンケラーを知っていますか』

 『ヘレンケラーを知っていますか』を観た。3月24日公開の邦画である。 

 公式サイト→ http://movie.geocities.jp/yamaguchi_cc/

 「日本のヘレン・ケラー」と呼ばれた実在の女性をモデルに、盲聾の老女と少年のふれあいを描いた作品。
 主演は、『おしん』の小林綾子。ヒロインの15歳から78歳までを見事に演じ分けている。

 文部科学省特選、日本PTA全国協議会特別推薦、文化庁文化芸術支援作品……というのが、この作品につけられた冠。まあ、いかにもそういう感じの映画である。演出や音楽などはじつに野暮ったく、小中学校の道徳の授業で見せられる教育映画のような趣。

 『ヘレンケラーを知っていますか』というタイトルもいまいちピンとこないし、物語全体のアクセントになる金子みすゞの詩も鼻につく。ヒロインがみすゞの詩を口ずさむ場面などが、あまりにわざとらしいのである。

 しかし、そうした表面上の「ダサさ」を補って余りある感動を与える作品である。

 山の中の一軒家で、ひとり暮らしをする盲聾の老女・絹子。彼女と、若くして人生に絶望し、リストカットをくり返している15歳の少年・祐介が、偶然出会う。

 手のひらに文字を書いてコミュニケーションを取りながら、少しずつ絹子の人生に触れていく祐介。
 彼女が語る来し方は壮絶であった。20歳を過ぎてから視力と聴力を相次いで失いながら、絶望を乗り越え、懸命の努力の末に果たした自立。さらには、盲聾者の権利向上のための社会的活動にも邁進する……まさに「日本のヘレン・ケラー」ともいうべき人生を歩んできた女性だったのである(モデルとなったNさんは、実際に日本初の盲聾者団体を結成した女性)。
 しかし、介護者である母親を失ってから、社会活動もやめざるを得なくなり、絹子は深い孤独の中に生きるようになっていた。

 絹子と出会ったことによって、自分を見つめ直して蘇生していく祐介。そして絹子もまた、祐介との出会いを契機に、ふたたび社会とのかかわりを取り戻していく。

 1つの出会いが生んだ2つの「蘇生のドラマ」を描いた感動作である。
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宮崎哲弥『1冊で1000冊読めるスーパーブックガイド』

1冊で1000冊読めるスーパー・ブックガイド 1冊で1000冊読めるスーパー・ブックガイド
宮崎 哲弥 (2006/11/16)
新潮社

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 宮崎哲弥著『1冊で1000冊読めるスーパーブックガイド』(新潮社/1470円)読了。

 『週刊文春』に連載されていた書評コラム「新世紀教養講座」「ミヤザキ学習帳」をまとめて書籍化したもの。「日々生起する事件や事故、社会問題から『お題』を抽出し、その関連書籍を紹介し、評釈を加える、いわば『時事書評』」(「あとがき」)である。

 同時期に刊行された『新書365冊』が新書に的を絞っていたのに対し、本書はマンガまで含めたあらゆる本を対象にしている。また、新刊にかぎらず、既刊の名著・好著も紹介されている。その点で、ブックガイドとして有益ではある。

 ただし、書評集としても読みごたえがある『新書365冊』に比べ、面白さは半減以下。というのも、一冊についての言及が平均数行程度なので、書評というよりメモでしかないからである。

 ところで、『諸君!』の連載が朝日新書でまとめられ、『週刊文春』の連載が新潮社から単行本化されたのは、ちょっとフシギ。宮崎哲弥は文春とケンカでもしたのかな? どーでもいいけど。
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『約束の旅路』


約束の旅路 デラックス版 [DVD]約束の旅路 デラックス版 [DVD]
(2007/10/24)
アルマンド・アマール

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 『約束の旅路』を観た。3月公開のフランス映画。

 スーダンの難民キャンプで暮らしていたエチオピア系ユダヤ人(ファラシャ)たちを、イスラエル政府が救出した史実(1984年の「モーセ作戦」)に基づいた物語である。

 「ファラシャ」たちは、紀元前10世紀のソロモン王とシバの女王の末裔である(と信じられている)。彼らは「タルムード」よりももっと古い「トーラー(モーセ五書)」を教典に、エチオピアの峡谷地帯で生きてきた。現在、イスラエルには約9万人のファラシャが暮らしているという。

 主人公の少年シュロモはファラシャではなくキリスト教徒だったが、難民キャンプで1人のファラシャ女性が息子を亡くしたとき、彼女の息子を装ってイスラエルに移送される。実の母親が、生きのびるためにそうするよう命じたのだ。難民キャンプの過酷な環境では、幼い息子は早晩命を落とす。それよりは、遠い異国の地であっても息子を生きのびさせたい――そんな苦渋の選択であった。

 「離れたくない」とすがりつく9歳のシュロモを、母は心を鬼にして突き放し、そして言う。
「行って、生きて、(何かに)成りなさい」
 ――このセリフがそのまま映画の原題(Va, vis et deviens)になっている。

 シュロモとともにイスラエルに移住したファラシャの女性はほどなく病で亡くなり、シュロモはイスラエル人夫婦の養子となる。

 だが、イスラエル社会にもファラシャに対する差別があった。差別される側に身を置いてきたはずのユダヤ人たちが、「同胞」の枠の中で差別をくり返すという、この皮肉!
 シュロモはその差別に苦しむと同時に、じつはファラシャの中でも異邦人である自身の複雑なアイデンティティについて、ひとり思い悩む。

 誰にも明かせない「自分はファラシャではない」という秘密を、シュロモが行きずりの娼婦と見知らぬ警察官にだけ漏らしてしまう2つのシーンは、心に残る。それは、1人で抱えつづけるには重すぎる秘密であったのだ。

 湾岸戦争、オスロ合意、ラビン首相暗殺など、現代イスラエル社会の激動を背景に、悩みながら成長していく「宿命の子」の波乱の半生を描いた、壮大な叙事詩である。
 また、シュロモと3人の母たち(実母・養母・移送に際して“母”となった女性)を描くことを通して、「母と子の絆」の強さ・尊さを謳い上げた作品でもある。

 そして、成長したシュロモと愛し合うイスラエル女性・サラは、物語の終盤で彼の子を宿し、「もう一人の母」となる。この映画は、運命に抗して子を産み育む、世界中のたくましい母たちへの讃歌でもあろう。

 日本人にはなじみの薄いイスラエル社会の一断面をつぶさに見せてくれる、得がたい映画でもある。
 派手さはないが、観ている間も観終ったあともたくさんのことを考えさせる、重厚で素晴らしい作品だった。
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岸本佐知子『気になる部分』


気になる部分 (白水uブックス)気になる部分 (白水uブックス)
(2006/05)
岸本 佐知子

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 岸本佐知子著『気になる部分』(白水社/966円)読了。

 最近、「目利き」「読み巧者」の人たちが、こぞってこの人のエッセイを絶賛している(大森望とか柳下毅一郎とか)。で、気になったので読んでみた。
 著者の本業は翻訳家で、そのかたわら2冊のエッセイ集をものしている。これは、2000年に刊行された第一エッセイ集。

 いやー、面白かった。10回くらい爆笑、20回くらい微苦笑。

 何がすごいといって、著者の「妄想力」。
 日常のなかのささいな出来事から、「よくまあそこまで」と呆れるくらいの妄想をくり広げる様子が、おもにエッセイの素材になっている。で、物書きとしての基礎体力(文章力、豊富な語彙、観察力など)が非常に高い人だから、自分の妄想を書きつらねるだけで見事なユーモア・エッセイになるのだ。

 たとえば、「夜枕合戦」という一編。導入部からしておかしい。

 

 会社勤めをしていた頃は“睡眠魔神”の異名をとり、いつでもどこでも瞬時にして入眠できることを誇りとし、会議中に熟睡して金縛りにあった経験すらもつ私だったが、翻訳の仕事をするようになってからはめっきり寝つきが悪くなった。そこであれこれ試行錯誤を繰り返したあげく、ある夜“ひとり尻取り”ということをやってみた。



 で、“ひとり尻取り”をするうちにスーッと眠れるようになったはいいが、日を重ねるごとにだんだん尻取りの中身に凝るようになる。すると、著者の心の中では「厳密派」と「容認派」の対立が始まる。

たとえば“クレーター”ならば次は〈あ〉から始めるべきだとする厳密派と、〈あ〉〈たあ〉ともに認めるとする容認派が、競技の進め方をめぐって激しく対立し、一時試合が中断する騒ぎに発展したのである。



 ここから、エッセイは心の中の厳密派と容認派の対決として怒濤の展開を見せるのである。
 名前と年齢が近い岸本葉子のエッセイも“日常生活の愉しさ”を追求したものであるが、同じ岸本でもこちらは日常から広がる妄想のほうに真骨頂があるのだ。

 もう一つ例を挙げる。
 書名になった「気になる部分」は、新幹線の「鼻」や「ミミズの体に嵌めこまれている太いバンド状のもの」など、日常の中で気になって仕方ない「部分」について綴った一編。その最後がよい。

 私が勤めていた会社の社長は、立派で威厳に満ちた風貌の持ち主だったが、額のちょうど真ん中に大きな立体的なホクロがあって、私はたちまちそれを気にした。(中略)たまにエレベーターで乗り合わせてしまったりすると難儀した。ホクロに目が釘付けになってしまうばかりでなく、ムラムラと押してみたくなるからだ。でも、私は必死に自分を抑えた。万が一「電源スイッチ」だったりしたら、みんなが迷惑するからだ。



 あんまり面白かったので、先日出たばかりの第2エッセイ集『ねにもつタイプ』もアマゾンに注文した。
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『アレキサンダー』

アレキサンダー プレミアム・エディション アレキサンダー プレミアム・エディション
コリン・ファレル (2005/07/29)
松竹

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 オリバー・ストーン監督の『アレキサンダー』をDVDで観た。この前読んだ森谷公俊の『アレクサンドロスの征服と神話』がすごく面白かったので、観てみたくなったのである。

 この映画は、批評家筋には軒並み酷評されていたと記憶する。『週刊文春』がワースト映画を選ぶ「きいちご賞」でも、たしか上位に入っていた。
 なので期待せずに観たのだが、意外によかった。みんなが言うほど悪い作品ではないと思う。

 てゆーか、『アレクサンドロスの征服と神話』を読む前に観ていたら、私も「つまらない」と感じたことだろう。つまり、大王の生涯とその時代について、ある程度の基礎知識がないと愉しみにくい映画なのだ。
 しかもこれは、神話的な英雄としてのアレキサンダーではなく、一個の「悩める人間」としてのアレキサンダーを描いた作品だ。血湧き肉躍る英雄譚を期待すると、思いっきり肩透かしを食うだろう。

 展開のテンポが悪く、まだるっこしくて盛り上がりに欠けるうらみはある。しかし、見どころも多いし、3時間かけて観る価値は十分にある。とくに、「ガウガメラの戦い」をていねいに再現したシークェンスは、じつに素晴らしい映像スペクタクルだ。

 『アレクサンドロスの征服と神話』を読んでから観ると、この映画に向けられた非難の多くは「ないものねだり」であることがわかる。

 たとえば、この映画ではアレキサンダーと親友ヘファイスティオンの同性愛関係が、かなりのウエイトで描かれている(ストレートな性描写はなし)。そのことが「ケシカラン! 英雄冒涜」だと批判されたのだが、『アレクサンドロスの征服と神話』によれば、これは明白な史実なのである。
 当時のマケドニアでは、「ギリシアと同じく男性の同性愛は普通」であった。父王フィリッポスが暗殺されたのも「同性愛関係のもつれが原因」であったという(ただし、そのことは映画では描かれておらず、暗殺を王妃による陰謀とする説をとっている)。

 また、「東方遠征の動機が曖昧にしか描かれていない」ことがこの映画の欠点のように言われているが、そもそも、歴史家の目から見ても動機はよくわかっていないのだという。森谷公俊はこう書いている。

 そもそもアレクサンドロスは、一体何のためにあれほどの大遠征を敢行したのか。これは大王に関する最も素朴な疑問であり、同時に最大の難問である。(中略)
 要するに、大王が求めたものを何か特定の目標、具体的なモノで示すことはできない。挑戦し、勝利すること、それ自体が彼の求めたものである。一人の人間として見れば、これ以上純粋な生き方はないだろう。だがそのために一体どれほど多くの人命が失われ、どれほど多くの都市と地域が破壊されたことか。彼が引き起こした犠牲、巻き添えにしたものの大きさを考えると、アレクサンドロスは途方もないエゴイスト、究極の自己中心者と言うべきではなかろうか(『アレクサンドロスの征服と神話』)


 この映画はまさに、「究極の自己中心者」としてのアレキサンダーを壮大なスケールで描いた作品なのである。カタルシスに乏しいのも、観たあとにやりきれない思いが残るのも、オリバー・ストーンが悪いのではなく、史実に忠実であるがゆえだ。
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田原総一朗さんを取材

テレビと権力 テレビと権力
田原 総一朗 (2006/04/21)
講談社

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 今日は、赤坂の全日空ホテルで田原総一朗さん(テレビでよく「たわらさん」と呼ばれているが、「たはら」が正しい)を取材。

 田原さんとは初対面である。近著5冊(『テレビと権力』『憂国論』『市場浄化』『「小泉の日本」を読む』『田原総一朗の聞き出す力』)を読んで取材に臨んだ。

 何せ、相手は「聞き出しにくい相手から話を聞き出す」プロフェッショナルである。私も、いつもの取材の倍くらい緊張して臨んだ。

 が、実際にお会いしてみると、コワモテのイメージとは裏腹に、とても優しい方であった。

 読んでいった5冊のうちでは、『テレビと権力』が一頭地を抜く面白さ。誤解されやすい書名だが、中身は田原さんがマスコミ業界に入ってから現在までの回顧録である。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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