吉田修一『パーク・ライフ』

パーク・ライフ パーク・ライフ
吉田 修一 (2004/10)
文藝春秋

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 吉田修一の『パーク・ライフ』(文藝春秋/1238円)を興味深く読んだ。第127回芥川賞受賞作である。
 
 芥川賞は一時期、現実と幻想がないまぜになったマジック・リアリズム風の作品ばかりが受賞していた印象がある。多和田葉子の『犬婿入り』、笙野頼子の『タイムスリップ・コンビナート』、川上弘美の『蛇を踏む』などがそうだ。前衛的であると同時に通俗的な面白さも兼ね備えていることから、「アヴァン・ポップ」(アヴァンギャルド+ポップ)などと呼ばれたりする。
 
 しかし、前回の受賞作『猛スピードで母は』(長嶋有)といい、この『パーク・ライフ』といい、さしてドラマティックでもない現実をセンスよく切り取った小品という印象で、ハッタリの利いたマジック・リアリズム風作品の対極にある。現代文学のもう1つの潮流であるミニマリズムに近いといえそうだ。ささやかな日常生活を手堅いリアリズムで描きながら、細部の面白さとセンスのよさで読ませてしまうたぐいの作品である。
 マジック・リアリズム風の作品はどうも好きになれない私としては、受賞作にこちらの路線の作品が増えるのは、うれしい傾向だ。
 
 『パーク・ライフ』というタイトルは、おそらくイギリスのロック・バンド「ブラー」の同名曲(および同名アルバム)からとったものであろう。タイトルどおり、東京のど真ん中・日比谷公園を舞台に、都市生活者の静かな日々を描いた中編だ。

 冒頭から、主人公とヒロインの気の利いた出会いが描かれる。だが、小説の最後まで、恋は始まりそうで始まらない。単行本の帯には「他人だから、恋がはじまる」との惹句があるが、これに惹かれて本を買った読者は肩すかしを食った気分になるだろう。なにしろ、“さあ、これから本格的に恋が始まりそうだ”という場面で、ナイフで断ち切られるように小説は終わってしまうのだから…。

 だが、つまらないかといえばけっしてそんなことはない。ドラマティックなことは何一つ起こらないのに、冒頭から最後まで少しも退屈することなく読み通すことができる。「バスソープや香水を扱う会社で広報兼営業を担当している」30代初頭の独身男を中心に、彼とその周辺に生きる人間たちの生活が、たしかなリアリティでスケッチされていく。そう、淡い水彩を思わせるスケッチのような小説なのだ。

 東京に暮らす30代独身男性の多くは、この小説の主人公のように生きているのではないか。これといった夢も野心もなく、「結婚したい」と切実に思うこともなく、さして幸福でも不幸でもなく、都市の海をたゆたうように日々を生きているのではないか。何かが始まりそうで始まらない、何かが終わりそうで終わらない――そんな、都市生活者の“終わりなき日常”を、これほどリアルに描き出した小説はかつてなかったように思う。

 これは、1980年代に日野啓三が描きつづけた「都市小説」の系譜を継ぐ作品だと思う。ひんやりとした感触の静謐な都市小説。日比谷公園それ自体、東京という都市そのものが、この小説の“主人公”だといえるかもしれない。
 
 それでいて、一連の日野作品のような「都市が都市が」という気負いはなく、村上春樹の初期作品や池澤夏樹の『スティル・ライフ』のような軽やかなユーモアと抒情に満ちている(芥川賞の選評で、池澤がこの作品に否定的なのは皮肉である)。
 主人公たちがかわす会話の一つひとつ、都市の日常を鮮やかに写しとる描写の一つひとつが、知性と才気で輝いている。たとえば、次のような魅力的な比喩――。

 「有楽町マリオンビルを誕生日ケーキの上飾りに譬え、上空から鋭いナイフで真っ二つに切ったとすると、スポンジ部分には地下鉄の駅や通路がまるで蟻の巣のように張り巡らされているに違いない。地上のデコレーションが派手でも、中身がすかすかのケーキなど、あまりありがたいものではない」

 あるいはまた、「私ね、バレエダンサーのからだを見てると、なぜかしらアウシュヴィッツを思い出すのよね」という女性の言葉を受けてつづられる、次のような文章。

「そのときはひどく不謹慎な比較に思えたものの、肉体というものが常に崇高であるとすれば、両極限で同じ輝きを放ってもおかしくないのかもしれない」

 ――このように、きわめて知的な操作に基づいた文章と会話によって、都市生活者の人生の断片が彩度鮮やかに切り取られていく。
 芥川賞の選評で三浦哲郎が言うとおり、「隅々にまで小説の旨味が詰まっている」秀作だ。
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すぎむらしんいち『クローン5』

クローン5 2 (2) クローン5 2 (2)
すぎむら しんいち (2002/08/09)
講談社

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 作家の矢作俊彦は、かつて自らマンガ家をしていた(ペンネームは「ダディ・グース」)こともあり、マンガについてもたしかな批評眼をもつ人物である。その矢作が、いまの現役マンガ家のなかでひときわ高く評価しているのが、すぎむらしんいちだ。たとえば、すぎむらの代表作『ホテル・カルフォリニア』(「カリフォルニア」に非ず)について、矢作は愛蔵版コミックス(KKベストセラーズ)に絶賛といってよい解説を寄せている。いわく――。

「『新宝島』の出版以降、この半世紀のあいだに世界のマンガに重大なことがこの日本に五つ起こったとしたら、その最後のひとつはまちがいなくこの作品だろう」

 いくらなんでもこれはホメすぎだと思うのだが、矢作がすぎむらを高く買うのは納得できる。2人の作品世界には共通項が少なくないからだ。

1.ともに筋金入りの映画マニアであり、作品にもその蓄積が十分活かされていること
2.暴力シーンやエロティックなシーンを描いても、つねに乾いたシャレっ気を漂わせていること
3.全編に、斜に構えたユーモアがちりばめられていること

 で、私はといえば、矢作の小説もすぎむらのマンガも大好きである。矢作-すぎむら-コーエン兄弟の三者は、私の中でジャンルを超えて1本の線で結ばれている(※注)。

 すぎむらのキャリアの中で最長の連載となった『超・学校法人スタア學園』も、じつに面白いマンガだった。あのマンガの連載が終わってから、私はヤンマガを読まなくなった。そして、すぎむらが現在『ヤンマガ・アッパーズ』で連載中の『クローン5』も、期待を裏切らない面白さで進行中である。

 タイトルが示すとおり、これはクローン人間たちを主人公にした、SFといってもよい作品。

 製薬会社の研究所勤務のマッド・サイエンティストが、1つの卵子を4分割してひそかに作り出した4人のクローン。だが、その4人は遺伝子上の欠陥から、20年しか生きられない。それ以上生きるためには、方法は1つ。「4人の(塩基配列の)設計図を合成して完全な設計図を持つ個体を作り出し、それを基に」欠陥を直すしかない。

 20年の期限が間近に迫り、マッド・サイエンティストはバラバラに暮らしているその4人を集めようとする。「完全な5人目」――クローン5を作り出すために…。

 …と、この骨子だけを見ると、まっとうなSFのように思える。しかし、そこはすぎむらしんいち、「ただのSF」になどするはずがない。
 なにしろ、登場する4人のクローンたちのキャラが、それぞれ尋常ではない。獣のような腕力を誇る元過激派の青年、実の父親(芸能プロ社長)に迫られて逃げ出した美少女ロリータ・アイドル、ひきこもりのオタク・デブ、美女よりも美しいオカマ・ダンサー…という、ひとクセもふたクセもある連中なのだ。

 4人はそれぞれ、「この時代の病理」の体現者として設定されているのだろう。そして、その病理が歪んだ笑いを生んでいく。
 とくに、ひきこもりキャラの多岐川岳士は、「ひきこもり」のネガティブなイメージをすべて笑いに転化させた稀有なキャラである。文学の中には、村上龍の『共生虫』のようにひきこもりを描いた作品もぼちぼち現れ始めたが、マンガに描かれたひきこもりとしては、いまのところこれが最高なのではないか。ここには“ひきこもりのリアル”が、マンガの流儀で見事に表現されている。

 そして、『ホテ・カル』や『~スタア學園』で見せたすぎむらしんいちの魅力が、この作品にも存分に発揮されている。暴力的で猥雑、それでいてスタイリッシュ。映画的でスピーディーな画面構成も、相変わらずバツグン。読む者のハートを鷲づかみにする“ジェットコースター・コミック”である。

 くわえて、先の読めないストーリー展開もよい。5人目のクローンはいったいどんな人間になるのか? そして、いまだ明らかになっていない卵子提供者はいったい何者なのか? このドライブ感を保ったまま、コミックス5巻くらいまでできれいに完成させてほしいところだ。

 ところで、このマンガには原作ならぬ「相談」役として、いとうせいこうの名がクレジットされている。いとうの役割はいったいなんなのか、いまいちよくわからない。ストーリーを練るうえでのアドバイザーということなのだろうか?

※ 矢作はエッセイの中で、コーエン兄弟のデビュー作『ブラッドシンプル』(1984)をいち早く絶賛している(エッセイ集『複雑な彼女と単純な場所』所収の「ついに、ブラッドシンプル」)。私がコーエン兄弟の映画を好きになったきっかけが、このエッセイだった。また、すぎむらもコーエン兄弟のファンである。
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スケッチ・ショウ『AUDIO SPONGE』

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SKETCH SHOW (2002/09/19)
カッティング・エッジ

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 高橋ユキヒロと細野晴臣が組んだ話題のユニット「スケッチ・ショウ」。そのファースト・アルバム『AUDIO SPONGE』(エイベックス/3059円)を、発売日にさっそく買ってきた。

 この2人の組み合わせは、要するに“坂本龍一抜きのYMO”なわけで、YMOに青春(の一部)を捧げた私としては、当然買わざるを得ないのである。

 YMOといえば、1993年にも再結成(「再生」と称した)してアルバム『テクノドン』を発表しているが、このアルバムは私を大いに失望させた。なにより、YMOの大きな魅力であった美しいメロディがすっかり影をひそめていて、ありきたりなアンビエント・テクノに堕してしまっていた。ユキヒロがヴォーカルをとった「ビー・ア・スーパーマン」と「ハイテク・ヒッピーズ」の2曲が、かろうじてかつてのYMOの魅力を残すのみだった。

 で、このスケッチ・ショウはどうかというと、皮肉なことに、YMOの名を冠した『テクノドン』よりもずっとYMOっぽい仕上がりである。
 ただし、『ソリッドステート・サバイバー』のころほど単純明快ではない。『BGM』『テクノデリック』のころのYMOをもっとメロディアスにした感じ。もちろん、最近のテクノへの目配りも利いた“21世紀風テクノ”である。

 収録曲の半分以上がヴォーカル入り。ユキヒロのヴォーカル(甘い声なのにベトつかない)のファンとしては、この点がたいへんうれしい。
 切なく美しいメロディをもつ曲が多い。ユキヒロのソロ・アルバムには「フラッシュバック」「ドリップ・ドライ・アイズ」など“切な系”の名曲が多いのだが、このスケッチ・ショウもしかり。とくに、ブライアン・ウイルソンへのオマージュとおぼしき“ビーチ・ボーイズ風テクノ・バラード”(聴けばわかる)「WILSON」や、サークルのカヴァー「ターン・ダウン・デイ」は絶品だ。

 全体に、細野は一歩下がって背景に徹している感じで、ユキヒロ色が前面に出ている。そのぶんだけ、『テクノドン』よりは万人向けである。
 
 「ナイス・エイジ」のような強烈なビートをもった曲は一曲もなく、「殺菌・消毒済み!」という感じの静謐さと清潔感、そして不思議な脱力感が漂うアルバム。BGMとして流しておけば、お部屋の温度が2度ほど下がって空気が清浄になりそうだ。
 けっこういい。オトナになりきれない30代の“YMOチルドレン”は必聴である。
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田中圭一『神罰』



 田中圭一といえば、80年代半ばに『ドクター秩父山』をスマッシュヒットさせたマンガ家である。
 『ドクター秩父山』は、劇画タッチのリアルな絵で破壊的なギャグを展開した点が斬新で、すこぶる面白い4コマ・マンガであった。しかし、ヒット作といえばそれくらいで、あとはいまいちパッとしない。少なくとも、私自身はすっかり忘れかけていたマンガ家だった。

 だが、田中の作品集『神罰』(イースト・プレス/999円)は、『ドクター秩父山』をはるかにしのぐ傑作である。

 なぜタイトルが『神罰』なのかといえば、主に手塚治虫のマンガを対象にしたパロディ・ギャグだから。隅から隅まで手塚治虫調の絵を用いて、下ネタ全開の下品極まるパロディをやっているのだ。1ページから最終ページまで、徹頭徹尾お下品!
 手塚治虫は「マンガの神様」であるからして、ここまでフラチなパロディをやったら、そりゃあ神罰も下るわな。少なくとも不敬罪にはあたると思う。

 単行本の帯には、手塚治虫の長女・手塚るみ子がコメントを寄せている。いわく、「訴えます(怒)。ライオンキングは許せても田中圭一は許せません!!」――手塚ファンならこの帯だけで笑える。

 単行本の装丁も、講談社の手塚全集を細部に至るまでパロっている。カバーには麗々しく、「田中圭一最低漫画全集」の文字(笑)。
 内容は、手塚マニアであればあるほど笑えるように作られている。キャラはもちろん、描き文字やコマ割りや効果線に至るまで、じつにうまく手塚マンガの “文法”をコピーしているのだ。それでいて、くり出されるギャグは超下品なのだから、その落差がたまらなくおかしい。

 パロディ系のギャグ・マンガには、これまでにも多くの傑作が生まれてきた。たとえば、しりあがり寿の初期作品(『おらあロココだ!』など)や喜国雅彦の『majongまんが王』、いしかわじゅんの『憂国』などなど…。江口寿史がつげ義春とわたせせいぞうをまとめてパロった「わたせの国のねじ式」(『爆発ディナーショー』所収)は大傑作だったし、相原コージ・竹熊健太郎コンビの『サルでも描けるマンガ教室』は、パロディの集積によって作られた「メタ・マンガ」とでもいうべき作品であった。

 それらの傑作パロディと比較してみても、この作品はいっこうにひけをとらない。それどころか、対象への熱いリスペクトという点では、この『神罰』こそ最高ではないかと思う。下品なギャグマンガばかりなのに、その底には手塚治虫への深い敬愛が感じ取れるのだ。

 また、メインとなるのは手塚マンガだが、ほかの巨匠たちのパロディもふんだんに盛りこまれている。本宮ひろ志、藤子不二雄、永井豪など…。それらのパロディが入り混じることで、なんともアナーキーな面白さが醸し出されている。

 たとえば、「二人の星」という一編。
 いかにも手塚風キャラの男女が星空を見上げて「あのひときわ明るい星…今日からあれはボクとマコ二人の星さ」などと語らっている。と、突然降りてきたUFOから、本宮ひろ志風キャラのエイリアン(笑)が登場し、叫ぶ。
「くぉら!! なに勝手に決めてんねん!! あれはワシらの星なんじゃ!! 勝手におまえらのモンにすんな!!」
 …とまあ、こんな感じの爆発的にくだらないネタが連射される。
 
 手塚マンガにくわしくない人が読んでも、そこそこは笑えると思う。くり出されるギャグのアイデアの豊富さは、いちばん調子のよかったころの江口寿史にも匹敵するからだ。

 たとえば、「妊婦相撲」なるネタ。
「かつて人々は有刺鉄線デスマッチのように『一歩まちがうと死んじゃうスポーツ』に熱狂した。しかし今やその程度の刺激では誰も興奮しなくなり…、ここに『一歩まちがうと産んじゃうスポーツ』妊婦相撲が誕生した!!」
 で、手塚風キャラの妊婦が、「今日こそ破水させてやるわ!!」「こっちこそ土俵をあんたの胎盤で染めてやるわ!!」などと言いつつ相撲をとるわけです。ワハハハハ!

 え、笑えない? 下品すぎる? まあ、そういう人にはオススメしない。マジメすぎる手塚ファンも読まないほうがいい。
 久々に登場した本格的なパロディ・ギャグ。罰当たりではあるが、圧倒的な面白さだ。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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