佐藤ミツル『ブルーミングアローン』



 佐藤ミツルの『ブルーミングアローン』(ビクター/2300円)をヘビロ中。

 日本のプログレの草分けの一つである名バンド「四人囃子」。
 その後期ギタリスト&ヴォーカリスト――つまり森園勝敏の後任者であった佐藤が、1982年に発表したソロアルバムのリイシュー。「ビクター・ビンテージ・ロック ~日本のロック名作選~」なるシリーズの一枚だ。

 リイシューといっても、今回(発売は昨年)が初CD化だそうだ。82~83年といえばLPレコードからCDへの端境期だったから、そういうこともあるだろう。

 森園を含む四人囃子の面々や、難波弘之、青山純など、錚々たる面々が参加している。
 ギター・インスト・アルバムかと思ったら、ヴォーカル入りの曲が大半だった。佐藤ミツルのヴォーカルは「うまい」とは言い切れないが、なかなか味がある。森園勝敏のヴォーカルをもう少し甘くした感じ。

 音はわりと後期四人囃子に近いかな。もろなプログレではなく、プログレのスパイスを随所に効かせたストレートなロック。

 曲によってはかなりポップで、中には歌謡曲ぽい(てゆーか、グループサウンズぽい)曲まである。

 全体に、四人囃子が強い影響を受けていたピンク・フロイドよりも、むしろクイーンに近い印象(ギターも所々でブライアン・メイ風)。
 かと思えば、突然壮麗なオーケストラ・サウンドが鳴り響いたりして、かなり多彩。アレンジも凝っている。

 Amazonのカスタマーレビューでも酷評されているが、音質はよくない。アナログレコードからカセットテープに落としたような感じの、モコモコと「こもった音」なのだ。
 リマスタリングがうまくいかなかったのだろうか? 「K2HD PROマスタリング」「本人によるリマスタリング」という説明があるのだが……。

 とはいえ、佐藤のギターをはじめ演奏は全体に素晴らしいし、後期四人囃子が好きだった人なら一聴の価値あり。


↑佐藤ミツル在籍時の四人囃子の隠れた名曲「ファランドールみたいに」(アルバム『包』所収)。

関連記事

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』



 ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之(やすし)訳『ホモ・デウス――テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房新社/上下巻各2052円)読了。書評用読書。

 世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者が、こんどはサピエンス(人類)の未来を考察した話題作。
 帯にはカズオ・イシグロ、ビル・ゲイツ、ダニエル・カーネマンという錚々たる顔ぶれが讃辞を寄せている。

■関連エントリ→ ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

 前作『サピエンス全史』よりも一段落ちる印象だが、それでも、「読んだあとには世界が変わって見える」ようなインパクトを持つ書ではある。 

 上巻は〝長い前置き〟という印象。原著は一冊なのに上下巻に分けて刊行するのは、日本の出版界の悪癖だと思う。

 〝人類が飢饉・疫病・戦争の三大災厄を事実上克服したいま、次なるステージを目指すはずだ。それは、不死と至福と神性である〟というのが、著者が第1章でぶち上げる壮大な仮説。

 「えー、そうかなァ? 私は不死になんてなりたくないし、ましてや神になりたいなんて思ったこともないぞ」と首をかしげてしまった。
 が、読み進めていくと、著者が言うのはそういうことではないとわかる。人類が取り組んできた、さまざまな病気の克服と長寿の追求――その果てにあるのは不死の追求であるし、それは言い換えれば人類を「ホモ・デウス」(=神の人)へとアップデートしようとする試みにほかならない……という意味なのだ。
 それなら、まあわかる。

 その方向性を推し進めた果てに人類を待っているものは何か? ……という話が下巻に書かれている。

 上巻はメインとなるその部分への前置きというかブリッジなので、人類史の振り返りがかなりの紙数を占めており、前著『サピエンス全史』と重複する部分もある。
 サピエンスを地球の覇者たらしめた最大の原動力は、共通の「物語」の下に大勢の人間が協力できたことだ、という話(上巻の後半で詳述される)などがそうだ。

 そして、いよいよ本題となる下巻――。
 前半の「人間至上主義革命」の章は、やや退屈。神を至上のものと見做してきた前近代が終わり、20世紀まで人間は神に代わって人間を至上のものと見做してきた、と……。そのとおりだと思うが、そのことをこんなに紙数を費やして説明する必要があったのだろうか?

 だが、最後の第3部「ホモ・サピエンスによる制御が不可能になる」に入ると、俄然面白くなる。4章からなるこの第3部こそ、本書の肝だろう。

 第3部は、つづめていえば、AIやバイオテクノロジーなどの進歩によって人間は神に近づく(不老不死に近づき、能力を高め、脳の操作で幸福感や快感が自在に味わえるようになり、他の生命をコントロールする力を得るetc.)が、その果てに「人間至上主義」が意味を失い、ホモ・サピエンスが時代の主役から外れる……という内容。
 つまり、巷にあふれるAI本のうち、「AIによる雇用破壊」などを憂える悲観的なものに近い。

 とはいえ、やはりユヴァル・ノア・ハラリだけあって、凡百のAI本に屋上屋を架すだけの本にはなっていない。驚くべき鋭い視点の考察が随所にあるのだ。

 たとえば、「AIは意識を持つことができないから人間を超えられない」とする論者が多いのに対して、著者は〝意識など必要ない。AIは意識を持たないまま人間を超えるのだ〟と言う(第9章「知能と意識の大いなる分離」)。

 また、21世紀後半には「民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれない」という衝撃的な予測もある。

 データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(中略)今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。(216~217ページ)



 このように、まさに「世界が変わって見える」ような指摘が随所にある。

 私に見落としがなければ、本書に「シンギュラリティ」という語は1ヶ所しか登場しない(下巻226ページ)。
 が、この第3部の内容は、過激なシンギュラリティ論者レイ・カーツワイルの主張とかなり重なるものである。
 したがって、AIの専門家にも多いシンギュラリティ否定論者(「シンギュラリティなんかこない」「AIが人間を超えるなんてヨタ話」という立場)から見れば、大いに眉唾、噴飯ものだろう。

 私も、最終章「データ教」にはついていけないものを感じた。そこでは、人間至上主義に代わって「データ至上主義」が未来の「宗教」となり、人間が価値を失う危険性が論じられているのだ。

 ただ、上下巻とも、再読三読して味わうだけの価値がある書だと思う。

関連記事

エレクトロマグネッツ『エレクトロマグネッツ2』



 エレクトロマグネッツの『エレクトロマグネッツ2』を聴いた。

 エレクトロマグネッツは、ギタリストのエリック・ジョンソンがソロデビュー以前に在籍していたアメリカのジャズ・ロック・バンド。一般的人気はほとんど得ないまま解散した短命なバンドである。

 地元テキサスでは高い人気を誇っていたらしいのだが……。そもそも、バンド名がテキサスっぽくて(偏見)ダサいと思う。「電磁石ズ」ってw

 1975年に発表した唯一のアルバムは自主制作で、のちにエリック・ジョンソンがグラミー賞を3度も受賞する人気ギタリストになってからリイシューされた。

■関連エントリ→ エレクトロマグネッツ『エレクトロマグネッツ』

 この『エレクトロマグネッツ2』は、ファーストが発表された75年に録音されながら、バンドの消滅によってお蔵入りになっていた幻のセカンド・アルバム。2010年にようやく発売された。

 ずっと中古市場で高値を呼んでいて、私も手が出なかったが、いつの間にか、Amazonでフツーの価格で入手(MP3ダウンロードで)できるようになっていた。

 ファーストアルバム同様、マハヴィシュヌ・オーケストラやリターン・トゥ・フォーエバーを彷彿とさせる正統派ジャズ・ロックである。
 フランク・ザッパはエレクトロマグネッツのことを、「ユーモアのセンスのあるマハヴィシュヌ」と評したという。たしかに、求道的・内省的なマハヴィシュヌに比べれば、独特の軽やかさ、ロック的な躍動感がある。

 隠れた名盤であったファーストアルバムと比べると、やはり長年お蔵入りになっていただけあってか、一段落ちる印象。

 それでも、当時まだ20代初頭だったエリック・ジョンソンのギターは流麗で素晴らしく、彼のファンなら一聴の価値はある。

 なお、ドラムスのビル・マドックスは、2010年に自宅に押し入った強盗に射殺されてしまったという。その意味でも悲劇の名バンドである。

関連記事

藤谷治「新刊小説の滅亡」



 8人の作家の競作アンソロジー『本をめぐる物語――小説よ、永遠に』 (ダ・ヴィンチ編集部・編/角川文庫)に収録された、藤谷治の「新刊小説の滅亡」を読んだ。

 ツイッターで小谷野敦氏が「これに芥川賞をあげたいくらい」と絶賛し、栗原裕一郎氏もホメていたので読みたくなったのだ。

 なるほど、これは傑作。しかも、「現役の小説家がこんな話を書いて大丈夫なのか?」と心配になるような「ヤバイ傑作」だ。

 近未来のある日、日本の文芸誌、小説誌がいっせいに廃刊する。のみならず、出版社がいっせいに新刊小説の刊行をやめる。
 なぜなら、もう小説は「終わっている」ので、新刊小説を刊行しても何の意味もないし、文学にとって有害だから(!)。

 ……と、そのような度肝を抜く設定の短編。

 新刊小説の廃止が決行されてから起きる出来事の数々に、ぞっとするリアリティがある。
 各出版社は過去の名作に注目が集まることでむしろ潤い、才能ある作家たちは他のコンテンツ業界で引っ張りだこになるから、無問題。才能なき作家たちが淘汰されて消え去るのみなのだ。読者の側も、新刊小説が出ない世界にすぐさま順応する。
 要は、新刊小説など出なくても誰も困らないのだ。

 文芸業界をめぐるタブーに踏み込んだエンタメ小説としては、東野圭吾の「小説誌」という傑作短編(『歪笑小説』所収)があるが、それに勝るとも劣らない。

■関連エントリ→ 東野圭吾『歪笑小説』

 藤谷治の小説を読むのはこれが初めてだが、ほかの作品も読んでみよう。

 
関連記事

立花隆『知的ヒントの見つけ方』



 立花隆著『知的ヒントの見つけ方』(文春新書/994円)読了。

 著者が2011年から連載している、『文藝春秋』の巻頭随筆をまとめた新書の第2弾(第1弾は2014年刊の『四次元時計は狂わない』)。

 書名から、立花が自分の「知的生産の技術」を開陳した本だと思って手に取る人もいるだろう。が、そういう話はまったく出てこない。

 立花の「知的生産の技術」本としては、『「知」のソフトウェア』(古い本だが、いまでも十分読む価値がある名著)や、『ぼくはこんな本を読んできた』所収の「体験的独学の方法」「『実戦』に役立つ一四ヵ条」がすでにあるので、それらを読むとよい。

 「巻頭随筆」というと、大物作家が日々のよしなしごとを綴るような内容を連想する向きが多いだろう。が、立花はジャーナリストだけあって、本書のエッセイに身辺雑記的なものはない。
 科学や政治などの分野を中心に、その月に起きた出来事を俎上に載せた時評的内容のエッセイである。

 立花のその手の著作というと、昔『週刊現代』に連載していた時評をまとめた『同時代を撃つ』というのがあった。これはなかなか優れた時評集で、講談社文庫版の全3冊を私は何度も読み返したものだった。

 週刊誌連載だった『同時代を撃つ』に比べ、本書は月刊誌連載だけにもう少しゆったりとした、スパンの長いテーマが選ばれている。

 老いたりとはいえ、立花の時代を見抜く目にはまだまだ鋭いものがある、と感じさせる一冊になっている。

 終盤には立花へのインタビューをまとめた2本の長い記事――「最先端技術と10年後の『日本』」と、「ノーベル賞興国論」――を収録。
 2本とも内容が濃く、読ませる。日本の未来について明るい希望が湧いてくるような内容である。

関連記事

KIYO*SEN『organizer』



 KIYO*SENのニューアルバム『organizer』(エレックレコード/3000円)をゲットし、さっそくヘビロ中。

 「KIYO*SEN」は、現「CASIOPEA 3rd」のキーボーディスト・大髙清美と、女子大生ドラマー川口千里の2人からなるユニット。これは1年10ヶ月ぶりの新作に当たる。



 先行公開されていた「Enamel Doll」が、1stの「K.S.Pro」を彷彿とさせるELP路線だったので、かなり期待して聴いた。私はこの路線のKIYO*SENがいちばん好きだから。
 
 プロデューサーでもあるおなじみの矢堀孝一(大高清美の夫)以外に、2人のゲスト・ギタリスト――Kelly SimonzとHIZAKI――を迎えている。そのため、これまで以上にギターの比重が高いアルバムになった。
 Kelly Simonzが参加した「POTOS」と、HIZAKIのギターが唸りを上げる「Altered Destination」の2曲は、KIYO*SEN史上最高のメタル・チューンに仕上がっている。

 アルバム全体が「プログレ寄りのハイパーテクニカル・フュージョン」である点は、従来と同じ。ただし、本作は過去4作中、最もハードでヘヴィーな色合いのアルバムになった。
 言い換えれば、「これまででいちばん硬派なKIYO*SEN」が堪能できるアルバムだ。

 これまで、KIYO*SENには「最強の女子力ユニット」というよくわからないキャッチフレーズがつけられていた。そして、そのキャッチフレーズに合わせるかのように、アルバムに1~2曲はポップで甘い印象の曲が入っていたものだ。

 だが、本作は最初から最後まで硬派路線で押しまくっている。「女子力ユニット」ならぬ「男前ユニット」である。硬派なKIYO*SENが好きな私は、その路線に快哉を叫んだ。

 従来、KIYO*SENのファンにはハイパーテクニカル・フュージョン~ジャズ・ロックの好きな人が多かっただろう。が、本作に限ってはメタラーにもオススメできる。

■関連エントリ
KIYO*SEN『Trick or Treat』
KIYO*SEN『Chocolate Booster』

関連記事

村田らむ『樹海考』



 村田らむ著『樹海考』(晶文社/1674円)読了。

 この著者の本は、前に『ゴミ屋敷奮闘記』というのを読んだことがある。ゴミ屋敷専門の清掃業者「孫の手」で2年間(取材を兼ねて)働いた体験をまとめた、異様な迫力のルポであった。

 村田らむは、ホームレスやゴミ屋敷など、エグいテーマをおもに扱ってきたライター。樹海取材歴も、足かけ20年・100回超にのぼるという。
 その樹海取材の総まとめともいうべき本書は、20年間の蓄積が活かされた濃い内容になっている。まさに、「最前線から伝える、樹海ノンフィクション決定版」(版元の惹句)である。

 ただし本書は、版元が上品な晶文社であるせいか、エグい話ばかり取り上げたような本にはなっていない。むしろ、バランスのよい「樹海入門」を目指したものなのである。

 そのため、全4章立てのうちの第1章「樹海に入る」は、樹海の歴史がどうとか観光地としての樹海とか、わりとぬるい内容になっている。ここだけ読んで、「なんだ、つまらない」と読むのをやめてしまう人もいるだろう。

 だが、第2章以降、樹海の中に存在した謎のカルト宗教団体(いまはもうないらしい)との接近遭遇が紹介されるあたりから、俄然盛り上がり始める。

 そして、本書の圧巻は、何度か登場する「樹海で一番怖い人」――樹海遺体マニアの「Kさん」についてのパートである。
 白骨化した遺体は「好み」ではなく、「やっぱり肉があって、腐乱している死体のほうが好きですね」とほほえむKさんは、まさに鬼畜。Kさんと比べれば、樹海は好きだがべつに遺体マニアではない著者はフツーの人である。

 もう一人の濃ゆいキャラとして、かつて樹海の中で人を殺したことがあるという元殺人犯「Mさん」が登場する。著者がこの「Mさん」と一緒に樹海に行き、殺人現場を再訪する記事の取材模様を綴った一編は、怖くて面白い。

 今後、樹海について知りたい人が一冊目に読むべき〝樹海本のスタンダード〟になるだろう。

関連記事

平山夢明『恐怖の構造』



 平山夢明著『恐怖の構造』(幻冬舎新書/842円)読了。
 
 独創的なホラー小説を書き続けてきた作家・平山夢明(ちなみに、「夢明」といういかにもペンネームっぽい名前は本名だそうだ)が、「人間にとって恐怖とは何か?」――恐怖や不安の心理メカニズムとはどのようなものかを、突きつめて考えた本。

 平山の小説以外の著作には、時々ひどい手抜きのものがある。が、本書はとてもよくできた面白い本だった。
 なにしろ、作家として「怖い小説を書くための作法」を考えつづけてきた「恐怖書きのプロ」だから、恐怖についての考察は自家薬籠中の物なのだ。

 第一章「恐怖の本質」は、哲学者ベルクソンが「笑い」の本質を探求した名著『笑い』に匹敵する……と言ったらさすがにホメすぎになるが、少なくとも部分的には『笑い』を彷彿とさせる鋭い考察がある。

 たとえば平山は、恐怖と笑いは地続きだという。

 バナナの皮で滑って転ぶという笑いは、転倒した人が頭から血を流した瞬間から恐怖に変わるように、恐怖と笑いは薄皮一枚の差なんですね。
 これらふたつの関連性は、学術的にも研究されています。オランダの動物行動学者であるヤン・ファンホーフは、霊長類が恐怖を感じたときに見せる「グリマス」と呼ばれる表情が、人間の微笑みの起源ではないかとの仮説を提唱しています。



 平山はつづけて、「エロスと恐怖というのは表裏一体」だという。
 男性しか出演しないホラー映画が皆無に等しいのはそのためで、命を産み育む性である女性を死から守ることが、ホラー映画の基本線となるのだ、と……。なるほどなるほど。

 だから、ホラー映画ではカップルがいちゃついたり、ヒロインと一夜の契りを交わす場面がよく出てくるんです。あれは、これから起きる「生か死か」をいっそう際立たせるための、生命についての意味を強調させるための装置なんですね。


 
 このように、「小説でブッ飛んだバカなことばかり書いている平山だが、意外に深いこと考えてるんだな」(失礼!)と思わせる箇所が、随所にある。

 第3章「なぜ恐怖はエンタメになりうるのか」は、ホラー映画に限らない「映画の中の恐怖」を論じた秀逸な映画論になっている。
 第4章「ホラー小説を解読する」は、第一線のホラー作家である平山が、ホラー小説の書き方の極意を明かした章としても読める。
 
 巻末には、これまでも対談本を出している精神科医・春日武彦との、「恐怖の構造」をめぐる対談を収録。この対談もノリノリで面白い。

関連記事

深町秋生『オーバーキル――バッドカンパニーⅡ』



 ヤバイ仕事ならなんでも引き受ける、裏社会の人材派遣会社「NAS」の活躍を描く連作短編アクション・シリーズ「バッドカンパニー」の第2弾。

 「大藪春彦の短編ってこんな感じだったなァ」という感想を抱いた。深町秋生こそ、大藪春彦の正統的後継者だと思う。大藪は大物作家になってからも、よい意味での「B級感」を保ち続けたが、その「B級感」が深町にもある。
100点満点の力作は書かないが、確実に60点は超えてくる「娯楽アクションの職人」なのだ。

 この「バッドカンパニー」シリーズは、深町作品の中では比較的軽い読み口。長編ではかなりキツイ描写があるエロ・グロ・バイオレンスも、本作ではスパイス程度。つかの間の娯楽としてハイクオリティだ。

関連記事

Guide 

   →全記事インデックス

Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。54歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

Counter 

メールフォーム

★私にご用の方はここからメールを下さい。

お名前
メールアドレス
件名
本文

最近の記事

マイ「神曲」ベスト100

カテゴリー

ブクログ・MY本棚

タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

Archives

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
32位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
22位
アクセスランキングを見る>>