ウォルター・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』



 ウォルター・アイザックソン著、土方奈美訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(文藝春秋/上下巻各2376円)読了。読むのに丸一日かかったが、それだけの価値がある本だった。

 世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』で知られる現代最高の評伝作家が、「万能の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチを描いた話題作。

 レオナルド・ディカプリオ主演による映画化が、すでに決定しているという。本書の訳者あとがきで知ったのだが、ディカプリオが「レオナルド」という名になったのは、母親が彼を妊娠中に美術館でダ・ヴィンチの絵を観ていたとき、お腹の中から蹴ったことが由来なのだとか。

 著者はジョブズ以外にも、アインシュタインやベンジャミン・フランクリンなどの評伝を手がけてきた。イノベーティヴな天才を好んで描いてきた作家なのである。その彼がダ・ヴィンチに挑んだのも、自然な成り行きというものだろう。

 ダ・ヴィンチの評伝はすでに汗牛充棟なわけで、ありきたりなアプローチでいまさら評伝を書いても、屋上屋を架すことにしかならない。著者は美術にも造詣が深いようだが、美術の専門家ではないのだから、なおさらだ。

 類書との差別化のため、著者が選んだ独創的なアプローチは2つ――。

 1つは、7200枚に及ぶダ・ヴィンチの自筆ノートの内容を精緻に分析し、それを中心に据えて生涯を辿っている点。著者は、公開を前提としていなかった自筆ノートの中にこそ、ダ・ヴィンチの内面が表れていると踏んだのだろう。
 過去の評伝が、絵画や公的な記録など、いわば〝外面に表れたダ・ヴィンチ〟を中心に据えているのとは逆のアプローチである(むろん、絵画や公的な記録などにも十分目配りされているが)。

 もう1つは、画家としての側面のみならず、科学者・軍事顧問・舞台演出家などとしての側面にも等価に光を当てて、総合的な〝人間ダ・ヴィンチ〟を描いている点である。

 「等価に」というところが重要だ。過去の評伝の多くには、画家としてのダ・ヴィンチに最も価値を置き、それ以外の側面を軽視するバイアスがあった。

 それらの評伝作家は、〝ダ・ヴィンチが舞台演出や空想的な発明などにうつつを抜かさず、画業のみに集中していたら、もっと多くの名画を完成させられただろうに……〟と嘆いてみせたりした。
 周知のとおり、ダ・ヴィンチには絵画作品を未完成のまま放り投げる悪癖があった。また、ある科学的探求に夢中になると、絵など眼中になくなることもよくあった。そうした事実をふまえての嘆きである。

 だが、著者はそのような決めつけをしない。ダ・ヴィンチを〝子どものような好奇心を持ちつづけ、その探求に生涯を費やした人〟として捉え、好奇心の迸りにこそ彼の天才性を見出すのだ。

 ダ・ヴィンチは、〝絵を描くしか能がないタコツボ的天才〟ではなかった。「空はなぜ青いのか?」から「キツツキの舌はどんな構造か?」に至るまで、世界のあらゆる謎に好奇心を向け、並外れた観察力や想像力を駆使してその謎を解くことに歓びを見出した人だった。

 〝画業が中心で、他は余技〟などと決めつけず、ダ・ヴィンチのあらゆる行動を虚心坦懐に辿った結果、著者は一つの結論に達した。それは、「芸術と科学、人文学と技術といった異なる領域を結びつける能力こそが、イノベーション、イマジネーション、そして非凡なひらめきのカギとなる」(序章)ということ。
 ダ・ヴィンチの並外れた創造性のカギも、その「異なる領域を結びつける能力」の高さにあったのだ。

 昨今、〝アートとサイエンスのバランスの重要性〟が指摘され、サイエンス偏重の姿勢からはイノベーションが生まれにくいという反省が、ビジネスの世界などで生まれている。

 ダ・ヴィンチは巧まずして、アートとサイエンスという異なる領域の往還を日々くり返した。そしてそこから、時代に何百年も先駆ける多くのイノベーションを起こしてきた。「アートとサイエンスのバランス」の最高のお手本が、そこにはあったのだ。

 今年はダ・ヴィンチ没後500年にあたる。はるか500年の時を越え、21世紀の我々が学ぶべきものが、ダ・ヴィンチの生涯にはちりばめられている。

『美術とおカネ 全解剖』



 Kindle電子書籍で『美術とおカネ 全解剖――週刊ダイヤモンド 特集BOOKS』(324円)を購入し、ザッと一読。

 これは、約1年前に『週刊ダイヤモンド』(2017年4月1日号)でやった同名特集の電子書籍化。雑誌全体ではなく、特集だけ抜粋しており、その分割安になっている。



 私は当該号が出たときに興味を抱いたが、なんとなく書いそびれたもので、そういう特集記事をあとから手軽に入手できるのは素晴らしい。

 最近は私も、昔に比べて雑誌を買わなくなった。自分が仕事をしていて送られてくる雑誌を除けば、毎号買っている雑誌は皆無。
 ただし、「特集が面白そうなときだけ買う」という雑誌なら、いまでもけっこうある。

 これからの時代に雑誌が生き残っていく一つの道が、そこにあるのではないか。
 つまり、「保存しておいて、何度も読み返したくなるような特集」に注力するという、〝ムック寄りの雑誌〟になる道である。それなら、ネットに負けることはあるまい。

 さて、この『週刊ダイヤモンド』の特集、経済誌ならではの切り口で〝おカネの面から美術を語った〟ものだが、Amazonのカスタマーレビューを見ると、美術業界の人々からは「掘り下げが甘い」と酷評の嵐。

 まあ、ギョーカイ人の目にはそう見えるのかもしれないが、美術に門外漢の私から見るとなかなか面白かった。ページ数もかなり多い大特集で、幅広い内容だし。

宝木範義『パリ物語』



 月に一度くらいの割合で、仕事が詰まっているのに、まったく原稿を書く気にならない日がやってくる。
 私にとっては昨日がその日で、何もせずにダラダラと過ごしてしまった。

 昔はそんなときに「ああ、丸一日無駄にしてしまった。俺はなんてダメな奴なんだ」と落ち込んだりしたものだが、最近は「女性の生理のようなもの」だと思うことにしている。
 そのココロは、「あってあたりまえだし、ネガティブに捉える必要もない」ということ。「あ、今月は今日きちゃったかァ。しょうがないな。今日はダラダラしよう」という感じ。

 「何もせずにダラダラする日」も、人間にとっては時に必要であり、大切な「人生のすき間」なのである。
 そうした「すき間」をもうけないまま、長年ギチギチの状態で生きていると、心や体の病の引き金になりかねないのだと思う(と、怠けの自己弁護)。


 宝木範義(たからぎ・のりよし)著『パリ物語』(講談社学術文庫)読了。仕事の資料として。

 タイトルやカバーの印象は、「パリに旅する人のための旅行ガイド的エッセイ」という感じだ。じっさい、そのような読み方・用い方もできる本だが、内容はもっと高尚で文化的である。

 これは何より、「芸術の都」としてのパリの歴史をたどった文化史であり、とくに美術史にウェートが置かれた内容なのだ。
 しかも、「パリの文化史」が編年的に、無味乾燥に記録されるのではなく、薫り高いエッセイとして綴られている。
 元は新潮選書の一冊だったそうだが、講談社学術文庫に収められるにふさわしい本だ。

 著者は、世田谷美術館学芸部長なども務めた美術評論家。『ウィーン物語』という、同系列の著書もある。

『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』


ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)
(2013/12/16)
小出由紀子

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 小出由紀子編著『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』(平凡社/1995円)読了。

 アウトサイダー・アートの代表格ヘンリー・ダーガーの、主要作品と生涯をまとめたムック。2011年にラフォーレ・ミュージアム原宿で開かれた「ヘンリー・ダーガー展」の「展示解説に加筆修正し、新たに絵を選びなおしたもの」だという。

 略年譜やダーガーが暮らした当時のシカゴの地図など、資料も充実しており、手軽なダーガー入門として好適な1冊。

 編著者の小出由紀子(インディペンデント・キュレーター)以外に、坂口恭平(建築家)、丹生谷貴志(にぶや・たかし/神戸市外国語大学教授)、相対性理論のやくしまるえつこが寄稿している。
 そのうち、やくしまるえつこのものは詩なのだが、何が言いたいのかさっぱりわからない。ダーガーの作品世界を表現したつもりなのだろうけど……。私が編者だったらボツにする。

 逆に素晴らしいのが、坂口恭平の寄せたエッセイ。見開き2ページの短い文章にもかかわらず、ダーガーの作品世界の「核」を鮮やかな一閃で切り取っている。

 子供のころ、狭い団地生活を反転させるために、コクヨの学習机の下に潜り込み、毛布で屋根をかけ、自らの巣をつくった僕は独立国家をつくろうと試みた。
(中略)
 学習机の周辺には、ゲーム会社、文房具会社、秘密結社、野球興行などが勃興した。僕の頭の中では、六畳一間が一つの都市のように見えていた。



 ……と、文章の前半は“ミニ・ダーガー”のごとき自らの子ども時代の回想。そのうえで、坂口はダーガーへの熱い共感を綴っていく。

 ヘンリー・ダーガーはアウトサイダー・アートというよりもアートの語源そのものである「生きのびるための技術」を示しているように思う。
 人それぞれに「非現実の王国」の芽は存在する。
 手づくり世界乱立の日も近いのかもしれない。



 坂口の言うとおり、ダーガーは世の孤独なオタクたちに「生きのびるための技術」を教えてくれる手本でもあろう。

 「これまでの人生、一度だって楽しいクリスマスなんてなかった。新年もだ」と、ダーガーは晩年(1971年)の日記に記している。
 そんな貧しく孤独な独居老人が、狭い自室の中で、10代のころから営々と築きつづけていた空想の王国。それは誰に見せるためでもなく、ただ自分のためだけに創られた、いわば究極の「才能の無駄遣い」であった。

 たまたま家主がアートに造詣の深い人物(写真家で工業デザイナー)であったことから、ダーガーの死後、彼が自室に遺した作品群――1万5000ページに及ぶ史上最長の小説と、数百枚の挿し絵、ほかに物語を図解する絵を綴じた巨大画集が3冊――は捨てられずに保管され、のちにアウトサイダー・アートとして高く評価されるようになった。

 ダーガーが恵まれた境遇にあったら、たとえば正規の美術教育を受けていたなら、ひとかどのアーティストになっていたことだろう。
 だがそれでも、孤独のまま世を去ったダーガーの人生は、それなりに幸福なものであったのだと思う。彼は自室の空想の王国の中で、傍目にはわからない豊饒な時をすごしたのだろうから……。



 過日、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人による「意見陳述」の全文が公開され、話題をまいた。

 読んだ人の多くが思うことだろうが、この犯人には文才がある。ヘタなライターや作家よりも才能のきらめきが感じられる。たんなる意見陳述を超えて、ここには巧まざる文学がある。

 彼は犯罪になど走らず、ヘンリー・ダーガーを手本として、自室の中に王国を築く形で平和的に才能を発揮すればよかったのだ。
 それは客観的には「才能の無駄遣い」だが、彼がいまの境遇のまま幸せになる唯一の方途だったかもしれない。

千住博『芸術とは何か』


芸術とは何か 千住博が答える147の質問(祥伝社新書)芸術とは何か 千住博が答える147の質問(祥伝社新書)
(2014/03/03)
千住 博

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 千住博著『芸術とは何か――千住博が答える147の質問』(祥伝社新書/861円)読了。

 ニューヨークを拠点に国際的に活躍する日本画家の著者が、質問に答える形で自身の芸術観を語っていく本。

 大上段に振りかぶったタイトル(本書の最後の質問でもある)が示すとおり、質問の多くは「そもそも」と頭につけるのがふさわしいような“大きな問い”である。
 たとえば、「人間は、なぜ絵画を描くのですか?」「芸術家とは才能ですか、技術ですか?」「芸術家は、死ぬまで描くべきですか?」など……。

 そうした“大きな問い”の合間に、「岡本太郎は、なぜ海外で評価されないのですか?」とか、「美大、芸大の教育で画家になれますか?」などという個別具体的な問いがある。
 いずれにしても答えにくい問いが多い印象だが、著者はすべての問いにきわめて明快に答えていく。

 それらの答えの中には「うーん、極端なこと言ってるなあ」と思わせるものもあるが、「なるほど」と感心する答えのほうが多い。

 語り口調に近い平明な文章で綴られているが、随所に深い「芸術哲学」ともいうべきものが見られ、読み応えがある。

 印象に残った一節を引く。

 良い作品ほど、余白が単なる描き残しではなく、奥行きの深い空間に感じられるものです。
(中略)
 西洋絵画の場合、一般的にはいわゆる余白という概念が入り込めないような、空間すべてを描き込んで埋めてしまうものです。すべてを支配する人間中心の世界観からか、あるいはキリスト教的価値観から、神と自分の間には不可知を認めたくなかったからかもしれません。
 いずれにしても、余白への無関心は、西洋絵画が大きな行き詰まりに到達する要因でした。



 絵画の見方は、「自分」「環境」という変わりえる変数が複数ある方程式のようなものです。年齢、人生経験、立場、境遇によって、極端な場合は、朝と夜でも同じ絵画が違って見えることがあります。



 わびさびとは、空間と時間に対する尊敬の概念です。これは、その気になって探せば、世界中至るところに存在していますし、欧米の現代アートの中には、まさにわびさびとしか言いようがない仕事をしている芸術家たちもいます。これが、古いものを捨て新しいものを築いていく西欧的モダニズムのなかで、積み残されていたのです。
 わびさびは、そもそも、かつて洋の東西関係なしに皆知っていたことです。古びていくことのすばらしさがさび、そして「こんなおもてなししかできません」とお詫びする心をわびと言います。



 そもそも、「美」という感覚は、「生きていてよかった」「生まれてきてよかった」ということです。「なぜ、人間が緑の植物にや花々に美を感じるかというと、太古の昔、そこに行けば生きていけるから、それが、生存のための本能になったのでは」と、物理学の佐藤勝彦先生(東京大学名誉教授)から、うかがったことがあります。その通りだと思います。



(「生きる希望を失った人に観せたい絵画は何ですか?」との質問に答えて)
 芸術作品なら、何でもその候補です。色々な作品を観せたいと思います。すぐれた芸術作品は、基本的には生きるリアリティーに満ちており、絵画は、画家が夢中で生きて描いた証です。
(中略)
 突き詰めれば、ある意味では、絵画は生きる希望を失ったり傷ついて落ち込んでしまっている人のために存在していると言ってよいかもしれません。楽しくてハッピーな人は絵画なんか必要としていません。外に行って、ひとりで遊んでいればいいのです。




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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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