穂村弘『現実入門』

現実入門現実入門
(2005/03/23)
穂村 弘

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 穂村弘著『現実入門/ほんとにみんなこんなことを?』(光文社/1400円)読了。

 40代の男としては異様に「人生の経験値」が低い(=「一度も経験していないこと」が多い)穂村が、さまざまな分野の「初体験」に挑んでいく様子を、独自の自虐的ユーモアで綴ったエッセイ。『小説宝石』に連載された「ふるふる初体験」の単行本化だ。

 好企画、だと思う。中身は例によって玉石混淆だが、まあまあ面白かった。
 本書で穂村が「初体験」する事柄は、献血・合コン・占い師にみてもらうこと・はとバスツアー・競馬・部屋探し・マス席での相撲観戦など…。

 穂村のエッセイは、言葉の「間」が絶妙である。落語の名人芸を思わせる「間」が、しみじみおかしい。たとえば、こんな一節――。

 占い師の居場所を尋ねにいったサクマさんが交番から戻ってきた。

 「教えてくれました。りそな銀行の裏にいるそうです」
 「へえ、有名な人?」
 「りそな姫って云って、有名らしいです」
 「りそな姫……」

 でも、と私は思う。あさひ銀行と大和銀行が合併してりそな銀行になったのは、ついこの間のことじゃなかったか? りそな姫は、それまではあさひ姫、さらにその前は協和埼玉姫だったのだろうか。



 しかし、この本はわりと内容が薄いなあ。たとえば、献血や占いなどというどうでもいい初体験を綴るのに、連載2回分を費やしている。芸のある人だからそこまで引き延ばしてもまあまあ笑えるけど、薄さは否めない。

 それはそれとして、この本にはもう一つの面白い仕掛けがある。全体が、連載の担当編集者である「サクマさん」と穂村自身の「ラブストーリー」になっているのだ。

 最終回で、なんと穂村は結婚を「初体験」してしまう(おっとネタバレ。でも、帯にも「プロポーズ」の文字が躍っているのだ)。

 サクマさんは、エッセイを通してもじつにチャーミングな女性に思える。穂村弘らしい、風変わりな私的ラブストーリー。
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「体験部」とな。

 この春から中学に進んだウチの娘は、「体験部」なる部活に入ることにしたそうだ。
 
 「体験部」なんて初めて聞いたけれど、「そば打ち体験」をしたり、ボランティア活動を体験したり、いろんな体験をしてみる部活なのだとか。

 うーむ、おもしろそうではないか。私が中学1年生だったら、絶対にその部を選ぶと思う。さすがは親子、志向が似ているのである。

 娘は小学校時代にはクラブ活動でバドミントンをやっていたので、当初はバドミントン部に入るつもりだったようだが、「体験部」の存在を知って気を変えたらしい。

 妻は、「運動部のほうが(つづければ)内申書がよくなるし、体力もつくから、バドミントンのほうがいいんじゃない?」と反対ぎみ。

 私は、むしろ運動系の部活に入ることのほうが何かと心配だったので、体験部は大賛成である。
 体力なんて、体育の授業もあるし、通学も徒歩だし、それで十分だと思う。

 だいたい、私は運動系の部活には思いきり偏見をもっている。プラスの面ももちろんあるだろうが、マイナス面のほうが大きいと思っているのだ。低劣な顧問教師にあたればくだらぬ精神論にもとづくシゴキを受けかねないし、タチの悪い先輩にあたれば後輩いびりに遭いかねない。運動部というと、そういう前時代的なシゴキやイビリの温床というイメージがあるのだ。

 シゴキやイビリまではなかったとしても、部活でクタクタになって家へ帰ったらグッタリなんて、本末転倒も甚だしいと思う。

 かくいう私は、中学生時代には「文芸部」に入って詩モドキや評論モドキを書いていた。それが物書き稼業の遠い原点だったりする。 
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穂村弘『本当はちがうんだ日記』

本当はちがうんだ日記の画像


 穂村弘著『本当はちがうんだ日記』(集英社/1400円)読了。

 私の穂村弘体験3冊目。3冊のうちでは『にょっ記』に次いで面白かった。
 この人のエッセイは玉石混淆度が高く、つまらないもの(=こちらと波長が合わないもの)はビックリするほどつまらないのだが、この本は「玉」含有度がかなり高い。

 巻末の初出一覧を見ていて気づいたのだが、『小説すばる』に寄稿したエッセイは概して面白い。メディアによって書き方を変える人なのだと思う。

 内容は、いつもと同じ穂村節。自らのダメダメっぷり、「世界音痴」ぶりをネタにした自虐的な笑いの世界だ。
 ただ、本業が歌人であるだけに、お笑いのヒロシの自虐ネタなどと比べると、言葉のさばき方はかなりハイブロウである。「ふだん本なんか読まないんだけど、穂村弘のエッセイは好き」という読者はまずいないと思う。読書好きにこそ受け入れられる笑いだから。

 なお、一見「もてない男」テイストで売っている穂村弘だが、エッセイを読むと、「昔の恋人」やら「ガールフレンド」の話がしばしば出てくる。じつはこの人、かなりモテるのではないか。ダメダメっぷりが母性本能を直撃するのだ(と思う)。

 アマゾンのカスタマー・レビューを読んでみたら、「長嶋有の小説が好きな人なら、穂村弘のエッセイにもハマると思う」という言葉があって、長嶋ファンでもある私は「なるほど」とうなずいた。

 そして、長嶋有・穂村弘とつづく「ダメ男抒情派」の系譜の先には、北杜夫のエッセイがあるのだろう。
 そういえば、この系譜に属する一人(って、勝手に私がそう見ているだけだが)・原田宗典が最近パッとしないけど、それは、キャラがかぶる穂村のエッセイが注目を浴びているぶん、ワリを食っているのかもしれない。

 野口悠紀雄の『「超」整理法』がミリオンセラーになってから山根一眞の影がすっかり薄くなったように、浜崎あゆみが売れ出してから安室奈美恵の影が薄くなったように、「キャラがかぶる」存在が売れることは、人気商売の人間にとって脅威なのである。
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ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』



 ジャレド・ダイアモンド著、楡井浩一訳『文明崩壊/滅亡と存続の命運を分けるもの』(上下/草思社/各2000円)読了。

 四半世紀前のベストセラーに、高坂正堯の『文明が衰亡するとき』というのがあった。わりと面白い本ではあったが、本書を読んだあとではすっかり色褪せて見える。同じテーマを扱いながら、さまざまな面で本書のほうが優れているからだ。
 
 本書は書名のとおり、古代から現代までの歴史の中から“文明衰亡の原則”を抽出しようと試みた大著である。著者は米UCLAの教授で、生物学から地理学、鳥類学、人類生態学までの広い領域で研究をつづけている。

 著者の前作『銃・病原菌・鉄』は、人類1万3千年の歴史を鳥瞰し、“なぜ西洋文明が世界の多くの地域を支配するに至ったか?”の謎解きをしたもので、ピュリッツァー賞も受賞している。それから8年を経て発表された本書は、文明隆盛の原因を探った前作とは対をなすものといえる。

 著者は前作で、“西洋文明の隆盛は人種的な優越性によるものではなく、地勢や気候などの環境要因によるところが大きい”と喝破した。本書でもまた、文明衰亡の要因として環境破壊がクローズアップされている。環境問題は、何も現代特有のものではないのである。

 たとえば、モアイ像で知られるイースター島は、いまでは木一本生えていないが、数世紀前まではヤシなどが生い茂っていたという。森林破壊によって不毛の地となってしまったのだ。

 著者は、このイースター島のように、“かつて栄華を極めながら滅び去った文明”の例をいくつか取り上げ、その崩壊過程をつぶさに検証していく。と同時に、江戸時代の日本のように深刻な環境危機を解決した事例も紹介し、「滅亡と存続の命運を分けるもの」の正体を探っていく。

 また、現在にも目が向けられる。アフリカの人口危機、中国の発展が引き起こす環境破壊などを例に、現代社会の中の崩壊の萌芽を探り、警鐘を鳴らすのだ。
「文明繁栄による環境負荷が崩壊の契機を生み出す」という道筋が、時代を超え、あらゆる場所でくり返されてきたことが解き明かされ、慄然とさせられる。近代以前には個別の社会の崩壊で済んだその道筋は、いまでは全地球規模で進行せざるを得ないのである。

 過去と現在から文明崩壊の法則を抽出した著者は、最後の第4部で、我々が崩壊の危機を乗り越える方途を探っていく。著者が提示する文明存続の処方箋は、よくある観念的な環境保護論とは一線を画し、徹底して実践的だ。たとえば、大企業に環境保護的な経営方針をとらせるための闘い方が、自身の経験をふまえ、石油・採鉱・林業・漁業の業界別に語られている。

 「警世の書」であると同時に、含蓄深い文明論でもある書。知的興奮に満ちた読み物としても一級品だ。
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穂村弘『世界音痴』


世界音痴世界音痴
(2002/03)
穂村 弘

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 今日は、日帰り取材で静岡県富士宮市へ――。

 一年のうち何日もないような素晴らしい快晴で、空気が澄んでいた。
 そのおかげで、一幅の名画のごとき富士山が、間近にくっきりと迫る。思わず、新幹線の車窓からうっとりと見とれる。周囲の乗客も、デジカメやケータイのカメラを取り出してカシャカシャと写真に撮っていた。

 穂村弘著『世界音痴』(小学館)読了。
 この間読んだ『にょっ記』がたいへん面白かったので、「この人のエッセイ集を全部読んでおこう」と思い立ったのである。全部といっても数冊だが。

 この『世界音痴』、2002年の刊行時にはかなり話題になったと記憶する。
 タイトルが卓抜だし、内容にも共感する点が多々ある。穂村の、中年にさしかかったのにいまだに大人になりきれていない感じ(「少年っぽい」とかではなくて)が、まるで自分を見るよう。行間からにじみ出るような「ひとりっ子感覚」というか(私も穂村もひとりっ子)。

 ただ、『にょっ記』のほうがずっと笑えた。
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YMO『UC』

UC YMO [Ultimate Collection of Yellow Magic Orchestra] (通常盤)の画像


 3年前に出たYMOのベスト盤『UC(Ultimate Collection of Yellow Magic Orchestra)』を、いまさらながら聴いた。

 YMOのベスト盤はこれまでにたくさん出ているし(別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ批評のYMO特集号には、「YMOのベスト&企画盤批評」というコーナーがあったほど)、1999年に出た細野晴臣監修・選曲のベスト盤『YMO GO HOME!』も買ったので、「いまさら」と思って買わなかったアルバム。なんの気なしにレンタルしてみたら、けっこうよかった。

 何がよかったかといえば、まず、リマスタリングを施された音質。「ポケットが虹でいっぱい」など、『テクノドン』収録のものと比べると、まるで別の曲のようにいきいきとしている。

 「M-16」が収録されているのもうれしい。『プロパガンダ』(YMOのファイナル・コンサートのセミ・ドキュメンタリー映画)のエンディングテーマとなったこの曲、CD化は初めてのはず。
 ああ、なつかしい。19歳のころ、私の郷里では市民会館で上映された『プロパガンダ』を観に行ったものだ。

「ぼくは、この話を、誰にもしないことに決めた」
 ――主人公の少年がそうつぶやくと、映像がストップモーションになり、堰を切ったようにこの曲が鳴り出す。そんなエンドロールのカッコよさは、いまでも鮮やかに覚えている。

 ただ、坂本龍一が担当した選曲はイマイチ。
 「マス」も「音楽の計画」も「ピュア・ジャム」も「コズミック・サーフィン」も入っていないで、どうしてYMOの「アルティメット・コレクション」と言えるだろう? ほかにも、 『テクノドン』から「ポケットが虹でいっぱい」を入れるくらいなら、傑作「ハイテク・ヒッピーズ」を入れて欲しかった、などといろいろ不満が…。

 これは、わりと「キョージュ寄り」のクセの強いベスト盤だ。ただ、レアトラックスとしてなら価値がある。

 「ビハインド・ザ・マスク」の「原曲」(元はセイコーのCMのために作った曲なのだそうで、そのCMヴァージョンが収録されている)も、じつによかった。
 やっぱり、この曲は名曲。エリック・クラプトンらがカヴァーし、マイケル・ジャクソンも惚れ込んだ曲(『スリラー』にカヴァーを入れるはずだったとか) だけのことはある。
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穂村弘『にょっ記』


にょっ記にょっ記
(2006/03)
穂村 弘

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 いま書いている原稿にどうしても必要な資料をコピーするため、朝9時半の開館を待って、家から徒歩3分の都立多摩図書館へ。
 目指す資料はすぐ見つかったものの、コピーは10時から。仕方なく、「新着図書」の棚にあった穂村弘著『にょっ記』(文藝春秋/1300円)を手にとって、時間つぶしに読む。

 ……と、これがものすごく面白くて、30分の待ち時間の間に10回くらい笑う。
 穂村弘の名は知っていたし、『世界音痴』などというエッセイ集のタイトルが気になってはいたのだが、ちゃんと読んだのは初めて。あわてて帰り道に書店に寄って、『にょっ記』を購入。

 感想はのちほど。
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20世紀でいちばん悲しいラブストーリー

 横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者であったというニュースに、いろいろ考えさせられた。

 いささか不謹慎ながら、私は2人の結婚を一編のラブストーリーとしてとらえてしまう。最初の出会いが強制されたものであったとしても、2人が夫婦として暮らし、子どもをもうける過程のどこかの時点で、恋愛感情が生まれたにちがいないと思うのだ。

 そしてそれは、なんと悲しいラブストーリーであることか。日本人拉致被害者同士で結婚したケースよりも、片方が自らの意志で亡命したケース(曽我さんとジェンキンスさん)よりも、さらに複雑な陰影を、過酷な運命を感じずにはおれない。

 女性誌『クレア』が、1992年12月号で「20世紀100の恋愛」という特集を組んだことがある。それは「1901年から1992年まで毎年ひとつずつの恋愛グランプリを選びながら、100通りのパッションを追体験」するというもので、じつによくできた特集であったため、私はスクラップして保存しておいた。

 華やかな恋のみならず、シド&ナンシーとかヒトラー&エヴァ・ブラウンとか阿部定&石田吉蔵だとか、そういうまがまがしい恋愛が多く選ばれていたあたりが、当時の『クレア』らしくてよかった。

 そして、もしいまの時点からもう一度「20世紀100の恋愛」を選び直すとしたら、横田めぐみさんと金英男氏の「恋愛」も選ばざるを得ないであろう。「20世紀でいちばん悲しいラブストーリー」として…。
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「小学校英語必修化」の是非

 今日は、「小学校英語必修化」の動きについての記事の取材。月刊『子ども英語』(アルク)の山口隆博編集長にお話をうかがった。山口さんは、お立場上当然のことながら、「英語必修化」賛成派である。

 この問題についてのマスメディアの報道をみると、反対派の声ばかりが大きく取り上げられているように思えてならない。

 石原都知事は、定例記者会見で次のように述べたという。
「日本で一番バカな役所の文部(科学)省が、小学生から英語を教えるとか言っている。まったくナンセンスだ。…自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか…国語の教育をやったほうがいい…国語に通じなかったら、人間の情操、情念、感性は培われない」

 ベストセラー『国家の品格』で知られる藤原正彦お茶の水女子大学教授も、次のように小学校英語を真っ向から否定している。
「小学校時代に一番大切なのは、国語と算数だ」「まずは自国の文化や伝統をしっかり身につけることが大事。英語を話せば国際人になるというわけではなく、問われるのは話す内容だ」(読売3月28日付)

 この2つが反対派の意見の代表的なものであり、『週刊文春』などのオジサン週刊誌も、反対派の旗を振る記事を作っている。

 一連の「必修化反対論」をみると、どうも話がズレていると思えてならない。
 中央教育審議会の外国語専門部会がまとめた必修化についての提言は、「小学校5、6年にかぎり、年間35時間(平均週一時間)程度、『教科』ではなく『総合的な学習の時間』の中などで行う」というものだ。にもかかわらず、反対論の多くは、「国語の授業時間を減らしてまで、子どもに英語を習わせることの是非」にまで話が広がってしまっている。
 
 小学校高学年で週一時間子どもに英語を学ばせると、そのことで国語教育に支障をきたす? 情操や感性を培う機会が損なわれる? 大げさにもほどがあるというものだ。

 石原都知事らによる必修化否定論に対する山口さんの反論は、たいへん説得力のあるものだった。その一部をご紹介。

・小学校英語必修化は、グローバル化をふまえた世界の趨勢であり、アジアでは日本とインドネシアを除いてすでに実施されている。OECD30ヶ国のうち、まだ必修化されていないのは日本だけである。だが、それらの実施国で、「英語必修化によって母国語の学力が弱まった」などという否定的事実は見られない。

・小学校英語の必要性は、じつは1986年の臨時教育審議会の答申にも盛り込まれていた。以来20年間、実現が先送りされてきたのである。そして、先送りされてきた20年間で、子どもたちの国語力は低下しつづけてきた。

・すでに、93.6%の小学校がなんらかの形で英語教育を取り入れている。また、保護者の70%が、英語必修化に賛成している。つまりは国民の大多数が英語必修化を支持しているのであり、これが選挙なら圧勝だ。
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入学式/好事魔多し

 今日は、娘の中学校入学式。時間に融通がきくフリーランスの特権で、妻とともに私も参加。

 ポツリポツリといる父親たちは、みなどこか「居心地の悪そうな感じ」を漂わせている。平日昼間に行われる学校行事は、基本的に“主婦のフィールド”なのだ。

 私は、仕事の打ち合わせがあったので、途中で抜ける。
 どうでもいい来賓あいさつが何人もつづき、長すぎてうんざりしたので、予定より早めに退席(笑)。
 来賓あいさつなんか代表1人でいいと思うし、保護者が並んでいるのだから少しは話に工夫をしてほしいものである。

 ああいう場のスピーチは、「笑えた」「ためになった」「感動した」の三拍子が揃って初めて合格なのだと思うが、3つどころか1つさえないものが多いのだ。
 まあ、エラソーなことは言えない。私自身も口下手だから上手なスピーチなんかできないし。

 ところで、数日前、自転車で派手に転倒してしまった。
 チェーンがゆるんでいたらしく、飛ばしていたときに「ガクッ!」とチェーンが外れ、その勢いで倒れてしまったのである。
 あちこち打撲し、手足ともすり傷だらけ。さいわい骨折はなかった。

 なんだか最近、私の周辺には大小さまざまなトラブルが競い起こっている。

 昨日は昨日で仕事でちょっとしたトラブルがあったし、先週はパソコン・トラブルに見舞われた。ノートンのウイルス駆除ソフトが期限切れしたので新しいのを買って入れ替えたのだが、そのインストールがうまくいかず、パソコンがウンともスンとも言わなくなってしまったのである。
 
 〆切りをいくつも抱えていた日だったので、サーッと血の気が引いた。
 悪戦苦闘して、なんとか復旧。その後、ノートンのオンラインサポートとのやりとりでどうにか無事再インストール。しかし、そのための作業で半日つぶれてしまった。

 好事魔多し。気をひきしめていかなければ……。

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ドナルド・フェイゲン『モーフ・ザ・キャット』


モーフ・ザ・キャットモーフ・ザ・キャット
(2006/03/29)
ドナルド・フェイゲン

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 「ヴォイス・オブ・スティーリー・ダン」ドナルド・フェイゲン の、じつに13年ぶりのソロ・アルバム『モーフ・ザ・キャット』(ワーナー/2580円)を買ってきた。

 フェイゲンの最初のソロアルバム『ナイトフライ』(1982)は、「AORの聖典」ともいうべき永遠の名盤で、私も大好きなアルバムである。
 だが、セカンド・ソロ『KAMAKIRIAD』(93年)は、ほかの人の評価はどうあれ、私にはひどく低調な作品に思えた。期待が大きかったぶんガッカリしたものだ。

 この新作は、『ナイトフライ』の完成度には及ばないものの、『KAMAKIRIAD』よりははるかによい作品だ。

 スティーリー・ダンがキャリアのピークを極めたのは、『幻想の摩天楼』『彩/エイジャ』『ガウチョ』という驚異的な傑作が3作つづいた70年代後半~80年代初頭だった。超一流のスタジオ・ミュージシャンを惜しげもなく多数起用し、曲ごとにミュージシャンを替えて、精緻な工芸品を思わせるゴージャスなサウンドを築きあげた。

 『エイジャ』の制作過程を振り返った「名盤の舞台裏」みたいなドキュメンタリー番組を、少し前に『GyaO』で観た。
 興味深かったのは、「麗しのペグ」の有名なギター・ソロを録音するまでのいきさつ。何人ものギタリストにソロを弾かせてみるも、フェイゲンとウォルター・ベッカーは気に入らず、次々とボツにしてしまう。そして最後にジェイ・グレイドンが弾いたソロが採用されるのだが、ボツにしたギタリストたち(当然みんな一流)へのギャラも相当な額にのぼったはずだ。

 そのように、たった一つのフレーズのために高額なギャラを蕩尽して、あの名盤は作られたのである。

 だが、この『モーフ・ザ・キャット』にはそうした方法論が用いられていない。すべての曲を同じメンバーが弾いているのだ。ゆえに『エイジャ』のような精緻さには欠けるが、かわりに、息の合ったバンドならではのノリのよさがある。メンバーは、スティーリー・ダンの前作『エヴリシング・マスト・ゴー』(2003)でもおなじみの面々。

 全体に、どこかなつかしい「70年代テイスト」が漂っている。『プレッツェル・ロジック』から『うそつきケティ』あたりの、中期スティーリー・ダンを思わせる音だからだ。たとえば、シングルカットされた「H・ギャング」という曲は、昔の「ドクター・ウー」とか「ナイト・バイ・ナイト」を彷彿とさせる。
 イントロを聴いただけで「お、スティーリー・ダン」とわかる、誰にも真似のできない「フェイゲン節」である。

 いつもながら、歌詞も素晴らしい。皮肉なユーモアをちりばめた、物語性豊かな歌詞。
 たとえば、「H・ギャング」は架空のロック・バンドの誕生から終焉までを描いた歌だし、つづく「ホワット・アイ・ドゥ」は若き日のフェイゲンがレイ・チャールズの亡霊とかわす問答を歌にしたもの。
 そんなふうに、1曲1曲に短篇小説のような凝った設定がなされているのだ。

 捨て曲は一つもないが、M2「H・ギャング」からM3「ホワット・アイ・ドゥ」への流れはとりわけ素晴らしい。うっとりする。
 
 聴きこむほどに味わいを増すアレンジ、質の高い演奏、渋いヴォーカル……非の打ち所がない。いぶし銀の輝きを放つ、極上のAORである。
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「気分は父子家庭」な日々

 一週間ぶりの更新だ。

 シメキリが立てこんでバタバタしているうえ、私生活でも、娘の小学校卒業、妻の短期入院などいろいろなことがあって、まことに目まぐるしい激動の一週間であった。まだ確定申告も済んでいない(還付される側だから、多少遅れても平気なのである)。

 前から娘に「中学に入ったらケータイを買ってやる」と約束していたので、卒業祝いに買い与えた。

 卒業式の夜に家族で外食をしたのだが、娘は買ったばかりのケータイにすっかり夢中。「食事のときにはケータイなんかいじらないで、家族で話をするんだよ」と叱ったら、「だって、話すことなんてないし……」と言われて軽いショックを受ける。

 ただ、娘も私がしょんぼりした様子を察して「悪いことを言った」と思ったらしく、そのあと急に優しくなった(笑)。反抗期に入りたてなのだと思うけれど、まだまだカワイイものだ。

 妻の入院は、ひざの半月板損傷のため。少し前から調子が悪く、医者から手術を勧められていたので、子どもたちが春休みになるのを待って手術したのである(入院は数日間のみで、もう退院したのでご心配なく)。

 というわけで、妻が入院している間、子どもたちとともに「気分は父子家庭」な日々をすごした。娘が料理を担当してくれたことに、「大きくなったものだ」とちょっとした感慨があった。

 子どもたちとだけで家事をしたりするのは、むしろ楽しいくらいであった。まあ、そんな気楽なことを言っておれるのは、あらかじめ退院日も決まっていた短期入院だからこそだろう。もっと重い病気で入院したなら、「楽しい」どころではあるまい。 

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Profile 

前原政之 
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前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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