絲山秋子『海の仙人』



 絲山(いとやま)秋子著『海の仙人』(新潮社)読了。

 絲山秋子は、私の周囲で評判のいい新鋭作家。とりあえず何か一作読んでみようと思い、タイトルに惹かれてこれを選んでみた。芥川賞候補にものぼり、芸術選奨・文部科学大臣新人賞も受賞した第一長編である。

 宝くじで3億円を当て、海辺の町で仙人のような暮らしをする主人公と、彼に想いを寄せる2人の女性との淡い関係を中心に描いた作品。

 ……なのだが、そこにもう1人、なんと「神様」が主要キャラクターとして登場してくる。
 「ファンタジー」というふざけた名をもつその神は、誰の願いをかなえることもできず、未来を予見することもできない「役立たずの神様」である。そして、登場人物たちはその神様を、友人の1人であるかのようにごく自然に受け入れる。

 これは「マジック・リアリズム」なのだろうか?
 「マジック・リアリズム」を教科書的に定義すれば、「奇跡のようなあり得ない出来事が、その他の面ではリアリズムを標榜している小説のなかで起きる」手法のことである。
 この作品はその定義にぴたりとあてはまるのだが、マルケスやクンデラ、ギュンター・グラスなど、マジック・リアリズムの代表格の鮮烈な諸作とは趣が異なる。淡い水彩画のようなタッチなのである。いわば、「セピアカラーのマジック・リアリズム」。

 ただ、そのマジック・リアリズム的手法が成功しているかといえば、微妙なところ。「神様」など登場させずに普通の小説として書いたほうが、むしろよい作品になった気がしないでもない。

 全編をつらぬいているのは、ひんやりとした孤独感である。孤独がテーマといってもよい。
 たとえば、主人公に想いを寄せる女性の1人・片桐はこんなセリフを吐く。
  
【引用始まり】 ---
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃならない最低限の荷物だよ」
【引用終わり】 ---
 こういう気の利いたセリフ、洗練されたフレーズ、いい場面はところどころにあって、センスのいい書き手であるという印象は受けた。

 「最初に読む絲山作品」の選択を間違えたかも。次は、世評高い『袋小路の男』や『逃亡くそたわけ』(すごいタイトル)も読んでみよう。
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アン・サリー『ブラン・ニュー・オリンズ』

ブラン・ニュー・オリンズブラン・ニュー・オリンズ
(2005/04/27)
アン・サリー

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 私のひいきのシンガー、アン・サリーのニュー・アルバム『ブラン・ニュー・オリンズ』(ビデオアーツ・ミュージック/2940円)が、今日アマゾンから届いた。

 いやー、素晴らしい仕上がりである。アン・サリーのアルバムでいちばんよいのではないか。

 このアルバムは、タイトルのとおり、ジャズ発祥の地である米ニューオリンズで制作されたものだ。
 ただし、アン・サリーはレコーディングのために渡米したわけではない。心臓内科医でもある彼女はかの地に3年にわたって医学留学したのだが、研究の合間に現地のミュージシャンと交流するうち、「彼らと私のうたがこの地で融合したら、どんなに楽しいだろうか」という思いが大きくなっていったのだという。
 「ジャズの聖地」の息吹をたっぷりつめこんだ、珠玉のジャズ・ヴォーカル・アルバムなのである。

 以前、私はアン・サリーの歌声について、「ジャズの上澄みをすくったようなジャズ・ヴォーカル」と評したことがある。
 ハイトーンの澄んだ声で素直に歌う、クールで理知的なヴォーカル。しばしばノラ・ジョーンズが引き合いに出されるが、私にとってはアン・サリーのヴォーカルのほうがずっと魅力的だ。

 その魅力は、このアルバムでも変わらない。いや、むしろこれまで以上に輝いている。
 『day dream』などの過去のアルバムは、ボサノヴァっぽいギターを核にした上品なサウンドであった。それはそれでよかったのだが、ヴォーカルとバックの演奏の質があまりにもぴったり合いすぎていて、その分だけヴォーカルの印象が弱くなるうらみもあった。セピアカラーの背景の上にセピアで描いた人物像のように。

 それに対し、今回の新作では、ヴォーカルとバックの演奏がよい意味でぶつかり合い、静かな火花を散らしている。
 ニューオリンズの腕利きミュージシャンたちの演奏は、さすがにすこぶるファンキーである。泥臭くてレイジーで粘っこく、原色を思わせる熱さに満ちているのだ。その上にアン・サリーのヴォーカルが載ることで鮮やかなコントラストが生まれ、彼女の持ち味である透明感・清涼感がいっそう際立っている。

 「ベイズン・ストリート・ブルース」「ハニーサックル・ローズ」「君ほほえめば」「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」といったスタンダード・ナンバーを多く取り上げているのだが、いずれも、アン・サリーならではの味わい――すなわち、アメリカのジャズ・シンガー(黒人も白人も)には出せない味――を醸し出すことに成功している。

 日本語の曲が2曲入っている。西岡恭蔵の「アフリカの月」と、サトウハチロー・服部良一の「胸の振子」。2曲とも、不思議な和洋折衷感覚に満ちていて絶品だ。

 私がいちばん気に入ったのは、「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」。アン・サリー自身の手になるライナーノーツに、「私の今までのCDには入れたことの無かったタイプのR&B曲です。(中略)いつもより熱く(?)歌ってみました」とあるとおり、いつになく官能的な熱唱。それでいて、やはりいつも通りの透明感があるのだ。

 なお、この新作は「初回限定生産盤」で、その枚数を売り切ったら販売を終了するという。何枚限定なのかわからないが(※)、買おうと思う方はお早めに。

※以前、今井美樹のアルバムで「10万枚限定発売」というのがあって、「じゅ、10万枚? それって『限定発売』といえるのか?」と驚いたことがある。それどころか、サザンのCDで「25万枚限定発売」(!)というのもあったらしい。ううむ…。今回のアン・サリーは1万枚くらいだろうか。
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原一男『踏み越えるキャメラ』

 昨日は新宿の「疾走プロダクション」で、映画監督の原一男さんと奥様の小林佐智子さん(プロデューサー)を取材。
 原監督への取材は、昨年につづき2度目。今回は某誌の「夫婦特集」にご登場願ったのである。

 1972年のデビュー作『さようならCP』から最新作『またの日の知華』に至るまで、原監督の作品はすべて、小林さんが製作をつとめ、夫婦二人三脚で作ってこられたものである。その軌跡をお聞きした。

 取材準備として、原一男著『踏み越えるキャメラ/わが方法、アクションドキュメンタリー』(フィルムアート社)を読んでいった。
 この本は10年前に出たもので、原さんの個人史と、『全身小説家』(これも傑作。キネ旬ベストテンでも邦画1位になった)までの4作品の舞台裏が語られたロング・インタビューである。じつに赤裸々で面白い本。
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『アイ、ロボット』


 DVDで『アイ、ロボット』を観た。

 アイザック・アシモフの『われはロボット』などの“ロボットもの”をベースにしたSFアクション(ただし、ストーリーはオリジナル)。
 
 ヴィジュアル面の質の高さは圧倒的。人型ロボットが日常生活に溶け込んだ未来世界が、じつに緻密に構築されている。
 しかも、それが2035年という近未来であるため、我々が生きている現代世界と地続きであるという感じが巧みに表現されていて、すこぶるリアル。
 アシモフにこの映画を観せたかったとしみじみ思う。「私が小説の中に描いた未来世界が、こんなにもリアルに映像化できるなんて…!」と狂喜したことだろう。

 しかし、ストーリーはあまりに単純すぎてイマイチ。ロボットたちが叛乱を起こした理由(クライマックスで判明する)もありきたりだし、ラストにももうひとひねり欲しかった。

 なにより、登場人物のキャラが立っていない。主人公の刑事(ウィル・スミス)とヒロイン(ブリジット・モイナハン)以外の登場人物にまったく存在感がないし、主役2人のキャラも類型的だ。

 ところで、アラン・パーソンズ・プロジェクトにも『アイ・ロボット』というアルバムがある。アシモフの小説にインスパイアされたコンセプト・アルバムだ。
 APPはのちにだんだんAOR色を強めていくが、この作品のころはまだプログレッシヴ・ロックの範疇に入れられていて、カッコよかった。
 このアルバムを、まんまこの映画のサントラに使ってもよかったのに……。
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T・ケイヒル『ギリシア人が来た道』



 トマス・ケイヒル著、森夏樹訳『ギリシア人が来た道』(青土社/2800円)読了。仕事で読んだのだが、意外な収穫。知的刺激に満ちた好著であった。

 古代ギリシアは西洋文明の源流の地であり、現代の全世界の文明にも多大な影響を与えている。民主政も、さまざまな学問体系も、その源流をギリシアにみることができる(もちろんオリンピックも)。また、壮大な叙事詩やギリシア悲劇、華麗な神殿建築に象徴されるとおり、現代芸術の重要な起点ともなった。

 だからこそ、ギリシア文化を鳥瞰的に扱った書物は多く、その中にはスイスの文化史家ヤーコブ・ブルクハルトの『ギリシア文化史』(ちくま学芸文庫)のような世評高い大著もある。

 本書も、読者にギリシア文化の鳥瞰図を提供するものである。ただし、著者の視点と手法が独創的であるため、ブルクハルトら先人の業績に屋上屋を架す愚はまぬかれている。

 著者は米国の作家・文明批評家。本書は、著者が書き進めている「歴史の要シリーズ」の第4作にあたる。
 同シリーズは、西欧の歴史を「時代から時代への推移の過程」に着目して語ろうとする試み。シリーズ名の「要」は原題では蝶番(ちょうつがい)を意味する「hinge」だが、まさに時代と時代をつなぐ「蝶番」となるファクターに重点を置いた、ユニークな通史なのだ。

 本書を類書から差別化するポイントの第一も、そこにある。
 ギリシア文化を“静止状態”で描くのではなく、後代に与えた影響や異文化との融合の過程に注目し、一つの流れとして動的にとらえているのである。
 たとえば終章では、ギリシア文化とローマ文化、ユダヤ・キリスト教文化という大河が合流し、「西洋文明という大きな奔流となって流れていく」過程が論じられる。
 
 ギリシア文化を“動的にとらえる”とは、言いかえれば、現代へとつづく生きた歴史の流れの中にとらえ直すということだ。
 現代の視点から逆照射されたギリシア文化――その点に、本書のもう一つの独創性がある。

 たとえば著者は、トゥキュディデスの『戦史』に描かれた名高いペリクレスの演説を、ジョン・F・ケネディの米大統領就任演説との比較から論じてみせる。
 そして、民主政の源流の地・アテナイと、現代の“民主帝国”アメリカの社会のありようも対比的に描かれる。そのことで、はるか遠くに思えた紀元前の世界が、読者には身近に感じられるのである。

 ギリシア人の起源に言及した序章と全体のまとめにあたる終章以外の各章は、ギリシアの軍事・政治・哲学・詩・芸術観などのテーマ別になっている。著者が作家であるため、語り口に小説に似た面白さがあって、愉しく読める。
 ただし、“作家が片手間に書いたお手軽な歴史書”という印象はない。むしろ、内容の濃さ、考察の深みは、ヘタな歴史家ではとうていかなわないものだ。

 ちなみに、本書の原題は「SAILING THE WINE-DARK SEA」。
 「葡萄酒色の海を航海する」という表現は、古代ギリシアの歴史を逍遥することの比喩として、本文にもくり返し登場する。この印象的な比喩が象徴するように文学的香気に満ちた歴史書であり、その点でも凡百の無味乾燥な歴史書とは一線を画している。
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『キス・オブ・ザ・ドラゴン』

キス・オブ・ザ・ドラゴン キス・オブ・ザ・ドラゴン
リュック・ベッソン、 他 (2002/02/22)
ビクターエンタテインメント

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 今日は、東大で国際政治学者の藤原帰一さんを取材。
 藤原さんはスラリと背が高くてすこぶるダンディな方であった。
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 帰途、駅前に新しくできた「ツタヤ」で会員証を作る。
「多摩地域屈指のCD・DVD在庫」なのだそうだが、そのわりにはマニアックな作品はあまりない。セルCD・DVDの棚がかなり面積を占めているせいもあるのだろう。
 「せっかく駅前に大きな店舗を出したのだから、セルでも利益を上げよう」ということなのだろうが、レンタル部門こそ充実させてほしいところ。

 けっきょく、旧作『キス・オブ・ザ・ドラゴン』を借りてきた。
 ジェット・リー主演、リュック・ベッソン脚本・製作のアクション映画。

 話は荒唐無稽でリアリティなどかけらもないが、アクション映画としては上出来。100分足らずの短さで小じんまりとまとまっており、展開もスピーディー。

 アクション・スターのジェット・リーが華麗な体さばきで次々と悪漢をなぎ倒していくのだが、そのアクション場面にアイデアがたっぷりつめこまれている。倒し方のヴァリエーションを愉しむ映画、という感じ。

 内田樹さんは、「おとぼけ映画批評」でこの映画を次のように絶賛されていた。

[:quote:]
カンフー映画はついに30年目にして『燃えよドラゴン』に拮抗する作品を生み出した。

ブルース・リーのあと、『燃えよドラゴン』に匹敵する映画はもうできないのか思っていたが、リー・リンチェイ+リュック・ベッソン(シナリオ&プロデュース)が実現してくれた。

全編、ブルース・リーへのオマージュで満たされている。
[/:quote:]
 同感である。
 難を言えば、ヒロインのブリジット・フォンダに、主人公が命がけで救う相手としての魅力が感じられない。
 ブリジット・フォンダは『アサシン』では凛として美しかったのに、この映画では弱々しく泣きわめいているだけ。キャラが立っていない。

 ところで、ベッソンが製作した映画では、監督のことがまったく語られないのがつねである。それもそのはず、予告編やDVDのジャケットなどでも、ベッソンの名前ばかりが大きい扱いなのだ。
 監督がカワイソウだな(笑)。ちなみに、この映画の監督はクリス・ナオンという人。
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「妻の誇り」がにじむ名言

 メモです。後日カンナがけ。

岡本みね子(映画監督・岡本喜八夫人)
 プロデューサーとして夫を支えつづけた夫人は、夫の通夜の席でこう言った。
「今までずっと映画のことしか頭になかったから、最後の何カ月かは神様が2人で向き合うためにくれた時間だと思う。病気のおかげで新婚さんをしている気分でした」
 喜八が亡くなった日は、くしくも45回目の結婚記念日であった。
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湯浅あつ子(昭和期のタレント、ロイ・ジェームス夫人。三島由紀夫の『鏡子の家』のヒロインのモデルでもある)

 ロイの葬儀の席での名言
「私は、ロイの妻であったことを誇りに思っています」
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大川真理子(大川橋蔵夫人)
 葬儀の席での名言
「『僕のたった一つの宝石はお前だよ』と夫は言ってくれました。でも、生きていてくれるなら私は石ころでよかった」
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 岡本太郎と妻(戸籍上は養女)・敏子は、夫婦である以前に創作上のパートナーであった。たとえば、太郎の著作はいずれも敏子の手による口述筆記で生まれた。
 太郎の晩年、2人はこんな会話をかわしたという。

太郎「オレが岡本太郎でなくなったら、自殺するよ」
敏子「そのときは私が殺してあげますよ、だいじょうぶ」

 敏子は、「表現者としての岡本太郎」をこそ、誰よりも愛したのだった。
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 1993年11月、「手塚治虫記念館」の開館発表記者会見の席上、夫人の悦子はあいさつの中で次のように述べた。

「手塚が亡くなりまして、もう5年になります。この5年間、あまりに早く時間が過ぎますので、未練がましゅうございますが、こんなに早く過ぎるのなら、今日まで生きていてくれてもよかったのに、と思います」
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藤原帰一教授を取材


 今週、藤原帰一・東大大学院教授を取材することになったので、藤原氏の著作をいろいろ買ってきた。
 『平和のリアリズム』(岩波書店/2300円)、『デモクラシーの帝国』(岩波新書/740円)、『戦争を記憶する』(講談社現代新書/680円)、『テロ後~世界はどう変わったか』(岩波新書/780円)の4冊。

 1年ほど前に藤原氏の『「正しい戦争」は本当にあるのか』を読んで感銘を受けて以来、一度お会いしたいと思っていたので、取材の機会ができたのはうれしい。

 この手の仕事は、当代一流の研究者に個人教授を受けるようなものである(相手の著作や論文を読んで準備するのは予習、取材は講義を受けること、その内容を記事化するのはレポートをまとめることに、それぞれ相当する)。考えてみれば贅沢なことだ。
 タダで最高の勉強をさせてもらって、おまけに原稿料までいただけるのだから、ありがたい。

 ……と、そのようなとらえ方ができるタイプでなければ、ライターには向いていない。ライターの仕事は(取材相手が大学教授でなくても)一夜漬けの勉強のくり返しだからである。

 私は秀才でも優等生でもなかったが、仕事を通じて勉強ができることはうれしいとしみじみ思う。その点でライター向きなのだ(そのかわり、会社勤めの適性はゼロw)。
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「ラーメンスクェア」

 立川南口の新しい商業施設「AREAREA(アレアレア)」の中に、「ラーメンスクェア」なるものがオープンした。

 各地の人気ラーメン店7店舗が出店している、いわゆる「ラーメン・コンプレックス」。ラーコンの老舗「ラーメン博物館」(新横浜)をぐっとスケールダウンしたような趣である。
 寄ってみようかと思ったのだが、どの店も行列ができていたのでやめた。タレントの河相我聞が店主をつとめる「我聞」という店があって、今日は我聞当人が店にいた。いつもいるわけではないのだろうけど。

 配っていたパンフによると、この「ラーメンスクェア」のコンセプトは「ニューヨークのマンハッタンでラーメン店を訪れているような雰囲気が味わえる」というものなのだそうだ。

 うーん……。私の第一印象は、マンハッタンというよりは、「巨大なゲームセンターの中に、ゲームのかわりにラーメン屋が入っている」というものであった。ラーメン屋っぽくないのはたしかだ。

 立川南口といえば、駅に隣接した「グランデュオ」のワンフロアが「立川中華街」というものになっているのだが、これがまた、横浜の中華街を数段ショボくしたような趣の空間である。「矮小化された横浜――それが立川再開発のコンセプトです」ってか(笑)。

 私は19年前から立川南口に住んでいるので、ここ数年の激変ぶりを目の当たりにして驚いている。

 10年ほど前まで、南口はなんにもない寂れたところだったのである。駅を降りてすぐの場所には、「純喫茶ボンド」というつぶれた喫茶店の残骸が、何年もそのままになっていた。比較的開けていた北口と比較して、「南北格差」などと言われていたほどだ。

 ただ、次々と立ち並ぶ駅周辺のビルにも、パチンコ屋とか居酒屋がやたらと目立つ。このへんはいかにも立川らしいところ。
 立川は「ど庶民の街」であって、高級志向の店はなんであれ成功しにくいのだ。その意味で、「ラーメンスクェア」はけっこう狙い目がよいかも。
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高橋順子『けったいな連れ合い』



 高橋順子著『けったいな連れ合い』(PHP/1470円)読了。

 小説家・車谷長吉夫人でもある詩人のエッセイ集。
 「けったいな連れ合い」とは、むろん車谷氏のこと。お二人の顔のイラストを切手風にしてあしらったカバーがいい感じだ。

 49歳と48歳で結婚(ともに初婚)した遅咲きのカップルの暮らしぶりが、品のよいユーモアをたたえたみずみずしい文章でつづられている。
 ゴシップ的興味を差し引いても、文章自体が味わい深く、エッセイとして質の高い一冊。

 車谷氏の最新作『飆風』は、自らが強迫神経症を発病した時期の夫婦の苦闘を描いたものだが、高橋さんも同じ体験を詩集『時の雨』(読売文学賞受賞作)に刻みつけた。
 夫婦の修羅場を、夫は小説に昇華し、妻は詩に昇華したのである。考えてみればすごい話だ。

 本書には、その『時の雨』がラジオドラマ化された際のシナリオをベースにしたエッセイも収められている。

 『高橋順子詩集成』(書肆山田)も読む。
 お二人の出会いのきっかけとなった詩「木肌がすこしあたたかいとき」も収められている。印象深い最後の一節を引こう。

 木肌がすこしあたたかいときは
 優しい恋唄をうたっている
 人間だったときに
 うたえなかった うたを



 雑誌『マリ・クレール』に掲載されたこの詩を偶然に車谷氏が読み、深く感動。それから一年間にわたって一方的に絵手紙(実質ラブレターであろう)を送りつづけ、のちに結婚に至るのである。
 車谷氏のエッセイ集『錢金(ぜにかね)について』(朝日文庫)所収の「みみず」には、その経緯がつづられている。

 「あなたは私のミューズだった」
 結婚後、次々に文学賞を受賞した車谷氏がそう讃えると、高橋さんは答えたという。

「私なんて蚯蚓(みみず)ですよ。でも、蚯蚓は土の滋養になるのよ」
 ――名セリフだと思う。

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車谷長吉『飆風』


 車谷長吉著『飆風(ひょうふう)』(講談社/1500円)読了。

 帯に「最後の私小説」と大書された、最新作品集。登場人物のモデルとなった俳人から名誉毀損で提訴された(のちに和解)、いわくつきの作品も収録されている。

 表題作となった中篇「飆風」がすごい。
 著者自らが強迫神経症と胃潰瘍を病み、夫人とともにその病と苦闘した時期の出来事を描いた作品。神経症に起因する幻覚・希死念慮なども、すごい迫力で克明に描かれる(鬱などの傾向がある人は読まないほうがよい)。

 夫婦の歩みのなかでいちばん苦しかったであろう日々を、すべて小説の中にさらけ出すその「覚悟」に、ある種の感動を覚える。

 このような作品を書きつづけることは命を縮める所業にほかならないから、車谷氏が“私小説からの撤退”を宣言したのも無理からぬことであろう。
「車谷が私小説を捨てるのは、小説家をやめるときだ」との声もあるが、私は、氏は私小説以外でもよい作品が書ける人だと思う。一昨年に上梓された優れた作品集『忌中』も、私小説ではなかったし。

 最後に収められた講演録「私の小説論」も面白い。「車谷節」全開である。たとえば――。
 
【引用始まり】 ---
 人間の「愚かさ」について考えるのが、文学です。
           *
 小説を書くことも、人の陰口、悪口を容赦なく言うところからはじまります。悪口を言い合っている時ほど、話が盛り上がる時はありません。だんだんに言葉は大袈裟になり、嘘が混じって来る。その「嘘」こそが、創作のはじまりです。
【引用終わり】 ---
 ところで、今週、車谷長吉・高橋順子(詩人)夫妻を取材することになった。

 中高年向け某誌の「夫婦特集」に企画段階からかかわっているのだが、その中の各界の「おしどり夫婦」へのインタビュー・コーナーで、車谷夫妻にご登場願うことになったのだ。

 取材の機会さえ作れば会いたい人に会える(ことが多い)のが、ライターや編集者の特権の一つ。その特権を活用させてもらった、というわけだ。お会いするのが楽しみである。
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こだわりの寿司屋


超こだわりの店乱れ食い (文春文庫PLUS)超こだわりの店乱れ食い (文春文庫PLUS)
(2004/04)
伊丹 由宇

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 竹熊健太郎氏のブログ「たけくまメモ」の「アサノのカツカレーについて」に笑った。
 
 カツカレーに異様なまでの自信をもっていて、メニューにあるほかのカレーを頼んでも無理やりカツカレーに変えさせる(笑)、「こだわりのカレーショップ」の話。

「あの、チキンはないのですか」
「あるけど、カツカレーにしなさい」
「………」



 そういえば私も、以前「こだわりの寿司屋」に遭遇して閉口したことがある。静岡県清水港にほど近い場所にある店で、名前はもう忘れた。

 店主が常連客を罵倒しながら握る寿司屋の話は、わりとよく聞く。たとえば、カウンターに座って「えーと、何にしようかな」と言った瞬間に「てめえの食いてえもんもわからねえヤツぁ帰れ!」と怒鳴られるとか。あるいは、寿司を注文する順番に厳密なルールを求めるとか……。

 私が遭遇した寿司屋は客を罵倒こそしなかったものの、寿司の食べ方やお茶の飲み方にまでいちいち注文をつけてくる人だった。
 なにしろ、客が寿司にしょうゆをつけることを許さない(!)のだ。

「いいかい、寿司ってのは名前のとおり『酢』と『塩』でもう味がついてるんだよ。しょうゆなんかつけて食ったら、その味が台無しだ。ウチの店じゃしょうゆは使わせないよ」

 そんな作法は初めて聞いたが、主人は有無を言わさぬ口調で言うのだった。仕方なく、握ってもらった寿司を何もつけずに食べた。
 たしかにまずくはなかったが、「やっぱしょうゆつけたほうがうまいよなあ」という物足りなさが消えなかった。

 あと、一つ寿司を食うたびに主人が「うめえらー?(うまいだろ?) 」とこっちの目をのぞきこんで聞いてくるのにも閉口した。うまいかまずいかは客が決めること。押し売りされてはたまらんのである。

 「アサノのカツカレー」は実際にうまいらしいけど、「こだわりの店なのにまずい」というサイテーの店も、世の中には少なくない。

 昔、小田嶋隆氏が「こだわりのケーキ屋」の話をコラムに書いていた。
 そのケーキ屋は、「ケーキは(生クリームを使うから)夏場にはうまく作れるものではない」との考えから、夏の間は店を閉めてしまうという。
 それほどこだわるからにはその店のケーキはさぞかしうまいのだろうと思いきや、ものすごくまずいのだそうだ(笑)。
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1万5000日の孤独?

 さとなおさんの日記「さなメモ」で知ったこのページは、生年月日を打ち込むと、今日が「生まれてから何日目か?」を表示してくれるというものだ。
 「百年の孤独」という、マルケスの小説をふまえたページ・タイトルが泣かせる。

 そして、今日は私が生まれてからちょうど1万5000日目にあたる……のだそうだ。

 「それがどうした?」と言われると困るのだが(笑)、当人としては、「1万5000日も生きてきたのかあ」とすこぶる感慨深いのである。なんかこう、「人生折り返し地点は確実に越えましたよ」と背中を押された気分。

 1万5000日目オメデトウ! >自分

 ちなみに、娘は生まれてから4269日目、息子は2690日目であった。
 それだけの日々を一緒に暮らしてきたのだなあ。
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『諸星大二郎自選短編集』


汝、神になれ 鬼になれ (諸星大二郎自選短編集) (集英社文庫―コミック版)汝、神になれ 鬼になれ (諸星大二郎自選短編集) (集英社文庫―コミック版)
(2004/11/18)
諸星 大二郎

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 『諸星大二郎自選短編集』(集英社文庫/「汝、神になれ鬼になれ」と「彼方より」の全2冊/各638円)を購入。

 タイトルどおり、鬼才・諸星が30年におよぶキャリアの中から代表的短編を自ら厳選したもの。過去に読んだことのある作品がほとんどだが、いま手元にないものが多いので、買ってよかった。

 2冊あわせて22編を収めており、マンガ史に残る傑作をいくつも含んでいる。
 たとえば、手塚賞を受賞した実質的デビュー作「生物都市」(1974)や、『妖怪ハンター』シリーズの一作「生命の木」(1976)。この2編は、小学生時代にリアルタイムで読んだときにも衝撃的だったが、いま読み直してもやっぱりすごい。大傑作である。
 2編を描いたとき、諸星はまだ20代。その若さでこれほどの深みと独創性をもつ作品を生むとは……。

 評論家の呉智英は、「生命の木」について、かつて次のように書いた。
 

 しばしばSF作品に描かれるキリスト来日伝説がテーマだが、聖書の謎解きが行われるわけではない。人間が神によって霊を吹き込まれたとするならば、霊を吹き込まれなかった肉だけの人間とは如何なるものなのか。そして、そういう人間にとって救世主キリストはあるのか。こういう、こちら側の人間にとって理解不能ともいえるあちら側の人間を描いたものである。その読後感は、現在の文学作品の最高傑作と称されるものと比較しても、いささかの遜色もない(『現代マンガの全体像』)



 最後の一文にはまったく同感。
 そして、「生物都市」もまた、SF小説の傑作と称されるものと比較しても、「いささかの遜色もない」のである。

 私は、諸星作品では『妖怪ハンター』『暗黒神話』『孔子暗黒伝』『無面目・太公望伝』が好きだ。
 この自選短編集には、『妖怪ハンター』シリーズから計3編が選ばれている。また、『暗黒神話』『孔子暗黒伝』『無面目・太公望伝』の3作はそれぞれ1巻もので、いずれも文庫で入手可能だ。

 もしも諸星作品をまだ読んだことがない人がいたら、以上挙げた計5冊の文庫の一気読みをオススメ。強烈な酩酊感をともなう、めくるめく“異界トリップ”が堪能できるはずだ。
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吉岡忍『M/世界の、憂鬱な先端』ほか

M/世界の、憂鬱な先端の画像

 明日ノンフィクション作家の吉岡忍さんを取材予定なので、吉岡さんの作品をいくつか再読。『M/世界の、憂鬱な先端』『日本人ごっこ』『「事件」を見にゆく』(以上、文春文庫)『墜落の夏/日航123便事故全記録』(新潮文庫)など。

 吉岡さんへの取材は4回目。前回は『M/世界の、憂鬱な先端』の単行本が出た直後の著者インタビューだったから、お会いするのは4年ぶりくらいか。

 吉岡さんの代表作といえば、講談社ノンフィクション賞を受賞した『墜落の夏』ということになるだろう。だが、私が個人的に好きなのは『「事件」を見にゆく』と、『M/世界の、憂鬱な先端』である。

 『「事件」を見にゆく』は、『週刊文春』に約1年間にわたって連載された短編ルポルタージュをまとめたもの。87年から88年にかけて日本各地で起きた44の事件(犯罪とはかぎらない)を扱っている。

 これが、じつに粒揃い。週に1本「事件もの」のルポを書くという短距離走のくり返しのような仕事にもかかわらず、どのルポも味わい深い。誰にも真似できない吉岡さん流の切り口で、事件の一断面が鮮やかな一閃で描かれているのだ。
 コラムニストの神足裕司が『SPA!』で同傾向の連載(「これは事件だ!」)を長年つづけているが、この作品と比べてしまうと、いかにも底が浅い。

 『M/世界の、憂鬱な先端』は、88~89年に起きた宮崎勤による幼女連続殺人事件の背景に迫ったノンフィクション。取材に10年を費やした畢生の大作であり、この事件について書かれたおびただしい数の本の中で、最も優れたものだと思う。
 宮崎本人を含む膨大な関係者に対する取材の綿密さ、取材データと文献を分析して重ねた考察の深み――いずれにおいても類書を凌駕している。
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親子でブログ

 今月で小6になるウチの娘が、最近さかんにケータイを欲しがる。クラスの友達にも、すでにもっている子が少なくないらしい。
 しかし、こういうご時世なので買い与えることに抵抗があって、「中学に入ったら買ってあげるから」と言っている(たった1年後だけど)。

 そのかわり、娘専用のメールアドレスを先日作ってやった。
 少し前から私のお下がりのパソコンを子どもたちに使わせているので、そのパソコンでメールを使えばよいのである。

 専用のメルアドをもったので、ついでに娘のブログも開いてやった。以前から、私がウェブで日記をつけるのを見て「私もやってみたい」と言っていたからである。

 長崎の小6女児殺害事件では、被害児童・加害児童がそれぞれ書いていたウェブ日記(「カフェスタ」らしい)の内容が、事件の引き金要因になったと言われている。
 そのことを思うとブログを持たせるのもやや心配ではあるのだが、ブログなら私が内容をチェックできるという利点がある。

 もっとも、私がブログを見ることを娘は嫌がるので、ブックマークして夜中にこっそり見ている(笑)。
 親子であっても机の中の日記帳を盗み読むのはご法度であろうが、公開されているブログなら見ても構うまい。
 それに、ネット上に日記をつけている女子小学生を狙う変態ロリオタ野郎は多いはずだから、そうした毒牙から娘を守るためにも、チェックは必須なのである。

 夫婦がそれぞれブログをもっている、という事例はすでにたくさんあるだろうが、「親子でブログ」もけっこういいかも。
 なにより、我が子が考えていることの一端が日記からわかるというメリットは、非常に大きい。
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大前研一『日本の真実』

 大前研一著『日本の真実』(小学館/1400円)読了。
 最近、大前研一の本がすごく面白く思える。不惑を過ぎたオジサンになったせいだろうか(笑)。

 これは、先日読んだ『考える技術』よりも前に発刊されたもの(刊行は昨夏)。
 読んですぐに思い浮かべたのは、小沢一郎の『日本改造計画』。大前版「日本改造計画」ともいうべき本なのだ。かねてより大前が提唱している「道州制」の導入など、さまざまな「日本再生プラン」を改めて開陳している。

 「日本再生」についての提言が、全体の半分ほど。あと半分は、近年の日本がいかに急速にダメな国に成り下がったか、という話。
 官僚批判・銀行批判・マスコミ批判、そして「小泉改革」批判。いずれも筆鋒鋭く明快で、読み応えがある。

 「政・官・財の相互癒着構造が日本をダメにした」とはつとに指摘されるところだが、大前は、いまの日本にはトライアングルならぬ「鉄のオクタゴン(八角形)」ともいうべき利権構造が出来上がっている、と喝破する。

【引用始まり】 ---
 少数利益集団である政・官・財の「鉄のトライアングル」に御用学者とマスコミが加わって「鉄のペンタゴン」になり、さらに国家権力を代表する検察庁や国税庁までがマスコミと結託することによって組み込まれ、「鉄のセプタゴン」が出来上がった。
【引用終わり】 ---
 その「セプタゴン」(七角形)に、かつては反権力の象徴だった弁護士までもが組み込まれて「鉄のオクタゴン」となった、と大前は言う。

 「産業再生機構」が、弁護士たちを利権構造に取り込むための「エサ」となった、という指摘に思わず唸った。「再生案件が増えれば増えるほど弁護士業界が潤うわけで、これが弁護士の一大利権になりつつある」というのである。

 目からウロコの指摘が多いし、おおむねうなずきながら読んだが、国防と憲法改正に関する提言には首をかしげた。
 なにしろ、大前は“日本も核武装せよ”と堂々と主張するし、次のようなことまで書いているのだ。

【引用始まり】 ---
 日本国憲法には企業や親に関する条文がない。(中略)親の責任と役割、子供の責任と役割が明確になっていない。だから親は子供を虐待し、子供は平気で親に逆らう。
【引用終わり】 ---
 この本の中で大前は、“夫婦別姓を認めることが少子化への歯止めになる”という一部政治家の主張を嗤っているのだが、“憲法に親の責任と役割を明記すれば児童虐待が減る”という大前の主張も、同じくらい馬鹿げている。

 もう一つ首をかしげたのは、大前が“ドロップアウトした日本の若者たち”を妙に買いかぶっているところ(『考える技術』でも、元不登校児の芥川賞作家・金原ひとみをヘンに持ち上げていた)。

【引用始まり】 ---
 日本の教育システムの中では10代でドロップアウトしたけれども、音楽やスポーツをやり抜いたり、ゲームや漫画やアニメに打ち込んだり、起業したりする人たちこそが、世の中で最も価値の高いものを生み出す可能性を秘めているのだ。
【引用終わり】 ---
 ドロップアウトした若者たちの中にも、才能ある人材はいるだろう。しかし、ドロップアウトした若者「だから」、そうではない若者よりクリエイティヴであるわけではない。大前は、「不登校も一つの才能である」(※)などという考え方と同種の幻想を抱いていると思う。

 経済・ビジネスを語らせるとすこぶる論理的な人なのに、ほかの分野(教育など)では意外に非論理的な考え方をするんだなあ。


※私は不登校児や引きこもりが「人生の落伍者」であるなどとは思わない。しかし、いたずらに美化するのもどうかと思う。たとえば、「不登校児のほうが感性・人間性が豊かで、学校に横溢する競争原理を峻拒する勇気をもっているのだ」などという言い方。それは、「まれにはそういう不登校児もいる」というだけの話ではないか。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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