結婚する理由、しない理由

 「元祖プッツン女優」藤谷美和子が、久々にとびきりの名言をかましてくれた。
 今月はじめに演出家の岡村俊一氏と結婚していたことが28日に明らかになった際、結婚の理由について聞かれると、こう答えたというのだ。

 「だって、結婚しないと離婚できないでしょ?」

 「結婚を前提としたおつきあい」ならぬ、「離婚を前提とした結婚」! まるで、コーエン兄弟の映画『ディボース・ショウ』の中のセリフのようだ。

 やっぱり藤谷美和子はスゴイ。何がスゴイのかよくわからないがとにかくスゴイ。かつて藤谷は「私が嫌いなのは誤解されること、そして理解されること」という名言を吐いたが、たしかに理解を超えた女優である。

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 「結婚する理由」をめぐる名言というと、もう1つ、ピアニストの中村紘子がかつて言ったこんな言葉を思い出す。

 「だって、結婚していれば、少なくともあなたみたいなインタビュアーに、“なぜ結婚しないんですか?”と訊かれなくて済むじゃアありませんか?」

 これは、名コラムニスト・青木雨彦(故人)が『にんげん百一科事典』(講談社文庫)で紹介しているエピソード。なかなか気の利いた“かわし方”である。

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 ついでのことに、「結婚しない理由」をめぐる名言も1つ紹介しておこう。
 
 「結婚しない理由? 男がいないのも困るけど、ずっといるのも困るからね」

 女優・桃井かおりの、いかにも彼女らしいハードボイルド・タッチの名言。
 “アネゴ系”のあなたが会社の後輩に「先輩、どうして結婚しないんですか?」と聞かれたときなどに、サラリと使ってみてください。

 もう一つオマケ。

「私は男でなくて幸せだ。もし男だったら、女と結婚しなければならないだろうから」

 スタール夫人(批評家・作家)の苦い名言である。
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町山智浩『ブレードランナーの未来世紀』


〈映画の見方〉がわかる本80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀 (映画秘宝コレクション)〈映画の見方〉がわかる本80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀 (映画秘宝コレクション)
(2005/12/20)
町山 智浩

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 町山智浩著『ブレードランナーの未来世紀/〈映画の見方〉がわかる本 80年代アメリカ映画カルトムービー篇』(洋泉社/1680円)読了。

 3年前に出た町山の『〈映画の見方〉がわかる本』は、メチャメチャ面白い本だった。
 本書はその続編。正編が1960年代末から70年代のヒット作を俎上に載せていたのに対し、本書は80年代のカルトムービー8本を題材に選んだ映画評論集である。

 取り上げられている映画は、以下のとおり。
 デヴィッド・クローネンバーグの『ビデオドローム』、ジョー・ダンテの『グレムリン』、ジェームズ・キャメロンの『ターミネーター』、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』、オリヴァー・ストーンの『プラトーン』、デヴィッド・リンチの『ブルーベルベット』、ポール・ヴァーホーヴェンの『ロボコップ』、リドリー・スコットの『ブレードランナー』。

 この続編のほうが、私にとってもリアルタイムで観た作品ばかりなので、親しみをもって読むことができた。
 …のだけれど、評論集としての出来ばえは正編より一段落ちるなあ。正編の「目からウロコが落ちまくる」感動が、この続編にはあまりない。各監督の人生や作品のストーリーを紹介したくだりがわりと長くて、その分だけ著者独自の分析を披露した部分が少ないのだ。

 とはいえ、そうした印象は、正編があまりにも素晴らしかったからワリを食っているのだともいえる。これはこれで優れた映画評論である。

 正編が作品自体とその時代背景にウエイトを置いていたのに対し、この続編には「監督論」としての色合いが濃い。
 たとえば、『ビデオドローム』を深く分析した1章は卓抜なクローネンバーグ論になっているし、『ターミネーター』を論じた3章は、ジェームズ・キャメロンという監督の核にまで迫る内容となっている。
 1人の映画作家を1冊かけて分析した長大な本がよくあるけれど、その手の本8冊分のエッセンスをギュッと濃縮した感じ。俎上に載った8人の監督のうち何人かが好きな人なら、買って損はない。

 正編の白眉は『2001年宇宙の旅』の見事な解題を展開した章であったが、続編の目玉は、80年代最大のカルトムービー『ブレードランナー』を詳細に分析した最終章だ。書名に冠しているだけあって、この終章は素晴らしい出来ばえ。

 あと、個人的には『グレムリン』を取り上げた章がうれしかった。大半の映画評論家に黙殺された『グレムリン2』(高く評価したのは藤田真男氏くらいか)は、じつは私のひそかな偏愛作品なのだ。本書によれば、監督のダンテ自身が「映画史上最もムチャクチャな続編」と自嘲していたそうだが、ムチャクチャだからこそ面白い映画であった。
 『グレムリン』の大真面目な分析に著作の1章を割くような映画評論家が、町山氏以外にいるだろうか。
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整理魔の年末

 何を隠そう、私は「整理魔」である。
 
 私という人間を直接知らず、このブログを読んでいるだけの人にも、おそらくその片鱗は見えていることと思う。

 たとえば、私はエントリのカテゴリ分けについて、どこかのカテゴリに分類しないと気がすまない。
 「カテゴリ未分類」のエントリが山のようにあるブログがよくあるけれど、私にはああいう状態ががまんならないのである(自分のブログではいやだというだけで、よそ様のブログにケチをつけているわけではない。念のため)。自分が作ったカテゴリにどうしてもあてはまらないエントリは、エントリそのものを消してしまったりする。

 ブログですらそうなのだから、書斎やカバンの中身などはいわずもがな。本棚とか机の引き出しとか手帳とかは、自慢だが、いつも整理整頓されている。

 そんなふうに整理魔の私にとって、年末は「整理の季節」だ。今年1年の間に自分が書いた記事は媒体別にきちんと切り取ってファイルしておくし、雑誌類は必要な記事だけスクラップしてテーマ別ファイルに収め、残りは今年最後の分別ゴミ回収に出す。

 年賀状を書くにあたっても、当然整理魔ぶりが発揮される。今年の年賀状を誰に出し、誰から返事がこなかったか(笑)は手帳に記録してあるから、それを基準にして年賀状を書く相手をリストアップする。

 こういう性格の人間は、会社の同僚にするにはうっとおしいが、ライターには向いている。異なる分野の仕事を同時並行で進め、それぞれに大量の資料類を必要とするライターにとって、整理整頓も仕事のうちだからである。

 もっとも、整理魔であることときれい好きであることは、必ずしもイコールではない。私は、本棚の本が整然と並んでいないと気がすまないが、それらの本の上にホコリが積もっていてもわりと平気だ。このへんは我ながら不思議。
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真央ちゃんは弥勒顔

魅惑の仏像 弥勒菩薩―京都・広隆寺 魅惑の仏像 弥勒菩薩―京都・広隆寺
小川 光三 (2000/11)
毎日新聞社

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 年末進行は終わったものの、「今年いっぱいで原稿アップ」という単行本のリライト仕事に追われている。

 で、ちょっと息抜き。ダラダラ雑記です。

 もうとっくに誰かが指摘していることかもしれないけれど、フィギュアスケートの浅田真央の顔は広隆寺の弥勒菩薩像にそっくりだと思う。「アルカイック・スマイル」のお手本って感じ。

 15歳という年齢、フィギュアスケートという種目からいえばロリオタ諸氏の妄想ターゲットになりそうだけれど、察するに、真央ちゃんはロリオタにはあまり人気がないのではないか。
 だって「弥勒顔」だもの。萌えるよりも先に後光がさしそうで、エロい妄想なんか入る余地がないだろう。

 ひと昔前にあの岩崎恭子が14歳で金メダルをとったころ、ロリオタにいちばん人気があるのは彼女だという話を『SPA!』で読んで、「なるほど」と深く得心したことがある。
 少女時代の後藤久美子や観月ありさのような目鼻立ちのくっきりした美少女は存外ロリオタには人気がなく、ポヤーッとして気の弱そうなかわいい子のほうが人気なのである。
 いや、私はそっちのほうはよくわかりませんが(笑)。

 ところで、横綱・朝青龍はじつにいい顔をしている(話がガラっと変わるが、「顔つながり」ってことで)。なんかこう、「ガキ大将がそのまま大人になりました」って感じの顔。「実写版ジャイアン」みたいな。

 朝青龍は横綱になってすぐ「態度が傲慢だ」などと叩かれていたけれど、そういう“不行跡”も悪ガキのヤンチャみたいなものではないか。ガキ大将的な乱暴さはあったとしても、陰湿ないじめはしないタイプと見た。だって、あの顔はどう見ても悪人顔じゃないもの(顔で決めつけてはいけないのだが、それでもやっぱり、顔には人間性がにじみ出ると思ってしまう)。
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『ALWAYS 三丁目の夕日』

ALWAYS 三丁目の夕日 o.s.tの画像


 『ALWAYS 三丁目の夕日』を観た。
 ほんとうは『ロード・オブ・ウォー』を観たかったのだけれど、封切り直後のせいか満員だったので。

 公式サイト→ http://www.always3.jp/

 昭和33年の東京を、ある種の「ユートピア」として描き出す映画。
 貧しいけれども未来への希望に満ち、地域共同体の紐帯がしっかりと保たれていた時代。人と人のあたたかい触れ合いが町内に満ちていて、根っからの悪人は一人もいない――そんなユートピアである。

 終戦からまだ13年。焼け野原からはようやく立ち直ったものの、東京オリンピックも高度成長もあともう少し先の話だ。
 しかしそれでも、「今年よりも来年のほうが豊かであるに決まっているし、豊かになるほど幸せになるに決まっているし、科学技術の進歩は人を幸せにするに決まっている」という無邪気な確信が、まだ人々の心に満ちていた。それらの確信は、いまの私たちが一つたりとも持ち得ないものだ。失われたユートピアを愛惜する映画である。

 昭和33年当時を肌で知る年代の人が観たら、たまらなくなつかしいだろう。当時の風俗を再現したディテールがものすごくよくできていて、まるで海洋堂のフィギュアのように細部を愉しむことができる。
 逆に、20代以下の若い人が見たら、この映画の中の東京はエキゾチックな別世界のように映るだろう。

 私は昭和39年生まれだが、それでもぎりぎり、この映画にノスタルジーを感じることができる。駄菓子屋とか学校、小さい商店街などの雰囲気は、私が子どものころもまああんなものだったし。

 ストーリーもよくできている。「泣きどころ」が全部で4つあって、気持よく泣ける映画だ。

 そして、薬師丸ひろ子の堂々たる「日本の母」ぶりに感じ入った。

 デビュー作『野生の証明』から『セーラー服と機関銃』までの薬師丸ひろ子は、「日本の少女」のイコンであった。その彼女が、四半世紀の時を経ていま、まごうかたなき「日本の母」のイコンと化した。長年のファンとして感慨深い。

 この映画の母親役をたとえば黒木瞳が演じたなら、スタイルがよすぎて、またあまりに女優然としすぎて興ざめであったろう。薬師丸ひろ子の大根足、背の低さ、ずんぐりむっくりとしたスタイルなどが、ここではむしろ、「ふつうの日本の母」らしさを裏打ちする強みとなって活きている。

 こうなったら、薬師丸ひろ子には日本一の「母親女優」になってほしい。私はそれでもファンでありつづけるだろう。
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ラウル・ミドン『ステイト・オブ・マインド』

ステイト・オブ・マインド フル・プライス ステイト・オブ・マインド フル・プライス
ラウル・ミドン、ジェイソン・ムラーズ 他 (2006/03/08)
東芝EMI

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 先日取材した明治学院大学の辻信一教授は、音楽にもたいへん造詣の深い方である。『ブラック・ミュージックさえあれば』(青弓社)という、素晴らしい音楽エッセイの著作もものしておられる。

 なので、取材が終わったあとの雑談の中で、「最近のオススメ音楽」を伺ってみた。そのとき辻さんが間髪を入れずに出された名前が、ラウル・ミドン。恥ずかしながら、私はその名を知らなかった。
 
 仕事が一段落したので、ラウル・ミドンの名をググってその音楽を試聴したみたところ、私も一発でまいってしまった。
 これはイイ! スゴイ! 辻さんがリコメンドされるのも道理だ。

 ラウル・ミドンは、今年10月にデビュー・アルバム『ステイト・オブ・マインド』(東芝EMI/1980円)を出したばかりのシンガー・ソングライター/ギタリストである。

 彼は盲目だ。未熟児網膜症によって、乳児期に失明してしまったのだという。
 スティーヴィー・ワンダーを思い出さずにはおれないが、じっさい、音楽にもスティーヴィーの影響が色濃く感じられる。また、スティーヴィーもラウルの音楽を絶賛しており、『ステイト・オブ・マインド』の1曲にはハーモニカでゲスト参加している。ハービー・ハンコックの最新アルバム『ポシビリティーズ』で、スティーヴィーのヒット曲「心の愛」(I Just Called To Say I Love You)を歌っていたのもラウルである。

 いささか安直な評言を使ってしまえば、ラウル・ミドンは「キーボードのかわりにギターを選んだ、21世紀のスティーヴィー・ワンダー」ともいうべきアーティストなのである。

 『ステイト・オブ・マインド』をさっそくアマゾンで購入したのだが、いやー、このアルバムはじつに素晴らしい。すでにして名盤の風格がある。

 視力を失うかわりに、ラウルは3つの豊かな才能を与えられた。ギタリストとしての才能、ヴォーカリストとしての才能、そしてソングライターとしての才能。いずれも超一級品である。

 ジャンルとしては「フォーキー・ソウル」ということになるのだろうか。基本はソウルだが、ほとんどの曲が生ギター中心のシンプルな構成(ベース・ギターやハーモニカなどが控えめに添えられるのみ)で、フォーク色も濃い。また、ボサノヴァなどのブラジル音楽の色合いも感じられる。あと、ギターにはスパニッシュ風味も少々。

 ギターとヴォーカルが色彩感豊かなので、生ギター弾き語りの音楽にありがちなスカスカ感がまったくない。そして、ギターがリズム・セクションを兼ねているといってもよいくらい、パーカッシヴで躍動感に満ちた演奏だ。
 独特のギター奏法について、ラウル自身が日本盤ライナーノーツにこんなコメントを寄せている。

「僕は常にリズムに興味を持っているので、ギターとドラムを同時に弾けたらいいだろうなってずっと思ってきた。(中略)だから、パーカッションを叩くような弾き方をするようになったんだ」



 艶やかなハイトーンのヴォーカルもスティーヴィー・ワンダーに似ているが、ヴォーカリストとしての資質はスティーヴィー以上だと思う。声のレンジがたいへん広く、「七色の声」という趣。しかも、低い声からファルセットまで、どんな声域で歌っても発声が揺るがない。かりにギターが弾けなくても、曲が書けなくても、ヴォーカリストとして十分にやっていけるだろうと思わせる。

 何より素晴らしいのは、ラウルの音楽が聴く者の心の霧を払うようなパワーに満ちている点だ。「キープ・オン・ホーピング」「サンシャイン(アイ・キャン・フライ)」などという曲名一つとっても、非常にポジティヴ。
 ラウルがこうした明るさ・力強さにたどりつくまでには、ハンディキャップゆえの長く苦しい絶望との闘いがあったに違いない。「苦悩を突き抜けて歓喜へ」といえば、ベートーヴェンが聴覚を失った絶望の果てにたどりついた「第九」の主題だが、ラウルの音楽にも同質の“気高い明るさ”が感じられる。
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 『ステイト・オブ・マインド』試聴ページ(「オール・イン・ユア・マインド」「サンシャイン」「エクスプレッションズ・オブ・ラヴ」の3曲は、とくにスティーヴィー・ワンダーにそっくり)

 あと、このページで、ラウルのステージ・パフォーマンスを1時間にわたって観ることができる。マウス・トランペット(唇でやるトランペットの音真似)も絶品。
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ある言葉との再会

 敬愛する小説家・宮内勝典さんの『海亀日記』(12月11日付)で、なつかしい言葉に再会した。

【引用始まり】 ---
 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない。
【引用終わり】 ---

 1939年に38歳で世を去ったハンセン病の歌人、明石海人の遺した言葉である(歌集『白描』の序文の一節)。

 私がこの言葉に出合ったのは、1987年、編集プロダクションでライター生活の第一歩を踏み出したころ。古今東西の名言を集めた本の執筆をまかされ、都立日比谷図書館に日参して“名言集め”をしていたときのことだ。23歳だった。

 その作業は『心を強くする人生の言葉383』(日本文芸社)という本に結実したのだが、売れなかったから、いまでは国会図書館にでも行かなければ読めないだろう。それは、まあどうでもいい。

 「深海に――」は、映画監督の大島渚が座右の銘にしている言葉として知られる。私も、たしか大島に関する本の中で出合ったのだと思う。

 ライターとしての未来がまったく見えなかった23歳の私には、この言葉が自分のために用意されたかのように思えたものだ。名言集に収録するためノートに書き写したこの言葉に、鉛筆で何度も傍線を引いた。
 むろん、当時の私が感じていた閉塞感など、ハンセン病で世を去った歌人の深い絶望に比べたら、なにほどのこともないけれど……。

 この言葉が胸を打つのは、絶望の海底から身を起こし、自ら一筋の希望を作り出そうとする、明石海人の強い意志がそこにみなぎっているからだ。

 宮内さんの場合、高校の文芸部の同人誌『深海魚族』の扉に記されていたことで、この言葉に出合ったのだという。
 明石海人が世を去ってからの60年余、この言葉はそんなふうに、多くの若者を、また絶望に打ちひしがれた者たちを、鼓舞しつづけてきたのである。

 言葉を綴って禄を食む者のはしくれである以上、そのように静かな光彩を放ちつづける言葉を、一つでもよいから世に遺したいものだ。
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京都小6女児刺殺事件について

 子供が標的になる犯罪が多くて気の滅入る昨今だが、塾講師による京都小6女児刺殺事件は、同じく小6の娘をもつ私にとって、ことのほかやりきれない。

 うちの娘も塾に通っているし、塾の講師について無造作な“品評”を口にしたりもする。まったくもって他人事ではないのである。

 犯人が鬼畜系ロリオタで、被害女児に一方的な恋慕の念を寄せていた、という可能性もないではない(イヤな可能性だ)。が、私が推察するに、いまどきの学習塾の厳しい講師評価システムも、背景要因の一つではないか。

 私は少し前にある大手学習塾チェーン(今回の事件の舞台になった「京進」ではない)の経営者を取材したことがあるのだが、その際に、塾講師の世界のシビアな実態を知って驚いた。
 
 大手の学習塾では、各講師が受け持ちクラスをどの程度成績アップさせたかによって、「講師の成績」が明確な数字となって出るシステムになっている。そして、成績の下がったクラス、上がらないクラスについては、講師の責任が厳しく問われるのだ。

 また、生徒たちに講師を評価させる定期的なアンケート調査を導入している塾も多い(娘の通っている塾にもあるそうだ)。
 つまり、大手学習塾においては、生徒は評価されるのみならず、“講師を評価する側”でもある。その点が、公立校の教師と生徒の関係とは違う。
 
 生徒の成績とアンケート調査にあらわれた講師の能力が、経営サイドがその講師を評価する基準になる。マイナス評価が改善されなければ、ボーナスや昇給の査定にも響くし、降格などもあり得る。
 そして、「使い物にならない」と判定された講師は、教科担当から外して事務の仕事に回されたり(すると、大半の教師は自ら塾を去るという)、ときには解雇されたりする。それくらい厳しい世界なのだ。
 
 学習塾も営利企業である以上、社員の能力がシビアに評定されるのは当然の話だ。ただ、今回の事件の犯人は、そうした厳しさに耐えられないほど心が弱かったのではないか。

 「熱心な先生だった」という周囲の評価もあるようだから、受けもった生徒の成績を上げようという努力はつづけていたのだろう。だからこそ、自分を嫌い、塾側に申し出てクラスから外れたという被害女児に対して、憎しみの感情を抱くようになったのではないか。
 犯人の目には被害女児が、“審査員席でただ一人、自分をボロクソにけなした審査員”のように映ったのではないだろうか。

 むろん、だからといって犯人の行為に同情の余地などなく、被害女児に微塵も罪がないことはいうまでもないが……。

だれでも出来る学習塾!

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矢野顕子『誰がために』

誰がために オリジナル・サウンドトラック 誰がために オリジナル・サウンドトラック
矢野顕子 (2005/10/13)
ジェネオン エンタテインメント

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 矢野顕子が音楽を手がけた映画『誰がために』のサントラ盤(ジェネオン エンタテインメント/2500円)を買ってきた。 → 『誰がために』公式サイト

 彼女は、過去にアニメの音楽を担当したことはあるが、実写映画の音楽を手がけるのはこれが初めてである。

 
 冒頭にヴォーカル入りのテーマ曲「誰がために」が収録されているが(ただし、このバージョンは映画には使われていないそうだ)、それ以外は全編ピアノ・ソロで構成されている。
 
 私はもともと矢野顕子のピアノが大好きである。シンガーとしてよりも、ソングライターとしてよりも、まずピアニストとしての彼女のファンなのだ。ジャズやクラシックの世界まで含めても、矢野顕子ほど素晴らしいピアニストはめったにいないと思っている。
 そんな私にとって、矢野顕子のピアノだけをじっくり聴けるこのアルバムはじつにうれしいプレゼントである。

 肝心の映画のほうを私はまだ観ていないのだが、一面識もない少年に恋人を殺されてしまったカメラマンが主人公の、わりと重い映画であるようだ。
 そのためもあって、音楽のほうも寂寥感に満ちたものになっている。

 矢野顕子の音楽にはもともと、深い寂寥感がある。ただ、ヴォーカル入りの通常のアルバムの場合、その寂寥感の周囲をあたたかさと愉しさがおおっている。しかし、このアルバムは寂寥感がむき出しだ。ピアノの一音一音が、寂しく切ない。

 「聴く者の心を芯から温める」いつものアッコちゃんを期待する向きには、このアルバムはやや期待外れかもしれない。しかし、私は大いに気に入った。映画を離れて独立した価値をもつ作品だと思う。
 ただ、収録時間33分弱というのは、ちょっと短かすぎ。もっとじっくり彼女の清冽なピアノを聴いていたかった。
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岩隈久志投手を取材

 今日は、またまた取材ダブルヘッダー。
 四谷の司法書士会館で司法書士さんを取材したあと、某所で楽天イーグルスの岩隈久志投手を取材した。

 前者は、「改正司法書士法」の施行で、司法書士が簡裁にかぎり弁護士のかわりに法廷に立てるようになったことを紹介する記事の取材。

 司法書士さんを取材した1時間後には移動して岩隈投手を取材したのだから、我ながらよく頭の切り替えができるな、と思う。ま、商売ですから。

 岩隈投手、カッコイイっすよ。背高いし(190cm)、足長いし、甘いマスクだし…。たとえば、TOKIOとかV6とかの面々の横に並んでいても全然違和感ないだろうな、と思わせる。

 いかにも「いまどきの若者」という雰囲気がある反面、福祉施設を慰問したり、球場の10シートを年間で買い上げて「岩隈シート」として公式戦に障害児を招待したり……という活動を地道につづけている。
 そうした活動の背景にあるのは、「プロ野球選手は子供たちに夢を与える存在でなければならない」という信念なのだという。
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25年目の12月8日

ジョンの魂 ~ミレニアム・エディション~の画像


 25年目の12月8日である。
 12月8日といっても「真珠湾攻撃」ではない。ジョン・レノンがマーク・チャップマンに殺された日だ。あの日、私はまだ16歳だった。

 ビートルズの曲のうち、ジョンが作ってヴォーカルをとったものばかり集めたMDを聴く(「ジュリア」で始まり「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で終わる)。

 ジョン・レノンは冬が似合う人だったな、と思う。
 コートを着て街を歩くジョンはすぐイメージできるが、Tシャツ一枚とか水着姿のジョンはイメージしにくい。12月8日という命日は、死に方はともかく、季節のうえではジョンに似つかわしい。

 松村雄策さんは、ビートルズをメインにした音楽エッセイの名著『アビイ・ロードからの裏通り』(ちくま文庫)の中で、ジョンについてこう書いている。

【引用始まり】 ---
 ジョンは、ダイヤモンドではなかったのだ。夜店で売っているただのガラス玉だったのだ。だから、初めはなんでもなかった。ガラス玉が輝くためには、その全てに傷をつけるしかなかった。あっちで傷つき、こっちで傷つき、もういたるところが傷だらけになって、その傷が光り輝いているのである。
【引用終わり】 ---

 わずか数行のこの文章は、何万言を費やしたジョン・レノン論より、ジョンというアーティストの「核」に肉薄していると思う。

 念のためにつけ加えれば、松村雄策さんは、渋谷陽一氏らとともに『ロッキング・オン』に創刊当時からかかわってこられた音楽ライター/作家である。
 『苺畑の午前五時』という、ビートルズが好きな人なら鳥肌ものの青春小説(てゆーか「少年小説」)を書いた人でもある。

 また、一時期まではロック・アーティストとしても活躍しておられた。
 セカンド・アルバム『プライヴェイト・アイ』には、「傷だらけのガラス玉」という曲も入っていた。上記の引用文(ちなみに、これは『ジョンの魂』のレビューの一節)がベースになっているとおぼしき曲である。

 『アビイ・ロードからの裏通り』には、ずばり「一九八〇年十二月八日」と題された一文も収められている。もちろん、「あの日」の衝撃を刻んだ文章である。
 それは、次のような忘れがたい一節で終わっていた。

【引用始まり】 ---
 だけど、ひとりではいたくないので、誰か捜して、飲み続けていて、結局何も解らない。当分は、解らないままで、何も無かったふりをして、ずうっと飲み続けよう。
【引用終わり】 ---

 『苺畑の午前五時』の単行本が出たころ(1987年)、松村さんを取材したことがある。
 思えば、あれは私にとって生涯初の「著者インタビュー」だった。さぞかしシドロモドロだったことだろう。汗顔の至りである。

 松村さん、また小説出してください。

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『THE 有頂天ホテル』

THE 有頂天ホテル スペシャル・エディションの画像


 有楽町の東宝試写室で、『THE 有頂天ホテル』の試写を観た。
 三谷幸喜、4年ぶりの監督作(もちろん脚本も)。大晦日の名門ホテルを舞台に、複雑に交錯する人間模様が“笑いのアラベスク”をなす群像劇コメディである。1月14日公開。

 公式サイト→ http://www.uchoten.com

 正月映画にふさわしい、にぎやかで愉しい快作。三谷幸喜、本領発揮という感じの脚本だ。
 はりめぐらされた伏線が、パズルのピースがはまるようにカチッ、カチッと小気味よく決まっていく。そして、並の映画なら主役級のスターまで惜しげもなく脇役に使った超豪華なキャストを、三谷は適材適所で巧みに活かしている。とくに松たか子が、ノリのよい演技を見せてじつにチャーミングである。「コメディエンヌ開眼」といったところか。

 これは三谷にとって監督第3作にあたるが、第2作の『みんなのいえ』よりははるかに出来がよい。
 第1作の『ラヂオの時間』と比べると……うーん、好みが分かれるところだが、私は同じくらい面白いと思った。

 難を言えば、ストーリー全体をつらぬく大きな「柱」がない。
 『ラヂオの時間』は、ラジオドラマが紆余曲折を経て完成するまでの流れが柱となって、観客を牽引していった。この『THE 有頂天ホテル』にはそういうものがないのだ。その分だけ、こじんまりとした個々のドラマの寄せ集めという印象があり、クライマックスに向けてぐいぐい観客を引っぱるような“物語の勢い”にやや欠ける。

 ま、それは望蜀というものか。2時間16分間にわたってシャレのきいた小技が次々とくり出されるので、まったく退屈しないし、十分に笑える。

 そして、これは観る者に勇気と希望を与える映画でもある。それぞれ「わけあり」の宿泊者やホテルマンたちが、一夜の出来事を通じて絶望や屈辱、迷いから蘇生し、もう一度前向きに生き直す決意をする物語なのだ。だからこそ、観終わったあとにはハッピーな気分になれる。
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堺正一『塙保己一とともに』

塙保己一とともに―ヘレン・ケラーと塙保己一塙保己一とともに―ヘレン・ケラーと塙保己一
(2005/09)
堺 正一

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 堺正一著『塙保己一とともに』(はる書房/1575円)読了。

 塙保己一(はなわ・ほきいち)は、江戸後期の盲目の国学者。学問とは無縁の農家に生まれ、まだ文字すら覚えていない幼少期に失明しながら、すさまじい努力のすえに学者となった。

 大文献集『群書類従』の編纂などの文化事業に生涯をささげ、その功績から、晩年には幕府によって大名並みの厚遇を受けた。

 点字もテレコも自動車も電話もない時代に、盲人が666冊におよぶ文献集を編纂する――そこまでの道のりは、どれほど険しいものであったことか。
 あのヘレン・ケラーも、幼少期に母親から保己一について教えられ、その生き方を自らの範としたという。

 本書は、保己一の平明な伝記。中学生にも読みこなせる内容だが、大人が読んでも十分に感動的である。

 保己一が障害を乗り越えて偉業を成し遂げたのは、学問にかけるそのすさまじい情熱に打たれた周囲の人々が、次々と援助の手を差し伸べたからでもあった。

 たとえば、若き日の保己一がある旗本夫人のもとに「あんま」に通っていたときのこと。夫人は、若者が学問好きであることを知り、あんまを終えたあとに本を読んで聞かせてくれた。
 ある夏の午後、いつもどおりあんまのあとに本を読み聞かせていたとき、ふと見ると、保己一は自らの両手をひもで結わえていた。
「なんのために手を縛っているのですか?」
 夫人が尋ねると、保己一は答えたという。

「蚊に刺されると、つい手で叩いたり追い払ったりしてしまいます。そのことで気が散って、せっかく奥様が読んでくださるものを一言でも聞き逃すことがあったらたいへんです。ですから、蚊などに惑わされず集中できるよう、結わえているのです」

 保己一の高潔な人格にも胸打たれる。
 彼は、盲人社会の超エリートである「検校」となってからも、一汁一菜の質素な生活をつらぬき、名聞名利に頓着しなかった。そればかりか、学問研究と出版のための費用を自ら負担するため、つねに数千両の借金を抱えていたという。


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『愛のコリーダ』『愛の亡霊』

愛のコリーダ 完全ノーカット版の画像


 「忙しいときほど、シメキリからの逃避のためブログ更新意欲が高まる」というようなことを小田嶋隆氏が書いていたが、私の場合、シメキリ山積みのときほど、本や映画に逃避したくなる。

 ゆうべは、話題の「パソコンテレビGyao」で、大島渚の『愛のコリーダ』と『愛の亡霊』をつづけて観てしまった。GyaoはCMが多くてウザイのでふだんは観る気がしない(2時間の映画を観るのに3時間くらいかかる印象がある)が、「シメキリからの逃避」にはうってつけなんだなあ。

 2本とも再見だが、最初に観た20代のときよりもはるかに面白く感じた。要は、ある程度年を食わないと真価がわかりにくいたぐいの映画なのだろう。

 とくに『愛の亡霊』は、土着のエロスとファンタジーの融合が素晴らしい。ヒロインの吉行和子も、見事に明治期の農村の女になりきっていて絶品だ。たしか淀川長治が絶賛していたけど、この年になって初めてこの映画のよさがわかった。

 最初に観たときには「貧相なブス」にしか思えなかった松田英子(『愛のコリーダ』のヒロイン)が、今回再見したらじつにいい女に思えたのには、自分でもビックリ。異性に対する感受性というのは、年齢とともに激変するものなのだなあ。

 ところで、最近またCMにも使われているクインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」は、ホントにこの映画からインスパイアされたものなのだろうか?
 いい曲ではあるが、いったい、この映画のどこをどう観たらあんな能天気なディスコ・サウンドになるのか? もしもあの曲が『愛のコリーダ』のエンディング・テーマに使われたら、映画のすべてがぶち壊しになるであろう。アメリカ人の感性はよくわからん。
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スネオヘアー『カナシミ』

 ライターおよび出版業界人が一年でいちばん忙しい「年末進行」シーズンに突入。修羅場ってます。

 今日は映画配給会社「コムストック」で、来日中の韓国の映画監督、ユン・イノさんを取材(もちろん通訳を介して)。気さくで、誠実さがにじみ出ていて、すこぶる感じのいい方であった。同世代(私は1964年生まれで、監督は63年生まれ)でもあるので、シンパシー。

 ところで、スネオヘアー のニュー・アルバム『カナシミ』(12月7日発売/エピックレコード/3059円)はメチャメチャよい。現在、サンプル盤ヘビロ中。

 スネオヘアー(バンド名ではなく、本名を渡辺健二というアーティスト)は、来年大ブレイク必至だと思う。
 キャッチーかつ陰影の深い美しいメロディ、ファルセット・ヴォイス(裏声)を巧みに駆使した甘いヴォーカル、切なさを放電するようなギター、母性本能をくすぐる(であろう)「キモカワイイ」ルックス、ひねりのきいた歌詞……もう、魅力てんこもりである。

 『カナシミ』なんてタイトルをつけるくらいだから基調は“切な系”なのだが、それでいてビートは強靭で、あくまでもロック。力強さと切なさがきわどいバランスで共存するそのサウンドは、洋楽ならマシュー・スウィートあたりを彷彿とさせる。

 今回の新作は、アニメ版『ハチミツとクローバー』のエンディング・テーマ「ワルツ」(この曲はパーフェクトな出来だ)や、シングル「悲しみロックフェスティバル」、さらにはU.N.O.バンド(アンガールズなどのお笑い芸人が結成したバンド)に提供した「№1」のセルフカバーなどを収録した強力盤。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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