『がんばっていきまっしょい』

がんばっていきまっしょいの画像


  『がんばっていきまっしょい』をDVDで観た。
 「坊っちゃん文学賞」大賞受賞作の映画化(1998年作品)。テレビドラマ版も現在放映中である。

 弱小女子ボート部の奮闘を描いた、王道をゆく青春映画。
 
 淡々としたタッチが心地よい。スポ根ドラマ的な暑苦しさはなく、恋の描き方もあくまで淡く、観客を泣かせにかかるようなあざとさもない。

 ヒロインと父親との葛藤や、「訳あり」のコーチとボート部員たちとのぶつかりあいなども、もっと大げさに描けばドラマティックに盛り上がっただろうに、あえて淡々と描いている。

 それでいて、なにげないセリフ、さりげない一つの場面が、思いもよらぬ強度で観る者の心に刺さる。

 映画初主演であった田中麗奈が、まことにういういしい。まだ「芸能人」になっていない感じ。少女というより少年っぽい、中性的な魅力を放っている。

 韓国のシンガー・ソングライター、リーチェが担当した音楽も素晴らしい。とくに、主題歌「オギヨディオラ」に乗って少女たちの最後の公式戦が終わるクライマックスは、強い印象を残す。

 テレビドラマ版のほうも2回ほど観たが、この映画版と比べてしまうとかなり見劣りがする。
 映画版は少女たちの3年間をギュッと2時間に凝縮しているからこそ素晴らしいのに、ドラマ版はよけいなものをいっぱい入れて水増ししている感じなのだ。
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上田正樹さんを取材

イマジンイマジン
(2004/08/25)
上田正樹

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 台風直撃の真っ最中だというのに、取材で三浦半島へ。
 どうなることかと思ったが、雨も風も意外に大したことがなくて助かった。

 今日は、シンガーの上田正樹さんとサックス・プレイヤーの朝本千可さんご夫妻の取材。三浦半島の突端近くに位置するご自宅を訪ねた。

 前日に取材準備として、上田さんの過去のアルバムをいくつか聴き直した。
 やっぱりすごいシンガーだ、と改めて思った。とくに、洋楽のカバーがすごい。R&Bやロックの曲を歌って、これほどさまになる日本のシンガーがほかにいるだろうか?

 ご自宅の一角にはレコーディング機材やキーボードなどが置かれ、生活の中に音楽が溶け込んでいる感じ。

 撮影の際、「じゃあ、ここで音楽を作っている雰囲気で、1枚」とお願いしたら、なんと「雰囲気」だけではなくほんとうに歌ってくださった。
 ボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドアー(天国の扉)」。朝本さんが即興でキーボードの伴奏をつけ、フルコーラス。
 至近距離で上田さんのヴォーカルが聴けたので、なんだかすごく得した気分になった。

 ところで、上田さんといえば日本では「悲しい色やね」の大ヒットで(そして、コアな音楽ファンには70年代の「サウス・トゥ・サウス」での活躍で)知られるが、じつはインドネシアやマレーシアでも大スターである。
 とくにインドネシアでは、2000年に15週連続でチャートのトップに立ちつづけた大ヒット曲を放ったほど。本物の音楽は国境を越えるのだ。

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『都市伝説探偵団』


都市伝説探偵団都市伝説探偵団
(2005/06/16)
アエラ都市伝説探偵団

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 アエラ都市伝説探偵団・編『都市伝説探偵団』(朝日新聞社/1200円)読了。
 書名のとおり、『アエラ』連載中の「都市伝説探偵団」をまとめたもの。69回分が収録されている。

 都市伝説の真相を探るという分野には類書も多いが、この連載は大新聞社ならではの機動力を活かしてきちんと取材しているところがよい。短いコラムなのに、また、どちらかといえばくだらないテーマが多いのに、手間ヒマをかけてていねいに作っているのだ。

 こういう「真面目に遊ぶ」姿勢は好きだなあ。『トリヴィアの泉』に通じる遊び心。

 ただし、中身は玉石混交。
 「源義経はジンギスカンになった?」とか「茶柱が立つと縁起がいい?」などという、「どこが都市伝説やねん!」というテーマもちらほら混じっているし、「厄年は災いが起きる?」のような、たいていの人は答えを知っていそうな平凡すぎるテーマもある。

 とはいえ、全体の半分くらいは「へえ」と思わせるし、笑えるネタも多いから、買って損したとは思わない本だ。雑学好きなら楽しめるはず。

 私がとくに面白く感じたのは、「マグロ漁船で借金返済?」「黄色い救急車が迎えにくる?」「ピアスの(穴から出ている白い)糸を抜くと失明?」「ウサギは寂しいと死ぬ?」「死体プールの高額バイト?」あたり。

 なお、帯が『アエラ』の中吊り広告のパロディになっていて、なかなか凝った作り。モデルは声ちゃんである。
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『ニュー・シネマ・パラダイス』(完全オリジナル版)

ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版の画像


 仕事上の必要があって、『ニュー・シネマ・パラダイス』 の「完全オリジナル版」をDVDで観る。

 1989年に公開されたものは、この完全版から51分もカットされた“短縮版”だったのである。私は、完全版は初見。

 50分も尺がちがったら、ほとんど別の映画ではないか。こんなにカットするよう要求するほうもするほうだが、しかし175分はたしかに長い。
 この作品は、80年代以降最も日本人に愛されたイタリア映画(厳密には伊・仏合作)だと思うが、最初から完全版で公開されていたら、日本ではヒットしなかったかもしれない。

 いちばんのちがいは、主人公が中年になってから初恋の女性と再会し、一度だけの逢瀬を果たす長い場面があるところ。
 短縮版では主人公の初恋は破れたまま終わるが、オリジナル版では、じつは彼女も主人公を想いつづけていた、ということがわかるのだ。

 このくだりだけが『マディソン郡の橋』みたいで、これがあるとないとでは全体の趣がまったく変わってくる。この映画のファンの間では「完全版は好きになれない」という声が多いようだが、その気持ちもわからないではない。

 “初恋の美少女の30年後”を演ずるのは、『禁じられた遊び』のブリジット・フォッセー。アップになったときの彼女の顔のシワが、歳月の残酷さを表している。しかも、ことさらアップが多い(笑)。
 このくだりをバッサリとカットした短縮版のほうが、悲しくも美しい初恋の思い出という感じで、すんなり感動できるのだろう。

 また、完全版には主人公の初体験を描いたシーンがあったりして、全体に短縮版よりも生々しい印象だ。

 でも、私はこの完全版のほうが好きだな。ヴェールをかけた美しさより、ヴェールを引き剥がした生々しい現実感のほうを買う。自分が中年になったからこそそう感じるのだろうけど……。 
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ダン・フォーク『万物理論への道』


 ダン・フォーク著、松浦俊輔訳『万物理論への道/Tシャツに描ける宇宙の原理』(青土社/2400円)読了。

 擬似サイエンス系トンデモ本のようなタイトルだが、そうではない。すこぶる真面目でとびきり面白い、極上の科学啓蒙書であった。

 「万物理論」とは、自然界にある物理的な力のすべて(重力・電磁気力・弱い相互作用・強い相互作用)を説明する、「宇宙や物質を統一する原理」のこと。その理論さえあれば地上の物理現象から宇宙の仕組みまでがすべて説明できるという、究極の理論なのである。

 むろん、そのような理論はまだないが、多くの研究者が「物理学の最終目標」と思い定め、探し求めてきた。
 たとえば、アインシュタインが相対性理論の次に取り組み、ついには未完成に終わった「統一場理論」も、一種の万物理論を目指したものであった。近年では、「ストリング理論」に“万物理論候補の本命”としての期待が集まっている。

 そしてその理論は、森羅万象を解き明かすものにもかかわらず、ごく単純な数式になると予想されているという。たとえば、物理学者レオン・レーダーマンはこう言っている。

「私が願うのは、物理学のすべてが、すっきりと単純な、Tシャツの胸に軽く収まるほどになった式に帰着するのを見ることだ」

 ――本書の副題「Tシャツに描ける宇宙の原理」は、この言葉に由来する。

 本書は、英・米・カナダで幅広く活躍するサイエンス・ライターの著者が、万物理論を目指してきた人々の奮闘の歴史を概観した科学ノンフィクションだ。

 その歴史は、宇宙論の歴史であり、物理学の歴史でもあり、ひいては科学そのものの歴史でもある。
 というのも、著者は万物理論を目指す歩みの起点を、アインシュタインでもニュートンでもなく、古代ギリシアに置いているからだ。「万物は水でできている」との言葉で知られるタレスや、「元素」という概念を初めて用いたエンペドクレスらの哲学者の思想から筆を起こしているのだ。

 科学と哲学の境界がまだ不分明であった古代ギリシアから、科学がふたたび哲学の領域にまで入りこみつつある現代物理学の先端に至るまで、2500年にわたる“万物理論を求める知的営為”の歴史を、本書は駆け足でたどっていく。

 著者は、テレビの科学ドキュメンタリー制作にも携わり、その世界でも高い評価を受けているという。科学知識を一般向けにかみくだいて語るプロなのである。だからこそ本書も、難解無比の主題にもかかわらず記述は平明で、しかもユーモアに富んでいる。
 たとえば、「エントロピー」(物理系の無秩序の度合いを示す尺度)について説明したくだりはこんなふうだ。

【引用始まり】 ---
 ビリヤードの例を挙げると助けになるかもしれない。ゲーム開始時点での三角形のきちんと整った形のときはエントロピーは低いが、最初の「突き始め」の後、ボールがテーブルじゅうに散らばったときは、エントロピーはずっと高くなる。物理学者が好む冗談では、十代の子どもの部屋がエントロピーが最大である。
【引用終わり】 ---
 私は物理学についてまったくのド素人だが、それでも、最後まで楽しく読みとおすことができた。

 各章では、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインら、科学史に革命をもたらした人々の人生が手際よく素描され、彼らの業績についても過不足ない説明がなされる。

 エピソード紹介と理論の説明の配分も絶妙だ。読者は、科学者たちの人間ドラマを味わううちに、ごく自然に相対性理論や量子力学などについての入門的知識を得られるだろう。
 私は本書を読んで初めて、相対性理論やストリング理論などについて、「ああ、そういうことなのか」とその概略を理解することができた。少なくとも、理解したような気分になれた。著者の「かみくだく力」は大したものである。

 そして、本書は知識のみならず感動をも与えてくれる。
「自然の多様性の背後にある秩序や論理を見ようと」苦闘をつづけてきた科学者たちの姿には、知を探求する無償の情熱がみなぎっていて、感動的なのだ。
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武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』

赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫 た 66-1)赤塚不二夫のことを書いたのだ!! (文春文庫 た 66-1)
(2007/05)
武居 俊樹

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 武居俊樹著『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文藝春秋/1600円)読了。

 著者は、小学館に在籍した36年間、一貫してマンガ編集畑を歩み、『少年サンデー』の「赤塚番」を長年つとめた人物。

 カバーにあしらわれた著者本人の似顔絵(※単行本時)を見て、「あの武居か」と思い出す向きも多いだろう。『少年サンデー』に連載された赤塚の『レッツラゴン』に、赤塚をイジメまくる「武居記者」としてしばしば登場した人だからだ。“キャラ化したマンガ編集者”のハシリなのである。
 
 「無理が通れば道理が引っこむ 武居が通れば赤塚引っこむ」
 ――そんな“標語”が、『レッツラゴン』の扉ページに描かれていたりしたっけ(我ながら、そんな細かいことをよく覚えているなあ)。

 本書は、赤塚に最も近しい担当編集者であった著者が、赤塚との思い出を綴った回想録。途中、赤塚からの聞き書きという形で彼の生い立ちなども書かれているが、基本的には著者自身が目の当たりにした赤塚像が描かれている。

 面白いエピソード満載。本書で初めて公にされた秘話も多く、マンガ史の資料としての価値も高い。
 また、全編に赤塚への深い敬慕の念があふれていて、赤塚という人物がじつにあたたかく描き出されている。著者の筆致はペーソスに富み、泣けそうなほど切ない場面も少なくない。
 たとえば、著者が赤塚の担当を解任された「別れ」の夜、2人で痛飲する場面。

 その夜のことは、ほとんど覚えていない。かすかに覚えているのは、赤塚の言った次のセリフだ。
「ずっと馬鹿でいなよ。利口になりそうになったらね、『お○○こ』って、大声で一○八回叫ぶんだ。そうすると、また馬鹿に戻れるよ」



 また、マンガ編集者がたんなる「原稿取り」ではけっしてなく、マンガ家と二人三脚で作品を作り上げていく役割であることもよくわかる。
 著者と赤塚の“共闘”の歩みが、胸を打つ。たとえば、赤塚がこんなふうに語りかける場面がある。

 新人漫画家なんて、編集者次第で、生きも死にもする。才能なんて、本人には判っていない。見つけてくれる編集者がいなけりゃ、輝きようがないんだ。
 判るか、武居。
 極端に言えば、作家は、読者よりも、担当編集者に向けて、作品描いているんだよ。



 マンガ好きにはたまらなく面白い本だが、気になったのは、著者が赤塚といっしょに他の編集者やマンガ家などを酒席でからかう場面が少なくない点。
 酒の上のふらちとはいえ、また、そのようなハチャメチャさが赤塚作品の肥やしとなっていたとはいえ、読んでいてイジメにしか思えず、不快。
 新人時代の一条ゆかりを酒席に呼びつけて、頭から水割りをぶっかけた、なんて話も出てくる。こんなセクハラ話を、よくまあ面白がって書けるものだと思う。

 なお、本書は長谷邦夫の『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版)、内田勝の『「奇」の発想』(三五館)と併読すると、いっそう面白い。
 前者は赤塚のブレーンを長年つとめた人物の、後者は『少年マガジン』を100万部雑誌に育てた名編集者の回想録。長谷、内田とも本書に印象的な形で登場してくるし、3冊の内容には時代的に重なる部分が大きい。
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YUKI『joy』



 YUKIのサード・アルバム『joy』(ソニー/3059円)に感動した。ここ何日か、我が家のヘビロです。

 私はJAM(ジュディ・アンド・マリー)にも興味がなかったし、ソロになってからのYUKIの曲をたまに耳にしてもピンとこなかったけど、このアルバムはホントによい。これまでのYUKIがもっていた“はじける少女性”の魅力はそのままに、そのうえに母のごとき包容力と深みがくわわったという感じなのだ。

 明るくはじけるポップ・チューンが多いのだが、たんに能天気な明るさではなく、リスナーの心に深く刺さって落ち込んだ気持ちを引き上げてくれる「力強い明るさ」なのだ。しかも、つまらない捨て曲が1曲もない。聴く者に幸を与えるアルバムだ。

 とくに、タイトル・ナンバー「joy」のなんと素晴らしいこと。
 ハッピーでいながら、心を鷲づかみにするような切なさも併せ持った曲。すべての傷ついた人への応援歌のよう。四半世紀前に矢野顕子の「ごはんができたよ」を初めて聴いたときと同質の感動を味わった。
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「スレッジハンマーウェブ」終了に思う。

 前川やくさんの「スレッジハンマーウェブ」が、今日で更新終了してしまった!

 大ファンだったので、けっこうショック。極上のナンセンス・サイトであったと思う。
 私にとっては、「スレッジハンマーウェブ」と「プチ日記」が「笑える日記サイト」の双璧であった(そもそも、「プチ日記」も「スレッジ~」経由で知ったのだ)。

 前川さんは、文章で身を立てておられるわけではないのに、その文章にはヘタなライターや放送作家顔負けのテクと才気が輝いていた。
「これほどのクオリティをもつサイトが、シロウト(エラソーに響いたらスイマセン)によって作られ、タダで読めるとは、ネットの世界おそるべし」と思ったものだ。

 「個人サイト4年寿命説」というのがあるそうだから、5年半つづいた「スレッジ~」はよくもったほうか。いま盛んに更新されている人気ブログも、4、5年後にはその大半が消えているかもしれない。
 個人サイトもブログも、最初は面白くてたまらないが、いつか「飽き」がくる。等量の情熱で何年もつづけることは不可能なのだ。

 個人サイトとブログを両方経験して思うのは、どちらも「釣り」に似ている、ということ。
 アクセスしてくる人たちのさまざまな反応は、失礼なたとえながら、魚が釣れるようなもの。その手ごたえが面白くてハマっていく(個人サイトは一人でのんびりやる釣りで、ブログは釣り堀で釣るようなものかな)。
 釣りを覚えたての子どもが毎日釣りに出かけるように、最初のころは毎日更新し、日に何度も(ときには何十回も)アクセスを確認する。

 だが、やがて飽きがくる。釣り自体をやめてしまうか、月に一度だけ釣りに出かける程度に落ちつくか、いずれかの道をたどる。前川さんは釣りをやめるほうを選んだのである。
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『マダガスカル』

マダガスカル スペシャル・エディション [DVD]マダガスカル スペシャル・エディション [DVD]
(2009/03/06)
トム・マクグラスクリス・ロック

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 『マダガスカル』を試写会で観た。
 8月に公開される、ドリームワークスのCGアニメである。

 公式サイト→ http://www.madagascar.jp/
 
 私は、CGアニメならドリームワークスのもの(『シュレック』など)よりピクサー/ジョン・ラセターの作品(『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』など)のほうが好きだ。ラセター作品のほうが、笑いの中に切なさがあるから。

 この映画を観てもその印象は変わらなかったが、これはなかなか面白かった。

 ニューヨークの真ん中にある動物園で暮らす仲良し4頭(ライオン・シマウマ・カバ・キリン)が、「野生の王国」を夢見て脱走する。一度は捕獲されるも、動物愛護団体の訴えによってケニアの野生に戻されることになる。だが、途中で海が荒れ、4頭を積んだ木箱は船から落ちてマダガスカル島に漂着してしまう。

 大自然の中での生活は、夢見ていたよりもずっと過酷だった。4頭は、快適な大都会の動物園に戻りたいと考える。彼らは果たしてマダガスカルで生き残れるのか、そしてニューヨークに戻ることができるのか……? そんなストーリーである。

 ドリームワークスのCGアニメは、ピクサーの作品よりもブラック・ユーモアとアイロニー、パロディ精神に満ちている点が特長だ。登場するキャラクターにも、カワイイだけでは終わらないひねりが加えられている。
 たとえば、大ヒット作『シュレック』には、『白雪姫』などの皮肉なパロディがちりばめられていた。よい意味での毒気に満ちている点こそが魅力なのだ。

 本作もしかり。皮肉のスパイスを効かせたギャグとパロディが、随所で炸裂する。『アメリカン・ビューティー』のパロディ・シーンが一つあるのだが、私はそこで爆笑してしまった。

 そもそも、イソップ童話の「町のネズミと田舎のネズミ」(都会暮らしに憧れて町にやってきた田舎のネズミが、都会のこわさを知って「やっぱり田舎がいい」と帰っていく話)を逆転させたようなストーリー自体、「動物は野生の中で生きてこそ幸せだ」という既成概念に対する痛烈な皮肉だ。

 基本的には動物たちの友情と冒険の物語だが、その友情の描き方にはひねりが効いており、一筋縄ではいかない。

 動物園では無二の親友であったライオンとシマウマが、野生のなかでは狩る者と狩られる者の関係に変わってしまう。ライオンが親友を食べないよう懸命に耐える、という展開が笑いを誘うが、その笑いのなんと苦いことか。

 CGアニメとしても、目を瞠る仕上がり。キャラの動きの躍動感が素晴らしく、極彩色のジャングルの緻密な描写にも唸らされる。キッズ・ムービーながら、大人の鑑賞にも十分堪える作品だ。
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岳南『夏王朝は幻ではなかった』



 岳南著『夏王朝は幻ではなかった』(柏書房/2940円)読了。
 
 前漢の史聖・司馬遷は、『史記』のなかで中国の歴史年代の起点を西周の共和元年(前841年)と定め、それ以前については大まかな記述にとどめた。史料不足ゆえ、司馬遷が生涯を費やした研鑽をもってしても、中国上古の文明史の鎖を明確につなぐことはできなかったのである。

 以来二千年余、夏・殷(商)・周三代の年代確定は、学術上の懸案でありつづけてきた。とくに、中国最古とされる夏王朝については、最近までその実在にすら疑問符がつけられてきた。

 だが、中国古代史の謎のヴェールがついにはがされる時がきた。96年から99年にかけて、中国で夏・殷・周三代の年代確定のための国家的プロジェクトが推進されたのである。

 歴史学・考古学・天文学・放射線測定などの専門家が集められ、学際的な研究チームが編成された。直接参加した学者は、9つの専門分野にわたる200余人。三代年代学の研究において、そのように異なる分野の研究者たちが大同団結したのは、初めてのことだったという。

 このプロジェクトは目覚ましい成果をあげた。夏の始年、夏と殷の年代区分が割り出され、周の武王が殷の紂王を征伐した年も前1046年と特定された。
 「今日まででもっとも科学的根拠を有する」と評価されたその報告によれば、夏の始年はおよそ前2070年。伝説の王朝が初めて歴史のなかに明確に位置づけられ、公式の中国史は一気に1200年遡ったのだった。

 著者は、考古学の世界に材をとった小説で知られる作家。考古学への深い造詣が認められ、プロジェクトへの立会いが許された唯一の作家なのだ。
 本書は、4年間に及んだ国家的プロジェクトの全貌を、著者が作家の眼と筆力で記録したノンフィクションである。学者がまとめたなら生硬な論文調になっただろうが、さすがに作家だけあって、文章は読みやすい。

 著者は、プロジェクトの経緯を追うのみならず、中国考古学の歩みから印象的なエピソードを織りまぜ、年代測定の方法などの専門知識についても過不足ない説明をちりばめている。そうした工夫によって、門外漢にも年代確定までのプロセスをミステリーのように楽しむことができる。
 また、参加した学者たちが出合うさまざまな困難と、それを乗り越えるまでの人間ドラマも味わい深い。

 悠久の歴史に思いを馳せるロマンと、知的興奮を兼ね備えた好著である。
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心臓震盪

 今日は、取材で埼玉の戸田中央総合病院へ。
 「心臓震盪(しんとう)」についての記事を書くため。この病院の中には「心臓震盪から子どもを救う会」が置かれているのだ。

 「脳震盪なら知ってるけど、心臓震盪なんて知らない」という人が多いだろう。
 心臓震盪は、胸部に「あるタイミング」で衝撃を受けたときに、致命的不整脈(心室細動など)が起こるもの。日本でもすでに13例が報告されている。

 もし起こってしまったら、除細動器もしくは心臓マッサージですぐに救命処置を施さないかぎり、確実に死に至る。
 子どものキャッチボール程度の軽い衝撃で、心臓病の既往症の有無に関係なく起こる。そして、大人には起こりにくく、子どもに起こりやすい。

 つまり、元気に暮らしていた子どもが、キャッチボールでボールを受けそこなって胸に当てたことから心臓震盪を起こし、救急車がくるころにはもう息絶えていた、ということが起こり得るのだ。ぞっとする話である。

 くわしくはこちら→ 「心臓震盪とは?」
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追悼・永島慎二

漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (1)漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (1)
(2003/06)
永島 慎二

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 永島慎二さんが亡くなった。
 マンガ家としては引退状態であった人だから、いまの若い人たちにはまったくなじみのない名前だろう。

 間違えるやつが絶対出てくるだろうから先に言っておくけど、水島新司じゃねえぞ!

 以下、「ヨミウリ・オンライン」の記事(2005年7月6日3時3分)から引用。

 「漫画家残酷物語」などの叙情的・感傷的な作品で青年漫画の教祖的存在だった永島慎二さんが6月10日、心不全で死去していたことが5日分かった。67歳。告別式は親族のみで行う。
(中略)
 その後、新宿で2年にわたるフーテン体験を基にした連作「フーテン」を手塚治虫主宰の「COM」誌に連載。同時に「ガロ」誌でも活躍して、郷愁とペーソスに満ちた“人生派”漫画を開拓、後進の漫画家に絶大な影響を与えた。



 「青年漫画の教祖的存在だった」と言われても、ほとんどの人はピンとこないだろう。川本三郎の名著『マイ・バック・ページ/ある60年代の物語』の中の一編が、そのへんの雰囲気をよく伝えているので、引用する。

 私が住んでいた町、阿佐谷に“ぽえむ”という小さな喫茶店があった。(中略)永島慎二のマンガにしばしば登場することで有名になり、あの界隈に住む若者たちのささやかなたまり場になっていた。
(中略)
 朝日ソノラマから永島慎二の『フーテン』や『漫画家残酷物語』が出版されたのは六五~六年ではなかったろうか。当時もう大学の授業にほとんど顔を出さなくなった私は、永島慎二のマンガにかぶれて、新宿でヒッピーまがいの生活をすることが多くなった。
(中略)
 永島慎二もおそれ多くて近づけなかった。“ぽえむ”は狭い喫茶店だったから、すぐ隣に永島慎二がいるというのに、なかなか声をかけられない(「町はときどき美しい」)



 私にとっては、いちばん思い入れのあるマンガ家。代表作『漫画家残酷物語』は、私の“生涯ベストワン・マンガ”である。
 もちろん、『フーテン』も『若者たち』も「青春裁判」も好きだ。

 「裁判長、ひとつだけ……お聞きしたいことがあります」
 「なんだね?」
 「血を流さない青春なんてあるんでしょうか?」(「青春裁判」)
             *
 「人間てえものはな…悲しいものだぞ! だからな、おれはその悲しい人間の…長い長いともだちになれるような、そんなまんがが描きたいんだ!」(『フーテン』)



 ……などという永島作品の中の言葉は、あまりにセンチメンタルで、いまとなっては鼻が曲がりそうにクサイ。が、それでもやっぱりしみじみといい。

 シンプルでありながら、誰にも真似のできないうまさと味わいのある絵柄も好きだ。『フーテン』や『若者たち』に出てくる女性たちの表情の、なんといきいきと魅力的なこと。

 ご冥福をお祈りいたします、心より。

 逝去を機に、ほとんどが絶版状態である永島作品が復刻されることを願う。とくに、『フーテン』、『少年期たち』、『若者たち』、『そのばしのぎの犯罪』はぜひとも。
 『漫画家残酷物語』は、最近、ふゅーじょん・ぷろだくとから復刻された(2004年7月に刊行予定だった第3巻がいまだに出ていないのは、いったいどうしたことか?)

 名短編「青春裁判」は、文春文庫ヴィジュアル版のアンソロジー『マンガ黄金時代/'60年代傑作集』に収録されているから、比較的入手しやすいかな。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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