「生きる時間を、生きぬくよ」


 ネット上には自殺志願者が集うサイトがあるのだそうだが、その手のサイトをわざわざのぞきにいかなくても、うつ病などで希死念慮にとらわれた人のウェブ日記はしばしば目にする。

 私がよく見るウェブ日記のリンク先(「友達の友達」みたいなもんですね)にそういう日記があって、しかも最近かなり深刻な精神状態のようなので、気になってよくのぞいてしまう。

 コメント欄などで声をかけたい気もするのだが、知り合いでもない私が「死ぬのはよせ」などと言うのも不遜な感じがして、ただ黙ってROMしている。

 かりに身近な友人知人が自殺を考えていたとしたら、私に何を言ってあげられるだろうか?

 思い浮かぶのは、過去に読んだ本の中の言葉ばかりだ。そんな「借り物の言葉」ではなんの説得力も持たないかもしれないが、いくつか列挙してみよう。

 まずは、坂口安吾が友人であった太宰治の自殺に際して綴った、名高い文章の一節。

【引用始まり】 ---
 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、わかるとか、わからんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしかありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、ただなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦い抜いてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。(中略)
 しかし、生きていると、疲れるね。かくいう私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ(『不良少年とキリスト』)
【引用終わり】 ---

 次に、中島らもが自殺してしまった友人の思い出を綴った味わい深い一文から。 

【引用始まり】 ---
 ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから、「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』)。
【引用終わり】 ---

 早逝した如月小春が、若いころに重い拒食症を克服したきっかけについて綴ったエッセイも忘れがたい。

【引用始まり】 ---
 ある日、弟が私を自動車に乗せた。後ろの座席に身をかたく閉じて座っていたら自動車は勝手に私を運んで滑り出した。窓の外を生きている人々の生きている景色が流れる。あの人もこの人もみんな生きている。ゴミゴミして息苦しくていじわるに思えていた街が突然言いようもなく美しく、いや美しいという言葉では嘘っぽい、何かすごく――ああ、うまく言えない、とにかく私は頭の中がゆっくり涙と共に溶け始めるのを感じていた。
 それから私は少しずつ食べられるようになり、家の外に出られるようになり、電車にも乗れるようになり、そして、明日に対して身構えることなく今日をすごせるようになった(『私の耳は都市の耳』)
【引用終わり】 ---

 関川夏央・谷口ジローの劇画『事件屋稼業』にも、いい場面があった。
 主人公の私立探偵のもとにかかってきた、見知らぬ少女からの電話。少女は重い腎臓病を苦にして、15歳になった瞬間に死のうと思っている、と言う。
 その日、「あと5分でさよならね」と最後の電話をかけてきた少女に、探偵は一計を案じてウソをつく。「君の時計は5分遅れてるぜ。君はもう15歳になっちまったんだ」と。そして、こうつづけるのだ――。

【引用始まり】 ---
 いいか! もう君は死ぬ機会をなくしたんだ。もう一年やってみるしかないんだ! 夏のグラジオラス、秋の野菊、それからもう一度春の桜を見てからにしろ(「フェイク・エンディング」)
【引用終わり】 ---

 浅田次郎のエッセイ集『勇気凛々ルリの色』に、「生命力について」という一編がある。「私は相当にみじめな人生を送ってきたので、確率以上に大勢の自殺者を知っている」という浅田が、そのうちの一人について語ったものである。
 自分の言葉一つで相手は自殺を思いとどまったかもしれない――そんな悔恨が綴られた文章のなかで、浅田は言う。

【引用始まり】 ---
 我が身を振り返るに、自分が死に損なった経験は意外と忘れてしまうものだが、身近で死なれた記憶は忘れ難い。終生つきまとう傷といえば、明らかに後者であろう。(中略)
 どんな悪逆非道の、あるいはくすぶった人間でも、自分で思いつめるほど他人の迷惑にはなっていない。しかし、死なれれば周囲の人間は一生迷惑する。
 それだけは確かだ。
【引用終わり】 ---

 「一生迷惑する」とは、いささか酷な言葉かもしれない。だが、ヘタなキレイゴトよりもこうした言い方のほうが、ストレートに相手の胸に響くのではないか。

 じつは、私は父親を自殺で亡くしている。だから、「遺された側」の悲しみや無念が、少しは理解できる。
 もしも友人が「死にたい」と言ったなら、やはり私はそのことを話すだろう。そして、「命の尊さ」などというキレイゴトはいっさい口にせず、「きみが死んだら僕が悲しいからいやだ」とだけくり返し言うだろう。エゴ丸出しで。
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宮内勝典『焼身』


 
 宮内勝典『焼身』(『すばる』3月号)読了。

 タイトルの『焼身』とは、ベトナム戦争時代、ゴ・ディン・ジェムの圧政に抗議して焼身自殺(ただし僧侶たちの側は「焼身供養」と呼ぶ)した、あの僧侶のこと。僧侶の足跡を追ってベトナムとカンボジアへ飛んだ作者自身の思索の軌跡をとおして、「9・11」後の混迷する世界を読み解く答えを探した作品である。「自分探しの旅」ならぬ「答え探しの旅」。

 深く感動した。宮内さんは小説家として、「9・11」の問題や宗教の問題と真正面から格闘している。その真摯な姿勢が全編にみなぎる力作である。

 私は宮内さんの小説をすべて読んでいるが、氏の著作でいちばん好きなのは、じつは小説ではなく『宇宙的ナンセンスの時代』である。長編『ぼくは始祖鳥になりたい』の取材作業から生まれた、文学的香気に満ちた傑作ノンフィクションだ。

 今回の『焼身』は、氏の小説の中で最もノンフィクション色が強く、『宇宙的ナンセンスの時代』に近い感触がある。近作『ぼくは始祖鳥になりたい』と『金色の虎』が青年ジローを主人公にしていたのに対し、『焼身』の主人公は宮内さんそのものなのだ。
 たとえば、この作品を森達也の『ベトナムから来たもうひとりのラストエンペラー』のようなノンフィクションとしてリライトすることも、容易であろう。

 ここ数年、宮内さんはキャリアの総決算のような長編につづけざまに取り組んできた。『ぼくは始祖鳥になりたい』も『金色の虎』もそうだ。
 そして、この『焼身』は、氏の私小説的作品(『グリニッジの光りを離れて』『金色の象』など)とノンフィクション作品(『宇宙的ナンセンスの時代』『ニカラグア密航計画』)を、二つながら集大成したような長編である。

(後日加筆)
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パット・メセニー・グループ『ザ・ウェイ・アップ』


ザ・ウェイ・アップザ・ウェイ・アップ
(2005/02/09)
パット・メセニー・グループ

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 パット・メセニー・グループの新作『ザ・ウェイ・アップ』(ノンサッチ/日本盤は2625円だが、輸入盤を買ったので1580円)を購入。

 パットのアルバム中、ソロ作品やほかのアーティストとのデュオ作品は当たり外れの振幅がものすごく大きく、買うのがコワイ。これは、多くのファンが共通して感じていることだと思う。

 ソロの中にも『シークレット・ストーリー』のような傑作はあるが、『ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス』のように、商品として流通させたことが信じられないくらいの超・駄作もある。最近作のギター・ソロ・アルバム『ワン・クワイエット・ナイト』も、一部で評価が高かったけれど、私は駄作と感じた。

 逆に、パット・メセニー・グループ名義のアルバムにはほとんどハズレがない。だから、私はPMGのアルバムが出たら即座に買う。

 今回の『ザ・ウェイ・アップ』は、なんと1曲しか入っていない。タイトル・ナンバーの「ザ・ウェイ・アップ」が4つのパートに分かれた組曲形式になっているのだ。

 このことが象徴するとおり、聴きやすいキャッチーなナンバーが多かったこれまでのPMGを期待すると肩透かしを食う。軽く聴き流せるBGMにはなりにくく、1枚を通してじっくり向き合うのがふさわしいアルバムだ。クラシックの名高い交響曲とか、ジャズでいうとコルトレーンの『至上の愛』やキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』のような趣で、シリアスだが美しい作品。

 パット自身が、新作にこめたメッセージを『読売新聞』のインタビューでこう語っている。

「戦争やテロが渦巻く世界へのやり切れない思いが発端になっている。今のような事態を招いた疑心暗鬼や憎悪といった負の感情の連鎖を断ち切り、愛や慈しみなど、物事を上昇(ウェイ・アップ)させる力へと変えたい。そんなメッセージを音楽で表現したかった」

 シリアスではあるが、けっして難解ではない。パット・メセニーらしい、背筋ゾクゾクもののフレーズがたくさんちりばめられていて、聴きこむほどに細部に聴きどころが増えていくアルバムだ。
 全体の緻密な構成、見事なアンサンブルは、絢爛たる「音の万華鏡」という趣。
 PMGの音楽はしばしば「映像的」と評されるが、このアルバムは映像的音楽の極致かも。大きな音でかけ、目を閉じて聴いていると、いろんな映像が次々に浮かんでくる。

 ファンの間でもこの新作については賛否両論真っ二つのようだが、私は「賛」。大いに気に入った。

 難を言えば、「21世紀のジャコ・パストリアス」と呼ばれているリチャード・ボナがせっかく参加していながら、彼にベースを弾かせていない(本作ではパーカションとヴォイス担当)のは不満。「なぜ?」と言いたい。
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鈴木さえ子復活!


STUDIO ROMANTIC スタジオ・ロマンチストSTUDIO ROMANTIC スタジオ・ロマンチスト
(1990/09/21)
鈴木さえ子、アンディ・パートリッジ 他

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 我が家の子どもたちが最近お気に入りのテレビアニメ『ケロロ軍曹』。それを何気なく一緒に観ていたときに、「おお!」と思わず声を上げてしまった。音楽をあの鈴木さえ子が担当していたからである。

 鈴木さえ子は80年代に4枚のアルバム(サントラも含めれば5枚)を発表し、以後長く活動休止していたアーティストである。

 当時の夫であるムーンライダーズの鈴木慶一がプロデュースなどで全面バックアップしたそれらのアルバムは、(少しひねくれた)知性とセンスにあふれた素晴らしいものだった。

 鈴木さえ子は元々「シネマ」というバンドのドラマーとしてデビューした人で、ドラムスにも味があってよいのだが、ソングライティングの才能も素晴らしく、ちょっと舌足らずなヴォーカルもじつにかわいい。

 その音楽は、“ファンタジック・エレポップ”とでもいおうか、極上の児童文学にも似た不思議な魅力をたたえたものだ。キュートで奔放で、子ども時代のイノセンスを呼び覚ますような切なさがあり、それでいて、その奥には強烈な毒気も秘めている。

 この前書いた山口美央子、ナチコ、村田有美のアルバムがCD化すらされていないのに比べ、鈴木さえ子のCDはいまでもアマゾンで入手可能だ(これはちょっとビックリ)。
 私のオススメはXTCのアンディ・パートリッジも参加した4作目の『スタジオ・ロマンチスト』(87年)だが、ほかの3枚もそれぞれいい。

 鈴木さえ子は、『ノーライフキング』(いとうせいこうの小説の映画化)や『ウホッホ探検隊』(干刈あがたの小説の映画化)の音楽を担当したこともあるから、アニメの音楽で復活というのはさほど意外でもない。
 15年ぶりの復活に快哉。『ケロロ軍曹』のサントラも買わなければ。

 ついでに言うと、鈴木さえ子はルックスもなかなかである(もう熟女だけど)。映画版『ノーライフキング』では、音楽を担当するのみならず、自ら女優として出演もしていた。

 タレントの石原さとみが誰かに似ているとずっと思っていたのだが、若いころの鈴木さえ子に似ていたのだ(タヌキ顔ですね)。『スタジオ・ロマンチスト』のジャケ写の顔など激似だ。

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天然「捨てる技術」


 発作的に書斎の大掃除を行った。
 
 「山根式袋ファイル」でためこんだ新聞・雑誌等のスクラップを、本棚2段分くらい捨てた。おかげで、本棚からはみ出ていた分の袋ファイルがすべて棚に並べられて、すっきり。

 もう2度と読み返さないであろう本も、かなりの量を捨てた。あちこち書き込みがあるので、どうせ古本屋には売れないし。

 過去10年分くらい保管してあった年賀状も、ごく一部を除いて廃棄。また、保管する意味がなくなった名刺もまとめて捨てた。

 あとは部屋全体に掃除機をかけ、拭き掃除もして、気分爽快。

 大掃除をしてみて感じたことだが、私は年をとるにつれて「モノ」への執着がどんどん薄れてきている。
 たとえば、「これはいつかまた必要になるかもしれないし……」と捨てようか捨てまいか迷うことがなくなった。
 そもそも、10年も前からの年賀状なんて、なぜ大事にとっておいたのか、いまとなっては自分の心が不思議だ。

 ネット・データベースの充実によって、記事スクラップの必要性が薄れたということも当然ある。
 だが、それだけではない。明らかに、私自身が平気でモノを捨てられるようになってきたのだ。

 『捨てる技術』なんて本を読むまでもない。人間は年を取ると自然に「捨て上手」になるのである。

 おりしも、こんなニュース↓が……。

 「本・雑誌数千冊、アパート床抜け生き埋め…56歳重傷」
 
 このニュースを見たから書斎の大掃除をしたわけじゃないけど(笑)、他人事ではない。
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山口美央子、ナチコ、村田有美

 私が昔よく聴いていたカセットテープの山の中には、いまの時点から見るとけっこう貴重な音源があったりする。
 その多くはLPレコードをカセットに落としたものなのだが、LP自体があまり売れなかったうえ、いまに至るもCD化されていないアルバムが少なくないのだ。

 最近、その手のテープを(音質劣化を防ぐべく)MDに落とす作業をときどきやっている。
 今日は、山口美央子のアルバムを収めたテープをMDに入れた。その際、久々に(たぶん10年ぶりくらい)聴き直したのだが、四半世紀近くを経たいま聴いても少しも古びていないことに驚かされた。

 山口美央子は、1980年代初頭に3枚のLPを発表しただけで活動を終えたシンガー・ソングライターである(ただし、それ以後もほかの歌手/アーティストに楽曲を提供しつづけている)。
 化粧品会社のテレビCMに使われた「恋は春感」が唯一の小ヒット曲。覚えている人はほとんどいないだろう。

 しかし、彼女が残した3枚のアルバムはいずれも素晴らしく、このまま埋もれさせてしまうのはじつに惜しい。とくに、土屋昌巳がプロデュースしたサード・アルバム『月姫』はJ-POP(なんて言葉は当時なかったけど)史上に残る傑作である。

 『月姫』は、一言で言えば純和風エレ・ポップ。シンセ類使いまくりなのにジャパネスクなサウンドがフシギで心地よい。
 曲の出来も粒揃い。とくに、タイトル・ナンバーの「月姫(ムーンライト・プリンセス)」など、『美少女戦士セーラームーン』のテーマ曲に使ってもよかったくらい(笑)パーフェクトなポップ・ソングだ。

 1980年代初頭は、山口美央子以外にも才能ある女性シンガー/ソングライターが日本に陸続と現れた時期なのだが、その多くはアルバムがCD化されることもなく、埋もれてしまっている。

 たとえば、『お花畑は水びたし』や『髪舞』といった傑作アルバムを放った「日本のケイト・ブッシュ」ナチコも、やはり3枚のアルバムを出しただけで消えてしまった。
 マライア(マライア・キャリーではない)をバックに従えて先鋭な傑作アルバムを連発した村田有美も、いまでは何をしているのやら。

 「復刊ドットコム」の音楽版みたいなサイトがあれば、私はまずこの3人のアルバムのCD化に一票を投じたい。   
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『スロー・イズ・ビューティフル』ほか


 辻信一著『スロー・イズ・ビューティフル/遅さとしての文化』(平凡社ライブラリー/1000円)、『スローライフ100のキーワード』(弘文堂/1800円)、『ブラック・ミュージックさえあれば』(青弓社/2000円)読了。

 今日これから著者の辻氏(文化人類学者/明治学院大教授)を取材するので、その準備として読んだ。

 『スロー・イズ・ビューティフル』は、示唆に富んだ素晴らしい本だ。論文臭のないやわらかな語り口なので、「文化人類学? 難しそう」と敬遠するにはおよばない。

 書名は、シューマッハーの名著『スモール・イズ・ビューティフル』と、1960年代に流行ったスローガン「ブラック・イズ・ビューティフル」をふまえたもの。
 
 スローライフやスローフードという言葉が、本来の意味から外れて「商品やサービスを売るための新しい切り口」に堕してしまった昨今の日本だが、その本来の意味をさまざまな角度から知ることができる。そして啓発され、考えさせられる。
 経済効率・生産性を高めることを至上命題にしてきた現代文明への根源的批判であり、豊かさの意味を問い直す本だ。「ハイテクが省いてくれたはずの時間は一体どこへ消えてしまったのか」という著者の皮肉な問いかけは、多くのせわしない現代人が心の底で感じている疑問でもあろう。

 「目からウロコ」の指摘がちりばめられている。たとえば著者は、“石の家を作った豚がいちばん利口だった”という「三匹の子豚」の寓話について、次のように言う。

【引用始まり】 ---
 世界中の植民地で、西洋人はこのような寓話を使っては、西洋文明の優位を吹聴し、原住民文化を愚弄してきたわけだ。石をコンクリートに置き換えれば、そのまま近代主義に、そして二〇世紀後半の開発イデオロギーにうってつけの寓話だ。 
【引用終わり】 ---
 本書は広義の“エコロジー本”だが、エコロジー本にありがちな独善的な感じ――「利己的で愚かなあんたたちはファストフード食いまくって享楽的なファストライフを送ってるけど、賢明な私たちは地球に優しい苦行のような生活を送ってるんだぜ」みたいな――がまったくない。

 むしろ著者は、“地球に優しいスローライフのほうが愉しくてここちよいからそっちを選んでいるんだ”と、言葉を替えてリフレインしている。「エゴか、エコか?」の二者択一を迫る禁欲主義的エコロジーを超えた、風通しのいい快楽主義的エコロジー思想。

 『スローライフ100のキーワード』は、「スローライフ」の思想を重要なキーワード別に整理したもの。一つのキーワードにつき数ページの簡潔な解説がなされ、写真なども豊富で読みやすい。『スロー・イズ・ビューティフル』の内容と重複している部分も多いが、入門編としてはこちらのほうがよいかも。

 『ブラック・ミュージックさえあれば』は、著者が愛してやまないブラック・ミュージックをめぐるエッセイ集。
 著者の個人的な音楽体験――たとえば、実際にニューヨークのハーレムで出会った人々の思い出――を綴りながら、それがそのまま優れた音楽論にもなっている本。
 あいにく私はブラック・ミュージックにはくわしくないが、かなりのマニアでも唸るディープな内容だと感じた。ややセンチメンタルで詩的な文章も、すこぶる味わい深い。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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