山川健一『ブルースマンの恋』



 山川健一著『ブルースマンの恋』(中公文庫)読了。

 1980年代には、ロックとブルースに造詣が深い小説家といえば、この山川健一が筆頭に上がったものだ。『ロックス』など、音楽小説の著作を次々に出していたし、ミック・ジャガーやキース・リチャーズにインタビューして本にまとめたりもしていた。

 私も、少年時代に山川の初期作品『壜の中のメッセージ』を読んで、「カッコイイなァ」とシビレたものだった。そもそも、ロックの世界を描いた小説自体がほとんどなかった時代だったし。

 だが、89年に花村萬月がデビューし、『ブルース』など音楽小説の傑作を発表し始めると、山川は途端に影が薄くなってしまった。小説家としての力量も、ロックやブルースに対する造詣の深さも、明らかに花村のほうが上だったからだ。
 山川は完全にポジションを奪われてしまったのである。

 ……以上は私が勝手に思うことで、世の中には「いや、俺は山川のほうが上だと思う」という人もいるだろうけど。

 本書の元本は、山川がまだコンスタントに音楽小説/音楽エッセイの著作を出していたころ――1989年に刊行されたもの。犬の写真を大きく用いた単行本のカバーが、とてもオシャレで印象的だったのを覚えている。



 当時の私はブルースが苦手だったからスルーしてしまった本だが、今回初めて読んでみた。

 小説ではなく、有名なブルースマンの生涯と作品を紹介していく音楽エッセイだ。
 マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェームス、ロバート・ジョンソン、サン・ハウス、ハウリン・ウルフ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン(Ⅱ世)といった大御所中心の人選で、“人物素描の形式を借りたブルース入門”として読むことができる。

 女性誌に連載されたエッセイだそうで、ブルースについてほとんど何も知らない初心者にもわかりやすい書き方がなされている。
 さすがに作家だけあって、音楽評論家が書いたブルース本よりも人物紹介の仕方が手慣れている。

 ただ、山川の自分語りの比率がけっこう高くて、読んでいてウザい。
 自分語りをしても、それが面白く読めればいいのだが、まるで面白くない。「話が横道にそれた」としか感じられないのだ。
 自分語りを封印し、その分だけブルースマンたちの人生を深く掘り下げていたら、もっといい本になっただろう。

 

ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』



 ウェルズ恵子著『魂をゆさぶる歌に出会う――アメリカ黒人文化のルーツへ』(岩波ジュニア新書/886円)読了。

 ブルースについてもっと知りたくて、関連書籍を読みかじっているのだが、これもその一つ。
 著者は立命館大学教授で、アメリカ文学・文化の研究者。

 アメリカ黒人音楽のルーツを探る本だが、音楽のみならず、黒人文化全体に広く目を向けている。たとえば、2章と3章は黒人たちに語り継がれてきた民話についての考察だ。

 高校生くらいを主な対象とした「岩波ジュニア新書」の一冊だから、語り口はすこぶる平明。それでいて内容は深く、私にとっても勉強になった。

 マイケル・ジャクソンの話から説き起こされている。年若い読者たちが興味を持ちやすいようにとの配慮であろう。
 自らの“黒人性”を削ぎ落とそうとしていたかのように見えたマイケルだが、それでも、彼の作品やアートには黒人文化からの強い影響が垣間見える、と著者は言う。

 たとえば、マイケルの「ムーンウォーク」は、奴隷制度時代の「リング・シャウト」(=黒人教会で、信者たちが輪になって歌いながらすり足で回り続ける行為)にまで、そのルーツを遡ることができるという。
 そのような目からウロコが落ちる指摘が、随所にある。

 ブルース(本書の表記は「ブルーズ」)についてのまとまった考察は最後の7章のみだが、その章におけるブルースの歌詞の読み解きは、さすがの深さ。

ジョーゼフ・ジョルダーニア『人間はなぜ歌うのか?』



 ジョーゼフ・ジョルダーニア著、森田稔訳『人間はなぜ歌うのか?――人類の進化における「うた」の起源』(アルク出版/3132円)読了。書評用読書。

 グルジア(ジョージア)出身の音楽進化学者で、現在はメルボルン大学教授の著者が、音楽の起源、歌の起源についての新たな仮説を提示した野心的著作。

 地球上に歌わない民族はいないわけだが、「人はなぜ歌うのか?」は「人類の進化の過程における最大の謎の一つ」である。
 これだけ歌うことが一般的である以上、「歌うほうが生存に有利になった」という事情があったはずだが、その「事情」が何なのかがわからないのだ。

 大声で歌うことは、危険な肉食獣に人間の居場所を知らせてしまうことになるわけで、むしろ生存に不利であったはずだからだ(じっさい、鳥たちも地上に降りたときにはさえずるのをやめるし、ヒトは「地上に住んでいながら歌う唯一の種」なのだという)。

 では、人間はなぜ歌うようになったのか? 著者はその理由を、多くの先行研究をふまえたうえで、大胆に解き明かしていく。

 二部に分かれており、前半の第一部では、モノフォニー(独唱などの単旋律音楽)よりもポリフォニー(多声音楽)のほうが先行して存在したことが論証されていく。
 順序として、まず誰か一人が歌い始め、歌う習慣が広がっていくなかで複雑なポリフォニーも生まれていった……と考えるのが自然だろう。じっさい、従来はモノフォニーが先に生まれたと考えられてきた。
 著者はその常識を覆してみせたのだ。

 「はじめにポリフォニーがあった」という第一部の結論は、第二部の内容を理解するために必要不可欠なものである。
 ただ、一読者としての率直な感想を言えば、第一部は非常に退屈だ。歌のポリフォニー様式が世界各地に分布することなどが必要以上に詳述されており、「早く『人間はなぜ歌うのか?』という話に進め!」と言いたくなる。
 この第一部はもっとコンパクトにまとめて、一章程度にすべきだった。

 後半の第二部「人間はなぜ歌うのか?」になってようやく本題に入り、一気に面白くなる。

 著者が提示する、「歌の起源」をめぐる大胆な仮説は、“人間は、肉食獣に対する威嚇行動として、集団で歌い始めた”というもの。

 獣たちに比べて非力で足も遅い人間たちは、「ハンター」にはなり得なかった。ライオンなどの肉食獣が獲物を捕らえたとき、その獲物を横取りする「スカベンジャー(腐肉食者)」として生きのびるしかなかったのだ。

 そのため、人間たちはライオンなどの狩猟行動を見張り、彼らが狩りに成功したと見るや、みなで大声を上げて威嚇し、追い払おうとした。
 もちろん、肉食獣に殺される危険も大きかったわけだが、みなで大声を上げて威嚇する行動は「戦闘トランス」状態を生み出し、死の恐怖を忘れることにも役立った。
 そして、「歌の起源」が集団威嚇行動にあったからこそ、「はじめにポリフォニーがあった」のだ。

 なんというか、ロマンのかけらもない、身もフタもない仮説ですね(笑)。

 「歌の起源は威嚇行動」という説自体は著者以前にもあったようだが、その説を整合性のある一つの「ストーリー」にまとめ上げたのは、著者の手柄である。

 当否はともかく、話としては抜群に面白いし、著者の仮説に従えばいろんな謎の辻褄が合う。

 ただ、本書巻末の解説で岡ノ谷一夫(動物行動学者/東大教授)が苦言を呈しているように、著者の提示するストーリーには「若干の飛躍」がある。原始時代の人類の行動を、見てきたように語る危なっかしさがあるのだ。

 たとえば著者は、人間たちが肉食獣を追い払うための威嚇行動の一助として、派手な彩色のボディペインティングを施して威嚇効果を高めた、と主張している。
 そのへんもまさに「見てきたように」書かれているのだが、「想像の域を出ていないのに、断定的に書いていいのか?」と首をかしげたくなる。

 ……とケチをつけてしまったが、第二部の面白さはかなりのもので、音楽の好きな人なら一読の価値はある。
 

中山康樹ほか『ジャズ・ロックのおかげです』



 今日は、確定申告書を税務署に提出。

 〆切から約1ヶ月遅れただけ……というのは、私にしては上出来(笑)。
 還付金が返ってくる立場の場合、多少遅れてもノープロブレムなのである(ただし、収入がメチャ多くて追加の税金を払う立場=源泉徴収税額では足りない立場の場合、期限に遅れたら1日ごとに延滞金が発生し、どえらい目に遭う)。


 中山康樹、ピーター・バラカン、市川正二著『ジャズ・ロックのおかげです』(径書房)を読了。
 
 1994年刊。前から欲しかった本で、長らく入手困難(中古市場でも高値を呼んでいた)であったのだが、ようやく相場が下がって買えた。

 ジャズ・ロックの名盤を著者3人が各15枚ずつ選び、その解説をしていくパートがメインの本。
 そのパートの前に、ジャズ・ロックの定義をめぐって3人がてい談しているのだが、各人の定義が噛み合っておらず、微妙に食い違っている。

 ゆえに、3人が選ぶ名盤15枚のセレクトも、ほとんどは重なっていない。
 本書のカヴァーにも用いられているスティーヴ・マーカスの名盤『カウンツ・ロック・バンド』や、トニー・ウイリアムス・ライフタイムの『エマージェンシー!』などが、わずかに重なっているのみだ。

 そうしたズレ具合自体が、ジャズ・ロックという不思議であいまいなジャンルに対する一種の“批評”にもなっている。

 まあ、プログレッシブ・ロック、ブルース・ロックなどの他ジャンルも、その定義には相当あいまいな面があるわけだが、それにも増してジャズ・ロックはあいまい極まりないジャンルなのだ。

■関連エントリ→ 松井巧『ジャズ・ロック』『ブリティッシュ・ジャズ・ロック』

 3人の著者のうち、中山康樹の文章は終始おちゃらけていて、ひどい。しかも、笑いを狙った箇所がことごとくオヤジギャグ的ダダ滑りで、少しも笑えないし。
 2015年に亡くなった人なので死者に鞭打つようだが、「もっと真面目に書けや!」と言いたくなる。

 逆に、ピーター・バラカンのパートは、ジャズ・ロック黎明期のロンドンで青春を過ごした人ならではのヴィヴィッドな現場感覚に満ちており、面白い。「へーえ。イギリス人の目にはそう映るんだぁ」という驚きが随所にあるのだ。

橘川幸夫『ロッキング・オンの時代』



 橘川幸夫著『ロッキング・オンの時代』(晶文社/1728円)読了。

 1972年、渋谷陽一らとともにロック雑誌『ロッキング・オン』を創刊した著者が、創刊からの約10年間の舞台裏を綴った書。

 私自身が『ロッキング・オン』を読むようになったのは1979年のことで(いまはもう読んでいない)、創刊当時のことは「伝説」としてしか知らない。が、私が読み始めたころの同誌には、草創期の青臭さ・文学臭がまだ濃厚に残っていた。普通の商業ロック誌でしかない現在の「ロキノン」とは別物なのだ。

 少年時代に毎月買っては貪るように読んでいた、あのころの『ロッキング・オン』の空気感が本書にも濃密に流れていて、懐かしくなった。

 創刊当時の著者や渋谷は、まだ大学生。出版界の常識も何も知らないまま、試行錯誤の連続で新しいメディアを創り上げていくプロセスが、読んでいてすがすがしい。

 今の学生であれば、世の中の仕組みをそれなりに理解しているから、いろいろ始める前に事業計画を立てたり、出資を募ったりすることもあるのだろう。当時は、そんなことを考える学生はいなかった。まずやりたいものを作る。あとは、成り行きで動いていくしかない。



 当時のことは、渋谷の著書『音楽が終わった後に』でも章を割いて綴られていたが、橘川の視点から見るとまた違う景色が見えてくる。

 『ロッキング・オン』という一雑誌の歴史であると同時に、「ロックがいちばん熱かった時代、70年代カウンターカルチャーの息吹を伝えるノンフィクション」(版元の惹句)として、読み応えのある一冊。

 橘川は、読者からの投稿のみで成り立っていた「全面投稿雑誌」『ポンプ』の創刊者でもある。
 本書には、ソーシャルメディアの源流のような雑誌『ポンプ』の、草創期の舞台裏も綴られている。無名時代の岡崎京子(『ポンプ』にイラストを投稿していた)との思い出などは、大変興味深い。

 「参加型メディア」は今では「CGM(Consumer Generated Media)」と呼ばれ、一般的になったが、「参加型メディア」という言葉を使ったのは僕がはじめてだと思う。当時、言葉もなかったし、そういうコンセプトでメディアに向かっていた人は、他に知らない。


 
 ……と書いているとおり、橘川のメディアの未来を見通す慧眼は群を抜いていたと思う。

 これはうろ覚えで書くので細部は違っているかもしれないが、80年代初頭の『ロッキング・オン』で、橘川が打ち出した「ファクシミリ・マガジン」なるコンセプトに対し、渋谷陽一が批判をしていた。
 「ファクシミリ・マガジン」とは、“既成の雑誌の好きなページだけを読者が選んで買い、ファクスで送ってもらい、自分だけの一冊を作れる雑誌”……というアイデアだったと思う。
 それに対して渋谷は、「そういう“足し算の発想”ってダメだと思う」「いまあるもので間に合わせられるものって、けっきょく大したことはないんだ」などと批判したのだ。 

 だが、現時点から振り返れば、橘川の発想のほうが、ネット時代のメディアのありようを正確に予見していた。
 「note」のように欲しいコンテンツのみを個別に買ったり、好きなウェブページのみをブックマークして読んだりするという、いまではあたりまえのメディア享受の姿勢は、「ファクシミリ・マガジン」の発想そのものだ。
 ネットなど影も形もないころから、ネット時代のメディアを見通していた橘川の慧眼畏るべしである。

■関連エントリ→ 篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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