13星座占星術はどこへ?


 じつを言うと、私は星占いの本のゴーストライターをやったことがある。それも2度も。だから、信じてはいないけどわりとくわしいのだ。

 だいたい、星占いなんてものすごくいいかげんなもんである。
 「天秤座の人はバランス感覚が優れている」(天秤だから?)とか、「乙女座は潔癖」(乙女だから?)とか、「双子座は二面性がある」(双子だから?)とか、星座別の性格判断なんて人をナメてるとしか思えないし。

 「同じ日に生まれた人が、同じ運命をたどらないのはなぜ?」という当然の疑問に対して、占星術の専門家はよく「それは、出生地などのほかの要素のちがいが影響するのだ」と言いわけする。でも、それなら星占いじゃなくて「出生地占い」じゃん。星の配置より出生地のほうが影響力大きいことになるんだから。

 そもそも、子どもの出生日なんて産婦人科医の気持ち一つで微妙に変わるわけで、「(陣痛)促進剤打って今日出しちゃいましょう」とか言われて出産早めたら、その子の運命変わっちゃうわけ? 同じ生命なのに? んなアホな。

 星占いを厳密にやるとしたら、出生日ではなく「受精日」で占うべきだね。これなら陣痛促進剤で運命変えられずに済む。

 ……などとイチャモンをつけるのも、ま、野暮な話である。たいていの人は、科学的根拠なんかないのは承知の上で楽しんでるのだから。

 ちなみに、私がゴーストで書いた星占いの本のうち1冊は、「13星座占星術」の本だった。
 覚えてますか? 「いままでの12星座占いは間違っていた!」という触れこみで、97年ごろに少し流行ったヤツ。
 さそり座といて座の間に「へびつかい座」を割り込ませるもので、そのせいでさそり座の期間はわずか1週間になってしまうという、珍妙な星占いであった。

 私はけっこう一生懸命その本を書いたのだけれど、13星座占星術はけっきょく定着せずに消えてしまった。なんだったんだろ、あれ。
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日本人に肩こりが多いわけ

 日本は、国民の8割が肩こりを感じている(厚労省調べ)という「肩こり大国」である。それに対し、諸外国には「肩こり」にあたる言葉すらない国が多く、肩こりに悩んでいる人もほとんどいない(らしい)のである。

 「肩こりは……(約5秒の間)……日本人にしかない」
 へえ、へえ、へえ、へえ。

 だから、アメリカ映画やフランス映画で、肩叩きや肩もみをしてやる場面にはほとんどお目にかからない。
 私が知っている唯一の例外は、マーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』という映画。これにはアメリカ映画のくせに、「疲れたろう」とか言って肩をもんでやる場面が出てくる。

 ではなぜ、諸外国にはほとんどない(らしい)肩こりが、日本人にはこれほど多いのか?
 一つの説として言われているのは、「日本人は肩という部位になぜか強いこだわりをもっており、肩を意識しすぎるから、それが肩こりとなって現れる」というもの。

 たとえば、日常使われている慣用句の中に、肩にまつわるものが非常に多い。「肩を並べる」「肩肘を張る」「肩の荷がおりる」「肩を落とす」「肩をもつ」などなど。
 しかも特徴的なことは、マイナスイメージの言葉が多いということだ。あたかも、日本人にとって肩は、人間関係の緊張など負の感情が表れるところだ、とでもいうように……。

 そうした肩へのネガティブなこだわりが、肩こりとなって現れるのではないか、というのである。つまり、「病は気から」は肩こりについても言えるらしいのだ。

 ではなぜ、日本人はそんなに肩にこだわるようになったか? その淵源は、仏教説話にあったと考えられる。

 仏教説話に、人の肩に宿る神の話がある。人の誕生と「倶(とも)に生ずる」ため、「倶生神(くしょうじん)」と呼ばれる。

 生まれたときから両肩にそれぞれ小さな神様が載っていて、その人間がやったよい行い・悪い行いを克明に記録していく。そして、倶生神はその記録を、死後に閻魔大王に報告するのだという。

 倶生神のうち、右肩に載っているのは女神で、その人の悪業を記録する係。左肩に乗っているのは男神で、善業を記録する係だとか(異説もある)。

 たしかに、こんな説話を聞かされて育った日には、肩にのしかかる重荷を意識せずにはおれまい。いまどきの日本人は倶生神なんてほとんど知らないだろうが、心の隅に名残があるのだろう。

 もっとも、仏教説話が元なのだとしたら、インドや中国、韓国の肩こり事情はどうなのかという疑問も湧く。そのへんの考察は私の手に余るので、誰か知っていたら教えてください。
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ムカデに刺されたこと、あります?

 下の子が「ねえ、アリジゴクってなあに?」と聞いてきたので、絵を描いて説明していたら、妻が「なにそれ?」とけげんな顔をした。

「アリジゴクだよ。見たことないの?」
「ないよ」

 念のために書くと、アリジゴクはウスバカゲロウの幼虫。日の当たらない砂地に落とし穴のような巣を作り、そこにアリが落ちてくるのをじっと待っている。
 私の田舎ではすぐに見つけることができた(30年近く前の話)。アリをつかまえてわざわざアリジゴクの巣に入れ、食べられるさまを観察したりしたものだ(ザンコク~)。

 大阪市内、それも環状線の内側で生まれ育った妻は、私に比べて自然体験がものすごく貧弱だ。
 なんと、蜂に刺されたことすらないのだという。なにやらカワイソウな気がしてくるから不思議である。

 私なんか、蜂に刺されたことなんて数えきれないし、蜂の巣をとってきて中の蜂の仔をバターで炒めて食べたりもしたし、ムカデに刺された(噛まれた)ことだってある。「ビリビリッ!」と電流に触れたような痛みが走った。蜂に刺されたときの何倍も痛い。

 こういうのは、いまでは貴重な体験の部類に入るのだろうか?
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印税というボーナス

 わーい♪ 久々にまとまった印税が入ったぁ!
 こんな場でハシタナイとは思いつつ、うれしいのでつい書いてしまう。

 私は、雑誌の仕事の原稿料で生活費は確保し、その合間にやる単行本(おもにゴースト)の仕事でプラスアルファを稼ぎ出す、というスタイルで仕事をしている。単行本の仕事のみに絞ってしまうと、生活の安定という点でリスクが大きすぎるからである。

 雑誌の場合、廃刊にでもならないかぎりは決まったサイクルで発行され、決まった日に原稿料が入る。「この仕事の原稿料はいつ振り込まれるな」ということがはっきりわかるのだ。

 それに対し、単行本は発刊予定そのものがしばしば流動的で、発刊からギャランティが入るまでの期間も出版社によってまちまちである。

 ギャラの支払いは発刊数ヶ月後、という版元も少なくない。
 出版社側に利益が還元されるのが数ヶ月後なので、それを待ってギャラを支払うためだという。
 通常は発刊1ヶ月後くらいにギャラや印税を支払うケースが多いのだが、その場合、じつは版元はその単行本からの利益を得ないまま、書き手に「前払い」しているのである。

 そのように、単行本の仕事は「それがいつお金になるのか」が読みにくい。ゆえに、毎月の生活費を単行本のギャラにすべて頼ってしまうと、不安定で非常にしんどいのである。

 単行本の仕事の場合、「印税契約」と「買い取り契約」がある。
 印税契約は周知のとおり、売れた分(発行された分)だけ「1冊いくら」で書き手の取り分が加算される契約。それに対し、買い取り契約とは、最初に規定の原稿料が支払われ、あとはいくら本が売れようが追加支払いなし、という契約である。

 印税契約のほうがオイシそうに思えるだろうが、じっさいはそうでもない。
 とくにいまは、出版不況で本の発行部数が総じて低めになっているし、増刷もかからない場合が多い。
「印税にします? 買い取りにします?」と聞かれてつい色気を出して印税契約を選んだものの、思ったように本が売れずに「買い取り契約にしておくんだった!」とほぞをかむことも多い。ほとんどギャンブルなのである。

 著者印税はふつう定価の10%が相場だが、ゴーストの仕事の場合、名義上の著者と印税も折半(6:4とか7:3になる場合も多い)だから、よほど部数が多くなければ、印税契約のうまみもない。

 そんなわけで、単行本の仕事が多い私ではあるが、まとまった印税が入るのはホントに久しぶりなのである。

 印税がドカンと(しつこく強調しすぎ)入ると、「ああ、サラリーマンがボーナスをもらうときの気持ちってこんな感じなのだろうなあ」と思う。じつは私は、本物のボーナスをもらった経験がないのだ(編プロにいたときはバイト扱いだったし)。

 さらにいえば、原稿料だけで生活することは、サラリーマン家庭にボーナスがないようなものなのである。
 こう表現すると、カタギの会社員のみなさんにもしんどさが伝わるでしょ(笑)。
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猪口孝『日本政治の特異と普遍』

 猪口孝著『日本政治の特異と普遍』(NTT出版/3000円)読了。

 英文雑誌に寄せた学術論文数本を、邦訳して編んだもの。いささか難解だが、書評の仕事のため、眉根にシワ寄せつつ読む。

 現代日本政治の原型というと、明治政府の発足、あるいは戦後の「55年体制」のスタートに求める人が多い。それに対して、著者はさらに遡り、江戸時代にすでに原型が生まれていたととらえる。すなわち、「徳川官僚制」こそが現代の官僚制の起源なのだと。
 この視点に、本書の独創性がある。〝何が日本政治の特徴を決定づけたのか?〟の分析が、過去数十年ではなく、数世紀という長い射程のなかでなされているのだ。

 「日本型政治」「日本型民主主義」といった言い方がしばしばなされる。では、日本はほんとうに政治的に特異な国なのか? 違うとすればどのような点が先進諸外国と違い、また、どんな点がじつは違わない普遍的なものなのか? 
 著者はそうした問いに、先入見を排し、さまざまな実証的データを駆使して答えていく。

 中世・江戸時代・明治時代などと現代政治を比べるタテ(時間軸)の比較、欧米先進諸国やアジア各国の政治と日本政治を比べるヨコ(空間軸)の比較が、さまざまな角度からなされる。その作業を通して、〝日本政治なるもの〟の相貌がくっきりと浮き彫りにされる。

 江戸時代とそれ以前の日本史についての記述が、とくに面白かった。たとえば――。

「一六世紀半ばから日本の絶対主義がつまづくと、これに代わって分散化した半封建的な、高度の官僚制をもつ徳川政権が登場した。そこでは集権主義的な名誉の追求が要求された。武士の個人主義は武装解除した武士兼官僚の集産主義に取って代わられたのである」

「へえ、政治学者の目には歴史がこんなふうに映るのか」という軽い驚きがある。

 海外の知識層に向けてなされた日本政治の分析だが、日本人にとってもすこぶる示唆に富む。「灯台下暗し」で我々自身には見えにくい日本政治の特色を、鏡に映すように教えてくれる一書である。
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我が青春のYMO


音楽誌が書かないJポップ批評 (30) YMO &アーリー80's大全 (別冊宝島 885)音楽誌が書かないJポップ批評 (30) YMO &アーリー80's大全 (別冊宝島 885)
(2003/09)
不明

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 別冊宝島885『YMO&アーリー80’s大全』(宝島社/1400円)を購入。
 おなじみ、「音楽誌が書かないJポップ批評」の最新刊。今年結成25周年、「散開」(解散に非ず)から20年の佳節を迎えたYMO――イエロー・マジック・オーケストラの大特集である。

 最近の別冊宝島にはまったく食指が動かない私だが、これは「買い」だ。非常によくできている。

 1980年代前半といえば、私にとっては10代後半。まさに〝青春〟にあたる。なかんずく、当時の私がいちばん夢中になっていたのがYMOだから、このムックはもう、私にとっては涙が出るくらい懐かしい1冊である。

 ヴァージョン違いも含めて全公式曲を詳細に解説した「YMO全曲解説」、メンバー3人のアーティスト像に多角的に迫る「メンバー・プロファイリング」、YMO周辺文化のグラフィティ「アーリー80’s YMO文化曼荼羅」など、どのコーナーもすこぶるていねいな作り。

 宝島社(当時はJICC出版局)は1980年代サブカルチャー・シーンを牽引した出版社でもあるから、これは同社がやるべくしてやった企画であり、非常にリキが入っている。

 ただし、最近になって追体験でYMOを聴き始めたという若いファンにとっては、なんのことやらさっぱりわからない記述がテンコ盛りだろう。これは、YMOをリアルタイムで体験した我々世代のための、思いきりノスタルジックな1冊である。

 私は、YMOのレコード(当時はまだCDが普及していなかった)はもちろん全部買ったし、『OMIYAGE』も『SEALED』も買った。キョージュがDJをつとめる火曜日の「サウンド・ストリート」は欠かさず聴いたし、私の田舎ではなぜか市民会館で上映された『プロパガンダ』も観に行った。「散開」ライヴを観に行けなかったことが、いまも悔いの残る痛恨事である。

 え? なんのことやらさっぱりわからない?
 そういう人には、このムックはオススメできない。が、「あ~、私もサンスト聴いてたよ~!」という人なら、絶対オススメ!
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『ピヤノアキコ。』

ピヤノアキコ。~the best of solo piano songs~ (SACD-Hybrid)ピヤノアキコ。~the best of solo piano songs~ (SACD-Hybrid)
(2003/10/01)
矢野顕子

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 私は矢野顕子のファンである。

 まず女性として好きだ。全身から醸し出す、やわらかい、あったかい雰囲気がなんとも素敵。
 「癒し系」と呼ばれる女性タレント/文化人にはとかく弱々しさがつきまとうが、矢野顕子は「癒し系」的ふんわり感とたくましさを併せ持った稀有な女性だ。
 強くたくましい「自立した女」なのに、男に対して肩肘張るようなピリピリ感がかけらもないのである。

 そして私は、「ピアニストとしての矢野顕子」のファンである。シンガーとしてよりも、ソングライターとしてよりも。もちろん、彼女の作る曲も歌声も好きではあるけれど、何よりもまず彼女の弾くピアノが大好きなのだ。

 私自身はピアノが弾けないので技術的なことはわからないのだが、あれほど切なく清冽で、しかも温かいピアノの弾ける人は、どこの世界にも(クラシックやジャズの世界にも)いないと思っている。

 矢野顕子がこれまで3作出しているピアノ弾き語りカヴァー集(『SUPER FOLK SONG』『PIANO NIGHTLY』『Home Girl Journey』)は、その素晴らしいピアノが堪能できるという一点で、いずれも私のフェイバリット・アルバムとなっている。

 その3作から選んだベスト盤『ピヤノアキコ。~the best of solo piano songs~』が、先ごろ発売された。

 買おうかどうしようか迷う。
 もちろん私はシリーズ3作をすでにもっているのだが、今回のベストには初収録のボーナス・トラックが3曲も入っているのである。

 ちなみにその3曲とは、名曲「電話線」と、くるりの「ばらの花」の弾き語りカヴァー(以上新録音)、そして、未発表ライヴ音源の「あしたてんきになれ~雨ふり~相合傘」のメドレーである。
 うーん、3曲のために3千円。1曲千円かぁ。どうしよう(「ファンなら買わんかい!」って感じですね)。

 ついでに言うと、このベストの選曲は私には納得いかないなあ。

1.中央線
2.在広東少年
3.しようよ
4.SUPER FOLK SONG
5.恋は桃色
6.NEW SONG
7.椰子の実
8.雷が鳴る前に
9.さようなら
10.愛について
11.HOW CAN I BE SURE
12.ニットキャップマン
13.PRAYER

 ……こういう選曲なんだけど、私がこの3枚からベストを作るとすれば、下のような感じになる。

1.星の王子さま
2.夏のまぼろし
3.虹がでたなら
4.フロッタージュ氏の怪物狩り
5.DADDY’S BABY
6.突然の贈り物
7.会いたい気持ち
8.赤いクーペ
9.海辺のワインディング・ロード
10.雷が鳴る前に
11.さすらい
12.夏が終わる
13.MORE AND MORE AMOR
14.中央線
15.遠い町で
16.Photograph

 ……ごらんのとおり、たった2曲しか重なっていないのだ。
 今回のベストがアッコちゃん本人の選曲なのだとしたら、ファンとしてはこの「ズレ」がちと寂しい。

 ま、なんにせよ、アッコちゃんのピアノ弾き語りシリーズが1人でも多くの耳に触れることは、慶賀にたえない。

 ピアノ弾き語りシリーズもまた出してほしいけれど、私がぜひとも聴いてみたいのは、アッコちゃんが弾くサティやラヴェルやドビュッシーである(絶対いいはず。歌なしのオリジナル曲だった『Home Girl Journey』のタイトル・ナンバーは、ほとんどドビュッシーだったし)。
 「矢野顕子が弾くフランス印象派ピアノ小品集」みたいなのを作ってくれないものだろうか。


●追記(2004年9月)
 やっと買いました。
 いやあ、買ってよかった。未発表の3曲だけで、ヘタなアルバム1枚分の価値は十分ある。それくらいスゴイ。

 3曲それぞれに聴きごたえがある。
 「ばらの花」は、原曲とは似ても似つかないアレンジだが、それでいて、くるりの曲のコアの部分はきちんと移植されている感じ。くるりファンは拒絶反応を示すかもしれないが、私は気に入った。

 未発表ライヴ音源は、彼女がソロ・デビューした年である1976年の録音。若き日の矢野顕子の才気がほとばしるような演奏だ。途中、「あー、キーが違っちゃった。ハハハ。失敗失敗」と言ってあっけらかんと歌い直すところが面白い。
 そういえば、以前私が観たライヴでも、音を間違えて「もとい」と言って弾き直したことがあったっけ。

 圧巻は、「電話線」の新録。
 矢野顕子のファースト・アルバム『ジャパニーズ・ガール』に入っていた名曲の再演だが、ピアノ弾き語りスタイルでのCD化はこれが初めてだ。
 若き日の中上健次は「吹きこぼれるように、物を書きたい」と言ったが、この曲での矢野顕子は、鍵盤を叩く指先から音が吹きこぼれるように、水があふれ出すように音を紡いでいる。まるで、ラヴェルの「水の戯れ」にターボをかけたような曲。素晴らしい。
 そして、きらめきはじけるピアノの音と並走する、自由奔放なヴォーカル。矢野顕子の天才性が、これほど如実にあらわれた曲はほかにない。

 ところで、私は『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子のマンガ)を読むたびに、ヒロイン「のだめ」こと野田恵に若き日の矢野顕子がダブって見えるのだが、どうだろう?  
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元ちとせ『ノマド・ソウル』

ノマド・ソウル (SACD-Hybrid) (通常盤)ノマド・ソウル (SACD-Hybrid) (通常盤)
(2003/09/03)
元ちとせ

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 元ちとせのセカンド・アルバム『ノマド・ソウル』(エピック/3059円)を購入。

 前作の「ワダツミの木」「ハイヌミカゼ」を凌駕する抜きん出た曲が見当たらない気もするが、アルバムとしての完成度はこっちのほうが上。期待を裏切らない力作である。

 とりわけ素晴らしいのは、オープニングの「トライアングル」から2曲目の「音色七色」にかけてのシークェンス。私はこの2曲だけを何度もリピートして聴いている。

 「トライアングル」は、ほとんどピアノとベースだけで構成された静謐なるバラード。ジャコ・パストリアスの「トレイシーの肖像」(ベース・ソロで〝歌ってみせた〟傑作)とサティの「ジムノペディ」を融合させたようなホーリーなサウンドの上を、ささやくようなヴォーカルが浮遊する。
 つづく「音色七色」は一転してカラフルにはじけるポップ・チューン。この、静から動への鮮やかな転換が絶品。背筋がゾクゾクとする。

 「トライアングル」は、「ワダツミの木」の作者でもある上田現(元レピッシュ)の作品。「音色七色」は間宮工作曲。ほかの曲を見ても、上田と間宮の曲はどれも素晴らしい。

 ユーミンが元ちとせのために書き下ろした「ウルガの森」や、あがた森魚のカヴァー「百合コレクション」もいい。とくに「百合コレクション」は、ウッドベースとアコーディオンの音色が印象的で、これまでになく大人っぽい元ちとせが味わえる。

 ただ、同じ事務所の先輩でもある山崎まさよしが前作につづいて曲を提供しているのだが、これがあまりよくない。
 思うに、元ちとせと山崎は相性が〝よすぎる〟のだろう。素朴と素朴が掛け合わされても素朴なものしか生まれない。上田現のように先鋭的な個性をもったソングライターとコンビを組んでこそ、「素朴×先鋭」の異種交配となって創造性の火花が散るのだ。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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