ボストン・テラン『音もなく少女は』


音もなく少女は (文春文庫)音もなく少女は (文春文庫)
(2010/08/04)
ボストン テラン

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 ボストン・テラン著、田口俊樹訳『音もなく少女は』(文春文庫/920円)読了。

 デビュー作『神は銃弾』が「このミステリーがすごい!」で第1位に輝くなど、日本でも熱狂的ファンが多いテランの長編第4作。……なのだが、じつは私はこの人の小説を読むのは初めて。

 すごくよかった。
 ミステリー色はごく薄く、むしろ、3人のヒロインを力強く描き出した「女性小説」の趣がある。原題はごくシンプルに「WOMAN」だし。

 舞台は、1950年代から70年代にかけてのニューヨークはブロンクス。
 耳の不自由な少女・イヴと、彼女の母クラリッサ、そして、母娘の親友となり、クラリッサ亡きあとにはイヴの母親代わりともなるフラン――3人の女たちの闘いの物語である。

 冒険小説やハードボイルドが男たちの闘いを描くものであるのに対し、本作に登場する男たちは、ヒロインたちを虐げるクズ男か、善良だが闘いには向かない男たちばかりだ。

 悲劇を招くのが麻薬の売人をやっているような男たちの暴力であるあたり、ありきたりといえばありきたりだ。どんでん返しがあるわけでもなく、ストーリーはごくシンプルである。

 しかし、文庫カヴァーの惹句にあるとおり、「本書の美点はあらすじでは伝わらない」。
 登場人物のいきいきとした造型、細部にまで力が込められた高度のリアリティ、そして、全編にみなぎる静かな熱気にこそ価値があるのだ。

 ボストン・テランは、「暴力の詩人」と評される作家なのだそうだ。なるほど、ブロンクスの貧困家庭に満ちた陰惨な暴力を描くときにさえ、その文章には鮮烈な詩情が香る。

 テラン自身も、サウス・ブロンクスのイタリア系一家に生まれ育ったという。本書に重いリアリティがあるのは、自伝的な色合いの作品だからでもある。3人のヒロインはもちろん、彼女たちを蹂躙する憎むべき男たちにすら、血の通った人間としてのリアリティがある。

 これは、女たちの愛と勇気と誇りの物語だ。男たちと、“男最優先”の社会に虐げられてきた女たちが、長い逡巡の果てに立ち上がり、ろくでもない男たちと闘う物語なのだ。

 既成のハードボイルドでは、多くの場合、主人公は最初からタフな男として描かれる。だが、本作は違う。男たちに弱々しく従属する存在でしかなかったヒロインが、過酷な運命に鍛えられ、しだいに強くなっていく物語なのだ。
 たとえば、クラリッサが横暴な夫に初めて立ち向かうシーンには、次のような一節がある。 

 長いあいだずっと抱え込んで生きてきた恐怖が徐々にしぼみ始めたのが彼女にはわかった。人の心には独立心というものを貯め込む隠された貯蔵庫がある。その貯蔵庫が彼女に味方してくれていた。すべては自分の意志の為せる業であることが彼女には今よくわかった。



 勇気とは、筋肉と同じように、鍛えるほど強くなるものなのかもしれない。 

 クラリッサとフランに庇護される存在であったイヴだが、クライマックスでは、かつての自分のような少女・ミミを守るため、銃を手に立ち上がる。

 弱かった女たちが強くなっていくダイナミズムと、それを支える詩情とリアリティ――。この作品の魅力の核はそこにある。 

ロバート・B・パーカー『勇気の季節』


勇気の季節 (ハヤカワ・ノヴェルズ)勇気の季節 (ハヤカワ・ノヴェルズ)
(2010/03/05)
ロバート・B・パーカー

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 ロバート・B・パーカー著、光野多恵子訳『勇気の季節』(早川書房/1995円)読了。
 今年1月に急逝したパーカーの「追悼出版」作(絶筆ではない。すでに本作の邦訳が終わり、刊行準備の最終段階に入っていたときに訃報が入ったという)。

 スペンサー・シリーズではなく、ヤング・アダルト向けの青春ミステリーである。
 アマゾンの内容紹介を引用する。

 15歳のテリーは母親と二人暮らし。同い年のガールフレンド、アビーとの仲は良好なものの、なかなか大人の関係に進展しないのが悩ましい。
 テリーがアビー以外で目下夢中なのは、黒人トレーナー、ジョージに教わるボクシングだ。まだ始めたばかりだけれど、ジョージのように強くなることを夢見てトレーニングに励んでいる。
 そんなある日、テリーと同じハイスクールに通うジェイソンという少年が浜辺で死体となって見つかった。学校はそれをステロイドの乱用からくる自殺だと説明した。だが、おとなしくてスポーツもしないジェイソンがそんなものを使っていたとは信じられない。テリーとアビー、そして仲間たちは学校と町にはびこる陰謀を探りはじめた…スペンサー・シリーズの巨匠が少年のまなざしを通じて熱く温かく描く、愛と友情、そして勇気の物語。



 主人公の少年が大人の男に鍛えられていくという設定が『初秋』(スペンサー・シリーズの名作)を彷彿とさせたので、読んでみた。

 ヤング・アダルト向けだから大人の読者にはいささか物足りない部分もあるが、それでもパーカーらしさは全開で、面白く読めた。
 スペンサーも元ボクサーという設定だったくらい、パーカーにとってボクシングは大の得意分野。ゆえに、本書でもボクシングのトレーニングの場面などがすこぶるいきいきとしている。

 黒人トレーナーのジョージが、スペンサーと相棒ホークを足して二で割ったようなキャラクターで、魅力的。ジョージがテリーにボクシングを教えるいくつかの場面で、ボクシングについて語る言葉が逐一人生の比喩になっているあたりも、よくできている。たとえば――。

「冷酷になるのは試合のときだけだ。だいじなのはそういうコントロールができることだ。冷酷さに振り回されるようでは、いいボクサーにはなれないし、まともな人間にもなれないのさ」



「おれがおまえにボクシングを教えてるのは、いいボクサーにするためじゃない」
「じゃあ、いったいなんのために?」テリーはそう聞いた。
「おれは、おまえにりっぱな人間になってほしいと思って教えてるんだ」
「だけど、ボクシングができるからといって、りっぱな人間とはかぎらない」
「そのとおり」
「自分をコントロールできるようになれば、りっぱな人間になれるってこと?」
「そういうことだ」
「そうすれば、自分のプランを捨てずにやることができる……」
「まずやらなきゃならんのは、プランを立てられるようになることだ。次に、そのプランにそってやっていくことをおぼえる。プランがまちがっていたことがわかったら、そのときは新しいプランをつくってやっていく」
「なんだか、人生の話をしてるみたいだな」



 こうした場面も、『初秋』でスペンサーが心を閉ざした少年を体を鍛えることで教育するシーンを彷彿とさせて、なんだか懐かしい。
 テリーのガールフレンドである聡明な美少女アビーも、まるでスーザン・シルヴァマン(スペンサーの恋人)の少女時代のようだし……。

 とはいえ、これが『初秋』級の名作かといえば、とてもそこまではいかない。私は『初秋』を少年時代に初めて読んで以来何度も読み返したが、本書は一回読めばもういい、という感じ。
 まあ、私自身が主人公と同じ15歳のころに読んでいたら、もっと好きになれただろうけど……。

リチャード・スターク『悪党パーカー/エンジェル』

悪党パーカー・エンジェル (ハヤカワ・ミステリ文庫)悪党パーカー・エンジェル (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(1999/04)
リチャード スターク

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 リチャード・スターク著『悪党パーカー/エンジェル』読了。 
 戸梶圭太のギャング小説を読んだら、その原型というか本家本元の『悪党パーカー』シリーズを久々に読みたくなった。
 このシリーズは1997年に23年ぶりの復活作が書かれ、現在も書き継がれている。まだ邦訳されていないものまで含めると、全23作になったそうだ。

 で、この『悪党パーカー/エンジェル』は97年の復活第一作。
 そこそこ楽しめたのだけれど、2度にわたって映画化されたシリーズ第一作『悪党パーカー/人狩り』などと比べると、一段も二段も落ちる。展開がご都合主義に思えて仕方ない。

 『悪党パーカー』シリーズが画期的だったのは、プロの犯罪者たちがチームを組んで行なう現金強奪などの「ヤマ」が成功するプロセスを描いたからである。
 従来、その手の小説や映画では、モラルの規制からか、犯罪計画は肝心のところで頓挫するのがつねであった。それに対し、『悪党パーカー』シリーズの場合、パーカーを生きのびさせなければシリーズが終わってしまうわけだから、犯罪の成功はあらかじめ約束されている(……と、このへんは第五作『襲撃』に付された小鷹信光の解説の受け売り)。

 そういう「お約束」を念頭に置いたうえで、パーカーがどうやって危機を脱して逃げおおせるかのハラハラドキドキを味わうのが、このシリーズの大きな魅力である。しかし、そこに至るプロセスがあまりにご都合主義だと、読者はシラけてしまうわけだ。
 

『カラマーゾフの兄弟』別巻



 ドストエフスキーの主要作品を読み直してみよう、とふと思い立った。で、手始めに、いまベストセラーになっているという話題の新訳『カラマーゾフの兄弟』全5巻(亀山郁夫・訳/光文社古典新訳文庫)を購入。

 文庫を買うとまず解説から読む悪癖のある私は、まず「別巻」の第5巻から読んだ。
 この巻は、短い「エピローグ」が冒頭に掲載されているだけで、あとは訳者の亀山郁夫によるドストエフスキーの評伝と『カラマーゾフの兄弟』の解題が大半を占めているのだ。

 亀山はドストエフスキーの優れた研究者でもあるから、この評伝と解題だけで独立した価値をもつ。

 「真の翻訳作業を通じて原著と四つに組んだものにしか到達し得ない理解の深みというものが翻訳にはある。原文を具体的に日本語に置き換える作業そのものが作品論であり、作家論であり、文体論なのだ」
 ――そう言ったのは翻訳家の小鷹信光だが、亀山も、巨峰『カラマーゾフの兄弟』とがっぷり四つに組んだ経験を通して、一重深いドストエフスキー理解に到達したのであろう。

 とくに、100ページほどで手頃な長さの評伝「ドストエフスキーの生涯」は、簡潔にして秀逸。「ドストエフスキーってのを読んでみようかなぁ」とか考えている年若い読者は、まず最初にこれから読むとよい。格好の道案内となってくれるはずだ。

アソル・フガード『ツォツィ』

ツォツィ ツォツィ
アソル・フガード (2007/03)
青山出版社

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 アソル・フガード著、金原瑞人・中田香訳『ツォツィ』(青山出版社/1500円)読了。

 先月観た映画『ツォツィ』がすごくよかったので、原作も読んでみた。
 映画では描かれなかった各登場人物のバックグラウンドと内面が詳細に描かれているので、映画を観てからでも愉しめる。

 原作を読むと、“南アフリカ版『罪と罰』”ともいうべきこの物語の構造がより明瞭に見える。1人の犯罪者の「魂の蘇生」を描いているのだ。
 『罪と罰』のラスコーリニコフがインテリであるのとは対照的に、ツォツィは教育らしきものをまったく受けていない。当然文盲であり、赤ん坊を拾ってから自分の心に起きた変化の意味さえ、言葉にすることができない。そこで、犯罪仲間でただ1人大学出の「ボストン」に、その意味を問う。ボストンは答える。
「ツォツィ、おまえが知りたがっているのは神様のことなんだ」
 と……。
 文盲のラスコーリニコフが、褐色のソーニャに出会って魂を救われる物語。ごく正統的な堂々たる文学であり、哀切な青春小説でもある。

 映画が現在を舞台にしているのに対し、1980年に発表されたこの原作の舞台は、アパルトヘイト真っ只中の1960年代初頭だ。
 映画版にはほかにもいくつかの変更点があるが、そのアレンジはいずれも成功している。原作のコアの部分を巧みにすくい取り、より磨きをかけた、「小説の映画化」のお手本のような作品だと思う。 

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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