中室牧子『「学力」の経済学』



 中室牧子著『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン/1760円)読了。

 「教育経済学者」の著者(慶應義塾大学教授)が、自らの研究と見聞をふまえて書いた一般書。
 データに基づき、経済学的手法で教育について分析する「教育経済学」のエッセンスが、わかりやすく紹介されている。

 4年前(2015年)に出た本で、私は仕事の資料として読んだ。
 30万部突破のベストセラーになっているそうで、昨年には本書のマンガ版(『まんがでわかる「学力」の経済学』)まで刊行されている。

 私はこれまで「教育経済学」という言葉さえ知らなかったド素人だが、本書は大変面白く読んだ。

 教育経済学者の私が信頼を寄せるのは、たった一人の個人の体験記ではありません。個人の体験を大量に観察することによって見出される規則性なのです。(17ページ)



 著者の指摘どおり、教育や子育てについての日本の論説の多くは、エビデンスを重視する科学的姿勢に乏しい。
 子育てに成功した人(「子どもが全員東大に入った」とか)の体験を綴った本をありがたがって読んだりするわけだが、その個人的体験に普遍性はないのだ。

 子どもへの教育を「投資」と表現することに抵抗のある人もいるかもしれませんが、あくまでも教育を経済的な側面から見れば、そう解釈できるということにすぎません。(74ページ)



 本書には〝子どものいる家庭が年収の40%も教育費に使っている〟という、日本政策金融公庫の調査データが紹介されている。これほど多額のお金を子どもの教育に費やす以上、コストパフォーマンスが厳しく求められるのは当然だろう。
 家庭では「投資」という言葉があまり使われないだけのことで、教育費は子どもの将来に対する「投資」にほかならないのだから……。

 過去日本が実施してきたさまざまな教育政策は、その費用対効果が科学的に検証されないままとなっています。(116ページ)



 そう指摘する著者は、データ、エビデンスに基づき、さまざまな教育の費用対効果・効率・収益率(!)などについての興味深い話を、矢継ぎ早に紹介していく。たとえば――。

 どの教育段階の収益率がもっとも高いのか、と聞かれれば、ほとんどの経済学者が一致した見解を述べるでしょう。
 もっとも収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)です。(76ページ)



 情緒的でキレイゴト満載の「教育論」に慣れた目には、著者の冷徹でクリアカットな語り口が小気味良い。

 教育について経済学的観点から研究する著者は、教育の現場にいる人たちから、しばしば次のような批判を浴びてきたという。

「あなたの研究は、子どもはモノやカネで釣れるということを示すためのものなのか」
「教育は数字では測れない。教育を知らない経済学者の傲慢な考えだ」(182ページ)



 〝教育は聖域、教育者は聖職者〟みたいな時代錯誤の思い入れを、いまだ強烈に持っている人が多い世界なのだろうな。
  しかし、これからの教育に必要なのは、著者のような視点のほうだと思った。

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『ガルヴェストン』



 『ガルヴェストン』を映像配信で観た。



 病気で余命いくばくもないと悟った殺し屋と、19歳の売春婦の明日なき逃避行を描くロード・ムービー。

 タイトルの「ガルヴェストン」は、舞台となるテキサス州の地名だという。

 映画の世界では「よくある話」だ。
 ライアン・ゴズリングとキャリー・マリガンの『ドライヴ』を彷彿とさせるし、近作では『ビューティフル・デイ』にも近い。もう少し枠を広げれば、『レオン』と同じ類型の映画ともいえる。

■関連ブクログ→ 『ビューティフル・デイ』

 不幸な生い立ちを背負ったヒロインを演じたエル・ファニングの儚げな美しさが絶品で、彼女のファンなら観る価値あり。

 ただ、『ドライヴ』のような映画を期待すると、思いっきり肩透かしを食う。あのように素直に感動できる映画、きれいな余韻を残す映画ではないのだ。もっともっとねじれている。

 とくに終盤、物語の前提を根こそぎくつがえすようなどんでん返しがあって、「ええっ! そんなのアリかよ」と目がテンになった。

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イェニー・ヨルダル、マルタ・ブレーン『ウーマン・イン・バトル』



 イェニー・ヨルダル画、マルタ・ブレーン文、枇谷玲子訳『ウーマン・イン・バトル――自由・平等・シスターフッド!』(合同出版/1760円)読了。

 日本での刊行は珍しいノルウェーのマンガである。

 19世紀後半から現在まで、過去150年にわたる世界の歴史の中から、参政権をはじめとした人権を勝ち取るために闘ってきた女性たちの姿を描いている。

 ただし、内容は欧米中心(一部は中東のイスラム国家が舞台)で、残念ながら、日本などアジアにおける女性たちの闘いは描かれていない。

 アメリカにおける(女性たちにとっての)奴隷解放運動から説き起こされ、マララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞受賞(2014年)までが取り上げられている。また、同性愛差別に抗する闘いにも一章が割かれている。

 英国における女性参政権を求めた「サフラジェット」の運動にも、大きくページを割いている。
 サフラジェットについては、2015年の映画『未来を花束にして』(よい映画だった)にも印象的に描かれていた。あの映画でメリル・ストリープが演じたエメリン・パンクハーストも、本書の重要な登場人物の一人となる。

■関連エントリ→ 『未来を花束にして』

 本作は、2018年ノルウェー文化省児童書ノンフィクション部門最優秀賞、2019年ボローニャ・ラガッツィ賞優秀賞(ノンフィクションの部)を受賞している。

 フェミニズム史を大づかみに理解するための入門書として、とてもよくできている。
 おもな対象読者は10代の少女だろうが、大人が読んでも、また男性が読んでも勉強になる。私も、本書で初めて知ったことが少なくない。

 ただ、マンガとして面白いかといえば、ちょっと微妙。
 コマ割りもされているし、セリフはスピーチ・バルーン(吹き出し)の中に描かれているから、マンガには違いない。だが、日本のマンガを読み慣れた目から見ると、動きに乏しくてかったるい。
 マンガというより、「イラストをマンガ的に構成した作品」という印象なのだ(イラストとしての質は高いのだが)。

 逆に言えば、動きの表現に関して、日本のマンガは世界に冠たる独自の進化を遂げているということだろう。

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宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』



 宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書/792円)読了。

 現在、新書分野のベストセラーになっている本。
 類書は多いのに、本書だけがベストセラーになった理由はよくわからない。キャッチーなタイトルの効果であろうか。

 著者は、発達障害・知的障害を持つ非行少年が収容される医療少年院で長く働いた経歴を持つ児童精神科医(現在は立命館大学教授)。

 経験をふまえ、非行少年の中には軽度知的障害や境界知能の事例が多いことが明かされていく。
 重度ではないがゆえに彼らの障害は見過ごされ、支援の手が差し伸べられないまま、学校などで生きづらさを抱えていた例が多い。

 彼らの多くがいじめのターゲットとなり、そのことで溜めたストレスのはけ口として犯罪に走る例が目立つという。同時に、犯罪の重大性を認識できない認知能力の低さも、非行の背景にある。

 本書の前半では、非行少年たちの認知能力の低さを示す衝撃的な実態が紹介される。

 『ケーキの切れない非行少年たち』とは、紙に書いた円をケーキに見立て、「3人で食べるために、平等に切ってください」と書かせる問題に、正答できない少年が多かったことを指す。

 円を3等分することすらできない。「100-3」程度の簡単な計算すらできない。漢字も読めず、日本の総理大臣の名前すら言えず、日本地図を示して「自分の住んでいたところはどこ?」と聞いても答えられない。

 そのように、知識も認知能力も社会生活に不十分な少年たちが、重大な犯罪を犯して少年院に送られてくる。そして反省することを強いられるのだが、「反省以前」だと著者は言う。

 これまで多くの非行少年たちと面接してきました。凶悪犯罪を行った少年に、何故そんなことを行ったのかと尋ねても、難し過ぎてその理由を答えられないという少年がかなりいたのです。更生のためには、自分のやった非行としっかりと向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察などが必要ですが、そもそもその力がないのです。つまり、「反省以前の問題」なのです。(22ページ)



 反省できるだけの能力を育むことから始めなければ、更生できるはずもない、と……。

 後半の6、7章では、そんな彼らに社会がどう対処すべきかという処方箋が語られている。
 現在の学校教育、医療分野で行われている支援は、まったく不十分だと著者は指摘する(6章)。
 そのうえで、最後の7章では、著者が実際に行い、多くの非行少年たちを劇的に変わらせた「認知機能に着目した新しい治療教育」が紹介される。

 著者の眼目――いちばん主張したいことは、処方箋が提示される6、7章にこそあるのだろう。

 しかし、タイトルのつけ方が示すとおり、版元は前半のセンセーショナルな実態のほうを強調したがっているようだ。
また、そうした売り方をしたからこそベストセラーになった面もあるだろう。

 実際に読んでみれば、著者の筆致に煽情的な部分はない。非行少年たちの更生をひたすら願う真摯な内容である。

 印象に残った一節を引く。

 矯正教育に長年携わってきた方が、こう言っていました。「子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない」。まさにその通りだと思います。子どもの心の扉を開くには、子ども自身がハッとする気づきの体験が最も大切であり、我々大人の役割は、説教や叱責などによって無理やり扉を開けさせることではなく、子ども自身に出来るだけ多くの気づきの場を提供することなのです。(153ページ)



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多島斗志之『少年たちのおだやかな日々』



 多島斗志之著『少年たちのおだやかな日々』(双葉文庫)読了。

 2009年に失踪してしまったこの作家が、1994年に上梓した短編集。

 収録された7編の短編は、どれも広義のミステリ。いずれも中学生くらいの少年が主人公である。

 地の文をあまり使わず、会話の連続でどんどんストーリーが進んでいく構成で、とてもリーダブル。

 タイトルのとおり、どこにでもある「少年たちのおだやかな日々」の描写から始まるが、その日常に不穏な影が迫る。
 そして、まったくおだやかではない陰惨な結末が待っている。いまでいう「イヤミス」のたぐい。

 最初の短編が「言いません」で、最後の短編が「言いなさい」。凝った趣向である。全体も、短編集としての構成がよく練られている。

 「言いません」「言いなさい」「罰ゲーム」の3編はテレビドラマ化されたという。
 そのうち、「罰ゲーム」は『世にも奇妙な物語』の一編になったそうだ。7編全体も、なんとなく『世にも奇妙な物語』的だ。チープなところも……。

 最初の「言いません」がいちばん面白かった。
 中学生男子の主人公が、同級生の母親が見知らぬ男とラブホテルから出てくるところにバッタリ出くわしてしまい……という話。
 その母親の狼狽ぶりや、主人公の「どうしたらいいかわからない」戸惑いぶりが、とてもよく描けている。

 7編それぞれが「どんでん返し」で終わる構成。
 「言いません」と次の「ガラス」は、どんでん返しがうまく決まっている。
 一方、ほかの5編はとってつけたような終わり方で、感心しなかった。

 どんでん返しは、そこまでに張られた伏線を見事に回収する形でなされてこそ、読者も「一本取られたな!」と感心するものだろう。

 だが、本書の7編中5編は、それまでになかった要素を突然持ち込んでくるような強引などんでん返しになってしまっている。
 「えっ? そんなの聞いてないよ~」と言いたくなるようなモヤモヤ感が残った。

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川﨑二三彦『虐待死』



 川﨑二三彦著『虐待死――なぜ起きるのか、どう防ぐか』(岩波新書/842円)読了。

 著者は32年間にわたって児童相談所に勤務し、その後は児童虐待問題の研究・研修を行う「子どもの虹情報研修センター」で働いている人物(現在は同センター長)。

 つまり、一貫して児童虐待問題の最前線に身を置き、その防止に尽力しつづけてきた当事者なのだ。

 本書は、その著者が児童虐待の究極――「虐待死」問題の全体像を示すべく書いた概説書である。
 センセーショナルな一つの虐待死事件を深く掘り下げた書は多い一方で、「虐待死の全体を視野に入れて論じた書物は意外に少ない」(「まえがき」)ものだ。

 ゆえに、「通読することで、虐待死の問題に関する歴史、現状、取り組むべき課題のエッセンスがつかめるよう」(「あとがき」)に書かれた本書の意義は大きい。
 また、児童相談所の現場を知り尽くした人だけに、隅々にまで豊富な蓄積が感じられる好著になっている。

 虐待死についてのノンフィクションの中には、いたずらにドギツい場面を強調する、過度に煽情的なものが少なくない。
 「感動ポルノ」という言葉があるが、その手の煽情的ノンフィクションも、ある意味で「感動ポルノ」だろう。

 それに対し、本書は一貫して抑制的な筆致を保っており、煽情性を注意深く避けて書かれている。
(その美点を裏返せば、「お役所文書的」な堅苦しさが随所に感じられるという欠点にもなるのだが、それはさておき)
 多くの現場を目の当たりにしてきた著者は、もっと感情を込めようと思えば込められたはずだが、あえて冷静に書いているのだ。

 以下、印象に残った一節を引用。

 援助を求めること自体が、実は一つの能力であり、そうした力を持たない人がいることを援助者は知っておく必要があろう。(93ページ)



 三歳女児を三畳の和室で生活させたところ、調味料をこぼすなどしたため両手両足をひもで縛り、段ボール箱に入れて出さず死亡させた事例もあった。本来同一空間で過ごすのが家族だとしたら、この子どもたちは、養育放棄どころか、いつの間にか家族の一員から除外されていたと言っても過言ではあるまい。(98ページ)



 嬰児殺について考えるために、戦国時代から説き起こしてここまで見てきたが、こうして歴史を追っていくと、まるで人権意識の発展をたどるような感覚が生じてくる。換言すれば、生まれたばかりの命を一個の人格をもった人間として認めるために、私たちの社会は長い時間を要したのかもしれない。(123ページ)



 二◯◯◯年度ですら、児童福祉司等の人員不足が大きな問題となっていたのに、それから二◯年近くを経て、いまや一人の児童福祉司が抱える虐待相談件数は、当時と比べても三倍以上に膨らんでいる。そのため、一日五件もの安全確認を求められることがあると、期せずして複数の県の職員から聞かされた。(193~194ページ)



 テーマがテーマだけにヘビーな内容だが、児童虐待について知りたい人が、まず全体像をつかむため1冊目に読むべき本だ。

■関連エントリ
慎泰俊『ルポ 児童相談所』
黒川祥子『誕生日を知らない女の子』
杉山春『ルポ 虐待――大阪二児置き去り死事件』
石川結貴『ルポ 子どもの無縁社会』
森田ゆり『子どもへの性的虐待』
ささやななえ『凍りついた瞳』
夾竹桃ジン『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』

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澤村伊智『ファミリーランド』



 澤村伊智著『ファミリーランド』(早川書房/1728円)読了。

 俊英ホラー作家による、初のSF短編集である。
 『SFマガジン』に掲載された5編に、書き下ろしの1編を加えた計6編からなる。

 6編とも、未来を舞台にしつつ、いまの日常とあまりかけ離れていない世界を描いている。
 そして、SFではあってもどこかホラー味を感じさせるところが澤村伊智らしい。ゾクッとくる怖さが随所にあるのだ。

 全部が全部傑作とは言えず、玉石混交。とくに、後半3編はどれもパッとしないと思った。たとえば――。

 ラストの「愛を語るより左記のとおり執り行おう」は、未来の葬儀の話である。
 葬儀が完全にヴァーチャル空間で執り行われるようになり、葬儀業界自体が消滅した世界。そんななか、一人の老人が〝自分の葬儀は昔ながらのスタイルで執り行ってほしい〟と希望したことから起こる騒動を描いている。

 アイデアはよいが、アイデア倒れ。
 登場人物が昔の(つまり、現在ではフツーの)スタイルの葬儀にいちいち驚く様子が、我々から見るとバカみたいに思えてしまう。

 また、書き下ろし作「今夜宇宙船の見える丘に」は、未来の姥捨ての物語である。
 いまどきの介護の苦しさの延長線上に、十分あり得る恐怖の未来を描いて、澤村伊智らしい。
 だが、それが『未知との遭遇』風に展開していくあたりは、木に竹を接いだ感じで、あまり成功していない。ただし、オチには爆笑した。

 一方、前半の3編はそれぞれ素晴らしい。

 「コンピューターお義母さん」は、テクノロジーの進歩が嫁姑問題をいっそう複雑化させた未来を描いて、秀逸。アイデア・展開・オチの三拍子揃って優れている。

 「翼の折れた金魚」は、個人的にはいちばん気に入った一編。
 どこか名作映画『ガタカ』を彷彿とさせる物語で、もっとふくらませて長編化してもイケると思った。

 薬品を用いた「計画出産」(それによって生まれてくる子どもは金髪碧眼となり、能力も高い)があたりまえとなった未来世界。無計画出産で(つまり自然に)生まれた子どもたちは「デキオ」「デキコ」と呼ばれ、差別されていた。
 しかし、あるとき「計画出産」が孕む闇が明らかになってきて……という話。

 「マリッジ・サバイバー」は、進化した〝未来のマッチングサイト〟の物語。オチのホラー味は本書で随一かも。

 「ぼぎわん」や「ししりば」のような化け物は登場しないが、「いちばん怖いのは人の心だよ」とでも言いたげな、ほんのりホラー風味のSF短編集。

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赤松利市『純子』



 赤松利市著『純子』(双葉社/1404円)読了。

 私が赤松利市作品を読むのは、これが4作目。
 そのうちのマイベストは前作に当たる『ボダ子』だが、この『純子』もなかなかのものであった。

 ただ、一作ごとに「読者を選ぶ」度合いが高まっているように思う。逆に言えば、「一般ウケする無難な作風」からどんどん離れて、茨の道・けもの道を突き進んでいるのだ。

 〝クズな男としての自分〟の歩みを赤裸々に描いた私小説『ボダ子』も相当に「読者を選ぶ」作品だったが、本作はそれ以上だ。

 なにしろ、最初から最後までウンコがストーリー上の重要な役割を果たす(!)という、驚愕の一作なのだから。

 といっても、いわゆる「スカトロ・マニア」向けのポルノ小説というわけではない。
 そもそも、最初から最後まで、ストレートなセックス描写は一度も出てこないのだから、ポルノではない。

 それどころか、ウンコの要素を取り除けば、心温まる美しいファンタジーと言えなくもない。
 1960年代の四国の山間部を舞台に、輝くような美少女・純子が村の危機を救う物語なのだから……。

 しかし、全編がウンコにまみれているばかりに、美しいファンタジーが読者を選ぶ異形の物語と化しているのだ。

 まあ、赤松利市が変態であることは、アナル・セックスのシーンがくり返し登場する私小説『ボダ子』によって、読者にはすでにバレバレなわけで……。
 これは、その変態ぶりをさらに全面開花させた作品といえよう。

 読者を選ぶ小説ではあるが、赤松利市の才能をさらに強烈に印象づける傑作だ。誰にも真似できない独創性と、タガの外れた想像力が炸裂している。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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