消えゆく「お蔭様」の心 |
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2006-01-23 Mon 09:30
『毎日新聞』(1月21日朝刊)で、聞き捨てならない話に出合った。TBSラジオの永六輔の番組に、リスナーから次のような手紙が寄せられたというのだ。
【引用始まり】 --- ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と。 【引用終わり】 --- この手紙に対して番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だったものの、一方ではこうした考え方は珍しくないことを示す経験談も寄せられたという。たとえば、次のようなものだ。 食堂で「いただきます」「ごちそうさま」と言ったら、隣のおばさん(客)に「なんでそう言うの?」と言われた。「作った人に感謝しているんですよ」と答えたら「お金を払っているんだから、店がお客に感謝すべきでしょ」と言われた。 こういう話がラジオや新聞のネタになるのは、いまのところはまだ特異な事例であるからこそだろう。しかし、このような考え方をする日本人が急増しつつあるのだとしたら、ちょっと恐ろしい。 「給食費を払っているのだから『いただきます』を言う必要はない」と考える母親は、宅配便や郵便を届けてくれた人に「ごくろうさまです」と言うこともないだろう。「(送った人が)代金を払っているのだから」と。 「お金を払っている以上、感謝の意を示す必要はない」という考え方は、ある意味で合理的であり、「間違い」ではない。だが、そうした考え方をする人が多数派になったとしたら、恐ろしくギスギスした社会が現出するにちがいない。 そういえば、何かのニュース番組で、「同じ電車賃を払っているんだから、年寄りに席を譲る必要なんかない」と言い放った女子高生を見たこともある。 2つの事例は同根であろう。悪しき個人主義、行き過ぎた合理主義、肥大した権利意識という、共通の根から生まれた病葉(わくらば)なのだ。 「お蔭様」という美しい日本語がある。 これは、もともとは仏教用語であるらしい。仏教が生まれたインドで、強い陽射しの中を歩きつづけた旅人が、大きな樹の陰で一休みしたとき、その樹に感謝する――それが「お蔭様」の原義なのである。 もとより、樹は陽射しをさえぎるために生えていたわけではない。それでも、旅人が涼しいひとときをすごせたのは、樹がそこにあったからにほかならない。だからこそ、心を持たない一本の樹に対してさえ、感謝の念を抱く。それが仏教的心性なのである。 仏教の中核を成す概念に、「縁起」がある。いまでは「縁起がよい・悪い」という使い方が一般的となっているが、もともとの意味は「縁(よ)りて起こる」ということ。この世界にあるすべてのものは互いにつながりをもち、相互に依存し合っているという意味である。 法華経の漢訳者として知られる鳩摩羅什(くまらじゅう)は、「縁起」を「衆縁和合(しゅえんわごう)」と漢訳した。これなら、本来のニュアンスが伝わりやすいだろう。 誰しも、自分1人の力で生きているわけではなく、世界中の人々や動物や草木などによって「生かされている」。仏教ではそうとらえる。ゆえに、一本の樹に対してさえ感謝の念を抱くのだ。 「お蔭様」とは、そのような感謝の念をさらに強調した言葉である。緑陰に象徴される“自分への見えない助力”に対して、「お」と「様」までつけていっそうの感謝を示したのは、日本人の独創なのだ。 我々日本人は、物理的・金銭的な助力を受けていない相手に対しても、「お蔭様」をよく使う。 「ご主人、入院なさったんですってねえ。その後いかがですか?」 「お蔭様で先日退院しまして」 そんなやりとりをかわすとき、相手は病気快復になんら物理的な貢献をしていない。それでも「お蔭様で」と言う。それは、相手が夫の容態を気遣ってくれたこと、ひいては「病気からの快復を邪魔せずにいてくれたこと」への感謝である。 なにげなく用いている「お蔭様」という言葉の底には、「縁起」を重んじる仏教的心性があるのだ。 「給食費を払っているのだから、『いただきます』を言う必要はない」と考える母親は、ふだん「お蔭様」という言葉を使っているだろうか? おそらく使ってはいまい。彼女はきっと、「何もしてもらっていないのだから、感謝する必要はない」と合理的に考えるはずだ。 「お蔭様」が死語になったとき、日本はいまよりもずっと冷たい社会になるにちがいない。 |
ある言葉との再会 |
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2005-12-13 Tue 22:00
敬愛する小説家・宮内勝典さんの『海亀日記』(12月11日付)で、なつかしい言葉に再会した。
【引用始まり】 --- 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない。 【引用終わり】 --- 1939年に38歳で世を去ったハンセン病の歌人、明石海人の遺した言葉である(歌集『白描』の序文の一節)。 私がこの言葉に出合ったのは、1987年、編集プロダクションでライター生活の第一歩を踏み出したころ。古今東西の名言を集めた本の執筆をまかされ、都立日比谷図書館に日参して“名言集め”をしていたときのことだ。23歳だった。 その作業は『心を強くする人生の言葉383』(日本文芸社)という本に結実したのだが、売れなかったから、いまでは国会図書館にでも行かなければ読めないだろう。それは、まあどうでもいい。 「深海に――」は、映画監督の大島渚が座右の銘にしている言葉として知られる。私も、たしか大島に関する本の中で出合ったのだと思う。 ライターとしての未来がまったく見えなかった23歳の私には、この言葉が自分のために用意されたかのように思えたものだ。名言集に収録するためノートに書き写したこの言葉に、鉛筆で何度も傍線を引いた。 むろん、当時の私が感じていた閉塞感など、ハンセン病で世を去った歌人の深い絶望に比べたら、なにほどのこともないけれど……。 この言葉が胸を打つのは、絶望の海底から身を起こし、自ら一筋の希望を作り出そうとする、明石海人の強い意志がそこにみなぎっているからだ。 宮内さんの場合、高校の文芸部の同人誌『深海魚族』の扉に記されていたことで、この言葉に出合ったのだという。 明石海人が世を去ってからの60年余、この言葉はそんなふうに、多くの若者を、また絶望に打ちひしがれた者たちを、鼓舞しつづけてきたのである。 言葉を綴って禄を食む者のはしくれである以上、そのように静かな光彩を放ちつづける言葉を、一つでもよいから世に遺したいものだ。 |
死こそが生を輝かせる |
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2005-08-24 Wed 23:27
今日は、作家の佐江衆一さんを取材。藤沢市の閑静な住宅街にあるご自宅にて。
帰りの電車の中で読んだ『週刊朝日』(9月2日号)に、ちょっといい文章があったので、メモがわりに引用する。翻訳家の鴻巣友紀子さんによる、伊坂幸太郎著『死神の精度』の書評の一節である。 【引用始まり】 --- 人間があらゆる芸術を生み出したのは、死ぬのが怖いからだと思う。自分の存在が無になってしまう恐怖に打ち克つために、人はものを残す。(中略)文学といわれるものは、古代哲学から「セカチュウ」から金原ひとみまで、死=無ではないということをひたすら言ってきたのではないか。すべてのアートの根底には死、すなわち人間のモータリティがある。考えてもみてほしい。不死の世界でつくられる天上の音楽や詩なんて、実は退屈じゃないだろうか。 【引用終わり】 --- これを読んで私が思い出したのは、仏教経典で説かれる「長寿天」のこと。そこに住んでいる人はみな不老不死で病気一つしないという、架空の世界である。 不老不死は人類の見果てぬ夢であるから、「長寿天」は一見パラダイスのように思える。だが、じつはそうではない。経典には人の成仏を妨げる「八難処(8つの難所)」が挙げられていて、この「長寿天」もその一つなのである。 つまり、「不老不死の世界になど住んでいたら、人はけっして成仏できず、真の幸福にもたどりつけない」と、仏教の叡智はとうの昔に見抜いていたのである。 死があるからこそ生は輝く。死を恐れる人間が「死=無」ではないことを証するためにつくるからこそ、芸術は人の心を揺さぶる。「エロス」と「タナトス」は表裏一体のワンセットだ。 と、話がヘンに大仰になりましたが……。 そうそう、「死があるからこそ生は輝く」といえば、先日読んだアップルのスティーブ・ジョブスのスピーチに、感動的な一節があった。 → http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.html 全部素晴らしい内容だが、「PART5.ABOUT DEATH」から下はとくに胸を打つ。印象的な一節を引こう。 【引用始まり】 --- 天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです(訳/市村佐登美) 【引用終わり】 --- このスピーチは、ホイジンガの「メメント・モリ(死を想え)」の21世紀版だ。 |
万馬券は災厄である |
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2005-05-17 Tue 06:52
以下は、「アサヒ・コム」5月16日付より引用。
【引用始まり】 --- 東京・大井競馬を主催する特別区競馬組合は16日、70歳代男性がこの日、日本の公営ギャンブル史上最高となった1300万390円の払い戻しを受けたと発表した。 男性は午後1時ごろ、馬券を買ったのと同じ東京・後楽園の場外馬券売り場で受け取った。12点買い(1200円)で大穴を射止めた。 【引用終わり】 --- 100円が1300万円に化けるという、史上最高の超・万馬券。読者諸氏はこのニュースに触れて「うらやましい」と思うだろうか? 私は微塵も思わない。度を越した大当たりは幸運ではなく不運、否、むしろ「災厄」ですらあるからだ。 内田樹さんは、『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川書店)で次のように喝破しておられる。 【引用始まり】 --- 自分がたいしたものを提示していないのに、ものすごいリターンがあったという経験はその人の価値観に混乱を来たします。「濡れ手で粟」というのは少しもよいことではありません。価値観が混乱すると、ほんとうに大事な決断のときに、選択を誤らせるからです。 【引用終わり】 --- いや、まったくそのとおりだと思う。 たとえば、この超・万馬券を当てたのが競馬を始めて間もない大学生だったとしよう。 その学生は、1300万円を将来の結婚資金に充てるだろうか? 両親にそっくりプレゼントするだろうか? ベンチャー・ビジネスの起業資金に充てるだろうか? そういうまっとうな使い方をする可能性は、測定限界以下だと思う。 おそらくは、浮かれて舞い上がっている間に、ろくでもないことに使い果たしてしまうだろう。そして、その後彼は競馬にのめり込み、5年と経たないうちに当てた分以上の金額をすってしまうにちがいない。あとに残るのは深刻な「価値観の混乱」のみだ。 この超・万馬券を実際に当てたのが70代の老人であったことは、「不幸中の幸い」である。それくらいの年齢になれば、もはや価値観は混乱しようもないほど固まっているだろうから。 それに、このおじいちゃんにしたところで、これまでの競馬人生でトータル1300万円以上は軽くすっているにちがいない(※)。 以上のようなことは、まあ、「言うだけ野暮」ではあるのだけれど……。 【引用始まり】 --- ※作家兼馬券師の浅田次郎氏が、次のように言っている。 「毎週馬券を買い続けていながら『俺は勝っている』と豪語する人でも、年間百万円は負けている。だが、それでも彼は名人である。 『ま、トントンだね』と答える人は、二百万ぐらい負けている。これがごく一般的なファンであろう」(『勇気凛々ルリの色』「テラ銭について」) 【引用終わり】 --- かくいう私は、過去に3回しか馬券を買ったことがない競馬ド素人である。どのくらい素人かというと、馬券を買うとき窓口の女性に「1-3千円、3−1千円」と言って、「ハア?」とけげんな顔をされてしまったほどだ(連勝複式では1-3と3-1は同じ馬券である。為念)。 ただ、競馬ではなくパチンコでドツボにハマった経験ならある。 きっかけは、仕事の打ち合わせと取材の間にポッカリ時間が空いてしまったこと。都下に住んでいるのでいったん家に帰るのも面倒で、空いた時間をつぶそうとパチンコ屋に入ってしまったのだ。 すると、最初の500円でいきなりフィーバーし、確変連チャンがつづいて数万円の儲け。味をしめて翌日また行ってみると、また最初の1000円で大連チャン。そのことで「オレってパチンコの天才かな」とか思って(笑)、ハマってしまったのである。 それがビギナーズ・ラックにすぎないことに気づいたときには、すでにかなり負けていた。そうなると、「負けた分だけでも取り返してからやめよう」などと思って熱くなるわけだが、そんなことは絶対不可能なのである。 いま思えば、最初の500円で大当たりしたことは少しもラッキーではなかった。私にとっては災厄であったのだ。 ついでに、パチンコをやめたきっかけについて以前書いたコラムを、以下にコピペしておこう。 私はこうしてパチンコをやめた(初出『リミューズ』1999年6月号) 電話を3ついっぺんにかけるような猛烈な仕事ぶりで知られた日商岩井元副社長・海部八郎は、あるとき、昼間からパチンコをしている人を見て、「ああ、あいつの時間を買いたいなあ」としみじみ言ったという。 私も一時期パチンコにハマッていたことがあって、いましみじみと思う。パチンコに費やした無駄な時間を、できることなら買い戻したい、と。 一番ハマっていた時期には、毎朝「開店待ち」の列に並び、昼食さえとらずに夜まで打ちつづけたものだった。全身がタバコの匂いに染まり、首から腰にかけてひどい凝りと痛みが残り、何一つ得るものはなかった。金も、3ケタは軽くスッたと思う。 そんな私がパチンコをやめたきっかけについて、ご紹介しよう。 ある雑誌に、「パチンコ極秘必勝法教えます」なる広告が載っていた。 「極秘必勝法」というのはどのギャンブルにもあって、当然のことながらどれも眉ツバだ。 ただ、このときの広告は文言がじつに巧みだった。 「関西のパチプロ集団から入手した極秘必勝法」が、「数十ページの冊子にまとめられて」おり、「回収率は1時間で2万円以上」「ゴト師がやるような違法なものでなく正当な必勝法」で、「誰にでも理解できる方法」であるという。しかも、「1円でもマイナスだったら責任を取ります!」とまで書いてあった。 「もしかしたら本物の必勝法かも……」 ――そう思い、1万円を送った私がバカだった。 数日後に届いた「必勝法」の小冊子は、1ページ20字ほど(たしかに「数十ページ」ではあった)のちゃちなワープロ打ちで、その結論は「パチンコをしたくなったら、したつもりになってその分貯金すること。これが唯一の『必勝法』です」というものだった。 怒る気にもならなかった。むしろ「ハハハ…」と力ない笑いが口から漏れた。 しかし結果的には、この「必勝法」には1万円以上の価値があった。こんなものにひっかかったことで私はものすごい自己嫌悪に陥り、馬鹿らしくもなって、その日以来すっぱりとパチンコをやめられたからである。 |
「生きる時間を、生きぬくよ」 |
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2005-02-28 Mon 02:43
ネット上には自殺志願者が集うサイトがあるのだそうだが、その手のサイトをわざわざのぞきにいかなくても、うつ病などで希死念慮にとらわれた人のウェブ日記はしばしば目にする。 私がよく見るウェブ日記のリンク先(「友達の友達」みたいなもんですね)にそういう日記があって、しかも最近かなり深刻な精神状態のようなので、気になってよくのぞいてしまう。 コメント欄などで声をかけたい気もするのだが、知り合いでもない私が「死ぬのはよせ」などと言うのも不遜な感じがして、ただ黙ってROMしている。 かりに身近な友人知人が自殺を考えていたとしたら、私に何を言ってあげられるだろうか? 思い浮かぶのは、過去に読んだ本の中の言葉ばかりだ。そんな「借り物の言葉」ではなんの説得力も持たないかもしれないが、いくつか列挙してみよう。 まずは、坂口安吾が友人であった太宰治の自殺に際して綴った、名高い文章の一節。 【引用始まり】 --- 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、わかるとか、わからんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしかありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、ただなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦い抜いてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。(中略) しかし、生きていると、疲れるね。かくいう私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ(『不良少年とキリスト』) 【引用終わり】 --- 次に、中島らもが自殺してしまった友人の思い出を綴った味わい深い一文から。 【引用始まり】 --- ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから、「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』)。 【引用終わり】 --- 早逝した如月小春が、若いころに重い拒食症を克服したきっかけについて綴ったエッセイも忘れがたい。 【引用始まり】 --- ある日、弟が私を自動車に乗せた。後ろの座席に身をかたく閉じて座っていたら自動車は勝手に私を運んで滑り出した。窓の外を生きている人々の生きている景色が流れる。あの人もこの人もみんな生きている。ゴミゴミして息苦しくていじわるに思えていた街が突然言いようもなく美しく、いや美しいという言葉では嘘っぽい、何かすごく――ああ、うまく言えない、とにかく私は頭の中がゆっくり涙と共に溶け始めるのを感じていた。 それから私は少しずつ食べられるようになり、家の外に出られるようになり、電車にも乗れるようになり、そして、明日に対して身構えることなく今日をすごせるようになった(『私の耳は都市の耳』) 【引用終わり】 --- 関川夏央・谷口ジローの劇画『事件屋稼業』にも、いい場面があった。 主人公の私立探偵のもとにかかってきた、見知らぬ少女からの電話。少女は重い腎臓病を苦にして、15歳になった瞬間に死のうと思っている、と言う。 その日、「あと5分でさよならね」と最後の電話をかけてきた少女に、探偵は一計を案じてウソをつく。「君の時計は5分遅れてるぜ。君はもう15歳になっちまったんだ」と。そして、こうつづけるのだ――。 【引用始まり】 --- いいか! もう君は死ぬ機会をなくしたんだ。もう一年やってみるしかないんだ! 夏のグラジオラス、秋の野菊、それからもう一度春の桜を見てからにしろ(「フェイク・エンディング」) 【引用終わり】 --- 浅田次郎のエッセイ集『勇気凛々ルリの色』に、「生命力について」という一編がある。「私は相当にみじめな人生を送ってきたので、確率以上に大勢の自殺者を知っている」という浅田が、そのうちの一人について語ったものである。 自分の言葉一つで相手は自殺を思いとどまったかもしれない――そんな悔恨が綴られた文章のなかで、浅田は言う。 【引用始まり】 --- 我が身を振り返るに、自分が死に損なった経験は意外と忘れてしまうものだが、身近で死なれた記憶は忘れ難い。終生つきまとう傷といえば、明らかに後者であろう。(中略) どんな悪逆非道の、あるいはくすぶった人間でも、自分で思いつめるほど他人の迷惑にはなっていない。しかし、死なれれば周囲の人間は一生迷惑する。 それだけは確かだ。 【引用終わり】 --- 「一生迷惑する」とは、いささか酷な言葉かもしれない。だが、ヘタなキレイゴトよりもこうした言い方のほうが、ストレートに相手の胸に響くのではないか。 じつは、私は父親を自殺で亡くしている。だから、「遺された側」の悲しみや無念が、少しは理解できる。 もしも友人が「死にたい」と言ったなら、やはり私はそのことを話すだろう。そして、「命の尊さ」などというキレイゴトはいっさい口にせず、「きみが死んだら僕が悲しいからいやだ」とだけくり返し言うだろう。エゴ丸出しで。 |
「YES オノ・ヨーコ展」 |
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2004-06-24 Thu 22:31
打ち合わせで飯田橋まで出たので、地下鉄東西線で5駅先の木場まで足をのばし、「東京都現代美術館」で開催中の「YES オノ・ヨーコ展」を観た。 私もご多分にもれずジョン・レノン経由でオノ・ヨーコを知ったクチだが、いまではジョンうんぬんを抜きにして「アーティストとしてのオノ・ヨーコ」が大好きである。 やっぱすごいですよ、この人。うちの母親と同い年だが、あの世代の女性があんなに自由な生き方をするなんて……。自分の母親と引き比べることで、いっそうすごさがわかる。 誤解されがちだが、オノ・ヨーコはジョン・レノンと結婚したから有名になったわけではない。ジョンと出会う以前から、すでに前衛アーティストとして確固たる地位を築いていたのだ。かりにジョンと結婚しなかったとしても、彼女はアート史に名を遺したであろう。 オノ・ヨーコの初期の代表作『グレープフルーツ』は、私の大好きな本だ。「インストラクション・アート」と呼ばれるたぐいの作品で、さまざまな言葉による指示(インストラクション)が「作品」になっている。 本の中にあるさまざまなインストラクションは、それ自体が詩のように美しい(じっさい、「詩集」として紹介されることも多い)。「好きな詩集を1冊だけ挙げよ」と言われたら、私はこの『グレープフルーツ』を挙げたい。 たとえば、こんなインストラクションがある。 「月の匂いを嗅ぎなさい」 「地球が回る音を聴きなさい」 「雲を数えなさい。雲に名前をつけなさい」 「キャンバスに2つの穴をあけなさい。そして、空の見えるところにそれをかけなさい」 ちなみに、最後のインストラクションには「空を見るための絵画」というタイトルがついている。空は、『グレープフルーツ』にかぎらず、オノ・ヨーコの作品にくり返し登場するモティーフである。 「空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか」と、彼女はかつて述べたことがある。 『グレープフルーツ』は、以前『グレープフルーツ・ブック』というタイトルで邦訳が出ていたが(新書館/田川律訳)、これはいまでは入手困難だ。むしろ原書のほうが、アマゾンなどでかんたんに手に入る。 また、『グレープフルーツ』の中から50あまりのインストラクションを厳選し、我が国一流の33人のフォトグラファーの写真とコラボレーションさせた『グレープフルーツ・ジュース』という本もある(講談社文庫)。これもいい本だし、入手しやすいのでオススメ。 なお、ジョン・レノンが『グレープフルーツ』にインスパイアされて名曲「イマジン」を作ったという話は、よく知られている。 「想像しなさい(イマジン)」という言葉は、『グレープフルーツ』にくり返し登場するのだ。 「想像しなさい。/千の太陽が/いっぺんに空にあるところを」 「想像しなさい。/西から東へ/一匹の金魚が空を泳いでいくところを」 というふうに……。 さて、「YES オノ・ヨーコ展」について。 大規模な回顧展である。1950年代の初期作品から最近作まで、半世紀にわたる創作活動の全貌が鳥瞰できる。 飯村隆彦の著書『YOKO ONO/オノ・ヨーコ 人と作品』(講談社文庫)などでしか知らなかった彼女の代表作の数々を間近に観ることができたので、私は十分に満足した。 ジョン・レノンとともに行なった有名な「平和のためのベッド・イン」の模様を映した映像や、「No.4」などの前衛映画作品も観ることができた。 ちなみに、出展作品から私が好きなものをいくつか挙げると……。 ・「空を開けるためのガラスの鍵」/透明なアクリル・ケースに収められた、4本のガラス製の鍵 ・「永遠の時計(ETERNAL TIME CLOCK)」/秒針だけがあり、時針も分針もない時計が、アクリル・ケースに収められている ・「プレイ・イット・バイ・トラスト(信頼して駒を進めよ)」/駒も盤も、それが置かれたテーブルも椅子も、すべてが純白に塗られたチェスのオブジェ。かりにこのチェスを実際にプレイしたとしても、自分の駒なのか相手の駒なのか、すぐにわからなくなってしまうだろう。勝ち負け・争いごとを否定する意志が、この作品にはこめられている ・「リンゴ」/アクリルの展示台の上にポツンと置かれた本物のリンゴ。静物画を描くかわりにリンゴそのものを置き、それがしなびて腐っていくプロセスそのものをアート化した作品 ・「スカイ・マシーン」/ステンレス製の「空の自動販売機」。「コーラの自動販売機のかわりに、街角に空の自動販売機があったらどんなに素晴らしいでしょう」とはヨーコの弁 すべての作品に通底しているのは、力強い「肯定への意志」だ。「世界は悲惨に満ちているけれど、それでも希望を捨てまい、ユーモアを忘れまい」というポジティヴな意志が、みなぎっている。だからこそ、全体のタイトルも「YES」なのだ。 ジョンとヨーコが惹かれあうきっかけとなった「天井の絵/イエス・ペインティング」も、もちろん展示されていた。ヨーコの個展を偶然観にきたジョンが、この作品に感動して彼女に興味を抱いたという、伝説的な作品である。 白いはしごをのぼると、天井から釣り下がった白い板には豆粒のように小さい字が書かれている。そばに鎖で吊るされた虫メガネで見ると、「YES」という言葉が浮かび上がる。 ジョンもまた、ヨーコの「肯定への意志」に胸打たれたのだった。 会場の片隅には、「ウィッシュ・ツリー(願いの樹)」と題されたモミジ(?)の樹が展示されていた。 来場者が、用意された小さな短冊に自分の願いごとを書き込み、その樹の枝に吊るすようになっている。要は、日本の七夕から想を得た参加型のアート作品である。展示が終わったあと、短冊はすべてオノ・ヨーコのもとに届けられるという。 「世界が平和でありますように」「夫のうつ病が治りますように」etc……吊るされたさまざまな願い事を読むうち、不覚にもちょっと涙が出てきた(恥ずかしい)。 |
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言葉の「凶器性」、ネットの「毒性」 |
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2004-06-13 Sun 01:12
1.言葉は凶器にもなる
ネットの書き込みが殺意を呼び起こしたとされる長崎の小6児童殺害事件を機に、またぞろ「インターネット害悪論」がかまびすしい。 私に言わせれば、「ネットが凶器になる」というより、もともと言葉には強い「凶器性」があるのだ。その凶器性がネットの世界では先鋭化するというだけのことである。 以前、メイン・サイトの「極私的ライター入門」で、「マスコミに物を書く重い責任」という項目を書いた。以下、それをコピペ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私の知人が、ある著名な評論家に批判の手紙を書いた。「あなたの○○という著作を読んだが、○○についてのこの意見は、ちょっとおかしいのではないか」うんぬん。ていねいな言葉をつかった真摯な批判であったという。 何日か経って、その評論家から知人に手紙が届いた。 「へえ、忙しいのにちゃんと返事をくれたのか。律儀な人だな」と思いつつ封を開けると、中からハラハラと紙吹雪が……。 「なんだこりゃ?」 ――よく見ると、紙吹雪の正体は知人が出した手紙だった。その評論家は、返事を書くかわりに、相手の手紙を紙吹雪大になるまで細かく破り、そのあげくにわざわざ送り返してきたのである。 評論家が怒りに震える指で批判の手紙を破っていくさまを思い浮かべると、サイコホラーの一場面のようである。罵詈雑言を並べた返事をもらうよりずっとコワイ。「この人をこれ以上怒らせたら何をされるかわからない」という気持ちになる。 しかし、である。 こうした態度はまことに大人気なく、恥ずかしいと思う。知人の手紙は誹謗中傷ではなくまっとうな批判だったのだから、それに対して反論があるならきちんと書けばよい。反論を書く時間がないなら、無視すればよい。「ワタシを批判するとはケシカラン!」的な思考停止のキレ方をするのは、物書きにあるまじき態度である。 作家であれ評論家であれライターであれ、マスメディアに物を書いて食っていくからには、自分の書いたものには責任をもたねばならない。責任をもつとは、事実誤認は極力ゼロに近づけ、まちがいがあったら謝罪・訂正するなどの真摯な対応をし、批判はきちんと受けとめる(=その批判が妥当か否かを客観的に判断し、妥当であれば素直に反省する)ことである。 そして、まったく批判を受けない物書きというのはあり得ない。一つの意見を表明すれば、必然的に、その意見に同意しない読者の反発を買うからだ。 たとえば、私が「荻野アンナの『背負い水』はそこらへんのOLのウェブ日記と同レベル。なんでこんなのが芥川賞なの?」という意見をマスメディアで表明すれば、その瞬間、荻野本人およびそのファンを敵に回すことになる。イソップ童話のロバの話ではないが、どんな意見も「すべての人を納得させることはけっしてできない」のである。 読者からの批判に対しては、誹謗中傷でないかぎり、すべて返事を書くことが望ましい。私のような無名ライターでもたまに批判の手紙やメールをもらうが、私は原則的にはすべて返事を書いてきた。 とはいえ、これはシンドイ作業である。きちんとした返事を書くにはそれなりに時間と労力を費やさねばならず、それはどれだけ書いても原稿料が発生しない文章なのだから……。 有名になればなるほど、多くの読者からの批判に身をさらさねばならない。 しょっちゅう批判の手紙やメールをもらうであろう著名ライターともなれば、すべての批判に反論することは物理的に不可能である。 ただ、返事を書く書かないは別として、批判に身をさらす覚悟はつねにもたねばならないし、その批判を冷静に受けとめる視点を保たねばならない。 車を運転するのに免許がいるのは、車が人を殺す凶器になり得るからである。同様に、ライターがマスメディアに発表する文章も、ときに人を殺す凶器になり得る。物書きを目指すなら、これを「大げさな……」と笑ってはならない。マスメディアというものにはそれくらいの力があるのだ。 しかしながら、マスメディアに物を書くには免許などいらない。だからこそ、ペンが凶器になることを自覚しない未熟な物書きも大勢いる。 ペンの凶器性に最も自覚的であらねばならないのは、いうまでもなく、新聞記者などのジャーナリストである。 しかし、たとえ軟派なジャンルばかりこなしているフリーライターであっても、ペンの凶器性に無自覚であっていいわけではない。どんなジャンルの原稿であれ、また、書き手に悪意がまったくなくても、書いたものが人の心を傷つけることはあるのだから……。 私自身の最近の体験を例に挙げよう。 鈴木宗男に関する少し前の週刊誌の狂騒ぶりについて、写真家の藤原新也氏は、氏のサイトのダイアリーで「自閉症的熱狂」と評した。言い得て妙だと思ったので、私はその言葉を某紙に連載していたコラムに引用し、“1つの週刊誌に3つも4つもムネオ批判記事が載る状況は行き過ぎだ”と批判した。 しばらくして、そのコラムに対する批判・抗議の手紙を2通もらった。 1通は自閉症児教育に携わる女性からのもので、もう1通は自閉症児の親の友人だという女性からのものだった。批判の趣旨は同じで、私のコラムの中の「自閉症的」という表現が自閉症への誤解に基づいていて、自閉症児差別を助長するものだ、というのであった。 一瞬カチンときて、「これが噂に聞く言葉狩りってやつか」と思った。だが、そのうちの1通には「自閉症の子をもつ私の友人は、あなたのコラムを読んでひどいショックを受けています」とまで書いてあったので、さすがに気になって、自閉症について少しくわしく調べてみた。 するとたしかに、自閉症は脳障害の一種であって、“外の世界に目を向けない様子”の比喩として「自閉症的」という言葉をつかうのは不適当であった。もちろん、私自身に差別の意図など微塵もなかったが、自らの不勉強と無神経な言葉の選び方は大いに反省した。 このように、書き手に悪意がなくても、また、たった1つのなにげない言葉であっても、それがある立場の読者に「ひどいショック」を与えることはつねにあり得るのだ。 そして、1通の批判の手紙の背後には、同じように感じても手紙を書くまでには至らない、たくさんの読者の声が隠れている。 ビクビクしながら書く必要はないにしろ、マスメディアに物を書く重い責任をつねに念頭に置いて、キーボードに向かわねばならない。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 以上はマスメディアに物を書く場合の話だから、ウェブ日記にそのままあてはまるものではない。 私自身、雑誌に書く原稿よりはずっと気楽にこの日記を書いている。たとえば、事実確認に要する労力は半分以下だ(「マスメディアじゃないのだから、間違っていたらあとで直せばいい」と思っているから)。「責任」についても、まあ、雑誌原稿よりはずいぶん軽く考えている。 ただ、文章が人を傷つける凶器にもなるという点は、マスメディアもウェブ日記も本質的には同じだろう。実害が及ぶ規模が違うだけだ。 であるならば、ウェブ日記の書き手にも、「自分の言葉が凶器にもなる」といういくばくかの自覚は必要だろう。車を運転する際に、「自分が殺人者になる可能性」を心の隅に置く必要があるように……。 上にコピペした文章の「自閉症的熱狂」という表現をめぐっては、この文章を書いたあと、さらにもう一通抗議の手紙がきた。 また、引用元である藤原新也氏の側にも同様の抗議があったらしく、藤原氏ものちに日記からこの言葉を削除している。 つい先日、石破防衛庁長官が「自閉隊」なる言葉を不用意に使って物議を醸したが、同じような失敗をしている私には、石破を笑うことはできない。 同様の苦い思い出は、ほかにもある。 たとえば、ある原稿で「〇〇にはちょっとしたスピード違反程度の罪の意識しかないらしい」という文章を書いたところ、その記述に対して抗議の手紙をもらったことがある。 「交通三悪の一つであるスピード違反を、“取るに足らないこと”の喩えに用いるとはケシカラン!」というのが、その抗議の趣旨だった。 よもやそんなことで抗議されるとは思っていなかったから、驚いた。しかし、少しばかり想像力を働かせれば、これはたしかに配慮不足であった。 たとえば、スピード違反の車によって事故死した肉親をもつ読者が読んだら、どう感じるであろうか? 言葉というのは、それくらいこわい。書き手がなんの悪意ももたずに書いた一見取るに足らない言葉が、人を深く傷つけることがあるのだ。 田中元外相の長女のプライバシーを暴いた『週刊文春』の記事について、「あの程度の記事でプライバシー侵害と騒ぐとは……」と長女を非難する声が少なくなかった。が、私には絶対そんなことは言えない。 心の痛みの度合いは、当人にしかわからない。長女にとってあの記事は、販売差し止めを申し立てざるを得ないほどの「痛み」をもたらすものだったのだろう。 かくいう私のこの日記だって、いつどこで誰を傷つけているかわからない。誰も傷つけず、誰の反発も買わずに公開のウェブ日記を書きつづけることは不可能なのである。 だから、せめて「言葉の凶器性」を心の片隅で自覚しつつ、ウェブ日記をつけようではないか。 評論家の加藤周一が『過客問答』(かもがわ出版)という本で述べていたことだが、フランスには「意見の違いを楽しむ文化」があるという。その点、日本とはまったく違う。日本人はとかく、意見(とくに政治的主張)の違う相手を即座に「敵」と見なし、攻撃してしまいがちだ。 「一億総ライター時代」ともいえるウェブ日記/ブログ全盛期が到来しつつある。いわゆる「ネチケット」は、今後ますます重要性を増していくにちがいない。 2.ブログと「ストローク」 「ストローク」という心理学用語がある。 「ある人の存在や価値を認めるための言動や働きかけ」のことで、親が子どもの頭をなでることから上司が部下をほめること、あるいは「おはよう」などというあいさつまでの幅広い行動が「ストローク」に含まれる。 また、肯定的な行動だけがストロークなのではない。叱られること、罵倒されることなどは「否定的ストローク」と呼ばれる。 ウェブ日記はストロークに満ちている。 日記の内容を掲示板やメッセージでほめられること、「私もそう思う!」と同意の意志を示されることはもちろん、リンクされることやアクセスされることも広義のストロークといえよう。 しかし、ウェブ日記/ブログのもたらすストロークは、当然のことながら両刃の剣である。 まず、肯定的ストロークばかりがあるわけではない。 ヴァーチャルな世界の出来事とはいえ、日記の内容を批判中傷されれば気分は悪い。また、ほかの日記の掲示板に書き込みした内容を無視されたり、一方的に削除されたりすれば、たとえ相手に悪気はなくてもいやな気分になる。 トラックバックについても、むろんよい面ばかりがあるわけではない。 たとえば、作家・室井祐月のブログを見てみたら、2ちゃんねるの「痛いBLOGを晒すスレ」なるものからのトラックバックがしっかりと表示されていた(笑)。 また、肯定的ストロークであっても、たやすく得られるストロークを求めて、ネット中毒症状に陥りかねないという危険性がある。 いまどきの中高生は、友達とケータイ・メールで「起きたー?」「学校着いたー?」「いま何してるー?」などという無意味なやりとりをくり返す。その姿を大人たちは笑うが、ああしたやりとりもストロークを求めてのものなのであり、私たちがウェブ日記やブログにハマることと本質的な違いはない。 ウェブ日記中毒にご用心、である(むろん自戒もこめて)。 |
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