齋藤なずな『千年の夢』

 滋味あふれる大人の恋愛マンガを描きつづけてきた短編の名手・齋藤なずな。彼女が、近代日本文学の“神”たちの恋物語を取り上げた短編連作が、『千年の夢 ――文人たちの愛と死』(小学館文庫/上下巻各657円)である。

 与謝野晶子、夏目漱石、有島武郎、芥川龍之介、高村光太郎、萩原朔太郎、太宰治、岡本かの子、樋口一葉、島崎藤村など、誰もが知る大家たちの、多くは誰もが知る恋愛――たとえば、高村光太郎と智恵子の恋、太宰と山崎富栄との心中に至る不倫、藤村と姪の駒子とのスキャンダルなど――を扱いながら、ありきたりのラブストーリーになっていないのはさすがである。

 「はじめに」で、齋藤は言う。
「私という小さなコップで大海の水を掬ったような具合ですから、読者の描く文人たちのイメージを多く裏切るかもしれません。でも、もし、彼らもまた生きて苦しんだ同じ人間だと思っていただけたら、幸いここに尽きます」

 謙遜ぎみのこの言葉の中に、本作の魅力は言いつくされている。つまり、神格化された主人公たちの伝説化した恋愛を描きながらも、齋藤はけっしてその「伝説」によりかからず、自身の身の丈に合わせて再解釈をし、リアルな恋愛ドラマに仕立て上げているのだ。登場する文人たちは、立派な文学者としてではなく、どこにでもいそうな生身の人間として――すなわち弱さも卑小さも欲望も持ち合わせた普通の人間として――読者の前に立ち現れる。しかし、それはけっして矮小化ではない。

 齋藤は、各作家についての文献を読みこんだうえ、独自の解釈と部分的な創作も加えて、文人たちの恋を描く。もとより、マンガ界でも一、二を争うほど文学的資質に恵まれた描き手だから(齋藤と近藤ようこは、小説家になっても成功した人だと思う)、たんにエピソードをなぞるのではなく、各人の文学を深く理解したうえで物語が作られている。たとえば、有島武郎の自死に至る恋を描いた一編「海に落ちる道」で、『或る女』を与謝野晶子に絶賛された有島が晶子に返す言葉は、次のようなものだ。

「とても及ぶものではありませんんが、『或る女』の源流は『乱れ髪』なのです。けれど、私がなぞり得たのはあの中の放縦な美しさのみです。あなたの歌では放縦であることがそのまま清潔で高貴なのですから」

 ――これなど、じっさいに有島が晶子に言った言葉だと言われても信じてしまいそうだ。
 また、宮沢賢治を主人公にした一編「恋文」では、賢治のひそかな恋の相手を(男性である)保坂嘉内であると設定しているところが面白い。
 いまとはちがって、小説家や詩人がまぎれもない「スター」であった時代だからこそ生まれた、輝かしくも痛ましい恋(その多くは悲恋であり悲劇である)の数々。同傾向のマンガとしてはすでに村上もとかの『私説昭和文学』という連作があり、これもなかなかの力作であったが、恋愛の描き方の深さという一点では、齋藤の作品のほうが上だと思う。

 柴門ふみなんかよりずっといいのに、発行部数は柴門作品の100分の1程度でしかないはず(推定)の齋藤なずなだから、この本もすぐに書店から消えてしまうはず。その前にゲットすべし!
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矢野顕子『reverb』

reverbreverb
(2002/03/20)
矢野顕子

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 今日発売になった矢野顕子の新作『reverb(リバーブ)』(エピック/3,059)を、さっそく購入。新作の発売日が待ち遠しく、その日にいそいそと買いに行くアーティストは、いまの私にとって矢野顕子ただ一人である。

 暗く重い内容になるのではないかと予想していた。すでに報じられているとおり、さきごろ、矢野顕子は坂本龍一と離婚することを正式に表明したし、ニューヨーク在住の彼女は、昨年9月11日のテロも目の当たりにしているからである。オフィシャル・サイトのDIARYには、“崩れ落ちた世界貿易センター・ビルから立ちのぼる煙を、泣きながら眺めていた”という記述もあった。2つの出来事が、新作の内容に影を落としていても不思議はないではないか。

 だが、予想は外れ、むしろ、これまでのアルバム中でも際立って明るく力強い作品に仕上がっている。サウンドもカラフルで、しかも丸みを帯びてやさしい。音数はけっこう多いのに、尖った部分がまったくないのだ。春にふさわしい音。

 トップを飾る「Dreaming Girl」には「明日しか見てない」という一節があり、ラストの「Happiest Drummer」には「悲しすぎるこの世界のまんなか/ドラムの音で満たしてしまおう」という印象的な一節がある。2つのフレーズが象徴するとおり、これは、過去のつらい出来事を振りきって力強く前へ進もうとする、彼女の決意表明のようなアルバムである。

 思えば、矢野顕子がいちばん悲しい歌を作っていたのは、91年の『LOVE LIFE』から95年の『ピアノ・ナイトリィ』までの一時期であった。「ほほえみ くれなくてもいい でも 生きていてね ともに」という「LOVE LIFE」の切ない一節を聴いて、ファンは坂本との仲がうまくいっていないことを悟ったのだった。

 長い時間をかけて彼女は悲しみを乗り越え、いまこうして、自分自身とすべての聴き手を励ます力強い作品を創りあげた。明るく楽しいアルバムだが、能天気なだけのお手軽J-POPとは次元が違う。深い悲しみを底に秘めた明るさ、厳しさをふまえたやさしさ――。傷つき打ちひしがれている人にほど、このアルバムをオススメしたい。

 ファンとして、坂本龍一にも一言言っておきたい。言っちゃ悪いが、あなたがアーティストとしていちばん輝いていたのは、矢野顕子とうまくいっていた時期だった。天才がそばにいて、始終インスピレーションを与えていたのだから、当然である。私にとっては“中くらいに好きなアーティスト”である坂本龍一だが、最近の作品は凡庸だ(『ZERO LANDMINE』はよかったけど…)。

■このアルバムの聴きどころ
M1「Dreaming Girl」は、先行シングルとして発売された王道ポップ・ソング。アッコちゃんと坂本美雨による母娘コーラスが、天上からの声のようにシルキーで素晴らしい。
M3「いないと(It’s Us)は、「矢野顕子節」ともいうべき和洋折衷感覚のメロディーが冴える佳曲。
M5「トランスワールド」は奥田民生のカバー。マイク・スターンのギターが激シブ。
M6「Let’s Hawai」は、ティン・パンの面々をバックに従えたスティーリー・ダン風のシブいサウンドなのに、歌詞は「アローハー!」ってな感じのお気楽さ。その落差がたまらん。
M7の「Money Song」も奥田民生の曲。ちなみに、アッコちゃんと奥田のファン層はわりと重なっている。
M8「ウナ・セラ・ディ東京」は、この有名な「ムード歌謡」を、なんと大貫妙子とデュエットしたもの。
M9「ねこがかくしているもの」は毎度おなじみ、糸井重里との共作。糸井・矢野コンビの曲にはほとんどハズレがない。
M11「Happiest Drummer」は、タイトルどおりの軽快なドラムスが耳に心地よい、聴く者に幸を与える曲。ワタシのイチオシ。このアルバムのツボといってよい。
 ・・・てな感じで、いい曲いっぱいです。ベンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」のヘタウマ風カバーはいただけなかったけど。
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『アカシアの道』

 松岡錠司は、私が日本の現役の中では3番目くらいに好きな映画監督である。江國香織の小説を映画化した『きらきらひかる』はマイベスト50には入るし、メジャー・デビュー作の『バタアシ金魚』も傑作だと思う。興行的に惨敗した『トイレの花子さん』にしても、子供だましのコケオドシ映画にすぎなかった(しかしヒットした)『学校の怪談』なんかより、ずーっとよかった。

 また、近藤ようこは、私が日本で5番目くらいに好きなマンガ家である。
 というわけで、近藤ようこのマンガを松岡錠司が映画化した『アカシアの道』 は、私のお気に入りとなることがあらかじめ決定ずみの作品なのだ。

 原作は、近藤ようこの作品中でも際立ってヘビーなものである。なにしろ、老人性痴呆の問題を扱っているだけでも重いのに、なおかつ児童虐待の問題もそこにからんでくるのだから…。

 厳格すぎる母親に虐待(昨今の児童虐待事件に比べれば程度の浅いものだが)されて育った娘が、長じてから母親の痴呆に直面したとき、どんなドラマが生まれるか? ――それがこの作品のそもそもの着想だったと、近藤は単行本のあとがきに記している。
 つまりこれは、老人福祉をテーマにしたというより、母親の痴呆症発症を契機に、顔をそむけあっていた母娘が否応なしに向き合い、葛藤を経て和解するまでを描いた、「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」の物語なのである。

 松岡自身の手になる脚本は、基本的には原作に忠実だ。しかし、原作をなぞっただけの作品にはなっていない。ビデオを観終わったあとに原作を読み返して、アレンジのうまさに舌を巻いた。
 原作は週刊誌に連載されたものだから、一話ごとに山場があり、“引き”がある。いわば短編連作に近いものだ。松岡は、原作の味わいを損なうことなく、原作にはない小さなエピソードをちりばめ、ストーリーラインを整えて、1時間30分の枠の中にきっちり収めてみせる。見事に「松岡錠司の映画」になっているのだ。

 近藤ようこのマンガはもともときわめて文学的(=小説に近い)で、主人公の独白も多い。つまりは言葉に頼った内面描写が多いのだが、松岡は映像の力だけで、ヒロインやその母の内面まで描写してみせる。たとえば――。

 ヒロインの母親が団地の一室で掃除機をかけている、なんの変哲もないシーン。だが、カメラはやがて、掃除機のコードがコンセントにつながっていないことをとらえる。痴呆が進んで、コードをつなぐことすら忘れているのだ。それでも無心に掃除機をかけつづける母親が、やがて、ふと傍らの鏡に目をとめる。そして、その中の老いた自分の顔を、なにやら異形のものを見るようなおびえた目で見つめる……。
 これは原作にはないエピソードだが、言葉に頼らず「老い」を表現した名シーンといえよう。

 あえて比較するなら、原作よりも映画のほうが優れている。マンガの映画化で原作よりもいいと思えた作品は、ほんとうに久しぶりだ。

 題材は重いし、ストーリーの過半は古びた団地の一室で展開されるから、映像的にも派手さは微塵もない。しかし、それでもまったく退屈ではない。『バタアシ金魚』以来変わることのないカットつなぎのうまさ、映像の不思議な透明感は、ここでも健在だ。

 俳優陣の中では、ヒロインの母親を演じた渡辺美佐子が、助演女優賞ものの熱演を見せている。じわり、じわりと痴呆がひどくなっていくというむずかしい役柄を、鬼気迫る演技で見事にこなしているのだ。
 
 また、ヒロインの夏川結衣もいい! 彼女ほど薄幸な役が似合う美人女優も珍しい。日本一の「薄幸顔美人」である。

 ともあれ、「老い」と「母子の葛藤」という重いテーマを二つながら描き尽くした繊細な佳編であり、むしろ若い人たちにこそオススメしたい。テーマの重さで敬遠してしまう向きも多いだろうが、ハッピーエンドでもあるし、後味はさわやかだ。
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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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