アンドレ・バーナード『まことに残念ですが…』



 アンドレ・バーナード著、中原裕子訳、木原武一監修『まことに残念ですが…/不朽の名作への「不採用通知」160選』(徳間文庫)読了。

 やや古い本だが、「読書猿」氏がブログで紹介していたのを見て読んでみた。

 欧米の古今の名作(小説、詩集など)が刊行される前、出版社の編集者から作者に送られた「不採用通知」の一節を集めたもの。

 もっとも、取り上げられた作品の中にはあまり知られていないものも多い。が、『大地』『白鯨』『アンネの日記』など、名作が数多く含まれているのはたしか。

 「あの名作でさえ、最初は編集者に価値を認められなかったのだから……」と、いまだ世に出ぬ作家の卵たちは大いに勇気づけられるに違いない。

 また、不採用通知の合間に、名作の不採用をめぐる面白いエピソードも集められている。そのうちのいくつかを紹介してみよう。

 バーナード・ショーが初めて書いた作品は、多くの出版社から断られつづけた。活字になったのは書いてから50年後――「出版社がわたしの名前が書いてあればどんなものでも出版するようになってから」だった。

 『ギネスブック』によれば、出版社に刊行を拒否された回数が最も多いのはスティーヴ・カントンの『ダスティ・ロード』という作品。その記録は、じつに314回(!)。

 ウィリアム・サローヤンが初めて原稿採用の通知をもらったとき、それまでにもらった不採用通知は高さ1メートルもの山になっていた。数にして、おそらく7000通以上。

 ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』は、刊行までに22の出版社に断られた。ジョイスが22歳のときに書いた同作が刊行されたのは10年後のことだった。

 世界で4000万部の大ベストセラーになった『かもめのジョナサン』は、刊行までに20数社に断られた。

 ジェイムズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のユニークなタイトルは、この小説が出版社から蹴られるたび、不採用通知を届けにきた郵便配達が決まって2度ベルを鳴らしたことからつけられた。

 詩人のリー・ペニントンは、出版社から送られてくるたくさんの不採用通知を笑いに変えるべく、さまざまな楽しみ方を考案した。
不採用通知をスクラップ・ブックに貼る。コースター代わりに使う。不採用通知の裏面を招待状にした「没」記念パーティを開く。食欲がなくなってダイエット効果が上がるように冷蔵庫に貼るetc.

 断りの文句自体がユーモアとウイットに富んでいて、面白いケースも多い。

 ナボコフの『ロリータ』に対する不採用通知には、次のような一節がある。

わたしがもっとも当惑するのは、作者がこれを発表したがっているという事実である。この本を出版するいかなる根拠も思い浮かばない。わたしはこれを千年間、石の下に埋めておくことを勧告する。



丸山健二『真文学の夜明け』



 丸山健二著『真文学の夜明け』(柏艪舎/2160円)読了。

 丸山は10代のころ、大好きな作家だった。そして、24年前の『まだ見ぬ書き手へ』は名著だった。が、『まだ見ぬ書き手へ』の続編として書かれたという本書は……、はっきり言って読むに堪えなかった。

 最近の丸山作品はみんなそうらしいのだが、まるで現代詩の詩集のようなスカスカの文字組みがなされている。この本も530ページ超の厚さなのに、1時間で読めてしまった。

 内容は、①いまの日本文学がいかにダメか、②大出版社の編集者がいかに無能揃いか、③既成の文学賞に応募しても、真にすごい作品は理解されず落とされるから無駄である、④だから、文壇や既成出版社に関わることなく、自分の作品を磨き続けるしかない……ということが、言葉を換えて何度も何度もくり返されるだけ。

 いまの文壇や文芸誌、作品をなじる言葉の中には、首肯できるものもないではない。だが、「じゃあ、他の作家や作品をそこまで下に見るいまの丸山は、それほどすごい作品を書いているのか?」と問いたくなる。

 本書によれば、丸山は文学作品を1~20のレベルで評価しており、古今の名作でもレベル15は数えるほどしかなく、芥川賞作品でも2.5~3程度だとか。

 そこまではまあいいのだが、丸山はなんと、「わが文学の作品のレベルは十五ほど」だという。つまり、芥川賞受賞作の平均値などはるかに超えて、古今東西の数えるほどしかない名作群と肩を並べるものなのだと、臆面もなく自画自賛しているのだ。
 昔ファンだった私も、さすがにドン引き。「ついていけない」という気分になる。

 かつての『まだ見ぬ書き手へ』でも、〝賞など狙わず書き下ろしで勝負せよ。編集者とはベタベタ付き合うな〟とは書いていた。それでも、編集者に対する最低限の信頼は感じられた。

 本書で大手出版社と文芸編集者を罵倒しまくっているのは、穿った見方をすれば、丸山自身がもう大手に相手にされなくなったからではないか。

 さらに穿った見方をしてみる。
 本書自体が、年間受講料50万円の「丸山健二塾」(作家要成塾)と、1作品5,000円のエントリー費(応募料)が必要な「丸山健二文学賞」の、宣伝目的で書かれているのではないか。

 本書の後半で、既成文学にはやたらと厳しい丸山が、丸山塾受講生の質の高さを持ち上げまくっているあたり、そんなふうに思えてしまうのだ。

 丸山塾の宣材として書かれたと仮定すれば、本書で〝既成の文学賞になど応募しても無駄だ〟と主張する真の理由も、なんとなく透けて見える。

 既成の文学賞を得て世に出るための塾であれば、厳しく成果が問われる。「何年も塾をやっていながら、一人も受賞者を輩出していないのか?」と……。
 だが、丸山塾ではそのような成果は問われない。そして、塾生たちは〝既成文壇には具眼の士もいないから、私たちが目指す「真文学」は認められなくて当然なのだ〟と、阿Qばりの「精神勝利法」で安堵することができる。
 塾長と塾生たちの〝相互慰撫装置〟として、完璧である。

原武史『松本清張スペシャル(100分 de 名著)』



 原武史著『松本清張スペシャル(100分 de 名著)』(NHK出版/566円)読了。

 NHK・Eテレの教養番組「100分 de 名著」で今年3月に放映された、「松本清張スペシャル」のテキスト。
 これは仕事の資料として読んだものだが、私はこの「100分 de 名著」や「知るを楽しむ」「人間大学」などのNHK番組テキストを、よく買って読む。番組はほとんど見ていないのに、テキストだけを新書感覚で読むのだ。

 このシリーズは分量も手頃だし、値段も安いし、図表なども適度に入っていて読みやすいし、入門書としてのコスパが抜群なのである。

 本書もしかり。
 松本清張の代表的4作品――『点と線』『砂の器』『昭和史発掘』『神々の乱心』――を素材に、「昭和史の闇を照らした作家」として清張を捉え直した好企画で、卓見に満ちている。

 日本政治思想史を専門とする政治学者である原氏が、歴史家・思想家としての松本清張を正視眼で評価する姿勢が好ましい。
 「所詮はエンタメ作家だから」などという偏見で軽んずることなく、膨大な史料を渉猟して独自の「清張史観」を築き上げたその努力・視点の鋭さ・先見性を、虚心坦懐に讃嘆しているのだ。

島田雅彦『深読み日本文学』



 島田雅彦著『深読み日本文学』(集英社インターナショナル新書/821円)読了。

 芥川賞選考委員でもある(が、当人は芥川賞を取れなかった)著者による、独創的な日本文学案内。
 
 『源氏物語』から説き起こし、終章ではAIによって小説が書かれる未来にまで言及している。1000年を駆け足でたどった日本文学史の概説書としても読める。

 おそらく著者の大学での講義がベースになっているのだと思うが、語り口調に近い文章で書かれており、わかりやすい。内容的にも、大学生くらいが読んでちょうどいい感じ。

 夏目漱石・樋口一葉・谷崎潤一郎について、各一章を割いて論じた中間の3つの章が、とくに面白かった。
 わけても一葉についての章は、“一葉が作家としてどう優れているのか?”が、本書を読んで初めてわかった気がする。

 帯の惹句「常識を揺るがす新しい読み方。」はいささか大げさだが、随所に卓見がある良書には違いない。
 
 ただ、隙あらば内容を現政権批判に結びつけようとするような箇所も散見され、そのへんの“要らざる政治色”は読んでいて辟易としたが……。

 以前、当ブログで島田の『小説作法ABC』を取り上げたとき、私は次のように書いた。

 本書を読んで改めて感じたのは、島田雅彦は作家としてよりもまず評論家として、ひいては文学研究者として非常に優秀であるということ。いまや島田も作家兼大学教授だが、最初から文学研究者としてアカデミズムの道を歩んでいたとしても一家を成した人だと思う。
 逆に言うと、評論家肌、研究者肌だからこそ、島田の小説はあまり面白くないのかも。



 本書からも、まったく同じ印象を受けた。

小谷野敦『純文学とは何か』



 小谷野敦著『純文学とは何か』(中公新書ラクレ/864円)読了。

 純文学の定義をめぐる論争のたぐいは、過去の文壇にもあった。が、「純文学とは何か」という問いに一冊丸ごと費やして答えるこのような一般書は、ありそうでなかったと思う。

 しかも、「古今東西すべての広い意味での文藝について、一応の位置づけをしたい」(「はじめに」)との企図から書かれた本であり、扱う範囲が広く網羅的である。
 戦後日本文学のみを対象とした狭い議論になりそうなテーマを扱いながら、海外の状況に触れ、『源氏物語』などの古典を俎上に載せ、果ては映画やマンガ、音楽などにおける「純文学」についてまで言及しているのだ。

 比較文学者で、小説の実作者でもある著者ならではの、よい仕事だと思う。

 蒙を啓かれる卓見も、随所にある。私が付箋を打った箇所を引用しておく。

 どうやら、実在の人物を描いた歴史小説の数は日本が圧倒的に多く、そのことは、海外には「純/通俗」の区別がないという俗説が形成される一因をなしていると言えるだろう。海外では、通俗小説は、推理小説とその変形の冒険小説、ロマンスが一般的で、歴史・時代小説があまりないのである。



 「黒人問題」などのまじめな主題を扱っているから純文学だ、というのは、学生などがよくやる過ちで、たとえば南北戦争の一因をなしたとされるストウ夫人のベストセラー『アンクル・トムの小屋』(一八五二)は、通俗小説とされている。お涙ちょうだいだからである。
 近代の「純文学」は、人間の醜い面をシニカルに描くというのが基本線なので、「人情」を熱く語った小説は「通俗」にされるのである。



 帯に引用されている柳本光晴のマンガ『響 ~小説家になる方法~』の人気(実写映画化も決まったそうだ)が、本書を生んだ一つのきっかけなのかも。
 ちなみに、本文にも一ヶ所だけ『響』への言及がある。
 
 

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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