石川明人『キリスト教と戦争』



 Amazonの電子書籍読み放題サービス「Kindle Unlimited」が本日スタートしたので、さっそく登録。
 ざっと見た範囲では、ラインナップはまだ貧弱。とくに、マンガは「読み放題」というほどではない。

 とはいえ、月額980円という安さだから、本や雑誌をたくさん買う人なら、間違いなく元は取れる。
 たとえば私の場合、『サイゾー』と『ニューズウィーク日本版』と『サンデー毎日』がタダで読めるだけでも、十分ペイする。

 一度に10冊までしかダウンロードできない仕組みになっている。
 つまり、それ以上読みたい場合、10冊のうちのどれかを「利用終了」(=削除)しなければならないのだ。ゆえに、所有欲は満たされないし、何度も読み返す本はけっきょく別に買うことになるだろう。

 「なんだよ、全然 Unlimitedじゃないじゃん」と思ったのだが、これはなかなかうまい仕組みだと思う。無限にダウンロードしたままにできるのなら、それこそ誰も本など買わなくなってしまうだろうし……。

 
 昨日は都内某所で、カトリックの信徒団体「聖エジディオ共同体」のアルベルト・クァットルッチ事務総長を取材。テーマは、同団体が長年進めてこられた死刑廃止運動について。

 バチカンの関係者を取材するのは初体験。バチカンといっても信徒団体だからか、ダンディで陽気なイタリア紳士であった。

 カトリックの人を取材したからというわけではないが、行き帰りの電車で、石川明人著『キリスト教と戦争――「愛と平和」を説きつつ戦う論理』(中公新書/886円)を読了。

 映画『プライベート・ライアン』に、兵士たちがロザリオに口づけして神に祈りを捧げてから銃を撃つ場面があった。我々非キリスト教徒にとっては驚かされる場面である。
 「愛と平和」を説くキリスト教を信仰しながら、なぜ戦えるのか? なぜ銃で人が撃てるのか? その理由を、キリスト教の歴史と内在論理を紐解きながら解説していく本。

 印象に残った一節を引く。

 もし最初からすべてのキリスト教徒が「平和主義的」に振る舞っていたら、キリスト教徒は絶滅していたか、せいぜい小さいセクトであるにとどまっていたのではないかと思われる。後のキリスト教徒は、実際には、異教徒や他教徒を迫害し、戦争や植民地支配を行って勢力を拡大し、安全保障にも現実的に取り組むことで、生存し、仲間を増やしてきた。今現在も、世界中いたるところに二三億人ものキリスト教徒がいるということが、少なくとも主流の教派は、決して純粋な非暴力主義でも完全な平和主義でもなかった証拠であろう。キリスト教は真理であるから世界に広まったのだ、などと思い込んでいるとしたら、それはナイーブというよりむしろ傲慢である。



 二一世紀現在でも、絶対平和主義と正戦論との間ではさまざまな議論がなされている。キリスト教信仰に基づいた絶対平和主義者の声も、決して小さいわけではない。しかし、キリスト教主流派の歴史においては、やはり条件付きで戦争を肯定するのが基本的なスタイルとして引き継がれてきたのである。そうした思想は、五世紀にはすでに明らかな形で現れ、一三世紀以降はある種の権威・伝統さえ有するようになって現在にいたっているというのが、端的な事実なのである。



 私にとっては目からウロコが落ちまくる内容だった。キリスト教に対する認識が変わる良書。
 仏教の視点から「宗教と平和」の問題を考察した松岡幹夫氏の『平和をつくる宗教』(これは名著)と、併読するとよいと思う。

佐藤優・竹内久美子『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 』



 このところ、「リオ五輪を支える日本の中小企業」という企画で、五輪公式サプライヤーとなった企業の取材をしている。
 どの企業にもドラマがあるし、日本のものづくりの底力を垣間見るようで楽しい。“リアル『下町ロケット』”という趣なのだ。

 昨日は、千葉県流山市の卓球台メーカーを取材。
 行き帰りの電車で、佐藤優・竹内久美子著『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? ――宗教と科学のガチンコ対談』(文藝春秋/1620円)を読了。

 リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』を話の入り口に、神学と科学の接点(というか衝突点)を軸に話が展開する対談集である。
 タイトルが示すとおり、竹内久美子はどちらかといえば聞き役に回っており、「近代プロテスタンティズムにおける神概念」について佐藤さんがさまざまな角度から説明するくだりが多い。
 
 「ガチンコ対談」という副題どおり、議論の火花が散る箇所も一部にあるが、全体としてはなごやかな雰囲気の対談だ。

 私のような門外漢から見ると、キリスト教と神のイメージがかなり変わる内容である。たとえば、佐藤さんの次のような発言に驚いた。

 われら神学をやってきた人間からすると、ドーキンスの議論というのは、二十世紀の神学者カール・バルト以前の議論であって、すでに僕らから見ると解決済みとしか思えない。(中略)人間が自分の願望とか願い事でつくり上げてきた神様は、キリスト教が禁止しているところの偶像だということになった。プロテスタント神学のほうではね。



 対談の最後にも、ダメ押しのように次のような発言がある。

 フォイエルバッハが言うように、神学の秘密は人間学なんです。神が人間をつくったんじゃなくて、人間が神をつくった。だから人間の側からしか神について語れない以上、裏返して、人間学を高めて神学にしていくしかない。



 竹内の話の進め方もうまく、読む前に予想したよりもずっと質の高い対談集だった。

前田亮一『今を生き抜くための70年代オカルト』



 昨日は、取材で京都へ――。
 早朝に家を出て、夕方には帰宅するとんぼ返り。書くべき原稿もたまっているので、どこにも寄り道せず。

 行き帰りの新幹線で、前田亮一著『今を生き抜くための70年代オカルト』(光文社新書/886円)を読了。
 UFO、UMA(未確認動物)、超能力、心霊写真、ピラミッドパワー、大予言など、1970年代のオカルトブームを総花的に再検証し、最後にいまの日本におけるオカルトについて考察した本。

 といっても、批判的検証からは遠いし、「と学会」の「トンデモ本」シリーズのような「オカルトブームを笑い飛ばす」という角度でもない。

 著者は取り上げたオカルト事象について、否定も肯定も注意深く避けている。「こういうことがありました」的な客観的記述に徹しているのだ。
 ただし、取材で会ったユリ・ゲラーについて「エネルギッシュで若々しく、その迫力には圧倒されるばかりであった」と肯定的に言及しているように、“やや肯定寄り”なスタンスではある。

 「今を生き抜くための」というタイトルはなんだかよくわからないが、「けっして面白半分にオカルトを取り上げた本じゃないんですよ。社会的意義のある真面目な考察なんです」という、世間向けのエクスキューズが込められているのだろう。

 著者の意図はどうあれ、私は興味本位でこの本を楽しんだ。なにしろ、著者とも同世代であり、子ども時代に70年代オカルトブームの直撃を受けた世代だから……。

 本書で取り上げられた事象でいうと、ユリ・ゲラーの超能力も、『うしろの百太郎』に出てくる守護霊も、ノストラダムスの大予言も、ツチノコの存在も、私はすべて信じていた(子どものころの話である)。
 だからこそ、“70年代オカルト・カタログ”としても読める本書は、「あー、こんなのあったねえ」と単純に懐かしくて楽しかった。

 たとえばツチノコについて、『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄のマンガ『幻の怪蛇バチヘビ』で、私は知った。
 しかし、いまとなっては「バチヘビ」なんて呼び方はほぼ忘れ去られているだろう。だからこそ、『幻の怪蛇バチヘビ』が70年代ツチノコ・ブームのきっかけであったことを正しく指摘する本書の記述を、うれしい思いで読んだのだ。

 「考察」の面では、エピローグの次の一節が心に残った。

 なぜ日本は、73年のノストラダムスの大予言に始まるオカルトブームに、90年代後半までどっぷりと浸かっていたのか? そこには、日本人特有の滅びの美学と滅亡史観があったと思う。そして、オカルトブームとともに選民思想的な精神主義が噴出したのだ。それは、日本的な宗教観といってもいいだろう。



 この一節は、明らかにオウム真理教事件を念頭に置いて書かれている(ノストラダムスの大予言を取り上げた第7章にも、オウムへの言及がある)。
 上祐史浩らオウムの幹部たちは、70年代オカルトブームの直撃を受けた世代であり、オウムの活動にもその影響ははっきりと見てとれる。

 連合赤軍事件が日本の学生運動にとどめを刺したように、「オタク世代の連合赤軍事件」とも呼ばれたオウム事件は、70年代からつづいていたオカルトブームにとどめを刺した。
 それでも、かつて日本を「オカルト大国」にした心性は、いまも変わらず毛根のように残っている。きっかけがあれば、すぐにまた芽吹くのだ。本書は、そのことを改めて感じさせる。

 私同様、70年代オカルトブームをリアルタイムで知る世代なら、面白く読める本だろう。

■関連エントリ→ 大田俊寛『現代オカルトの根源』

魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』



 今朝方の地震には驚いた。
 多摩地域が最高震度5弱を記録したため、我が家の揺れは「3.11」以来の大きさだったのである。家族4人で飛び起きてしまった。「ああ、とうとう首都直下がきたか」と、一瞬観念したよ。
 ただ、最初の揺れこそ強烈だったものの、あっという間に収まったけれど。


 魚川祐司著『仏教思想のゼロポイント――「悟り」とは何か』(新潮社/1728円)読了。

 東大大学院でインド哲学・仏教学を専攻し、現在はミャンマーでテーラワーダ(上座部)仏教の研究と実践をしているという著者による、仏教思想の根幹部分の解説書。
 メインテーマとなるのは、副題のとおり「『悟り』とは何か」ということ。釈尊が菩提樹の下で「悟った」とき、彼は何をどのように悟ったのか? 「仏教思想のゼロポイント」ともいうべきそのテーマに、果敢に挑んだ本なのである。

 悟り(涅槃・解脱)の内実に迫っていくのは後半部分で、前半ではその前提となる仏教の基礎知識について解説している。縁起、無我、輪廻など、我々がなんとなく「わかったつもり」になっている重要概念について、改めてその本質が論じられるのだ。

 著者が若い(1979年生まれ)ためか、難しいテーマのわりにはポップな本だ。文章は平明、主張は明快。読者をニヤリとさせるくすぐりも随所にある。

 何より痛快なのは、釈尊は「人間として正しく生きる道」を説いたのだ、などという紋切り型の微温的解釈を、著者がきっぱりと退けているところ。

 釈尊が説いた本来の仏教は、労働を否定し、生殖(恋愛や性行為そのものも含む)を否定し、現代風に言えば「異性とは目も合わせないニートになれ」と修行者に求めるものであって、一般的意味での「人間として正しく生きる道」など説いていない、と著者は言うのだ。
 釈尊の教えの本質を突きつめていけば、ハードコアな理解としてはそうなるであろう。

 「輪廻」を釈尊がどう捉えていたか、仏教における「慈悲」とは本来どのようなものであるのかなどを解説した部分も、まことに面白く、勉強になる。

 ただ、著者は次に引く一節のように、大乗仏教そのものをほぼ全否定する立場に立っているので、その点で私とは相容れない。

 利他行を主にやりたいだけなのであれば、そういう目的の宗教を別につくればいいことで、わざわざ新しい経典を制作してまで、自らの立場を「仏教」だと主張する必要もなかったはずである。ならば、なぜ「大乗」の徒は、あくまで「仏教」の枠内において、自己の立場を確立しようとしたのであろうか。



 原始仏教と大乗仏教は大きく隔たっているというのは、著者の言うとおりである。
 ただ、私は逆に、本書でくわしく解説されている釈尊の本来の教えに、まったく魅力を感じない。そのことを改めて認識させられた書でもあった。

呉智英・宮崎哲弥『知的唯仏論』



 呉智英・宮崎哲弥著『知的唯仏論』(サンガ/1728円)読了。
 発刊されてすぐに購入し、ずっと積ん読しておいたもの。読んでみたら大変面白かった。

 呉智英は、評論家として宮崎哲弥の師匠筋にあたる。師弟対談集である。
 2人は1999年にも、『放談の王道』という対談集を編んでいる。これは非常に充実した素晴らしい対談集で、私はいまでもたまに引っ張り出してきて拾い読みする。
 
 『放談の王道』が広範なテーマを扱っていたのに対し、本書はずばり仏教がテーマだ。
 呉が好著『つぎはぎ仏教入門』(2011年)を上梓したことが、本書のきっかけになったのだろう。「まえがき」に言うとおり、「仏教の外部にいて、しかも仏教を高く評価する非信者」(呉)と、「仏教の内部にいながら特定の宗派・教団に属していない仏教徒」(宮崎)の対談なのだ。
 この組み合わせならではの、他に類を見ない独創的な仏教対談になっている。

 呉の専門分野であるマンガ(手塚治虫の『ブッダ』を筆頭とした宗教マンガ)の話から始まる前半は、たいへん読みやすい。後半はやや難解になるが、それでも、重要な問題提起と卓見が随所にあり、最後まで面白く読める。

 ただ、仏教については宮崎のほうが圧倒的にくわしいため、後半は宮崎の独演に呉が短く感想を述べるだけの箇所が多い。丁々発止の応酬が心地よかった『放談の王道』に比べ、本書には“言葉のラリー”の醍醐味が乏しいのだ。
 それでも、質の高い対談集には違いない。『つぎはぎ仏教入門』の内容を一段掘り下げた仏教入門としても読める。

■関連エントリ→ 呉智英『つぎはぎ仏教入門』


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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