森達也『死刑』



 昨日は、後輩ライターの結婚披露宴に参加するため、埼玉県深谷市へ――。
 心あたたまるよい披露宴であった。

 行き帰りの電車で、森達也著『死刑』(角川文庫/761円)を読了。仕事の資料として。

 オウム真理教元幹部への取材をつづけてきた森達也は、幹部の多くが死刑囚であるため、日本の死刑制度に深い関心を抱くようになった。そこから手掛けた、最初の死刑関連書である(その後、何冊かの類書を出している)。

 これは素晴らしい本。死刑について関心を持った人が最初に読むべき本としておすすめしたい。

 章ごとに多くの当事者(死刑執行経験のある元刑務官、犯人が死刑となった犯罪被害者の遺族、死刑制度反対運動を続ける弁護士、冤罪を晴らして生還した元死刑囚、死刑囚本人など)を取材していくルポルタージュである。
 と同時に、日本の死刑制度や死刑存廃問題の論点、各国の制度などについての入門書としても、大変よくできている。

 本書を書き始めた段階では、森達也は死刑廃止派・存置派のいずれでもない。そして最後の章まで、自分はどちらの立場に立つべきかを迷いつづける(最後にやっと廃止派としての旗幟を鮮明にする)。
 そのことが、結果的に本書の美点になっている。廃止派・存置派いずれかの立場に寄った、バイアスのかかった本になっていないのだ。

 その点で、本書は死刑制度を描いたマンガの白眉である『モリのアサガオ』(作者・郷田マモラも本書に登場)と、よく似ている。
 『モリのアサガオ』でも、主人公の新人刑務官は、最後まで死刑に対する自らのスタンスを決めかね、迷いつづけるのだ。

 『A』『A2』以来、森達也の作品に通底するのは、善悪二元論によりかかる「思考停止」を排し、他者への想像力を研ぎ澄まそうというメッセージだ。本書もしかり。
 森達也らしい、彼の書き手としての美点が十全に発揮された本になっている。

■関連エントリ→ 『A』『A2』

斎藤友佳理『ユカリューシャ』



 昨日は、午前中に国立の一橋大学で守島基博教授を取材。

 で、隣町なので一度家に帰り、夕方に目黒の「東京バレエ団」本部にて、バレリーナの斎藤友佳理さんを取材。
 まったく分野の異なる取材のダブルヘッダーなので、頭を切り替えなければならず、一度帰れたのはちょうどよかった。

 斎藤さんの自伝『ユカリューシャ――不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ』(文春文庫)を読んで臨む。
 これはとてもよい本。とくに、左ひざ靭帯断裂の大ケガを負って再起不能と言われながら、そこから奇跡的な復活を遂げるプロセスが感動的だ。

 印象に残った一節を引く。
 

 バレエダンサーにとっての身体は、音楽家にとっての楽器のようなものである。楽器の調子が悪かったからいい演奏ができなかった、という言い訳は通用しない。体型、体力、体調を常に良い状態にキープしておくのは、ダンサーの務めだ。



「踊れなくなって初めて、バレエが自分にとってどれほど大切なものだったかがわかる」
 と、コーリャが言ったのは、現役を引退した後だった。本当の大切さがわかったときには、もう踊れないという残酷。
 まだ踊れる可能性を残しているあいだにそれに気づくことができた私は、幸運だったとしか言いようがない。



 バレエという芸術が、観る人を一瞬にして夢の世界に引きずり込む力を持っているとしたら、それは、ダンサーが最高に輝ける時期があまりに短いからこそではないだろうか。



 斎藤さんは、鈴を鳴らすような声でソフトに話される方だった。しかし、そのやわらかい外面の奥に、運命に屈しない強靭さが秘められているのだ。
 

小林美希『ルポ 保育崩壊』



 小林美希著『ルポ 保育崩壊』(岩波新書/864円)読了。仕事の資料として。

 保育園をめぐる問題というと、まず頭に浮かぶのが「待機児童問題」であり、その原因たる保育園不足・保育士不足にばかり目が向けられがちだ。
 これは逆に、“保育の質・保育士の質の低下こそが深刻な問題なのだ”と主張する本である。

 利益優先で、人件費を削るために低賃金重労働になり、疲弊する現場。保育士の人数を確保するために採用の間口を広げ、経験不足の保育士に重くのしかかる責任。……などという実態から、保育の質が劇的に低下し、崩壊の危機にあるのだと、著者は警鐘乱打する。

 ていねいな取材がなされたルポだとは思うが、あまりにもマイナス面ばかり強調しすぎだと思った。まず「保育崩壊」というタイトルありきで、それにふさわしいひどい事例ばかり集めている印象なのだ。

 登場してコメントしている議員が共産党・社民党・民主党(現・民進党)だけだったりして、取材対象の偏りも感じられる。「保育崩壊というテーマにかこつけて安倍政権を叩きたいだけちゃうんか」と言いたくなる。

 本書を読むと、「保育園は、子どもが事故死したり、虐待まがいの扱いを受けたりしかねない恐ろしい場所だ」という、極端なネガティブイメージだけが心に残ってしまうだろう。
 中にはひどい保育園もあるだろうが、それはごく一部なのではないか。

 いずれにせよ、読後感はけっしてよくない本である。

岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居』



 岩岡千景著『セーラー服の歌人 鳥居――拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)読了。

 本書と同時に第一歌集『キリンの子』を上梓し、マスコミにも多数取り上げられている話題の歌人・鳥居の半生をたどったノンフィクションである。著者は『中日新聞』の記者。

 小学5年のときに目の前で母に自殺され、その後に保護された児童養護施設ではひどい虐待を受け、ホームレス生活を経験し……といった壮絶な半生を、著者は克明に追う。

 この手の本では、著者が「いかに悲惨な体験をどぎつく書いて、読者の目を引くか」しか考えていないようなものも散見する。

 たとえば、「女性の貧困」をテーマに底辺風俗を取材にくる記者の中には、「いまの子、普通すぎるのでちょっと……。もっと悲惨な子はいませんか?」と店側に要望するような者もいるらしい。その場合、取材対象者は「読者受けするキワドイ話のための素材」でしかないわけだ。

 それに対して、2人の娘をもつ40代シングルマザーである著者は、“母の目線”で鳥居を見ている。彼女を見世物にするのではなく、一人の表現者としてきちんととらえようとする視点が感じられるのだ。その点が好ましい。

 胸を打つのは、過酷な体験をしてきたサバイバーである鳥居が、短歌と出合ったことによって「生きる力」を得たという事実である。

「芸術は、私にとっては贅沢品でも嗜好品でもなく、生きるために必要なもので――食費を削っても……実際、3日に1食で暮らしていた時でも、私は美術館や図書館に行くほうを選びました」

 

 文学の力、文学がもたらす「救い」について考えさせられる一冊。
 彼女の表現者としての歩みは、ちょっと柳美里さんを思わせる。どこかの雑誌で2人の対談をやったらいいと思う。 



村田らむ『ゴミ屋敷奮闘記』



 村田らむ著『ゴミ屋敷奮闘記』(有峰書店新社/1490円)読了。

 ライター・イラストレーター・マンガ家の著者が、ゴミ屋敷専門の清掃業者「孫の手」で2年間(取材を兼ねて)働いた体験をまとめたルポ。
 著者は「らむ」という可愛らしいペンネームだが、クマっぽい容姿のおじさんである(ちなみに、「村田らむ」は回文)。

 読んでも何のためにもならない本だし、感動できるという内容でもない。しかし、読み始めると異様な迫力に引き込まれ、最後まで一気読みせずにいられない。

 ゴミ屋敷専門といっても、「孫の手」はマンション等の汚部屋を手がけることが多い(たまには一戸建てもある)。また、部屋の住人に清掃に立ち会わせることを基本としている(捨てるものと残すものの判別をさせるためであり、「掃除のやり方を覚えてほしい」という教育的意味合いでもある)。
 その2つの特徴が、本書に類書にはない独特の味わいを与えている。

 それは、「えっ? こんな人が自分の部屋をゴミ屋敷にしちゃうの?」という意外性であり、清掃に立ち会う部屋の主とのやりとりの面白さだ。
 
 清掃した部屋の写真も随所に載せられており、それらの写真だけでも一見の価値がある。
 天井まで届く勢いで部屋を占領したゴミの山、トイレがわりに小便を入れた(ゲーム廃人がゲームをしながら小便するらしい)ペットボトルの山、一人暮らしの男の部屋から発掘されたトラック一杯のエロマンガ……。いやはや、すさまじい。いわゆる「汚部屋」のイメージをはるかに超えたゴミ屋敷の事例が、次々と登場する。

 テレビのニュース番組で取り上げるゴミ屋敷の住人には心を病んでいる人が多いのだろうが(だから、笑いものにするような取り上げ方には問題があると思う)、本書に登場するゴミ部屋の主の多くはフツーの人だ。

 フツーに会社勤めをしていて、街で会ってもゴミ部屋の主だなどとはとても思えないタイプ。意外に女性も多く、びっくりするような美人もいるという。
 しかし、部屋はすごいことになっている。そういう人たちが、なんらかの事情(工事業者を部屋に入れないといけないとか)で部屋を掃除する必要に迫られる。だが、自分の力ではとてもできないため、やむなく業者に頼むのだ。

 ゴミ部屋の主の一人は、著者たちにこう言いわけをしたという。

「ゴミがある程度の高さになったらそこにカーペットを敷いて、その上にまた机とかを買い揃えて生活してたんです。三段目がゴミで埋まってしまって、もうこれ以上はさすがに生活スペースが取れなくなってしまいました」



 ううむ……。感覚のどこかがぶっこわれている。普通に会社員として生活していても、やはりある種の病理を抱えたタイプがゴミ部屋の主となるのだろう。

 ゴミ部屋の主になるきっかけには、失恋も多いという。

 失恋のショックから落ち込んで荒れた生活を続けるうちに、ゴミ屋敷に。一人では片付けられないレベルになって、そのまま放置……というパターンだ。



 また、ヤンキーっぽい人からの清掃依頼はほとんどなく、「男女問わず、どちらかといえばオタクな人のゴミ屋敷清掃依頼は多い」とか。
 ヤンキー・タイプは部屋に異性を呼ぶから、キレイにしておく必然性がある。それに対し、部屋に人を入れず、趣味の品をどんどん増やしていくオタク・タイプは、部屋を「巣」にしてしまいがちなわけだ。

 「奇書」ではあるが、人の営みの底知れぬ深淵を覗き込むような面白い本。

■関連エントリ
吉田太一『遺品整理屋は見た!』
吉田太一『遺品整理屋は聞いた! 遺品が語る真実』
高江洲敦『事件現場清掃人が行く』


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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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