『ギャングース』



 『ギャングース』をDVDで観た。
 鈴木大介(ルポライター)・肥谷圭介(マンガ家)コンビによる同名マンガの映画化。



 『ギャングース』というタイトルは、ギャングとマングースの合成語である。
 マングースが毒蛇と戦うように、ギャング(犯罪者集団)専門のタタキ(窃盗・強盗)を稼業とする主人公3人組を指している。
 ギャングたちは、タタキ被害に遭っても警察に届けることができない。ゆえにターゲットをそこに絞っているわけだが、当然、捕まれば警察に逮捕される以上の制裁が待っている。

 極貧の崩壊家庭に育った少年院上がりで、犯罪で食っていく以外に道がなかった主人公3人――。
 彼らは、鈴木大介のルポ『家のない少年たち』(マンガ『ギャングース』がヒットしたため、文庫版では『ギャングース・ファイル』と改題)に登場する実在の少年たちをモデルにしている。

■関連エントリ→ 鈴木大介『家のない少年たち』

 触法少年少女など、社会の底辺に生きる者たちに取材した鈴木の一連のルポは、彼にしか書けない社会的意義の高いものだと思う。
 ルポがベースになっているからこそ、この映画の犯罪描写、裏社会の人間たちの描写はすこぶるリアルだ。

 ストーリーの核となるのは振り込め詐欺集団だが(主人公3人組はその「上がり」を強奪しようとする)、それも、振り込め詐欺グループに取材した鈴木の著作『老人喰い』を参考にしている。

■関連エントリ→ 鈴木大介『老人喰い』

 金子ノブアキ演ずる振り込め詐欺グループの番頭が、部下たちに振り込め詐欺の社会的意義(!)を熱弁するシーンがあるが、ここなどは『老人喰い』そのままだ。



 主人公たちがくり返すタタキは、もちろん犯罪である。それでも、観ているうちにだんだん彼らに感情移入し、応援したくなってくる。原作のマンガや鈴木大介のルポのファンにも、十分納得のいく映画化だと思う。

 役者たちも揃って好演。とくに、3人組の一人・カズキを演じた加藤諒は、「彼以外にはありえない」と思わせるハマりっぷりだ。

 振り込め詐欺集団のボスを演じたロック・アーティストのMIYAVIも、強い印象を残す。
 MIYAVIは、ハリウッド映画『キングコング:髑髏島の巨神』でも日本兵役を好演していた。今後、俳優としても十分やっていけるだろう。

 ただ、元「AKB48」の篠田麻里子が、刺身のツマみたいな脇役をさせられているのが、なんとも不憫。かりにも元トップアイドルなのに、こんなもったいない使い方をしてはイカンと思う。

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デイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生』



 デイヴィッド・ライアン著、田畑暁生訳『監視文化の誕生――社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ』(青土社/2808円)読了。

 書評用読書。事前に予想したよりもずっと面白い本だった。
 監視社会研究の第一人者である著者(カナダのクイーンズ大学教授)が、2010年代の状況をふまえて綴った、〝デジタル時代の監視文化論〟である。

 「監視社会」といえば、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』や、ミシェル・フーコーが〝少数者による社会管理システム〟の比喩として用いた「パノプティコン」(元は英国の哲学者ベンサムが構想した「一望監視方式」の監獄の名)のように、巨大な国家権力が民衆を監視する超管理社会がまず思い浮かぶ。

 「スノーデン事件」が示唆するように、そのような国家権力による民衆の監視は、いまの社会にもある。だが、今日の監視はそれだけではなく、もっと多様で両義的だ。

 たとえば、Amazonは購入履歴を通じて、利用者のあらゆる面の好みを知り尽くしている。Amazonのようなネット上の巨大プラットフォームは、世界中の膨大な利用者をある意味で「監視」しているのだ。

 また、ツイッターなどのSNSを通じてつながり、頻繁にやりとりしている見知らぬ相手のことを、私たちは時にその人の隣人以上に深く知っている。その場合、私たちはSNSを介して相手を監視し、自らも相手に監視されているとも言える。

 それらはいずれも、『1984年』的な〝強者が弱者によって監視される〟という一方通行の監視ではない。私たちは、利便性や承認願望と引き換えに、ネット上に個人情報をアップするなどの形で、進んで自らを監視にさらしている。そして、他者を監視してもいるのだ。
 本書の副題に言うように、「社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代」へと変わったのである。

 そのような、ネット社会になって初めて生まれた監視のありようは、「監視国家」「監視社会」という古びた言葉にそぐわない。ゆえに「監視文化(Culture of Surveillance)」と呼ばれる。

 「監視文化」の時代に、監視は「日常化」し、「ハイテクによるクールな衣装をまとって現れ」る。監視は、ある意味で〝娯楽化〟すらしている。本書は、そのような「人々の日常経験としての監視を考えようとした」刺激的な論考である。

 著者自身の研究以外にも、すでに監視をめぐる研究の蓄積は膨大にある。著者はそれらに随所で言及。本書は監視研究の概説書/カタログにもなっており、資料的価値も高い。

 著者は、スマホなどを介した「日常経験としての監視」が、その利便性の陰に孕んだ危険性について、さまざまな角度から警鐘を鳴らす。
 その一方、最終章(6章)「隠れた希望」では、今後の「監視文化」が実り多きものになるための方途を模索する。つまり、監視文化のプラス面にも目を向けているのだ。

 「監視を考える上での必読文献」(訳者あとがき)であり、日常の中に監視が遍在する時代を生きる我々に、多くの示唆を与えてくれる。

 なお、著者は、デイヴ・エガーズの小説『ザ・サークル』(エマ・ワトソン、トム・ハンクス主演で映画化もされた)を、「監視文化」社会の危険性をリアルに描いたフィクションとして高く評価している。それはそれでいいのだが、本書には『ザ・サークル』への言及がかなり多いため、同作を読んでいない者にはわかりにくい面がある。そこが難点。

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『菊とギロチン』



 『菊とギロチン』をDVDで観た。

 昨年度キネ旬ベストテンで、日本映画第2位になった作品(1位は『万引き家族』)。

 同年のベストテンでは同じ瀬々敬久監督の『友罪』が8位にランクインしたが、私は『友罪』にはまったく感心しなかった。この『菊とギロチン』のほうがずっといいと思う。

 関東大震災直後の日本を舞台に、当時実在した女相撲の力士たちと、テロをくり返したアナキスト集団・ギロチン社の面々が「もしも出会っていたら……」という設定で紡がれた物語。この設定がすこぶる魅力的である。

 当初は、「女相撲とアナキスト」という副題がついていたという。「菊とギロチン」の「菊」は、直接にはヒロインとなる女相撲の力士「花菊」を指すが、同時に天皇も意味するダブルミーニングなのだろう(「天皇陛下万歳!」を叫ぶシーンが何度も登場する)。

 女相撲の話だけでも十分成立していた気もするし、女相撲とギロチン社の接合にはやや〝無理やり感〟がある。
 それでも、印象的なシーンも多く、全編に熱い情念がみなぎっていて、見ごたえある力作だ。

 夭折したロックスターのようなイメージで描かれた大杉栄など、なかなかよい。大杉の登場シーンをもっと増やしてもよかったのではないか。

 ただ、いまどき3時間超はちょっと長すぎ。
いろんな要素を詰め込みすぎな感もあり、もっと刈り込んで2時間以内に絞ったらよかったと思う。

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真鍋昌平『アガペー』



 真鍋昌平の『アガペー』(ビッグコミックス/638円)を読んだ。

 『闇金ウシジマくん』の真鍋が、2011年から19年にかけて、折々に発表してきた短編4編を集めた最新短編集。

 あえて『ウシジマくん』の最終巻(46巻)と同日発売にしたのは、〝ここに収められた4編がいずれも『ウシジマくん』と地続きである〟と読者に示すためであろうか。

 4編のうち2編は『スピリッツ』と系列誌に発表されたものであり、残り2編は講談社のマンガ誌(『ヤンマガ』と『モーニング』)に発表されたものである。
 それはともかく、4編とも、『ウシジマくん』を長期連載するなかで生まれた、ある種のスピンオフなのだと思う。

 コミックスの帯には、次のような惹句が躍っている。


『闇金ウシジマくん』と歩いた15年。著者が取材を通じて感じ取った「現実」を魂ゆさぶるドラマに昇華した傑作短編集



 『ウシジマくん』の濃密な取材で得た事実の中には、同作に描ききれなかったことがたくさんあるはず。その一部を活かしたのが、本作の4編なのだろう。

 ただし、『ウシジマくん』に多数登場した裏社会の人間たちは、ここには出てこない。もっと平凡な市井の人々の物語である。

 その分だけ『ウシジマくん』より薄味で、インパクトに欠けるうらみもある。が、ありふれた日常の中にふと顔をのぞかせる〝崩壊の予兆〟〝転落への裂け目〟を切り取る手際の鮮やかさは、『ウシジマくん』そのものだ。

 『ウシジマくん』なら、その崩壊や転落の様子まできっちりと描いた。
 対照的に、本書の4編はそこまで描かずに寸止めする。きわどいバランスの上に成り立った登場人物の日常が、日常のままつづいているところで幕となるのだ。
 ゆえに、「えっ? これで終わり?」という尻切れトンボ感もなくはない。が、私はこの〝不穏さを孕んだ日常〟の描写が気に入った。

 真鍋昌平が次の連載(『スピリッツ』での新連載がすでに決まっているらしい)で、『闇金ウシジマくん』的な作品を描きつづけるのか、それとも新境地を開拓するのか? その分岐点・汽水域のような短編集である。
 真鍋がどちらを選ぶのかは、本書からは判断がつかない。

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橋本治『蝶のゆくえ』



 橋本治著『蝶のゆくえ』(集英社文庫)読了。

 栗原裕一郎氏がツイッターで、本書収録の「ふらんだーすの犬」を次のように激推しされていたので、読んでみた。



 柴田錬三郎賞も受賞した短編集。
 表題作にあたるものはなく、『蝶のゆくえ』は収録作6編全体を曖昧に包むタイトルだ。

 6編のうち、「ふらんだーすの犬」が突出した印象を残す。これはたしかに傑作。最近も頻発している、実の母親とその内縁の夫による児童虐待死の話である。

 児童虐待を描いた小説は多いが、管見の範囲ではこの「ふらんだーすの犬」を凌駕するものはないように思う。

 何がすごいかといえば、虐待死というカタストロフに至るまでの母親と内縁の夫の心の中が、すこぶるリアルに、冷徹に描き出されていること。

 「おバカさんの内面を嘘くさくなく描くのは、知的な人を描くよりずっと難しい」と言ったのは斎藤美奈子だが(『文芸誤報』)、この2人はいわゆるDQNの典型であって、インテリたる作家にとっては内面を嘘くさくなく描くのが最も難しいタイプだろう。にもかかわらず、この小説では2人の心の動きが読者にちゃんと理解できる(共感はできないにせよ)ように描かれているのだ。

 そして、秀逸なラスト――。暗黒の物語に、「希望」とも言えないような一条の淡い光がそっと射し込み、深い余韻を残す。
 『フランダースの犬』の話が出てくるわけではないのにこのタイトルになったのは、このラストがアニメ版の有名なラストシーンを思い出させるからであろうか。

 「ふらんだーすの犬」が強烈なので、ほかの5編はわりを食って見劣りがする。
 それでも、「金魚」は秀作だと思った。フランス文学を教える大学教授の家庭が、人もうらやむ外面とは裏腹に内側はグズグズになっている様子が、息子の嫁と姑の視点を中心に描かれている。

 「ふらんだーすの犬」とは対照的な上流インテリ家庭が舞台だが、こちらもやはり心理描写が冴えている。小説家としての橋本治のレンジの広さを、この2編は示しているのだろう。

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アンドレ・バーナード『まことに残念ですが…』



 アンドレ・バーナード著、中原裕子訳、木原武一監修『まことに残念ですが…/不朽の名作への「不採用通知」160選』(徳間文庫)読了。

 やや古い本だが、「読書猿」氏がブログで紹介していたのを見て読んでみた。

 欧米の古今の名作(小説、詩集など)が刊行される前、出版社の編集者から作者に送られた「不採用通知」の一節を集めたもの。

 もっとも、取り上げられた作品の中にはあまり知られていないものも多い。が、『大地』『白鯨』『アンネの日記』など、名作が数多く含まれているのはたしか。

 「あの名作でさえ、最初は編集者に価値を認められなかったのだから……」と、いまだ世に出ぬ作家の卵たちは大いに勇気づけられるに違いない。

 また、不採用通知の合間に、名作の不採用をめぐる面白いエピソードも集められている。そのうちのいくつかを紹介してみよう。

 バーナード・ショーが初めて書いた作品は、多くの出版社から断られつづけた。活字になったのは書いてから50年後――「出版社がわたしの名前が書いてあればどんなものでも出版するようになってから」だった。

 『ギネスブック』によれば、出版社に刊行を拒否された回数が最も多いのはスティーヴ・カントンの『ダスティ・ロード』という作品。その記録は、じつに314回(!)。

 ウィリアム・サローヤンが初めて原稿採用の通知をもらったとき、それまでにもらった不採用通知は高さ1メートルもの山になっていた。数にして、おそらく7000通以上。

 ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』は、刊行までに22の出版社に断られた。ジョイスが22歳のときに書いた同作が刊行されたのは10年後のことだった。

 世界で4000万部の大ベストセラーになった『かもめのジョナサン』は、刊行までに20数社に断られた。

 ジェイムズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のユニークなタイトルは、この小説が出版社から蹴られるたび、不採用通知を届けにきた郵便配達が決まって2度ベルを鳴らしたことからつけられた。

 詩人のリー・ペニントンは、出版社から送られてくるたくさんの不採用通知を笑いに変えるべく、さまざまな楽しみ方を考案した。
不採用通知をスクラップ・ブックに貼る。コースター代わりに使う。不採用通知の裏面を招待状にした「没」記念パーティを開く。食欲がなくなってダイエット効果が上がるように冷蔵庫に貼るetc.

 断りの文句自体がユーモアとウイットに富んでいて、面白いケースも多い。

 ナボコフの『ロリータ』に対する不採用通知には、次のような一節がある。

わたしがもっとも当惑するのは、作者がこれを発表したがっているという事実である。この本を出版するいかなる根拠も思い浮かばない。わたしはこれを千年間、石の下に埋めておくことを勧告する。



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富井真紀『その子の「普通」は普通じゃない』



 富井真紀著『その子の「普通」は普通じゃない――貧困の連鎖を断ち切るために』(ポプラ社/1620円)読了。

 著者は貧しい崩壊家庭に育ち、中卒で社会に出て10代でシングルマザーになり、一時は「夜の世界」に入って道を踏み外しかけた人。
 しかしその後、児童虐待防止活動や「子ども食堂」など、子どもたちやシングルマザーなどを貧困から救うための活動をするようになる。

 現在の社会活動(代表理事を務める「一般社団法人日本プレミアム能力開発協会」での取り組み)のことがメインの本かと思って手を伸ばした。だが実際には、著者の壮絶な半生を綴った自伝のほうがメインであった。

 全体の3分の2ほどが自伝パートで、残り3分の1ほどが現在の活動の紹介だ。とはいえ、自伝パートにも読み応えがあるので、結果的には読んでよかった。

 著者のこれまでの半生がすさまじい。


 お金がない家でした。
 母は私を産んだ半年後に失踪。
 父は職を転々とし、給料をすべてパチンコに注ぎ込むギャンブル依存症。



 両親とも、絵に描いたようなドクズ。父親は著者の給与や出産助成金(!)まで盗んではパチンコに費やす。成人後に再会を果たした実母は、会ったその日に著者に金を無心する。

 そのうえ、現在の夫もまた崩壊家庭に育った人であったり、夫の前妻が薬物依存で何度も刑務所に入ったあげくに自殺していたり、実姉が3人の子どもを置いて浮気相手と失踪し、現在も行方不明であったり……。

 「貧困の連鎖」の恐ろしさを垣間見せる半生だ。
 そのような波乱万丈の年月を経て、著者が学ぶことによって貧困の連鎖を断ち切ろうと決意し、力強く歩み始めるまでが綴られている。

 とりわけ素晴らしいのは、著者が自らの貧困脱出だけにとどまっていない点。他の多くの子どもたち、貧しいシングルマザーたちを救うための利他行動にまで踏み出しているのだ。

 「貧困の連鎖は断ち切れると実証している人生が、ここにある。希望をありがとう」という、湯浅誠が本の帯に寄せた推薦の辞そのままの本である。

 一つだけ難を言えば、著者が性風俗で働いていた時期があることに本書では触れられていない(湯浅誠が2017年に「Yahoo!ニュース 個人」で書いた、著者についての紹介記事には出てくる)のは、いかがなものかと思った。

 おそらく、編集サイドの「よかれ」と思っての配慮でそうなったのだろう。
 だが、ほかのことについてはつらい過去もすべてさらけ出しているのだから、風俗経験についても赤裸々に書いてほしかった。そうであってこそ、同じような境遇の女性たちに希望を与える本になっただろう。

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佐藤優・片山杜秀『平成史』



 仕事の資料として読んだ(本書の一節を引用する必要があった)のだが、全体としてとても面白い良書であった。

 昨年(2018年)の春に出た元本を、平成の終焉に合わせて早くも文庫化したもの(昔は単行本の文庫化までには最低3年くらい間があったものだが、最近はやたら早い。本の消費サイクルが短くなっていることの反映だろう)。
 文庫化に際して、一章分の対談を新たに語り下ろしている。なので、いまなら文庫版を買うべき。

 対談時間は計20時間を超えるそうで、これは一般的な対談集よりも長め。この手の対談集はだいたい忙しい者同士で行われるから、6時間程度の対談で1冊にまとめる例も多いのだ。

 それだけに内容は濃く、随所に卓見と有益な情報がちりばめられている。

 平成の始まりから終わりまでの印象的な出来事(政治・経済から芸能まで、犯罪から流行まで)を一つずつ俎上に載せ、その出来事を両対談者がどう捉えているかを語り合っている。

 年表や図表も豊富で、平成史の資料としての価値も高い。
 また、本や映画について語られる部分も多く、ブックガイド、映画ガイドとしてもある程度は使える。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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