『ハンテッド』

ハンテッドの画像

 『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』の巨匠ウィリアム・フリードキンの新作『ハンテッド』を観てきた。
 
 2日前に封切られたばかりだというのに、劇場の入りはまばら。まあ、たしかにおよそカップル向けの映画ではないし、トミー・リー・ジョーンズとベニチオ・デル・トロが主演というキャストも地味だから、無理からぬところ。しかし、映画の中身は十分合格点を与えられる佳編であった。

 「特殊部隊の殺人マシーンVS奴を育て上げた男。」――ポスターに刷りこまれたそんな惹句を見て、「お、これは観なければいかん!」と思ってしまった。この手の「プロ対プロの息づまる対決」の物語に、私は弱い。映画でいえば『ジャッカルの日』およびそのリメイクである『ジャッカル』。劇画でいうと『ゴルゴ13』『パイナップルARMY』などなど…。

 トミー・リー・ジョーンズ演ずる主人公L.T.は野生動物保護官。だが、彼はかつて米特殊部隊の教官として、殺人術とサバイバル術を兵士たちに教えてきたという過去をもっていた。
 ある日、彼のもとへ、かつての仲間であるFBI捜査官が訪ねてくる。「力を貸して欲しい」と…。
 「オレはもう引退したんだ」と一度はことわるL.T.だが、話を聞いて引き受ける決意をする。かつての教え子である特殊部隊のエリート隊員アーロン・ハラム(ベニチオ・デル・トロ)が、阿鼻地獄と化したコソボの戦場での任務で精神に異常をきたし、罪もないハンターを惨殺する事件を起こしたのだった。このままでは、ハラムはその能力の限りを尽くして人を殺しつづけるであろう。その前に、自分の手で奴を殺さねば…。

 かくして、殺人術を極めた者同士の対決が幕を開ける。森の中、市街地、電車の中などと次々と舞台を変えて死闘はつづく。そして、最後に生き残るのは――?

 似たような趣向の映画であった『ジャッカル』は、リチャード・ギア対ブルース・ウィリスというスターの取り合わせでド派手なアクション巨編に仕上がっていた。しかし、この『ハンテッド』はさまざまな面で『ジャッカル』より地味だ。銃対銃の対決のほうが映像的には派手なのに、あえてナイフ対ナイフの対決にしている点も地味。

 『ハンテッド』というタイトルが示すとおり、その対決は「狩り」のイメージで演出されている(たとえば、森の中で地面に顔をすりつけるようにして相手の痕跡を探す場面があったり)。類似作の多くが西武劇の決闘のイメージで演出されているのとは対照的だ。
 狩りなら、獲物を逃がさないためには音を立てずに近づかなければならない。だから、アクション場面にもどこか静謐なイメージがある。それを「なんかつまんない。アクションなのにスカッとしない」と感じる向きもあろうが、私はむしろそのシブさに好感を抱いた。上映時間が95分と短くまとまっている点も含め、よけいなものを削ぎ落としたシンプルな作りであり、そこがよい。

 主役2人は、師弟というより「父と子」のイメージで描かれている。ハラムは言う。「L.T、あんたはオレにとって父親みたいな存在だった」と…。ハラムは憎々しいだけの敵役ではなく、その姿には深い哀しみが漂う。彼にとって、L.T.を殺すことは「父殺し」でもあるのだ。

 凛とした女性FBI捜査官を演ずるコニー・ニールセンも「大人の女」って感じで「萌え」だし、トミー・リー・ジョーンズにもいぶし銀の魅力がある。ハラム役ベニチオは目つきが思いきりアブナくて、「壊れてしまった殺人マシーン」の役にピタリとハマッている。

 ラストのあっけなさが玉にキズ。もうひとひねり欲しかった。でもまあ、私の基準に照らせば、料金分は楽しめる佳作である。
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山上たつひこ『追憶の夜』


追憶の夜追憶の夜
(2003/04)
山上 たつひこ

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 作者の名前を伏せたままこの小説を読んだら、誰も山上たつひこの作品だとは思うまい。ギャグ・マンガ『がきデカ』で一世を風靡した山上が、なんとハードボイルド・ミステリに挑戦した新作、それがこの『追憶の夜』(マガジンハウス/1700円)である。

 山上がマンガ家から小説家に転身して、すでに10年以上が経過している。その間、コンスタントに作品は発表してきたものの、大ヒット作を出すには至っていなかった。
 かくいう私は、マンガ家山上たつひこのファンではあるが、小説家としての山上のファンにはなれずにいた。私がこれまでに読んだ山上の小説は、『兄弟! 尻が重い』という最初の短編集と、マンガ家時代の傑作『イボグリくん』(『イガグリくん』のフラチなパロディ)をノベライズした『太平』(文庫版では『それいけ太平!』に改題)の2冊だけだ。2冊とも、筒井康隆をもっとシュールにしたような不思議な味わいで、そこそこ面白いとは思ったものの、それ以上新作に食指が伸びなかった。 

 ではなぜこの『追憶の夜』を読んだかといえば、書評家の井家上隆幸さんが「原?“直系”的クラシック・ハードボイルド」と評していたからだ(『噂の眞相』2003年6月号)。ハードボイルド・ミステリが好きで、原?は好きな作家の1人である私としては、読まずにはおれないではないか。

 そして、『追憶の夜』は期待を上回る傑作であった。

 山上は「アサヒコム」のインタビューで、この作品について次のように述べている。

「ぼくの事実上のデビュー作だと思っています。720枚(引用者注/実際に刊行されたものは920枚)ほどのハードボイルド小説。犯罪が題材になっていますが、警察の捜査記録のようなまがまがしいものではなく、情報と取材成果のてんこ盛りでもなく、心理描写と情景描写の積み重ねによるサスペンスの構築を目指しました」

 小説家になってからはずっと「山上龍彦」名義で作品を発表してきた山上が、この作品ではマンガ家時代の「山上たつひこ」という表記に戻している。この点にも、「小説家としての事実上のデビュー作」という自信のほどが示されている。

 物語は、23年前に起きた残虐な児童誘拐殺人をめぐって進む。
 その事件の犯人の娘であるという過酷な運命を背負って生きる美しいヒロインが、主人公の私立探偵の前に現れる。“父親が殺人犯として死んでいったあと、母と私たちの生活を陰から支えつづけ、やがて去っていった一人の男を探してほしい。私にとっては父親のように思えたその人に、母の死を伝えたいから、と……。
 だが、その男を追ううちに、探偵は23年前の誘拐殺人に潜む「謎」に気づく。事件は単純な誘拐殺人ではなく、背後にはもう一つの恐るべき真実が隠されていた。その真実とは……。

 一口にハードボイルド・ミステリといっても、ミッキー・スピレーンの『裁くのは俺だ』のようなアクション中心の通俗ハードボイルドから、ロス・マクドナルドの『さむけ』のように社会の病巣をえぐる文学的香気に満ちたハードボイルドまで、幅広い。この『追憶の夜』は、原?というよりはロス・マク系。アクションやワイズクラック(気の利いた軽口)はぎりぎりまで削ぎ落とされ、現代社会の病巣が生んだ禍々しい悲劇としての犯罪が描かれる。
 帯の惹句には「愛と悲劇、罪と血にまみれた冥界を、人の死にゆく道を探偵はさまよう」とあるが、まさにそんな印象の小説。夜の闇のような重い雰囲気が全編をおおう。だが、ラストには「救い」があり、読後感は悪くない。

 ミステリに対する讃辞として「隙のない緻密な構成」という評言がよく用いられるが、この作品にはずいぶん隙がある。本筋と関係のない脇の登場人物が延々と死刑制度の是非について議論する場面とか、探偵とヒロインの妹が狂言について延々と語る場面とか、「これがないほうが構成が引き締まるのに…」と思わせる部分が少なくない。
 だが、そうした隙はこの作品の欠点ではなく、むしろ魅力になっている。ストーリー進行上はムダでしかないそうしたディテールが、読んでいてじつに面白いのだ。

 この作品は、一義的にはエンタテインメントだが、単純な娯楽作ではなく、かなりスペキュラティブ(思索的)である。23年前の誘拐殺人事件の報道を探偵が丹念に追うくだりでは、犯罪報道のあり方について考えさせられる。たとえば、こんなセリフがある。

「犯罪事件の報道はすべてそうですよ。紋切り型の論調で、通りいっぺんの報道をしたらそれでおしまい。本当に世に知らしむべきは大筋の狭間にあるのに肝心なその部分にはスポットを当てない」

 また、死刑制度の是非について読者にも思索を促す作品であり、なにより、犯罪という不条理について深く考えさせる。

「被害者の家族には、“なぜ私達の肉親が殺されねばならなかったのか”というやり場のない怒りがある。加害者の家族にも形を変えた怒りがある。“なぜ私達の肉親は人を殺し、私達をこのような境遇に追いやったのか”という石つぶてを受ける側の絶望である」

 ――被害者家族と加害者家族の怒りと絶望が交差した地点で起こるドラマが、この作品の核を成している(ネタバレになるのでくわしくは説明できない)。

 暴力シーンの連続で読者にカタルシスを与える通俗ハードボイルドの対極にある、重く深みのある知的なハードボイルド。作者がかつて『がきデカ』を生み出した人物であることはとりあえず忘れて、堪能していただきたい。やはり、山上たつひこの才能は本物だった。
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『嫌われ松子の一生』

  嫌われ松子の一生の画像

 山田宗樹著『嫌われ松子の一生』(幻冬舎/1600円)読了。

 主人公の大学生・川尻笙は、突然上京してきた父親から、30年以上前に失踪した叔母・松子が、何者かに殺されたことを知らされる。松子の存在すら知らなかった笙に、父親は松子が住んでいたアパートの後始末を頼むのだった。

 いやいやアパートに向かった笙は、そこに残された松子の若き日のポートレイトの美しさに驚く。父親は松子を「川尻家の面汚し」と呼び、その生涯について何も教えてくれない。興味を抱いた笙は、松子の人生を辿り始める。

 美貌と才知に恵まれ、若き中学教師として働いていた松子は、なぜ突然実家から失踪したのか? そして、53歳で一人暮らしのアパートで無惨な死体となって発見されるまでに、どんな人生を生きたのか? そして、松子を殺した犯人は誰なのか? それらの謎を追う広義のミステリーである。

 ミステリー作品としては荒削りな印象を受ける。たとえば、笙の前に松子を知る人物が次々と都合よく現れるあたり、話が出来すぎていて興ざめする。また、笙の人物造形がなんとも薄っぺらで探偵役としての魅力に欠けるし、彼と恋人とのやりとりもいかにも作り物めいている。
 だが、そうした瑕疵を補って余りあるほど、松子の人間像がていねいに描かれている。

 笙の追跡行(=現在)と、松子のモノローグで語られる彼女自身の生涯(=過去)が交互に登場する。運命の暗流に翻弄され、いくつもの悲劇を通り抜けながら、それでも小さな幸せを求めつづけた松子の孤独な人生の軌跡が、胸を打つ。

 たとえば――。
 殺人を犯して服役中、松子は「刑務所で美容師の資格が得られる」ことを知り、そこに一筋の希望の光を見出す。自分に結婚を申し込んでくれた唯一の男が、理容師だったからだ。そのくだりが切ない。

「無意味だと知りながら、夢想せずにはいられなかった。島津賢治と二人で、理容店を切り盛りしていく。美容師の資格を得た私は、女性客の開拓をしていく。(中略)馬鹿なことを考えるな。おまえの刑期を考えろ。仮釈放をもらえるとしても五、六年、島津がそんなに待つはずがない。(中略)
 わたしは、そう叫び続ける理性を、封じ込めた。
 夢でもいい。幻でもいい。どん底の掃きだめで見つけた、たった一片の生き甲斐、希望なのだ。しがみつこう。その先のことは考えない。ほかのことは考えない」

 「それを言っちゃあおしまいよ」的なことをあえて言えば、この作品をミステリーにする必要があったのだろうか? ストレートに松子の人生だけを描いたほうが、引き締まったよい作品になったのではないか。
 小池真理子の『恋』のような「濃厚な恋愛小説+ミステリー」になることを狙ったのだろうが、そうしたアクロバティックな作品を構築するには、この作者はまだ筆力不足だった。
 しかし、松子のモノローグ部分には捨てがたい迫力がある。その意味で、じつに惜しい作品だ。

 書名の下に書かれた英字タイトルは、
 “A woman who kept searching for love.(愛を探しつづけた女)”
 こちらのほうが内容を正確に言い当てている。もっとも、『嫌われ松子の一生』の強烈なインパクトも捨てがたいけれど…。
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子どもの言葉は面白い

 息子が突然こんなことを言った。

「パパとママがあんまりなかよくするとね、全身がシモヤケになるの」

 全身がシモヤケ? なんじゃそりゃ? しばし考えて「ボクはヤキモチが妬ける」という意味だとわかった。エディプス段階の子ども的表現。

 子どもの言葉はじつに面白い。上の子(娘)が小さかったころ、面白い言葉を使うたびにメモしていたものだ。

 鉄アタマ(「鉄腕アトム」の意)
 キムタくん(「キムタク」の意)
 テンカツもん(「洗濯物」の意)
 ウンコの赤ちゃん産んでくる(略)

 とか…。
 その名残で、我が家ではいまだにキムタクのことを「キムタくん」と呼んでいる(笑)。

 娘は小学4年なので、こういう言葉のまちがいをもうしなくなった。
 息子は5歳で、どんどん言葉を覚えている時期なので、その微妙なまちがいぶりが面白い。

「パパ、これビレヨ(ビデオ)録っといて」
「スパレキー(スバゲティー)食べたい」

 などという舌っ足らずな言葉づかいが絶妙のかわいさである(→親バカ)。

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アン・サリー『day dream』ほか

デイ・ドリームデイ・ドリーム
(2003/04/09)
アン・サリーAnn Sally

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 アメリカでノラ・ジョーンズのアルバムが大ヒットしたこともあってか、日本でもちょっとしたジャズ・ヴォーカル・ブームのようだ。

 日本では、1980年代初頭にも一度ジャズ・ヴォーカル・ブームがあって、中本マリ、金子晴美、阿川泰子、大野えりなどが一気に人気シンガーになった。

 当時10代だった私は、そのときのブームでジャズ・ヴォーカルというものの魅力に初めて触れた。ハスキーな声の本格派・中本マリよりも、エラ・フィッツジェラルドを思わせる明るさのある金子晴美がお気に入りだった。阿川泰子は、シロウト目にもヘタクソだと思った。

 今回のブームは、80年代初頭のそれよりもずっと百花繚乱の趣がある。
 パワフルな実力派・綾戸智絵、東大法学部卒の「癒し系」鈴木重子を筆頭に、個性豊かなシンガーが軒並みメジャー・ブレイクしている。TOKUのような男性ジャズ・シンガー(兼フリューゲルホーン奏者)が飛び出してきたことも、特筆に価する。

 私は、綾戸智絵は歌もうまいしエンターティナーとしても一流だと思うが(ライヴ盤のMCのなんと楽しいこと)、ゴスペル色が強すぎてあまり好みではない。
 鈴木重子は、ファンおよび本人には悪いが、シンガーとしては魅力を感じない(女性としては好みなのだけど)。

 で、私がいちばん気に入っているのが、アン・サリーである。
 
 アン・サリーは、これまでに3枚のアルバムを発表している日本のシンガー(ルーツは韓国)である。なんと、心臓内科医でもあるという。美しい女医さんのジャズ・ヴォーカル。なんか「萌え」である。

 ジャズといっても、アン・サリーのヴォーカルはかなりボサノヴァ寄り。パワフルに歌い上げる綾戸智絵のヴォーカルのちょうど対極にある、クールで理知的なヴォーカル。

 さる4月に2枚同時発売された新作『day dream』(BMGファンハウス/2700円)と『moon dance』(ビデオアーツ・ミュージック/2700円)では、ニューオリンズR&Bのアラン・トゥーサンの曲やトラディショナルなゴスペルも取り上げているのだが、彼女が歌うとアメリカ南部というよりはブラジルの空を思わせる仕上がりになる。

 ハイトーンの美しい声で、ヘンなひねりを利かせることなく、素直に歌っている。だが、そのシンプルな歌声の中に、彼女にしか出せない不思議な魅力がある。

 新作2枚のうち、私は、70年代J-POP(などという呼び名は当時なかったけれど)の隠れた名曲をいくつも取り上げた『day dream』のほうを断然気に入った。

 細野晴臣の初期のソロアルバム『トロピカル・ダンディ』に入っていた「三時の子守歌」、吉田美奈子の「レインボウ・シーライン」、佐野元春が当時の恋人・佐藤奈々子のために書いた「週末のハイウェイ」などというシブい曲を、アン・サリー流に消化して歌っている。
 とくに、「レインボウ・シーライン」の出来は絶品である。

 ボサノヴァっぽいギターを核にしたバックの演奏も、上品かつ抑制が効いていて素晴らしい。「ジャズかポップスか?」と二者択一的に聞かれればまぎれもないジャズなのだが、ふつうのジャズ・ヴォーカルとはかなり趣が違う。ジャズの上澄みだけをすくったような清涼感・透明感に満ちているのだ。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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