『誰も知らない』

誰も知らない 誰も知らない
柳楽優弥 (2005/03/11)
バンダイビジュアル

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 『誰も知らない』を観た。
  カンヌで主演男優賞史上最年少受賞の快挙を成し遂げた話題作だから紹介するまでもないが、1988年に東京・巣鴨で起きた「子ども置き去り事件」をベースにしている。
 細部こそ異なるものの、事件の骨格はこの映画のとおりであり、極端な誇張はない。というより、実際の事件のほうがはるかに陰惨でやりきれないものだったのだ。

 いやー、これは素晴らしい作品だ。
 最初から最後まで、セリフにも演技にもわざとらしさが微塵もない。まるで良質なドキュメンタリーを観ているようだ。児童虐待のカテゴリーの一つである「ネグレクト」(育児放棄)を、これほどリアルに描き出した作品はほかにないのではないか。
 
 YOU演ずる母親は、直接的暴力で子どもたちを恐怖支配する“わかりやすい鬼母”ではない。彼女がいる間の家庭には笑いもあり、子どもたちはそれなりに母親を慕っているのだ。にもかかわらず、母親は「私が幸せになっちゃいけないっていうの?」という身勝手な言葉を吐き、4人の子どもたちを置き去りにして男のもとに行ってしまう。そのへんにむしろ重いリアリティがある。

 子どもたちの演技・表情・しぐさの、なんという自然さ。子どもがいる人ならなおのことそう感じるはずだ。「ああ、子どもってこういう言い方するよなあ」とうなずく場面がたくさんあるのだ。
 撮影現場では子役たちに台本を渡さず、あえて即興に近い形で演技させたとのことだが、なんにせよ、是枝監督の演出力はすごい(むろん、名子役揃いでもあるのだろうが)。

 物語は淡々と進み、観客を泣かせにかかる大仰な演出やセリフは一つもない。静謐な印象の映画。だが、それでいて、哀切無比の場面がたくさんちりばめられている。

 たとえば、公共料金の督促状の余白にちびたクレヨンで描きこまれる少女の絵、カップラーメンの空き容器を使ってベランダで育てられる草花、死んでしまった幼い妹のために買う1ダースの「アポロチョコ」……。そういったディテール自体が無言の「詩」となって、観る者の心に突き刺さるのである。

 2時間半近い長尺の中に無駄な場面が一つもなく、最初から最後まできっちり練り上げられた構成。ありふれた東京の街を舞台にしながらも、みずみずしい映像。カンヌで作品賞を取ってもよかったのではないか、と思わせる傑作。

 ところで、この映画で印象的な「コンビニのおねえさん」を演じているのが、クライマックスに流れる「宝石」を歌ったタテタカコ(シンガー・ソングライター) である。
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『チャレンジ・キッズ/未来に架ける子どもたち』

 『チャレンジ・キッズ/未来に架ける子どもたち』を観た。5月末から公開されるアメリカ産のドキュメンタリー映画である。

 公式サイト→  http://www.pan-dora.co.jp/challenge/top.html

 いかにも優等生的でつまらなそうな邦題がついているが(原題は『SPELLBOUND』)、意外にもすこぶる面白い映画だった。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネート(2003年度)され、ソフィア・コッポラが絶賛したというだけのことはある。

 これは、アメリカで80年の歴史を誇る「スペリング・ビー」(全米スペル暗記大会)のドキュメンタリー。
 スペリング・ビーは、9~15歳までの子どもたちが出場資格をもつもので、数百万人が参加する一大イベントである。
 日本における「甲子園」並みの人気がある(!)そうで、決勝大会は全米最大の「スポーツ・チャンネル」で放映され高視聴率を上げるという。

 この映画は、1999年度の同大会を密着取材して作ったもの。決勝大会に進んだ子どもたち(約250名)の中から8人を選んで主人公とし、彼らとその家族のドラマを追っていく。

 競技の中身はすこぶるシンプル。出場者(「スペラー」と呼ばれる)は1人ずつマイクの前に進み、出題者が読み上げる単語のスペルを口頭で答える。一字でも間違えたら「チーン!」とベルが鳴らされ、その場で敗退。トーナメント方式で、最後まで間違えなかった1人が優勝する。
 ただそれだけなのに、手に汗握る面白さ。映画を通してもその面白さが伝わってくる。スペルを答えてから正解・不正解がわかるまでの一瞬の間などに、ハラハラドキドキしてしまうのだ。

 また、映画の前半で主人公の8人が一人ずつていねいに紹介されるから、決勝大会の模様が描かれる後半では、「誰が勝ち残るのか?」という興味が観客をグイグイ引っぱっていく。

 米国が多民族国家であることを反映して、8人のバックグラウンドは多彩だ。白人・黒人・アジア系・ヒスパニック。教育にたっぷりお金をかけてもらっている富豪の御曹司もいれば、「叔父さんが2人刑務所に入っている」という貧しい母子家庭の子もいる。
 
 メキシコ移民の子アンジェラの両親は、移住して20年になるのにいまだに英語が話せない。アンジェラの兄は、「妹がスペリング・ビーの決勝に進んだことで、父の生涯は報われた」と言う。
 また、インド移民の子ニールの父親は一代で巨万の富を築き上げた立志伝中の人物で、「アメリカでは努力は必ず報われる。こんな国は世界中のどこにもない」と米国を賛美する。

 人種も宗教も、経済的背景もまったく異なる8つの家族。その姿の背後に、アメリカ社会の多面的な像がくっきりと浮かび上がる。マイケル・ムーア作品のようなジャーナリスティックな視点は乏しいものの、これはこれで「米国社会のいま」を見事にとらえたドキュメンタリーである。

 印象的なのは、8人の子どもたちがそれぞれ強烈な個性と自己主張をもっていること。みな堂々と意見を述べるし、時にはカメラクルーに向かってジョークを飛ばしさえする。ものすごく大人っぽい。頭のいい子ばかりだからということもあるのだろうが、「アメリカならでは」と感じた。

 日本にも、「算数オリンピック」とか「ロボカップジュニア」のような全国規模の“勉強系トーナメント”はある。だが、その決勝の模様をドキュメンタリーにしたとしても、これほど面白い作品にはけっしてなるまい。なにより、日本の秀才少年たちは、ここに登場する8人のように堂々と自己主張できないだろう。

 なお、8人のうちには何人か「メガネ美少女」がいるので、「眼鏡っ娘萌え」(→参考サイト)の諸君は必見(笑)。
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キミのお父さん、仕事してるの?


 イチローの父親「チチロー」は、イチローが小学生時代から毎日午後3時半には仕事(小さな工場を経営)を切り上げ、息子と野球の練習をしていたという。
 そのため、イチローは同級生から、「鈴木くんのお父さんって、仕事してるの?」と聞かれることがよくあったとか。

 最近、小1の息子がクラスの友達をよく家に連れてくるようになった。そのこと自体はよいのだが、仕事柄昼間も家にいることが多い私は、友達の目にどう映っているのだろう?  ちょっと気になる。
 無職もしくは失業中と誤解されていはいないだろうか?  また、フリーライターだということを息子が友達に言ったとしても、それがさらに誤解を生んだりして……。

 「前原くんのお父さんって、仕事してるの?」
 「してるよ。フリーライターだよ」
 「ふーん……」
               ↓

 「ねえお母さん、前原くんのお父さんってフリーターなんだって。いっつも家にいるんだよ」
 「あら、そうなの。たいへんねえ」

 いや、フリーライターもフリーターも、「先が見えない」という意味では似たようなもんですが(笑)。

 平日昼間に床屋に行くと、「今日はお休み?」とよく聞かれる。
 そういう場合、「いや、私勤めてないもんで」と答えてはいけない。床屋さんが「悪いこと聞いちゃったかな?」という感じの気まずそうな表情になって、急に黙ったり話題を変えたりするからだ。
 私は、「今日はお休み?」と聞かれたら、「ええ、まあ…」とだけ答えるようにしている。

 そういえば、以前住んでいたマンションの管理人のバアサンは、平日昼間に私と出くわすと決まって「今日はお休み?」と聞いた。
 最初のころはそのつど「いえ、私はフリーライターでして……」などと説明していたのだが、バアサンは「ああ、そうなの」と言うくせに、次に会うとまた「今日はお休み?」と聞くのだった(笑)。全然理解していなかったのである。
 しまいには面倒くさくなって、「今日はお休み?」と聞かれたら「ええ」とだけ答えるようになった。

 平日昼間に図書館に行くと、最近は「リストラされたサラリーマン」という風情の中年男性がボーっと雑誌を読んでいたりすることが多い。
 「失業中なのかなあ。気の毒に」とか思うのだが、考えてみれば私自身も傍目には失業者に映るに違いない。取材も打ち合わせもない日にはヒゲさえ剃らないし、ダラっとした格好(ジャージ姿とか)で過ごすことが多いし……。

 ま、フリーライターなんて「慢性潜在的失業者」(仕事の依頼が途切れればその日から失業者)だから、当たらずとも遠からずだが。
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吾妻ひでお『失踪日記』


失踪日記失踪日記
(2005/03/01)
吾妻 ひでお

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 吾妻ひでお著『失踪日記』(イースト・プレス/1140円)読了。

 ようやく復活を遂げたマンガ界の「ビッグ・マイナー」(高信太郎のネーミング)が、マンガ界から消えていた時期の生活を振り返って描いた話題作だ。
 帯には次のようにある。

 突然の失踪から自殺未遂・路上生活・肉体労働・アルコール中毒・強制入院まで。波乱万丈の日々を綴った、今だから笑える赤裸々なノンフィクション!



 マンガ家自らの“究極のネガティヴ体験”を描いているという点で、この『失踪日記』はしばしば花輪和一の『刑務所の中』と比較して語られている。面白さからいっても『刑務所の中』に勝るとも劣らない。

 ①失踪後のホームレス生活、②配管工事の肉体労働をしていた時期、③その後マンガ家として一度復活するも、アル中になって強制入院させられた日々……の3つのパートに分かれている。

 いずれも面白いが、ホームレス生活を描いた最初のパートがいちばん凄みがある。「世捨て人」の凄みである。
 妻も子もあり、マンガ家としても一級の人気作家であったのに、すべてを捨てて吾妻は失踪した。これに比べたら、つげ義春の『無能の人』や車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』もまだ「ぬるい」というか、世を捨てきれていない感じだ(是非はともあれ)。

 なにより、実体験のすごさに唖然とさせられる。
 ゴミ箱をあさって食料を調達し、空き瓶の底に残った酒を集めた「あじまカクテル」を飲み、団地の水道でしょうゆの空きボトルに飲料水を確保する、といった生活。真冬に野宿していると「(寒さで)関節の筋肉が収縮してものすごく痛い」などというくだりもすさまじい。
 テレビ化作品(『ななこSOS』や『オリンポスのポロン』)もあるほど活躍していた吾妻ひでおが、そこまで本格的なホームレスになっていたとは……。

 このうえなく悲惨な実体験の数々が描かれているのに、きちんとギャグマンガになっている。声をあげて笑ってしまった場面も少なくない。
 みじめな自分を笑い飛ばす、突き抜けたおかしさ。明るい自虐。人間という存在自体がもっている滑稽味が表現されているという趣なのだ。

 そして、それはときおり笑いを超えて哀切さにもなる。
 たとえば、ゴミから拾い出したリンゴが腐って発酵して熱を帯びており、そのぬくもりが「凍った手を温めてくれた」という一節など、文学的といってよい感興を呼ぶ。

 不審者として警察に捕まった際、警官の中に吾妻のファンがいて、「先生ほどの人がなぜこんな……」と嘆かれるくだりも、しみじみおかしい。
 その警官は色紙を買ってきて吾妻にサインを求めるのだが、そのときなぜか、「夢」という字を書き添えてくれ、と頼むのだ。それを吾妻はギャグとして描いているが、私小説ならしんみりとした名場面になるところだろう。

 そして、アズマニア(吾妻ひでおマニア)にとって、この本にはもう一つの価値がある。途中に18ページほど、吾妻が自らのマンガ家生活を詳細に振り返ったくだりがあるからだ。

 ここが、吾妻の創作の舞台裏を垣間見られてじつに面白い。
 出世作『ふたりと5人』が吾妻本人には不本意な作品で、「出力20%くらい」しかやる気を出していなかったとか、意外な裏話満載である。
 私が偏愛する70年代後半の作品群――『美美』『チョッキン』『ネムタくん』『シッコモーロー博士』『みだれモコ』など――の話も出てくるので、うれしい。このころの作品、私はすべてリアルタイムで読んでいた。

 この本では、1969年のデビューから70年代末までの10年間が俎上に載っている。80年代のことについては、発刊が予告されている続編で振り返るのだろうか。楽しみである。 

 そしてまた、ここは失踪→アル中という「結果」をもたらした「原因」が描かれた部分でもある。花輪和一でいえば『刑務所の前』(『刑務所の中』の続編。服役の原因となった拳銃不法所持の顛末を描いている)に相当する。

 飼い猫を見て、「猫はいいなァ。マンガ描かなくてもいいもんな」とつぶやく吾妻。人気マンガ家時代の「産みの苦しみ」が、赤裸々に、しかし飄々と表現されている。マンガ家のみならず、すべての分野の「表現者」必読(かも)。
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『ベルンの奇蹟』

ベルンの奇蹟 [DVD]ベルンの奇蹟 [DVD]
(2005/10/19)
ルーイ・クラムロートペーター・ローマイヤー

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 『ベルンの奇蹟』を観た。ゴールデンウィーク公開のドイツ映画である。

 公式サイト→ http://www.elephant-picture.jp/bern/

 1954年にスイスのベルンで開催されたサッカーのワールドカップで、ドイツ(当時は西ドイツ)は初優勝を飾る。いまでこそドイツは世界屈指の強豪だが、当時西ドイツの優勝を予想する者はほとんどいなかった。この優勝が「ベルンの奇蹟」と呼ばれているのだという。

 第2次大戦の敗戦からまだ9年、戦争の傷痕がそこかしこに残る西ドイツにあって、「ベルンの奇蹟」は、ナチス時代の暗い記憶に打ちひしがれた国民が誇りと希望を取り戻す契機となった。

 半世紀を経たいまもなお、「ベルリンの壁」崩壊(1989年)と並ぶ戦後ドイツ史のエポックとして、人々に記憶されているという。優勝の日、自分がどこで何をしていたのかを、多くの人が覚えているほど(日本でいえば、東京五輪での日本勢の金メダルのようなものか)。

 この映画は、その国民的記憶をフィルムに刻みつけたものである。
 サッカー映画ではあるが、実際の試合の場面は最後の決勝戦で登場するのみ。ほかの試合はラジオ・テレビの中継を通して描かれる。それは、“国民の視点”に忠実であろうとしたがゆえだろう。大多数の国民はスタジアムには行けなかったのだから。

 むしろ、映画の主軸は優勝までの軌跡を見守る国民の姿のほうに置かれている。
 主役となるのは、ルール地方の炭鉱の町に住む一家。父親リヒャルトは捕虜としてソ連の収容所に捕らえられていたが、この年ようやく帰還する。長い収容所生活で心に深い傷を負ったリヒャルトは、家族の中に溶け込めない。とくに、彼の出征中に生まれたため帰還後に初めて会った末子のマチアス(11歳)とは、くり返し衝突する。

 ドイツ・チームの優勝までの道のりと、父子の葛藤と和解のプロセスが、並行して描かれていく。
 「ベルンの奇蹟」の最大の立役者となったのは、決勝戦で2得点をあげたドイツ代表のFWヘルムート・ラーンだが、この伝説の名選手が物語の鍵となる。マチアスは地元が生んだラーンを誇りに思っており、ラーンもマチアスをかわいがる。父親不在のまま育ってきたマチアスは、ラーンに父の面影を見ていたのだった。

 リヒャルトは、自分になつかない息子がラーンに夢中であることが気に食わない。ワールドカップは当初、父子の葛藤に拍車をかける。だが、優勝が近づくにつれ、国全体がドイツ代表を応援する異様な熱気に包まれるなか、父子はそのサッカーを媒介として互いを受け入れるのだった。

 これは、サッカー史に残る奇跡の優勝を戦後ドイツ史と重ね合わせて描いた作品であり、一つの家族の蘇生の物語でもある。

 私はサッカーには微塵も興味がないので(そういう人間も世の中にはいるのですよ)いささか退屈だったが、サッカー好きなら楽しめる映画だと思う。
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『アメリカン・ビューティー』と中年クライシス


アメリカン・ビューティー [Blu-ray]アメリカン・ビューティー [Blu-ray]
(2012/07/13)
ケビン・スペイシー、アネット・ベニング 他

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 『アメリカン・ビューティー』 をDVDで観た。1999年の作品だが、いまごろ初見。

 「これは『Shall we ダンス?』の暗黒ヴァージョンだなあ」と感じた。
 いわゆる「中年クライシス」を、ロマンティックにあたたかく描いたのが『Shall we ダンス?』で、黒い笑いとアイロニーで殺伐と描いたのが『アメリカン・ビューティー』なのである。

 『Shall we ダンス?』の主人公(役所広司)は、ダンス教室の美しい教師に好意を抱き、社交ダンスに熱中することを通じて、中年クライシスを乗り越え蘇生する。
 いっぽう、『アメリカン・ビューティー』の主人公(ケビン・スペイシー)は、娘(高校生)の同級生に惚れてしまったことを契機に自分の「殻」を次々と破り、破りすぎて破滅へと突っ走る。正逆のベクトルから中年クライシスが描かれるのだ。

 河合隼雄に、ずばり『中年クライシス』という著作がある(朝日文芸文庫)。これは、日本文学の名編12編を「中年クライシス」という切り口から読み解いたものである(同様に、「映画に描かれた中年クライシス」というテーマで一本の評論が書けそうだ)。

 河合によれば、中年クライシスに最も早くから注目していた心理学者はユングだという。それは、ユングのもとを訪れる相談者の中に、財産・社会的地位などに恵まれていながら「不可解な不安」に悩まされる中年が多かったためだ。

 彼(ユング)は人生を前半と後半に分け、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子どもを育てるなどの課題を成し遂げるための時期とするならば、そのような一般的な尺度によって自分を位置づけた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分は「どこから来て、どこに行くのか」という根源的な問いに答えを見いだそうと努めることによって、来るべき「死」をどのように受けいれるのか、という課題に取り組むべきである、と考えたのである。(中略)しかし、そのような大きい転回を経験するためには、相当な危機を経なければならない、というわけである(『中年クライシス』)


 河合はまた、中年クライシスが優れて現代的なテーマであることを指摘する。
 「人間五十年」の時代には、生まれてから死ぬまでに「一山越える」だけでよかった。ところが、平均寿命が伸びて「人生80年」の時代になると、死ぬ前に「二回目の山」がやってくる。“第二の思春期”ともいうべき生き方の転回点であり、それがおおむね中年期にあたるのだ、と……。

 そして、その「転回」を迎えるにあたって、「多くの人は大なり小なり抑うつ症的な傾向に悩まされ」、「今まで面白かった仕事にまったく興味を失ってしまう。あるいは、何もする気がしなくなる。そして、重いときには自殺の可能性さえ出てくる」という(前掲書)。
 近年の日本に多い中高年の自殺や、それなりの社会的地位にある中年男がブチ切れたように起こすワイセツ事件などにも、「中年クライシスによる自滅」という側面があるのかもしれない。

 私は娘の同級生に求愛するような困ったオヤジではないが(笑)、40代に足を突っ込んだ男の一人として、「中年クライシス」の問題には大いに関心があるのだ。

 なお、中年クライシスというと男性のものというイメージが強いが、『アメリカン・ビューティー』では妻(アネット・ベニング)もまた別の形で中年クライシスに直面する。いっぽう、娘は娘で「思春期クライシス」真っ只中なのである。
 傍目には恵まれて見える典型的アメリカン・ファミリーが、それぞれの「心の危機」を乗り越えられずに崩壊していくプロセスを、この映画はつぶさに描き出す。それも、深刻な社会派調ではなく、洗練されたコミカルなタッチで……。そのギャップが、悲しい歌詞を楽しげなメロディーに乗せた皮肉なポップ・ソングのようで、なんとも面白い。

 観客の予想をよい意味で裏切りつづける脚本が素晴らしい。骨子から想像していたよりもずっとよい作品であった。

 タイトルも含め、米国社会の病理に対する風刺に満ちた作品だが、ディテールをアレンジして日本版が作れそうな気もする。笑いのセンスがハリウッド映画らしくなくて、むしろ日本的なのだ。どこがどう「日本的」なのか、うまく説明できないけれど。

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岡留安則『「噂の眞相」25年戦記』



 岡留安則著『「噂の眞相」25年戦記』(集英社新書/700円)読了。

 書名のとおり、休刊した 『噂の眞相』 の元編集長が、四半世紀に及んだ“ゲリラ戦”の内幕を明かした本。

 私は、1992年から休刊までの12年余、毎月欠かさず『噂の眞相』を購読していた。25年の歴史のうち半分は、読者として間近に見つめつづけたのである。 

 その間、巻末の「編集長日誌」まで熟読する読者であったから、「どうせこの本もすでに知っていることばかりだろう」とあまり期待せずに手にとった。

 だが、その予想はよい方向に外れた。この本で初めて明かされた内幕も多く、ディープなウワシン読者にとっても驚きに満ちた内容なのである。

 ウワシンの休刊は、
①名誉毀損訴訟の賠償額高騰(私は「適正化」だと考えるが)によって、多くの訴訟を抱える誌面作りが立ちゆかなくなったこと
②「2ちゃんねる」などのネット上の“ウワサ・メディア”の発達で、ウワシンの存在意義が薄れたこと
 ……などが理由であるとささやかれていた。

 しかし本書によれば、2000年に起きた右翼団体による編集部襲撃事件が、休刊決定に大きな影響を与えたという。
 岡留氏引退後の編集長にと考えていた川端副編集長が事件によって深刻な精神的ダメージを受け(そりゃそうだろうな)、あとを継げる人材がいなくなったというのだ。

 そんな赤裸々な裏話が満載であり、ウワシンを熱心に読んでいた人ほど楽しめる。実践的ジャーナリズム論として読むこともできるが、ウワシンを読んでいなかった人にはあまり面白くないと思う。

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『マッハ!!!』

マッハ ! プレミアム・エディションの画像

 『マッハ!!!』をDVDで観た。
 かなり話題になったタイ産のアクション映画である。

 主演のトニー・ジャーの身体能力が圧倒的にすごい。CG/ワイヤー/フィルムの早回しをいっさい使っていないことが信じにくいほど、人間離れしたアクションの連打。演技というより「軽業」を見ているようで、スピーディーで小気味よい。

 アクションがあまりにすごいので、ストーリーもセリフもむしろ邪魔に思えてしまう。
 タイの小さな村からたいせつな仏像の首が盗まれ、村一番のムエタイの使い手が悪漢を追って首都バンコクへ取り戻しに行く……という他愛のない話である。話の枝葉もセリフも、ありふれていてダサイ。
 とくに、主人公が仏像奪還の旅に出るまでの導入部の展開がもたもたしていて、「そんなことはどうでもいいから早く殴り合え!」と言いたくなる。

 DVDには「ファイト・チャプター」というのがついていて、アクション・シーンだけをつづけて観られるようになっている。うれしい配慮である。私はこれを使って、アクション・シーンだけを何度もくり返し観た。

 トニー・ジャーは、身体能力は飛び抜けているものの、ブルース・リーやジャッキー・チェンやジェット・リーのような「スターの華」はあまり感じられない。「タイ発の世界的アクション・スター」になれるかどうかは、少し疑問。
 ただ、「彼のアクションをまた観てみたい」という思いは強烈に湧いてくる映画である。
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『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』



 『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』を試写会で観た。

 公式サイト→  http://fushiawase.jp/

 「アメリカのハリー・ポッター」ともいうべき子ども向けファンタジーのベストセラー『世にも不幸なできごと』(その作者がレモニー・スニケット)シリーズの映画化である。日本では5月公開。
 このシリーズ、日本ではハリポタほどは売れていないが、99年に刊行が始まって以来、世界40ヶ国で翻訳され、累計発行部数は3000万部にのぼるという。

 私は原作も読んでいないし、なんの予備知識もなしに観たのだが、たいへんに面白かった。個人的な好みをいえば、映画版ハリポタよりもこっちのほうがずっといい。

 タイトルのとおり、主人公の三姉弟妹(14歳の長女ヴァイオレット、12歳の長男クラウス、1歳未満の次女サニー)には次々と不幸が襲う。突然の火事で両親と自宅を失い、彼らが相続する莫大な遺産を狙う悪漢オラフ伯爵(ジム・キャリー)に追いかけられ、命を狙われ……という具合だ。
 ただし、気の滅入る物語ではない。むしろ、毒気たっぷりの笑いとスリルに満ちた楽しい映画である。

 三姉弟妹は魔法使いでこそないが、“特殊能力”をもっている。
 ヴァイオレットは天才発明家で、長い髪をリボンでキュッとまとめると困難を乗り越える智恵が湧いてくる。クラウスは「本の虫」で、膨大な量の読書から得た知識でしばしば難局を切り抜ける。まだ赤ん坊のサニーは噛むことが大好きで、どんなものにでも噛みついたら離さない。

 3人はそれぞれの力と智恵を使い、勇気をふりしぼって、彼らを陥れようとするオラフ伯爵の悪巧みを次々と粉砕していく。そのさまが痛快だ。

 従来の児童文学なら、子どもたちを助ける「よい大人」が登場するものだが、この作品には登場しない。周囲の大人たちはオラフ伯爵の悪巧みを見抜けないマヌケばかり。子どもたちは自力で窮地を切り抜けねばならない。だからこそ、彼らの活躍がいっそう痛快なのである。

 「ハリー・ポッター」のような魔法は登場しないが、それでいて、目くるめくイマジネーションに満ちた極上のファンタジーになっている。

 この作品は2005年度アカデミー賞で美術賞・衣装デザイン賞・メイクアップ賞・作曲賞の4賞にノミネートされ、メイクアップ賞を受賞した。たしかに、美術や衣装デザインなどの造形が丹念で素晴らしい。時代も国も判然としない不思議な異世界を、映画の中に見事に構築している。

 なお、エンドロールが影絵アニメのような凝った作りになっている。
 この部分自体が独立した価値をもつ素晴らしさなので、劇場で観る際にはエンドマークが出てもすぐに席を立たないほうがよい。
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ホリエモンは「ピュアな成金」

 よくも悪くも、 ホリエモン というのはたいへん興味深い人物である。
 彼を見ていると、呉智英が昔書いたこんな一節を思い出す。

成金が、もし本当に金だけしか信用しないなら、そこには否定しがたい迫力が生じる。それは、しばしば不思議な魅力にさえなる。成金が軽蔑されるのは、実は、金しか信用しないという言明の裏に、権威や美や教養への強固な劣等感がひそんでいるからだ(「実用品としての書斎」より)


 ホリエモンは、我々が久々に目にする「本当に金だけしか信用しない」成金なのではないだろうか。「女は金についてきます」などとうそぶく男に、それでも不思議な魅力を感じてしまうのは、一つにはその「ピュアさ」ゆえではないか。

 フジテレビ買収に乗り出すに際して、彼は「オレなら、フジテレビを使ってもっとうまく儲けられる」(趣意)としか言わなかった。「社会の公器としてのメディアの役割」うんぬんなどという大義名分で言葉を飾らなかったのである。これは、ある意味潔い。

 大半の成金は、ひとしきり金を儲け終わると、次は名誉を欲しがる。しかし、ホリエモンはどこまでいっても名誉など欲しがらないような気がする。彼には、成金にありがちな「権威や美や教養への強固な劣等感」が感じられないからだ。

 ホリエモンのブログ「社長日記」に、面白い一節があった。
 自身の記者会見での発言が歪曲され、「メディアとITと金融界のドンになりたい」という見出しで報じられたことについて、彼は次のように反駁していたのである。


 ドンになりたいっていったらまるで権力者になりたいみたいな感じじゃないの。(中略)権力なんて面倒くさいもの必要ないですよ・・・。なんかステレオタイプな見方しかできないんでしょうかね>マスコミ。(3月3日付)


 この言葉は象徴的ではないか。
 権力をもったオジサンたちは、ホリエモンによって自らの権力が脅かされると思い、戦々恐々としている。権力をもたない一般庶民の多くは、既成の権力者たちがあわてふためく様子を見て、ホリエモンの行動に快哉を叫んでいる。
 しかし、ホリエモンはべつに権力者になりたいわけではなく、百億円単位の金儲け(!)がしたいだけなのである。

 ホリエモンは世にも珍しい、金の価値だけをただ一筋に信ずる「ピュアな成金」であり、それゆえにこそ不思議な迫力を身にまとっているのだ。
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池内了『寺田寅彦と現代』


 池内了(さとる)著『寺田寅彦と現代/等身大の科学をもとめて』(みすず書房/2600円)読了。

 寺田寅彦といえば、「文理融合」の代名詞のような人物である。東大教授をつとめるなど物理学者として第一線で活躍しながら、夏目漱石の高弟の一人として文芸の世界にも大きな足跡を遺した。
 とくに、数多く著した随筆は、芸術的香気と科学的精神が見事に調和した名文揃いであり、いまなお若いファンを増やしつつ読み継がれている。
 
 寺田寅彦論はこれまでにもたくさん書かれているが、本書はそれらとはいささか趣を異にしている。書名が示すとおり、「寺田寅彦について現代から再照射してみたい」との意図のもとに書かれているからである。すなわち、寺田の著作をフィルターとして、21世紀の日本社会や科学技術について考察したものなのだ。

 著者は宇宙物理学者(名古屋大学大学院教授)であり、文筆家としても広く活躍している。一般向けの科学啓蒙エッセイなどの著作も多い。寺田寅彦同様に「文理融合の人」なのだ。また、著者自身も寺田から強い影響を受けているし、寺田のエッセイ集も編んでいる。まさに、書くべき人が書いた本といえよう。

 著者は、さまざまな角度から「寺田寅彦と現代」を対比的に描き出していく。
 たとえば第4章では、科学のありよう、科学者・科学教育のあるべき姿についての寺田の考え方を著作から整理し、そこから現代科学や科学教育の問題点を洗い出している。

 また、第3章では寺田の技術観・戦争観が俎上に載り、第5章では寺田と防災科学のかかわりに光が当てられる。地震学の分野でも活躍した寺田にとって、防災は重要なテーマであった。「天災は忘れたころにやってくる」も、寺田の言葉である(ただし、著作にはこの言葉は登場しない)。

 没後70年を経たいまなお、寺田の言葉の数々が、現代の科学技術・教育・防災などを考えるうえで示唆に富んでいることに驚かされる。たとえば寺田は、「便利と幸福とは必ずしも同義ではない」と、技術の進歩が便利さのみを追いがちな風潮に、早くも警鐘を鳴らしていた。

 圧巻は、寺田が現代科学の最先端を予見していたことが明かされる第2章である。
 たとえば、生命科学にいう「アポトーシス」(遺伝的にプログラムされた細胞死)の存在に、寺田は気づいていた。植物の落葉に「一種の物理学的の現象」が働いていることを直観し、それを「潮時」と名づけていたのだ。また、当時はまだなかった「生態系」「フラクタル」などの複雑系科学の概念についても、それにごく近い発想をすでにもっていたという。驚くべき慧眼といえよう。
 
 ただ、これは著者自身も認めているのだが、寺田の映画評論、文芸批評などに光を当てた第6章「科学と芸術」は、ほかの章に比べて出来が悪い。著者がとくに映画にくわしいわけではないためだ。

 むしろ、いちばん出来のよい第2章を一冊分にふくらませて、「複雑系の先駆者」として寺田寅彦を描くことに徹したほうがよかったかも。
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大前研一『考える技術』

 大前研一著『考える技術』(講談社/1600円)読了。
 
 書名から論理的思考の体系的な入門書を期待すると、肩透かしを食う。むしろ、大前の過去のコンサルティングやさまざまな時事問題を例にとり、「考える技術」の“模範演技”を列挙した、という感じの内容だ。「オレ様が論理的思考の見本を見せてやるから、『技術』はそこからくみとれや」ということか。

 毎度のことながら、自慢話が随所で炸裂。「自慢じゃないが」ではなく、「自慢だが」という感じで(笑)、謙遜などかけらもない。それが鼻につく点を除けば、読んで損はない本だ。読みやすくて面白く、仕事の参考になる点も多い(私のようなフリーランサーにとっても)。

 それと、本書には経営コンサルタントとしての大前の歩みと仕事ぶりが細かく明かされており、その点も興味深かった。
 コンサルタント業には資格もいらず元手も(ほとんど)かからないから、週末起業にぴったりだ、と『週末起業』の著者は書いていたが、「経営コンサルタントになりたい」と思っている人にとって、本書は最良の入門書かもしれない。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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