2020年に読んだ本BEST10



 例によって「小説は除く」という縛りをかけ、今年刊行された本から選んだ(『21世紀の啓蒙』のみ、2019年12月刊)。順不同。
 青文字の書名リンクをクリックすると、「ブクログ」の私のレビューに飛びます。

立花隆『知の旅は終わらない――僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』

スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙――理性、科学、ヒューマニズム、進歩』上巻/(『21世紀の啓蒙』下巻

長谷川眞理子『モノ申す人類学』

ポール・シャピロ『クリーンミート――培養肉が世界を変える』

佐藤由美子『戦争の歌がきこえる』

村井康司『ページをめくるとジャズが聞こえる――《ジャズと文学》の評論集』

大治朋子『歪んだ正義――「普通の人」がなぜ過激化するのか』

押井守『押井守の映画50年50本』

読書猿『独学大全――絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』

フランス・ドゥ・ヴァール『ママ、最後の抱擁――わたしたちに動物の情動がわかるのか』

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西村賢太『瓦礫の死角』



 西村賢太著『瓦礫の死角』(講談社/1650円)読了。

 4編収録の短編集である。
 「秋恵もの」は一つもなく、北町貫多の10代を描いたものが2編と、50代(つまり現在)の貫多ものが1編。そして新境地の1編。

 巻頭の表題作「瓦礫の死角」は、性犯罪を犯して服役中だった父親の出所がほのめかされるという点で、従来の「貫多の10代もの」とは異質な作。

 読み応えがあるが、「犯罪加害者家族の背負う罪なき罰」という帯の惹句から読者が想像する内容とは、少し違う。むしろ、10代の貫多が母親を恫喝してタカる(おなじみの)クズっぷりのほうが基調になっているのだから。

 つづく「病院裏に埋める」は、「瓦礫の死角」と時系列が連続している続編である。
 10代の貫多が駅の立ち食いそば屋でバイトする顛末が描かれる、他愛ない短編。それでも退屈させずに読ませてしまう筆力はさすがだ。

 「四冊目の『根津権現裏』」は、西村賢太の「清造キ印」ぶりがいかんなく発揮された一編だ。
 藤澤清造の代表作『根津権現裏』の稀覯本(清造自らが三上於菟吉に献呈した宛て書き入りの一冊)を、清造の「歿後弟子」たる貫多が必死に手に入れようとする顛末を描いている。

 賢太のデビュー作「けがれなき酒のへど」での初登場以来、彼の作品にくり返し登場してきた古書店主・新川が、重要な役割を果たす。

 貫多の私小説に自分のプライバシーが書かれたと怒る新川に、貫多が返す言葉がキョーレツ。

 「どうでぼくの書いたもんなんか誰も読んでやしねえよ。文芸誌なんて好んで読んでる馬鹿な奴らは、所詮馬鹿なだけに、何を言いたいのかまるで分からない作のみを有難がる習性があるんだから。単純に分かり易く書いてるぼくの小説なんか、ムヤミに軽ろんじるだけで絶対に読みやしねえから安心しろ」



 自虐ギャグというか、自虐にまぎらしてホンネを語った心の叫びというか……。当然、この作品も初出は文芸誌(『群像』)だ。

 ラストの「崩折れるにはまだ早い」は、〝藤澤清造なりきりの変格私小説〟ともいうべき新境地。
 主人公の私小説作家は当然北町貫多(=西村賢太)だと思って読み進めていると、途中から藤澤清造が主人公であることに気付くという趣向である。
 つまり、西村賢太と藤澤清造の私生活が、作中で時空を超えて融合するのだ。
 この短編が〝賢太が見つけた新たな鉱脈〟となり、今後シリーズ化されていくのかもしれない。

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2019年に読んだ本BEST20



 例によって「小説は除く」という縛りをかけ、昨年刊行された本から選んだ。
 いつもはBEST10だが、昨年は読書ライフが充実していたので、BEST20にしてみた。

※青文字のリンクをクリックすると、「ブクログ」のマイレビューに飛びます。『全ロック史』のみ、まだレビューを書いていませんが、他意はありません。そのうち書きます。

 順不同だが、この中からしいてBEST3を選ぶとすれば、『「いいね! 」戦争』、『狼の義』、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』だろうか。

P・W・シンガー、エマーソン・T・ブルッキング『「いいね! 」戦争――兵器化するソーシャルメディア』

林新、堀川惠子『狼の義――新 犬養木堂伝』

ウォルター・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』

ハンス・ロスリングほか『FACTFULNESS――10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』

ポール・モーランド『人口で語る世界史』

ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons――21世紀の人類のための21の思考』

信田さよ子『〈性〉なる家族』

西崎憲『全ロック史』

石川明人『キリスト教と日本人――宣教史から信仰の本質を問う』

デービッド・アトキンソン『日本人の勝算――人口減少×高齢化×資本主義』

※ここまでがBEST10で、以下は「モア10」というニュアンス。

岸本佐知子『ひみつのしつもん』

塙宣之『言い訳――関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』

『漫画原作者・狩撫麻礼 1979-2018 《そうだ、起ち上がれ!! GET UP . STAND UP!!》』

小林エリコ『生きながら十代に葬られ』

荒木優太編『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』

ジム・アル=カリーリ編『エイリアン──科学者たちが語る地球外生命』

デイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生――社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ』

川崎二三彦『虐待死――なぜ起きるのか、どう防ぐか』

谷岡一郎『ランキングのカラクリ』

内澤旬子『ストーカーとの七〇〇日戦争』

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月刊『創』編集部『開けられたパンドラの箱』



 月刊『創』編集部・編『開けられたパンドラの箱――やまゆり園障害者殺傷事件』(創出版/1650円)読了。

 仕事でやまゆり園事件(相模原障害者施設殺傷事件)について調べる必要があり、読んでみた。この本は昨年(2018年)刊行されたもの。

 月刊『創』に載った関連記事をまとめた本である。そのため、やや寄せ集め的なところがあり、本としてのバランスが悪い。

 「やまゆり園事件について、全容と論点を手際よくまとめた本が読みたい」と思って手を伸ばしたのだが、そういう目的にはまったく合っていない本だった。セレクト失敗。

 やまゆり園の元職員でもある植松聖被告へのインタビューや、彼が獄中から編集部に送った書簡なども掲載。その主張は身勝手きわまりないもので、読むに堪えない。

 また、植松が獄中で大学ノートに描いたというマンガも掲載されている。
 これが素人離れした絵で(彼の母親はホラー・マンガ家)、妙にうまいだけにカオスな内容の薄気味悪さが増幅されている。背筋が寒くなるようなマンガである。

 ただ、それ以外の記事部分は(玉石混交だが)充実していた。

 私がとくに強い印象を受けたのは、重複障害者の娘さんを抱えた最首悟氏(和光大学名誉教授)が、植松への「再反論」として答えたインタビュー。

 重度障害者の子を持つ当事者として、植松の犯行をマスコミで強く非難した最首氏に対し、植松は獄中から挑発的な反論の手紙を送ってきたのだという。
 その手紙を唾棄するのではなく、あえて誠実に再反論したインタビューなのである。これは重い読み応えがあった。

 また、本書には精神科医3人が参加しているのだが、その中では斎藤環氏へのインタビューがいちばん興味深かった。
(逆に香山リカ氏の発言は、〝事件にからめて、スキあらば安倍政権批判につなげてやろう〟という感じがありありで、その点に鼻白んでしまった)

 斎藤氏は、植松被告を事件前に措置入院させたことは誤りであったと言う。その主張は傾聴に値するものだ。

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本田『ほしとんで』



 仕事がらみで、本田の『ほしとんで』の既刊1~2巻と、枡野浩一原作/小手川ゆあ画の『ショートソング』全2巻を読んだ。
 前者は俳句、後者は短歌の世界を舞台にした青春マンガだが、まったく対照的な作品になっているのが面白い。

 『ほしとんで』が恋愛要素絶無の非リア充マンガであるのに対し、『ショートソング』は恋愛要素メインで美男美女ばかり出てくるのだ。
 非リア充な私は当然、『ほしとんで』の方に深く共感した。

 まあ、『ショートソング』もわりと面白いし、小手川ゆあの絵はすっきりキレイでいいんだけど、ストーリーにまるで共感できなかった。



 歌人の枡野浩一が書いた小説が原作であるわりには、短歌が目的ではなく手段として使われている印象を受けた。
 主要キャラたちの恋愛模様を描くことが目的で、それを彩るスパイスとして短歌が用いられているだけ……というふうなのだ。

 そもそも、主舞台となる短歌結社「ばれん」がリア充な若者だらけである点が、なんか絵空事な気がしてしまう。
 まあ、「短歌結社=老人メインの集い」という私の先入観が偏っているのかもしれないが……。

 いっぽう、この『ほしとんで』には俳句に対する愛が全編にあふれている印象。
 俳句の基本を知るための入門マンガとしても上質で、読んでいると「私も俳句を作ってみようかなァ」という気になる。

 舞台となる八島大学藝術学部(日芸がモデルなのだろうが)の俳句ゼミに集う面々のキャラが立っているし、言葉のセンスも抜群だ。
 何気ないセリフがおかしくて、オフビートな笑いがジワジワくる感じがたまらない。

 主要キャラ6人(俳句ゼミ生5人と講師の俳人)に甲乙つけがたい魅力があるが、私は「脳内言葉がネット民ぽくなってしまう」地味メガネ女子・薺(なずな)さんが推しキャラだ。

 俳句ゼミ生たちはそれぞれ、小説家などの表現者を目指しているという設定。彼らの表現者ワナビぶり、自意識過剰ぶり、中二病が悪化したようなこじらせっぷりが、こちらの心にもグサグサ刺さる。

 彼らが俳句に挑む姿を通して、言葉で自分の思いを表現することそれ自体の喜びが、くり返し描かれていくマンガでもある。
 〝文化系青春マンガ〟の快作。


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島田雅彦『君が異端だった頃』



 島田雅彦著『君が異端だった頃』(集英社/2035円)読了。

 島田自身の幼少期から〝青春の終わり〟まで(=作家として20代を終えるまで)が赤裸々に描かれた、話題沸騰の私小説である。

 一気読みしてしまうくらい面白かった。それは半分くらいまでゴシップ的面白さではあるのだが……。

 幼少期を描いた第一部「縄文時代」には、「少年小説」的な味わいがある。
 くわえて、私自身が島田とほぼ同世代(私が3歳下)であるため、思い出を構成する流行・風俗要素の多くになじみがあり、随所に懐かしさを感じた。

 第二部「南北戦争」からは、島田のモテ男ぶりがすさまじい。〝モテモテ青春ダイアリー〟的な身もフタもなさに苦笑しつつ、ページを繰る手が止まらない。

 オレは必ず小説家になり、空回りと空騒ぎに終始した恥ずべき高校時代をすべて書き換えてやる。



 ――という、本書のカバーデザインにも用いられた一節が第二部にあるのだが、「恥ずべき」どころか、こんなにゴージャスな高校時代もめったにあるまい。

 大学時代と、在学中の作家デビューの顛末が描かれた第三部「東西冷戦」には、1980年代グラフィティ的な面白さがある。
 当時『若者たちの神々』(筑紫哲也による、各界のカリスマ的人気者たちへのインタビュー集。島田は最年少者として登場)の一人にも数えられた時代の寵児ならではの、これまたゴージャスな青春だ。

 第三部の終盤と、最後の第四部「文壇列伝」は、島田が深く接した文壇の大物たちのポルトレ(人物素描)集にもなっている。

 第四部では、既婚者でありながら滞在先のニューヨークで金髪美人の大学院生ニーナと不倫関係に陥る顛末も描かれる。
 ニーナが島田を追うように日本に留学してくるところなど、まるで『舞姫』のよう。
 それはそれで興味津々ではあるが、この第四部の面白さは、なんといっても作家たちの素顔を明かした部分にある。

 安部公房、大江健三郎、埴谷雄高、大岡昇平など、綺羅星の如き大物たちが次々と登場する。
 中でも強烈な印象を残すのが中上健次で、第三部・四部の〝もう1人の主役〟といってもよいほど。

 この第四部も、「文壇ゴシップ」的な面白さを多く含んではいる。
 また、作家たちが夜ごと痛飲・鯨飲し、子どもじみた争いに明け暮れる場面が多く、「文壇ってクダラナイな」という思いにもかられる。

 だが、そのような微苦笑を誘う要素もまた、本書の面白さの大きな要因なのである。

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内澤旬子『ストーカーとの七〇〇日戦争』



 内澤旬子著『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋/1650円)読了。

 ストーカー事件を扱ったノンフィクション/フィクションの多くは、第三者が取材・調査に基づいて書いたものだ。
 それに対し、本書は被害者が優れた文筆家であったという偶然――著者にとっては不幸な偶然――が生んだ、当事者の視点から書かれた稀有なノンフィクションである。

 ストーキング被害者の苦しさを生々しく伝えるノンフィクションとしても、サスペンスフルな読み物としても一級品だ。
 そして同時に、「ストーカー被害者になると、警察や弁護士とのやりとり、裁判所でこんな目に遭う!」が詳細にわかる、ある種の実用書としても優れている。

 著者の被害ケース以後にストーカー対策法が改正されたこともあり、いまの警察対応は本書とは少しく異なっている(たとえば、当時はSNS上の書き込みは対策法の対象外だったが、いまは違う)。

 そうした微妙な違いはあれど、いまも十分実用書として役立つはず。
 とくに、〝ストーカーになりそうな人間が、いま周囲にいる〟というボヤ段階に置かれている人にとっては、それを大火事にしないための対策が、本書を読むとわかるだろう。

 本書終盤の大きなテーマとなる、〝ストーカーは依存性の精神疾患であり、治療可能。犯人に治療を受けさせることが、被害者の安全を守る重要な対策になる〟という話も、広く周知されるべきだ。

 何より、著者の文章がうまい。
 そのうまさは第一に、込み入った出来事を手際よく整理して伝える〝説明力〟の高さである。

 また、ストーカーの恐怖を的確に伝えながらも、一方では軽妙なユーモアをちりばめ、リーダブルで面白い読み物に仕上げている点も、抜群のうまさだ。

 全体として、社会的意義の高い一冊。

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信田さよ子『〈性〉なる家族』



 信田さよ子著『〈性〉なる家族』(春秋社/1870円)読了。

 信田さよ子は、著作が多いだけに、出来不出来の振幅がけっこう大きいと思う。

 私もすべてを読んでいるわけではないが、管見の範囲では、『母が重くてたまらない』や『共依存』『アダルト・チルドレンという物語』などが良書だった。
 逆に、『選ばれる男たち』や『カウンセラーは何を見ているか』は駄本であった。

 そして本書は、著者の代表作にもなり得る良書だと思った。

 タイトルのとおり、家族における「性」の問題――親による子どもに対する性虐待や、夫婦間のセックスレスや性暴力など――についての論考集である。

 きわめて語りにくい、黒いヴェールに覆われてきた問題群について、カウンセラー/臨床心理士としての豊富な経験をふまえて、真摯に論じている。

 著者の旗幟は鮮明で、終始一貫して被害者側――主として女性側――に立っている。

 本書に出てくる子どもへの性虐待、妻への性暴力のたくさんの事例(プライバシーに配慮して抽象化されている)は、私の目にはきわめて特殊な例に見えるのだが、著者の目にはごくありふれた事例として映っているようだ。

 性暴力を成り立たせる〝家庭内の権力構造〟を抉る著者の分析は鋭く、男たちの無意識の中にある暴力の萌芽にまで、否応なしに目を向けさせる。たとえば――。


 子どもが憎いからあんなひどいことをするのだという理解は、虐待に対する無知・誤解の典型である。親は子どもを憎いのではない。子どもは自分の思い通りになるはずだと思っており、そうならないから彼ら自身が傷つき、そして傷つけた子どもに対して怒るのだ(47ページ)




 子どもがDVを目撃することを面前DVと呼ぶが、それによる最大の影響は、「暴力で解決できないことはない」という信念を植え付けられることだ。父親が怒鳴ったり殴ったりして母の反論を封殺する。その暴力の効果を、子ども(特に息子)は深く心に刻むだろう。性行為によって妻の不満はすべて解決できるという夫の考えと、それは相似形ではないだろうか(103ページ)



 我が子や妻は自分の思い通りになるはずだという父(夫)の「思い上がり」が、子どもへの性虐待や妻への性暴力の根底にあるのだ。

 信田さよ子は〝言葉の人〟だと私は思っている。つねに言葉を重視し、見事な〝言葉の使い手〟でもある。言い換えれば、彼女の著作には文学の薫りがあるのだ。

 本書もしかり。
 言葉を重んじる姿勢が随所に感じられるし、ハッとする鮮烈なフレーズが多い。たとえば――。


 いまや日本では多くの人に共有されているトラウマという言葉だが、その転換点がPTSDが加わった一九八◯年のDSMⅢにあったことは間違いない。この言葉によってどれほど多くの経験が「被害」として認知されることになったか、定義する言葉がなかったために埋もれて忘却されるしかなかった経験が初めて陽の目を浴びて他者に伝達可能となったかと考えると、輸入されたカタカナ語ではあるが、その果たした役割は言うに尽くせないものがある(206ページ)



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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。56歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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