村西とおるの人生哲学

AV時代―村西とおるとその時代 (幻冬舎アウトロー文庫)AV時代―村西とおるとその時代 (幻冬舎アウトロー文庫)
(2005/12)
本橋 信宏

商品詳細を見る


 村西とおるが自身のサイトに書いている「日記」が面白い。

 かつて「AV界の帝王」と呼ばれた、前科7犯の村西とおる。ゆえに、大っぴらに推奨するのははばかられるのだが、先入観を抜いて虚心坦懐に読んでいると、ときおりハッとするような名言・至言に出合う。たとえば――。

 

 「涙」は他者の為に流してこそ美しく人の心を動かすものでございます。
 政治家であればなおのこと、決して自分の為に涙を流す「恥知らず」を見せてはならないのでございます。
 しかし小沢は「涙」で乗り切ろうとしました。
 「哀れ」を通り越してなんと「汚い」男かとヘドが出る思いでございます。
(中略)
 「小沢一郎」は消えることで運をたぐり寄せた「山口百恵」の「伝説」に学び、即刻退陣すべきでございます。
 「戦場」では「戦いを止めること」でよりよく自分の存在を示すことになる、ということがあるのでございます。
 知るべきであります。人生の敗者は「敗れた者」ではなく「変わることのできなかった者」であるということを。(2009.3.27付より)



 私が太字強調した部分など、古典の一節のように含蓄深いではないか。

 村西のことだから日記の中にワイセツなくだりも多いし、名誉毀損もののアブナイ記述も散見される。だが、そうしたノイズの山の中に、時折ものすごくよい言葉が混じっているのだ。
 幾多の修羅場をくぐり抜けてきた者ならではの、“現場で鍛えあげた人生哲学”が躍如としている。
 
 もう2つほど例を引く(太字強調は引用者)。

 今日の日本のプロダクションは「整形」「偽装」に頼りすぎでございます。
 ニワトリやダチョウを鷹やヒバリに偽装して「飛ばそう」とするからウマくいかず破綻するのでございます。
 薄い化粧、紅いホホ、ピンクの口唇、緑の黒髪、ごく自然に、取りたての野菜のようにありのままを提供して、あとは大衆の判断にゆだねればいいのでございます。(2009.3.6付より)



 不安が増大し、暴発しそうな今日的状況下にあっては、今こそ中小企業のオヤジの出番でございます。
 リストラだ、倒産だ、などといっても中小企業のオヤジはそんなモノは何程のことでもないことを知っています。
 中小企業のオヤジはもとより裸一貫、ナイナイづくし、からのスタートでございました。
 働けど働けど楽にならず、ジッと手を見る日々を生きて年商一億円の企業を育て上げてきたのでございます。
(中略)
 大企業の名経者然として偉ぶっているドチラ様が、裸一貫から始めて年商一億円の企業を作り上げる能力をお持ちでしょうか。
 三菱だ三井だと吠えてみても虎の威を借りてのことだけ、彼等のうち何人が独立して企業を起こし年商一億の企業を成立させえるというのでしょうか。

 今日の風潮は「金がなければお仕舞いだ」の大合唱でございます。本当に倒産したり、職を失ったりしたらすべてが駄目なのか、中小企業のオヤジに聞こうではありませんか。
 オヤジはこう言う筈です。「金じゃなく、勇気がなくなった時すべてを失うのだ」と。(2008.12.12付より)



2008年ベスト3

ダークナイト 特別版 [DVD]ダークナイト 特別版 [DVD]
(2008/12/10)
クリスチャン・ベールマイケル・ケイン

商品詳細を見る


 当ブログの守備範囲である本・映画・音楽・マンガについて、今年のベスト3を選んでみよう。
 (各作品についてのレビューを読みたい方は、右の「ブログ内検索」窓に作品名を入れて検索してください)

■映画館もしくは試写会で観た映画ベスト3
1位/『ダークナイト』
2位/『ぐるりのこと。』
3位/『潜水服は蝶の夢を見る』 

 そういえば去年の今ごろは洋画・邦画それぞれのベスト10を選んだのだが、今年はあまり新作を観ていないのでベスト3がせいぜい。試写会もほとんど行っていない。なぜかというと、2つあった映画レビューの仕事がいっぺんになくなってしまったからである(1つは雑誌が休刊、もう一つは映画レビューのページがなくなってしまった)。
 試写状はいまもたくさん送られてくるのだが、レビューを書く場もないのに試写を観に行く気がしない。

■本(小説)ベスト3
※小説以外の本は、順位付けすると差し障りがあるので(知人に「なんでオレの本が入ってないんだ」と思われたり)、除外。
1位/山田あかね『まじめなわたしの不まじめな愛情』
2位/矢作俊彦 『傷だらけの天使/魔都に天使のハンマーを』
3位/西村賢太『小銭をかぞえる』

■音楽(アルバム)ベスト3
1位/the band apart『Adze of penguin』
2位/矢野顕子『akiko』
3位/オアシス『ディグ・アウト・ユア・ソウル』

■マンガ(単行本)ベスト3
1位/諸星大二郎『未来歳時記/バイオの黙示録』
2位/丸尾末広『パノラマ島綺譚』
3位/小玉ユキ『坂道のアポロン』

■ケーブルテレビで観た旧作映画ベスト3
1位/『赤い文化住宅の初子』
2位/『クラッシュ』(ポール・ハギスのほう)
3位/『大阪物語』(市川準のほう)

「孤独」をめぐる世代間ギャップ

 秋葉原事件についてのネット言論の中で、管見の範囲でいちばん「なるほど」と膝を打ったのが、いつも読んでいる「★電脳ポトラッチ」さんの「『真の愛の実現』という妄想 ~ 秋葉原殺傷事件に思うこと」というエントリである。
 加藤智大の例の携帯サイトへの書き込みから、彼の歪んだ心理を見事に分析。マスコミに登場する有名心理学者のご託宣よりも、よほど説得力がある。

 無料のウェブでこういうレベルの考察が読めるのだから、そりゃあ雑誌や新聞は売れなくなるだろう。くわしくはリンク先を一読されたい。

---------------------
 私自身が秋葉原事件で痛感したのは、「孤独」をめぐるジェネレーション・ギャップである。いまどきの若者にとって、「孤独」がこれほどまでに重い不幸になっているとは知らなかった。そのことに驚いたのだ。

 殺人者・加藤を「いまどきの若者」の典型のように言うと反発もあろうが、「彼女がいないという一点で人生崩壊」と心に思うまでの段階なら、多くの「非モテ」系若者が共有しているのではないか。
 
 彼女がいない孤独な若者はいまも昔も同じくらいたくさんいただろうが、昔はそのことが「人生崩壊」というほど重い不幸ではなかったと思う。

 それどころか、ある意味で「孤独であること」はカッコイイことであり、「孤独」がホメ言葉である時代さえあったのだ。そんなに昔の話ではなくて、1970年代まではそうだったように思う。私は1970年代の空気というものをその片鱗だけは身で知っているから、実感としてそう思う。

 たとえば、ある時期まで、日本の青春映画の主人公はその多くが眉間にシワ寄せて深刻ヅラした孤独な青年であり、孤独であることはカッコイイことだったのだ(ATG映画を観よ)。
 またたとえば、谷川俊太郎の第一詩集は周知のとおり『二十億光年の孤独』(1952年)であったけれど、刊行当時、世の文学青年たちはあのタイトルを「カッコイイ!」と感じたに違いないのだ(「孤独」=「非モテ」ではないにしろ)。

 「孤独」がネガティヴな意味合いしか持たなくなったのは、あの軽薄な1980年代以降のことだ。
 「孤独な青年」は、1970年代までは「孤高」というニュアンスを孕む存在だったが、80年代以降はただの「ネクラ」となり、蔑むべき存在となった。
 そして、それ以後に生まれたのが加藤たちの世代であり、その一点で、私と加藤の間には超えがたい「感性の壁」がある。
 加藤智大は、軽薄な1980年代文化が産み落とした「鬼っ子」とも言える。

 もっとも、そんなふうに考えるのは、世代というより私個人の「孤独を苦痛と感じない」パーソナリティーゆえかもしれない。
 私は、少年時代からいまに至るまで、1人ですごすことがあまり苦痛ではない。いまは妻子もいるから一言も口をきかない日はないが、かりに誰とも口をきかなくても、一ヶ月や二ヶ月なら余裕で平気だ。「1人でいる時間」はすこぶる豊かであるから。
 まあ、そういう人間だからこそ、フリーの物書きなどという「孤独な日がデフォルト」の職業を選んだわけである。

 加藤も、1人の時間をゲームをしてすごすより、文学を濫読すればよかったのに……。文学は毒にもなるが薬にもなる。とくに、孤独な若者にとっては文学こそ最高の「薬」だと思う。
 あるいは、ヘンリー・ダーガーのように、他人に見せることを前提としない創作によって「自分だけの王国」を作ればよかったのに……。
 そうして「孤独の豊かさ」を実感できれば、殺人になど走らなかったのではないか。

呪詛の時代

 いつも読んでいる内田樹さんのブログで、このエントリに強い印象を受けたので、メモ。

 

私たちの時代に瀰漫している「批評的言説」のほとんどが、「呪い」の語法で語られていることに、当の発話者自身が気づいていない。
「呪い」というのは「他人がその権威や財力や威信や声望を失うことを、みずからの喜びとすること」である。
自分はいかなる利益も得ない。
他人が「不当に占有している利益を失う」だけであるが、それを自分の「得点」にカウントする。
(中略)
私たちの社会では、「他者が何かを失うこと」をみずからの喜びとする人間が異常な速度で増殖している。



 「『呪い』の語法」とは、言い得て妙である。
 20年ほど前、岸田秀は「日本の現代は、歴史上かつてなかったほどの嫉妬とはしゃぎの時代となり、われわれはおたがいのあいだで休むひまなく嫉妬に狂い、はしゃいで目立つ競争をしているようである」と喝破した(『嫉妬の時代』)。いまや「嫉妬」などという生ぬるい段階を通り越して、互いを呪い合う「呪詛の時代」が到来したのだろうか。

 「『他者が何かを失うこと』をみずからの喜びとする人間」の究極が、秋葉原事件の加藤某だろう。そして、ネットなどに「加藤の気持ちも、少しはわかる」という声が少なくないことは、いまという「呪詛の時代」の空気を象徴していよう。

 「人間がほんとうに悪くなると、他人の不幸をよろこぶこと以外に、他人への関心をもたなくなってしまう」とはゲーテの言だが(『箴言と省察』)、そのような人間が「異常な速度で増殖している」のがいまの日本なのであろうか。
 むろん、「増殖している」といっても統計に基づくわけではなく内田さんの直観だが、その直観は正しいように思う。

 内田さんはそうした時代を生んだ背景要因として偏差値教育の弊害を挙げておられるのだが、私は、「人の不幸を売り物にする」週刊誌等のメディアの影響も大きいと思う。 

マズローの「第6段階」

マスローの人間論―未来に贈る人間主義心理学者のエッセイマスローの人間論―未来に贈る人間主義心理学者のエッセイ
(2002/06)
エドワード ホフマン、

商品詳細を見る


 米国の心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求には階層があり、下位の欲求が満たされるごとに次の段階の欲求があらわれるとする「欲求段階説」を唱えた。最下位にあるのが「生理的欲求」で、それが満たされると次の「安全の欲求」(生を脅かされないことへの欲求)があらわれる、という具合だ。

 従来、この「欲求段階説」は、最上位に「自己実現欲求」を置く5段階で考えられていた。しかし最近になって、「じつはマズローは6段階目を考えていた」とする新説があらわれた。
 6段階目――すなわち“欲求ピラミッド”の頂点に、「コミュニティ発展欲求」を置く説である。

 「コミュニティ発展欲求」とは、組織や地域社会、国家、ひいては地球全体など、自分が所属する「コミュニティ」全体の発展を望む欲求を指す。5段階目の自己実現欲求までが利己的欲求であるのに対し、これは「利他」の欲求といえようか。

 マズローがこの6段階目をあえて発表しなかったのは、東西冷戦下の米国にあって、「共産主義者」のレッテルを貼られることを恐れたためだという。マズローの近くにいたという人物が、最近そのように証言した。

 この「欲求の6段階」は、「親が子に望むこと」にそのままあてはまりそうだ。

 たとえば、マズローのいう「生理的欲求」「安全の欲求」は、「子どもが元気で生きていてくれればいい」という最低限の願いにあてはまる。
 次の「社会的欲求(親和・所属の欲求)」は、「他人と同じようにしたい」という欲求であるから、我が子に世間並みの学歴や就職を望む心情に通じよう。

 その次の「自我の欲求」(他者から尊敬・賞賛を得たいという認知欲求)は、一流大学に進んだり、高い社会的地位を得たりすることを望む心情にあてはまる。
 5番目の「自己実現欲求」は、「我が子がほんとうにやりたいこと、夢を実現してほしい」という親の心情に通じよう。

 そして、最後の「コミュニティ発展欲求」は、「我が子が世のため人のためになる人間に育ってほしい」という思いに通じるといえそうだ。
 しかし、多くの親は最後の第6段階にまでたどりつけない。
 

Guide 

   →全記事インデックス

Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

Counter 

メールフォーム

★私にご用の方はここからメールを下さい。

お名前
メールアドレス
件名
本文

最近の記事

マイ「神曲」ベスト100

カテゴリー

里親募集中

タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

Archives

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
23位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
18位
アクセスランキングを見る>>