糸井重里・矢野顕子コンビの名曲群

 えーと、妻子は映画版『あたしンち』を観に行きました。私は1人で仕事。べつに『あたしンち』は観たくないけど。

 でも、この映画の主題歌を矢野顕子が歌ってるんですよね。その曲のシングルCDのB面…じゃないC/Wに「いいこ いいこ」が収録されていて、これは超・名曲です。

 「詞・糸井重里、曲・アッコちゃん」というコンビが生んだ名曲の一つで、『LOVE LIFE』という91年のアルバムに入っていました。

 「たまにね ほんとに たまにね
 おかあさんも ほめられたい
 さくらの季節に いちどだけとか
 そのくらい たまにでいいんだ
 いいこ いいこ いいこ いいこ」

 パット・メセニーのギター(これがまた素晴らしいんだ)をバックに歌われる、ボサノヴァ風の優しい曲。育児中の女性が聴いたら、もう泣けちゃいますよ。

 映画の中でも使われてるのかな? 『あたしンち』の世界にピッタリな曲ではあるけど。

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 糸井重里と矢野顕子がコンビを組んで曲を作り始めたのは、1981年のアルバム『ただいま。』からである。
 カネボウのCMソングに使われ、矢野顕子最大のヒット曲となった「春咲小紅」(『ただいま。』収録)も、このコンビの最初期の傑作だ。

 以来、アッコちゃんの新作アルバムにはしばしば、糸井との競作曲が1~2曲程度収められるようになった。

 それらの曲が、もうとてつもない名曲揃いである。駄作・凡作は皆無に近い。糸井・矢野コンビの作品だけで聴き応えあるベストアルバムが作れるくらいだ。

 ポップス史上に残る作詞作曲の名コンビというと、ハル・デヴィッドとバート・バカラック、バーニー・トーピンとエルトン・ジョンなどが思い浮かぶが、糸井・矢野コンビは、それらに匹敵する黄金コンビではないだろうか。

 要するに、2人はものすごく相性がいいのだ。
 かなりアヴァンギャルドなところもある矢野顕子の才能を、先鋭さを削ぐことなく、それでいてポップにわかりやすく「昇華」させる触媒としての役割を、糸井の詞は果たしている。

 このコンビによる、「いいこ いいこ」以外の傑作は、たとえば……。

「おいしい生活」/西武百貨店のCMソングとして作られた曲。「たたみいわし ひざまくら」「耳そうじ 新しいシャツ」などと「気持ちのいいこと」をただ列挙していくだけの詞なのに、心地よい幸福感に満ちている(『愛がなくちゃね』収録)

「クリームシチュー」/これもシチューのCMソング。「ポップスの王道を行く」という趣の名曲。矢野顕子がその気になれば、このように万人向けのポップな曲も作れるのだ。槙原敬之のアレンジも素晴らしい(『Oui Oui』収録)

「自転車でおいで」/佐野元春とのデュエットによる名曲(『グラノーラ』収録)

「赤ちゃんのおしり」/パンパースのCMソング。歌詞の中にも「パンパース」という言葉が出てくる。むっちゃカワイイ曲(『オン・エア』収録)

「どんなときも どんなときも どんなときも」/極上のラブソング。「すこしだけ 君は僕のもの」という歌詞のリフレインは、愛する者のすべてを独占しようとするラブソングがはらむ傲慢さへのアンチテーゼである(『愛がなくちゃね』収録)

「夢のヒヨコ」/テレビの「ポンキッキーズ」で使われた曲。子どものもつ無限の可能性を歌い上げたキュートな名曲(『エレファント・ホテル』収録)

「サヨナラ」/矢野顕子節ともいうべきメロディーが素晴らしい、切ないラブソング(『エレファント・ホテル』収録)

「にぎりめしとえりまき」/不気味さとかわいさと幻想味を併せ持ったわらベ歌の魅力を、現代に見事よみがえらせた傑作(『エレファント・ホテル』収録)

「しんぱいなうんどうかい」/運動会に参加する子どもと父兄の気持ちを、二つながら見事に表現した曲。「みんなのうた」を思わせるメロディとジャズ色の濃いアレンジが、違和感なく融合している。誰にも真似できない鉄壁の個性をもつ曲(『ウェルカム・バック』収録)

「スナオになりたい。」/甘くけだるいストリングス・アレンジなど、矢野顕子には珍しくAORっぽい雰囲気を漂わせる「オトナのラブソング」(『LOVE LIFE』収録)

 ……ああ、きりがない。このように名曲揃いなのである。
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『阿修羅のごとく』

阿修羅のごとくの画像

 言わずと知れた、向田邦子脚本の名作テレビドラマの映画化である。

 向田作品のうち、小説なら『思い出トランプ』、エッセイなら『父の詫び状』、ドラマならこの『阿修羅のごとく』が最高傑作であるとは、衆目の一致するところ(『あ・うん』もいいけど)。

 私も、ドラマ版『阿修羅のごとく』は大好きで、新潮文庫で出ていた脚本も何度となく読み返したものだ。
 その私が見ても、この映画版は素晴らしい。「ドラマを超えた」と言いきってしまおう。

 森田芳光監督/筒井ともみ脚本といえば、あの『それから』(1985)のコンビである。
 漱石の原作を〝スカしたオシャレ映画〟にしてしまったあの作品が、私はどうも好きになれない。『阿修羅のごとく』をあんなふうにいじられたらイヤだなあと、半ば心配しながら観に行った。

 しかし、今回は脚本・演出とも文句なし。
 基本的にはドラマ版のストーリーをなぞっているのだが、ドラマ版よりもずっと「笑い」の要素が強い。ほとんど喜劇といってもよいくらい、随所に笑える場面が用意されている。それも、コメディというよりは「喜劇」、コミカルというよりは「滑稽味」と表現したい、品のよい落ちついた笑いなのだ。

 ドラマ版はもっとドロドロした印象の作品で、だからこそ『阿修羅のごとく』だったのだけれど、この映画はずっとほのぼのとして軽快である。

 その差は要するに、ドラマが放映された昭和といまの「時代の差」だろう。
 ストーリーの核を成すのは70過ぎの父親の愛人発覚騒動であり、そこに4人姉妹の長女の愛人関係発覚、次女の夫の浮気(せっかく黒木瞳が妻だというのに、木村佳乃を愛人にする。豪気な話である)などという事件がからんでくるのだが、いまどきの世相の中では、それらはもはや衝撃的な「事件」ではないのだろう。

 だからこそ、森田・筒井コンビは「笑い」を映画の駆動力にした。しかし、心地よく笑いつづけて観客が運ばれていく先には、誰もが泣かずにはおれない感動のクライマックスが用意されている。気持ちよく笑って、最後に気持ちよく泣ける映画。後味もすこぶるあたたかい。

 「才気とセンスの人」森田芳光は、ふだんはもっと奇矯な才気走った演出で観客を驚かす人だと思う。だが、この作品では自らのとんがった資質をあえて〝つや消し〟し、抑制の効いた落ちついた演出で、古き佳き日本映画を彷彿とさせる作品に仕上げている。

 この映画の美点は数多いが、その一つはキャスティングの妙である。
 4人姉妹を演ずる大竹しのぶ・黒木瞳・深津絵里・深田恭子、母親役の八千草薫、父親役の仲代達矢、黒木の夫役の小林薫など、どのキャスティングも、観たあとでは「この人しかいない!」と膝を打ちたくなる絶妙のハマリ役ばかりである

 ドラマ版を観ていた人たちの間では「ほかの3人はともかく、四女役のフカキョンはちょっとないよなー」という意見が多いようだ。
 気持ちはわかる。でも、じっさいに観てみると違和感はまったくないのだ。
 私はふだん、フカキョンのような小娘にはまったく興味がない。また、大竹しのぶと桃井かおりの火花散る演技合戦もあるこの映画の中では、彼女の演技はやや見劣りがする。しかしそれでも、フカキョンの四女役もズバリのハマリ役だと、私には思えたのである。

 唯一の難点は、三女役・深津絵里の恋人を演ずる中村獅童のオーヴァーアクト。鼻について仕方なかった。監督、なんでこんなわざとらしい演技させたの?

 平日昼間だったせいか、映画館の観客は推定40~50代の主婦層が中心。ま、たしかに10代・20代の若者にはよさがわかりにくい映画だろう。30代以上のオトナのあなた、とくに既婚者にオススメ(「夫婦のありよう」がテーマの一つだから)。

 あ、それから、エンディング・テーマ曲(劇伴にも)にブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」が使われていたのは、ちょっとビックリ。
 テレビ版『阿修羅のごとく』は、音楽・選曲のセンスが斬新で素晴らしかった。たとえば、妻が夫の浮気を知った衝撃を表現するため、突然リッチー・ブラックモアズ・レインボウのバリバリのハードロックの一節を挿入したりしていたのである。

 この映画版、音楽はやや凡庸だったけれど、エンディング・テーマの大胆な選曲だけはドラマ版に拮抗し得るものだ。
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ヒトの適応能力の秘密

 えーと、少し前に日記に書いた原因不明の食欲不振ですが、いつの間にか治っていました。いまはふつうにモリモリ食べています。ご心配くださっている方もいるかと思うので(い…いない?)、いちおう書きとめておきます。

 1日1食で平気、しかもごはんは1杯がやっとという状態が1ヶ月近くつづいたのに、けっきょく体重は4キロ減っただけ。そこでピタリと減りが止まってしまった。

 つまり、「1日1食でもやっていける態勢」を、私の身体が急速に整えてしまったのだろう。人の身体の適応能力というのは、じつにすごいものである。
 もっとも、この能力があるからこそ、ダイエットの「リバウンド」が起こるのだけれど。

 「適応能力」ということを考えるときにいつも思い出すのは、生命科学者の吉川泰弘さん(東大教授)を取材した際にうかがった、次のような印象深い話である。

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 カエルの目玉を左右逆に付け替える実験をすると、そのカエルはそれから死ぬまで、自力で虫を捕まえることができなくなってしまうという。虫が自分の左側を飛んでいても右側に舌を伸ばすようになってしまうのだ。

 しかし、人間に左右の逆転した「プリズム眼鏡」をかけさせると、1週間もしないうちに視界の逆転に適応してしまうという。

 そのように、ヒトが他の生物に比べて際立った適応能力をもったのは、ヒトが「ネオテニー(幼形成熟)型」の生物であるためだ。

 我々成人の外見は、チンパンジーなどでいったら赤ん坊の外見に近い。見た目は幼形のまま、我々は性的にも成熟するのである。

 自然界における生き残りを考えたら、幼形成熟は非常に危険だ。
 たとえば、馬の子は生まれてすぐに立ち上がって歩くことができるから、生まれた直後でも敵から逃げることができる。しかし、人間の4歳児をサバンナに放り出したら、その日のうちに確実に死ぬであろう。

 その危険と引き換えに我々人間が何を得たかといえば、脳や神経系の際立った柔軟性・可塑性である。
 幼形成熟の生物は、外界に対する適応能力が高い。未熟であるからこそ、いくらでも「あとからプログラムを組み直す」余地があるからだ。
 
 ヒトという種は、幼形成熟という〝生き残り戦略〟を選んだがために、危険と引き換えにずば抜けた適応能力を得た。そのことこそが、我々ヒトを地球文明の覇者たらしめたのである。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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