本宮ひろ志『天然まんが家』



 本宮ひろ志の自伝『天然まんが家』(集英社文庫/514円)読了。あっという間に読めてしまう軽い本。
 元本が出たのはつい一年半前。文庫化が早い。いまの出版界のサイクルの早さを象徴しているようだ。

 内容はけっこう面白い。そのままマンガにしたくなるようないい場面がいっぱい。
 たとえば、本宮を見出した『少年ジャンプ』の元編集長・西村繁男に初めて原稿を見せるときの場面。西村は本宮にこんなふうに言うのだ。
「君の主人公の目……その目の描き方だけで、もしかしたら、売れるかもしれない」

 いいねえ。本宮マンガによく出てくる、「小僧、なかなかいい目をしておるな」というセリフを彷彿とさせる。

 本宮と夫人のもりたじゅん(マンガ家)との出会いの場面も面白い。
 水野英子邸で開かれた少女マンガ家たちの意見交換会(!)にゲストとして招かれた若き日の本宮は、そこに集った少女マンガ家たちが愚痴ばかり言っていることにウンザリし、突然立ち上がって怒鳴る。
「あんたらよぉ。男と寝たことあんのか、キスの1つもしたことあんのかよォ。処女ばっかだろう。そんなレベルで愛だ恋だばっかり描きやがって」
 座がしーんと静まり返るなか、もりたじゅんは言うのだった。
「本宮さんの言うこと、その通りだと思うわよ……でも、処女が恋を描いちゃ悪いっての?」

 『少年ジャンプ』の初代編集長・長野規のタヌキ親父っぷりも面白い。一度連載が終わった『男一匹ガキ大将』の「第二部」を強引に連載させるにあたって、長野は本宮のもとを訪ね、大粒の涙さえ流し、本宮の肩を抱いてかき口説く。当時23歳の若造を相手に、である。
「がんばろう。二人でがんばろう。『少年マガジン』のシッポをつかんでいるんだ」
 本宮が根負けして第二部を描くことを承諾すると、長野は『少年ジャンプ』最新号の見本本を置いて帰る。パラパラとめくって見て、本宮は仰天する。その中には、すでに「『男一匹ガキ大将』の第二部が次号から連載開始」される旨が大きく書かれていたのだった。

 西村繁男の『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』(幻冬舎)にも本宮ひろ志が主役級で登場してくるが、この本と併せ読むといっそう面白い。
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村上陽一郎『生命を語る視座』



 クローン人間がついに誕生したとかしないとかの話題がマスコミを騒がせているが、村上陽一郎の新著『生命を語る視座』(NTT出版/2200円)は、クローン技術に代表される生命科学の最前線についての優れた概説書である。

 村上といえば、我が国を代表する科学史家として、科学と哲学の架橋作業をつづけてきた人。科学の各分野で高度な専門化が進むなかにあって、科学史全体を鳥瞰しつつ、科学とは何か、科学が抱える問題とは何かという哲学的探求を一貫して行なってきたのだ。『新しい科学論』や『近代科学を超えて』などの著作は、とくに世評高い。

 そして、そのような村上の仕事が、いまほど光彩を放っているときはない。なぜなら、科学の最前線の一つである生命科学は、いまや哲学的・宗教的領域に踏み込んでいるからだ。
 たとえば、クローン技術の人間への応用の是非を論ずるとき、論者はいやおうなしに己の生命観を問われ、拠って立つ哲学を問われるのである。神戸少年殺人事件(1997年)の際にさかんに問われた、「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いがそうであったように…。

 本書でおもに俎上に載るのは、生命科学の成果が応用されつつある先端医療の世界。文章は平易な話し言葉で綴られており、生命科学について格段の知識がなくても読みこなせる(最終章には「補論」として「ゲノム基礎講座」が用意されているから、ここから読み始めるとよいかもしれない)。
 あとがきによれば、主な読者として想定しているのは、「第一には、高校生や大学生、それも文系、理系を問わず、二十一世紀を生きることになる若い諸君」だという。「『啓蒙的』な立場というのは軽く見られがちで」、「啓蒙書を書くことはむしろ出世の妨げにさえなる」という日本のアカデミズムの中にあって、あえて科学哲学の大御所が取り組んだ、生命科学についての啓蒙書なのだ。

 しかし、語り口は平明でも、内容はすこぶる高度である。
 生殖医療、再生医療(人工的に培養されたES細胞などを用いて、損傷した細胞や臓器を再生させようとする医療)、遺伝子治療など、先端医療の興味深いトピックが数多く紹介されていく。だが、トピックのたんなる羅列には終わっていない。先端医療の最前線でどんなテーマが論議され、我々の生命観がどのように問い直されているか――すなわち、生命科学と哲学の接点を語ることに主眼が置かれているのだ。

 たとえば、生殖医療の最先端では、「デザイナーベビー(ある性質をもつよう操作されて生まれる子ども)」をめぐる論議が高まっている。身体的・知能的に優れた人物の精子や卵子を買い、体外受精で自分の子どもを得る行為は、すでに現実化している。また、“赤ん坊の特定の能力を伸ばすよう、遺伝子を操作する”などということも、SFの世界の話ではなくなってきているのだ。
 著者はこの問題に触れた章で、生命にかかわることを商業ベースに載せることに強い違和感を表明しつつ、一歩踏み込んだ問題提起をする。売買がよくないというなら、善意から贈与された精子や卵子によるデザイナーベビーなら許されるのか? また、“我が子の将来のために親がして当然の努力が、生まれる前の段階でなされるだけの話。子どもを塾に通わせたりすることと、本質的にどう違うのか?”と言われたら反論できるのか、と…。

 このように、先端医療をめぐるさまざまな論議が、著者ならではの深い思索によって掘り下げられていく。著者は安易に一つの結論を出すことなく、読者に問題提起し、思索を促す形で論を進めていく。生命について考えるヒントに満ちた、すこぶる刺激的な一冊だ。
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『秘の思想/日本文化のオモテとウラ』



 柳父章(やなぶ・あきら)著『秘の思想/日本文化のオモテとウラ』(法政大学出版局/2500円)読了。

 翻訳論・比較文化論を専門とする著者が、日本文化は「秘の文化」であるとの視点から、文学などの芸術や宗教、天皇制などを論じた日本文化論である。

「日本人は『秘』の考え方、暮らし方が好きのようである。物事をハッキリさせるということには、どんな分野でも必ず抵抗がある。大事なことほど、隠れたところで行なわれる」

 「秘すれば花」と喝破した世阿弥から、「出会い系」という「秘」の人間関係に熱中する現代人たちに至るまで、なるほど言われてみれば、「秘」は日本文化の最重要キーワードであるといってよいかもしれない。

 もっとも、「『隠す』ということが日本文化の癖である」というようなことは加藤周一が以前から言っているし、人間関係のあり方から日本文化の特殊性を浮き彫りにするという試みは、阿部謹也が「世間論」ですでに行なっている。だから、「日本文化は秘の文化なり」という定義そのものには新鮮味がない。

 著者の独創は、「ではなぜ、日本文化は秘の文化になったのか?」という分析のほうにある。著者は、日本文化は「翻訳文化」である、と言う。漢字や天皇制、仏教における密教など、日本文化の伝統的な核心と見なされたきた事柄は、じつはすべて海外から輸入された翻訳(外来)文化なのだと。そして、翻訳文化であるからこそ、その受容の過程では理解が十分ではなかったが、よくわからない秘密めいたものであったからこそ、ありがたがられた――それが秘の文化の原型だと、著者は言うのだ。

 とりわけ面白いのは、近世初頭のキリシタン禁制を再考した第8章「キリシタンという『秘』」である。
 キリシタンの叛乱を武力で押さえこんだ江戸幕府は、キリスト教の宗教的パワーを心底恐れ、その恐れが鎖国や「宗門改め」の導入につながった。ここまでは教科書にも書いてあることだが、著者はさらに一重立ち入って、キリシタン禁制を、現代日本文化のあり方までを規定した一大事件としてとらえ直してみせる。

 たとえば、現代日本にプライバシー権のたいせつさが根づいておらず、マスコミのありようが覗き見的であることについて、キリシタン禁制の名残の1つだと著者はいう。宗門改めのためにもうけられた「五人組」という制度が、「隣の家への覗きが、合法的であり、正義であるという文化」を日本に定着させてしまったのだと…。
 
 すこぶる斬新な視点ではないか。こうした「目からウロコ」の鋭い指摘がちりばめられた、読みごたえある日本文化論だ。
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岡崎英生『劇画狂時代』



 生きながらにして“伝説のマンガ家”となりつつある宮谷一彦。私はその初期作品群を心から愛する者である。それらの作品はマンガ史に輝く青春マンガの至宝といってよい。そして、宮谷が60年代末から70年代にかけて作家活動の主舞台としていた雑誌が、『ヤングコミック』(少年画報社)であった。

 過去形で書いたが、『ヤングコミック』は休刊を経て同じ版元から復刊され、現在も刊行されている。ただ、いまの『ヤングコミック』はほとんどエロマンガ誌であって、宮谷が描いていたころの同誌とはまったく別物である。60~70年代にかけてのヤンコミは、「青年劇画」ブームを牽引した伝説の名誌であった。

 と、知ったふうなことを書いたが、当時の私は小学生になるかならないかであったから、ヤンコミの全盛期をリアルタイムで知っているわけではない。
 ただ、当時「ヤンコミ三羽ガラス」と呼ばれた宮谷一彦、真崎・守(まさきもり)、上村一夫の3人はいずれも私が愛するマンガ家たちであり、彼らがヤンコミを舞台に生んだ名作群(たとえば上村の『怨獄紅』、真崎の『はみだし野郎の子守唄』、そして宮谷の珠玉の短編など)も、高く評価している。ゆえに、私にとってもヤンコミは伝説の名誌なのだ。

 岡崎英生の近著『劇画狂時代』(飛鳥新社/2000円)は、ヤンコミの編集者だった岡崎が、同誌の創刊から全盛期、そして「死」までを振り返った回想録である。サブタイトルは「『ヤングコミック』の神話」。劇画が最も輝いていた時代の息吹を濃密に伝えて、感動的な1冊だ。

 岡崎は宮谷の担当編集者でもあったため、宮谷に関する記述がかなりのウエイトを占めている。カバーにも宮谷の『太陽への狙撃』のひとコマが使われているし、若き日の宮谷の写真(ロックスターを思わせる美貌である)も何葉か掲載されている。本の最後の一行も、「まだ死ぬなよ、宮谷一彦!」という呼びかけだ。宮谷は本書のもう1人の主人公といってよく、宮谷ファンの私にはたまらない1冊である。

 『COM』でデビューしたばかりだった宮谷の才能に惚れこんだ岡崎は、ヤンコミで彼を起用し、育て上げようとする。だが、宮谷はしばしばシメキリから逃げ出して原稿を落としそうになり(そして時には落とす)、岡崎を困らせる。それでも、生活を丸ごと犠牲にして宮谷にのめりこむ岡崎の編集者魂が、感動的だ。
 原稿取りのため、宮谷の仕事場に泊りこんだ日々を綴ったくだりを引いてみよう。

それは泊り込みとか督促というような生易しいものではなく、要するに監視だった。(中略)私はまるまる一週間、着の身着のままで高砂荘に泊まり込み、顔も洗わず、風呂にも行かなかった。宮谷にべったりと張りつき、食事に出かけるときも必ず同行して、逃げられないように用心していた。



 『編集王』にだって、ここまですごい原稿取りの話は出てこない。惚れこまれた宮谷は果報者である。

 もちろん、真崎・守や上村一夫についてのエピソードも、たくさん盛りこまれている。
 岡崎は少年画報社を辞めたあと『FOCUS』のライターになり、上村が45歳の若さで亡くなったときにはその追悼記事を書くことになる。告別式から喪服のまま編集部に戻り、朝までかかって追悼記事を書くというそのくだりは、涙を誘う。書き上げた原稿を印刷所に届けるためタクシーに乗った岡崎は、車中で、生前の上村がつぶやいたこんな言葉を思い出す。

「人の生き死になんてのは、まあ、ちょっと季節が変わるぐらいのもんなんじゃないですか?」



 劇画史の舞台裏を垣間見る興味深いエピソードもちりばめられている。たとえば――。
 小池一夫は神田たけ志と組んでヤンコミにヒット作『御用牙』を連載したが、当初、小池は“子どもを連れた刺客を主人公にした時代劇”という企画を持ちこんだのだという。もちろん、のちの大ヒット作『子連れ狼』の原型である。その企画をボツにしたヤンコミは、とてつもない大魚を逃したことになる。

 また、マンガ家のみならず、60~70年代を象徴する文化人たちも多数登場する。浅川マキ、寺山修司、加藤登紀子、新谷のり子……。浅川マキは当時のヤンコミの愛読者で、ヤンコミについてこう言っていたという。
「ヤングコミックは人の香りのする雑誌だった。読んでると映画館の観客席にいるような魅力があったと思う」
 いかにも浅川マキらしい、含蓄のある言葉ではないか。

 本書は、『少年ジャンプ』の元編集長・西村繁男の『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』(幻冬舎文庫)や、長井勝一の『「ガロ」編集長』(ちくま文庫)、『少年マガジン』の元編集長・内田勝の『「奇」の発想』(三五館)などと並んで、マンガ史の貴重な資料となるものである。担当編集者の赤田祐一は、かつて大泉実成と組んで『消えたマンガ家』シリーズを世に送り出した人。筋金入りのマンガ・ファンらしい、いい仕事をしてくれた。ついでに言うと、いかにも70年代的なブックデザイン(=意図的にダサい)もよい。

 もちろん、資料的価値のみならず、当時のヤンコミを飾った名作群を知る者にはすこぶる面白い本である。興味のない人が読んでも面白くないこと請け合いだけれど……。
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『イリヤッド ~入矢堂見聞録~』



 世界最大のベストセラーはいうまでもなく聖書だが、トータル出版部数で聖書に次ぐのが、アトランティス大陸に関する書物なのだという。はるかな昔、海の底に消え去ったとされる幻の大陸と、そこに栄えた超古代文明の謎――それはまさに、人類史上最大のミステリーなのである。

 そのアトランティスの謎に真正面から迫ったマンガが、『ビッグコミックオリジナル』連載中の『イリヤッド ~入矢堂見聞録~』である。

 『イリヤッド』とは、『オデッセイア』と並び称される古代ギリシアの長編叙事詩。詩人ホメロスが、トロイア戦争中の10日間にわたる出来事を描いたものだ。それがなぜこのマンガのタイトルになっているかといえば、ホメロスの詩に魅了されてトロイアの都の実在を信じ、生涯をかけてそれを証明したシュリーマンが、重要な役割を果たすからである。

 “じつはシュリーマンは、トロイア遺跡のみならず、アトランティス文明実在の証拠をも探し当てていた”
 ――物語は、そんな魅力的な設定で始まる。しかしシュリーマンは、アトランティスの秘密を守るべく古代から暗躍してきた闇の勢力に暗殺される。著書の中でアトランティスに言及した哲学者プラトンもまた、その勢力に暗殺されたのだという。

 そして、舞台は現在へ――。
 世界の名だたる富豪たちが、アトランティス文明を探す極秘プロジェクトを始動させる。プロジェクトの主宰者エンドレは、アトランティスを探すトレジャー・ハンターとして、日本人・入矢修造を指名する。東京の下町で古道具店「入矢堂」を営む入矢は、ゆえあって学界を追われた優れた考古学者でもあった。

 しかし、プロジェクト始動後間もなく、その場に参加した富豪たちは次々と殺され、エンドレも殺される。エンドレの娘・ユリは、父の遺言に従い、入矢に会うため日本を訪れる。入矢とユリの2人は、闇の勢力の妨害をはねのけて、アトランティス文明を探しあてることができるのか――?

 とまあ、そういう物語。コミックスには「本格考古学アドベンチャー・ロマン」とあるが、その惹句に恥じない胸躍る知的エンターテインメントである。

 絵を担当するのは、『家栽の人』の魚戸おさむ。原作は、東周斎雅楽なる聞き慣れない名前。このネーミングから連想されるのは、あの『MASTERキートン』の原作者が勝鹿北星を名乗っていたことである。あえて断言してしまえば、2人は同一人物であろう。

 『MASTERキートン』の主人公平賀・タイチ・キートンもまた、考古学者兼業のオプであった。キートンは「ドナウ文明」の実在を唱えて学界から異端視されているという設定であり、彼が折に触れて発揮する考古学者としての優れた見識が、あの作品の魅力の一つだった。

 そう、この『イリヤッド』は、アクション色を抑えて考古学色を強めた、“もう一つの『MASTERキートン』”なのである。

 魚戸おさむの絵は下手ではないが、『MASTERキートン』の浦沢直樹の絵があまりにも素晴らしかったため(浦沢の絵は誰からも愛される絵で、なおかつ質が高い)、ワリを食っていささか見劣りがする。しかし、ストーリーの面白さではけっして負けていない。
 『MASTERキートン』の大ファンであった私にとって、この『イリヤッド』も目の離せない作品なのである。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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