矢作俊彦『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』


THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイTHE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ
(2004/09/10)
矢作 俊彦

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 矢作俊彦著『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』(角川書店/1800円)読了。

 タイトルはもちろん、レイモンド・チャンドラーの代表作『長いお別れ』へのオマージュである。「LONG」を「WRONG」に変えてあるあたり、いかにも矢作らしい。
 物語の終盤には、「飲む相手は間違わなかった。しかし、別れを言う相手を選び損ねたな」という、タイトルに対応した決め台詞も用意されている。

 矢作の初期作品『リンゴォ・キッドの休日』で登場し、『真夜中へもう一歩』などの作品の主人公となった、神奈川県警の刑事・二村(ふたむら)永爾の物語である。

 この作品は、『リンゴォ・キッドの休日』や『真夜中へもう一歩』よりもよくできている。二村永爾シリーズの集大成だと思う。私は矢作のハードボイルド作品では短編連作の『マンハッタン・オプ』がいちばん好きだが、長編ではこれがベストではないか。

 かつて矢作は「ハードボイルドなんか好きじゃない。チャンドラーが好きなんだ」との名言を吐いたが、この作品はタイトルのみならず隅から隅まで、チャンドラーへのオマージュで成り立っている。

 『長いお別れ』が、探偵フィリップ・マーロウとテリー・レノックスとの「男の友情」の物語であったように、この『ロング・グッドバイ』も、二村と謎めいた日系米兵ビリィ・ルウとの苦い友情の物語だ。

 マーロウとレノックスも、二村とビリィ・ルウも、ともに酒場で出会う。そして、物語の最後にはともに友情の終焉が待っている。
 『長いお別れ』の最後の一文は「警官にさよならを言う方法はいまだに発見されていない」であったが、『ロング・グッドバイ』は「アメリカ人にさようならを言う方法を、人類はいまだに発明していない」と結ばれる。

 ただ、矢作は『長いお別れ』を「パクッた」のではない。物語の大枠をそっくり借り、チャンドラー流の比喩やワイズクラック(登場人物が口にする気の利いた警句・軽口)がちりばめられてはいるが、これはあくまで矢作俊彦の作品世界である。

 ビリィ・ルウの謎の失踪に否応なくかかわりを持たされた二村は、その責任を問われて捜査本部から外され、単独で事件の真相を探っていく。これは、刑事を主人公にしながら私立探偵のような行動をさせるために用意された設定だ。
 やがて、米軍基地の治外法権を利用した産廃処理という巨大利権をめぐる犯罪が、明らかにされていく。

 終盤の謎解きがいささか性急にすぎて、ミステリとしては粗雑な作りという気がしないでもない。
 だが、それでもいいのだ。チャンドラーの小説がそうであるように、これは謎解きよりも文体やセリフ、物語の雰囲気をこそ味わう小説なのだから。

 矢作という作家は、天才肌にありがちなムラっ気を濃厚にもっていて、ときどき平気で小説を投げ出してしまう。
 たとえば、『コルテスの収穫』という長編は、「文庫書き下ろし全3巻」という触れ込みで始まりながら、第3巻が出ないまま未完に終わっている(!)。
 だからこそ、矢作については次のように言われてきた。

 戦後生まれで「偉大な作家」と呼ぶに値する唯一の、いや村上春樹とならぶ作家である。しかしまた、同時に彼ほど読者を落胆させ、裏切り続けてきた作家はいないだろう(福田和也『作家の値うち』)


 しかしこの『ロング・グッドバイ』は、矢作には珍しく、最後まで丹念に書かれている。やればできるじゃないか、という感じである。

 この作品の美点は数多い。
 まず、横浜の街や酒や車などについてのこだわりの描写に、品のよいユーモアと詩情があふれていて素晴らしい。たとえば――。

 私が子供時代、この国ではバナナがまだ高級品でパイナップルは缶詰の中に生えると信じられていた。そのころ横浜のPXには本物のパイナップルが山積みされていた。そこは別世界だった。空気の匂いさえ甘やかで、一歩踏み込むとディズニー映画の登場人物になったような気がした。

 
 また、アイリーン(海鈴)という名のヒロインを始めとした登場人物がそれぞれ魅力的だし、彼らと二村がかわす皮肉と感傷に満ちた会話も、気が利いていて愉しい。こんなふうに――。

 「酔っぱらいは信用しないんだ。酔っぱらいは友達が多すぎる。酔っぱらいは毎晩友達を増やす。そのうち誰が友達なのか判らなくなる。だから信用出来ない」
  *  *  *
「この年になると、人と別れるのは、そう辛くない。飯食って寝るのと同じ、普通のことだ。肩叩いて、また今度なって別れた者と二度と会えなくなっても、不思議でもなんでもない。しかし、また今度でも何でもいい、別れも言わずにいなくなられるのは、いくつになってもたまらないさ」


 静謐な詩情につらぬかれた、上質のハードボイルド。堪能した。

 なお、本書のどこにも注記がないが、この作品は、矢作が1995年に『別冊・野生時代/矢作俊彦』というムックに書き下ろした長編『グッドバイ』を下敷きにしている。
 したがって、「矢作俊彦が19年ぶりに書いたハードボイルド」という本書の売り文句は、厳密には正確ではない。
 と、ファンならではの小ウルサイ文句をつけてみたりして……。
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『イラク戦争と情報操作』ほか



 川上和久著『イラク戦争と情報操作』(宝島社新書/720円)、『北朝鮮報道/情報操作を見抜く』(光文社新書/820円)読了。

 著者の川上氏(明治学院大学法学部長)は、我が国における情報操作研究の第一人者である。情報操作をテーマに氏にインタビューするために読んだ。
 10年前に出た氏の旧著『情報操作のトリック――その歴史と方法』(講談社現代新書)も、併せて再読。

 『北朝鮮報道』は、我が国のマスコミ/政党が、北朝鮮のプロパガンダにいかに乗せられ、いいように操られてきたかを、過去の報道の検証から浮き彫りにしたもの。
 大マスコミでは『朝日新聞』が、政党では社会党が、それぞれ最後までプロパガンダに乗せられつづけたA級戦犯である。北朝鮮が「この世の楽園」であるかのように言う過去の記事や政治家の声明が多数引用されているのだが、いま読むとじつに腹立たしい。

 「あとがき」で川上氏は、同い年の蓮池薫氏へのシンパシーを綴っている。この「あとがき」だけが感傷的なトーンで、全体からはやや浮いているのだが、しかし強い印象を残す。

 ちなみに、私は横田めぐみさんと同い年である。
 今年の6月に取材で新潟に行った際、取材先に向かうタクシーで、めぐみさんが拉致された現場を通った。運転手が「ここがそうですよ」と教えてくれたのである。そこは、なんの変哲もない明るい通学路であった。自分が中学生のころから現在までの、長い長い時間。その時間とめぐみさんが拉致されてからの時間が同じであることを、改めて想った。

 『イラク戦争と情報操作』は、さきの米大統領選に合わせた出版であるためこの書名となっているが、実質的には「戦争と情報操作から読み解く米国史」というべき内容。イラク戦争でのブッシュ政権の情報操作の分析は後半のみで、前半は独立戦争から湾岸戦争に至る過去の戦争での情報操作を紹介したものなのだ。

 米国は、いまも昔も「情報操作大国」である。「宣伝省」まで置いて大々的なプロバガンダを展開したナチス時代のドイツさえ、じつは米国が作り上げたプロパガンダ手法を「お手本」にしていた。
 ヴェトナム戦争では比較的情報操作が行なわれなかったが、それゆえに、米国内の反戦気運はメディアによって高められた。当時のジョンソン大統領は、「(ヴェトナム戦争の)敗北の責めは報道関係者が負うべきだ」と吐き捨てた。
 ヴェトナムでの失敗の反省から、その後、米政府はいっそう露骨で巧妙な情報操作をくり広げることになる。

 米国における「戦争と情報操作」の歴史を簡潔明瞭にまとめてあり、勉強になる良書。 
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『トンデモ本 女の世界』


トンデモ本 女の世界トンデモ本 女の世界
(1999/12)
と学会

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 と学会著『トンデモ本 女の世界』(メディアワークス)読了。

 と学会の最初の2冊――『トンデモ本の世界』『トンデモ本の逆襲』――はいずれもバツグンに面白い本だったが、本書はつまらなかった。と学会の著作のうちでも際立って質の低い1冊だと思う。

 書名のとおり、ダイエット本や占い本、「女性の生き方」本など、女性読者を対象にした本の中から「トンデモ本」を探し出し、 1冊ごとにツッコミをくわえていく内容である。
 私自身が女性ではないから、対象になっている本に興味がない分つまらない、という面もあろう。だが、それだけではない。
 紹介されている本はいずれもトンデモ度バツグンなものばかりで、ツッコミどころ満載だ。にもかかわらず、肝心のツッコミがまったく冴えないのである。

 それは、何よりも書き手の問題だと思う。
 と学会会長・山本弘は本書の執筆陣にくわわっていないし、唐沢俊一も2、3冊を担当しているのみ。藤倉珊も皆神龍太郎も岡田斗司夫も登場しない。

 かわりに、立川談之助、田原総一郎(田原総一朗とは別人)、稗田 おん まゆら(一字アキも名前のうち)の3人がメイン執筆者になっているのだが、彼らの文章がことごとくつまらない。理知的でアイロニカルな「ツッコミ芸」にこそ本シリーズの魅力があるのに、3人のツッコミにはまるで芸というものがないのである。

 とくに立川の文章は、(本業が落語家だから無理もないが)稚拙なうえに日本語としておかしい部分も散見される。「お受験のスタートはここから始まる」とか(笑)。

 山本、唐沢がメインで書いていたら、もっともっと面白い本になったはずだ。

 文庫化されているからにはこんな本でもそこそこ売れたのだろうが、このような粗製濫造はと学会にとってもマイナスだと思う。
 ま、私は図書館で借りて読んだので、つまらなくても腹は立たないけど。 
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原リョウ『愚か者死すべし』


愚か者死すべし (ハヤカワ文庫 JA ハ 4-7)愚か者死すべし (ハヤカワ文庫 JA ハ 4-7)
(2007/12)
原 りょう

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 原リョウ(リョウは「寮」のうかんむりをとった字)著『愚か者死すべし』(早川書房/1600円)読了。
 伝説のハードボイルド作家がほぼ10年ぶりに発表した、話題の新作だ。

 前作『さらば長き眠り』が発表されたのは1995年1月。寡作にもほどがある。この10年間、いったいどうやって食っていたんだろう?
 せわしない我が国の出版界にあって、10年ぶりの新作が早くもベストセラー・リストの上位にのぼっているのは驚きだ。みんな、原リョウのことを忘れたりせず、辛抱強く新作を待ちつづけていたのである。

 原リョウは、西新宿に生きる私立探偵・沢崎の物語だけを書きつづけてきた。レイモンド・チャンドラーがフィリップ・マーロウの物語だけを書きつづけたように。今回の『愚か者死すべし』も、当然沢崎シリーズである。

 生島治郎から大沢在昌に至るまで、チャンドラーの影響を強く受けた日本のハードボイルド作家は枚挙にいとまがないが、本家チャンドラーに最も近づいた日本人作家は原リョウではないか。
 というと、「いや、それは矢作俊彦だろう」と異議を唱える向きもあろう。だが、矢作のハードボイルド小説にはチャンドラーのパロディ的色彩が濃いのに対し、原リョウは大真面目に「和製チャンドラー」を目指してきた印象があるのだ。

 帯やあとがきに「新・沢崎シリーズ」「第二期」といった言葉があるように、この新作はかつての沢崎シリーズとは微妙にテイストがちがう。原リョウの愛読者なら誰もがそう感じることだろう。
 沢崎は相変わらず同じ探偵事務所を構え、同じ車(ブルーバード)に乗り、同じ煙草(両切りピース)を吸っている。だが、それでもどこかがちがう。

 たとえば、銃を使った派手なアクション場面が多いし、ストーリーも、かつての沢崎シリーズに比べて大仰でけれん味たっぷりである。“政界の大物たちのスキャンダルを一手に握る旧貴族の老資産家”などという人物が重要な役割を果たしたりして、やや荒唐無稽なのだ。
 かつての沢崎のキャラが「フィリップ・マーロウ100%」だとしたら、新作の沢崎にはマイク・ハマーが10%ほど混じっている――そんな感じ。

 その変化を、エンタテインメントとしての質的向上ととらえるか、大衆迎合の堕落ととらえるかによって、評価が分かれるだろう。
 私としては、ミステリとしての骨格もしっかりあって料金分は楽しめたし、まずは合格点を上げたい。ただ、昔の沢崎シリーズのほうが渋くてよかったなあ。

 文章やダイアローグは相変わらずよく彫琢されていて、素晴らしい。
 読みにくいわけではないが、速読することを許さない文体。ディテールにいちいち細かい“フック”が仕掛けられていて、ワインでもなめるように少しずつ味わいながら読むのが心地よい文章である。
 たとえば、冒頭の一文はこうだ――。

 その年最後に、私が〈渡辺探偵事務所〉のドアを開けたとき、どこかに挟んであった二つ折りの薄茶色のメモ用紙が、翅を動かすのも面倒くさくなった厭世主義の蛾のように落ちてきた。

 

 こういうチャンドラー流の比喩にニヤリとする人なら、読んで損はない。
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『故郷の香り』


 試写会で『故郷(ふるさと)の香り』を観た。
 中国映画である。国際的にも高い評価を得た『山の郵便配達』(1999)などの作品で、中国を代表する映画作家の一人となったフォ・ジェンチィ監督の最新作だ。

 公式サイト→ http://www.furusatono.com/
 
 中国の静かな山間の村に、主人公・ジンハーが10年ぶりに北京から帰ってくる。大学に合格して村を出てから、一度も帰ることのなかった故郷。そこで、彼は初恋の女性・ヌアンに再会する。

 ジンハーは、すぐにはヌアンだと気づかない。それほど、生活の疲れが彼女の美しさを覆い隠してしまっていたのだ。ヌアンは、共通の幼なじみである聾唖者のヤーバと結婚し、一女をもうけていた。

 ジンハーが長い間故郷に帰らなかったのは、かつてヌアンとの間に起こった“ある悲劇”のためである。再会した2人のやるせない感情のやりとりと、過ぎ去った青春時代の思い出とが、交互に描かれていく。2人を引き裂いた悲劇が何であったのかは、クライマックスで明かされる。

 かなわなかった初恋と、その相手との再会――数えきれないほど多くの物語で描かれてきたテーマである。だからこそ、“どこかで観たようなありふれた映画”になりがちな難しさもある。だが、ジェンチィ監督はそのテーマにあえて真正面から挑み、見事な成功を収めた。誰もがもっている、過ぎ去った恋に対する甘やかな感情を、観る者の心の底から呼び覚ます映画だ。

 舞台となる山村の素朴な美しさに目を瞠る。樹々や山々のしっとりと深い緑、風にそよいで黄金色にきらめく麦畑など、懐かしい「アジアの原風景」がここにはある。

 また、ヒロインのヌアンを演ずるリー・ジアの凛とした美貌も特筆ものだ。まさに「アジアン・ビューティ」。ハリウッド女優とはコードの異なる、たおやかな美しさ。

 物語は淡々としたタッチで進んでいくが、ラストには感涙必至の名場面が用意されている。これは、おそらく映画史に残るであろう名ラストシーンだ。
 ネタバレになるので具体的には書けないが、恋物語として始まったこの映画は、終盤で「家族の物語」にもなるのだ。ヌアンの夫・ヤーバを演ずる香川照之が、一言もセリフを発しない難役を見事にこなして、そのラストシーンで鮮烈な印象を残す。

 遠い日の恋愛と、家族愛・夫婦愛・故郷に対する愛――4種類の愛が織りなす物語。監督の人間を見つめるまなざしは、優しくあたたかい。
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同郷の有名人



 『にんげんだもの・相田みつを物語』を観て故郷のことを思い出したので、足利市関連のサイトをいくつかのぞいてみた。
 そのうちの一つに「足利出身の有名人」というページがあったのたが、なんと、私がそのリストの中に挙げられているではないか!

 「オレって有名人だったの? エヘヘ~」とちょっち自尊心をくすぐられたのだが(→単純バカ)、冷静に考えてみれば、このページを作成した人が「足利出身」でググったら私のサイトがヒットしただけのことだろう。

 で、「聞いたことのねえ名前だけど、この人は本を書いているらしいし、きっと有名人だんべ(→栃木弁)」とか思ってリストに加えたにちがいない(笑)。

 私のことはさておき、このリストでいくつか発見もあった。

 「桜」のシンガー・ソングライター、河口恭吾って、私と同じ高校出身なんだ~。へえ、へえ、へえ。
 歴史の浅い高校だから、同校出身では唯一の「全国区の有名人」かもしれない。音楽的には興味のもてないシンガーだけど、応援することにしよう。

 岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』って、県(あがた)駅の近くでロケしたのか。私の高校のすぐそばである。観てみよう。

 ちなみに、根岸吉太郎監督の『遠雷』のトマト・ハウスのシーンも、私の高校時代に学校のすぐそばで撮影したものである。
 「なんか、近くで映画の撮影してるらしいぞ」と話題になったものだ。東京と違って映画のロケなどめったにないから、それだけでちょっとした騒ぎになった。

 作家の檀一雄や板橋文夫(ジャズ・ピアニスト。『渡良瀬』という名盤がある)は、前から足利出身と知っていた。
 あと、このリストからはなぜか抜け落ちているけど、マンガ家のジョージ秋山も足利出身である。

 作詞家の売野雅勇といえば、小さな思い出がある。
 私が物書きになりたくて田舎で悶々としていた10代の終わりごろ、新聞に「売野雅勇事務所のスタッフ募集」という折り込み広告が入ったのである。
 「売野は足利出身なので、足利の人材を求めています」とか、そんな売り文句で、作詞家見習いを募集していた。

 大いに食指が動いたが、けっきょく応募しなかった。もしもあのとき応募していたら、作詞家への道が開けていただろうか? いや、安月給で売野のゴーストでもさせられていたのかもしれないが……。

 しかしこうして見ると、相田みつを以外にもけっこう有名人がいるなあ。地方にしては文化レベルが高いといえるかもしれない。

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『ラブドガン』

 ラブドガンの画像

 『ラブドガン』をDVDで観た。
 ひいきの女優・宮崎あおいが主演しているので映画館で観ようと思いつつ、けっきょく観そこねた作品だ。

 幼いときに両親を殺された殺し屋と、両親が無理心中してしまったばかりの少女――。孤独な二人の心のふれあいが核となる物語。少女は、心中の原因を作った父の愛人に復讐心を向ける。そして、「あの女を殺して」と殺し屋に言うのだが……。

 この骨子から、誰もが思い出すのはあの『レオン』であろう。
 私も、「なんだ、『レオン』のパクリか」とまず思った。映画館で観なかったのはそのせいもある。

 だが、じっさいに観てみると、『レオン』というよりは日活アクション時代の鈴木清順作品のようなテイスト。映画化前の『レオン』の脚本を若き日の鈴木清順に渡し、「これを思いっきりアレンジして映画化してください」と頼んだら、こんな映画になったかもしれない(似ているのも道理で、監督の渡辺謙作は鈴木の弟子筋にあたるのだそうだ)。

 ま、どうひいき目に見ても傑作とはいい難く、「怪作」と呼ぶにふさわしい作品。

 永瀬正敏演ずる殺し屋は、愛用のリボルバーを真っ赤にペイントし(『0課の女・赤い手錠』を思い出す)、しかも「アキラ」なる名前をつけている。
 この一事からもわかるとおり、リアリティなど、はなから作り手の眼中にない。耽美的な、“男のためのファンタジー”ともいうべきアクション映画である。

 宮崎あおいは、相変わらずかわいくて演技がうまい。あおいちゃんがかわいいから怪作でも許す。

 あの野村宏伸が、なんと、あおいちゃんに襲いかかる変態医師の役で出演していて、ビックリ。かつての野村は二枚目だったのに、こんな汚れ脇役をやるようになるとは……。
 吉田秋生が泣くぞ(『BANANA FISH』の英二は、野村をイメージして創ったキャラだといわれている)。
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『にんげんだもの・相田みつを物語』

にんげんだもの にんげんだもの
相田 みつを (1984/04)
文化出版局

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 ドラマ『にんげんだもの・相田みつを物語』を観た。

 相田みつをは、私の故郷・栃木県足利市の人である。
 足利市民は、相田が全国的にブレイクする以前から、その書になじんでいた。ドラマにも登場した和菓子屋「香雲堂」の菓子をもらうと、箱の中に相田の書をあしらったカードが必ず入っていたのだ。
 また、相田の書額を飾っていた商店なども、ブーム以前からわりと多かった。

 ドラマの中では、足利の風景がじつに美しく撮られていた。とくに、夕陽の美しさは印象的。いま松浦亜弥が歌っている「渡良瀬橋」(元は森高千里の曲)も足利を舞台にした歌だが、あの曲の歌詞にもあるとおり、足利は「夕陽がきれいな街」なのである。

 相田みつを(木梨憲武)が自作の書を売り歩く場面などで、周囲に「ガシャコン! ガシャコン!」という織機の音がつねに響いているあたりも、懐かしかった。足利は「織物の町」であったから、私が子どものころにはどこへ行ってもあの音が聞こえたものだ。

 私は、相田みつをに対してはとくに思い入れがない。
 このドラマを観たのは、一つには足利が舞台であるからで、もう一つには長年ファンである薬師丸ひろ子が相田の妻役で出演していたから。

 しかし老けたなあ、薬師丸ひろ子。ま、彼女ももう不惑だから。
 もっとも、タメ年の私も、傍目から見たら同程度に老けているのだろう。「昔のアイドル」は、己が加齢を痛感させる哀しきメルクマールなのである。

 貧しさに耐え、息子を溺愛する姑(室井滋が熱演)の冷たい仕打ちにも耐えて、けなげに夫を支える、絵に描いたような良妻の役。
 薬師丸の「優等生キャラ」にあまりにハマリすぎで、あたりまえすぎてつまらないキャスティングだ。

 彼女はむしろ、破天荒なキャラ、こわれた感じのキャラを演じるときにこそ光る女優なのである。“女子高生組長”を演じた『セーラー服と機関銃』や、情緒不安定なアル中女を演じた『きらきらひかる』が傑作となったように。

 ただ、ドラマとしては、素直でていねいな作りに好感がもてる良作だと思った。
 「高度成長の権化」のような友人(石黒賢)と相田みつをの露骨な対比は、類型的にすぎてげんなりしたけど……。
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町山智浩『底抜け合衆国』

  底抜け合衆国―アメリカが最もバカだった4年間の画像

 年末進行の修羅場をやっとくぐり抜けた。まだいくつか仕事が残っているが、年内は「平常営業」程度の仕事量。

 昨日は、ほぼ徹夜で原稿を仕上げたあと、朝から別の取材で京都へ。京都へ行くのは久々なのだが、日帰り取材なので観光する余裕なし。
 さすがに帰宅したらもうヘロヘロ。今日は昼まで爆睡してしまった。


 町山智浩著『底抜け合衆国/アメリカが最もバカだった4年間』(洋泉社/1500円)読了。
 「町山智浩アメリカ日記」でおなじみ、米カリフォルニア在住の映画評論家が、2000年から2004年にかけて各誌に寄せた「アメリカ・ネタ」のコラムを集めたものである。

 当然映画ネタが多いのだが、4年分のコラムを通読すると、「9・11」からイラク戦争へとつづく米国社会の激動が、背後に一本の線として浮かび上がる。「ブッシュ政権下で激変するアメリカ」をつぶさに描いたレポートとしても秀逸だ。

 2000年に書かれたコラムは「お笑いコラム」という感じなのに、著者の筆致はしだいに深刻の度を増していく。最後に収録された「華氏911日記」は、すっかり大マジである。

 長短さまざまな文章を収めているが、長いものほど面白い。短いコラムは総じて「こんな出来事がありました」という紹介だけに終わっていて、いまいち。

 前にも書いたが、私は、町山氏による正攻法の「アメリカ文化論」が読んでみたい。本書のような「コラムの寄せ集め」ではなく、大長編の本格的な「論」の形で……。絶対に面白いはずである。
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清水市代さんを取材。


 今日は、女流棋士の清水市代さんを取材。

 清水さんは、いうまでもなく、女流棋士の頂点を極めた方。主要4タイトル全制覇の「四冠」を達成し、4タイトルそれぞれの「クイーン」(永世位)称号を得て、女流初の「六段」にもなった。
 一時期タイトルを次々と失い「一冠」となった(もちろんそれでもスゴイのだけど)が、先月末に中井広恵棋士を破って、見事女流三冠に復帰した。

 私は将棋にはとくにくわしくないのだが、清水さん個人のファンである。4年前に初めて取材して一発でファンになってしまった。はっきりいってもろ好み、ストライク・ゾーンど真ん中である。

 清水さんは、「女流棋士界の松たか子」とも呼ばれている。そのことについて、「そりゃあちょっとホメすぎだろう」という声をネット上で見かけたが、んなこたぁないぞ。私に言わせれば松たか子よりも素敵である。率直に申し上げて、清水さんは写真写りがあまりよろしくない。実物のほうがずーっときれいだ。

 ルックスのみならず、女性としてじつにチャーミング。清楚で控えめで礼儀正しく、居住まいに凛としたさわやかさがあって、芯が強そうで……。なんかこう、「江戸時代の武家の娘」みたいな人なのだ。
 可憐な容姿と、内に秘めた「勝負師」としての情熱――そのギャップがたまらないのである。

 清水さんの趣味は茶道、愛読書は剣豪小説だそうである。ううむ、いかにも似つかわしい。
 
 取材を通して会いたい人に会える(場合が多い)のが、我々ライターの数少ない「特権」である。「ああ、ライターやっててよかったなあ」と、こういう日には思う。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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