中村淳彦『名前のない女たち』 |
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2008-08-27 Wed 11:07
中村淳彦著『名前のない女たち/企画AV女優20人の人生』(宝島社文庫)読了。 副題のとおり、「企画AV女優」20人を1章1名ずつ取り上げたインタビュー集である。
この手の本では、故・永沢光雄の『AV女優』(現・文春文庫)が評価が高い。あの本は男性誌のカラーグラビアを飾るような単体女優のみを扱っていた。いっぽう、本書はアングラ色の強い企画女優ばかりを取り上げているので、登場する女性たちの語るライフストーリーはいっそう凄絶である。 永沢光雄の著作はAVファンの枠を超えて多くの識者に絶賛され、永沢は作家への道を歩み始めていた(その矢先に惜しくも病没)。類書である本書は、永沢作品と比べると文章に滋味が乏しいが、女優たちの語る半生自体が劇的なので、最後まで興味深く読める。 とくにすごいのが、冒頭を飾る結城杏奈へのインタビュー。彼女は家族ぐるみのホームレスだったという。8人の子どもたちを置いて父親が蒸発。病弱で敬虔なカトリック教徒だった母親は子どもたちを連れて全国各地の教会を頼り歩き、その果てに公園でホームレス暮らしを始めたのだった。 9人家族の公園ホームレス生活。『ホームレス中学生』も真っ青である。そしてその後も、レイプで初体験・イジメ・援交・自殺未遂・兄との近親相姦・母親の作った3000万円の借金を返済するためのAV界入り・精神病院への入院……と、すさまじい体験が矢継ぎ早に口から飛び出す。
……などと、凄惨な経験をあっけらかんと話す明るさが妙に切ない。 結城杏奈の半生(といっても、インタビュー時まだ19歳)だけでも、ケータイ小説よりすさまじい。それでもまだ本書の20分の1。なんとも濃ゆい本である。 もっとも、結城杏奈の人生ドラマがあまりにすごいので、残り19人は割を食って見劣りがするのだが、それぞれにキョーレツではある。 やはりというべきか、どこか尋常ではない、壊れた感じの女性が多い。本書を読んだあとに永沢の『AV女優』を読み返したら、そこに登場する女優たちが「フツー」に見えてきたほどだ。 たとえば、食事しながらのインタビューに、「お腹がすいているんだけど、噛むのが面倒くさいから食べたくない」と言う女優は、固い食べものが嫌いで煎餅を食べたことがない(!)という。ううむ……。 |
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『週刊ダイヤモンド』「エンタメ全解剖」 |
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2008-08-20 Wed 23:53
現在発売中の『週刊ダイヤモンド』(2008年 8/23号)の特集「エンタメ全解剖」が、たいへん面白かった。 経済の視点から日本のエンタメ市場を鳥瞰する、というコンセプトが新鮮。 東宝・ホリプロ・劇団四季・日本レコード協会・オリコン・落語協会の各トップにそれぞれインタビューを行なうなど、取材もていねいだ。 出版という、“業界全体がもはや泥船”みたいな世界に身を置いているため、私はなんとなく、「日本のエンタメ・ビジネス全体もジリ貧で展望がないのだろう」というイメージを抱いていた。ところが、この特集を読むとそうでもないようなのだ。 日本のエンタメ市場(映像・音楽・音声・ゲーム・遊園地・コミック・ステージの合計)は市場規模9兆3300億円にのぼり、いまなお「成長産業」なのだという。 とくに意外だったのは、世界的に低落傾向にある音楽業界にあって、日本市場は低落に歯止めをかけることに成功した、との指摘。その背景には「着うた」市場の爆発的拡大などがあって、「たとえばユーミンなどは、最もCDが売れていた頃と収入は変わっていないはず」(オリコングループCEOの談話より)なのだとか。 本・雑誌が売れない、CDが売れない……などという不景気な側面にばかり目を向けていては見えない、エンタメ業界のもう一つの側面が見える好特集だ。 難を言えば、「エンタメ全解剖」と銘打ちながら、マンガ業界やゲーム業界についての記事がないのは、ちょっとバランスを欠いている気がする。 まあ、ゲームについては『週刊ダイヤモンド』の読者層は関心が薄いのだろうし、泥沼不景気のマンガ業界(→参考:「マンガ市場は10年連続マイナス成長」)の記事を入れたら、「エンタメ市場はこんなに盛り上がっている」という特集の前提が崩れただろうけど……。 |
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アマルティア・セン『議論好きなインド人』 |
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2008-08-13 Wed 00:07
アマルティア・セン著、佐藤宏・栗屋利江訳『議論好きなインド人/対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』(明石書店/3990円)読了。 アジア初のノーベル経済学賞受賞者であるセン博士が、母国インドの歴史と文化、そしてインド人のアイデンティティを論じた大著。センの著作の中では異彩を放つ一冊である。センの経済学がベースとなった部分(インドの食糧政策について論じた項目など)もあるものの、全体としては専門外の分野にあえて踏み込んだ内容だからだ。 センは、米ハーバード大学などで教鞭をとるいまも、インド国籍を保持しつづける「筋金入りの『愛国者』」(訳者解説)である。また、飢饉や貧困の解決をライフワークとして掲げる彼の経済学の原点には、少年時代に遭遇した「ベンガル大飢饉」の衝撃があるといわれる。 インドを愛し、インド人であることにこだわりつづけるセンにとって、この浩瀚なインド論はけっして経済学者の余技などではなく、書かれるべくして書かれたものなのだろう。 16章に分けられた内容は、多岐にわたる。インドの核保有について論じた章もあれば、インドにおけるジェンダー不平等を論じた章もあり、インドにある多様な「暦」を通じてインド文化の特徴を探った章もある。16の異なる角度から大国インドに光を当て、その全体像を浮き彫りにしていく試みなのである。 そして、各章で展開される分野別のインド論はいずれも、ステレオタイプのインド理解に異を唱え、読者に新たなインド像を提示するものとなっている。 たとえばインドと中国を比較した章では、両国の歴史的関係が仏教史にのみ目を向けられがちであることに異を唱え、宗教以外の分野における知的交流史に光を当てている。 わけても、多くの日本人にとって最も新鮮なのは、「インドにおける永い議論好きの伝統とその現代的な意義」に焦点を当てた部分であろう。 “神秘主義と宗教原理主義の国”というインドに対するイメージをセンは突き崩し、「対話の伝統と異端説の受容」の歴史をたどっていく。仏教徒だった古代のアショーカ王やイスラム教徒だった16世紀のアクバル皇帝が、対話を重視し他宗教に寛容な政策を打ち出したことが、例として挙げられる。 そこから浮かび上がるのは、古代ギリシャと並ぶ民主主義の源流ともいうべきものがインドの歴史の中には厳然とあり、現代まで脈々と受け継がれてきた、ということである。 本書のもう一つの特徴は、センの個人的体験に大きく依拠したインド論だということ。たとえば、センは詩聖タゴールと浅からぬ縁で結ばれているが(センの名付け親もタゴール)、そのタゴールの思想についても一章が割かれている。逆にいえば、教科書のようにバランスのとれたインド論ではないのだが、その偏りの中にこそ、本書の独創性と魅力もある。 ■関連エントリ 『人間の安全保障』書評 『安全保障の今日的課題』書評 |
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竹熊健太郎『篦棒な人々』 |
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2008-08-09 Sat 18:29
竹熊健太郎著『篦棒(ベラボー)な人々/戦後サブカルチャー偉人伝』(河出文庫/893円)読了。 偉人の枠を超えた4人の「怪人」たち――康芳夫(マルチプロデューサー、虚業家)、石原豪人(挿絵画家、画怪人)、川内康範(『月光仮面』原作者、生涯助ッ人)、「ダダカン」こと糸井貫二(全裸の超・前衛芸術家) ――へのロング・インタビュー集。 雑誌に載ったインタビューを集めた本というと、ふつうは10〜20人分くらいで1冊になるものである。それが、この本ではたった4人だけ。つまり、一人ひとりへのインタビュー内容がそれだけ濃密なのだ。掲載誌が赤田祐一時代の『クイック・ジャパン』で、一人につき50ページとかの破格の紙数だったからこそ可能となった濃密さである。 4人が4人とも、波瀾万丈というか破天荒な人生を歩んできた人たちであり、しかもキャラ的にすごく「濃ゆい」メンツなので、そのライフストーリーをたどるだけでも面白い。とくに、川内“耳毛”康範の語る生涯は強烈だ。 くわえて、竹熊氏のインタビューがじつにうまい。入念な準備をし、手際よく話を進め、相手に対する礼儀を失せず、それでいて突っ込むべきところは突っ込んでいる。 インタビュー内容がほぼそのまま活字になっている感じなので、インタビューの進め方のお手本としても読める。 竹熊氏には、またこういう読みごたえあるインタビュー集を出してほしいところ。 てゆーか、氏は最近インタビューの仕事ってやっていないのではないか。少し前に「たけくまメモ」で「(フィギュアスケートの)荒川静香をインタビューしたい」と書いていたが、あれはけっきょく実現しなかったのだろうか? |
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ジェレミー・レゲット『ピーク・オイル・パニック』 |
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2008-08-05 Tue 11:43
ジェレミー・レゲット著、益岡賢ほか訳『ピーク・オイル・パニック/迫る石油危機と代替エネルギーの可能性』(作品社)読了。 先日読んだ『地球最後のオイル・ショック』が衝撃的だったので、類書を読んでみた。こちらは英オックスフォード大学で地球科学を講じていた地質学者によるもの。とはいえ、論文臭はなく、文章は平明だ。 『地球最後のオイル・ショック』に比べると、著者が地質学者であるだけに、ピーク・オイルのメカニズムの解説はさらに詳細になっている。石油をめぐる人類史を振り返ることにもかなり紙数が割かれており、ピーク・オイルと地球温暖化の関係についての考察もていねい。問題の全体像を鳥瞰するには、こちらのほうが好適だ。 もう一つの特長は、『地球最後のオイル・ショック』よりも、ピーク・オイル後の未来について楽観的である点。著者はソーラー発電が人類の未来を救うと確信しており、「石油・天然ガス・石炭はすべて再生可能なエネルギーで代替可能である。しかも、ほとんどの人が考えるより短期間で達成できる」と言い切る。 もっとも、著者は英国最大の独立系ソーラー発電企業のCEOでもあるから、その分割り引いて読まなければならないだろうが……。 「エピローグ――青い真珠の星の未来」には、人類が石油依存と訣別して地球に優しい文明を築き上げた夢の未来が描かれている。 また、環境活動家・田中優による日本語版解説も、オリジナルな情報を追加して、エネルギー源が自然エネルギーに切り替わり、石油紛争も水紛争もなくなった未来に期待をかける内容である。 2つの文章を読むと、ピーク・オイルにまつわる不安が軽減され、ほっとする。 |
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上杉隆『ジャーナリズム崩壊』 |
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2008-08-02 Sat 04:36
上杉隆著『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書/777円)読了。 ベストセラー『官邸崩壊』で知られる気鋭のジャーナリストによる、日本のジャーナリズムの現状に対する徹底批判の書である.。批判の対象となっているのはおもに大新聞と、NHKなどのテレビ・ジャーナリズム、そして記者クラブ制度。 政界ものの仕事が多い著者だけに、本書で俎上に載るのはもっぱら政治ジャーナリズム。その意味では、田勢康弘の『政治ジャーナリズムの罪と罰』(1994年)の類書ともいえる。ただし、田勢の本よりはるかに激烈な批判、痛烈な皮肉に満ちた内容である。 脂の乗り切った売れっ子ジャーナリストならではの「勢い」が全編にみなぎっていて、読んでいて気持ちのよい本だ。 著者が主張していることに目新しさはない。が、随所にちりばめられた著者自身の取材裏話がたいそう面白く、それが主張に説得力を与えているし、読み物としても秀逸。 とくに、著者が目の当たりにした大マスコミのエリート連中のゴーマンさ、センスのズレかげんを示すエピソードの数々は、ほとんど抱腹絶倒ものである。 大学でメディア論を講じている学者が書くような机上の空論は一つもなく、すべての批判と提言にヴィヴィッドな現場感覚が満ちている。 つい先日起きた『朝日新聞』「素粒子」による「死に神」事件についても言及されていたりして、鮮度の高い内容にしようとする意欲が感じられる点も好感。 一点気になったのは、「主流」たる新聞・テレビ批判に力を入れるあまり、雑誌ジャーナリズムの「肩をもつ」印象が、わずかながらあるところ。 たとえば、米『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長(著者はかつて同支局所属の記者であった)の、次のような発言が引用されている。
日本の「雑誌ジャーナリズム」って、そんなにたいそうなもんかね? 週刊誌報道のほうが新聞よりよほど問題山積みだと私は思うけれど……。 P.S. 「ダイヤモンド・オンライン」に著者が連載しているコラム「週刊・上杉隆」も面白い。オススメ。 |
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デイヴィッド・ストローン『地球最後のオイルショック』 |
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2008-07-26 Sat 11:07
デイヴィッド・ストローン著、高遠裕子訳『地球最後のオイルショック』(新潮選書/1575円)読了。 『毎日新聞』の書評欄で、養老孟司が「現代人必読の書」と紹介していたので買ってみた本。 ううむ、これはたしかに衝撃的な内容だ。『不都合な真実』よりも恐ろしい事実が、淡々とした冷静な筆致で書かれている。 現在進行中の石油価格高騰のホントの理由も、米国が無理やり理由をこじつけてイラクに侵攻したホントの理由も、この本でわかる。久々に、読後に「世界の見方が変わる」感覚を味わった。 本のカバーに書かれた紹介文を引用する。
「近い将来石油は枯渇する」という話なら1970年代にさんざん言われていたことだが、本書が予測する危機は石油がゼロになることではなく、「ピーク・オイル」を迎えることだ。 「ピーク・オイル」とは、原油生産がピークを過ぎて減少に向かい、伸びつづける需要に追いつかなくなること。しかもそれは、埋蔵量がまだ半分残っている段階で訪れるという。 石油は地中湖のような形で埋蔵されているのではなく、地下深い連結した岩の穴(孔隙)の間に閉じ込められている。油田が見つかった当初は自然の巨大な圧力によって原油は自噴してくるが、油層の圧力はしだいに弱まっていく。そして、ある時点からはまったく自噴しなくなってしまう。 以後は、人工的に圧力を維持するしかない。少し離れた場所に別の井戸を掘って水や天然ガスを注入するなどして、原油を押し上げるのである。 埋蔵量が減るほど圧力も減衰し、採掘コストは増え、生産量は落ちる。したがって、石油会社は採算割れした時点で油田を放棄せざるを得なくなるのだ。 ……それが一つの油田における「ピーク・オイル」だが、やがて世界全体の「ピーク・オイル」が訪れる。世界の原油生産がピークを迎えると、以後は年率3%で生産量は減少していくと予想されている。だが、中国の急発展などもあり、世界の石油消費量は年々増えつづけているのだ。 では、世界の「ピーク・オイル」はいつ訪れるのか? 論者によって開きはあるものの、おおむね2010年代には訪れると予測されている。もちろん、石油会社や産油国はそのことを認めようとしないのだが……。 「ピーク・オイル」を迎え、原油価格がいまよりもさらに高騰をつづければ、「石油文明」といってもよいほど石油に依存している現代文明の根幹が大きく揺らぐ。 英BBCのジャーナリストである著者は、2年間に及ぶ綿密な取材によって、「ピーク・オイル」(著者はそれを「ラスト・オイルショック」と表現する) が不可避であり、ごく近い将来に訪れることを論証してみせる。そして、それが現代文明にどれほどの破壊的影響をもたらすかを、豊富な論拠に基づいてつまびらかに予測する。また、各国政府や私たち一人ひとりがその日に備えてできることは何かについても、模索していく。 もちろん、著者の主張がすべて正しいとはかぎらない。が、本書を読むかぎり、信憑性は相当に高い。これはアヤシゲな予言のたぐいではなく、第一級の調査報道である。と同時に、文明のありよう、経済のありようについての再考を読者に迫る、質の高い文明論でもある。 「ラスト・オイルショック」が訪れたとき、人類は否応なしに石油依存との訣別を迫られる。それは長い目で見れば地球環境のために望ましい転換なのだが、温暖化の危機が即座に回避されるわけではない。太陽光発電や風力発電などではすぐに石油に取って代わることはできないし、石油不足を補うため天然ガスや石炭への依存を強めれば、石油以上に温暖化が加速されるからだ。 著者が英国人なのでイギリスについての記述が多いが、自前の油田などなく、食糧自給率も低い日本にとって、「ラスト・オイルショック」の影響はより甚大なものになるだろう。 マイカーがゼイタク品になり、自転車通勤があたりまえになる世界。遠い国から安価に食物を輸入できなくなり、近場でとれるものを「地産地消」して生きるしかなくなる世界。本や雑誌、CDやDVDがゼイタク品になる世界(私のようなフリーライターが生きていく余地は果たしてあるだろうか?)……。 「ラスト・オイルショック」後の世界を想像すると不安になるが、一方では、自分の中にどこかワクワクするような気持ちがあることを否定できない。 近い将来の温暖化危機をいくら強調されても本気になれなかった我々人類は、「ラスト・オイルショック」が眼前に訪れたとき、初めて本気で文明の方向転換に取り組めるのではないか。それが人類に激烈な「痛み」をもたらすとしても、その危機を乗り越えたときこそ、21世紀にふさわしい新たな文明が始まるのではないか。……そんな期待も感じるのである。 |
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