宝木範義『パリ物語』



 月に一度くらいの割合で、仕事が詰まっているのに、まったく原稿を書く気にならない日がやってくる。
 私にとっては昨日がその日で、何もせずにダラダラと過ごしてしまった。

 昔はそんなときに「ああ、丸一日無駄にしてしまった。俺はなんてダメな奴なんだ」と落ち込んだりしたものだが、最近は「女性の生理のようなもの」だと思うことにしている。
 そのココロは、「あってあたりまえだし、ネガティブに捉える必要もない」ということ。「あ、今月は今日きちゃったかァ。しょうがないな。今日はダラダラしよう」という感じ。

 「何もせずにダラダラする日」も、人間にとっては時に必要であり、大切な「人生のすき間」なのである。
 そうした「すき間」をもうけないまま、長年ギチギチの状態で生きていると、心や体の病の引き金になりかねないのだと思う(と、怠けの自己弁護)。


 宝木範義(たからぎ・のりよし)著『パリ物語』(講談社学術文庫)読了。仕事の資料として。

 タイトルやカバーの印象は、「パリに旅する人のための旅行ガイド的エッセイ」という感じだ。じっさい、そのような読み方・用い方もできる本だが、内容はもっと高尚で文化的である。

 これは何より、「芸術の都」としてのパリの歴史をたどった文化史であり、とくに美術史にウェートが置かれた内容なのだ。
 しかも、「パリの文化史」が編年的に、無味乾燥に記録されるのではなく、薫り高いエッセイとして綴られている。
 元は新潮選書の一冊だったそうだが、講談社学術文庫に収められるにふさわしい本だ。

 著者は、世田谷美術館学芸部長なども務めた美術評論家。『ウィーン物語』という、同系列の著書もある。

『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』


ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)
(2013/12/16)
小出由紀子

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 小出由紀子編著『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』(平凡社/1995円)読了。

 アウトサイダー・アートの代表格ヘンリー・ダーガーの、主要作品と生涯をまとめたムック。2011年にラフォーレ・ミュージアム原宿で開かれた「ヘンリー・ダーガー展」の「展示解説に加筆修正し、新たに絵を選びなおしたもの」だという。

 略年譜やダーガーが暮らした当時のシカゴの地図など、資料も充実しており、手軽なダーガー入門として好適な1冊。

 編著者の小出由紀子(インディペンデント・キュレーター)以外に、坂口恭平(建築家)、丹生谷貴志(にぶや・たかし/神戸市外国語大学教授)、相対性理論のやくしまるえつこが寄稿している。
 そのうち、やくしまるえつこのものは詩なのだが、何が言いたいのかさっぱりわからない。ダーガーの作品世界を表現したつもりなのだろうけど……。私が編者だったらボツにする。

 逆に素晴らしいのが、坂口恭平の寄せたエッセイ。見開き2ページの短い文章にもかかわらず、ダーガーの作品世界の「核」を鮮やかな一閃で切り取っている。

 子供のころ、狭い団地生活を反転させるために、コクヨの学習机の下に潜り込み、毛布で屋根をかけ、自らの巣をつくった僕は独立国家をつくろうと試みた。
(中略)
 学習机の周辺には、ゲーム会社、文房具会社、秘密結社、野球興行などが勃興した。僕の頭の中では、六畳一間が一つの都市のように見えていた。



 ……と、文章の前半は“ミニ・ダーガー”のごとき自らの子ども時代の回想。そのうえで、坂口はダーガーへの熱い共感を綴っていく。

 ヘンリー・ダーガーはアウトサイダー・アートというよりもアートの語源そのものである「生きのびるための技術」を示しているように思う。
 人それぞれに「非現実の王国」の芽は存在する。
 手づくり世界乱立の日も近いのかもしれない。



 坂口の言うとおり、ダーガーは世の孤独なオタクたちに「生きのびるための技術」を教えてくれる手本でもあろう。

 「これまでの人生、一度だって楽しいクリスマスなんてなかった。新年もだ」と、ダーガーは晩年(1971年)の日記に記している。
 そんな貧しく孤独な独居老人が、狭い自室の中で、10代のころから営々と築きつづけていた空想の王国。それは誰に見せるためでもなく、ただ自分のためだけに創られた、いわば究極の「才能の無駄遣い」であった。

 たまたま家主がアートに造詣の深い人物(写真家で工業デザイナー)であったことから、ダーガーの死後、彼が自室に遺した作品群――1万5000ページに及ぶ史上最長の小説と、数百枚の挿し絵、ほかに物語を図解する絵を綴じた巨大画集が3冊――は捨てられずに保管され、のちにアウトサイダー・アートとして高く評価されるようになった。

 ダーガーが恵まれた境遇にあったら、たとえば正規の美術教育を受けていたなら、ひとかどのアーティストになっていたことだろう。
 だがそれでも、孤独のまま世を去ったダーガーの人生は、それなりに幸福なものであったのだと思う。彼は自室の空想の王国の中で、傍目にはわからない豊饒な時をすごしたのだろうから……。



 過日、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人による「意見陳述」の全文が公開され、話題をまいた。

 読んだ人の多くが思うことだろうが、この犯人には文才がある。ヘタなライターや作家よりも才能のきらめきが感じられる。たんなる意見陳述を超えて、ここには巧まざる文学がある。

 彼は犯罪になど走らず、ヘンリー・ダーガーを手本として、自室の中に王国を築く形で平和的に才能を発揮すればよかったのだ。
 それは客観的には「才能の無駄遣い」だが、彼がいまの境遇のまま幸せになる唯一の方途だったかもしれない。

千住博『芸術とは何か』


芸術とは何か 千住博が答える147の質問(祥伝社新書)芸術とは何か 千住博が答える147の質問(祥伝社新書)
(2014/03/03)
千住 博

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 千住博著『芸術とは何か――千住博が答える147の質問』(祥伝社新書/861円)読了。

 ニューヨークを拠点に国際的に活躍する日本画家の著者が、質問に答える形で自身の芸術観を語っていく本。

 大上段に振りかぶったタイトル(本書の最後の質問でもある)が示すとおり、質問の多くは「そもそも」と頭につけるのがふさわしいような“大きな問い”である。
 たとえば、「人間は、なぜ絵画を描くのですか?」「芸術家とは才能ですか、技術ですか?」「芸術家は、死ぬまで描くべきですか?」など……。

 そうした“大きな問い”の合間に、「岡本太郎は、なぜ海外で評価されないのですか?」とか、「美大、芸大の教育で画家になれますか?」などという個別具体的な問いがある。
 いずれにしても答えにくい問いが多い印象だが、著者はすべての問いにきわめて明快に答えていく。

 それらの答えの中には「うーん、極端なこと言ってるなあ」と思わせるものもあるが、「なるほど」と感心する答えのほうが多い。

 語り口調に近い平明な文章で綴られているが、随所に深い「芸術哲学」ともいうべきものが見られ、読み応えがある。

 印象に残った一節を引く。

 良い作品ほど、余白が単なる描き残しではなく、奥行きの深い空間に感じられるものです。
(中略)
 西洋絵画の場合、一般的にはいわゆる余白という概念が入り込めないような、空間すべてを描き込んで埋めてしまうものです。すべてを支配する人間中心の世界観からか、あるいはキリスト教的価値観から、神と自分の間には不可知を認めたくなかったからかもしれません。
 いずれにしても、余白への無関心は、西洋絵画が大きな行き詰まりに到達する要因でした。



 絵画の見方は、「自分」「環境」という変わりえる変数が複数ある方程式のようなものです。年齢、人生経験、立場、境遇によって、極端な場合は、朝と夜でも同じ絵画が違って見えることがあります。



 わびさびとは、空間と時間に対する尊敬の概念です。これは、その気になって探せば、世界中至るところに存在していますし、欧米の現代アートの中には、まさにわびさびとしか言いようがない仕事をしている芸術家たちもいます。これが、古いものを捨て新しいものを築いていく西欧的モダニズムのなかで、積み残されていたのです。
 わびさびは、そもそも、かつて洋の東西関係なしに皆知っていたことです。古びていくことのすばらしさがさび、そして「こんなおもてなししかできません」とお詫びする心をわびと言います。



 そもそも、「美」という感覚は、「生きていてよかった」「生まれてきてよかった」ということです。「なぜ、人間が緑の植物にや花々に美を感じるかというと、太古の昔、そこに行けば生きていけるから、それが、生存のための本能になったのでは」と、物理学の佐藤勝彦先生(東京大学名誉教授)から、うかがったことがあります。その通りだと思います。



(「生きる希望を失った人に観せたい絵画は何ですか?」との質問に答えて)
 芸術作品なら、何でもその候補です。色々な作品を観せたいと思います。すぐれた芸術作品は、基本的には生きるリアリティーに満ちており、絵画は、画家が夢中で生きて描いた証です。
(中略)
 突き詰めれば、ある意味では、絵画は生きる希望を失ったり傷ついて落ち込んでしまっている人のために存在していると言ってよいかもしれません。楽しくてハッピーな人は絵画なんか必要としていません。外に行って、ひとりで遊んでいればいいのです。



山口晃『ヘンな日本美術史』


ヘンな日本美術史ヘンな日本美術史
(2012/11/01)
山口 晃

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 山口晃著『ヘンな日本美術史』(祥伝社/1890円)読了。

 大和絵や浮世絵の技法を現代美術に取り込んだ大胆な作風で知られる人気画家が、自らが愛する日本美術の作品について解説した本。平安から明治に至る長い時代の日本画を扱っている。

■参考ページ→ MIZUMA ART GALLERY : 山口 晃 / YAMAGUCHI Akira

 「鳥獣戯画」や「洛中洛外図屏風」、雪舟、河鍋暁斎、月岡芳年の諸作など、取り上げられている絵画の多くは日本史の教科書などでおなじみのものだ。

書名が示すとおり、正統的な日本美術史講義とはかけ離れた内容である。
 “この絵は、かくかくしかじかな点がすごくヘンであり常識外れだが、だからこそ魅力的なのだ”というふうに、日本美術史の有名作品の、我々シロウトがなかなか気づかない新たな魅力に光を当てたものなのだ。

 実作者にしか持ち得ない視点というものがある。たとえば、夏目房之介さんのようにマンガ家でもある人が書いたマンガ評論には、そうした視点がつねにある。
 同様に、著者が日本画に深い影響を受けた現代の画家であるからこそ、プロパーの美術評論家には持ち得ない独自の視点が、本書にはちりばめられている。

 カルチャースクールで行った講座を元にした本なのだそうで、語り口調の文章は平明だ。とくに美術の素養がなくても、楽しく読める。
 著者がアーティストであるせいか、直観的で意味の取りにくい言い回しも散見されるが、それでも全体としてはわかりやすい。

 著者は、喩え話を使うのがうまい。
 たとえば、近代の日本画には総じてある種の「ワザとらしさ」があると著者は言い、その理由を次のように説明する。

 かつての日本人が透視図法と云う概念を知らずにいる事ができたのに対して、現在の私たちは、既にそれを知ってしまいました。
 自転車に乗る事よりも、一度知った乗り方を忘れる事の方が難しいように、透視図法と云うものを忘れると云う事はできませんで、それを自覚的に忘れようとすると、近代の日本画になってしまうのです。



 なるほどなるほど。

 山口晃の絵が好きな人にとっても、彼の絵に対する考え方を垣間見せてくれるという点で、必読の書だろう。

西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』


ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)
(2012/10/17)
西岡 文彦

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 西岡文彦著『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮新書/714円)読了。

 多摩美の教授で版画家の著者による、一般向けの芸術論。
 タイトルどおりピカソの話が多いのだが、たんなるピカソ論でもピカソの評伝でもない(ただし、ピカソの生涯と業績が概観できるように書かれてはいる)。
 ピカソは現代美術の代表格としてクローズアップされているのであって、本書のメインテーマは“現代美術とそれ以前の美術では、どこがどう違うのか?”ということである。

 美術にくわしい人にとっては、本書の内容はあたりまえのことばかりかもしれない。が、門外漢の私には非常に新鮮で面白かった。

 ピカソの代表作『アヴィニョンの娘たち』について、著者は次のように言う。

 画面には、学者が学会で新しい学説を発表する時のような気負いと先鋭性がみなぎっています。いわば、今後の絵画はいかにあるべきかという課題に対するピカソ理論の発表のようなものですから、学会論文と同じで素人に理解できないのは、むしろ当然でさえあったのです。
 おそらく、この時のピカソにとって素人の理解などは眼中になかったでしょう。画商や批評家といった専門家に対して、絵画の未来を担う「前衛」としてピカソ自身の立場を知らしめ、ゆくゆくは美術館に入ってしかるべき芸術の担い手としての認知を確立することのほうが、はるかに大切だったからです。



 印象派が「タッチ」つまりは筆触を強調することで、絵画を写実から解放したのに対して、後期印象派はこのタッチを各人が独自に工夫することで、個性の表明としての「スタイル」つまりは様式というものを確立したわけです。
 二十世紀絵画の特色は、このスタイルが「イズム」つまりは芸術的な主義主張として語られ、学会における学説論争のように画壇をにぎわせた点にあります。
 ピカソの『アヴィニョンの娘たち』を出発点としたキュビズムは、そうしたイズムの代表格で、後期印象派のセザンヌが確立したスタイルをさらに先鋭化して誕生したこのイズムによって、二十世紀絵画の方向は決定されることになりました。

 

 なるほどなるほど。すこぶるわかりやすい。
 ピカソをフィルターにした平明な現代絵画入門として、門外漢ほど一読に値する好著。この著者のほかの本も読んでみよう。


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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