高浜寛『イエローバックス』



 「ヌーベルヴァーグ」ならぬ「ヌーベルまんが」。聞き慣れぬ言葉だが、日本在住のフランス人マンガ家、フレデリック・ボワレが提唱する「マンガの新しいスタイル」だという。
 「売り上げを重視した商業主義=出版社主体のマンガではなく、作家主義のマンガのこと」なのだそうだが、これだけではどうもよくわからない。

 売り上げ度外視で作家主義のマンガといえば、『ガロ』に載ってるマンガなんて全部そうじゃないか、という気もする。
 じゃあ、花輪和一やねこじるyなんかも「ヌーベルまんが」なわけ? もちろんそうではなく、“フランスのマンガ”である「BD(バンド・デシネ)」の影響下にある一群のマンガ家たちのうち、恋愛を主たるテーマにしている作家、具体的にはやまだないととか魚喃(なななん)キリコとかのオシャレで先鋭的な若手を指すのだろう。フランスっぽいから「ヌーベルまんが」なわけだ。ま、小説でいう「J文学」とか音楽でいう「渋谷系」みたいなあいまいな区分けではあろうが…。

 で、フレデリック・ボワレとともにその「ヌーベルまんが」の代表格と目されているらしいのが、高浜寛(たかはま・かん/ちなみに女性)である。
 高浜寛の第一短編集『イエローバックス』(青林堂/980円)を買ってきた。カバーに惹かれて買ったのだが、中身もとてもよかった。最初の作品集とは思えないほど、絵も語り口も完成されている。

 すごく安直な評言を使ってしまうと、まるでフランス映画のようなマンガである。映画的といえばこれほど映画的なマンガもほかにない。むしろ、「映画よりも映画的」と言いたいくらい。手塚治虫がマンガに映画的手法を持ちこんでから半世紀あまり。マンガ表現はここまで成熟した。

 映画監督の岩井俊二が、自作『スワロウテイル』を自分でマンガ化した不思議な本があったけれど、あんな感じ。また、やまだないとが往年の名作テレビドラマ『傷だらけの天使』を思い入れたっぷりにマンガ化していたけれど、あんな感じ、でもある。
 ただし、高浜寛の場合はあくまでフランス映画っぽい。物語の舞台は熊本・天草(作者の故郷)の田舎町であったりするのだが、それでも、印象としてはフランス映画に近い。

 おそらくどの作品もデジタルな画像処理を施しているのだろうが、その処理の仕方が抜群にうまい。なにより、光の表現が素晴らしい。木洩れ陽や窓越しの陽射しのような微妙な光の揺れまでも、デリケートに表現し得ている。そして、モノクロなのに、どのページも豊かな色彩を感じさせる。

 ストーリーは、この手のオシャレ系マンガには珍しく、ちゃんと起承転結のあるものが多い。つまり、雰囲気だけで読ませるマンガではないのだ。
 雰囲気重視のマンガは「捨てゴマ」(ストーリー展開上は必要ない、雰囲気のためのコマ)が多いものだけれど、高浜寛のマンガにはほとんど捨てゴマがない。彼女自身は「オシャレ系マンガ」に区分けされることに不快感をあらわにしているが、たしかに、ほかの「オシャレ系」とはやや異質である。

 ただ、起承転結があるとはいっても、一つのクライマックスに向けて物語を盛り上げていくような作りにはなっていない。むしろ、アンチクライマックス。これから物語が大きくうねっていきそう、というシーンで突然プツリと終わってしまったりする。

 収録された8つの短編はいずれも広義のラブストーリーだが、一つとして「普通のラブストーリー」はない。
 海を臨む断崖の前で「心中ごっこ」をするカップルを描いた「あそこに、美しい二つの太陽」、年老いた画商と画家の淡い“老いらくの恋”を描いた「最後の女たち」など…。
 『イエローバックス』とは江戸時代の滑稽本「黄表紙」を意識したタイトルだとのことだが、なるほど、どの短編にも哀しさすれすれの奇妙な滑稽味があふれている。

 高浜自身は「あそこに、美しい二つの太陽」をいちばん気に入っているそうだが、私は「最後の女たち」を最も評価する。老人同士の恋という地味この上ない題材を扱い、顔のシワやシミまでリアルに描いているにもかかわらず、作品そのものは美しく叙情的で、何度読み返しても飽きない。高浜寛が只者ではないことが、この一編だけからもわかる。
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藤原マキ『私の絵日記』

私の絵日記 (学研M文庫)私の絵日記 (学研M文庫)
(2003/01)
藤原 マキ

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 藤原マキさんが4年も前に亡くなっていたことを、最近初めて知った。

 藤原マキといってもほとんどの人はピンとこないだろうが、マンガ家・つげ義春夫人であるといえば、つげ作品にしばしば登場したオカッパ頭の女性を思い出す向きもあろう。

 つげ作品の多くは私小説に近いものだから、作中に登場する主人公のマンガ家の奥さんを藤原さんとイコールと考えてもよいはずだ。
 竹中直人がつげの代表作を映画化した『無能の人』では、風吹ジュンが彼女を演じていい味を出していた。また、藤原さん自身、唐十郎の劇団で活躍した元女優であり、かの「腰巻お仙」の初代ヒロインでもある。

 藤原さんは何冊かの著書・画集を遺したが、さきごろ、そのうちの1冊『私の絵日記』が文庫化された(学研M文庫/740円)。『毎日新聞』の書評欄でそのことが紹介されていて、その記事で藤原さんの逝去を知って驚いたしだい。

 この『私の絵日記』、タイトルどおり、つげ家の生活を藤原さん自身が絵と文で紹介していく「絵日記」である。絵も文章も、「画文集」というよりは「絵日記」という言葉がしっくりくる素朴なタッチ。絵は、つげ義春のそれにちょっと似ている。ただし、つげの絵をもっとヘタウマ風にした感じである。
 
 ほとんどマンガを描かないマンガ家であるつげの家庭だから、その暮らしぶりはきわめてつつましい。「あとがき」には次のようにある。

 正助(引用者注・息子さん)の幼い時の家族の生活記録を残したいと思い、8ミリで撮るとなると高価についてしまうので、うちは貧乏だし、ということで絵日記を思いついたのです。



 この絵日記に記録されているのは、ちょうどつげが不安神経症を発病した時期の出来事。貧しさのうえに病苦や夫婦ゲンカの様子がつぶさに綴られていくさまは、読んでいて切ない。

 だが、その切なさは、気が滅入るような暗さとはちがう。「オトウサンのズボンがほころびたのでつくろった。(中略)これでもう一年位もつだろう」などというわびしい記述がたくさんあるのに、全体が不思議な明るさ、あたたかさに満ちている。つつましい生活をむしろ楽しんでいるふうでもある。それに、藤原さんが「オトウサン」や息子さんを心から愛している様子がひしひしと伝わってくる。

 『無能の人』には、こんなセリフがあった。

 「考えてみると、私たちって親しい友達もないし親兄弟とも疎遠だし、なんだか世の中から孤立して、この広い宇宙に三人だけみたい」



 映画版『無能の人』のキャッチコピーにもこの一節が使われていたと記憶するが、この『私の絵日記』にも同質の寂寥感が漂っている。しかしその寂寥感は、読んでいてむしろ心地よい。つげ作品がそうであるように……。
 つげ作品に無縁の読者にはおそらく面白くもなんともない本だろうが、つげファンなら必携の1冊だ。
 
 それにしても、藤原さんを喪ったつげ義春のことが、ちょっと気がかりである。


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ジョニー・マー+ザ・ヒーラーズ『ブームスラング』



 1980年代に青春を過ごした洋楽ロック・ファンにとって、ザ・スミスは特別な存在だった。モリッシーの自虐的な詩とヴォーカルに、ジョニー・マーの切実かつ清冽なギター。その組み合わせが引き起こす化学反応は、「ジム・モリソンのヴォーカルとレイ・マンザレクのキーボード」とか、「ミック・ジャガーのヴォーカルとキース・リチャードのギター」などという黄金の組み合わせと同じくらい、ワン・アンド・オンリーであった。

 私はいまでも、「ヘブン・ノウズ」(私ゃこれがいちばん好きです)だとか「ディス・チャーミング・マン」などという名曲が聴きたくなって、たまにスミスのCDを引っぱり出して聴く。そこに描かれた、みじめったらしい疎外された男たちの姿の中にこそ、私にとってのロックがある。私が思うに、ロックのヴォーカルとかギターの歪んだ音色というのは男の泣き声のメタファーであって、そこにみじめったらしさとか情けなさ(そして切実さ)が内包されていてこそロックなのである。

 ザ・スミス解散後、自分のバンドを結成することなく、ほかのバンドやアーティストとのコラボレートばかりしてきたジョニー・マー。彼が満を持して結成したジョニー・マー+ザ・ヒーラーズのファースト・アルバム『ブームスラング』(東芝EMI/2548円)が、さきごろついに発売された。

 バンドはシンプルなトリオ編成。ドラムスはリンゴ・スターの息子(!)のザック・スターキー。ヴォーカルはなんとジョニー・マー自身がとっている。とくにうまいというわけではないが、なかなか味のあるヴォーカルを聴かせてくれる。

 このバンドにザ・スミスの影を追い求めるべきではあるまい。モリッシーはいないのだから…。また、実際、サウンドはスミスとは大幅にちがう。M3「ダウン・オン・ザ・コーナー」のようにアコギのリフが入ると、「お、スミスっぽい」と思わせるけれど、全体的にはスミスよりもずっとヘヴィー&ラウド。むしろストーン・ローゼスやオアシスに近い。
 
 ジョニー・マーによれば、「T・レックス、ストゥージズ、イーノ、それからウェイラーズがアリゾナ砂漠でぶつかり合っているような音」を目指したという。
 ウェイラーズの匂いはあまり感じられないが、キャッチーなメロディと浮遊感のあるヴォーカルはT・レックスを思わせる。また、歪んだ重厚なギター・サウンドはたしかにストゥージズ(イギー・ポップがやっていたバンド)の影響を感じさせる。そして、アルバム全体が、イーノがプロデュースしたU2のアルバムを彷彿とさせる不思議な透明感に満ちている。ヘヴィーでラウドなのに、少しも耳障りではないのだ。どの曲もメロディーがよく、1つも「捨て曲」がないし…。

 ザ・スミスの音を求めると肩透かしを食うだろうが、ジョニー・マーのギタリスト/ソングライターとしての才能は十分に発揮された力作である。日本盤のみのボーナス・トラック「ヒア・イット・カムズ」がすっごくいい曲なので、日本盤を買うことをオススメする(ただしコピー・コントロールCDだけど)。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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