内澤旬子『ストーカーとの七〇〇日戦争』



 内澤旬子著『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋/1650円)読了。

 ストーカー事件を扱ったノンフィクション/フィクションの多くは、第三者が取材・調査に基づいて書いたものだ。
 それに対し、本書は被害者が優れた文筆家であったという偶然――著者にとっては不幸な偶然――が生んだ、当事者の視点から書かれた稀有なノンフィクションである。

 ストーキング被害者の苦しさを生々しく伝えるノンフィクションとしても、サスペンスフルな読み物としても一級品だ。
 そして同時に、「ストーカー被害者になると、警察や弁護士とのやりとり、裁判所でこんな目に遭う!」が詳細にわかる、ある種の実用書としても優れている。

 著者の被害ケース以後にストーカー対策法が改正されたこともあり、いまの警察対応は本書とは少しく異なっている(たとえば、当時はSNS上の書き込みは対策法の対象外だったが、いまは違う)。

 そうした微妙な違いはあれど、いまも十分実用書として役立つはず。
 とくに、〝ストーカーになりそうな人間が、いま周囲にいる〟というボヤ段階に置かれている人にとっては、それを大火事にしないための対策が、本書を読むとわかるだろう。

 本書終盤の大きなテーマとなる、〝ストーカーは依存性の精神疾患であり、治療可能。犯人に治療を受けさせることが、被害者の安全を守る重要な対策になる〟という話も、広く周知されるべきだ。

 何より、著者の文章がうまい。
 そのうまさは第一に、込み入った出来事を手際よく整理して伝える〝説明力〟の高さである。

 また、ストーカーの恐怖を的確に伝えながらも、一方では軽妙なユーモアをちりばめ、リーダブルで面白い読み物に仕上げている点も、抜群のうまさだ。

 全体として、社会的意義の高い一冊。

佐藤優『友情について』



 佐藤優著『友情について――僕と豊島昭彦君の44年』(講談社/1728円)読了。

 佐藤優さんが、埼玉県立浦和高校時代からの親友である豊島昭彦氏とともに作った、2人の人生記録の書。
 私は仕事上の必要から読んだのだが、とてもよい本だった。

 豊島氏は昨年、ステージ4の膵臓がんであることが判明。
 告知を受けたときには、すでに肝臓とリンパに転移もしていた。抗がん剤による延命治療しか選択肢がなく、その抗がん剤もやがて効かなくなるので、最後は緩和ケアで死を待つことになる……という状況であった。

 そのことを知らされた佐藤さんは、残された日々の中で、豊島氏の生きた証となる本を一緒に作ろう、と提案する。
 そして、闘病中の豊島氏にインタビューを重ねるなどして作り上げられたのがこの本である。書名の「僕と豊島昭彦君の44年」とは、2人が浦高で出会い、豊島氏が最晩年を迎えるまでの年月を意味する。

 親友の生きた証のため、作家が親友とともに一冊の本を作るという、他に類を見ない成り立ちの書だ。

 エロースでもアガペーでもない第3の愛がある。それがフィリアで、友情を意味する。友情は、同性間でも異性間でも成り立つ。哲学をギリシア語でフィロソフィアと言うが、知(ソフィア) に対する愛(フィリア) のことだ。豊島君と作品を書くことを通じて、私は1人のプロテスタント神学者として、フィリア(友情=愛) のリアリティーを追求しているのである(「Ⅰ友情」)



 豊島氏の人生記録の合間に、当時の佐藤さんの行動も記されている。それは、世間的には無名である豊島氏の記録だけでは、読者の興味を引かないからでもあろう。

 子ども時代から説き起こされ、浦高時代の共通の思い出を経て、社会に出てからの2人の軌跡が綴られていく。

 意外にといっては失礼だが、豊島氏の人生を記した部分も面白い。とくに、銀行マンとして日債銀の破綻を経験してからの怒涛の日々は、一級の企業小説のようにドラマティックだ。

 本書はきわめて個人的な内容の本ではあるが、同時に普遍的価値ももっている。とくに、2人と同世代の人々にとっては、自分の半生について思いを馳せるよすがとなる一冊だろう。

 自分の持ち時間が限られていることを豊島君は自覚しながらも、1日でも長く生きようと努力している。私は、豊島君の高校1年のときからの親友として、最期の瞬間まで伴走したいと思っている。



 本文の結びの一節である。そして、つづく「あとがき」にはこんな一節がある。

 豊島君について、公の場で語れることは、本書にすべて盛り込んだ。ただ、本書を書きながら、常に悩んだのは、死期が迫った友人を、自分は作品の対象として利用しているのではないかという自責の念だ。しかし、そのような感傷を吹き飛ばす力が、豊島君の人生にはある。
 本書がよき読者に恵まれることを望む。



 豊島氏は、本書刊行後の今年6月8日に亡くなった。
 しかし、それ以前のまだ元気だったころに、本書刊行記念のトークショーを佐藤さんとともに八重洲ブックセンターで行うなどした。

 本書はまさに、豊島氏の生きた証として、そして2人の友情の証として世に残ったのだ。

村田らむ『樹海考』



 村田らむ著『樹海考』(晶文社/1674円)読了。

 この著者の本は、前に『ゴミ屋敷奮闘記』というのを読んだことがある。ゴミ屋敷専門の清掃業者「孫の手」で2年間(取材を兼ねて)働いた体験をまとめた、異様な迫力のルポであった。

 村田らむは、ホームレスやゴミ屋敷など、エグいテーマをおもに扱ってきたライター。樹海取材歴も、足かけ20年・100回超にのぼるという。
 その樹海取材の総まとめともいうべき本書は、20年間の蓄積が活かされた濃い内容になっている。まさに、「最前線から伝える、樹海ノンフィクション決定版」(版元の惹句)である。

 ただし本書は、版元が上品な晶文社であるせいか、エグい話ばかり取り上げたような本にはなっていない。むしろ、バランスのよい「樹海入門」を目指したものなのである。

 そのため、全4章立てのうちの第1章「樹海に入る」は、樹海の歴史がどうとか観光地としての樹海とか、わりとぬるい内容になっている。ここだけ読んで、「なんだ、つまらない」と読むのをやめてしまう人もいるだろう。

 だが、第2章以降、樹海の中に存在した謎のカルト宗教団体(いまはもうないらしい)との接近遭遇が紹介されるあたりから、俄然盛り上がり始める。

 そして、本書の圧巻は、何度か登場する「樹海で一番怖い人」――樹海遺体マニアの「Kさん」についてのパートである。
 白骨化した遺体は「好み」ではなく、「やっぱり肉があって、腐乱している死体のほうが好きですね」とほほえむKさんは、まさに鬼畜。Kさんと比べれば、樹海は好きだがべつに遺体マニアではない著者はフツーの人である。

 もう一人の濃ゆいキャラとして、かつて樹海の中で人を殺したことがあるという元殺人犯「Mさん」が登場する。著者がこの「Mさん」と一緒に樹海に行き、殺人現場を再訪する記事の取材模様を綴った一編は、怖くて面白い。

 今後、樹海について知りたい人が一冊目に読むべき〝樹海本のスタンダード〟になるだろう。

山田ルイ53世『一発屋芸人列伝』『ヒキコモリ漂流記』



 山田ルイ53世著『一発屋芸人列伝』(新潮社/1404円)、『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス/1404円)読了。

 前者は、『新潮45』連載時に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の「作品賞」を得て、「芸人初の快挙」と話題になったノンフィクション。
 後者は3年前に出た著者の文筆家としての第1作で、幼少期から「髭男爵」としてのブレイクまでを綴った自伝エッセイだ。

 1980年代には、異分野から文章の世界に越境して活躍する人は、小劇場演劇界に多かった。如月小春、鴻上尚史、野田秀樹など、演劇界のスターたちが文筆家としても評価され、次々とエッセイ等の著作を発表した。
 それが近年は、お笑い芸人からの越境が目立つ。「分野としての盛衰」を反映しているのかもしれない。

 いまや芥川賞作家となった又吉直樹、向田邦子賞を得たバカリズム、エッセイストとしても評価されているオードリーの若林正恭や光浦靖子など、「いい文章を書く芸人」は枚挙にいとまがない。

 その中にあって、とくに抜きん出た文才を感じさせるのが、「ルネッサ~ンス!」で知られる「髭男爵」の山田ルイ53世である。
 第1作の『ヒキコモリ漂流記』からして、すでに文筆家として完成されている印象を受ける。抜群のリーダビリティ、随所にあるキラーフレーズ、力を抜くところは抜いてメリハリをつけるあたりのうまさ等々……。

 第2作となった『一発屋芸人列伝』は、さらに文筆家としての力を見せつける本だ。
 著者は、取り上げた芸人たちを「芸人仲間」としてすでによく知っていた。にもかかわらず、改めて各人にインタビューを行っている。そのことで取材者としての力量も証明しているのだ。
 
 一発屋芸人を集めたテレビ番組やイベントは、この本以前からすでにあった。だから、おそらくこのような本は他の書き手も考えていただろう。「先を越された!」と地団駄踏んだ人もいるかもしれない。
 だが、かりにプロパーのノンフィクション・ライターが一発屋芸人たちを取材して本を書いたとしても、本作ほど面白いものにはならなかったに違いない。

 一読して思い出したのは、高橋治の『絢爛たる影絵』。小津安二郎の助監督を務めたこともある元映画監督で直木賞作家の高橋が、小津を描いたノンフィクションだ。
 同書は、小津安二郎を描いたノンフィクションの白眉であった。何しろ、小津の映画作りの現場を知る人が、直木賞を取るほどの文才を全開させて書いた本なのだから……。
 
 同様に、自らも一発屋芸人で文才もある山田が一発屋芸人を描いた本書は、「この人にしか書けない本」の見本のようだ。

 必殺のキラーフレーズが、随所にある。

 50歳を目前に「諦めるのはまだ早い!」というより、「諦めるにはもう遅い」……そんなところかもしれぬ。



とか、

 芸能界の〝不貞の神経衰弱〟を一週刊誌が全て捲ってしまうのではと恐れ戦いたものである(文春砲について)



とか。

 思わず膝を打つ絶妙な表現、人目を引くフレーズ――「エピソードの燃費が悪い」とか、「〝苦節顔〟」とか――作りが、抜群にうまい。

 一発屋芸人たちの悲哀と矜持を描き切り、笑いの底に感動がある本書は、本年度ナンバーワン級の傑作である。

 山田ルイ53世は、第1作で自らの半生を振り返り、第2作で一発屋芸人としての稀有な体験を作品化した。
 この2作で、手持ちの切り札を一気に切ってしまった印象を受ける。文筆家としての真の力量は、ゼロから創り上げる次の第3作によって試されるだろう。どんな作品を世に問うてくるのか、注目したい。

ゲイ・タリーズ『覗くモーテル 観察日誌』



 ゲイ・タリーズ著、白石朗訳『覗くモーテル 観察日誌』(文藝春秋/1912円)読了。

 電車の中では読みにくいようなタイトルとカバーの本だが、内容は真面目なノンフィクションである。

 米国の大御所ノンフィクション作家であり、「ニュー・ジャーナリズムの父」とも呼ばれるゲイ・タリーズ。
 彼が1981年に刊行した『汝の隣人の妻』は、性革命以後のアメリカの新しい性の動向を捉えた衝撃的な作品であった。著者自らが性風俗店を経営してみたり(!)、スワッピングの場に潜入してみたりして書かれた問題作だったのである。

 この 『汝の隣人の妻』が話題になっていた1980年に、タリーズの元に匿名の速達が届く。
 そこには、「自分はモーテルの経営者だが、宿泊者の様子を覗き見できる仕組みを作り、長年にわたって彼らの性の営みを観察し、詳細な記録をつけてきた。その記録があなたの作品に活かせると思うので、話を聞いてほしい」(主旨)とあった。

 ただし、実名が明かされたら罪に問われるため、名前やモーテルの場所は書かないでほしい、というのだった。
 作品はすべて実名で書くという信念を持つタリーズは、男の話を作品化するつもりはなかった。が、好奇心にかられ、現地に取材に赴き、その後は手紙のやりとりを重ねた。

 そして、出会いから30年以上を経た2013年になって、すでにモーテルを廃業し、80歳近くなった男から「出訴期限がすぎ、覗かれた人々から訴えられるリスクがなくなったため、日誌を公表してもらって構わない」(主旨)との申し出を受ける。
 そうした経緯から作品化されたのが、本作なのだ。

 江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を地で行く話だが、本書はまぎれもないノンフィクションであり、読み始めたら下世話な興味にかられてページを繰る手が止まらない。
 もっとも、ポルノグラフィー的要素は意外に希薄で、むしろ「生きる哀しみ」、ペーソスが基調として感じられる書である。

 内容の半分程度を、男(ジェラルド・フースという)の「観察日誌」の引用が占めている。そのため、タリーズの他の作品に比べ、薄味であることは否めない。それに、「奇書」のたぐいでもある。
 が、昔の『噂の眞相』風に言うなら「ヒューマン・インタレストあふれる」本で、面白いことは間違いない。

■参考→ 「文春オンライン」で、本書巻末の解説(青山南)の全文が読める。
 

Guide 

   →全記事インデックス

Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

Counter 

メールフォーム

★私にご用の方はここからメールを下さい。

お名前
メールアドレス
件名
本文

最近の記事

マイ「神曲」ベスト100

カテゴリー

ブクログ・MY本棚

タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

Archives

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
27位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
22位
アクセスランキングを見る>>