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2008-07-24 Thu 04:07
デイヴィッド・ストローン著、高遠裕子訳『地球最後のオイルショック』(新潮選書/1575円)読了。 『毎日新聞』の書評欄で、養老孟司が「現代人必読の書」と紹介していたので買ってみた本。 ううむ、これはたしかに衝撃的な内容だ。『不都合な真実』よりも恐ろしい内容が、淡々とした冷静な筆致で書かれている。 たったいま進行中のガソリン価格高騰のホントの理由も、米国が無理やり理由をこじつけてイラクに侵攻したホントの理由も、この本でわかる。 久々に、読後に「世界の見方が変わる」感覚を味わった。 (つづきます) |
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2008-07-23 Wed 11:14
諸星大二郎の新作『未来歳時記 バイオの黙示録』(集英社/840円)を読んだ。 諸星にとっては久々のSF。それも、手塚賞受賞の出世作「生物都市」(1974年)を彷彿とさせる、いかにも諸星らしい連作短編集である。 核戦争後の荒廃した世界を舞台にするのはSFの定番だけれど、この連作は核ならぬ「バイオ戦争」後の世界を舞台にしている。 半世紀前の「バイオ戦争」に際して、無差別に行なわれた遺伝子実験。それが自然界に深刻な影響を与え、あらゆる遺伝子が入り混じってしまった世界――。 動植物にヒトの遺伝子が入り込み、人間の顔をした鳥や雑草(!)が闊歩する。一方では、体内に動植物の遺伝子が入り込んでしまった「バイオ被害者」とその子孫たちが、半人半獣の異形をさらし、「荒れ地」と呼ばれる汚染地域に暮らしている……。そんな悪夢のような世界を舞台にした、奇想あふれる短編集である。 あの「生物都市」は、人々が機械や無機物と溶けて融合し、都市自体が一つの生命体と化してしまう世界を描いていた。それはディストピアではあるが、同時に、人類史上初めて戦争も飢餓も労働もない世界が実現したユートピアでもあった。 同様に、この『バイオ黙示録』で描かれるのも、悪夢の世界であると同時に、極限まで進んだ遺伝子操作によって思いのままの動植物が作れる夢の世界でもある。 ディストピアと背中合わせのユートピア。目くるめくような極彩色の悪夢――諸星大二郎にしか描けない世界が堪能できる傑作だ。 |
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2008-07-22 Tue 16:19
『不良読本VoL.1』(講談社/1260円)読了。 『小説現代』の別冊として編まれた、「不良」をテーマに据えたムックである。先日読んだ矢作俊彦の『傷だらけの天使/魔都に天使のハンマーを』は、このムックが初出だったのだ。 内容は、小説とエッセイが各数編、それに、安西水丸によるマンガが一編。 「玉石混淆」という言葉がぴたりとあてはまるムックだ。 「玉」にあたるのは、小説では『傷だらけの天使』(これは先に単行本で読んでしまったが)と、東郷隆が江戸時代の「不良」を描いた短編「背中の助六」 。エッセイでは、浅田次郎と花村萬月のものがよかった。あと、安西水丸のマンガもなかなか。 とくに、花村萬月のエッセイはサイコーである。 このムック全体が「オレも昔はヤンチャやっててさあ」的な、「オジサンのロマンティシズムとしての不良」を扱っているのだが、花村は執筆陣のなかでただ一人、そこに冷水をぶっかけてみせる。“不良の世界にロマンなんかない。もっと荒涼・殺伐としている”と……。
このエッセイを読むと逆に、花村こそ本物の不良だったのだろうな、という印象を抱く。 エッセイは「私の不良論」を共通テーマにしていて、ほかには椎名誠、石田衣良、山本一力が寄稿している。このうち最悪なのが石田衣良のエッセイで、なんの芸もないクダラナイ文章を書いて浮きまくっている。 あと、小説の中には、このムックに入れる必然性がまったく感じられない作品もいくつか。 「VoL.1」と銘打つからには第2弾も考えているのかもしれないが、私は買わないと思う。 『傷だらけの天使』の単行本をすでに読んだ人は、とくに読む必要のないムックである。 |
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2008-07-21 Mon 14:12
我が家はつつましいオンボロ・マンションなのだが、唯一の取り柄は東南西の三方にわりと広いベランダがあること。 そのベランダで、先月から発作的にベランダ・ガーデニングの真似事をしている。 何冊かベランダ・ガーデニングの入門書も読んだのだが、本格的にやろうとすると、けっこうシチメンドクサイのだね。「○○土と○○土をブレンドしてどうの」とか、「発芽までは新聞紙などで覆って直射日光を避けろ」だの……。 本格的にやるつもりもないので、テキトーにいろいろ種を買ってきて、テキトーにプランターや鉢に土を入れて、そこに播いた。ただ、水だけは毎日マメにやっている。 植えてあるのは、青じそ、アサガオ、ミニヒマワリ、小松菜、ラベンダーなど・・・。今朝、ようやく最初のアサガオが花開いた。なんとなくうれしい(小学生か!)。 水をやったり、土をいじったり、植物が毎日少しずつ成長する様子を観察したり……ただそれだけのことがむしょうに愉しい。気分が安らぐ。これはきっと本能に根差した感情なのだろうな。 で、その感情にもう少し深みを与えようと、ヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉しみ』(草思社)を購入して読書中。ヘッセの本なんて読むのは中学生のころ以来である。 |
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2008-07-19 Sat 10:20
川越修・鈴木晃仁編著『分別される生命――20世紀社会の医療戦略』(法政大学出版局/3675円)読了。 同志社大学と慶應義塾大学において計14回開かれた、〈生命の比較社会史〉研究会の報告・討議に基づいた論文集。研究会に参加した医学史・医療社会史・近現代史などの研究者が、各専門分野からの論文を寄せている。 医療と国家の関係が、いま大きな曲がり角に立っている観がある。そのことを象徴するのが、日本の医療制度改革をめぐる国民的議論であろう。医学の進歩と医療制度の充実によって平均寿命が伸びると、高齢化の進展によって医療費は増大し、国家財政を圧迫する――それは、我が国のみならず先進国が共通して抱え込んだジレンマである。 本書は、医療制度改革をめぐる議論と直接の関係はないものの、時宜にかなった内容といえる。「医療の制度化」をめぐる比較社会史の書であるからだ。 収められた論文は多彩だ。たとえば、明治期の日本に「看護婦」(現・看護師)が登場した歴史的過程を跡づけた論文があるかと思えば、20世紀初頭のドイツにおける「更年期」という概念をめぐる言説を検証した論文もある。 ほかに俎上に載るのは、代替医療と通常医療の関係、精神疾患をめぐる扱いの変容など……。そうした多彩な論文を刺しつらぬく“串”となるのが、「医療の制度化」をその淵源までさかのぼって検証するという共通の視点だ。 国家を担い手に、国民全体を対象とする医療保険が制度化されたのは20世紀初頭からである。20世紀は「医療の制度化」の世紀であり、言いかえれば医療の病院化(病人が病院へと回収されるプロセス)の世紀でもあった。 本書の各論文は、医療の制度化・病院化の過程を、日独英の比較のもとにさまざまな角度から検証したものだ。その検証作業を通じて、「現在の私たちの生命をめぐる状況を20世紀社会の歴史の文脈に位置づける」(序章)ことが、本書の眼目である。 たとえば、近代日本における「病床」概念の変遷を跡づけた論文がある。 その中で、論者は現在の日本の病床政策(病床から治療機能以外の要素を排除しようとする方向性をもつ)への違和感を表明する。日本の「病床」は、歴史的に見て治療以外の機能を豊かにもつものであり、それが日本の医療の特長の一つでもあったからだ。 各論文は直接的な政策提言を含むものではないが、医療制度の現在と未来を考えるにあたってすこぶる示唆に富む書である。 |
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2008-07-17 Thu 22:25
ピーター・D・ウォード著、長野敬・野村尚子訳『生命と非生命のあいだ/NASAの地球外生命研究』(青土社/2730円)読了。 邦題がよくない。『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)がベストセラーになったので、そのコバンザメを狙ったとしか思えない。 それに、『生命と非生命のあいだ』という邦題は、かつてアイザック・アシモフの科学エッセイにも使われていたのである。『生物と無生物のあいだ』は、当然それを意識したタイトルだろう。つまり、本書の邦題は「パクリのまたパクリ」なわけだ。 ついでに、重箱の隅つつきを一つ。 青土社の本で前にも経験したことがあるのだが、著者と訳者の略歴を本の帯にだけ載せて、カバーにも奥付にも載せないというのはどういう了見なのか。これでは、帯なしの古書で購入したり、図書館でこの本を読んだりした読者には、著者の略歴がわからないということになる。 ……と、内容以前の部分でケチをつけてしまったが、中身は悪くない。むしろ、かなり面白い本だった。 著者は米ワシントン大学教授で、専門は生物学、地球・宇宙科学。新しい科学領域「宇宙生物学」の、主要人物の一人と目される研究者である。 「宇宙生物学」というと、「宇宙人はいるのか?」というSF的なテーマに取り組む荒唐無稽な学問のように思われるかもしれない。たしかに、地球外生命の存在可能性を検討し、探査することも、宇宙生物学の柱の一つではある。だが、それだけではない。 地球外生命の可能性を探ることは、とりもなおさず、地球の生命がどのように誕生したかという謎に迫ることでもある。 たとえば、「生命の起源」をめぐる仮説の一つに、「最初の生命は宇宙からやってきた」とする「パンスペルミア説(宇宙播種説)」がある。地球に飛来した隕石に含まれる有機物が生命の起源となったのではないか、などとする仮説だ。この「パンスペルミア説」の正否を探ることもまた、宇宙生物学の主要テーマの一つなのである。 そのように、宇宙生物学とは、生物学・天文学・化学・地学など、地球と宇宙を探求する諸科学を学際的に結び、「生命とは何か?」という古くからある巨大な問いに新たな角度から答えようとするものなのである。 著者は、NASA(米国立航空宇宙局)の宇宙探査チームの一員でもある。本書は、NASAの地球外生命研究をふまえ、宇宙生物学の最先端を紹介したものである。そして同時に、我々の生命観をしたたかに揺さぶる、壮大な思考実験の書でもある。 「何を生命とし何を非生命とするかについて、生物学の主流が現在の狭い見方からこの問題を不適切に扱ってきた」と著者は言う。 「狭い見方」とは、地球上の生命の特徴を、生命であるための絶対条件のように思い込むことを指す。宇宙には、「化学と代謝のもっとも基本的な特質において異なる多数の生命タイプがあるに違いない」と著者は言うのだ。 そして、どんな生命様式があり得るかが、いきいきと論じられていく。 “太陽系のほかの惑星に、いかなる生命が存在し得るか?”、“人工生命の合成は可能か?”など、興趣尽きない問いが次々と立てられ、答えが明快に示される。それらは思考実験ではあるが、たんなる空想ではなく、最先端の研究成果をふまえた現実味のある仮説なのだ。 宇宙生物学の視点から生命を定義し直した、哲学的な深みをもつ科学ノンフィクション。 |
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2008-07-15 Tue 11:31
※以下は、昔メイン・サイトに書いたものの流用である。サイトのコンテンツで残すべきものはブログに移して、もう閉じてしまおうと思っている(いまどき「ホームページ・ビルダー」でちまちま更新するのもメンドイし) スチャダラパーの「サマージャム’95」の歌詞ではないが、10代のころ、夏になるとよく、お気に入りの「夏っぽい曲」ばかりを集めたテープを作ったものだった(ありがちですね)。 では、いまの私が同じようなテープを作ったとしたら? というわけで選んでみたのが下の20曲。サザンとかチューブとか山下達郎とかは意地でも選ばないのである。 ------------------------------------------------------- 1位「夏なんです」(はっぴいえんど) トリビュート盤『HAPPY END PALADE』ではキリンジがカヴァーしていた名曲。キリンジのヴァージョンは“都市の夏”というムードに仕上がっていたけれど、名盤『風街ろまん』に収められたこの原曲は、昔ながらの田舎の夏休みという雰囲気。少年時代の夏休みの思い出が心に広がる、ノスタルジックな名曲。 2位「ポロメリア」(Cocco) Coccoの曲の中でも、「遺書。」や「Raining」と並ぶ屈指の名曲。ポロメリア(=プルメリア)とは花の名。曲名どおり、極彩色の花が咲き乱れる南の島の夏を思わせる、スケールの大きい曲。 「見上げれば 終わりをみたこともない 目眩を覚えるような空(あお)」 ――リフレインのこのフレーズが、耳に焼きついて離れない。 3位「サマージャム’95」(スチャダラパー) ラップでこんなに抒情的な「サマー・ソング」が作れるなんて、私はこの曲を聴くまで想像だにしなかった。私がスチャダラパーに対して抱いていた偏見(=「どうせお笑いラップでしょ」)も、この1曲で吹っ飛んだ。 これは、「夏なんです」から四半世紀近くを経て生まれた、“ジャパニーズ・サマーソング”のスタンダードだ。 4位「LADY COOL」(ルースターズ) ルースターズのラスト・アルバムでもある名盤『FOUR PIECES』収録の名曲。終わりゆく夏の恋を歌う歌詞が、ルースターズというバンドの終焉と二重映しになって哀切無比。間奏のギターソロの鳥肌ものの美しさなど、すべてがバシッと決まったパーフェクトな曲。花田裕之のヴォーカルはヘタだが、そのヘタさかげんすら、ここではむしろ切なさに昇華されている。 5位「ネフードの風」(パンタ&HAL) パンタのアルバム中、『クリスタルナハト』と並び称される名盤『マラッカ』収録の名曲。『アラビアのロレンス』をモチーフにした、男臭いサマー・ソング。ワイルドでありながらリリシズムに満ちている。 パンタの曲ではいつものことだが、詞が素晴らしい。「つきっ放しのストロボのように/まばたきを忘れた空」――最初のフレーズでもうノックアウトだ。 この『マラッカ』にはほかにも、ロックと演歌とレゲエのスピリットが奇跡のバランスで融合した「つれなのふりや」や、故マーク・ボランに捧げた美しいバラード「極楽鳥」など、夏っぽい名曲多し。 6位「サマー・ナーヴス」(坂本龍一&カクトウギ・セッション) 坂本龍一がYMO在籍中に作った(※)、テクノ&フュージョン風味のセッション・アルバムの、タイトル・ナンバー。このアルバム全体が夏っぽいテイストで作られていたが、とくに、オープニングを飾ったこの曲は三重丸のサマー・ソング。坂本のヘタクソなヴォーカルも、むしろかわいらしい。 ※アマゾンのオフィシャル・レビューに「YMO結成以前、坂本龍一のソニーに残した1979年作品」とあるが、これは間違い。YMOは78年結成 7位「夕なぎ」(ナーヴ・カッツェ) ポリスを彷彿とさせる緻密なアンサンブルで目利きを唸らせた、女性ばかりのロック・トリオ「ナーヴ・カッツェ」。そのファースト・アルバム『OyZaC』(1987)に収められた曲。夏の夕暮れに吹く一陣の風のように涼やかな名曲である このナーヴ・カッツェ、いま聴いてもスゴイ。なにしろ、ポリスばりのタイトな演奏なのに、ヴォーカルとコーラスは透き通るような美しい女声なのだからたまらない。その落差にしびれる。 8位「いいあんべえ」(ザ・ブーム) 「島唄」ももちろん素晴らしい曲だけど、こちらのほうが私好み。歌詞はすべてウチナーグチ(沖縄の言葉)なのに、島唄のたんなる模倣に終わらず、見事に「ザ・ブームの曲」になっている。これぞまさに日本産ワールド・ミュージック。 9位「MIND CIRCUS」(中谷美紀) 女優・中谷美紀のシンガーとしてのファースト・アルバム『食物連鎖』のオープニングを飾った曲。くせのない涼やかなヴォーカルが心地よい。作曲の坂本龍一がプロの仕事をしている。「きみのまなざしは/夏草が茂る避暑地の空の匂い」――売野雅勇の詞も、夏っぽくてよい。 10位「夏色の服」(大貫妙子) 大貫妙子にも夏に似合う名曲は多い。名盤『ロマンティーク』(私はこれがいちばん好き)はアルバム全体が見事なサマー・ミュージックになっていたし、「夏に恋する女たち」なんてヒット曲もあった。あ、「幻惑」や「海と少年」も夏に合うなあ。 でも、1曲選ぶとしたら、『クリシェ』収録のこの曲。「よく似合うと買ってくれた夏色の服を/今年もひとりで抱きしめてしまう」という切ない歌詞をもつトーチ・ソング(失恋・片思いの歌)の傑作。能天気なサマー・ソングより、こういう切なさのある曲のほうが私好み。 11位「8月のセレナーデ」(スガシカオ) よく聴いてみれば、この曲の歌詞には夏をイメージさせる言葉はただの一つも出てこない。にもかかわらず、タイトルとメロディー、アレンジだけで、見事に夏を表現している。たとえばイントロのギターは川のせせらぎを思わせるし、コーラスや間奏のピアノは夏の風と光をイメージさせる。その繊細な表現力に脱帽。 スガシカオにはほかにも、「夕立ち」「ぬれた靴」など、けだるい真夏の夜を思わせる佳曲がある。 12位「ファム・ファタール〜妖婦」(細野晴臣) 細野晴臣がYMO結成直前に発表した名盤『はらいそ』の収録曲。一見トロピカル・ミュージックのようでいて、熱帯の夏というよりは“異界の夏”という趣の幻想味を漂わせる傑作。 13位「何でもないよ(Some Things Don't Matter)」(ベン・ワット) エヴリシング・バット・ザ・ガールのベン・ワットのソロアルバム『ノースマリン・ドライヴ』(1983)――いわゆる「ネオアコ」を代表する名盤の一つ――収録の名曲。べつに歌詞は夏の歌というわけではないのだが、ボサノヴァっぽいギターとメロディの切なさが絶品で、私にとっては完璧なサマー・ソング。 14位「愛を求めて」(ネッド・ドヒニー) ネッド・ドヒニーが1976年に発表した『ハード・キャンディ』は、私にとっては洋楽最高のサマー・アルバムだ。これほど夏に似合う曲満載のアルバムはほかにない。 夏に似合うアメリカン・ポップスというと馬鹿明るいだけの能天気な曲を思い浮かべる人が多いだろうが、このアルバムはさわやかさと切なさと透明感を併せ持った絶品である。アコースティックなフォーク色と洗練されたソウル・フィーリングの見事な融合。この「愛を求めて(EACH TIME YOU PRAY)」のほかにも、いい曲がいっぱい。 15位「砂の女」(鈴木茂) 元はっぴいえんどのギタリスト・鈴木がアメリカに渡り、向こうの一流スタジオ・ミュージシャンたちと互角に渡り合った名盤『バンド・ワゴン』のオープニング曲。安部公房の「砂の女」とは関係ない(たぶん)。乾いた夏の風が吹き抜けていくような「シティー・ポップ」の逸品。このアルバムにはほかにも、「微熱少年」などサマー・ソングの名曲が。 16位「ドラゴンフライ・サマー」(マイケル・フランクス) マイケル・フランクスの曲にも、夏に似合うものが多い。『タイガー・イン・ザ・レイン』のタイトル・ナンバーは雷が過ぎさったあとの切なさにぴったりだし、名盤『スリーピング・ジプシー』や『ブルー・パシフィック』は丸ごとサマー・ミュージックの逸品だ。 でも、あえて1曲選ぶとしたら、タイトルに「夏」が織り込まれたこれ。同名アルバムのタイトル・ナンバーで、夢幻的で上品、かつ切ない。ちなみに、「ドラゴンフライ」とはとんぼのこと。 17位「海辺のワインディング・ロード」(矢野顕子) 矢野顕子のピアノ弾き語りカヴァー集はいまのところ3作あって、そのうち『Home Girl Journey』は、いちばん夏っぽい曲を集めたアルバムになっている。小室等の「赤いクーペ」、槙原敬之の「雷が鳴る前に」などなど。とりわけ、忌野清志郎(ガンバレ! 生きろ!)のカヴァーであるこの曲の清冽さ・切なさといったら……。 18位「青い車」(スピッツ) スピッツにはこれ以外にも「夏が終わる」などのサマー・ソングがあるが、あえて1曲選ぶならこれか。アップテンポの明るい曲調なのに、その底に切なさがピンと張りつめているあたり、いかにもスピッツらしい。なお、よしもとよしともにも「青い車」という傑作青春マンガがあるが、あれはこの曲にインスパイアされた作品。 19位「残暑」(クラムボン) クラムボンのサード・アルバム『ドラマチック』は、全編夏っぽいイメージでつらぬかれた作品だった。中でも、シングルカットされたこの曲は、過ぎ去る夏を惜しむようなけだるい切なさが心地よい佳品。 20位「ハイヌミカゼ」(元ちとせ) 元ちとせのデビュー・アルバムのタイトル・ナンバー。「南からの聖なる風」を意味するタイトルのイメージそのままの曲。 吹き渡る風をイメージさせる形で使われている馬頭琴の音色が印象的。ふつうのストリングスではなく、あえて馬頭琴を用いた作り手のセンスが素晴らしい。 ■参考→ MUSICOの「サマーソング・コレクション」(私のリストとはほとんど重なっていません) |
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