手塚るみ子『定本 オサムシに伝えて』ほか



 今日は、手塚治虫先生の長女・手塚るみ子さんを取材。高田馬場の手塚プロダクションにて。

 女性誌の「父の日」用企画「父を語る」のための取材である。
 手塚さんの著書『定本 オサムシに伝えて』(立東舎文庫)、『こころにアトム』(カタログハウス)を読み、以前読んだ『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(水木悦子・赤塚りえ子との共著)を再読して、取材に臨む。

■関連エントリ→ 水木悦子・赤塚りえ子・手塚るみ子『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』

 初対面の手塚るみ子さんは、取材スタッフに細やかな配慮をされる、「サービス精神と気配りの人」であった。

 〝偉大すぎる父を持ったがゆえの葛藤〟は特殊であるとしても、るみ子さんが語る「父と娘」の物語は普遍的で、娘を持つ父でもある私は深く胸打たれた。

山上たつひこ『大阪弁の犬』



 山上たつひこ著『大阪弁の犬』(フリースタイル/1728円)読了。
 マンガ家・小説家の二足のわらじを履く著者の、自伝的エッセイ集である。

 マンガ家としての創作活動の舞台裏など、「マンガ史の生きた資料」としての内容を期待して手に取った。もちろんそういうエッセイもあるが、分量は全体の半分くらい。

 残りは、少年期の思い出や、いまの金沢での暮らしぶりを地元誌に連載したものなど、いかにもエッセイ然としたエッセイである。むしろ「随筆」と呼びたい感じの……。

 ただ、マンガとは直接関係のないその手のエッセイも、とてもよい。優れた小説家でもあるのだから当然だが、山上は文章がうまい。「名文家」と呼んでいい域に達している。
 印象に残った一節を引いてみよう。

 漫画家とは漫画という製品を作る小さな町工場の経営者であり、作者自身も背を丸め、製品の納期に向けて汗を流す虫のような労働者の一人なのである。漫画家の社会的地位が向上したといわれる今も作業の本質は変わらない。
 私小説作家が自己をなぞり懊悩を語る。しかしなあ、とぼくは泣き笑いの表情になる。太宰治がもし漫画家だったら、「生まれて、すみません」などとうそぶく前に「もう十分だけ寝かせてくれ」と言ったに違いない。
 一週間の平均睡眠時間が三十分と少し。一度あの眠さ、徹夜の辛さを体験してみなさいよ。懊悩も何も、あなた。(「あの頃ぼくは眠かった」より)



 マンガ・ネタのエッセイでは、山上がデビュー前、大阪の「日の丸文庫」で貸本漫画の編集者をしていたころのことを書いた一連の文章が、とくに面白い。貸本漫画末期の様相をヴィヴィッドに伝える、貴重な資料でもある。

 『喜劇新思想大系』や『がきデカ』などの舞台裏を綴ったエッセイも読み応えがあり、マンガ家・山上たつひこのファンなら必読の一冊になっている。

■関連エントリ 
山上たつひこ『追憶の夜』
山上たつひこ『天気晴朗なれども日は高し』ほか

みなもと太郎『マンガの歴史』1



 みなもと太郎著『マンガの歴史』1巻(岩崎書店/1080円)読了。

 出たばかりの本。マンガ史研究家としても評価の高いマンガ家・みなもと太郎さんが、「画業50周年」を記念して刊行開始した、書き下ろし(語り下ろし?)マンガ史の第1巻。全4巻の予定とのこと。

 図版がただの一つも使われていないという、シンプル極まりない本。「マンガ史本」としては異例だが、当然、はっきりした意図の下にあえてそうした体裁をとったのだろう。 

 この巻は、手塚治虫登場前夜(戦前・戦中)のマンガ状況から説き起こされ、手塚およびトキワ荘の面々の活躍、劇画の誕生、貸本マンガの台頭、初期の少女マンガ、週刊少年マンガ誌の登場などが、手際よくたどられる。
 最後の章で光が当てられるのが『巨人の星』だから、次巻は『あしたのジョー』の話から始まるのだろう。

 200ページに満たない本だからサラッと読めるが、マンガ史の肝を的確に押さえた記述はさすがだ。
 そして、『風雲児たち』の作者らしく、独自の確固たる「マンガ史観」が全編の底に流れていて、その史観に沿って戦後マンガ史をたどる内容になっている。各章がブツ切りになっておらず、日本のマンガ史が一つの太い流れとして理解できるのだ。

 蒙を啓かれる記述も多い。
 たとえば、私は「『あしたのジョー』はいま読んでもすごい名作だが、『巨人の星』はいま読むとお笑いマンガでしかない」と軽んじていたが、『巨人の星』がマンガ史においていかに画期的であったのかが、本書で初めて理解できた。

 「マンガ史本」はこれまでにも少なくないが、本シリーズこそ決定版になるのではないか。全4巻、買い続けることを決定。

 そういえば、『風雲児たち』は三谷幸喜脚本で来春のNHK正月ドラマになるとか。慶賀に堪えないが、「どうせなら大河ドラマにすればいいのに」と思ってしまった。

■関連エントリ→ みなもと太郎『レ・ミゼラブル』

三田紀房『徹夜しないで人の2倍仕事をする技術』



 三田紀房著『徹夜しないで人の2倍仕事をする技術――三田紀房流マンガ論』 (コルク/378円)読了。
 電子書籍が安かったので買ってみたもの。通常の紙書籍の半分くらいのボリュームしかないので、サラッと読める。

 『ドラゴン桜』などのヒット作で知られるマンガ家・三田紀房が、自らのマンガ術・作劇術を語り下ろしたもの(構成者の名が記されていないが、ライターか編集者がまとめたものと思われる)。

 本書で明かされている著者の仕事ぶりは、まるで『ドラゴン桜』の主人公・桜木のように、業界の常識にとらわれない合理的なものだ。徹夜してヘロヘロの状態では生産性が上がるわけがないから、徹夜はしない。会社員のように自分もアシスタントも9時5時で働き、〆切は守る、などなど……。

 著者は、西武百貨店でサラリーマンとして働き、父のあとを継いで家業の衣料品店を経営したあと、30歳で生まれて初めて描いたマンガでデビューした――という経歴の持ち主。
 それだけに、子ども時代からマンガ家を目指していた人とは、発想そのものが違う。一つのビジネスとして、生産性をつねに考えながらマンガ作りに取り組んでいるのだ。

 あなたが個性を探しているプロセスには、誰も一円もお金を払わない。完成原稿にしか価値はないのだ。それなのに、マンガ家をはじめ多くの表現者が自分の個性を見つけることにばかり力を注ぎ、作品を作ることを忘れている気がしてならない。
 個性なんて気にするな! そんなものはなくていい。先人から大いに学び、多少表現をパクってもどんどん原稿を作っていこう。それが、マンガ家として生きていくということだ。



 ……などという割り切った考え方が披露される、異色のマンガ論である。
 『ドラゴン桜』や『インベスターZ』、『砂の栄冠』など、ヒット作の設定を決めるまでの舞台裏が語られる部分は、マンガ家志望者などにとって大いに参考になるだろう。

 ただ、初めて描いたマンガでいきなりデビューしたことからわかるとおり、この著者もある種の天才なのだと思う。
 ゆえに、本書で著者が「◯◯なんて簡単だ」と言っていることの多くは、凡人にとっては非常に難しいことであり、とても内容を鵜呑みにはできない。

峯島正行『回想 私の手塚治虫』


 
 峯島正行著『回想 私の手塚治虫――「週刊漫画サンデー」初代編集長が明かす、大人向け手塚マンガの裏舞台 』(山川出版社/2160円)読了。書評用読書。

 『週刊漫画サンデー』は、『少年サンデー』の小学館とは関係ない、実業之日本社から出ていたマンガ誌(すでに休刊)。いわゆる「マンサン」である。
 その創刊編集長であった著者が、同誌に多くの作品を発表した手塚治虫との思い出を綴ったもの。

 著者は、本書の最終編集段階にあった昨年11月、90歳で亡くなったという。
 そのような経緯を知るとケチもつけにくいのだが、あまり面白くなかった。

 いや、けっして悪い本ではないのだ。
 しかし、手塚治虫の逝去から30年近くを経て、ありとあらゆる「手塚本」が汗牛充棟のいま、その中で上位に位置するようなものではないと思う。

 「手塚本」がごまんとある(身もフタもないことを言えば、「手塚本」以外のマンガ家本は売れない)からには、よほど斬新な切り口で迫らないかぎり、屋上屋を架すだけになってしまう。
 本書の新しい切り口は何かといえば、手塚の「大人マンガ」への挑戦に的を絞っていることだ。

 「大人マンガ」といってもよくわからないだろう。
 これはかつて、少年マンガ・青年マンガ・劇画などという区分が未分化だった時代、マンガ一般が「児童マンガ」と呼ばれていたことから、それに対する呼称として生まれた言葉。子ども向けではない風刺マンガなどを総称して「大人マンガ」と呼んだのだ。

 「児童マンガ」の世界に王者として君臨していた手塚治虫が、昭和40年代、「大人マンガ」の世界で初めて本格的なストーリーマンガに挑戦したその舞台が『漫画サンデー』であり、著者はその挑戦を間近に見つめた伴走者であった。
 『漫画サンデー』から生まれた手塚の「大人マンガ」としては、『人間ども集まれ!』、『上を下へのジレッタ』、『一輝まんだら』(未完)などがある。

 その時期の舞台裏が綴られているという点で、本書はマンガ史の貴重な資料と言える。
 とくに、手塚もその一員となった「漫画集団」(大人マンガの作者が中心となったマンガ家団体)とのかかわりが詳細にたどられている点は、他の「手塚本」には見られない独自性と言える。

 ただ、本書には次のような瑕疵があると思った。

 第一に、「漫画集団」内の大物マンガ家であった横山隆一、馬場のぼる、小島功らについて、必要以上にくわしく書きすぎ。「これでは『手塚本』ではなく、漫画集団の本だ」と思ってしまった。

 第二に、本書後半は手塚のアニメへの挑戦と「虫プロ」の興亡についての記述がメインとなるが、そのような構成にする必然性がまったく見えない。

 虫プロ時代については、『虫プロ興亡記』(山本暎一)などの優れた書物がすでにあるし、著者はそのへんのことを直接見聞きしたわけではないから、既成の本の引用と再構成によるしかない。要は、おもな「手塚本」をすでに読んでいる者にとっては“知ってる話”ばかりなのだ。

 著者自身の手塚との思い出だけでは一冊にならなかったのなら、後半は『漫画サンデー』以外に載った手塚の大人向けストーリーマンガ(『陽だまりの樹』や『アドルフに告ぐ』など)の紹介・分析に充てるべきだった。
 そうすれば、「大人向けマンガの描き手としての手塚治虫」について、体系的に論じた本になり得ただろう。

 なお、最終章「小林一三の恩恵」は、阪急電鉄創業者にして宝塚歌劇の生みの親である小林一三が、手塚の作品世界にいかに大きな影響を与えたかが論じられており、読み応えがある。
 しかしこれとて、桜井哲夫が『手塚治虫――時代と切り結ぶ表現者』(講談社現代新書/1990年)の「宝塚という不思議な空間」の章ですでにくわしく論じていることであり、著者の独創とは言えない。


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。54歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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