今村昌平逝く

復讐するは我にあり デジタルリマスター版 復讐するは我にあり デジタルリマスター版
緒方拳 (2004/03/25)
松竹

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 今村昌平と米原万里が、相次いで逝去――。

 米原万里の本では、大宅賞受賞作『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』が好きだった。名文家だったと思う。

 今村昌平といえば、私の文筆業界の大先輩(亡くなられたが)がかつて日活で今村の助監督をつとめた方で、当時の思い出話をよく聞かせていただいたものだ。そのため、直接の面識はないのに勝手な親近感を抱いていた。

 今村作品なら、カンヌでパルムドール(最高賞)を得た『楢山節考』や『うなぎ』より、『復讐するは我にあり』が私は好きだ。

 緒方拳演ずるシリアル・キラーが、ゆっくりと階段を上がって小川真由美清川虹子を殺しに行くシーンが忘れられない(※)。
 言葉による説明はいっさいないのに、階段を一歩一歩上がっていく緒方のうしろ姿をカメラがとらえるだけで、画面にまがまがしい緊迫感がみなぎる。「主人公がこれから女を殺しに行く」ということが、それだけで観客に伝わるのだ。「ああ、演出の力とはこういうものか」と思ったものである。

※後注/久しぶりにDVDを借りて再見したところ、このシーンはほんの一瞬でしかなかった。私の記憶の中では1分くらいかけてゆっくりと階段を上っていくイメージだったのだが…。つまりは私の記憶の中だけで作られた「名シーン」。人間の記憶って不思議だ。

 あと、竹中労の名著『鞍馬天狗のおじさんは/聞書アラカン一代』(ちくま文庫)の中で、アラカン(嵐寛寿郎)が『神々の深き欲望』撮影中のエピソードを語っているのだが、これがスゴイ。ほんの1、2ページのくだりなのに、「今村昌平とはどんな監督だったか?」が一発でわかる。

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園田恵子さんを取材

東京枕草子 東京枕草子
園田 恵子 (2001/06)
潮出版社

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 昨日は、都内某所で詩人の園田恵子さんを取材。
 
 あでやかな方である。先週の岸本葉子さんといい、このところ知的な美熟女を取材する機会が多くてうれしい(笑)。

 取材準備として、園田さんのエッセイ集『東京枕草子』(潮出版社)と『猫連れ出勤ノート』(講談社文庫)を読んでいく。

 『東京枕草子』は、さまざまなタイプのエッセイを詰め込んだもの。第3章「カルチャー・ダイアリー」に集められた評論寄りの文章は、とくに質が高い。
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穂村弘『もうおうちへかえりましょう』

もうおうちへかえりましょう もうおうちへかえりましょう
穂村 弘 (2004/05)
小学館

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 穂村弘著『もうおうちへかえりましょう』(小学館/1400円)読了。

 これで、穂村弘の既刊エッセイは全部読んだことになる。そろそろ飽きてきた(笑)。

 この『もうおうちへかえりましょう』は、現在までに5冊ある穂村のエッセイ集の中では、いちばん評論寄りで堅い内容。『ユリイカ』『文學界』『言語』『Forbs』など、わりとカタい雑誌に寄せた文章が多いためだ。
 なにしろ、収録された文章の中には、「言葉の戦後性」「存在と時間」「文学と人生」(!)などというタイトルのものまであるのだ。

 穂村弘は、筋肉質の評論からくだけたお笑いエッセイまで、メディアの求めに応じてなんでも書けてしまう器用な人なのだと思う。文章テクもすごい。

 とはいえ、堅いテーマの文章であっても、自虐的で笑えてときどきシュールな「穂村節」は、随所で炸裂している。
 たとえば、こんな一節――。


 (私の)母親は紅茶とコーヒーを区別することができる。だが、カフェオレになるともう駄目だ。理解できないのである。「カフェオレもあるよ?」と声をかけると怯えた目になってしまう。理解できないということは楽しめないということなのだ。そんな彼女を哀れに思いながら、私も最近スターバックス・コーヒーに入るとおどおどしてしまう。ホワイト・チョコレート・モカ・フラペチーノ、コロンビア・ナリニョ・スプレモ、これらは本当に飲み物なのか。コーヒーの仲間だって本当か。


 こんなふうに、ごくビミョーな世代間ギャップや日常の中の違和感を切り取る手際の鮮やかさが、穂村の真骨頂だ。

 また、いくつかの文章にマンガ・マニアぶりがうかがえるあたりも、シンパシー。
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森下裕美『大阪ハムレット』

大阪ハムレット (1) 大阪ハムレット (1)
森下 裕美 (2006/05/12)
双葉社

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 森下裕美『大阪ハムレット』の1巻(双葉社/700円)を読んだ。
 『少年アシベ』『ここだけのふたり!!』などで知られる著者が新境地を拓いた、大阪を舞台にした短編連作である。

 「漫棚通信ブログ版」で紹介されていたのを読んで興味をもったのだが、いや、買ってよかった。これは傑作。

 『大阪ハムレット』というタイトルだが、内容はシェイクスピア悲劇とはまったく異なる人情話。西原理恵子の抒情派路線の作品が好きな人なら気に入ると思う。
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母の戦争体験

 母から電話があり、「私の書いた文章を添削してくれないか」という。昨年の「戦後60年」を機に、自治体が住民の戦争体験を本にする作業を進めているということで、「原稿依頼」を受けたのだそうだ。母は昭和7年生まれである。

「書いてはみたんだけど、言葉づかいとかがヘンじゃないかと心配になってね。おまえ、文章を書く仕事をしているんだから、直すのはお手のものだろう」

 そりゃまあね、ということで引き受けた。
 送られてきたのは、原稿用紙5枚ほどの鉛筆書きの原稿。そこには、息子の私も聞いたことがないような戦争体験が綴られていた。
 せっかくなので、ここにもコピペしておこう。全体に“カンナがけ”はしたが、おおむね原文を尊重してある。

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 当時、私は群馬県山田郡川内村(現在の桐生市川内町)に住んでいて、小学生でした。

 四年生のときの十二月八日に太平洋戦争が始まると、それまでののどかだった暮らしが一変してしまいました。出征兵士の留守宅に学校から勤労奉仕に行って手伝いをしたり、芋掘りや稲刈りをしたりと、毎日勉強そっちのけで働いたのです。

 ほかにも、どんぐり拾いや干し草作り、桑の木の皮むき、大豆まきなどの作業を命じられました。少しでも作業をさぼろうものなら、怖い先生に叱られたものです。

 戦争のため、小学校の修学旅行にも行けず、遠足だけが楽しい思い出でした。

 戦況が激しくなると、空襲に備えるため、毎朝学校へ行くにも防空頭巾をかぶり、帯芯でできた救急袋を持参しました。頭巾も救急袋も、灯火管制のため明るくできない豆電球の下で、母が手作りしてくれたものでした。
 服装も自由にはできず、白い服を着ることは許されませんでした。「白い服は敵機から目立つ」というのがその理由です。
 物資が乏しい時期には、運動靴もくじ引きによる順番待ちで配給されました。そのため、家で作った藁草履で学校に通っていた子もいたものです。

 尋常高等科(いまの中学校にあたる)に進んだころには、さらに戦況が激しくなり、夜の空襲で遠くに火柱が上がるのを見たこともあります。また、昼間に頭上を敵機B29がたくさん飛びかうのを見て、あわてて近くの防空壕へ逃げ込んだこともあります。

 同じころ、「学徒動員」で学校から軍需工場へ通いました。川内村から、相生にあった軍需工場まで歩いて通ったのです。
 同級生の中には、「どうせ学校でも(学徒動員で)勉強しないのだから」と親に言われ、尋常高等科に進まずに就職した人も何人かいます。
 学徒動員は、昭和十九年の十二月から翌二十年の八月まで続きました。「給金」も支給されましたが、その額は男子が一ヶ月三十円、女子は二十八円でした。

 昭和二十年の日本は、それはそれはひどいありさまでした。死と隣り合わせの日常、乏しい食糧、そして原爆投下の悲劇。
 八月十五日に終戦を迎えたとき、「明日から軍需工場に行かなくてもよいのだ」と聞かされて、戦争に負けた悲しみよりも、ほっとした気持ちのほうが強かったものです。

 ようやく学業に戻れたものの、卒業まであと半年ほどを残すのみでした。私たちは、ほんとうに勉強する時間がなかった哀れな年代でした。

 戦時中の苦しかった思い出といえば、何よりもまず食糧難のことが心に浮かびます。配給の米だけではとても足りず、皆でよく買い出しに行ったものです。親戚の農家に母の着物を持っていき、米と交換してもらうこともよくありました。

 食糧難がひどくなってお金では米が買えなかった時期に、母と二人で、母の同級生の農家に赴いてさつま芋を売ってもらったことがあります。
 母と私が頭を下げると、相手の農家のおばさんは、「いまにこっちから『買ってください』と頼みに行くような時代がくるよ」とポツリと言いました。まだ子どもだった私には、そんな時代がくるとはとても信じられませんでした。

 私の家は八人家族でした。食べ盛りの子どもたち六人には、食糧難はあまりに苛酷な体験でした。私は長女でしたので、幼い妹や弟がおなかをすかせてつらそうにしている様子を見るのが不憫でなりませんでした。

 戦後、私の母は当時を振り返って、「配給の米が底をつくと、父ちゃんの顔がサーッと青くなったんだよ」と言ったものです。
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岸本葉子さんを取材

40前後、まだ美人?―若くなくても、いいじゃない 40前後、まだ美人?―若くなくても、いいじゃない
岸本 葉子 (2005/04)
文藝春秋

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 今日は、エッセイストの岸本葉子さんを取材。都内某所(岸本ファンなら最寄り駅はご存じのはず)のご自宅にて。
 そう、『マンション買って部屋づくり』のあのマンションにおじゃましたのである(ファン垂涎の取材ですね)。

 取材準備としてこの間から岸本さんの著作をあれこれ読んでいるのだが、今日までにほかに読んだのは、『40前後、まだ美人?』(文春文庫)、『幸せまでもう一歩』(中央公論新社)、『マンション買って部屋づくり』(文春文庫)、そしてデビュー作の『クリスタルはきらいよ』(泰流社)。

 最後の『クリスタルはきらいよ』は、女子大生時代の就職活動を綴ったエッセイで、現在は入手困難。私は図書館の保存庫から出してきてもらって読んだ。

 いや、チャーミングな方でありました。清楚な美しさは著者近影等で先刻承知だが、言葉の端々の細やかな気配りとやわらかな物腰、ふんわりした笑顔が素晴らしい。なんかこう、フリーの物書きらしからぬ「きちんとした感じ」なのである。
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『美しい人』

美しい人 9lives 美しい人 9lives
R. ガルシア、古閑 万希子 他 (2006/07/11)
講談社

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 渋谷の東芝エンタテイメント試写室で、『美しい人』の試写を観る。
 7月上旬公開のアメリカ映画。監督は『彼女を見ればわかること』のロドリゴ・ガルシア。

 グレン・クローズ、シシー・スペイセク、ホリー・ハンターなど、ハリウッドを代表する演技派女優たちを主演に迎えた“短編集”。1編につき10~14分の短い物語9編からなる。

 原題は「9 lives」(A cat have nine lives=「猫は9つの命をもつ」と言う英語のことわざをふまえている)。9人の女性の、9通りの人生のドラマである。

 『美しい人』という邦題はよくない。これだと「スカした恋愛映画」みたいに思えてしまう。9編とも「愛」を描いたものではあるが、恋愛映画というより、もっと苦みの勝った作品である。

 監督のロドリゴ・ガルシアは、ラテンアメリカ文学の巨匠ガルシア・マルケスの息子。プレスシートに載った監督インタビューの中で、彼はこう言っている。

【引用始まり】 ---
 僕は文学的な環境で育った。だから僕は小説や短編が大好きで、本物の芝居や演劇にはあまり興味がない。
【引用終わり】 ---
 この映画にも、彼のそうした個性が十全に発揮されている。上質の掌編小説集を読んだような味わいの映画なのだ。

 刑務所に服役中の女性、昔の恋人とスーパーでばったり再会した女性、いままさに乳ガンの手術に向かおうとする女性、妻に自殺された元夫の葬儀に参列する女性……9つのエピソードの中に、鮮やかな一閃で切り取られる人生の真実。主人公の多くが中年女性で、「若い者にはわからない世界」が展開される。

 各編とも、まるでドキュメンタリーを見るような自然な演技を出演者から引き出している。カメラワークや演出には、さりげないなかにも高度の洗練がある。ハリウッド風エンタテインメントの対極にある、静謐な傑作。
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岸本葉子『四十でがんになってから』ほか

四十でがんになってから 四十でがんになってから
岸本 葉子 (2006/01)
講談社

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 昨日の帰りの新幹線で読んだ本をメモっておこう。

 岸本葉子著『四十でがんになってから』(講談社)、『ぼんやり生きてはもったいない』(中央公論新社)。

 前者は『がんから始まる』の続編で、後者は3月に出た最新エッセイ集。

 『四十でがんになってから』の冒頭に収められた「四十歳で、がんになる」は、じつに素晴らしいエッセイ。がんという病気について当事者が書いた文章の中でも、屈指の名文だと思った。

 『ぼんやり生きてはもったいない』の中では、岸本流ポジティヴ・シンキングの極意を開陳した「逆境に強くなる!」がベスト。

 私が「ベスト・オブ岸本葉子」の編者だとしたら、この2編は絶対に収録したい。
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江村利雄さんを取材

夫のかわりはおりまへん―前高槻市長の介護奮戦記 夫のかわりはおりまへん―前高槻市長の介護奮戦記
江村 利雄 (1999/12)
徳間書店

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 今日は、大阪・高槻市の江村利雄前市長を取材。高槻のご自宅にて。

 江村さんは、高槻市長としての任期を1年残したまま、奥様の介護のため辞職された。辞職を発表する記者会見で述べた「市長のかわりはおっても、夫のかわりはおりまへん」という名言は大きな反響を呼び、その辞職はメディアがこぞって「美談」として報じた。

 奥様の登美子さんは、今年3月末に亡くなられた。四十九日をすぎたばかりの時期に雑誌の取材をさせていただくのは心苦しくもあったのだが、江村さんほど特集テーマに合った方がほかに見つからなかったのである。取材前に、線香をあげさせていただいた。

 江村さんは、次のように強調されていた。
「50年連れ添った夫婦なんやから、介護を最優先するのはあたりまえの話。美談でもなんでもないですわ。妻の介護のために仕事を辞めた人なんて、私の前にもあとにもたくさんいてます。私がたまたま市長やったから騒がれただけ。
 取材が殺到したので、途中からは『美談として取り上げるんやったらおことわりします』言うてことわってましてん」

 取材準備として、江村さんの著書『夫のかわりはおりまへん』(徳間文庫)を読んでいった。江村夫妻の歴史が凝縮された感動的な本である。
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島薗進『いのちの始まりの生命倫理』

いのちの始まりの生命倫理―受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか いのちの始まりの生命倫理―受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか
島薗 進 (2006/01)
春秋社

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 島薗進著『いのちの始まりの生命倫理』(春秋社/2500円)読了。
 
 生命操作技術の発展とともに、それを用いることが倫理的に許されるか否かが問われる局面が増えてきた。たとえば、「人クローン胚」をめぐる議論が活発だ。

 胎児の前段階である「ヒト胚」は、人の遺伝子をもち、そのまま成長すれば一個の人間となる。「人クローン胚」とは、クローン技術を用いて人為的に作られるヒト胚のこと。再生医療への応用が期待されており、そこから生まれる新技術が難病患者などへの福音となる可能性は高い。

 だが、そこには多くの倫理的難関もある。何より、「いのちの始まり」たる胚への人為的操作が許されるのかという重い問いが立ちはだかっているのだ。

 この問いをめぐって審議をつづけてきたのが、「生命倫理専門調査会」である。我が国の科学技術政策の方向性を決定づける「総合科学学術会議」(議長・首相)の下に置かれたもので、著者は宗教学者(東大大学院教授)としての立場からそこに参加していた。

 調査会がまとめた報告書は、人クローン胚作成を容認するものだった。だが、その結論に至るまでには、再生医療推進派による「民主的な手順を無視した強引な手法」があったとされ、メディアもこぞってその拙速・偏向を批判した。

 本書は、当事者の視点から3年半に及んだ調査会の審議を振り返ったもの。著者は、人クローン胚作成について慎重論の立場をとってきた。ゆえに、推進論に偏した報告書の内容とそこに至る経緯について、強い批判の言葉を向けている。

 ただし、本書の主眼は調査会の運営をあげつらうことにはない。慎重論の立場から提起された重要な論題の多くが報告書に反映されていないことを惜しみ、こぼれ落ちた論題をまとめるべく編まれたものなのだ。

 内容は、報告書への「対案」・審議の経緯の詳細な説明・論点整理の3つの柱からなる。
 審議のレポートに徹した淡々とした筆致。だが、それでも、宗教学者として生命の尊厳について思索しつづけた蓄積をふまえた著者の姿勢は、次のような言葉の中に明確に感じ取れる。

 今の我々は技術が進歩した分、感性もそれに応じて進歩し研ぎ澄ませていかねばならないと思うのです。そういう意味で、僕はヒト胚にも尊厳を認めるべきだし、それを破壊していいとは思いません。


 一連の審議は、生命倫理をめぐる出来事の中でも、脳死臨調(1990~92)での脳死臓器移植の審議に匹敵する意義をもつ。本書は、その審議を鳥瞰できる得難い資料である。
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マーサ・スタウト『良心をもたない人たち』


良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖
(2006/01)
マーサ スタウト

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 マーサ・スタウト著、木村博江訳『良心をもたない人たち/25人に1人という恐怖』(草思社/1400円)読了。

 米国の心理学者が著わした、いわゆる「サイコパス」についての解説書である。サイコパスとは、一言で言えば「良心が欠如した人間」のこと。

 サイコパスは具体的にどのような人間なのか、サイコパスが生まれる原因は何か、どのようにサイコパスを見分けたらよいか……などの問いに、著者は実在のサイコパスを例に挙げながら、手際よく答えていく。

 なかなか目からウロコの本であった。人口の4%もサイコパスがいるという話(欧米の場合。日本はもっと低いそうだ)にも驚いたが、「サイコパス=犯罪者およびその予備軍」という先入観がくつがえされたことにも驚かされた。

 私は、貴志祐介のホラー小説『黒い家』で「サイコパス」という言葉を知った。映画版では大竹しのぶが怪演した、あの恐ろしい女。あれが「サイコパス」の一典型なのである。
 『黒い家』の強烈な印象のせいで、私は「サイコパスとは平気で殺人を犯したりする粗暴な人間のこと」というイメージを抱いていた。

 だが著者によれば、大半のサイコパスは非暴力的で、目立った法律違反も犯さず、社会に溶け込んで生きているという。
 一見ふつうの人間に見えながら、平気でウソをつき、人を陥れ、周囲に不幸をまき散らす「良心をもたない人たち」。その恐るべき実態が明かされていく。

 「一見ふつう」どころか、サイコパスには一見非常に魅力的で、カリスマ性さえ感じさせる人間も多いという。彼らは人の心をあやつる術に長け、総じて知能も高いからである。著者は、大企業のCEOにまでのぼりつめたサイコパスの例を、一章を割いて紹介している。

 本書は、たんなる解説本に終わらない深みをもった良書であった。「サイコパスとは何か?」という問いに答える過程で、著者は「良心とは何か?」「人間にとって幸福とは何か?」という大テーマにまで迫っていくのである。

 「良心はほかの人たちへの感情的愛着に基づく義務感である」と著者は定義し、「良心は愛する能力を欠いては存在しない」と言う。サイコパスの道徳観念の欠如の根源には、「愛情の欠如」があるのだ。

 良心をもたないサイコパスたちは、人を出し抜く能力に長けているため、一時期は社会的成功を収めることもある。しかし、彼らはけっして幸福にはなれないと著者は言う。
 それは、たんなる「因果応報」話ではない。感情的生活が欠落したサイコパスたちはつねに退屈しており、その退屈をまぎらすために強い刺激を必要とする。そのため、刺激を求めて危険な行為をくり返したり、アルコールや麻薬に依存したりして、自滅していく率が高いのだという。

 そもそも、他人を支配したり蹴落としたりして得られる勝利感など、刹那的なものにすぎない。それは幸福感とは似て非なるものだ。愛情が欠落したサイコパスたちは、一生涯本物の幸福感を味わうことができないのである。

 「サイコパスの見分け方」を説いた章も興味深く読んだ。
 著者によれば、サイコパスを見分ける「最高の目安」は「泣き落とし」だという。サイコパスたちが人をあやつるために最も頻繁に利用するのは、意外にも、恐怖心ではなく同情心だというのだ。

 だれを信じるべきかを判断するとき、忘れてはならない。つねに悪事を働いたりひどく不適切な行動をする相手が、くり返しあなたの同情を買おうとしたら、警戒を要する。



 また、平気でウソをつけるのもサイコパスの特徴だから、つきあいの中で3回ウソが重なったら、その相手からすぐに逃げ出すべきだと著者は言う。

 もう一つ、印象に残った一節を引こう。

 (戦場において)サイコパスは悩むことなく相手を殺すことができる。良心なき人びとは、感情をもたない優秀な戦士になれるのだ。(中略)サイコパスがつくりだされ、社会から除外されないのは、ひとつには、国家が冷血な殺人者を必要としているからかもしれない。そのような兵卒から征服者までが、人間の歴史をつくりつづけてきたのだ。

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『ママが泣いた日』

ママが泣いた日 ママが泣いた日
ケヴィン・コスナー (2007/01/12)
日活

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 映画会社から送ってもらったサンプルビデオで、『ママが泣いた日』を観る。6月公開のアメリカ映画。

 公式サイト→ http://www.annieplanet.co.jp/mama/

 デトロイト郊外の閑静な住宅地に暮らす美しい四姉妹と、その母親テリー(ジョアン・アレン)が主人公。

 平穏に暮らしていた一家だったが、父親がなんの前触れもなく突然いなくなる。夫が秘書と駆け落ちしたと推測するテリーは、以来めっきり不機嫌になり、事あるごとに娘たちと衝突する。
 そこに、ひそかにテリーに思いを寄せる隣家の独身中年男デニーもからみ、「大人の恋物語」と「家族の物語」が、並行して進んでいく。

 父親不在の一家での四姉妹の物語といえば、あの『若草物語』を思い出さずにはおれない。そう、これは一言で言えば、21世紀版の『若草物語』なのだ。
 ただし、時代がまるで違うから、『若草物語』よりはずっと毒気とアイロニーに満ちている。たとえば、セックスがらみのきわどいユーモアもちりばめられている。

 地味な映画だが、けっこうよかった。
 それぞれ強い個性をもつ四姉妹を演ずる若手女優たち(エリカ・クリステンセン、エヴァン・レイチェルウッド、ケリー・ラッセル、アリシア・ウィット)がみなチャーミングだし、いつになくしょぼくれた男を演じるケヴィン・コスナー(隣人デニー役)も哀愁たっぷりでいい味出している。
 そして、父親の失踪の謎が明かされるラストの急展開も鮮やかで、観る者の心に深い余韻を残す。
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岸本葉子『がんから始まる』/取材準備の原則

がんから始まる がんから始まる
岸本 葉子 (2006/04)
文藝春秋

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 岸本葉子著『がんから始まる』(文春文庫/630円)読了。
 今月末に著者の岸本さんを取材予定なので、その準備として。

 2001年に40歳でがんを発病した人気エッセイストが、病気の兆しから告知、手術、入院生活、退院後までを綴ったエッセイである。

 「闘病記」ではあるのだが、それでも、岸本さんのエッセイにある美点はすべて揃っている。ふんわりとしたユーモアすら、随所にちりばめられている。自らの心の動きを冷静に観察して綴られた、岸本さんならではの一冊だ。

 ただ、再発の恐怖と向き合う日々の中で自らの生きる姿勢を確かめていく後半は、従来の彼女のエッセイと比べてかなり重い。「哲学的」ですらある思索の軌跡がたどられていくのだ。

 文庫化にあたって新たに書き起こされた「第三部」の、印象的な一節を引こう。

 明るく生きれば治癒もしくは延命につながる、だから明るく生きるというのは、どこかしら利益誘導的であり、潔しとしない。
(中略)
 「だから」「ならば」よりも、「だとしても」「にもかかわらず」の立場を、私はとりたい。明るく生きれば治癒、延命につながる。あるいはつながらない、つながるかどうかわからない。「だとしても」それとは無関係に、明るく生きる。それならば、将来科学がいかなる立証をしようとも、あるいは立証不能なままであっても、動じることはない。


 「明日世界が滅びるとしても、今日あなたは林檎の木を植える」というルターの名言を思い出した。

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 ところで、岸本さんのように著作を多数お持ちの方を取材する場合、それらをどの程度読んで取材に臨めばよいだろうか?

 理想をいえば、全著作を熟読し、過去のインタビュー/対談記事もすべて読破したうえで臨むべきである。じっさい、インタビューに際してつねにそうすることを自らに課している書き手もいる(らしい)。
 しかし、私にはとてもそこまではできない。

 身もふたもない言い方をしてしまえば、取材準備に時間をかけすぎたらアシが出る。そのインタビュー記事を書くことで得る原稿料に見合うだけの準備にとどめなければならないのだ。

 ライターにかぎらず、フリーランサーはみな「自分の日割り単価」を心の中に設定している。平均月収を月間平均労働日数で割った金額である。取材準備も、その単価と原稿料を勘案して行わねばならない。

 では、原稿料に見合う範囲での準備として、どのような著作を読んで臨むべきか?

 第一に、当然のことながら、取材テーマに沿った内容の著作。
 第二に、礼儀として著者の最新刊。
 第三に、著者の代表作(賞を得たものやベストセラーなど)。
 第四に、著者のデビュー作。

 そこまで読んで、それでも取材日までに余裕があったら、ほかの著作に手を伸ばす。

 私の場合はそんな優先順位にしている。
 というわけで、これからしばらくは「岸本葉子ざんまい」なのである。
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『もやしもん』『げんしけん』ほか


げんしけん(1) (アフタヌーンKC)げんしけん(1) (アフタヌーンKC)
(2002/12/18)
木尾 士目

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 石川雅之の『もやしもん』1~2巻、木尾士目の『げんしけん』1~7巻、羽海野チカの『ハチミツとクローバー』1~8巻を一気読み。

 いや、ヒマなわけではない。これも仕事である。マンガ界に「異色大学マンガ」ともいうべきジャンルができつつあることについて記事を書くので、そのためのリサーチだ。

 音大を舞台にした『のだめカンタービレ』、美大を舞台にした『ハチミツとクローバー』が、それぞれメガ・ヒット。農大を舞台にした『もやしもん』がそこそこヒット。大学のオタク・サークル「現代視覚文化研究会」を舞台にした『げんしけん』もスマッシュ・ヒット……と、この手のマンガがブームの様相を呈しているのはなぜなのか、その理由を分析しようという記事である。

 この手のマンガの先駆といえば、やはり、大学の獣医学部を舞台にした傑作『動物のお医者さん』であったろう。しかし、『動物のお医者さん』の大ヒットから十数年を経て、突然ブームとして爆発したというのもちょっと不思議である。
 そういえば、神戸大学の医学生たちを主人公にした西村しのぶの「幻の名作」(10年以上前に『スピリッツ』に不定期連載されるも未完に終わり、単行本化もされないままだった)『メディックス』が来月単行本化されるそうだが、これもブームの余波であろうか。

 私は、『のだめカンタービレ』はもともと大好きだが、『もやしもん』と『ハチミツとクローバー』は今回初読。もちろん『ハチクロ』が大ヒットしているのは知っていたが、コミックスの表紙の絵を見てちょっと敬遠していたのである。

 『げんしけん』は、以前マンガ喫茶で1、2巻あたりをざっと読んだことがあるが、ちゃんと通して読んだのは初めて。

 読んでみたら、それぞれ面白かった。とくに『ハチクロ』は、コミカルな展開の中に必殺の名セリフ、名モノローグがちりばめられていて、青春マンガの傑作だと思った。
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クラムボン『LOVER ALBUM』

LOVER ALBUM LOVER ALBUM
Clammbon (2006/05/31)
コロムビアミュージックエンタテインメント

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 昨日は、東工大で橋爪大三郎教授を取材。
 東工大って意外に女子学生が多いのですね。どうでもいいけど。
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 クラムボンの新作『LOVER ALBUM』(コロムビア/2940円)を、送ってもらったサンプル盤で聴いた。5月31発売。

 クラムボン初のカヴァー集である(タイトルは「カヴァー・アルバム」のもじり)。

 カヴァー対象曲は、洋楽とJ-POPが半々くらい。ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリースト」などという意外な選曲もあるけれど、おおむねクラムボンらしいラインナップ。たとえば、冒頭を飾るのは矢野顕子のカヴァーだが、クラムボンはデビュー当時、「初期の矢野顕子を彷彿とさせる」と評されたものだ。

 ちなみに、ラインナップはこんな感じ。

1. PRAYER(original:矢野顕子)
2. That’s the Spirit(original:Judee Sill)
3. As long as he lies perfectly still(original:The soft machine)
4. 外出中(original:SUPER BUTTER DOG)
5. 波よせて(original:Small Circle of Friends)
6. サマーヌード(original:真心ブラザーズ)
7. Across the Universe(original:The Beatles)
8. ナイトクルージング(original:フィッシュマンズ)
9. 以心電信 - You’ve Got to Help Yourself - (original:YMO)
10. I Am Not A Know It All(original:BOW WOW WOW)
11. カルアミルク(original:岡村靖幸)
12. おだやかな暮らし(original:おおはた雄一)
13. I Shall Be Released(original:THE BAND)

 どのカヴァーも、見事に「クラムボンの音」になっている。鉄壁の個性(ピアノ中心の3ピース・バンドという特異なスタイルと、原田郁子の印象的なヴォーカル)によって統一されているからだ。キュートで切なく、どこか懐かしく、それでいて元気いっぱいなJ-POP。
 たとえば、YMOの「以心電信」の場合、元歌はひたすら明るい曲なのに、クラムボンのカヴァーには不思議な切なさと懐かしさが加味されている。

 私が気に入ったのは、5、8、9、11、12あたり。
 矢野顕子とビートルズのカヴァーは、あまり感心しなかった。

 そういえば、いま竹内結子が出ている「JOMO」のテレビCMで、「♪ワッタシーの行きつけェ」と歌っているのは原田郁子だ。
 彼女はじつにいい声をしている。美声ではないが、耳に心地よい声。
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橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』

世界がわかる宗教社会学入門世界がわかる宗教社会学入門
(2001/06)
橋爪 大三郎

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 橋爪大三郎著『世界がわかる宗教社会学入門』(筑摩書房/1800円)読了。橋爪氏取材準備その2、である。

 これは、著者が東工大でつづけている宗教社会学講義をベースにした本。明快で優れた入門書だ。「宗教社会学」という言葉に「難しそう」と引いてしまう向きもあろうが、そんなことはない。高校生でも読みこなせるわかりやすさである。

 冒頭に置かれた、日本人の「宗教オンチ」を指摘する言葉に深く同意した。いわく――。

 

 日本人は、宗教を、知性と結びつけて理解することができなかった。
 これは、文明国としては、めずらしい現象かもしれない。
 日本人にとって、宗教は知的な活動ではないから、病気や災難にあって困っているひとの気休めか、人をだます迷信ということになる。だから、外国で、人びとが熱心に宗教を信じていることが、理解できなくなる。

 日本人は、ひとくちで言えば、宗教を“軽蔑”しています。(中略)宗教を信ずるのは、「弱い者」「女こども」「病人」……と相場が決まっていて、立派な大人は宗教と縁がないものということになっています。(中略)それは、江戸幕府の政策、そして明治政府の政策のせいなのです。(中略)日本人は宗教を軽蔑しているくせに、宗教について無知です。滑稽なことです。



 宗教社会学入門というより、宗教入門という印象の本。「2時間で宗教オンチが克服できる本」なんてタイトルにしたほうがピッタリだったかも。

 著者は、ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教、儒教について、それぞれの概略を手際よく説明していく。印象的なエピソードやわかりやすいたとえ話をちりばめて、読者を飽きさせない工夫が凝らされている。

 日本のアカデミズムでは一般人への啓蒙ということが軽視されがちで、入門書のたぐいをあまり書きすぎると、学者としての実績になるどころかむしろ評価を下げかねない、と聞いたことがある。
 すると、入門書を多く著わしている橋爪氏は、勇気のある人なのかもしれない。
 自らの専門分野をわかりやすくかみくだいて説明することこそ素晴らしい知的営為であり、それができる人こそ優れた学者なのだと、私などは思うけれど……。
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橋爪大三郎『アメリカの行動原理』

アメリカの行動原理の画像


 橋爪大三郎著『アメリカの行動原理』(PHP新書/700円)読了。
 GW明けに著者の橋爪氏(社会学者/東工大教授)を取材予定なので、その準備である。

 こうした取材準備もあるし、「GW明けに原稿ください」というシメキリも複数あるので、けっきょく連休どころではないのである。まあ、もともと祝日も日曜も関係ない稼業なのだけれど…。

 それはそれとして、本書はじつに面白かった。平明な語り口の中に、アメリカという国の本質をガシッと鷲づかみ。「目からウロコ」の連続である。

 もちろん、新書1冊の分量でアメリカという巨大な国の歴史・文化・行動原理を語っているわけだから、かなり大づかみな本ではある。が、そういう限界をふまえたうえで「アメリカ入門」として読めば、じつに有益な内容だ。
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『バルトの楽園』

バルトの楽園 バルトの楽園
松平健 (2006/12/08)
東映

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 有楽町の東映試写室で、『バルトの楽園(がくえん)』の試写を観た。6月17日公開の日本映画。GW中にもかかわらず、試写室は補助イスが出るほどの盛況。

 プレスシートには、「世界映画史にその名を残す傑作の誕生」というものすごい惹句が大書してある。ううむ。大きく出たなあ、東映。

 「世界映画史に名が残る」というのはいくらなんでも言いすぎだが、けっこうよかった。

 ベートーヴェンの「第九(交響曲第九番)」が日本で初演されたのは、いまから約90年前、徳島県鳴門市にあった「板東俘虜収容所」でのこと。 第一次大戦中、中国・青島で日本軍に敗れて捕虜となったドイツ兵たちが、終戦後、収容所長や地元民への感謝を込めて演奏したのが最初なのである。
 この史実をベースに、収容所で花咲いた「国境を越えた友愛」を描く大作だ。

 松平健が演ずる主人公の収容所長・松江豊寿は、捕虜たちを敬意をもって遇し、最大限の自由を与え、地元民との融和をはかる。時代に先駆けた人権・国際感覚の持ち主だったのである。

 当然、松江の姿勢は軍上層部などとの衝突を生む。だが、松江は高潔な人格と音楽などの「文化の力」によって、それらの軋轢を一つひとつ乗り越え、人々の心を結びつけていく。

 この映画は「文化の力」の讃歌であり、松江はいまでいう「ソフト・パワー」の体現者である。クライマックスで演奏される「第九」は、熱い感動を呼ぶ。

 松江豊寿は、もちろん実在の人物。「日本のシンドラー」杉原千畝などと並んで、数少ない「世界に誇るべき日本人」の1人であろう。
 松平健はテレビ時代劇や「マツケンサンバ」のイメージが強すぎて、ミスキャストではないかという危惧があったのだが、実際に観てみると違和感はない。堂々たる熱演である。

 ドイツの名優ブルーノ・ガンツがドイツ軍側のリーダー(青島総督ハインリッヒ)を演じるのだが、こちらも好演。

 古田求の脚本はソツなくうまいけれど、脇の人物たちのドラマの一部がいかにもとってつけたようで、ちょっといただけない。
 たとえば、ドイツ兵の父と日本人の母をもつ混血の美少女をめぐるお涙ちょうだいとか、ドイツ兵捕虜の1人に恋心を抱く純朴な村娘とかが出てくると、あまりに類型的で興ざめ。
 この映画は群像劇にせず、松江という魅力的な人物をめぐる「文化衝突と融和の物語」に的を絞るべきではなかったか。

 あと、説明過多のナレーションがテレビドラマみたいでうるさかったり、エンドロールのカラヤン指揮の第九が長すぎて間延びした印象を受けたりと、小さな瑕疵がいくつかある。

 しかし、全体的には重厚でよくできた映画。「日本アカデミー賞総なめ」くらいのレベルには十分達していると思う。
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植村花菜『いつも笑っていられるように』

いつも笑っていられるように いつも笑っていられるように
植村花菜 (2006/01/04)
キングレコード

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 植村花菜の『いつも笑っていられるように』(キングレコード/3000円)を購入。まだ23歳のシンガー・ソングライターの、今年1月に出たファースト・アルバム。

 「大江千里のLive Depot」というFM番組での彼女のライヴ(ネットでストリーミング配信されている)を観て、その魅力にシビレてしまったのである。
 歌いながらときどきニコッと微笑むのだが、その笑顔がじつによい。「花菜たん、萌え~」である。あと、「ほんまですかー?」などというMCの関西弁も萌え(笑)。

 植村花菜は、音楽もルックスもあまりイマ風ではなくて、1970年代のシンガー・ソングライターのような趣。小柄な身体で生ギターを抱えて歌う姿が、「いたいけ」な感じがしてよいのである。

 「岡村孝子みたいな歌を歌ってるのかなー」というイメージを抱いていたのだが、実際に聴いてみると、アレンジなどはもっとロック寄り。ウェンディ・ウォルドマンとか、初期のカーリー・サイモンあたりを思わせる。てらいのない素直なヴォーカルと、キャッチーなメロディがよい。
 私のオススメ曲は、「ミルクティー」と「キセキ」。
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『逆境ナイン』

逆境ナイン かけがえのない通常版 逆境ナイン かけがえのない通常版
玉山鉄二 (2006/01/25)
バップ

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 『逆境ナイン』をDVDで観た。島本和彦の同名マンガの映画化。

 原作にちりばめられたマンガならではのギャグを、CGを駆使して強引に映像化している点が見どころ。手間ヒマとお金をたっぷりかけて、「真剣に遊んでいる」映画である。

 これは、原作ファンにこそ愉しめる作品だ。「あのハチャメチャな島本ワールドを、よくぞここまで映像化してくれた」と思う。逆に、原作を読まないまま「なんとなく笑えそうだから」という理由で観た人は、あまりノレないかもしれない。

 ただ、「それでもやっぱり原作には負けるなあ」という、ありがちな感想を抱いてしまった。

 島本和彦のマンガは馬鹿馬鹿しくて笑えるのだけれど、けっしてそれだけではない。笑いを突き抜けた感動もあり、読む者をマジで元気にしてくれるパワーもあるのだ(『炎の言霊』という、島本作品の名言集まで編まれているほど)。

 たとえば、私は島本作品では『燃えよペン』がいちばん好きだが、あれはすべての原稿書き(マンガ家にかぎらず)に元気をくれるマンガでもある。私は、原稿のシメキリに追われてパニくったときなど、よく『燃えよペン』の単行本を引っぱり出してきて好きなシーンだけを読み返す。すると、「よーし、がんばって書くぞ」という気持ちになれるのだ。

 『逆境ナイン』にしても、笑えるだけではなく、読者に勇気と元気をくれるマンガでもある。しかしこの映画版は、かなり笑えるけど、笑いを突き抜けた感動にまでは届かない。

 でもまあ、原作ファンなら一見の価値ありの作品ではある。「長嶋茂も亀谷万年も出てこないのかぁ」などという細かい不満はあるが、原作のエッセンスはうまくすくい上げている。「それはそれ!! これはこれ!!」も笑えた。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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